Firefly
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   2

 僕は今までに無いほどの集中力で、水中を優雅に泳ぐ金魚の群れを凝視していた。
 集中……集中……
 網を握る僕の手が、汗で濡れていることがはっきりと伝わってきた。
「頑張ってねぇ〜……、ちーちゃん……」
 僕の隣で声援を送ってくる少女―――神崎美里。はっきり言って彼女の声援は邪魔でしかない。こっちはかなり集中しているのだから黙ってていて欲しいものだ。
 そんな僕の思いが通じたのか、彼女は黙ったまま緊張した面持ちで、僕と同じく水中の金魚を凝視していた。
 みさとが緊張しても意味は無いんだけど……
 そう思ったが、そんな事言葉にする余裕は今の僕には存在しない。
 現在左手に握られている容器に中には4匹の金魚。あと一匹で、僕の金魚すくい最高記録を塗り替えることが出来る―――そう思ってしまうと、やはり緊張を隠すことは出来ない。
 網を持った右手が震えているのがわかる……
 すでに僕の網はかなり体力が削られている状態だった。4匹目の時点で破れていても全くおかしくない。それほどまでにヤバイ状態のこの網であと一匹すくうなんてことはまず不可能―――しかしそこであきらめるのはシロウトのやることだ。
 ―――『ザ・マスター・オブ・金魚すくい』
 意味はわからないがそう呼ばれている僕ならば、ここで失敗するなんて事は許されない。現に昨年の夏祭りでは3匹目の時点で今回のような状態だった。それを今回は4匹目を取った時点でこの状態ということは、言うなれば大きなチャンスなのだ。
 僕はより一層集中力を高め、水中の金魚を睨み付ける。
 時間を掛けることも、シロウトのやる事―――その事を理解している僕は、安全に、出来るだけ小さい金魚を探す。セコイと言われようが、ここは慎重に行かなければならない。何しろこの僕の金魚すくい最高新記録が掛かっているのだから……
 ちょうど良い金魚が見つかった。僕はその金魚を追いかけるように、ゆっくりと右手の網を水の中に入れる。水面ギリギリの所を、網に負担がかからないようにゆっくりと金魚を追う。
 そして……
 勝負は一瞬。
 でやあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーー!!!!!!!!
 心の中で叫びながら、僕は金魚の下に滑り込ませた網を勢いよくすくい上げる!金魚の体を乗せたその脆すぎる網は、もはや限界と言ったところだろうか。
 今にも破れそうな雰囲気……
……ってゆうか……
や……破れるぅぅぅーーーーー!!!
 音も無く破れる小さな網。
 らあああぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーー!!!!
 意味不明な叫び声を心の中で叫びながら破れた網を天高く突き上げる。その気合が通じたのか、金魚は網が破れる直前までの上昇を、破れた後も止めなかった。
 僕はこのチャンスを逃すまいと左手に持った容器を空中で跳ね上がった金魚の進行方向―――つまり真下に移動させる。やがて金魚は自由落下を開始して……ギリギリのところでその金魚は僕の容器の中にゴールした。
「やったぁぁぁぁーーーーーーーーー!!!!!!!」
 その心からの咆哮は僕だけじゃなく、隣で僕の華麗なる激闘を見届けていた美里の口からも発されていた。
「すごいねぇ!!ちーちゃん!!自己最高記録でしょぉ!?」
「そうだよ!!やったぁぁぁぁーーーー!!」
 歓喜に満ち溢れた僕はその両腕を高く振り上げた。
 ……そう……振り上げた…………
「あ……」
 気づいた時にはもう遅し。金魚は見事に左手の器から脱出し、真直ぐかつていた場所へと帰って行った……
「あーあ……」
「…………」
 もはや言葉は無かった……
 激しい虚しさが僕の心を蝕んでいた。
「……残念だったね……ちーちゃん…………」
……残念?……残念だと?
「いや……僕はしっかりと5匹捕まえたんだ!それだけは偽りの無い事実なんだ!!それに今のはワザとだ!どうせ金魚すくいで捕まえた金魚なんてすぐ死んじゃうから可哀想でしょ?だからワザと帰してやったんだよ!」
「あ〜〜そうなんだぁ〜……ちーちゃんって優しいねぇ〜…………」
 素直に騙される美里。
 まったくもって扱いやすいヤツだ。
 しかし……
 見ていろよ……
 憎たらしげな笑みで見ている金魚すくいのオヤジよ!来年こそはこの偉業を成し遂げて、貴様のその怪しげなサングラスをずりおろしてやる!!
「まーいーやー……ちーちゃん行こー?」
「ん……ああ……うん…………」
 美里に促されるまま、僕は夏祭りで賑わう、大澤の町の本町商店街を歩いていった。



「おい、千浩」
「……ん?」
 美しき(!?)思い出に浸っていた俺の意識が、俺の横にいる隆幸が突然掛けてきた声によって覚醒させられる。
「何ボーっとしてんだよ?本日2回目だぞ?そろそろ変質者の域に……」
「馬鹿、2回ぐらいでそんな称号を得られるか!」
「……回数の問題じゃ無いだろ」
 そこに突っ込むか?
「それで、今度は何を考えていたのかね?千浩君?」
「キモイ。ヤメロ。君付けは」
「懐かしきこの町の思い出か?」
 無視ですか。まぁ、いい。
「ああ、ちょっと昔の夏祭りの事をな」
「夏祭り?」
「ああ、確か今ぐらいの時期だろ?」
「……今日だけど?」
「……へ?」
「……気付かなかった……のか?結構駅前の商店街とかで準備が始まっている筈だが…………」
 そうか……にぎやかになったと思ったら、夏祭りの準備をしていたのか。しかし今日とは……中々の盲点だったな。
「同窓会の案内にも書いてあったのに。当日は夏祭りがありますって」
 ……俺は馬鹿か?それぐらい気付けよ…………
「夏祭りかぁ〜そういえば昔……小学校の頃はよく二人で行ったよねぇ〜〜」
 俺と隆幸の会話に、美里が割り込んでくる。
「ん……そうだな……ってゆうかその時の事を思い出していたんだけどな」
「あ、そうなの?いつの頃?」
「小3の頃だよ。その時の金魚すくいのことをな」
「ん〜〜〜……ああ、あの時ね。千浩が金魚5匹GETした時ね」
「そうそう、それそれ」
「何だよ、金魚5匹って」
 興味深げに横から聞いてくる隆幸。
『金魚すくいで金魚5匹GET』……そのまんまじゃねえか。解らないのか?このド阿呆は。
「うん。千浩がね、小3の時の夏祭りで金魚すくい5匹を、超ギリギリでGETしたんだぁ〜〜ホント、ギリギリだったんだよ」
 実際にはその後で落としてしまったのだがな。
「そうそう、この俺様の華麗なる金魚すくいテクニック!くぅぅぅ〜〜〜貴様にも見せてやりたかったよ!」
「金魚すくいテクニックって……」
「あの時の5匹が俺の……いや、町の最高記録でな。おそらく今も破られて無いだろうな〜〜」
「え?」
 驚いたように声をあげる美里。
 ……俺の素晴らしさに今改めて感動した……訳では無いだろうな…………
 ……まさか…………
「まさか……破られたとか?」
「……うん」
 遠慮がちに応える美里。
「い……一体いつ!?」
「……小4の時…………」
「……へ?」
 小4……?
「えーっと……それは小学校4年生の時……と言う事ですよね?美里さん」
「あ……当たり前でしょ」
 ……な……何ぃぃぃ!?お……俺の記録が……翌年に破られていたのかぁぁぁ!?
「い……一体誰に!?」
「えと……千浩の後ろの人」
 はい……?
 俺は恐る恐る後ろを振り返った。そこには憎たらしげにニヤニヤとしている隆幸の姿があった。
「……えーっと……壁しかありませんが……美里さん?」
「俺だっつうの」
 ゴスッ!
 再び美里の方へと視線を戻した俺の後頭部に、隆幸のチョップがめり込んだ。
「……ってなぁ!つうかお前のような馬鹿で阿呆で馬鹿なヤツがこの俺様の記録を破れるワケねーだろ!」
「っだとぉ!誰が馬鹿で阿呆で馬鹿だっ!この2.5馬鹿が!!」
「だからお前が馬鹿で阿呆で馬鹿だっつってんだろ!?」
 ってゆうかそのネタを使うな!しかも元ネタは2人合わせて2.5馬鹿だし!
「ねぇ、ボンクラーズゥ……」
 殺気立った睨み合いを続けている俺達の背後から、呆れた様子で声を掛ける美里。
 ってゆうかそのネタも結構ヤヴァイぞ。しかも今度は元ネタ3人組の筈だし!
「それで……貴様は何匹取ったというのだね?」
 とりあえず俺は美里の声を無視してさらに隆幸を追求した。
「7匹だ」
 な……何ぃ?
 なな……7匹だとぉ?お……俺の記録を2匹も上回ったということかぁ?
「……嘘だろ?」
「ホントだって。コツさえ掴めば結構簡単だぜ?ヒョイヒョイと気持ち良いほど網に入ってくれるしさ」
「うううぅぅぅ〜〜〜おのれぇぇぇぇ〜〜〜〜」
「……何唸ってるんだよ?」
 呆れた様にこの俺を見下す隆幸。
 ……しかし、呆れているのはこの男だけでは無い。
 ゴスゴスッ!
 俺と隆幸の二人の後頭部に美里の必殺ダブルチョップを喰らわした。
「……な……何すんだよ!?美里!」
 振り返るとそこには完全に呆れている美里の姿があった。
「ん……ボンクラの頭は叩けばなんとかなるかなぁ〜〜って思ってね。感謝してよねぇ〜〜〜」
 さして悪びれた様子も無く言い放つ美里。
「馬鹿、叩けば叩くほど知能が低下してしまうだろ!?」
「どういう理屈だよ……大体お前がこれ以上頭が悪くなる事は無いだろ。そんな事になったら、お前の知能はゾウリムシレヴェルになってしまう。まぁ、人間失格だな」
 俺の背後で平然と酷い事を言い放つ隆幸。
「お前が言うなっ!しかもゾウリムシは知能無いし!」
「……お前って……突っ込みキャラになったんだな」
「……はぁ……いい加減にしなさい!」
 ゴスゴスッ!
 再び繰り出される美里必殺ダブルチョップ。
 ……俺はやられっぱなしじゃないか…………
 何か……悲しくなってきた…………
「痛いなぁ……神崎ぃ……少しは手加減してくれよ…………」
「さっきから阿呆な事をしてるからでしょ?」
 阿呆とは何事か!
 この私は忌むべき宿敵・杉村隆幸を駆逐するため、命を賭してまでも戦いに身を投じているというのに!
 ……まぁ、そんな事を言ってもまた呆れ顔でチョップ喰らうだけだから、あえて何も言わないが………
「へぇ、武、教師になるんだ〜〜」
 唐突に聞こえてきた懐かしき級友達の声。その声のした方向に視線を向けると、懐かしき顔ぶれの中に、他の人より一際大きな体格をした男、笹岡武がいた。
 どの学校にも例外無く一人はいる、いわゆるデブキャラというやつだ。
 かつてはその親しみやすい体格と温厚な心優しき性格で、男女問わず人気の高い奴だった。
「へぇ、アイツ、教師になるんだ」
 武を見ながらビールの入ったグラスを掴み、一気に喉に流し込む。
「うん。そうみたいだよ。今、教育大学に通ってるみたいだし」
 同じように武の方へと視線を移した美里はそう言った。
 武はかつて中学時代、水野という英語教師に一目惚れした経験があるのだ。当然その水野教師は、他の生徒からも人気が高かったのだが―――ああ、ちなみに俺と隆幸は興味無かったけど―――とにかくそんな人気教師を崇拝しているメンバーの中でも彼だけは、本気で彼女に恋をしていた。
 しかし彼は、その想いが叶う訳無いということを自覚しており、それでも彼は、水野教師にこう言ったのだ。
『俺……教師になります……!水野先生みたいな……立派な教師に…………!』
 その時の言葉を、彼は今、こうしてしっかりと果たそうとしているのだ。
「全く……大したヤツだよな、アイツ。しっかりと昔の夢を果たそうとしているんだから」
「うん……ホントだよ…………」
 感心したように呟く隆幸と、それに相槌を打つ美里。
「そうだな…………夢……か…………」
 俺はかつての級友達に囲まれて楽しく談笑している武を見つめながら呟いた。
 夢……
 そういえば俺は、幼い頃に一体どのような夢を抱いていたのだろうか?
 引越しをして、慌ただしい都会の街で暮らしている内に、俺は夢を見失っていた……
 新しい土地―――
 新たなる仲間―――
 全く違う環境―――
 そんな忙しすぎる日常の中で、俺は夢を見失っていた……
 かつて、俺はこの町でどんな夢を抱いていたのだろうか?
 
 
 
 そこで俺はふと気付いた。
 いるはずの者がいない事に―――
「なぁ、美里」
「ほえ?」
 声を掛けた俺に、口の中に唐揚げを含みながら返す美里。
「遥はどうしたんだ?いっつも俺らの後ろにくっついていたアイツがここにいないなんて―――何か用事でもあったのか?」
 清水遥―――俺と美里の幼なじみで、こっちが疲れるくらい元気だった美里と違っておとなしく、どっちかと言うと内気な性格だった少女だ。何かあるごとに一緒だった俺と美里と遥、そして隆幸。よほどの用事が無い限り、遥がこの会場に来ないとは考えられなかった。
「…………!」
 俺の質問に、まるで信じられないかの様な表情で返す美里。
 一体どうしたんだ?
「まさか……千浩……聞いてないの?」
 凍りついた表情のまま、ゆっくりと応える美里。
 おいおい……どういうことだよ?
 聞いてないって……何がだよ…………?
「どういう意味だよ!?それは!」
 俺は答えを求めるように語調を強めて美里を問い詰める。
「……遥ちゃんは……」
 目を逸らし途端に暗くなった声で返す美里。
 一体……どういう事だよ……何でお前がそんな顔をするんだよ…………
「……遥……ちゃんは……」
「ホントに聞いてないのか?千浩」
 その瞳に涙すら浮かべて苦しそうに応える美里に代わって口を出す隆幸。
「ああ……どういうことなんだ…………?一体……一体遥はどうしたんだ!?」
 疑問の矛先を隆幸に向ける俺に対し、隆幸の唇は残酷な真実を紡ぎ出した。

「彼女は……清水は3年前、飛行機の事故で亡くなったんだよ―――」



 5年ぶりの故郷―――大澤……
 5年という歳月は、想い出も、かつて見てた夢も、そして……そして…………
 
想い出の幼なじみさえも、遠い記憶の彼方へと消し去ってしまった…………




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