02/03/02
Stradivarius |
作:暇人(八坂 響) |
後編 | ||
「………………」 つまらない授業。無機質な風景。人の気持ち一つで、周囲の情景はがらりと変わる。グラウンドを駆け回る生徒が目障りで、遠くの空を突き進む飛行機の音がやかましくて、小さく話しかけてくるクラスメイトが疎ましい。 憂鬱な土曜日の昼過ぎ。ほたるが学校へ来なくなってから今日で四日目だ。 『明日は学校に行くからね』 彼女がぼくとの約束を破ったのは、これが初めてのように思えた。少し寂しくもあり、同時にこれが尋常ならざる事態であるような気がしてならない。いつも隣りにいた存在の大きさを、改めて思い知ると同時に、ほたるの何かが確実におかしいと認識した。 鷹乃の様子も妙だった。ここ二日間、視線が合えば彼女の方から逸らしてしまう。話しかけようとすると逃げられてしまう。あからさまなほどに避けられていた。それも、冷たく無視するといった雰囲気ではなく、いかにも迷いや罪悪感が見え見えの避け方だ。その雰囲気を察してか、翔太も茶化すような真似はしない。 そんな状況に変化が訪れたのは、放課後の事だった。憂鬱な雰囲気を隠そうともせずに帰り支度をしていたぼくに、鷹乃が歩み寄ってきた。 「……伊波、君」 やや躊躇いがちにぼくの名を呼ぶ。表情が硬い。数名のクラスメイトがそれに気付いたようだ。小さな声で修羅場だの痴話ケンカだの好き勝手囁き合いながら、みんな教室から出ていった。掃除当番すらいない。唐突に人気のなくなった教室には、ぼくと鷹乃の二人きりだ。 「…………何?」 無神経なのか気が利くのかわからないクラスメイトたちにとりあえず憤っていると、鷹乃がまたはっきりしない声で言ってきた。 「……その、怒ってない?」 「……怒らないわけがないだろう。なんで無視なんてしたの?」 八つ当たりの感情がなかったといえば嘘になるだろうが、彼女に腹を立てていたというのも事実だ。ぼくは椅子に腰掛けたまま、静かに鷹乃を見上げた。 「……ごめんなさい。ただ、心の整理が出来てなかったの」 ぼくの視線から逃れるようにして、鷹乃が顔を背ける。いつもの彼女にあるまじき行為と態度。 理由は言うまでもない。ほたるのピアノだ。その事を責めるつもりは全くない。しかし、彼女が取った行動はあまりにもまずすぎる気がした。 「……いや、いいよ。もとはと言えば、ぼくが巻きこんだんだから」 その言葉に鷹乃は少し安心したようだ。いくらか表情が柔らかくなる。 しかし、それっきり妙に気まずい雰囲気があって、思うように会話が続かない。 「……その、白河さんから連絡は?」 気まずかろうとそう単刀直入に切り出せる鷹乃の性格には、少々羨ましく思うところがある。これは彼女の美点の一つだろう。 「何もないよ。この二日――今日入れて三日か。メール送っても電話してもダメ。自宅にかけてもピアノの音が聞こえるだけで」 参ったよ、と肩をすくめる。鷹乃の表情がまた硬くなった。 「本当?あの白河さんが?」 「嘘を言っても仕方ないよ。本当の事なんだ」 だから今日、ぼくはもう一度白河家にお見舞いへ行くつもりだ。そしてほたるに直接会って、話を聞く。ほたるが悩んでいたりするのであれば、ぼくに解決出来るならいくらでも協力するつもりだ。 しかし、そんな一筋縄で行くのだろうか。 答えは――否。 簡単に解決出来る問題ではなかった。今回の相手は物理的な距離でもなければ、心の距離でもない。彼女が幼い頃から愛して止まないピアノなのだ。 ぼくは鷹乃に、もう一度ほたるのところへ行く旨を告げた。彼女を誘うような真似はしない。鷹乃の方も、自分から『行きたい』と言い出すような事はなかった。ただ―― 「伊波君。私はあのピアノが怖い。とても、怖い」 不意にそんな事を言い出した。その瞳が見つめるものは『今』ではなく――おそらく遠い過去の記憶。ぼくが乗り越えさせた、鷹乃の辛い過去。 だから彼女はこう言ったのだ。 「あれは魔法のピアノじゃない。魔性のピアノよ」 ――と。 白河家に辿りついたぼくを出迎えたのは静流さんだった。その表情は重く曇っている。第一、土曜日の午後早くに大学生の静流さんが家にいることがまず不自然だ。よほどのっぴきならぬ事情があるに違いない。そしてその『事情』というヤツは、確実にほたるの事だ。 「健君……」 とても弱々しい声。何かにすがるような眼差しでぼくを見る。ふと視線を転じてみると――あの禍々しい旋律が、家の中から流れ出ていた。 「……着いて来て」 憔悴しきった静流さんは静かに言うと、門を開けてぼくを招き入れた。そのまま振り返りもせずに居間まで突き進む。 ご両親は出かけているのだろう、家には他に誰もいなかった。 静流さんの背中を追って家の中へ入ったぼくは――居間に着いて愕然とした。 漆黒のピアノ。 演奏者の少女。 天井に備え付けられた電灯はさながらスポットライトの如く、その小柄な肢体と黒々とした巨体を照らし出している。 ならば、部屋に満ちるこの音は――一体なんだというのか? 地獄の怨嗟?違う。 断末魔の悲鳴?これも違う。 音そのものが一つの世界を作り上げていて、その中ではぼくなどちっぽけな虫けらに過ぎない存在だった。その絶対的な雰囲気に、強圧的な空気に、圧倒的な世界に、ぼくは言葉を失った。 ぼくはこの感覚を表現出来る言葉を知らない。 ほたるへ視線を移す。空虚な瞳に意思の光はなく、遠いどこかを見つめていた。目の前のピアノを見つめているでもなく、ただ遠いどこかを。それはもはや目としての機能を果たしてはいないだろう。 虚ろな瞳でピアノを一心不乱に弾きつづけるその姿――指が折れるまで、鍵盤が焼き切れるまで、ペダルが砕けるまで、彼女の理性が吹き飛ぶまで。ただ加速されて行く戦慄の鬼。そう、旋律ではない。あくまでその姿は、見る者を戦慄させた。 修羅か、羅刹か。さもなくば、それすらも超越する何かだ。 「……ほたる?」 小さく呼びかける静流さん。ピアノの音にかすれてかき消されそうなほどに小さく、弱々しい声。精神的にかなり参っているようだ。 それっきり、静流さんがほたるを呼ぶ事はなかった。 「ほたる?」 今度はぼくが呼んだ。思ったよりも大きな声。自分ではそのつもりだったが、ほたるには届かなかったようだ。 「ほたる!」 かなり強い調子で呼んでみる。相変わらず反応なし。ひたすらピアノを弾き続けている。 「おい、ほた――」 ぼくの言葉を遮って、おもむろにほたるの傍らに立った静流さんは、彼女を椅子の上から突き飛ばした。さしたる抵抗もなく、あっさりと転倒するほたる。華奢な身体がフローリングの上に投げ出された。 「しっ、静流さん!?」 思わず声をあげ、ほたるに駆け寄ろうとするぼく。しかしその行く手を、静流さんの掲げた手が遮る。 ぼくはそこに何らかの意図を見出して――ここは静観する事にした。 ほたるは何事もなかったかのようにまた椅子へと座りなおして、ピアノを再開した。 再び、静流さんがほたるを突き飛ばす。同じだ。意思の宿らない瞳にはピアノしか見えていない。結局彼女は、最後にはピアノの前に座るのだ。 その様は、どこか無機的で単純なルーチンワークのような、背筋が凍るような冷たいイメージがあった。 ふと傍らの静流さんを見上げると、悔恨と悲哀がない混ぜになった複雑な表情を宿した女性が立っていた。とてもあの優しく、母性愛に溢れたいつもの静流さんとは思えない。 「……健君。ちょっと来て」 それだけ言い残すと、静流さんは何かを振り切るように、早足で玄関へ向かって行った。 ぼくは――ほたるの事が気にならないといえば嘘になる。しかし今は、静流さんの後を追うべきだと判断した。根拠となるものがあるとすれば――このままここにいても埒が開かないだろう、という考えがあったからだ。 一心不乱に音を奏でるほたるを尻目に、ぼくは静流さんの背中を追って、白河家を辞した。 玄関を出て歩く事しばし。サンダルのまま出てきている静流さんとぼくは、近くにある公園に辿りついた。そこにある隅の方のベンチに腰掛ける静流さん。ぼくは近くの自動販売機で二本ジュースを買ってから、静流さんのもとへと向かった。何も言わずにそれを差し出すと、静流さんは小さく『ありがとう』とだけ呟いて受け取り、それきりまた俯いてしまった。 とりあえず隣りに腰掛けたものの――雰囲気が異常に重苦しかった。 「――あの……」 「あの娘がね、あんなになっちゃったのは……ごく最近の事よ」 沈黙を嫌って口を開いたぼくを制し、静流さんが静かに語り始めた。その視線は、両手で握り締めている清涼飲料のスチール缶に落とされたまま。 「健君がこの間ほたるに誘われてやってきた時、覚えてる?」 数瞬の間、思考した。静流さんに技をかけられた事と――ほたるの演奏を何故か恐ろしく感じていた事を思い出す。先ほどまでそれ以上の演奏を聴いたためか、今でもあの恐怖を昨日今日の事のように、驚くほど鮮明に思い出せた。 「ほたるがおかしくなり始めたのは、大体あの頃からなの」 辛そうに瞳を伏せる静流さん。二度や三度聴いただけのぼくならまだしも――あの中に一週間近くもいたとあっては、さすがに辛いだろう。 「あのピアノが届いて、ほたるはそれが一目で気に入っちゃって……前あったピアノは空き部屋に押しこんで、リビングにあの妙なピアノが置かれたの。 そうね……あれはまるで、悪魔のピアノよ」 その言葉にぼくは少なからず戦慄した。静流さんが、自分の妹のピアノを悪魔であると断言したのだ。 「尋常じゃなかったわ。ほたるが弾くだけで、あのピアノは呪いの旋律を奏でるの。あの娘の演奏じゃない、あれは別の誰かのもの――そう思いたくなるほど別人のようで、怖かった。 でもね、それだけじゃなかったのよ。最初はそれだけで済んでいた、というべきかしら……本当に怖かったのは、ほたるが学校を休むようになってから」 身を震わせた静流さんは、自分の肩を抱くようにして続けた。心持ち、周囲の気温が少し下がったかのような錯覚。 「大好きな――それこそウィーン留学を蹴ってまで一緒にいたかった健君よりも、あの娘はピアノを取ったの。学校を休むというのは、ほたるにとってそういう事よ。そして健君への執着をなくしたほたるのピアノは――より一層禍々しくなって行ったの」 その事にもはやそれ以上の説明など要らない。 「食事も睡眠もろくに摂らずに、それこそ気絶するまで弾き続けるのよ。一度はお父さんが羽交い締めにしたわ。部屋に閉じ込めた事もあった。それであの娘、どうしたと思う?」 「……大体の想像はつきます」 「お父さんには噛み付いたわ。皮膚が裂けるんじゃないかって思うほど力いっぱい。部屋に閉じ込めれば、窓から飛び降りてでも脱出しようとする。自殺未遂だって近所の人が教えてくれなかったら危なかったわ。結局ほたるは、最後にはピアノの前へ戻るのよ」 下唇をきつく噛み締める静流さん。しばらくそのまま沈黙が流れた。 「ねぇ、健君」 やがて静流さんが顔を上げる。赤く腫れあがった目。もう何日も、変わり果て荒れて行く妹を見つめ続けなくてはならない恐怖と悲しみに、涙を乾かしてしまった瞳。もはや一滴の涙すら残っていないのではないかと思うほどに、その目は潤いを欠いていた。 「これが身勝手なのはわかってる。でも、健君しかいないの!あの娘が帰ってきた時点で、私やお父さん、お母さんより健君の方がほたるには大事なの。そのはずなの。だから、だから――健君」 嗚咽に呑まれそうになりながらも、ぼくははっきりと静流さんの言葉を聞いていた。 ぼくはそれに返事をするでもなく――ただ、いざという時の連絡のために静流さんの携帯番号を聞いて、その場を去った。 『だから、健君。ほたるを……助けて』 畳の上に倒れこみながら、あの一言を思い出す。 誰よりも救われたいのは静流さんであったはずだ。それでも彼女は、最後の勇気と気力を振り絞って、ぼくに助けを求めてきた。ほたるを救ってくれ、と。あくまで妹を助けたいと願う静流さん。 ほたるがああなった原因は不明。その一角を担うのは間違いなくあのピアノなのだろうが、それにしても出所は不明だ。第一、ピアノを贈ってきたのがウィーン国立音楽大学の教授では、理由も不明。いや、そもそもなんの意図があってあのピアノを贈ってきたのか?教授の名を騙る第三者が贈りつけてきたと考えた方が、まだ筋は通っているように思える。 また、あのピアノにどんな力があるというのか。真っ黒なグランドピアノで、所々薄赤い染みが浮いているという事意外は、怪しい点など見当たらない。 ――情報が圧倒的に少なすぎる…… こればっかりは自分の足で調べるしかなかった。あのピアノを調べるのだ。 ぼくは思い立つと起き上がり、そこでふと思いついた。机の引出しを開け、ほたるがプレゼントしてくれたスピードモンスターを腕にする。 結局のところ、ぼくは彼女を助けたいのだ。たとえ先が全く見通しの立たない事であっても、どれほど状況が絶望的であっても、これだけは譲れない。譲りたくない。譲るわけには、いかない。 左腕で輝く時計を握り締め、ぼくは誓った。 ほたるはぼくの――ぼくだけの、天使なのだから。 ぼくは再び白河家へとやって来た。時は夕暮れ。再訪したぼくに静流さんはかなり面食らっていたようだが、同時に嬉しそうな表情を浮かべ、相好を崩した。 「どうしたの?健君」 そう訊くまでもないだろう。たとえ今は静流さんの望む完璧な形ではないにせよ――彼女が望むその通りに、そしてなによりぼくが望んでいるように、ほたるを助けたいのだ。 「とりあえず、情報というか……調べに来ました。今のままただ考えてても埒が明きそうに無いので」 「そう……そうよね。どうぞ、上がって」 少しばかり気が急いていたのか、軽い失望と拍子抜けしたような静流さん。今はそれでもいい。ただ――必ず助けてみせる。 決意を新たに、静流さんに導かれるまま、ぼくは再び白河家の門をくぐった。 リビングの入り口で躊躇っている静流さんを追い越して、ぼくはほたるのもとへと直行した。あの旋律はそのまま、聴く者を戦慄させる。恐怖を煽り、不信を増長させ―― しかし負の感情に呑まれる事は無かった。ぼくの中にあるちっぽけな勇気。いや、勇気などと到底呼べない、半端な代物だ。それでもぼくは、怯まず彼女に近づいた。 「ほたる?」 話しかけてみる。相変わらず反応は無かったが、そこで言葉を切るつもりはなかった。彼女の細い肩に手を置き、そっと語りかける。 「ほたる……必ず、助けるから。そこから救ってあげるから。だから――もう少し、辛抱してて」 手をそっと離すと、ピアノの周囲を何週かしてみる。怪しいところが無いかどうか探してみたのだが――すぐに見付かった。 あの赤い染みだ。黒々とした闇色の巨体に、所々薄赤い汚れが混じっている。それに触れてみてわかったのだが、どうやら模様の類ではなく、後からつけられた形跡があった。削ればはがれそうなそれは、元々は何かの液体だったのかもしれない。 赤……液体……! 真っ先に思いついたのは、よりにもよって一番最悪な答えだったのかもしれない。 ――血。 絵の具だとか、そういう答えが脳裏を過るものの、どうやってもこれが血である事を否定できない。ぼくは直感で悟っていたんだろうか。あの赤い染みは血である、と。 だが、これが血であると仮定して、一体なんだというのだろうか?演奏者を音色で魅了して廃人化させ、その生き血をすするとでも?あまりにも現実離れしすぎている。しかし、それはそれで納得できそうな答えではあった、かもしれない。 ぼくは更なる発見を求めて、ピアノの正面に回りこんだ。ほたるの傍らに立って、鍵盤にどこか異常がないか見てみる。と―― ――とさっ。 妙なくらいに軽い音を立てて、ほたるが床に倒れ落ちた。ぼくは全く触れていないのに、だ。ふと、静流さんの言葉を思い出す。 『それこそ気絶するまで弾き続けるのよ』 「――ほたる!」 急いで上体を抱え起こす。ぼくはその細い肩を抱いて、何度も彼女の名を呼びながら軽く揺さぶった。 「ほたる……、ほたる!」 「健君、こっちへ連れてきて!」 冷静さを失っていない静流さんが、階段の中程から手招きしている。二階にあるほたるの部屋へ運び込むのだろう。 「ほたるはどれだけ酷い生活を送ってたんですか!?」 以前よりもだいぶ軽くなっている彼女の身体を横抱きに、ぼくは二階へと上がる途中で、上にいる静流さんへ問いかけた。 「はっきり言って必要最低限の食事しか摂ってなかったの。ろくに眠る事もしないし……いつもギリギリよ。栄養失調で病院送りになってもおかしくないくらい」 思わず怒りが込み上げてきた。それは静流さんや、ほたるの両親に向けられたものではなく、誰に対するものでもない――強いて言うならば、あのピアノだろうか。 ほたるをこんなにしてしまったモノ――赦さない! ほたるをベッドに寝かし、看病を静流さんに頼んで、ぼくは再びピアノの前にやってきた。ふと時計の針が七時過ぎを示している事に気付いて、でも結局無視した。 これで一体何度目だろうか。穴があくほど黒いピアノを見つめ、観察し、触れてみて、それでも収穫は全くない。わかった事といえば、最初に発見した赤い染みの正体だけだ。 あと、調べ残しといえば…… ――鍵盤。 無論ここも調べたが、触れてはいなかった。触れる事を何度も躊躇ってきた鍵盤。白と黒のコントラストが鮮やかに映える、鍵盤。 ここにも赤い染みは浮いていたが、それだけだ。何もない。何も―― 「――くそッ!」 がんっ! 鍵盤を握りこぶしで思いきり殴った。盛大で乱雑な音が鳴り響く。しかしそれは黒いピアノの悲鳴ではなく――どちらかといえば、ぼくを嘲笑っているかのような音だった。 ――お前に出来るのはこの程度さ。 ――所詮お前はなにも見つけられない。彼女も救えない。 ――たった一人の少女すら救えない、ちっぽけな存在だという事だよ。 ――お前はなにも出来やしない。 ――何も、何も。出来やしないんだ! 「――やめろッ!」 もう一方の手で鍵盤を叩き、それから全力で蓋を閉める。叩き付けるようにして口を閉じたおかげで、それ以上耳障りな音が発せられる事はなくなった。 それでも、どこかにまだあの声が余韻をもって潜んでいるようで―― ――何も……出来やしない……何も…… ごっ。 無言で握り拳を叩きつける。力いっぱい殴りすぎたのか、それとも何かで切ったのか――おそらくはその両方だろう。ぼくの拳から血が流れ出る。微量の血。怒りのこもった赤が、黒い巨体を汚して行く。 ――ふと、目に入るものがあった。ぼくが拳を叩きつけたところに、金の縁取りが為された黒い文字。その端には、今さっきぼくが流した血が僅かに付着している。どうやらその縁でぼくは拳を切ったのだろう。 今の今まで気付かなかったのが不思議なくらいだ。当然ながらそこにはメーカー名が明記されているはず。蓋を上げていたとはいえ、どうしてこんな事に気付けなかったのか。たどたどしい発音で、そこに打たれた文字を読んでみる。 「……なんだ?す、すと……Stradivarius?」 読み終わって、思わず唸ってしまった。Stradivarius。それ自体は有名だ。かつてイタリアで名を馳せたアントニオ=ストラディバリを筆頭に、その一族が手がけたバイオリンの名器で、現存する600前後のバイオリン全てに1000万円単位の値が付くと言われる、幻の楽器。 現存するどんな技術を使ったとしても、ストラディバリウスの音色に追いつく事は出来ない――これは音楽界の生きた神話だ。ほたるという恋人を持つ事で、多少なりとも音楽と関わりを持つようになったぼくは、彼女からそれくらいの話は聞いて知っていた。 ――でも、なんでその名前がこのピアノにつけられているんだろう? そもそもストラディバリウスそのものが、現存する標準型バイオリンのプロトタイプみたいなものだ。つまるところ、その名は一種のブランドと言っても差し支えはない。ならばなぜ、ピアノに『ストラディバリスウス』の名が刻まれるような事になるのか? 「……わからないな」 これは考えて答えが出るような問題ではないような気がした。この事を心にしっかりと留めておき、もう一度ピアノを点検する。怪しい点は見当たらない。 そこでふと時間が気になった。七時半。これ以上長居しては、静流さんにも何かと迷惑がかかるだろう。 帰る前に一言挨拶しようと階段のところまで行くと、ちょうど降りてきた静流さんと鉢合わせた。 「あら?健君、帰るの?」 「はい。これ以上いたら迷惑かもしれませんし……それに、ちょっと考えを整理したいんです」 一瞬、静流さんが寂しげな表情を浮かべる。ご両親はまだ帰宅しないのだろうか。 「大丈夫です。必ずぼくが何とかします」 「…………ありがとう、健君」 今は気休めの言葉にしかならないだろう。それでも安心してくれるのはありがたい事だった。静流さんの表情に柔らかさが戻る。 「じゃあ、さようなら」 「さようなら。気をつけてね」 門の前まで見送ってくれた静流さんに、片手を上げて応えると、ぼくは早足で朝凪荘へと向かった。 ――こういった場合、頼りにすべき人といえば……あの人しかいない。 南先生に会うために、ぼくは歩く速度を上げた。 「わからないわ」 あっさりと出てきたその一言に、ぼくは落胆した。 朝凪荘に帰り着いて、部屋に戻るよりも早く南先生を訪ねたぼくを迎えたのは、冷たい現実だった。事情を全て話し、『どういう事か、わかりますか?』と訊ねたぼくに、南先生はそう言ったのだ。わからない――ただ一言、そうとだけ。 「ごめんなさい」 「そう、ですか……いえ、いいんです」 肩を落とす。ピアノにもかなり精通していて、博識で、常識では計り知れない感性と直感の持ち主――ぼくにとって、今の状況でこれほど頼もしい存在は他にいない。 しかし、それがダメだったのだ。 となれば、地道に調べるなり何なりしなくてはならないのだろうが―― 目に見えて落胆したぼくを見兼ねたのか、あるいは最初からそうするつもりだったのか――相変わらずこの人の考えはよくわからない――、南先生がおもむろに口を開いた。 「…………でも、知らないとは言ってないわね」 ごつ。 思わず凍り付いて横に傾いたぼくは、梁に頭を思いきりぶつけた。 「なっ……!」 「『わかりますか?』って訊かれたから『わかりません』と答えたまでよ。『わかる』と『知る』とはまるで意味が違うの。まぁこの場合は全く関係のない話しだけど。言葉は正しく選んでね」 選ぶどころか、そもそも言葉が出ない。思わず唖然としてしまう。 そんなぼくはそっちのけで、南先生はレモン片手に講釈モードへと突入して行った。まるで授業でもするかのように――実際、教師と生徒なのだが――立ちあがると、窓を黒板に見たててか、そこに指で何かの文字を書いた。はっきりと見えたわけではないが、おそらく英語の筆記体で『Stradivarius』となぞったのだろう。白い指先がまるで魔法使いの杖のように、月明かりの中を小さく舞う。 「アントニオ=ストラディバリ。白河さんと付き合っている健君なら、彼がどれほどの偉業を成し遂げた人物かも、またその『神話』も知っているはずね?」 「は、はい……標準型のバイオリンのもとを作った人ですよね。どれだけ正確にCGで再現して、寸分の狂いもなく似せて作ってみても、ストラディバリウスにだけは追いつけないっていう……」 ぼくの答えに、やや満足げに頷く南先生。 「そう、魔法でも使ったのかっていうくらい出来の良いバイオリン。でも、彼の生涯には、ちょっとした逸話があるのよ」 「……逸話?」 それが一体この問題とどう絡むのか、皆目見当もつかない。今は南先生の話に耳を傾け、一言一句逃さぬよう聴く事だけに集中する。 「そう、逸話。神話にもなったバイオリン製作の巨匠の……」 窓を開けると、南先生は月を見上げるように身を乗り出した。見事な満月。夜を象徴するそれは、無垢に輝く世界の瞳のようで―― 「彼が本当に作りたかったのは、ピアノだという話があるわ」 「…………え?それって、どういう――」 「人の話は最後まで聞きなさい」 思わず声を上げたぼくの声を、南先生が遮った。注意のためだけにこちらへ向けていた視線を、再び窓の外へ。 「彼は幼い頃からピアノに憧れていた。綺麗な音楽を奏でるピアノ。それこそが至高の楽器だと思ったそうよ」 南先生の表情は見えないが――声にはほんの少し、苦々しさが混じっている。 南先生にもピアノには少なからず因縁がある。それ故の苦々しさか。語っている南先生自身、『ピアノに憧れる』というのは痛い言葉だったのだろう。 「彼は、楽器作りに対して天性の才能を持っていた。バイオリンに限らず、いくつか他の弦楽器やピアノなども作った…… でも、彼にはどうしても納得の出来るピアノが作れなかった。この音ではそこらにごまんと転がっている普通のピアノと大差ない。ダメだ、もっと良いピアノを――そうやって彼は次第に、ノイローゼにかかって行った。 最後にはバイオリンを作ることすらやめて、ピアノを作り続け……そのまま、彼の望むピアノは永遠に現れなかった」 南先生がこちらを向く。 「そこで終わるなら、まだよかった。でも彼はよりにもよって『呪いのピアノ』を遺したのよ。彼の抱いていたピアノに対する憧憬と嫉妬、愛情と憎悪、好意と悪意――やがてアントニオ=ストラディバリが死ぬと、彼は善意だけを道連れに、そのピアノだけを残したそうよ。負の感情を押し込められたピアノは、演奏者の精神を喰らってしまう―― それが、ストラディバリウスの名を冠するピアノ。バイオリンではなく、ピアノのストラディバリウスに纏わるお話」 瞳を伏せる。今は亡き巨匠への黙祷か、それとも―― 「呪いのピアノについてだけど、黒色に金の縁取りが為された『Stradivarius』の文字があるのなら、それで間違いないわ」 わかっていた事だ。今更そんなに驚きはしない。しかし……ショックは隠しきれない。 だけどぼくは、まだ肝心の事を聞いていなかった。 「それで……」 声がかすかに震えている。これが自分の声かと疑うほどに。まるで別の誰かがぼくの口でしゃべっているような感覚だった。 「それで、その『呪い』っていうのは……?」 「そこまでは知らないわ。ただ、健君の話が本当なら、その通りなんでしょうね」 「!!」 息を呑む。予想できた回答。それだけに、出て欲しくなかった回答。 「じゃあ……どうすれば、ほたるを助けられるんですか」 「………………」 沈黙が応えた。南先生は、答えを知らない。 「…………ほたるはあのまま助からないというんですか!?」 だむっ。 畳の床を拳で殴った。緊張感のない柔らかな音がして、少しほこりが舞いあがった。 ――わかっている。こんな事をしても無意味なのは。これはただの八つ当たりだ。行き場のない怒りを、南先生にぶつけているに過ぎない。 「どうすれば白河さんを救えるか、私は知らない。でも、どうやったところで相手は、もとはといえば人間よ。人間にできた事を、人間が打ち破れないなんて道理はないわ」 「―――!」 淡々と語る南先生の言葉に、息を詰まらせてしまう。それはあまりにも当たり前な理屈。当たり前なだけに、誰もが忘れ去っている、事実。 ――要は、ほたるの心なのだ。昔の人間が作った楽器如きに彼女の心が奪えて、どうしてそれがぼくに出来ない?いや、出来ないんじゃない。やってなかっただけだ。なら、それを実行するためには、どうすれば――? 頭の回転を加速して行く。迷宮のような思考の果てに、しかし答えは見出せなかった。 だけど……これで足跡が途絶えたわけではない。 「南先生」 「なに?」 静かに先生を見上げ、ぼくは言葉を続けた。 「――先生のその知識は、どこで手に入れたものですか?」 そう問うぼくに、南先生はそっと微笑みかけた。 次の日――日曜日、ぼくはとある芸術大学の図書館へ、南先生の紹介でやってきていた。なんでも、この図書館の司書さんが知り合いらしい。やはり『南』の名前は伊達ではないようだが―― 「あ、つばめさんのお知り合いですか?」 司書席に座っていたロングヘアーの少女は、柔らかい口調でそういった。どう見てもぼくと同い年くらいなので、少し訊いてみると、彼女は『今日は学校がお休みなので、手伝いに来ているんです』と応えた。清楚な印象のあるロングヘアーの少女だった。 さらにもう少し話を聞いたところ、南先生はどうやら昔からこの図書室を訪れる事が多かったようだ。名の通った芸術家である南先生の父親が大学を訪れた時に、よく彼女をここへ預けたという。父親に軟禁同然の生活を強いられていた彼女にとって、それはささやかな自由時間であったに違いない。その時にここの司書さんと仲良くなったんだろう。その女の子の話を聞く限り、今日は出てきていないその司書さんは気さくで、面倒見の良い人のようだ。 「探し物がたくさんある場合は、隣りの部屋が無人となっていますので、そちらを利用してください」 図書室の奥にある扉を指し、丁寧な口調でそう言うと、司書代理の女の子は手元の本に視線を落とした。 林立する本棚の群れに分け入ると、辺りは急に静かになった。休日は一般にも開放されているらしいのだが、皆静かに本を探し、あるいは立ち読みしている。本を置くスペースを少しでも増やすためだろうか、椅子の類は全く用意されていなかった。そのためにわざわざ隣室を空き部屋としているのだろうか。 とりあえず『ストラディバリウス』で調べてみると――関連する本が、それこそ山のようにあった。一日や二日徹夜した程度では、到底調べられそうもない量。ぼくはその中から、『アントニオ=ストラディバリ』の生涯を記しているものを探す。ぺらぺらとめくる程度だが、こうでもしなければとても閉館に間に合わない。 その作業を何度か繰り返し、適当に当たりをつけた本数冊を持って、ぼくは隣室へと足を運んだ。ドアを開けた先は――無人だった。学校の教室のような部屋で、正面には教壇と黒板までもがあり、結構な数の机や椅子がきちんと整列している。窓から入ってくる優しい初秋の風に、カーテンの裾が気持ち良さそうに宙を泳いでいた。 「ホントに誰もいないんだな……」 思わず嘆息してしまう。集中しやすいので好都合といえば好都合なのだが、隣にはいつもほたるがいる日常に慣れていたぼくは、その閑寂さが少し辛かった。 とりあえず適当に机を二つ寄せて、片方に抱えていた数冊の本を置く。もう片方に椅子を引っ張って行って腰掛け、傍らに山を為している本を上から一冊ずつ読んでいく。 読む、というほどの作業ではない。簡単に目を通し、気になる部分はしおり――文庫本などに付いている物を、あらかじめ持参しておいたのだ――を挟んでおき、一冊ごとにそのしおりの部分を調べて行く。自然、大雑把な作業にならざるを得ないのだが、ある程度アバウトにやっていかないと、調べるだけで一週間はかかってしまう。もし解決法を発見したとして、それに時間的な制約が存在する場合も考え、出来るだけ早くに解決策を探し出したかった。 「…………ふぅっ……」 一時間ほどかけて、やっと一冊目を調べ終える。完璧とは言いがたい調べ方ではあるが、この一冊目の本には手がかりになりそうなものがまるでなかった。 午前中の内から来ている事もあって、まだ時間はたっぷりとあるのだが――この調子では、時間よりも先にぼくの体力と精神力が底をついてしまうのではないだろうか。 それでも、やるしかないのだ。やるしか―― ――そうやって何の収穫もないまま、数時間が過ぎていった。 伊達に時間ばかりかけているわけではない。時計が三時を回る頃には、かき集めた本の八割を読み終えていた。 ――いや、八割調べ終えた時点でなんの収穫もなし、というべきだろうか。 残っている本はせいぜい三、四冊。この中に手がかりがなければ、状況はいよいよ深刻になってくる。 「……頼むよ、ホント……」 萎えかけた精神力を奮い起こして、ひたすらページをめくるというルーチンワークに戻る。どうして単純作業というものはこうもしんどいものなのか。はっきり言って苦痛だ。しかし、今ほたるが置かれている状況を思うと――そうも言っていられなかった。 ――その時。 「…………ん?」 さほど分厚くもない本のとあるページを開いた状態で、ぼくの指がその動きを止めた。そのページのタイトルと、その内容を軽く流し読みする。 「…………っ!これは……!」 そう、ぼくはとうとう目的のものを見つけたのだ。 でも、ぼくの胸に渦巻くこの感情は歓喜ではなく――失望。絶望、と言ってもいいほどに、文章の内容はショッキングなものだった。 ぼくはそのまま残りの本を閉館の時間まで調べつづけたが、結局手がかりになりそうなものはそれきり現れなかった。 カウンターでさっきの女の子に学生証と本を渡して、その本の貸し出し許可をもらう。ぼくが渡した浜咲学園の学生証に、司書代理の女の子は小首を傾げ――おそらく友人でもいるのだろう――何かに気づいたようだが、今のぼくはそんなことを気にしていられる余裕はなかった。ぼくの持つ焦りの雰囲気を察してか、彼女も別段なにかを話し掛けてきたわけでもない。 それからぼくは図書館を出た。 胸のうちに渦巻く、暗い色の感情――本と共にそれを抱えて、ぼくは夕暮れ時に帰途へ就いた―― ――ぼくは、どうするべきなのだろう? じっと天井を見つめながら、もう何度目と数えるのすら馬鹿馬鹿しいほどに繰り返したその問いを、また胸中で呟く。布団の上に投げ出した身体を転がし、寝返りをうった。 これがぼくの、望んだ結末なのか……? それは違う。絶対に違うのだ。ぼくはこんな結末など望んではいない。だからといって、今更『なんでこうなったんだ』と訊く気にもなれない。そもそもそんな事、誰に聞けというのだろうか?呪いのピアノを残した当の本人は、もうこの世にはいないのだ。 呪いの正体を、ここにいたってぼくはやっと理解した。演奏者の精神を喰らう――確かにこれだけでも十分に呪いなのだろうが、呪いはここで終わらない。 ぼくが借りてきた本は、随分昔に紛失された、アントニオ=ストラディバリの日記の写本だった。その日本語訳版。この日記と呪いのピアノは、二つ揃って初めてその正体を露顕させる。運命でも偶然でもなく、これはあらかじめプログラムされたシナリオだ。 『だから私は、命を絶とう。ありったけの善意を道連れに』 とあるページの一節。確かに彼は、悪意だけを残して消えた。 ぼくの胸に、やるせない敗北感が広がって行く。ぼくにほたるは救えない。ぼくが行動すれば、それは――ほたるを絶望の淵へと追い込む事になる。 そのままぼくは、深い眠りの中へと引き込まれて行った。 ――夢。 ――どうしようもない悪夢。 ――ぼくが消え、彼女が残る。 ――否定できない自分がいる。 ――夢だ、これは夢なんだ、という叫び。 ――叫びは虚しく闇の中へ埋没する。 ――褪せて行く彼女。 ――散って行くぼく。 ――ココロが、ココロを求めている。 ――しかし、彼女へ伸ばされた手は、大蛇に行く手を阻まれる。 ――闇に呑み込まれる彼女。 ――光に押し潰されるぼく。 ――でもこれは、悪夢。 ――悪夢、なのだ。 最悪の……目覚めだった。 それ以上に酷い夢を見た気がする。どうしようもない夢。でもそれが夢ならば――あるいは救われたかもしれない。 時計を見ると、朝の六時だった。早過ぎるというほどのものでもないが、二度寝していられる時間ではない。それに今は、眠りに就くのが怖かった。 一瞬今日は学校へ行こうかと逡巡して、結局行くことに決めた。翔太に、鷹乃に、伝えなくてはならない言葉がある。南先生にもお礼を言わなくてはならない。そうだ、トモヤも散歩に連れて行ってやろう。 ――あるいはこれが、最後になるかもしれないのだから…… 今日という一日の授業は、何の滞りもなく済んだ。受験の二文字がいよいよ目に前にぶら下がり始めるこの時期、いつまでも教室に残って話している連中はあまりいない。もうクラスメイトの大半が帰っていて、人の姿はまばらになっている。 帰り支度をしていると、鷹乃がぼくのところまでやってきた。 「伊波君、白河さんは……」 鷹乃が言いづらそうに話しかけてくる。これは鷹乃なりに罪悪感を感じているのだろう。 しかし――彼女の感じている罪悪感は幻だ。 「まだ、ダメみたい」 「そう……」 うつむく鷹乃。 ぼくは、言った。 「鷹乃が罪悪感を感じる事はないよ」 「…………え?」 拍子抜けしたような表情を浮かべる彼女。 「鷹乃が罪悪感を感じる事はないんだよ。責任を感じる必要もない」 ぼくはキッパリと断言した。 結局何が悪いとか、そういう話ではないのだ。ただ原因があって、結果がある。それだけの事。あまりにも現実的な答えの前に、鷹乃は自分を責める事でごまかしていたのかもしれない。 ただ、それでも――鷹乃は優しい娘だ。 ごまかしというのはあるのだろう。でも、それ以上に彼女は、ただ優しかった。どうしようもなくなって行くぼくを助けてくれて、巻き込まれて、それでも他人を思い遣れる。今思えば、とても素晴らしい事だ。 「だから……大丈夫。ぼくが、終わらせるから」 微笑みかけ、ぼくは荷物を持って席を立った。すれ違いざま、呆然と立ち尽くす鷹乃の表情が目に入るが――振り返る事はしない。 教室を出ようとしたところで、見慣れた人物の背中を発見する。翔太だ。 「よっ、翔太」 「おぅ。どうした、健?」 いきなり声をかけられて、やや面食らったようだ。特に話す事などない。ただ、言わなくてはならない。 「別に。いつも通り、お別れの挨拶」 「はぁ?」 わけがわからない、と顔に書いてある。翔太のマヌケな顔に、ぼくは思わず笑ってしまった。翔太の顔に、さらに疑念の色が加わる。 「……健、お前大丈夫か?」 「大丈夫だよ。あぁ、大丈夫……」 笑い過ぎで目じりに溜まった涙を指で弾いて、ぼくは翔太の肩を叩いた。 「じゃあな。……俺は、大丈夫だから」 「――!?お、俺って、お前……おい、健!」 ぼくの――いや、俺の物言いに慌てる翔太。だけど、やっぱり俺は振り向かなかった。振り向いちゃいけない。 そう、自分の呼称を替えたのは、どうしようもない恐怖へのささやかな抵抗。どうにかこうにか振り絞った、ほんの一握りの勇気。それを今更無下にする気はなかった。 ――準備は、できた。ジーパンの後ろポケットに突っ込んである、ケースに収められたそれの硬さを布越しに感じながら、自分の部屋に鍵をかけて、朝凪壮を出た。 結局南先生に、情報収集のお礼をする事はできなかったが――それでもいい、と思えるくらいには前向きだ。そういう『やりのこし』の一つや二つでもある方が、明日もしぶとく生きていられるに違いない。 わざわざ街中を歩いて藍ヶ丘まで行く。秋へと移ろい始めた季節は、もはやとどまるところを知らない。 銀杏の木には実が成り―― 道にそって植えられた木々は寂しげに身を細らせ―― 公園には少し冷たい秋の風が吹き抜け―― そしてやっと目的地に着いた。一軒家の表札には『白河』とある。 俺は呼び鈴を押して、少し待つ。 「いらっしゃい、健くん。上がって」 対応に出た静流さんに従い、いつものようにリビングへと通してもらった。 ほたるの衰弱はより酷いものとなっている。今にも倒れそうになりながらもピアノを弾く彼女。紡ぎ出される禍々しき旋律。 でも今日は違った。弾き手であるほたるの気分によってピアノの音が変わるなら、聞き手である俺の気持ちによってもまた、音楽は変わる。もはやそれは恐怖の対象ではない。倒すべき――敵だ。 俺はほたるの後ろに立ち、後ろポケットに入れていたモノを取り出す。ケースに納められたそれは……料理などに使う包丁だ。 「け……健君!?」 静流さんが裏返った悲鳴を上げる。俺がほたるを刺すとでも思ったのだろうか。確かに今のほたるなら、刺そうと思えばいくらでも刺せるほど無防備ではあるが――そんな事をするほど血迷ってはいない。 俺はそれの刃を、そっと自分の首筋に当てた。脈拍を測る時に使うので、頚動脈の位置はよく知っている。冷たく冴えた感触が、首筋を這い上がってきた。 深呼吸を一つ。静かに言い放つ。 「覚悟を決めれば、これくらいはなんとでもないんだ。――お前の負けだよ、ストラディバリウス」 そして俺は、冷たい刃を思いきり引いた。 吹き上がる赤い噴水。同時に、女性の悲鳴が聞こえた。おそらく静流さんだ。 飛び散った俺の血は、ほたるの傍らを擦り抜けて黒いピアノにもかかった。黒い巨体が、白い鍵盤が赤に汚される。 ふと、ほたるが振り返った。虚ろな瞳、疲れ切った表情そのままで。 しかし―― 「―――健ちゃん!」 久しく聞かなかったその声は、間違いなくほたるのものだった。精彩を欠いた顔に驚愕の色が刻まれる。ほおに付いた斑点が、彼女の表情を大げさに演出していた。 ほたるが正気を取り戻したのだ。しかし――その代償は、あまりにも大きかった。 ――なんで、こんなややこしい事になったのかな…… やがて自分の視界一杯に広がった『赫』を見つめながら、ふとそんな事を考えた。 なぜだろうか、禍々しいはずの『赫』はひどく儚げで、そして綺麗だった。 例えるならそれは万華鏡。 小さな鏡の中一杯に咲き広がる曼珠沙華。 鮮烈な色を秘めた花びらはどこか冷めていた。 誰かが俺の名前を呼んでいる気がした。 しかし生憎、それに応えられるだけの気力も体力も残ってはいなかった。 そして俺は、意識を失った。 ここはどこか、俺にはわからなかった。暗くて、寒くて、酷薄さが剥き出しになっている世界。俺が元いた場所からだいぶ遠い事だけは分かる。 俺はその暗がりの中を、何をするでもなくただ漂っていた。 ――あぁ、これが生死の狭間ってヤツなのかな? 独白する。――したつもりだった。音として認識のできない独白。 改めて自分は随分バカな真似をしたものだと認識した。傍目にはどう取っても自殺にしか見えない行為。でもその裏には、ほたるを救うための重大な意味があったのだ。 だがしかし、そこにどんな意味があろうと――結局全部、アントニオ=ストラディバリの思惑通りなのかもしれない。 呪いの正体。それは、演奏者がピアノに呑み込まれる事ではない。 演奏者を救うには、演奏者の愛する者の血が必要だという。原理は分からない。だが、それの意味するところは理解できた。ピアノが血を吸うのだろう。つまりこれは、犬が餌の催促に鳴き声をあげるのとそう大差ない行為なのかもしれない。与えられた餌に満足したピアノは、催促を止める――つまり、ほたるの心の解放だ。 しかし、少量ならともかく、アントニオ=ストラディバリの手記にあったのはどう考えても致死量。それをピアノに浴びせかけて、やっと演奏者は解放される。 呪いの真の残酷性はこの後だ。 正気に戻った演奏者は、自分の愛する者が自らを傷付け、自殺しようとしている様をいきなり見せつけられるのだ。愛する者は息絶え、その事実は心身ともに消耗した演奏者にとって、致命的なダメージになりかねない。物理的な死ではない、精神の死だ。 人の感情に左右され易い、いっそ博打的ですらある代物だが、おそらく的中率は100%だろう。理由は至って簡単、演奏者となりうるのは、必ず『ピアノを愛する者』だからだ。 だけど、俺は負けたわけじゃない。呪いになんて屈しない。むしろ俺に言わせれば―― 「――こんな事が続く限り、お前は永遠に敗北者だよ。アントニオ=ストラディバリ」 今度は意思が言葉となった。虚空へと飲み込まれていったその言葉には、言い放った俺自身どこか重みを感じる。 ――永遠に、敗北者――? 不意に声が響いた。いや、その表現は正確ではない。言葉ではない何かが、意思を伴って直接俺の心に話しかけている。 「……そうだよ。ずっと、敗北者のままさ。死んで何十年経った今でも、お前は敗北者だよ」 生きるか死ぬかの間にあって、もはやそんな事にいちいち驚きはしない。至って普通に言葉を返した俺。 ――何故、だ――? 俺は軽く唇の端を持ち上げ、笑みの形を作った。 「分かってるんじゃない?いや、もう気付いてるはずだよ。お前があのピアノを作り上げたその瞬間から、お前は分かってたはずだ」 ――何故、そう思う――? 「……心底絶望して、人を道連れにしてやろうなんて人は、あんな言葉を遺さないよ」 俺はぼやけた記憶の糸を手繰り寄せ、その言葉を必死に思い出した。英語で綴られた、言葉。 「『I want to believe these words; The pain never ends, but there will always be a hope.』……だっけ?」 言葉を日本語に訳すのならば、こんな具合だろうか。 『苦しみや痛みが絶える事はない。だがいつでも希望はある。――私はこの言葉を、信じてみたい』 「そんなお前だから、俺は最後に信じてみようと思ったんだ。 ほたるをあんな目に遭わせたのはお前だけど、それでも――お前は、音楽を愛してたんだ。ほたると同じで、音楽がどうしようもなく好きだったんだ。今回のは、その方向がちょっと歪んだだけ。歪みは直せばいいじゃないか」 「――だが私は、もう死んだ人間だ」 声は唐突に、俺の後ろから聞こえてきた。そこには誰かの人影が立っているだけだが、確実に人の気配がした。顔の輪郭も、かろうじて分かる程度には見える。感情のこもらない平坦な声が、その人影から発せられている。 この人影の正体が誰かなど、今更考えるまでもなかった。 「死んだ人間に、今更どうしろと言うのだ?」 周囲の闇が一層色濃くなる。死の匂い。腐臭でもなければ阿鼻叫喚の中でもない。純然たる瘴気の渦。強烈なプレッシャーが俺に圧し掛かる。 だけど――だからと言って退くつもりはない。 「お前にできないなら、俺がやるよ」 「…………お前、が?」 訊き返した人影の声は震えていた。恐怖でもなければ、歓喜でもない震え。おかしくてたまらないといった風情だ。 「笑わせるな!死人に何ができる!?」 轟ッ! 爆発的な火焔の奔流が、突如人影の周囲に沸きあがった。自身の体を包む大蛇のごとき焔に照らし出され、その正体が照らし出される。 そこにいたのは――仮面を被った何者かだった。鉄仮面で表情を覆い隠したその人物が、頭上を振り仰いで哄笑している。 「お前のようなたかが凡人に何ができる?それも死んだ人間に、だ!」 鉄仮面の叫び。悲哀な色を滲ませた叫び声。唸る業火が尾を引いて、俺の方へと向かってきた。 「―――!」 咄嗟に横へかわす俺。すぐ傍を熱の塊が風となって通り過ぎていった。 「ストラディバリウスなど所詮は幻だ。全ては神に召されたのだ!夢も希望も、全部塵となり灰と化し……」 地を舐めるようにして、焔がストラディバリを中心に広がる。津波のように迫ってきたそれを、俺は紙一重でなんとか避けた。 「怒り、そう、怒りなのだ!怒りが焔となって全てを焼き尽くすのだよ!そうして後に残るのは、絶望だけだ!死という名の、絶望だけだ!」 哄笑と共に、彼の周囲で紅蓮の大蛇が渦巻き、咆哮を上げる。さっきまでの物とは比較にならない。アレを食らえばひとたまりもないだろう。死にぞこないに今更ひとたまりも何もあった物ではないかもしれないが、できればこういう終わり方はごめんだ。 「結局絶望だなんだと言って逃げてるだけだろ!目を背けてるだけだ!そんなお前は……絶望すら満足に出来ちゃいない!」 ふと、焔が勢いを失った。見れば、呆然と立ち尽くすストラディバリの姿。 ――この機を逃す俺ではない。 「俺にも出来ないのなら――彼女がやる。 ――夢なら……」 俺は、最後の札を切った。左腕にはめていた、それだけは変わらぬ輝きを放っているスピードモンスターに手を掛ける。ベルトを外して、右手に握り締めた。 「夢なら、お前の後ろでピンピンしてるよ」 叫ぶと同時に、力いっぱいそれを放り投げる。放物線を描いて暗闇を裂いて行くそれは、ストラディバリの後ろで硬い何かにぶつかった。 ――ピシ。 彼の背後の闇に亀裂が走る。スピードモンスターは力なく地に転がるが、相変わらず輝きは失われていない。全ては、彼女の想いの力。 ぱぁん―― 軽い音と共に、闇が弾けた。ガラスの割れ目のように切り取られたそこから、とある家のリビングが映し出されている。床にあった血溜りはもはや消え失せ、つい先日まではいたであろう警察も引き上げたようだ。誰かがせわしなく動いていた跡がある。 そう、白河家のリビングだ。CG合成でもこう上手くはいかないだろう、それほど綺麗な裂け目が暗闇に浮かんでいる。 ――ふと、音楽が聞こえてきた。 幻想的な旋律。柔らかい旋律。真なる想いを伝える旋律。時間も空間も超えて届く、旋律。 幻のように儚く、しかし強烈な存在感を持って心に響くそれを、どう表現したら良いのだろうか。 木漏れ日の中の休息。 柔らかく暖かに包み込む風。 言葉では足りない、どうしようもなく嬉しくなるようなメロディだった。今すぐ踊り出したくなるような、喜びの詩。友を思い遣るような、慈しみの歌。過去を愛しむような、悲しみの唱。 それら全てが幻想的で、圧倒的なまでに心を揺さぶるのだ。 ――いや、幻であるはずがない。俺の心はしっかり捉えている。心の中を柔らかく照らし出す陽射しを。胸の中を駆け抜けて行った風を。その痕跡だけを残して、音そのものは跡形もなく失せ、再び生み出される。果てる事のないその繰り返しの中で、しっとりとメロディは流れて―― 「これは――」 何かを言いかけ、口を紡ぐ。17世紀の人間がリストを知っているはずもないのだが、それでも彼は音楽に精通した人間だ。このピアノの良さが分からぬはずがない。 漆黒のピアノを以って、愛の夢を奏でる一人の天使。 まだ見た目には憔悴しているようにすら見えるほたるは、しかしいつになく楽しそうだった。軽やかに鍵盤の上を舞う指先。一音一音が意思を持って流れ出る様は、さながら魔法のようだった。 魔法――いや、奇跡だろうか。 ピアノの本体には『Stradivarius』の文字。以前は完全に心を奪われ、振り回された呪いのピアノを、彼女は完璧に御していた。 そう。これは一つの、小さな奇跡の顕れなのだ。 「どう?彼女のピアノは?」 奇跡は次なる奇跡を呼んで――そうやって連なって行って、世界が在る。 ――ならば、今ストラディバリが流している涙もまた、一つの奇跡の賜物だろうか。鉄仮面の流す涙は、闇の中へ静かに消えて行った。 「……まるで、魔法のようだ」 それは最高の褒め言葉。少女の奏でるメロディに心奪われ、涙する者の発した本当の想い。彼自身の望む形ではないにしろ、夢が叶ったのだ。 しかし俺は、その言葉を別段驚きもせずに受け止めた。俺はもう『知って』いたし、『分かって』いたから。それは当たり前の事なのだ。何故なら、彼女は俺の――いや。 「――ぼくの、ぼくだけの、天使なんだからね」 強がりの仮面も必要ない。そしてぼくは、彼に笑いかける。 ふと――仮面が弾け跳んだ。音もなく割れた仮面の先に在ったのは、夢に破れた者の素顔。ようやく夢を叶えられた者の、喜びの顔。 彼もまた、涙に濡れた笑顔で、返した。 「さて、と。ぼくはそろそろ帰りたいんだけど……やっぱり死んじゃうのかな?」 夢だろうとなんだろうと、もうどうでもよかった。とにかくぼくが死にかけているのは事実だろうし、もう死んでしまったのかもしれない。 ぶつぶつと帰る方法を考え始めたぼくに、ストラディバリが歩み寄った。 「私が叩き起こしてやろう。――くれぐれも、二度寝などするな」 言うが早いか、ぼくの周囲に光が纏わり付いて来た。幾重にも重なり合って螺旋を描き、虚空へと立ち上って行く光の橋。周囲に広がる闇を押しのけてしまうほどの、眩い光だった。 ふと、体に踏ん張りが利かなくなった。足が床から浮いている。――もっとも、何処が床なのかは判別がつかないが、さっきまでしっかりと地を踏みしめていた足が、力なく宙に浮き上がっていた。 「え?ちょっ!お別れくらい……」 「こんな場所に長居する意味はない。お前は、お前の在るべき場所へ帰るのだ」 静かな瞳でぼくを見つめるストラディバリ。真剣な様で見つめ返すぼくに、彼はふと柔らかい微笑を浮かべた。 「待っている人もたくさんいるのだろう?早く戻って、安心させてやれ」 「……そうだね。また、会えるかな?」 「天使が音楽を奏でる限り、いつでもな」 キザったらしいそのセリフに、ぼくは思わず吹き出した。 「……それは暗に、ほたるを大事にしてやれって言ってるのかな?」 「そういう事だ」 段々とぼくの体が彼から遠ざかって行く。より高く、より遠くへ。それ以上言葉を交わす事もなく、ぼくとストラディバリウスは別れた。これからもう2度と会う事はないだろう。そう、永遠に―― そして目覚めたぼくを出迎えたのは、よく見知った顔ぶれだった。 今にも泣きそうな表情をしている鷹乃。安堵に頬を緩めた翔太。柔らかく微笑みかける南先生。暖かいスープの満たされた皿を差し出してくれる静流さん。 そして―― 「おかえり。ほたる」 「……おかえり。健ちゃん」 視線を交わらせたぼくら二人は、最高の笑顔で笑い合った。 |
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エピローグ | ||
傷も完全に塞がり、やっといつも通りの生活を過ごせるようになった頃。ぼくはピアノを聞いていた。ストラディバリウスで奏でられる、ほたるのピアノを。 演奏曲目は『愛の夢』。 リビングには鷹乃の姿もあった。翔太や静流さん、南先生もいる。テーブルの上へ並べられた料理をがっついているのは信くんだ。 今日はぼくの退院祝いパーティ。しかしぼくの部屋では狭すぎるので、白川家にお邪魔する事になったのだ。 「……しかしアレだな。健もやっと『ボクちゃん』じゃなくなったかと思ったんだが……」 翔太がニヤニヤ笑っている。ぼくには苦笑で返すしかない。 「あら、でも……前より素敵になったんじゃない?」 嬉しい事に、南先生がフォローを入れてくれた。 「そうね。言葉はともかく、内面は『ボク』じゃなくなったんじゃない?」 「…………まぁ、ね」 鷹乃の言葉に、翔太は沈黙した。そんなやり取りを、静流さんは楽しそうに眺めながら、空になったお皿にまたお菓子を入れてくる。彼女をひたすら働かせているのは信くんだ。 やがて演奏が途切れると、ほたるがこっちへやってきた。 「……あ、そうだ。ほたる」 思い出した事があり、 「何?」 小首を傾げるほたる。彼女に、ぼくは今までずっと解けないままだった疑問をぶつけてみる事にしてみた。彼女と連れ立ってリビングを出て、廊下へ。 「あのさ、あのピアノを贈ってきた人って、結局誰なの?」 ぼくの言葉に、ほたるはやや憮然とした表情を浮かべた。 「もう、健ちゃんったら。ほたる教えたよ?忘れちゃったの?」 「いや、そういうわけじゃなくて……名前とかさ。あぁいいや、手紙見せてもらえる?」 納得できていないようだが、それでも手紙を取りに二階へ上がるほたる。ぼくは彼女の後ろに付いて行った。 部屋に入って、彼女は机の引き出しから一つの封筒を取り出す。 「はい、これ」 「ありがとう」 礼を述べてから、もう既に封の破られた封筒から便箋を取り出す。そこに綴られていた文章の内容はざっとしかわからなかったが―― 「…………ふふ……」 思わず笑みが漏れる。全く、ぼくの予想通りだった。 「ど、どうしたの?健ちゃん」 そんなぼくの様子にやや身を引いて、ほたるが訊いてくる。それには答えず、ぼくは便箋を封筒に戻すと―― 「ありがとう」 そっと彼女へ押し返した。受け取った封筒と、微笑を浮かべるぼくの顔を何度か見比べて、それからほたるは戸惑いつつもそれを机に仕舞った。 「ねぇ、健ちゃん。何があったの?何か面白い事あった?」 リビングへと戻る途中、彼女は何度もそう訊いてきた。階段ではぼくの肩に掴みかかって、脅すようなまねまでしくる。もちろんそれは冗談での行為だが、ぼくは最後まで『なんでもないよ』と押し通した。 「もう、健ちゃんのケチ!」 最後に彼女は拗ねて、先にリビングへと入っていく。ぼくはその後を苦笑しながら追いかけた。 ――ふと思い出す、彼の微笑みと言葉。きっと手紙の送り主は、偉大な先祖から名を取ったのであろう。 ピアノと共に天使へと託された希望は、手紙の主の思惑通り、奇跡を成らせたのだ。 幻影からの希望の手紙。 アントニオ=ストラディバリ。 |
-あとがき--------------------------------- 未熟、未熟、未熟千万!だからお前はあぁほなのだ〜!!……なぁんて罵声が聞こえてきそうでちょっち反応怖かったりする今日この頃だったりします。 どうだったでしょうか?メモリーズオフ セカンド中篇SS『Stradivarius』。もともとアペンドシナリオ狙いで書いたクセして、容量オーヴァーにオリジナルキャラの登場、その他諸々の要素により出す前から反則しまくりで『こりゃアペンド応募しても通らんだろ』とか諦めモード突入の暇人です。 断わっておきますが、アントニオ=ストラディバリにあんな逸話はありません。そもそもたった2ヶ月ちょいで作ったシナリオ、それほどしっかり調べる時間もなく、全ては俺の想像だけで綴られた物語と化してしまいました。だから、間違っても『Stradivarius』なんて銘打たれたピアノを探したりしないで下さいね。呪われても当方は一切責任負いかねます。 っつーか、自己分析チェ〜ック!チェキチェキ。 1.キャラが違う この物語中最大の欠点でしょう。転じて最大の利点となるかは俺の腕と読者の皆さんの感じ方次第。でも違い過ぎかなぁ…… 2.情景描写がしつこい やってて思わずダルくなるくらいだから、読んでもちょっとしつこく感じてしまうかな?とか思ったりします。 3.ストーリーに無理がある 完成度、って点じゃかなり低いかと。途中かなり強引に繋げたりして、メリハリのないシナリオになっちゃったかなぁ……もっと伏線を張りたかった。 ……などなど、絞りに絞ってこれだからやってられません(−−;まぁ好きなところとかもたくさんありますけどね。 ちなみにあのひたすら延々と長いピアノの描写。音を活字で表現するのは初挑戦です。難しい!難し過ぎる!ただ賞賛の言葉を並べ立ててもしょうがないですからねぇ、描写は……音に限らず風景にせよなんにせよ、描写は改善の余地在りって感じです。 ちなみに司書代理の女の子は……あぁもう言うまでもないか(爆) では、皆さんごきげんよう〜♪感想などお待ちしております。 mail to: yagamihimajinn@hotmail.com Home Page: http://www.tcct.zaq.ne.jp/twilight/index.html |
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