遙か彼方、天空の地にて…

第二話 
黄昏に輝け<暁の右腕ダーンスカイ
作:暇人



 ――ショウとハルカが出会ってから、およそ一ヶ月の時が過ぎていた。
 最初のうちは何かと衝突や言い争いが絶えなかった二人の関係も、今では概ね丸く収まっていた。一番の要因は、お互いがどんな人間かわかってきた事にあるだろう。
 とにかく、些細な衝突はあるにしても、慌ただしかった<アーク>に平穏が戻ってきた事には、間違いはないだろう。『聖櫃』の意味を持つその飛空挺は今、雲一つない雄大な青空を、補給地点として利用する予定の街へ向かってゆっくりと突き進んでいる。飛賊と遭遇する事もなければ、何のトラブルも――
 っがぁぁぁぁんっ!
 ――あった。
 とてつもない轟音と共に、<アーク>の後方から煙が立ち昇る。一瞬傾いだものの、すぐに態勢を立て直す事が出来たのは、<アーク>の船体制御コンピュータの優秀さ故か。あるいは、ショウの操縦技術の賜物か。
「………………」
 後方制御室にいたショウはこめかみに青スジを浮かべていた。心なしか、操縦桿を握った黒いグローブに包まれた右手が、小刻みに震えていたりする。
「…………あのヤロウ……!」
 忌々しげに吐き捨てると同時に、シートを強引に動かして立ち上がり、猛獣を思わせる足取りで船室内へ。階段を下り、右手の廊下を通過し、船の後部へと向かう。
 元々小型な船だからか、目的地にはすぐに着いた。目の前に立ちふさがる一枚のドアの上には、『調理室』と書かれたプレートが一つ。ドアの隙間から、もうもうたる黒煙が吐き出されている。
「ハルカァッ!!」
 大声で義妹の名を呼びながら、ドアを乱暴に押し開ける。即座に黒い煙が彼の視界を覆うが、ショウは右腕の一振りで、それを押しのけた。彼の右腕が疾った後には、赫い残像が尾を引くだけ。
「あ、ショウ」
 顔中煤だらけにしたハルカは、悪戯を見つけられた子供のように、バツの悪そうな表情を浮かべていた。その手に握られているのは、原型をとどめていないくらいにひしゃげたフライパンと、かろうじてその上に乗っかっている怪しげなモノ。
「お前は……お前はッ……あれほど料理をするなと――」
「いや、それ『料理』じゃなくて『家事全般』」
「威張って言うなぁぁっ!!」
 再び大声をあげたショウは、肩で息をしようとして――煙を吸い込み、思いっきりむせた。
「あ〜ぁ、ダメだよ、ちゃんと煙取り除かないと」
 そう言いながら、ハルカは換気扇のスイッチを入れた。黒い煙が風の流れにのって、部屋の外へと吐き出されて行く。
「……で、落ち着いた?」
「落ち着けるかアホォ!!」
 笑顔で訊くハルカに、即座に怒鳴り返すショウ。
「大体なぁ、お前はこの一ヶ月でどれだけのものを壊してきた!?グラタン焼けばオーブン吹っ飛ぶわ、洗濯すれば洗濯機が暴走して服がみじん切りにされるわ、アイロン使えば靴下がケシズミと化すわ……一番酷いのはアレだ、掃除機のせいで危うく部屋の中が真空状態になりかけたヤツ。
 でも一番理不尽なのはッ!お前がことごとく無事という事だッ!!どーすりゃンな事が出来るんだよ!?」
「あたしに訊かないでよ」
「んじゃ誰に訊けと言うんだお前はぁぁぁっ!!」
 荒い息を何とか抑えると、溜息を一つついて頭を抱える。
「……なんか恨みでもあんのかよお前……おかげでこっちは赤字続き、破産寸前なんだぞ?」
「そりゃっ……仕事してないからよ」
 ハルカは一瞬言葉に詰まったものの、それでも言い返す。もっとも、気の強そうなその表情には、きっちりと汗が浮かんでいたりするが。
「してんだよ仕事!立ち寄った街々で日雇いのヤツを細々と!」
「飛賊のくせにまっとうでせせこましい仕事ね〜」
「どやかましいッ!なら何か?飛賊旗でも掲げて略奪行為しろ、ってか?」
 ジト目でハルカを睨みながら、肩をすくめるショウ。
 飛賊――いわば、空の海賊。飛空挺を駆り、世界中の街を襲い、略奪行為を行う者達。この時代、一般人から最も恐れられている存在。
「お生憎様、俺は金持ちからしか盗らねぇの」
「結局やってる事は一緒じゃない」
 唇を尖らせて、ハルカはなおも食い下がった。と、その一言で、ショウの瞳が、すぅっ、と細められる。ハルカの観察によると、これはショウが怒った時のくせだ。
「ほぉ……言ってくれるな……」
 ずいっ、っと一歩、ハルカの方へと大きく踏み出して、
「そういう事はこの部屋を元に戻してから言え」
「うぐっ……!」
 それまで目を背けていた調理室の惨状に、ハルカは改めて目を向ける。
 調理器具は無残にも吹き飛び、そのほとんどが原型をとどめていない。床には大量の壊れたスプーンやフォークが散乱し、電子レンジはドアが綺麗になくなっている。コンロの正面の壁がごっそりと消え、かわりに青々とした晴天が顔を覗かせている。小型とはいえ、戦闘用に作られた飛空挺の壁に大穴を開けるなど、指向性を持たせた大量の爆薬を使用したりしない限りできないだろう。
 確かにこの状況では、なぜハルカがほとんど無傷なのか、疑問に思うのも無理はない。
「そ、そりゃあまあ、あたしにも出来る仕事っていったら……」
「家事は却下だからな」
「………………」
 押し黙るハルカ。
「――じゃ、じゃあ、あたしに一体何をしろと……?」
「そうだなあ……お前、特技は?あ、殺人料理以外で」
「殺人料理とは失礼ね!……まあいいけど……そうね、少し格闘技とかをやってたわ」
 少し思案してから、思い出したように言うハルカ。
「格闘技?」
「そう。孤児院にいた時に、ちょっとね。護身術程度だけど」
「ふぅん……」
 指で唇をなぞるようにして、思案に暮れるショウ。これもまたショウのくせだった。
「じゃあ、忍び歩きとかは出来るのか?」
「もちろん。気配も消せるし、その気になればペン一本で、一分以内にごろつきの三人や四人なら再起不能に出来るわよ――って、なにへたりこんでるのよ?」
「違うそれ暗殺術の間違いだろ」
 すかさず突っ込むショウ。
「ん?なに?」
「いや……なんでもない」
 適当に言葉を濁し、そのままハルカを連れて、甲板後方のコントロールルームへ。
「――あ、今思ったんだが……」
「ん?」
 階段から外へ出て、眩しい日の光に目を細めているハルカに向かって、ショウは肩越しに問いかけた。
「お前、FMPも扱えるのか?一ヶ月前の時なんか、素人にしちゃあ結構いい動きしてたけど……」
「あぁ、あれね」
 苦い記憶を思い出したかのように、彼女は少し顔をしかめる。彼女の『家族達』が飛賊によって虐殺されたのは、まだ記憶に新しい。
「元々、大した腕じゃないんだ。あんな危ないもの、必要なかったし……ちっさいころにね、少し触ったくらい。
 でも、あの時は無我夢中で……なんだかよくわからなかったけど、結構思い通りに動いてくれたんだ。あのFMP」
「あの白いヤツか」
「そう。孤児院の人の話だと、確か……<純白の雪スノーホワイト>って名前だったと思う」
 その名を聞いた瞬間、ショウの動きが止まった。
「――<純白の雪>……!」
 そう呟く彼の表情は、硬く凍り付いていた。まるで、恐れていた何かが目の前に現れてしまったかのように。明らかに彼は――恐怖していた。
 だが、そんな彼の表情は、ハルカの方からは見えない。いきなり歩みを止めたショウに、訝しげな視線を送りながら、
「……?どしたの?」
「――ん?あぁ、いや……なんでもない……」
「ふぅん……変なの。でね、やっぱり孤児院の人の話だったんだけど、あれってなんかすっごいシステムを積んでるって――」
「――ダメだッ!」
 ハルカの声をさえぎって、ショウが急に振りかえり、叫ぶ。
 いきなりの事に、ハルカは声を失っていた。一方のショウも、自分の衝動的な行動を後悔しているように見えた。
 ――沈黙が、流れる。
「……とにかく」
 先にその嫌な沈黙を破ったのは、ショウの方だった。
「出来る限りアレには乗るな」
「なんでよ……」
「何でもだ。――危険なんだよ……」
 それだけ言い残し、ショウはさっさとコントロールルームへと入っていった。
「――なによ……」
 唇を尖らせたまま、ハルカはつまらなさそうに呟いた。ショウに何が出来るかと聞かれて初めて気付いたのだが、自分がアレを乗りこなせたら、きっとショウは助かるだろう。仕事もはかどり、今までの失敗も許してくれる。――そう思っていた。
 ハルカ自身気付いてはいないが、彼女は恐怖していた。怯えていた。自分の居場所が再び失われる事を。居場所を失くすのが怖かったから、あれやこれやと不慣れな家事をこなそうとした。あまり女の子らしくないからという理由で、ショウにはあえて告げなかった格闘技の事も話したし、もし彼が暇ならば、FMPの操縦訓練もしてもらおうと思っていた。
 だが。
 ――危険なんだよ……
 その一言が、彼女の中に激しい憤りを生んだ。
 なにが危険なのかなど、問題ではない。
 ただ――悲しかった。
 彼女の心は悲しみを隠し、その隠れ蓑として憤りを生む――
 納得しきれぬ想いを抱えたまま、ハルカはショウの後を追っていった。

「……結構おっきな街なのね〜」
 周囲を見まわし、その人の多さにやや辟易しながらも、彼女は素直な感想を漏らした。
「そりゃ、アルスト山岳区じゃあ一番でかい街だもんな。あ、あんま離れて歩くなよ。迷子になるぞ?」
「……どうせあたしは辺境地の端っこの街出身よ……こんな大きな街は初めてだけど、さすがにこの歳で迷子になったりしないわよ」
 ややすねたようにいいながらも、素直にショウの後ろから離れず、しっかりついて来るハルカ。
 今彼女達がいる地域は、アルスト山岳区と呼ばれている。文字通り、アルスト山脈とその付近一帯を指す。ハルカの住んでいた街であるスレンダは、辺境区とあだ名されるアルスト山岳区でも、かなり外れの方に位置する。いわゆる、辺境中の辺境だった。
 周囲はどこを見渡せども、ただ人ばかりだった。大荷物を担いでいる行商人、道端で露店を出しているものや客引きをしている売り子、数人のグループを作って隅の方で遊んでいる子供達――
 それら全てに活気があり、精一杯に生きている。
「さて……どうするかな?」
「どうするも何も……まず仕事見つけなくちゃ」
 ショウの言葉に、僅かに眉をひそめるハルカ。彼女は、もちろん仕事を探しながら通りを歩いていたわけだが、さっきからショウがわき目も振らずに歩いている事に、少しばかり腹が立っていた。
「いやまあ……実は一つだけ、依頼っつーか頼み事みたいなのが入っててな」
「頼み事?」
 さっきより険しく眉間にしわを寄せる。
「ちょっとショウ、あたし達今は慈善事業してる場合――」
「報酬は十分に出そうな仕事だ。それに、頼み事ってのは知り合いのコネ、って意味だ」
 ハルカの勢いを制して、彼は言葉を続けた。
「それと――断りきれない理由がある」
「……何よ」
 少し怒ったような、あるいはふてくされたような表情を浮かべながら、ハルカは問い返した。そんな彼女から顔を背け、彼は前方を見つめながら――
「この依頼な……孤児院からなんだ」

「ばいば〜い、お兄ちゃん、お姉ちゃん!」
 今さっきまでショウと遊んでいた数人の子ども達が、こちらに向かって手を大きく振っている。それに応えて、ショウとハルカは手を振り返し、子ども達が公園の方へ駆けて行くのを見届けてから、シスターにしたがって孤児院の中へと入った。
「どうぞ……おかけ下さい」
 静かな声で、シスターは二人に椅子を促した。
「どうも……」
「失礼します……」
 こちらを向いたシスターの、儚げにも悲しそうにも見える表情に、二人は呑まれていた。
「ルーカスさん、こちらの方は……?」
「あぁ、俺の相棒みたいなもんだよ」
 ショウの口調からは親しさが感じられる。このシスターにしてもそうだ。
「そうでしたか……安心しました。私はアンジェと申します。よろしく……」
「よ、よろしく……」
 そう言うシスターの様子は、あまり安心したようには見えなかった。そのせいか、ハルカは少し戸惑った。
「単刀直入に言います。ルーカスさん……実は、あなたに取り返して欲しいものがあるのです」
「取り返して欲しいもの?って、まさか……」
 おうむ返しに問い返すショウに、シスターはただ静かにうなずいた。
「この孤児院は、この街では最後の一つなんです」
「最後の、って……!」
 椅子を蹴倒し、立ち上がるショウ。
「ええ……半年ほど前から、一つずつ潰されていきました」
「………ッ……!」
 いまいましげに自分の右手を握り締めながら、ショウは唇をかみ締める。
「ちょっと……ぜんぜん話が見えないんだけど」
 そんなショウの様子などお構いなしに、ハルカは彼の服を横から引っ張った。だが、ショウは全く反応しない。かわりにアンジェが答える。
「この街――アルセイには元々、四つの孤児院がありました。商業中心の街なので、孤児も多いんです。ですが、半年前――市長が代わってから、孤児院が一つずつ潰され始めたんです」
「孤児院を潰す!?なんでそんな事を……?」
 勢いでそう尋ねるハルカ。そんな彼女に気圧されてか、シスターはショウの方に視線を走らせる。救いを求めるような……そんな瞳。
「……俺のせいだな」
「え?」
「大体、これだけ商業主義の発達した街で孤児院が四つもあった、ってことに疑問を持たないか?お前」
「あ……そう言えば確かに……」
 ショウに指摘され、小さく息を呑む。
「でも、それとショウが何か関係あるの?」
「あるといえばあるかな……そのうちの一つは、俺の直訴で二年前に造られたんだ。それが、ここだ。
 で、その後しばらくはこの街に居座ってたわけだが……」
「半年前、ルーカスさんがいなくなって市長も代わってから、昔からあった三つが一気に取り壊されてしまったんです」
 ショウの言葉を継いで、アンジェは語り――うつむいた。その表情を、二人から――特にショウから隠すようにして。
「……で、あなたはここを潰されたくないと……でも、待って。アンジェ、あなた確か……『取り返して欲しいものがある』って言ってたわよね?それって……何?」
「………………」
 アンジェは語らず、再びショウの方に視線を向ける。そんな彼女の心中を察してか、ショウは彼女に代わり、口を開いた。
「拒晶石、っていってな」
「キョショウセキ〜?」
 先ほどからショウを頼ってばかりいるアンジェの存在が面白くなく、同じく頼られっぱなしでいるショウの態度も面白くないので、ハルカの語気は荒くなっていた。――無論、彼女自身は気付いていないが。
「そう。その石のある場所から一定距離の空間を、特定の人物以外は近付けなくする石だ。泥棒よけにも役立つんで、美術館やなんかでは結構活用されている。もちろん<失われた文明の遺産>なんだが……以前この街の孤児院全部に配っておいた」
「なんでもありなのね、<失われた文明の遺産>って……で、なんでそんなもの持ってる必要があるわけ?」
「そりゃお前、これだけの商業都市だぜ?孤児院は煙たがられるだけさ。特に、市長とか行政機関とかからはな。自分達を守るためにはそれくらいしないと、あっという間に取り壊されちまう」
「うわぁ……血も涙もないわね」
 思わず口を突いて出た言葉は、彼女の正直な感想だった。
「で、どうしてそれがなくなってるのよ?設定された人以外、近寄れないんでしょ?」
「内通者か何かがいたんだろ。孤児院同士は離れてて、あまり交流がなかったからな。一つ目が潰された時、『前の孤児院で働いてた』って言って、拒晶石に設定されてしまえば、あとはやりたい放題だ。
 ……で、内通者は見つかったのか?」
 ショウにそう問われ、アンジェは一瞬戸惑ったようだったが、
「……はい。見つけて、すぐに追い出したんですが……もう既に拒晶石は……」
「……そうか……」
 それっきり、ショウは黙り込んでしまう。
 言わなくてもわかる。拒晶石がない以上、ここが潰されるのも時間の問題だ。
「これは、あなたにしか頼めない事なんです!」
 救いを求めるかのように……だが、さっきよりも激しい口調で、アンジェは懇願した。
 それもそのはず、ショウにしか頼めない理由がある。この仕事には、二つの条件がつく。一つは、拒晶石を取り返せるだけの技能を持っている事。もう一つは、拒晶石に近づけるよう設定された人物である事。もともと拒晶石を持っていたショウが拒晶石の設定から外されているわけがないので、彼はこの仕事にはこの上なくうってつけの人物だった。
「ここで働いてた人達も、みんないなくなってしまって……私一人じゃ支えきれません。それに……」
「それに?」
 問い返すハルカに、アンジェは一度深呼吸してから――
「――明日、ここは取り壊される事になっているんです」
「―――!?」
「そ、そんな酷い……!」
 それっきり、アンジェは黙して語らない。悲しみを――あふれ出そうになる涙に耐えているようだった。その姿は気丈で――同時に儚く、痛々しげでもあった。
「期限は明日の夜明けまで、か……」
「―――!?」
 ぽつり、と呟いたショウの言葉に、アンジェは弾かれたように顔を上げた。
「んじゃ、今晩決行、ってとこかな?」
「それ以外に時間はないだろ?当たり前だ。さっさと作戦練ってとりかかるぞ」
「………………」
 さも当然のように会話するショウとハルカ。その二人に視線を向けたまま、アンジェは――
「……ん?お、おいおい……!」
 ショウの顔に、深い動揺が走る。驚いたような、気まずいような、……様々な感情がない交ぜになった表情。その原因は、アンジェの頬を伝うモノにあった。
 ――アンジェは泣いていた。
「ショウ。『勘弁してくれよ』って顔してるわよ」
「うるせぇ!って、そうじゃなくて……」
 あとの言葉を飲み込んで、ショウは頭を掻いた。相当困っている様子だ。
 ハルカはもう少し、狼狽しまくったショウを観察していたかったのだが、いつまでもこうしているわけにもいかない。
「ホラ、泣いちゃダメでしょ?まだ取り返せるって決まったわけでもないんだし……」
 テーブルを回って、アンジェをなだめにかかるハルカ。
「は、はい……」
「……ま、気持ちはわかるわ。――嬉しかったんだよね?」
 言って、ハルカはアンジェの頭を、ぽんっ、と軽く叩く。
「………………」
「石は必ず取り返してきてあげるから。だから――それまで子ども達、しっかり面倒見てあげてよ?」
 それだけ告げてから、彼女はショウを強制的に引っ張って行く。
 ハルカによって開け放たれたドアから差し込む光は逆光となり、二人の姿を黒いシルエットに塗り上げていた。
「お、おいおいちょっと待ておま――」
 ――パタン。
 何か言いかけたショウの言葉をさえぎり、扉は閉ざされた。同時に、彼女の視界を白く染め上げていた光も閉ざされる。
「………………」
 少しの間、アンジェは呆然としていた。椅子に座ったまま、呆けたように硬直していたが――
「……はい……嬉しかった……です」
 まだ涙の痕が残る顔に微笑みを浮かべると、小さく呟いた。
 ――あの二人に任せておけば大丈夫。きっとうまくやってくれる。ショウの存在とハルカの暖かな手は、そう感じさせてくれる温もりを持っていた。
 ――窓からその片鱗をのぞかせる空は、遥か遠くまで澄みきっていた。

「――で?」
 うんざりするような雑踏の中、周囲のざわめきにかき消されない程度の声で、ハルカはショウに囁きかけた。
「で、とは?」
「とぼけるんじゃないわよ。アンジェの事よ、ア・ン・ジェ!」
 ジト目で睨みながら、ハルカはショウの耳を引っ張った。
「いででででっ!な、なにすんだよお前――あ、なるほどぉ……」
 力ずくでハルカの手から逃れたショウは、真っ赤になった耳を押さえながらも、薄笑いを浮かべてハルカを見つめ返した。
「さてはお前……妬いてるな?」
「ホラ、話そらさないでさっさと答えなさいって」
 彼の言葉などまるで聞き耳持たず、涼しい顔で問い返す。
 そんな彼女の様子を横目で見ながら、ショウは軽く舌打ちした。
「……言っただろ?俺の直訴で一年前に孤児院が立てられたって。その頃知り合ったんだ」
 肩をすくめながら、ショウ。
「それだけ?それにしちゃあショウの事をえらく信頼してたみたいだけど?」
 ――なかなか鋭い……
 嫌な汗をかきながら、ショウは一瞬、どうするか迷い――結局正直に話す事にした。
「あの娘な、身売りに出されそうになってたんだよ」
「――え……?」
 唐突にショウが語った事実は、ハルカには衝撃的に、重くのしかかってきた。
 一方のショウは、話していいものかどうか、まだ少し悩んでいた。これは彼女のプライバシーの問題であり、本来なら人に話していいことではないのだが――
 ――ハルカなら、大丈夫だろう……
「以前はちゃんとした家庭があったんだ。でも、事故に遭って両親とは死別、弟と一緒に叔母に引き取られた。それが七年くらい前の話し……だったかな?
 が、二年前の事だ。その叔母さんが急病で他界、彼女と弟は孤児となってしまった」
「………………」
「それからというもの、不幸は連続するかのように、彼女の身に降りかかる。孤児院に保護してもらおうと思って、当時は三つあった孤児院の全部を回ったんだが……全て受け入れらなかった」
 少し悲しそうに言うと、ショウは道端の手ごろなベンチに腰掛け、隣に座るようハルカに促した。
「な、なんで拒否されたのよ?」
「もうすでに孤児で一杯だったんだよ。どこの孤児院も。ただでさえ街からの援助金は少なく、そのくせ孤児の多い街だ。すでに限界だったんだよ。
 それからしばらくの間は叔母さんの残してくれた遺産でしのいでいたが、それもそう続くもんじゃない。すぐに金が尽きた。
 それに重なるようにして、今度は弟が熱病にかかった。言ってしまえば喘息だよ。最初は大した事はなかったんだが、放っておけば一大事になる。かといって、弟を医者に診せる金もない。そんなわけで、彼女は身売りに走る寸前まで来てたんだ」
「そんな……」
 驚いたような、悲しいような――そんな感情がない交ぜになった表情。瞳を下げ、じっと手元だけを見つめる。
「そんな事があったんだ……」
「そう。そこを、偶然通りかかった俺が助けて、その時の市長に脅迫――じゃなくて直訴してだな、もう一つ孤児院を造らせたわけだ。結局――弟くんの方は助けられなかったけどな……」
 僅かに曇った瞳を虚ろに漂わせ、空を見上げるショウ。
「………………」
 ハルカは無反応だった。理由は――言葉が足りなかった。
 『大変だったんだね』とか『苦労したでしょ?』などの言葉をかけるのは簡単だ。だが――そんな言葉に何の意味があるというのか。
 憐れみは人を悲しませる。同情は人を傷つける。ならばなぜ人は憐れみ、同情するのか――答えは至って簡単だ。自分の幸せを確認するため。自分は憐れみや同情を受ける人間ではないことを実感するために、人は他人を憐れみ、同情する。ハルカはそれを、嫌というほどに知っていた。
 アンジェはここにはいない。しかし、それでもハルカにはためらわれた。
「……行こう」
 やがてハルカは、小さい声で――だが、固い決意のこもった声で告げた。
 そんな彼女の反応を待っていたかのように、ショウは微笑みを浮かべる。
「そうだな。……で、どうする?」
 あえて訊いて来るショウに、快心の笑みを返しながら――
「もちろんここは飛賊らしく、正面から派手に行くわよ!市長のヤツを一発殴ってやるんだから!」

 ――空は、黄昏に染まっていた――
 茜色に映える街を包み込むかのように、空はそこにあった。たそがれ、夜の闇へと姿を変えてゆく空の奏でる歌は、一時の安寧に身を任せる街への子守唄か。あるいは、滅び行く何者かに手向けられた鎮魂歌か。
 街にはすでにあまり人気がない。商業都市ゆえか、野党や追い剥ぎの類も、他の街に比べてかなり多い。その静けさ故、まるで街が死んでいるかのようにも見える。もっとも、夜になれば街のそこかしこに電灯が灯り、ある程度の活気はよみがえるのだろうが――とにかく、今が一番人気の少ない時間帯にはかわりないだろう。
「ここが――市長邸ね」
 街を縦断する中央通りを抜けた先に、一つの大きな建物がある。ハルカの囁きが指す建物――市長邸だ。
 市長の邸宅と街の行政の中枢を兼ねたその建物は、そこかしこに豪華な装飾を施された豪奢な建造物だった。庭は裏手の方まで広がっている。おそらく、下手な公園よりもよっぽど大きいだろう。正面からは陰になって見えないが、もしこれが敷地内からであれば、大理石で作られた噴水が見えた事だろう。
 ――いわば、見た目だけを追及した成金趣味。二人がいるのは、その建物の門の横だ。その足元には、気絶した男が二人倒れている。もちろん二人とも、後ろから忍び寄ったハルカが、手刀一発で気絶させたものだ。さすがのショウもこれには驚嘆した。
「おそらく、拒晶石があるのは地下だ。地下室の……一番ど真ん中じゃないか?」
「何でわかるのよ?」
 すぐ側に立っているショウの顔を見上げ、ハルカ。別にショウの言っている事に文句を付けているわけでもない。ただ、何か手がかりになるようなものを見つけられたのなら、以後そういうものには気を配るようにしようという――いわば、学習における参考とするため、である。
「カンだ」
 彼は相変わらず空を見上げたまま、無愛想に言い放った。
 ややがっかりする反面、そういうものも重要になる世界なのか、とハルカは一人で納得した。
「――行くぞ。打ち合わせ通りにやれよ?」
「だいじょ〜ぶ任せなさいって!」
 どん、と胸を叩いて、ハルカは壁の上にロープ付きのカギ爪を投げ放つ。――成功。カギ爪からたらしたロープを何度か引っ張り、その強度を確認して――
「――よし」
 掛け声一つ、壁に足をかけ、一気に駆け上がる。少し下を振り返ってみれば、ショウもそれにならい、自分のロープを上ってくる。
「よいしょ!……っと」
 少し苦労して、何とか壁の上に這い上がる。一方のショウは、難なく登りきったようだ。――が、様子が少し変だった。
 全く動かない。どこか一点だけを見つめて――
「?……どしたの?」
 小首を傾げ、ハルカ。ショウは問われてはじめて、ぎぎぃっ、と首をぎこちなく動かし――
「――見つかった!」
 叫ぶが早いか、ハルカを抱きかかえて壁から飛び降りる。
 ――がががががっ!
「―――!?」
 一呼吸遅れて、銃弾の洗礼がさっきまで二人のいた場所を貫いて行く。
 高さ三メートルはあろうかという壁から飛び降りたショウは、ハルカを抱きかかえたまま何の問題もなく芝生に着地した。そして、そのまままっすぐダッシュ。二人の後を追って、火線が走っていく。
「ちょちょちょちょっと!降ろしてよ、降ろして!」
 恥ずかしいのか、横抱きにされたまま顔を真っ赤にして叫ぶハルカ。だが、それは二人の状況を悪化させるだけだった。叫び声を聞きつけた外の警備兵が次々とやってくる。
「くそっ……こんな早くに見つかるなんて……!」
 悔しげに一言漏らし、それでも走りつづける。後ろを振り返らなくても、自分たちを追ってくる警備兵の数は容易に想像できた。十は軽く越えているだろう。
「大体ねェ、FMPなしでドンパチやろう、ってのが間違ってんのよ!」
「うるせっ!あんなクソうるさいモン持ちこんで潜入なんてできるかっ!」
 自分の腕の中でぎゃーぎゃーわめくハルカを一喝して黙らせ、ショウは庭をまっすぐに駆け抜けて行く。
 ハルカの言う通り、今回FMPは使わない事にしていた。理由は二つ。一つ目は、ショウの言った通りうるさいからである。あれだけの駆動音を鳴らしていては、隠密行動もへったくれもない。
 そしてもう一つは――
 ――やっぱハルカを、アレに乗せるわけにはいかねぇよ……でも。
「やっぱ<空の蒼>持ってくるべきだったぁぁぁぁっ!」
「だから言ったでしょうがぁぁぁっ!」
 二人のその叫びは、鳴り響く銃声にかき消された。

「――なんだ!?一体何事だ!?」
 寝巻きの上からガウンを羽織っただけの格好をした小太りの中年が、怒鳴りながら部屋に入ってきた。髪の毛は白いものが混じっており、いかにも私服を肥やしてそうな――ハルカに言わせれば悪徳政治屋の典型――雰囲気だ。
 おそらく、屋敷内に鳴り響く銃声に居ても立ってもいられなくなり、この警備員室に押しかけてきたのだろう。
「落ち着いてください、市長!ただの侵入者です」
「侵入者だと!?」
 彼を落ち着かせるつもりで言った警備員の言葉だったが、根が臆病な市長には逆効果だったようだ。むしろ、顔を真っ赤に紅潮させ、さっきよりも激しい調子でわめき出した。
「侵入者とは一体どういう事だ!?目的は金か!?それともわしの――」
「市長……落ち着いてください!」
「これが落ち着いてられるか!大体お前達、なんという不手際だ!こっちは高い金払って雇っているんだ、給料分くらいはしっかり働け!」
 やがて、怒りの矛先は警備兵達の方に向いてきた。確かに市長の言う通り、今回の侵入者を捕えられなかったのは、彼ら警備兵達の不手際だった。だが、なぜ市長の屋敷がここまで大きくなる必要がある?なぜ警備兵などを雇う必要がある?以前はそのどちらとも必要とされなかったはずだ。つまりは、それだけ彼の行政はひどく――恨みを買っても仕方のないものだった、という事だ。
 そして、それらのために使われた金が、どこから入って来ているのか――警備兵達は知っていた。もはやそれは、暗黙の了解だった。
 だが、今は彼の下で働く警備員。ただひたすら理不尽な事をわめき散らす市長の言葉に、じっと耐えるしかなかった。

「このお屋敷――みょうな……」
「しっ!しゃべるな、バレる」
 こつん、とハルカの頭を叩きながら、ショウはハルカを黙らせようとしたが――
「だ、だって……変じゃない、このお屋敷。いくらアルスト山岳区最大の商業都市って言ったって、市長の家がこんなに大きいなんて……絶対変だよ」
「わかってるって、そんなこと。わかってるから、あんまり動かないでくれ。狭い」
 言われてハルカは、今自分達のいる場所を改めて見まわした。見まわそうとして――十分に首を動かせるだけのスペースもなければ、どうせ暗闇で何も見えないので、すぐに諦めた。
 二人が今いるのは、いわゆる天井裏である。天井裏とはいっても、少し派手に動き回れば、すぐに下に居る警備兵にばれてしまうだろうし、少しでも大きな声を出せば、その音は反響して、やはり屋敷の中の警備兵に発見される原因となりうる。おまけに狭かった。
 散々逃げ隠れした挙句にショウが選んだ隠れ場所は、この天井裏だったのだ。
「くっそ〜、これじゃ手詰まり……」
「こうなりゃヤケね。遠隔操作で<アーク>を呼んで――」
「バカ。誰がんなコトするかよ」
「んじゃあどうするのよ?何かいい方法でも?」
 ひそひそ声で囁き合うように話しながら、ショウとハルカは打ち合わせを始めた。
「一つだけ、あるにはあるんだがなあ……」
「んじゃあそれ行こう」
 即断しようとしたハルカを、ショウは慌てて押さえた。
「まあ待て。結局力押しなんだよ。それに、もし警備員の一人でもケガさせてみろ。俺達はお尋ね者だ」
 ショウの『お尋ね者』の一言に、ハルカの動きが凍りつく。
「どうせやるんなら、悪行の一つでも暴露しておかない事には……」
「なるほど、市長の悪行が暴露されちゃえばあたし達の行動は正当化される、って寸法ね」
「ちなみに一発くらいド突いても問題なくなるだろうから、ストレスも発散できて一石二鳥」
「でも、どうするのよ?拒晶石探しと悪行の証拠掴むのと、いっしょにやるのは大変だと思うけど……」
 心配そうに眉根を寄せるハルカ。だが、一方のショウは気楽な様子で、
「それなら問題ない。市長は拒晶石盗難に関しては『行政機関がやった事ではない』って言ってるから。市長の家から拒晶石が発見されれば、それだけでオッケーなんだ。これぞまさに一石二鳥」
 そういうショウの言葉に、ハルカは眉間のしわを深くした。
「いつの間にどこでそんな情報を仕入れて来たのよ?」
「街のおばちゃんらの話を立ち聞きした。そういうところにも気を配った方がいい。案外頼りになる情報源なんだぜ?」
「……そういうモンなの?」
「そういうモンなの。……で、どうするかな……」
 強引にその話題を切り上げ、本題に移る。
「どうするのが一番得意?」
「力押し」
 間髪入れずに答えるショウを見て、思わず絶句するハルカ。
「あんた……正気?」
「正気だよ。まあ……アレくらいの数なら、何とかなるだろ。しかし、俺の立てた完璧な作戦はまるで役に立たなかったな……で、どうだ?気が狂ったかもしれない俺の案に乗るか?」
 ショウはおどけた様子で肩をすくめる。
 これは、驚くのが普通の反応だろう。おそらく屋敷には、三十人弱の警備兵がひしめいている。それらを相手にすると仮定して、『何とかなる』とショウは言い切ったのだ。
 ショウはバカな男ではない。この一ヶ月で、ハルカにはそれがわかっている。場合によっては、その評価を改めなくてはならないが――ハルカには、ショウがそう言い切る自信の源が何なのか、興味が沸いてきた。
「――いいわよ。じゃあ、それでいきましょ」
「……知らねぇぞ」
 ニヤリ、と意地の悪い笑みを浮かべ、ショウはその右手を――黒いグローブに包まれた右腕を掲げた。それを支えるようにして、左手を添える。
「――赫光の鬼、焼き尽すもの、罰を与えし、修羅の炎、汝、戦鬼と化す――」
「―――!?」
 彼の唇から、滑らかに紡がれる呪詛。祈りのような神々しさと、呪いのごとき禍々しさを伴い、黒いグローブから赫い燐光が溢れ出している。黄昏よりも――血の色よりもなお赫い、赫光が――
「――汝、我が<暁の右腕ダーンスカイ>に宿り、顕せ。……リアライズ」
 その一言を待ちわびたかのように、赫い光が一気に勢力を増して行く。それらは荒れ狂い、屋敷内を縦横無尽に駆け巡る。
 一際明るさを増した光は――ある一瞬を境に、幻のように消え去った。あるいはそれは、本当に幻だったのか――
 ――だが答えは、否。
「――ちょ……!」
 彼の名を呼ぼうとして、ハルカは出来なかった。目の前に立つ青年――屋根を突き破り、そそり立つ燐光の中心に佇む青年。彼が誰なのか――本当に自分の義兄なのか、一瞬迷った。それほどまでに雰囲気が変わっている。
 しかし、彼女が一番驚いたのは――
 ――ショウが……宙に浮いてる!?
 そう。赫い光は屋敷を縦に貫き、その障害となるもの全てを叩き潰している。つまり、彼の足場となるものは何もないという事だ。
 やがて光の柱は、ふっ、と消え失せた。あとに残ったのは、赫い光を纏うショウだけ。
「――いくぞ。ついて来いよ」
「え?ちょ、ちょっと……」
 ハルカの戸惑いなど気付かないかのように、彼は下の廊下に降り立った。即座に鳴り響く銃声。おそらく、突如現れたショウに向けて、一斉掃射が行われたのだろう。
「――ちょ、ショウ――!!」
 その叫びは、鳴り響く銃声にかき消された。あれだけの数の銃弾だ。まともに食らえば、もはや原型はとどめていないだろう。もしここで飛び出したりしていれば、ハルカも巻き添えを食っていたに違いない。
 ――が。
「――邪魔だ」
 ――ぶごぅっ!
『―――!?』
 青年の声と共に、赫い光をはらんだ烈風が廊下を駆け抜ける。禍々しい赫の風に撫でられたものは、あるいは肩に、あるいは脚にできた巨大な裂傷をおさえ、うずくまる。
「………………」
 その光景を、ハルカは屋根裏から頭だけ出して、唖然として眺めていた。
「……ね、ねえ、ショウ……?」
 とりあえず廊下に出てから、おそるおそるショウに声をかける。
「な……なんなのよ、それ……?」
「――<ARFアルフ>だ」
 ショウは事も無げに答えた。
「あ、あるふぅ?」
 彼女の事など見向きもせずに歩き始めたショウに追いすがり、続けて質問を浴びせかける。
「説明してやろうか?」
「う……うん」
 初めてショウがこっちを向いた。だが、彼を包む燐光のせいで――ハルカにはまるで、彼が赫い炎をまとっているようにも見えた。そう、まるで――罪人達に裁きの炎を下す、地獄の鬼のような――
「<ARF>っていうのは……Astral Repulsive-force Field……まあ、虚数斥力場、ってとこか」
 説明しながら、彼が右手を振るう。
「せ、斥力?」
 赫い光に弾き飛ばされ、壁にいやというほど叩きつけられた警備兵を横目に、ハルカは問い返した。日常には全く何の関係もない言葉だ。
「そう。おおざっぱに言うなら擬似重力、だな。目には見えないはずなんだが、赤く光ってたりするけど、まずこれは斥力に違いない。そうでなけりゃ、俺が浮いたり出来るわけないし」
「そ、それもそうだけど……」
 納得できない、という風に言葉を濁すハルカ。
 その時、警備兵の新手が現れた。その後ろには、地下へと降りる階段があった。
 ――警備兵達が、銃をこちらに向ける。
「もちろん、他にも理由はある。だけど、最大の理由は――」
 そう言って、ショウが右手を振り抜くのと、銃弾が撃ち出されるのは、ほぼ同時だった。放たれた銃弾は、まっすぐに二人めがけて突き進み――
 ぎちっ。
 何かのきしむような嫌な音だけを残して、ショウの手前一メートルほどのところで、床に落ちた。その銃弾は形状が不自然に歪んでいて、一回り小さくなっている。
「――この潰れ方だな。明らかにまわり全体から圧力がかかったようにひしゃげてる」
 呟いたショウ本人が、その右手をまじまじと見詰めている。一瞬、ショウの瞳を――何かが掠めた。傍目には気付かないほどの、短い一瞬の内で消え失せた何か――
 ――怯え、だ。
 その何かの正体に、ハルカは気付いた。彼はその禍々しい色に染まった右腕を嫌悪し、恐れている。おそらく彼自身も、この力の正体を知らないのだろう。知っているのは、あくまで経験から生み出された憶測だ。
「……ま、小難しい事はさて置き――」
 逃げ出した警備兵――銃が聞かないので、別の武器を取りにでも行ったのだろう――には一瞥もくれず、右手を振り上げ――
「早いとこカタ着けるぜ。アンジェが――待ちわびてるだろ!」
 ――ごッ!
 勢いよく振り下ろす。打ちつけられた拳は、赫い光の欠片を撒き散らしながら、易々と床を撃ち抜いた。
 噴き上がる瓦礫に戸惑いながらも、何とかして着地するハルカ。一方、落下するままに身を任せるショウ。二階分近くの高さを落下したにもかかわらず、彼は無造作に立ちあがり――
「――ここみたいだな……」
 周囲を見まわす。物置のようだった。足の踏み場もないほどに置かれた陳列棚。その上には、あふれんばかりの様々な品が山積みにされている。
 ――もっとも、それらの半分近くが、ショウの道作りの為に吹き飛んでしまったが――
 ふと、ハルカは奇妙な圧力のようなものを感じた。柔らかくて、弾力のあるような。強いて例えるなら、ウォーターベッドが感覚的には一番似ているのだろうが――強く押せば、より堅い硬質な手触りだけを残して、今まで以上の力で押し返す機能など、ウォーターベッドにはついていない。
「ねぇ、ショウ……これ、変だよ」
「――変?」
 その見えない『何か』に体当たりを繰り返しながら、ハルカはショウに声をかける。
「そう。なんかね、目に見えない壁みたいな感じなんだけど……こう……あたしがこっちに行くのを嫌がってるみたいな反応返すの」
「……なるほど。探す手間が省けたな」
「あ。やっぱり?」
 ショウが思わず笑みをこぼすのに、ハルカも微笑みで返した。
「どっちの方だ?」
「こっちだと思う。……うん、丸い形してるから、多分間違いない。でも、相当大きいよ?これ」
 見えない壁に手を当てながら、ハルカ。しかし、ショウはお構いなしに進んで行く。
「気をつけて――」
 っどがぁぁぁっ!!
『気をつけてね』
 ハルカがそう言いかけたその時、轟音をたてて灰色の何かが降って来た。それは天井を突き破り、奥の扉に進もうとするショウの前に立ちふさがるかのように、人型のそれはゆっくりと体を持ち上げた。
 それと同時に、灰色の腕を真横に振るう。その腕に乗せられた破壊力は、建材や壁などあっさりと砕く。人間の頭蓋骨も例外ではないだろう。
 が、ショウはそれを後ろに跳んでかわして見せた。
 ――がしゃっ。
 今度はその腕から、ガトリングガンが飛び出す。
 そこまできて、ようやっとハルカは、襲撃者の正体を悟った。FMP。忘れもしない、あの灰色の装甲は――
「――<影の灰シャドウグレイ>!!」
 ――ががががががッ!
 ハルカが叫ぶと同時に、ガトリングガンが火を吹いて回転する。その先にはショウがいるだけ。ハルカは眼中にないようだった。もっとも、拒晶石の力に阻まれているハルカには、どうする事も出来ないのだが。
 しかし、いくらショウが斥力を操れるとしても、FMPが相手では分が悪いだろう。ハルカはそう思い、せめて足手まといにはならないように、物陰へと移動しようとして――
「――随分と派手な歓迎だな」
 ショウの、その自信に満ち溢れた声に驚き、振り向いた。
 その視線の先には、自信ありげな表情――不敵な笑みすら浮かべたショウが、淡い燐光に包まれ、佇んでいる。
「まさか、自分達の悪行を隠し通すためにFMPまで持ち出すとはな……いくら市長とはいえ、FMPの所有は過剰防衛ってモンだ。普通は違法だよ。まあ――」
 ――がががががががっ!
 ショウの声をさえぎり、銃声が乾いた空気を震わせる。薄暗い部屋の中、立て続けに閃くマズル・フラッシュ。その眩しさに、思わずハルカは目を背け――
「――小物にはお似合いだな!リアライズ!」
 その轟音すら押し退け、ショウの声は不思議なほどによく響いた。赫い光がショウの右手を追い、黄昏色の軌跡を残す。そこへ、銃弾が殺到していき――
 ――ぎがっ。
 硬質な音を残し、その場に制止する。後続の弾も同じだった。見えない鎖に、空中でからめとられたかのごとく――だが、弾を拘束しているのは鎖ではない。斥力という名を与えられた赫い光だ。
 その光景に驚いたか――あるいは恐怖したか――FMPがひるんだように一歩身を引く。
 ハルカもまた、ショウの動きに見入っていた。呆けたように、彼のほうに視線を釘付けにしている。
「こいつは返すぜ。受け取れ!」
 吠えて、再び右手を一閃。弾けた赫光に押し返されたかのように、無数の銃弾が<影の灰>めがけて降り注ぐ。
 慌てて左腕をかざし、展開したシールドでその攻撃を凌ごうとする<影の灰>。だが――
 ――きゅどっ!
 空気の抜けるような音と共に、燐光を纏った無数の銃弾はシールドごとFMPの装甲を貫通した。
『――ぐあぁぁぁぁあぁっ!?』
 激痛に絶叫するパイロット。FMP――追従型機動甲冑――とはすなわち、名のとおり鎧だ。その鎧の中には当然、搭乗者たる生身の人間が納まっている。
「――赫光の槍……狩人たるもの……」
 悠然と。
 天に右腕を掲げながら、彼は一歩踏み出した。
『くっ――くるなぁっ!こないでくれぇぇ……!』
 怯えた声をあげながら、ショウが進んだ分だけ後ろに退く。
「神々に背き、異端の運命……汝、戦槍と化す……!」
 その声に反応し、ショウの右腕が禍々しい輝きを帯び、光を放つ。それは一振りの槍と化した。全てを打ち砕く戦槍。だがそれは、神によって与えられたものではない。異端者に囁きかけた悪魔の槍。幾多に渡り鮮血を浴び、数々の魂を喰らった魔性の槍。その威力は――無限。
 FMPのパイロットはさらに後ろへ退がろうとしてそれ以上退がれなかった。すぐ後ろは壁だった。
 ――たっ!
 軽い音と共に、ショウが床を蹴る。重力に逆らい、通常ではあり得ない跳躍をした彼は、一足飛びにFMPへと肉薄して――
「<神狩りの槍>……」
『く……くるなぁぁぁぁぁぁぁっ!』
 呟き、右手に宿った槍を振りかぶる。最後の、その魔性を解き放つ一言は、パイロットの悲鳴などではかき消されなかった。
「――リアライズ」
 っがぅぅんっ!
 攻撃の余波の直撃をくらい、屋敷の壁が轟音を立てて崩れ去って行く。巻き起こる煙。建材の破片が宙を舞い、次々に落下していく。それらから目をかばうため、ハルカは両腕を顔の前に掲げた。その隙間から、少しずつ煙が晴れてきている様子が見える。
 やがて、煙は完全に晴れ――
 ――その場には、二つの人影があった。一方は尻餅をついたような姿勢のまま、その場に固まっている。
 そして――
「もうやめろよ。これ以上は手加減できない」
 右手を無造作に突き出した姿勢のまま――かつては壁のあった空間をその右手で握り締め、ショウは呟いた。
「お前は知ってるんだろ?市長のヤツがどんなことしてたか」
 一瞥もくれぬまま訊いたショウの言葉に、FMPは一瞬、大きく震えたが――やがて、こくり、と頷いた。
「区長んとこ行って洗いざらい話して来い。それが身のためだ」
 FMPはただ、無防備なままのショウを見つめ――やがて、一目散に駆け出した。腰に力を溜めて、上の階へ跳ぼうとしたところで――
「――おい」
 ショウに声をかけられ、再び震えながらも、何とかその場で踏みとどまった。ぎこちない動きで振りかえり――止まる。無機質な印象を与えるそのメインカメラから、なぜか怯えの色が見て取れた。ショウにはそれが、なぜか無性に可笑しかったが――とりあえず笑うのはやめにして、やや柔らかい笑みを浮かべながら言った。
「セフィルのヤローによろしく言っといてくれ」
 アルスト山岳区区長を呼び捨てにし、ウインク一つ。何を思ったか、FMPはしばらくそこに固まり――
 ――ずおぉぉぉっ!ばっ!ばしゅぅぅぅぅぅ……
 飛行ユニットを展開、スラスタ出力全開でかっ飛ばし、消えて行った。
「…………なんだありゃ?」
 尾を引く噴射炎を遠めに眺めながら、ぽつりとショウは呟いた。彼の体からは、もうすでに燐光は消え失せている。
「こらショウ!」
 横から急に名前を呼ばれ、急に意識を現実に引き戻されたショウ。彼はやや驚きながら、声のした方に視線を向け――
「なんだ、ハルカか」
「なんだじゃないでしょ〜が!早くしないと、追っ手が来るわよ」
 両手を振りまわしながら怒るハルカ。そんな彼女を眺めながら『可愛いものだ』とか思ったが、とりあえず本来の目的を優先する。自分の崩した壁の穴に向かって歩き出して――ふと思い立ち、立ち止まる。振り返って――
「――来るはずねぇよ」
 ウインクと共に、ややカッコつけて言ってみたりする。
 ハルカは両手を振り上げた姿勢のまま硬直し――一呼吸置いて、思い出したように顔を真っ赤に染め、怒鳴り出す。
「ばっ、バカ言ってんじゃないわよ!大体あんた、余裕見せ過ぎよ!最初っからこうしてればもっと早く仕事だって片付いて、アンジェや子供達も待ってるのに。どうせあたしなんか……あぁ〜もぉ!ショウのバカァァァァッ!!」
 支離滅裂な内容の叫びが、次第に罵詈雑言へと変わっていく。そんな怒りの口撃を背に受けながらも、ショウは失笑を禁じえなかった。

 ――事件から五日ほど後、とある午後。
「――区長。これが、先日アルセイの街で起きた事件の報告書です」
 秘書からプリント用紙の束を渡され、セフィルは眉間にしわを寄せた。何せ、量が量だ。下手なハードカヴァーよりよっぽど分厚い。見るからに重そうだが――そんな書類の束を、秘書の男は十冊ほど小脇に軽がると抱えている。
 ――何か鍛えてるのかな?
 ふとそんな事を考えたりするが、とりあえずそれは頭の片隅にでもどけておき、今は目の前の書類に意識を集中する。
 速読術よりも速い速度で、ぱらぱらとページをめくっていくセフィル。普段は楽天的でおちゃらけた言動や行動が目立つため、秘書や周りの人間の手を焼かせる彼だが、これでかなりの切れ者だった。類稀な才能とも言うべき政治的手腕と、そして人を惹きつける人柄の良さが、若干三十七歳で彼を一地区の区長の地位に導いたのだ。
 やがて彼は眉間にしわを寄せ、ページをめくる手を止める。その視線の先にあった文字は――
「……ショウ=ルーカス……」
「彼が市長邸に強行突入し、アルセイ市市長の悪事を暴いたと聞いています。まあ、戦闘の余波で市長邸は半壊したとも聞きましたが、死者は出ていないようです」
 その言葉に、セフィルは、ふっ、と笑みを浮かべ――
「なるほど……非常にに彼らしいやり方だ」
 呟き、書類を放り出して席を立つ。窓際まで行って、外から差し込んでくる光を一杯に浴び――
「また彼に助けられたな」
「……遺憾ながら」
 やや面白くなさそうに言う秘書。そんな生真面目な彼の性格を鬱陶しく思う事もあるが――これはこれでなかなかユーモアが利いている、とセフィルは思っている。
「――<蒼い死神の王ファントム・ロード>……ショウ……」
 今はどこか遠い空を愛機と共に翔けている青年の名を、セフィルは静かに呟いた。

 ――そして、当のショウはというと……
「ちょっと、あんた何してるのよ?」
「何って……料理ですが?」
「………………」
 船の中から聞こえてくるけたたましい言い合いを、ショウは努めて聞こえないふりをしていた。
「今日の夕食はあたしが作る!」
「あら?料理するたびに厨房を爆砕されるような方に、料理が出来るのですか?」
「くっ……な、何よ、あんたの料理だって吐きそうになるくらいまずいじゃない!ショウなんか半日近くダウンしてたわよ!」
「うっ……ル、ルーカスさんは関係ありません!」
「あるじゃない!ご飯食べなきゃあたしもショウもあんたも飢え死に――」
 後はひたすら、物騒な物音が聞こえてくるばかりだ。ガラスの割れる音がしたかと思えば、何か大きなものが倒壊した音。それに混じって、少女達の悲鳴も聞こえてきたりする。
 やがてそれらは一旦収まったかと思うと、ドタドタと物々しい足音にかわり――
「ルーカスさん!」
「ちょっとショウ!」
「……勘弁してくれよ……」
 心底参ったようにくずおれるショウ。そんな彼の様子などお構いなしに、ハルカとアンジェは言い合いを再開する。
「ちょっと聞いてよ!アンジェが料理するって言ってるんだよ!どうにかしなきゃ絶対みんな食中毒になってあの世逝きだよ!」
「中毒死?失礼な!大体あなたが料理なんてした日には、船ごと沈没してしまいます!」
「なんですってぇ〜?」
「なんですか〜!?」
「だぁ〜もぅストップストッォォォォォプッ!」
 ショウが二人の睨み合いを打ち破って絶叫を上げる。二人の口ケンカは、それでやっと納まった。
 ショウはしばし肩で息をすると――
「――とにかく!中毒死も船ごと沈没も困るから、二人とも家事全般は一切禁止!料理なんて未来永劫絶対厳禁だからな!!」
「……なによそれ」
 間髪入れずに入ったハルカのつっこみは無視して、ショウはコンソールから降り、納得していない二人を残して厨房の方へと向かおうとする。
「ハルカ、船のほうは任せた」
「あ、オッケー」
「むっ……」
 こうなると、機械系の操作にもなれているハルカの方が強い。ハルカは鼻歌まじりに、まるで勝ち誇ったようにコンソールへと向かって行って――
 ――べちっ。
 アンジェに足を引っ掛けられて、ハルカは床に顔面から突っ伏した。
「……なにするのよあんた……」
「あら?ハルカさんそんなところに……どうかしましたか?」
 これでなかなか、アンジェもキツい性格だった。
「どうかしましたか、じゃないわよっ!いきなりなにすんのよあんたは!」
「あら?私はなにもしてませんが……?」
「嘘つけ。このですます殺人料理女」
 ――ぴきっ。
 音を立てて、アンジェの額に青スジが浮かぶ。
「殺人料理とは失礼な!大体あなただって人の事言える立場ですか!?」
「なによぉなんか文句あるの!?あたしは船の操縦しなくちゃ――」
 言い合いを再開した二人を尻目に、ショウは大きなため息を一つついて、甲板を後にした。
 三日前――旅立つショウたちに、アンジェは是が非でもついて行きたいと言っていた。危険だから、と言う理由でショウは最初それを断ったのだが、それでもアンジェは諦めなかった。
 ――孤児院には以前働いていた人々が戻ってきてくれた事もあり、問題はない。自分も外の世界を見てみたい――
 そう言うアンジェに助け舟を出したのは、意外にもハルカだった。二人がかりで言いくるめられ、結局アンジェを連れて行く事になったショウなのだが――
「こいつは結構……!?」
 呟きかけた瞬間、船がかなりの角度で傾いた。おそらく、船の操縦をしているハルカに、アンジェが手を出したのだろう。そのすぐ後には、<アーク>はもとの態勢を維持した。
 壁に手をついてなんとかことなきを得たショウは――
「…………かなり、先行き不安だな」
 呟くと、脂汗もそのままにキッチンへと入っていった。
 <アーク>に平穏が訪れるのは、まだまだ先のようである。




 こんにちは、暇人です。割と早い目に再びあえて光栄でございます。

 やっぱりこの段階じゃまだまだストーリーの作りが強引なんですよね。昔のだから許してくださいね♪なんてのもそろそろ見苦しいよな〜なんて思ったり(^^;
 今回はFMPはあんまし活躍しません。ショウの一人舞台は相変わらず。にしたって、強すぎるかな、ショウ。もうそろそろいい加減ダサくて弱っちい男を描いてみたい気もしなくもないです。もし次回作を書くとしたら……あ〜、やっぱりカッコイイキャラになりそう(^^;それとも、いっそ強くてカッコイイ女の子を主人公にするのもありかもしれませんねぃ。
 
 それでは第三章でお会いしましょう。――顕れよリアライズ

mail to: yagamihimajinn@hotmail.com
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