Firefly
freebird presents

4

 夏の夜風が頬を撫でる。
 蒸し暑さを癒してくれるその風を体全体で感じながら、僕達はゆるやかな坂道を登っていた。
 空には金色の満月が僕らを見下ろしている。
 周りの草原から、鈴虫の美しい歌声が聞こえる。
 それに重なって蛙の混声合唱も奏でられている。
 爽やかな夏の匂いは、僕の気持ちをさらに落ち着かせてくれる。
 僕は五感全てにおいて自然を感じる。
 そして僕の両手には二人の少女の暖かい感触が宿っている。
 僕の両隣を手を繋ぎ歩く二人の少女―――
 僕の幼なじみであり、当然の如く幼い頃からずっと一緒だった彼女達―――
 今日はいつもと違い、浴衣を着た可愛らしい姿で隣を歩いている。
 その時僕は感じる。
 胸の奥に燻る不思議な感情を―――

 その時僕は、まだ小学3年という幼い頃であったために、その感情の正体に気付かなかった。
 いや、例え幼くなくても気付く事は無かったかも知れない―――
 僕と彼女達の距離はあまりにも近すぎたために……
 僕は彼女達に対する自らの想いに、全く気付いていなかった…………
 そして僕は愚かにも、失ったときに初めて気付いてしまう……
 失ったものに対する、自らの想いに……

 夏の夜の空気に包まれて、僕達はその丘の頂上に辿り着いた。
「はぁ〜〜〜・・・やっと着いたね〜〜〜♪」
 頂上に着くなり、美里が両手を広げ、夏の夜の空気を一気に吸い込む。
「ン〜〜〜〜〜♪」
「涼しいね〜〜〜♪」
 美里に続いて、遥も美味しい空気を肺に思い切り吸い込む。
 それにならって、僕も両手を天に広げた。
 眼前には金色の満月と、一面に広がる夏の星座が輝いていた。
 そのまま僕は、冷たい草の上へと仰向けに寝転がる。
「私も〜〜〜♪」
 それを真似して美里も僕の隣に寝転がる。
 そして遥も同じように寝転んだ。
 毎年、祭りに飽きた後僕達がやってくるベストプレイス―――それがこの丘だ。
 涼しい夜の風、虫達の歌声、広がる星空、そして……
「きれい……」
 漆黒の闇を舞台に、光のダンスを踊る『それ』を見て、遥は感動の吐息を漏らす。
「ホントだ……凄くきれい……ホラ!ちーちゃん見て見て!!」
「解ってるよ……見てるってば…………」
 僕達の眼前で光のダンスを踊る『それ』は、無数のホタル。
 そう、この丘の最大のアトラクションはこのホタルの舞踏会なのだ。
 目の前で踊る無数のホタルを見つめながら、僕達は何も喋る事が出来なかった。
 ホタルなんて、家の近くの水田に行けばいくらでもいるのだが、ここのホタルは格別だった。
 何匹いるのか数えられぬほどの数。そしてその光の強さ。
 唯のホタルとは全く違う、最高のホタルがそこには無数にいた。
 眼前をホタルの光で覆い尽くされてしまうのではないのかと思うほどの数のホタルの光に包まれて、僕は静かに目を閉じた。
 まるで幻想世界に入り込んだかのような世界が、そこには広がっていた。
 そう、そこはまさに幻想の世界だった。
 永遠に色褪せぬ、幻想の、夢の世界―――
 そんな錯覚を覚えてしまう……
 そんな幻想世界の静寂を破るかのような巨大な音が、町の方から聞こえた。
 震える空気が、その音の大きさを表していた。
 僕は静かに目を開けて、上体を起き上げて町の空を眺める。
 僕の視界に映ったのは、夏の夜空に咲く花火。
 星空を白く輝かせ、封印されていた雲の輪郭をはっきりと映し出す。
 轟音は空気を轟かせ、幻想の世界に浸っていた僕の精神を覚醒させる。
 カラフルに色を変えていくその花火は、起き上がっている僕達の幼い姿を照らす。
 冷たい草の上に置いていた僕の両手に、ほぼ同時に隣に座る二人の少女の小さな掌が重ねられる。
 ホタルの光のダンスに包まれて、夜空に咲き誇る光の花を見つめる僕達。
 何の言葉さえも存在しなかった僕達の空間に、遥の小さな唇から紡がれた言葉が生まれた。

「ずっと……3人でこんな風景を眺めている事が出来たらいいね…………」

『いっそのこと時が止まって欲しい……』

 その言葉は花火の音に掻き消された。
 そして最後に一言。

「ずっと……3人一緒だよね…………?」

 その言葉に対する返事は、僕達二人とも同じだった。



 星空が広がっていた。
 空にも、そして眼下に広がる大地にも。
 在る筈の無い、地上の星空。
 それが今、眼科に広がっていた。
 それは、俺が東京で毎晩、自分の部屋から見ていた世界と同じだった。
 人々が創り上げた、地上の星空。
 光り輝くネオンで形成されたそれは、とても美しかったが、同時にとても寂しかった。
 頭上に広がる星空よりも、地上の星空の方が美しかったからだ。
 頭上には、多すぎる雲によって、姿を隠してしまった星たちが眠る星空。
 美しき満月さえも、人々が創り上げた雲によって霞んでしまっている。
 俺は耳を澄ました。
 あの虫達の美しい歌声を聞くために。
 しかし何も聞こえなかった。
 鈴虫の歌声も、蛙の混声合唱も。
 聞こえるのは遥か遠くの祭りの喧騒のみ。
 車のエンジン音のみ。
「ここも変わってしまたんだな……」
 俺は前を歩く美里にそう呟いた。
「うん……」
 美里も小さく返す。
 俺達はそのまま一言も喋らぬまま、丘の頂上まで辿り着いた。

「何もかも……変わってしまったんだな……」
 俺は変わり果てた街の方を眺めながらそう呟いた。
「想い出も全部……消えてしまったんだな……」
 俺がそう呟いた時……
「本当に……?」
 俺の背後で、美里がそう呟いた。
「本当に千浩、そう思ってるの?」
 俺はゆっくり振り返った。
 そこには、悲しそうな瞳で俺を見つめている少女の姿があった。
 いや、少女ではない。
 そこには立派な二十歳の女性が立っている。
 だけど、何故かさっきはどうしても少女の姿に見えた。
 そう、まるで過去に戻ったかのような、少女の姿をした美里の姿が、一瞬だけ見えたのだ。
 しかし、その悲しみを帯びた双眸は、かつての美里がときたま見せる瞳の色に、酷似していた。
「この街にはもう、想い出が残ってない……本当にそう思ってるの?千浩」
 強い口調で問い掛けてくる美里。

『何で遥ちゃんを泣かせたの!ちーちゃん!!』

 かつて中学の頃、本気で美里に怒られた時の瞳の色……
 その時の双眸が、今、目の前の女性に宿っている。
 全く同じ瞳が……
「だって……5年前と……全く違う街だったから……」
 俺は再び視線を街へと移した。
 すっかり形を変えてしまった街へと。
「もう俺の想い出の中の町じゃないんだよ!この街は!!」
 俺は叫んだ。
「此処は私達の街だよ!?他の何でもなく、私達の大澤なんだよ!?」
「お前には解らないんだよ!!」
 強く、強く叫んだ。
「何もかも変わっていたんだ!!この街は!!この街と共に過ごしてきたお前には解らないかも知れないけど……流れの中にいたお前にはその流れの速さを理解していないと思うけど……5年間この街から離れていた俺にとって、この街の変わりようは激しすぎるんだよ!!」
「じゃあ千浩は覚えてないの!?」
 美里が同じように叫んで返した。
「千浩は……千浩は覚えてないの!?5年前までのこの町の想い出を!!」
「…………!」
「私だって……流れの速さを理解してなくても、そこから顔を出した時の周りの風景の変化ぐらいは解っているよ!!でも……でも……」
 必死で言葉を紡ぐ美里。
 俺は唯、黙って聞いていた。
「形あるものは……いつか絶対に壊れるものなんだよ!!この街だって……時の流れで姿を変えることは当然なんだよ!!でも……想い出まで……千浩はこの街の想い出まで失ってしまったの!?」
 ………………!!
「覚えてないの!?覚えてるでしょ!?小3の時の金魚すくいの事だって覚えてたじゃん!小6の時、運動会で優勝した事も覚えてるでしょ!?中2の頃の事も中3の頃の事も……この街の想い出は消えてないでしょ!?」
 この街の……想い出……
「楽しかった事も……悲しかった事も……全部覚えてるでしょ!?私は覚えてるよ!全部覚えてるよ!!どんなに町の姿が変わっても……この街の想い出は色褪せてないよ!!千浩は!?千浩は色褪せちゃったの!?大切な……かけがえのない想い出を!?」
「色褪せてなんか……いないさ……」
 楽しかった事も……悲しかった事も……
 一緒に遊んだ事も……馬鹿やって怒られた事も……本気で喧嘩したことも……

『ねぇ、千浩くん。この花の名前、知ってる?』

 全部……色褪せてなんかいない……
 この街の事……多くの友人の事……そして『彼女』の事も……

『これはね、ハマユウって言うんだ』

「今朝、私達が逢った時も、二人とも変わってたよね。大人になってたよね。でも変わってなかったよね。外見じゃなくて、中身が。5年前までと変わらないままだったよね。まるで昔に戻ったかのようなやりとり、してたよね」
 隆幸も言っていた。
『やれやれ、ホント、みんな変わってねぇよな』
 変わってない…………
 そう、俺達は変わってない。
 5年前までと、全く変わってなんかいない……
「この街も外見は変わっちゃったけど、中身は変わってないんだよ。想い出も、私達の心の中で残ってるんだよ」
 残ってる……この街の想い出も……今は亡き『彼女』との想い出も…………

『私の好きな、花なんだよ』

「千浩の中には、残ってないの?この街の想い出…………」
「いや……」
 残ってる……この街の想い出は……
「残ってるさ……かけがえのない想い出は……全部……」
 残ってる……残ってるけど…………
「でも……違うんだ!この街は……俺の知っている大澤じゃなくなっているんだ!!」
 想い出は残ってる……だけど……この想い出もいつか、消えてしまう……そんな不安が俺の心の奥底に燻っている。
「想い出は残ってる!この街の想い出!この丘の想い出!みんなとの想い出!遥との想い出も!!全部!!」
 だけど……
「だけど想い出だけなんだ!!本物はもう、残っていないんだ!!美里も隆幸もみんなも、まだいるからいつでも思い出せるけど、この町は変わってしまった……この丘は変わってしまった……そして遥も今はいないんだ!!だから……だからいつか色褪せてしまうかもしれないから……!」
 俺はそこまで言って気付いた。
 目の前の美里が泣いている事を。
「千浩は……忘れちゃうの……?この町の事、この丘の事、遥ちゃんの事も!!」
 悲しみに濡れた彼女の瞳から、輝く雫が頬を伝い流れ落ちる。
 まるであの頃の少女の様に……純粋な涙を流している……
「千浩は忘れちゃうの?もしも私達と会えなくなったら、私達の事を!!」
 ………………!
「いつか……逢えなくなったら……私達の事、忘れちゃうの?」
 忘れ……ない……忘れるわけが無い……
「忘れないよね……?私も絶対忘れないよ……みんなの事……この街の事……遥ちゃんの事……」
 頬を伝う彼女の涙が、微かに指す月明かりに照らされて、キラリと光る。
「かたちあるものはいつか壊れるけど……人の想いは絶対に消えないよ……」
 人の想い……かけがえのない想い出……
「絶対に……絶対に……」
 彼女の声は、既に涙に濡れ、震えていた。
 そして彼女は俺に優しく抱きついてきた。
「忘れないよね……千浩は……絶対に……かけがえのない想い出を…………」
「ああ……どんなに想い出の町が変わろうとも……」
 想い出の中の町が無くても、その町の想い出は残り続けているから……
「俺は忘れないよ……」
 俺の心の中に……残り続けているから……
「ずっと……ずっと……」
 そして俺は美里の細い体を、強く抱きしめた。
 変わってない……俺達は……何も……
 美里も……隆幸も……他のみんなも……
 そして俺自身も……
 俺自身の、幼い頃の想いも…………
「変わってなんか……いないから……」
 俺は強く、強く抱きしめた。

 静寂を切り裂く轟音が夜空に轟いた。
 大澤の街の空に、光の花が咲いた。
 その光は、俺達をカラフルに照らす。

「あ……」
 美里が、俺の腕の中で小さく呟いた。
「あ……」
 俺も同じように呟いた。
 その原因は、無数の小さな光。
 俺達の周りで、華麗なダンスを踊る、無数のホタル。
 そう……変わってなんかいない……



 無数のホタルの光の中、俺達は静かにキスをした。



 あの時3人で見つめてた
 無数のホタルは何処に行ったの?
 あの時3人で見つめてた
 静かな街は何処に行ったの?
 想い出のあの森は
 想い出の静かな夏の街は
 想い出のホタルの光は
 今は何処に消えたの?
 かけがえの無い想い出
 無数のホタルの光……



 それは今も僕達の心の中に…………





   エピローグ

 俺達は今、大澤小学校の校庭にいる。
 この小学校の卒業生が全員。
 目的は、此処に埋めたタイムカプセル。
 俺達が二十歳になった時に開けるために埋めた、タイムカプセル……
 俺達はそれを探して、かつての職員達の協力も得ながら、タイムカプセルの発掘をしていた。
 そして―――
「みつけたぁ!!タイムカプセル!!」
 隆幸が高らかにそう叫んだ。
 シャベルを持って泥と汗にまみれた体で。
「おお!でかしたぁ!!」
 かつてのクラスメイトの南里が、そう叫びながら隆幸に近づいていく。
 同じようにして、他のクラスメイトや職員達も隆幸の元へと駆けつけていく。
 俺と美里も、疲れ果てた体を引きずって隆幸の元へと歩いていく。
「うわぁぁぁ〜〜〜なつかしい〜〜〜」
 カプセルと一緒に埋めておいた想い出のアイテムに、感動するクラスメイト達。
「俺のカプセルじゃん!これ!」
 隆幸が自分のカプセルを見つけ、早速開けている。
「お、俺のもあった!!」
 同じように南里も見つけたらしい。早速開けている。
 そして他のクラスメイト達も、次々自分のカプセルを見つけ、開け、懐かしき想い出に浸っていく。
 思い出話に浸る者。
 泣き出してしまう者。
 若気の至りに赤面してしまう者。
 そこは、まさしく俺達の学生時代が戻ってきたような風景だった。
「あ、私の見っけ♪千浩のも見つけたよ♪」
「おお、サンキュ」
 美里から受け取った俺のカプセルを、早速開ける。
「アハハ……私、昔こんなこと考えてたんだ……」
 恥ずかしそうに笑う美里。
 そして俺もカプセルの中に入っていた一枚の紙を取り出した。
 小学校卒業の際、書き記した、いわば『二十歳の私へ』というヤツだ。
 そして、その紙には、当時の俺の『夢』が記されていた。
 かつてこの町で見ていた『夢』。
 そして東京で暮らしているうちに忘れてしまった『夢』。
 俺はその『夢』を見て、つい、微かに笑ってしまった。
「あ、千浩。何て書いてあるのぉ?」
 美里が俺の顔を覗き込んで聞いてくる。
 俺は少し悪戯っぽく笑ってやる。
「フフ……ヤダね……」
 そう言って俺は『夢』が記されている紙を自分のポケットに仕舞い込む。
「あ!い〜〜じゃん、見せてよぉ!」
「ヤーダ」
 俺はあくまでも笑顔で拒否する。
「私のも見せるからぁ〜〜〜」
「それでも、ヤダね」
 そう言って俺は踵を返し、思い出話をしている隆幸たちの元へと向かう。
「あ、ちょっと待ってよぉ〜〜〜……」

 俺は空を眺めた。
 夏の空。
 澄み渡る青空。
 故郷の空。
 5年前までの美しさは残していない。
 だけど、それは故郷の空。
 それだけは、間違いない。
 この空が、想い出の空なんだ…………



 僕達の心の中で……残り続けているよ…………
 ずっと……ずっと…………



   
Fin
   あとがき

 この物語は、唯の恋物語ではないです。むしろ、恋の話は二の次ですね。
 元々は、『ホタル』という言葉から創り上げた、自然破壊反対を主張する作品でした。
 ですが……
 何か中途半端になってしまいましたね(汗)
 ですが、ここに書かれている自然破壊の例のうちのいくつかは、本当に私の周りであったことを元にしています。
 ですから、この作品を通じて、私の自然破壊に対する意見を読み取ってもらえたなら、嬉しく思います。
 でも、ホント……中途半端…………(汗)
 それ以外のテーマとしては、『かたちあるものは、いつか消えてなくなること』と、『人の想いは色褪せない』ということです。
 これは偽善ではなく、実際に私が感じた事です。
 自分の想いを作品に込められる……
 だから私はSSを書くことが好きなのでしょうね……
 これからも、自らの言葉を、自分の想いを吐き出した作品を投稿させていただきたいと思います。
 皆様、どうかこんな私を改めてよろしくお願いします。

 でわでわ、読んでくださって本当にアリガトウございました!!freebirdでした!!



 感想BBS




SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送