-twilight memory-
第一章 海を臨む碑の前で……
作:暇人(八坂 響)



「どーなってやがるんだ、クラム?!」
 悲鳴にも近い怒号を上げながら、ジェスは廊下の向こうに向けて銃を撃ちつづけていた。もはや味方の安否など気にかけてはいられない。目標を確認もせずに撃ちまくる。
 敵はこの廊下の向こうにいる。そしてその敵のせいで、彼らはもはやなりふり構っていられる状況ではなくなっていた。
「知るか!」
 相棒の怒号が聞こえた次の瞬間には、通路の向こうから爆音が轟いた。手榴弾か何かが炸裂したのだろう。
 敵の放ったものか、あるいは味方のものに誘爆したか。この際どちらでも関係ない。
 クラムは頭に巻いていたバンダナを乱暴に引き剥がし、歯を食いしばる。
「相手は人間じゃねぇ……バケモンだ!」
 僅かに顔を出して、様子をうかがってみる。まだ晴れない遠くの煙の向こう側から、こちらへと歩み寄ってくる人影が一つ。
 盾にしていた壁から、少しだけ上半身をのぞかせたクラムは、両手でホールドしたマシンガンを撃ちまくる。
「神の左手(ゴッド・ハンド)とか言ったっけか?」
 ジェスもそれにならい、自動拳銃を連射する。
 目標の位置をしっかり確認せず、ただ闇雲に撃ちまくるだけの、いわゆる素人撃ちだ。ゴロツキ上がり同然の彼らは、まともな訓練をしていなかった。
「そうさ。百戦錬磨の特A級フリーエージェント……ヤツに狙われて、生きている組織なんてない。ここ二、三年で潰した闇組織は、三桁までいくとかいかないとか言われてる。そのくせ、戦闘での死亡者がゼロとかいうバケモンだよ!」
 壁に火花を散らして掠めた銃弾に驚きつつも、身を隠してクラムは言った。
 その二つ名を持つ者に狙われるという事は、滅びを意味するに等しい。そして今、二人の所属する組織は、たった一人の男の手によって崩れ去ろうとしている。
 相手はなぜか、上から攻めてきた。手段は知らないし、なぜそうしたのかも不明。ただ目の前にあるのは、全滅寸前という現実だけ。
「……スパーズ、なんだろ?」
「噂じゃあな。くそっ、バケモンが……!」
 口汚く罵り、弾倉交換するクラム。この通路の向こう側から、神の左手はやってくる。
「スパーズの連中は、人間をカスだとしか思ってねぇ。俺らなんざ簡単に殺せるんだよ!それをあえて殺さなかったり――胸くそ悪ぃぜ、偽善者がッ!」
 人は、人にあらざる者達の事を、憎悪と侮蔑を込めてこう呼ぶ。
 ――スパーズ――と。
 それはラグナレクの最中、発生理由すら定かでない突然変異によって生まれた亜人種の事である。その語源は”Secondary-person of Psychic-Ability userS”――さしずめ『霊的能力行使者たる第二人類』とでもいうところか。それらの単語の頭文字を取って『スパーズ』と命名された。ちなみに末尾のSは、彼らの存在を初めて公的文書にまとめた際の誤植による物と言われているから、なんともいい加減な名前だった。
 彼らスパーズは外見がヒトとほぼ同じで、一部の例外を除き明確な差異はない。人類と同じく知能を有した生命体――言ってしまえば、人間と基本的には同じだ。ただ、確実に違うある一点を除けば。
 人が決して持つ事のない特殊な能力。念動力(サイコキネシス)、瞬間移動(テレポート)、空中浮遊あるいは飛行、超感覚や精神感応(テレパス)など――彼らは、それ超能力と呼ばれるものを生まれながらにして供えていた。能力の度合いに個人差はあったが。
 そしてそれが故に、スパーズたちは人から怖れられ、敬遠されていた。ひとたびスパーズと知れれば――そうすぐには表立った行動こそ起こさないものの、だんだんと人は近づかなくなり、仲間の輪から外れる事になる。
 ――つまり、ヒトとスパーズの対立は必至だった。
 そして、クラムもやはりスパーズを憎んでいた。たった一人の妹を、ゴミクズの様に陵辱し、自殺に追いやったスパーズ――その恨みの深さは、底が知れない。
 胸中に憎悪をたぎらせ、クラムはマシンガンを通路の方に向けた。
「――誰が偽善者だって?」
 声は唐突に、後ろから聞こえてきた。
『――!?』
 弾かれるようにして、そちらを振り返る二人。いつの間に回りこんだのか――そこには、一人の青年が立っていた。歳は二十歳前後だろうか。流れるように長い黒髪。ブラウンのややくたびれたコートを身に纏っていた。奇跡を紡ぐ左手は、時として滅びすら与える。だが、その瞳の色は薄いフィルタに阻まれ、見る事は出来ない。
 ――神の左手――
 だが、彼らが相手の姿を捉えきるよりも早く――
「寝てろ」
 妙に感情のこもらない声で、彼は告げた。
 青年の右足が自分の顎を捉えてすり上がるのを、クラムは理解できなかった。気が付けば顎に突き上げるような衝撃と痛みがあった。そこからさらに踵落としへ派生。クラムはただ呆然と、自分の顔面に迫る踵を見つめていた。
「て、てめぇ……!」
 ジェスが自動拳銃を青年に向ける。距離は三メートルとない至近距離。回避は不可能だ。
 次の瞬間、二発の銃声が通路に反響する。その音は、妙に高く澄み――喧騒の溢れる廊下に、不思議なほど遠く響き渡っていた。
「―――!?」
 声にならない悲鳴を上げるジェス。彼の右手は、手首から先が握っていた自動拳銃ごとなくなっていた。欠けた手首を捜し求めるかのように、周囲を見まわすジェス。廊下の壁面近くに、それは転がっていた。
「――ぁあぁぁぁぁッ!?」
 思い出したかのように襲ってきた激痛に、ジェスは手首のない右手を振りまわして絶叫した。
 青年はほとんど変わらぬ様子で、ただ佇んでいた。唯一、力なく垂れている左手の様子だけが変化している。
 黒光りする銃身。六発装填可能のシリンダー・ホール。大型という表現すらはばかれるような、黒に金色の獅子を設えた巨大リボルヴァを、その左手に握っていた。この距離で大口径マグナムが命中すれば、手首どころか頭だって吹き飛ばせるだろう。
 抜き撃ち(クイックドロウ)。動きのほんの一部分すらも捉えられぬほどの早さ。それが、『神の左手』と呼ばれる所以でもある。
 いまだに叫んでいるジェスの首を手刀で一撃し、昏倒させる。リボルヴァを左の太ももにベルトで固定されているホルスターに納め、そこで彼は深いため息を吐き出した。フィルタに覆い隠された表情には微塵も感情が浮かんでいない。
「しかし、参ったな。ボスは必ず高いところに上がりたがるだろうから、早くカタつけるために上から攻めてみたんだが――とんだ見当違いだったな」
 小さな独白。その言葉とは裏腹に、微塵も困った様子は受け取れない。
 国家権力など無いに等しいこの時代、世界中のあらゆる地が暴力により支配されていた。金や権力など問題ではない。何よりも勝るは暴力。それに伴い、いわゆる闇組織がいよいよその姿を表面化させてきた。混沌とした時代の幕開けだ。
 だが、力あるもの全てがそういった組織に属しているわけではない。闇組織が多いという事は、それだけ賞金首には不自由しない。世間には掃除屋――スイーパーと呼ばれる、賞金稼ぎとあまりかわりのない職業が増えていった。
 青年もそんなスイーパーの一人だ。もっとも、その手の世界で名が知れるというのは、よほどの使い手であることの証。並大抵のことではない。
 彼が今回受けた依頼は、とある組織に占拠されたこの街の行政府の奪還だった。構成員の生死は問わず。ただし、首領だけは生け捕りにしなくてはならない。
 もう一度だけ任務の内容を思い出してから、青年の背中は通路の奥へと消えて行った。

「――ん?」
 あれからしばらく隠密行動で進んだ後。敵が臆して逃げたか、あるいは彼の行動が完璧なまでに勘付かれないのか。どちらにせよ、全くと言っていいほど攻撃がない。
 隠密行動といいながらも警戒した風もなく歩いていた青年は、一つの扉の前で立ち止まっていた。一瞬、誰かの叫び声が聞こえたような気がしたのだ。この扉の向こうから。
「誰か……いるのか?」
 耳をそばだててみる。――聞こえた。誰かの叫び声。いや、怒鳴り声だろう。
 それを確認した後の行動は素早かった。右手はポケットに突っ込んだまま、彼はドアに近づき――ためらいもなく開け放った。
「――これは……」
 思わず感嘆の声をもらす青年。
 そこは、ちょっとしたホールくらいの大きさがある部屋だった。天井も普通よりは高く、薄暗い中にどこか厳かな雰囲気が漂う。そしてその中央には――
『――あ。おーい!やっほ〜!そこのお兄さん、聞こえてる?』
 ――厳格さも神聖さも欠片ほども持ち合わせていない、場違いで心底能天気な声が響いてくる。
 部屋の中央には、大きな台座が据え付けられていた。硬質な雰囲気を纏った石像に、植物のツタのようなものが、複雑に絡み付いている。
 その上に、声の発生源があった。
『ねえねえそこのお兄さん、実はちょっとここから出れないんだけど、助けてくれない?』
 宙に浮いている透明な多面体の中に閉じ込められた少女が、間抜けな姿勢で手を振っている。活発で身軽そうな服装に、ザックを片方の肩で背負い、腰には一丁の自動拳銃が左右に揺れていた。先ほどから振っている両手には、少女の手にはいささか厳つい印象を与えるグローブをはめていた。ただ、逆さまの姿勢のためか、本来肩口辺りまでありそうな黒髪が逆立っていて、何とも間抜けだった。
「こいつはすごい……」
 だが青年は、そんな少女の様子を無視し、台座に歩みより、注意深く観察する。この薄闇の中、サングラスをかけたままで平然としている。
 目的のものは、すぐに見つかった。台座のもとに埋めこまれたプレートに視線を落とす。そこには、細かい文字が刻み込まれていた。
『少女死すとも、汝のあるべき姿に帰らざる事を永遠に望む。忌むべき御名は、神に身を捧げし乙女。サクリファイス・ヴァルゴ』
 そしてもう一度多面体へ。よく見れば、その多面体は六紡星の陣が複雑に絡み合ってい出来ている。何か呪術的、あるいは宗教的な理由に基づき、この形状になったのだろう。
 やがて彼は、何か合点がいったかのように軽く息をつき、少女が左手に掴んでいる、拳ほどはありそうな水晶球に目をやった。どうやら、あの水晶球を台座から取ると、不可視の檻が出現するような仕組みになっているらしい。水晶球を守るためのトラップのようだ。無論、ただのガラス檻ではないだろう。叩いたくらいで割れるとは思えない。
 おそらくここを襲った組織の連中は、それを知っていたのだろう。もし彼女が組織の人間なら、この部屋は組織の人間で溢れていたはずだ。つまり彼女は――
「なるほど。ただの盗人か」
『って、なんでそんな結論に達するの!?』
「この状況で、それ以外に何が考えられる?」
 青年の口調はあくまで冷たい。確かに彼の言う通り、彼女は物盗りに見えなくもない。
『あ、あたしはただ、この水晶球がすごく綺麗だなぁ〜って思って……!触ったらこうなっちゃったのよ』
「そうじゃない。そもそもお前は、なぜここにいる?」
 はじめて少女の顔に緊張が走った。訊かれたくない事を訊かれた――そんな表情。視線を床に落とし、彼女は沈黙した。青年の鋭い視線が少女を射抜く。
 確かにそうだ。彼の言う通り、こんな少女が闇組織に乗っ取られたビルにいるという時点ですでに怪しい。彼女が物盗りであれば話は変わってくるのだろうが。
「答えろ。お前はなぜ、ここにいる?」
 彼の頭の中にある考えは、これが何らかの罠であるというものだった。見た目にも華奢な少女を餌にして、彼女を助けようとしたところで、何らかの罠が働くのだろうと読んでいた。この部屋から他に人の気配はしないから、罠の正体は伏兵ではない。何らかの機械的なトラップだ。
 少女は相変わらず黙して語らない。そんな彼女の様子に、彰の読みは予想から確信へと変わった。
「……そうか、言えないのか。ならもうここに用はないな」
『え!?ちょ、ちょっと待ってよ!』
 慌てて引きとめようとする少女。ますます怪しい。
「理由も話せないのに助けろとは、随分と都合のいい話だな?」
『わ……わかったわよ。話せばいいんでしょ……?』
 ついに彼女は折れた。それでもまだ躊躇しているようで、何度か言葉を詰まらせていた。
 だが青年の意識は、少女の語る話になど向いていなかった。どの方向から、どのタイミングで、どのようにして攻めてくるか。それだけを警戒していた。
 そのため、次に少女が言った言葉も、危うく聞き逃すところだった。
『あたしは、街の人達に雇われたスイーパーよ』
「…………何?」
 一瞬自分の耳を疑った。これも罠だ。頭の中でそう告げている部分があるが、罠であるのかどうか考える事すら馬鹿馬鹿しくなるような話だった。
『だから、あたしは街の人達にここの奪還を頼まれたスイーパーよ!その……多分、あなたと同じで』
 ひとしきり叫んで、顔を赤らめて視線を背ける。これだけの仕事を頼まれるという事は、そこそこに名も通った人物だったのだろう。それが、こんなつまらないトラップに引っかかってしまったと言っている。
 ふと、命からがら脱出してきたという市長の話を思い出した。確かに『昨日雇ったスイーパーからは定時連絡すらなく、もはやあなたを頼るしかない』とか言っていた記憶がある。それで断るに断りきれず、仕方なく依頼を受けたのだ。
 スイーパー――すなわち掃除屋。掃除といっても、彼らが掃除すべきゴミとは社会の中に巣食うゴミたち。ライセンスの所有を許された者が犯罪者を生死問わず捕え、これを政府もしくは警察に引き渡す。いわば犯罪者捕縛専門の警察代理だ。もっとも、それだけで生計は成立しない。依頼主は警察ばかりではないのだ。市長から依頼される事もあれば――逆に犯罪者から依頼がくる事もある。体のいい『何でも屋』なのだ。
 それは目の前の少女からはとても想像もできそうにない職業だった。あるいは相手にそう思わせる事が最大の武器なのか。だが、そこまで青年の考えは及ばなかった。
 彼女の口調や仕草から、これが嘘であると判断できる要素は見つけられない。彼女が大女優並の演技力を持ち合わせているか、それとも語られたこと全てが真実なのか。
「……後者だろうな、間違いなく」
 ため息をつき、呆れたように小さく呟く。もし仮に前者だったとしても、それはその時考えれば済む話だ。
 そして呟いた言葉が終わるか終わらないかという刹那の瞬間。
 ――五発の銃声が響いた。
 気が付けば、彼は少女の方に銃を向けていた。銃口からは、細い一筋の煙が立ち昇っている。
『――え……?』
 それまで恥ずかしげにうつむいていた彼女は、思わず呆けた声を上げてしまった。だが、彼女が事態を把握するより一瞬早く、甲高い音を立てて、透明な多面体は砕け散った。
「うわっきゃぁぁッ!」
 妙な悲鳴を上げながら、床に尻餅をつく。頭から落ちなかったのは、不幸中の幸いだろう。それでも水晶球を手放していないのは、さすがと言うべきか意地汚いと言うべきか。その上から、透明なガラスのようなものが彼女に降り注ぐ。さすがにマグナム弾を五発も叩きこまれては、ガラスの材質が相当の防弾ガラスであったとしても、中が普通に見える程度の厚みでは耐えきれなかったのだろう。
「いたたた……」
 お尻の辺りをさすりながら、忌々しげに少年を見上げる。
「ちょっと!一体どーいうつもりよ!?」
「どういうつもり……とは?」
 チェンバーにまた銃弾を詰めながら、平然と言ってのける青年。
 それとは対称的に、少女は頭に血が上っていた。
「せめて一言声かけてからにしなさいよ!」
 やや恨みがましい目つきで、青年を見上げる少女。立ちあがった彼女は、拳ほどの水晶球――いくつかの白い光点のようなものが浮かぶそれを、ちゃっかりザックの中にしまいこんでいた。
 チラッと見ただけだが、その水晶球にはどこか不思議な魅力があった。見るものを暗闇の中へと引きずり込んでしまうかのような、危険で、しかし視線を逸らせなくなる――例えるならそれは、麻薬にも似ていた。それ故か、青年は少女の行動を、あえて咎めようともしなかった。ただ、プレートにあった『サクリファイス・ヴァルゴ』という名前に、どこか引っ掛かりを覚えていた。
「……あげないからね」
 それに気付いたのか、バッグを背にかばうようにして、恨みがましい目つきで青年を睨みつける少女。
「助けてもらっておいて、開口一番にそれか。礼もなしとはなかなか失礼なヤツだ」
「う、うるさい!」
 ため息を吐いて言った彼の言葉に痛いところを突かれたのか、少女は言葉を返せなくなった。
「あの市長、よっぽど困ってたんだろうな……こんな小娘雇ったくらいだから」
「な、なによそれ〜!」
 小バカにしたような青年の態度に、少女は不満を爆発させた。
「こ、小娘?今、小娘って言ったわね?」
「あぁ、言った。胸も色気もなければ罠を見破る目もない。女としてもスイーパーとしても半人前の未熟者だな」
「胸がないとか言うな〜!」
 冷めた口調の彼の言葉には、嫌らしさはもちろん、温かみなどが決定的に欠けていた。ただ淡々と事実を述べているだけ。そんな口調。――事実、彼の言っている事は全てその通りなのだが。
「う〜ッ!……いいわよ、じゃああたしの力を見せてあげるわ」
「あの程度の罠に捕まるような力か?足手まといだな」
「……いちいち癇に障るわね……いいわよ、とりあえず行きましょ」
 再び恨みがましい視線を青年に送る少女。彼を振り切るようにして歩き出し――
「――と、そうだった」
 足を踏み出しかけて、彼女は何かを思い出したかのように振り返る。
「あなたの本名、まだ聞いてなかったわね。よかったら教えてくれる?」
「……宮藤彰(くどうあきら)だ」
 少しだけためらって、彼はその名を口にした。
「宮藤彰?普通の名前してんのね」
「悪かったな、普通の名前で。そういうお前は?」
 少女の後を追うようにして、彰が問いかける。
「あたしは亜紀。山城亜紀(やましろあき)よ。呼び捨てで構わないわ」
「亜紀……か」
 小さく口の中で唱える彰。亜紀は彼の様子を、何か物言いたげな瞳で見ていた。
「……?なんだ?」
「いや、その……宮藤彰って、どっかで聞いた名前だなあ〜って思って」
 首をひねってうめく少女を横目に、彰は小さく嘆息した。
「神の左手、のことか?」
「あ、そう!それ!」
 合点がいったのか、両手を、ポン、と合わせる亜紀。
「悪は決して許さず、しかし一人も殺さない、不殺(ころさず)を貫くスパーズにして孤高のガンマン!そんな噂をよく聞くけど……」
 彼女のセリフに嫌味や皮肉はなかった。だが――
「……何が言いたい?」
 またも物言いたげな視線を送る亜紀に、彰は先を促した。
 大体予想がつく。彼女が言いたいのはおそらく『スパーズである事』の部分だろう。掃除屋という職業は何かとスパーズにかかわりを持つ事が多いが、その人間から排スパーズ思想が消えるわけではない。
 だが、彼女はものの見事に彰の予想を裏切った。
「別に。ただ、こんなにもクールでむかつくヤツだとは思わなかっただけ」
 そう答える亜紀の言葉に、彰は少し驚いた。
「……お喋りが過ぎたな」
 彰はその小さな驚きをごまかすかのように、まだ首をひねっている亜紀に冷たく告げると、きびすを返してドアへと向かった。
「あ、ちょっと待ってよ!」
 置いて行かれまいと、彼の背中を小走りに追う亜紀。そして二人は、主のなくなった台座だけが鎮座する部屋を後にした。

 ――そして、数十分後。
 二人は、迷っていた。
「おっかしいなぁ……確か、こっちであってたはずなんだけど」
「………………」
 元々彰は『上から侵入すればケリがつく』と考えていたので、街の人達からビルの内部マップを受け取っていなかった。
 それを知った亜紀は、『マップはすでに暗記してある』と、自らの力を彰に知らしめるためもあり、自信たっぷりに自分からナビゲーターを買って出たのだが――
「お前に任せた俺がバカだったという訳か」
 冷やかな一言に、大きく一歩を踏み出しかけていた亜紀の動きが止まる。
「うぅ……えっと、そのぉ……」
 言い訳のしようなどあるはずもない。これは完全に彼女のミスだ。もっとも、彰もこれまでは適当にうろついていたのだから、あまり大差はないわけだが。
「そうよ!ここの角をこっちに行けば、階段があったはずだわ!」
 自らが指差した方向へ、自身たっぷりに歩いていく亜紀。その後をついて行く彰。だが、彼らが辿り着いた場所はただの倉庫だった。
「えっとぉ〜、その……」
 ここまで来ると、弁解の余地などあるはずもない。
 もはやため息をつく気力すらなくなった。彰は諦めて、愛用のリボルヴァを引き抜いた。
 巨大な銃身。黒のボディにつやめいて光を弾く――猛々しく咆えていると言うより、天を仰いで嘆いているかのような――金の獅子。六つのホールを抱え込んだシリンダー。大型の回転弾倉式拳銃(リボルヴァ)――さながら百獣の王が獲物を狙うかのごとく、その銃口は標的を睨み付け、威圧する。
 少々変わった、芸術的といってもいいほどの意匠を施された装飾銃。これが殺人の道具だといわれて、どれだけの人間がそれを信じるか。それほどまでに美しい銃だった。
 その大口径マグナムを、左手で構える彰。
「何するの?」
 妙に嫌な予感が脳裏を掠め、亜紀は尋ねた。具体的に何をしようとしているのかはわからない。ただ漠然と、何か嫌な予感がした。
 彰は、それを床に向け、質問には答えずに瞳を閉じる。
 やがて、目を開き――
「お前があまりにも頼りにならないから、実力行使にでる」
「……一言で言うと?」
「力押し。道がなければ作るまで。床を爆砕するから、着地には気を付けろよ」
 返答を口にすると、亜紀が何か言おうとする前に、彼はトリガーを引いた。放たれる銃弾。黒いそれは、吸い込まれるようにして床へ伸びて行き――
 357マグナムは兆弾もせず、床に突き刺さった。それだけ。後には何もない。
 例えマグナム弾とはいえども、肉厚のコンクリ壁を一撃で撃ち抜けるほどの威力は持ち合わせていない。
「……えっと……で、何を?」
「道作りだ」
 戸惑う亜紀に、相変わらずの彰。
 ――ぴしっ。
 その時、小さな――だが致命的な音が鼓膜を刺激した。よく見ると、床のそこかしこに白い光が飛び散り、その後をついて行くかのように亀裂が走っていく。
「弾に能力(ちから)を込めた。簡単な事だ」
 涼しい顔で説明を入れる彰。だが、これから起こるであろう事態を想像していた亜紀の耳には届かなかった。
 空耳などではない。音はだんだんと大きくなっていく。
 ――亜紀は逃げ出そうとして……僅かな差で逃れる事は出来なかった。
「――うきゃぁぁぁぁっ!」
 突如床が崩れ、足場を失った亜紀は、下の階層へと自由落下していく。彰も同様だが、こちらは表情一つ変えない。穴をあけた張本人なのだから、当然と言えば当然なのだが。
「――きゃうっ!」
 変な悲鳴を上げて、亜紀は本日二度目の尻餅をついた。
「つつ……」
 かろうじて受身は取れたものの、およそ五メートル弱の高さを落ちたのだ。痛いのが普通である。
「あんたねぇ!ここはまがりなりにも街の人達の建物よ!?それを爆砕するなんて、どーいう事よッ!?」
 すかさずまくし立てる亜紀。そんな彼女の様子に、彰はまた驚いた。
 普通、スパーズの能力を目の当たりにして、平静を保っていられる人間はいない。だが、亜紀はまず文句を言った。それも自分の体の事ではなく、街の公共物を破壊したという事に対して。その事に少なからず、彼は衝撃を受けていた。
 ――まだ、こんな人間もいたのか……
「組織の連中のせいにしとけば問題ないだろ。それに、公共物を無断で持ち出したお前に言われたくはないな」
 打った部分をさすりながら非難する亜紀の言葉を、それでも彰はさらりと返した。無論、内心考えている事など欠片ほども気付かせない。
 腹の立った亜紀は――図星を突かれた事もあり――彰にさらなる罵声を浴びせるべく、亜紀は彼の方に視線を向け――
「……ちょっと」
 悪態を付くのも忘れ、問いかける。いや、声は小さく、問いかけになっていたのか――
「なんであんた、立ってるのよ?」
「?……どういう意味だ?」
「何であんたは!足から着地できてるのよ!?」
 座り込んだまま、亜紀は怒鳴った。
 感心した矢先にこれだ。苦笑しそうになって、それを無理やりかみ殺す。考え方が変わっているのか、単純に気付かなかっただけなのか、その判断に苦しむ。不思議な少女だ、と思った。
「それは当然――」
 能力を使ったに決まっている――亜紀の問いにそう答えようとして。
 振り返り、発砲。
「……え?」
 ――どさっ。
 亜紀が呆けた声を上げるのと、何かが倒れる音がしたのは、ほぼ同時だった。
「――!?」
 弾かれるようにして、彰が撃った方に視線を走らせる。うつ伏せに倒れ伏す男が一人。これも見事に急所を外しながら、戦闘力を奪っている。しかし、さらに向こうの方から、複数の足音が聞こえて来た。
「また気付かれたか……鬱陶しい」
 一度は派手に暴れたものの、面倒になったため、亜紀に出会う前までは隠密行動に出ていたのだ。その時は追っ手を完全に振り切っていたのだろうが――
「そりゃあんた、あれだけの音を立てれば、気付かれるのは当たり前でしょ」
 彰の手を借りて立ち上がりながら、亜紀は呆れたように言う。
「あるいは、さっきの怒鳴り声が聞こえたか……」
「あんたそれ、本気で言ってんの?」
 ジト目で睨む亜紀に、彰は肩をすくめ、
「とんだ足手まといだったな」
「ほほぉ、随分言ってくれるじゃない……」
 亜紀は軽く流そうとしているようだが、額には青スジが浮いていたりする。
「冗談だ」
 それを止めたのは、無表情のまま言い切った彰の声。
 ――ひょっとしてあれって、ギャグかなんかのつもりだったの……?
 それはそれで恐るべきセンスのなさ――というか、彼女にしてみれば全く笑えない――なのだが、彰の表情が引き締まったのを見て、頭からその考えを締め出す。
 彰の顔から表情が消えていた。薄暗いフィルタのかかった奥からでもわかる、鋭くとがった冷たい光。人を殺せる人間の瞳だ。
「一時的にしろ、お前は俺のパートナーだ。それ相応の技術は持っているはずだな?」
「まあね。逃げ隠れするのは得意よ」
「………………」
「……冗談通じないわね」
 つまらなさそうに言って、亜紀は腰のホルスターから一丁の銃を抜いた。ワルサーP38。ドイツ系の拳銃で、拳銃にしては芸術的なまでの精度を誇る。もっとも、芸術品ゆえ互換性が非常に悪く、他の汎用性の高い銃に負けた代物だ。
 相当使いこまれた物らしく、グリップの部分には様々な傷が残っている。かなり古い。おそらく彼女の前に誰かがあの銃を使っていて、それが亜紀に譲られたに違いない。
 なぜ亜紀が、そんな古い銃を使っているのかは気になったが――彰は特に突っ込んで訊く気にはなれなかった。
 ――亜紀にも知られたくない過去の一つや二つ、あるだろうしな……
 彰は、他人の秘密――特に、本人が隠したがっているような秘密――には干渉しない主義だった。
 自分自身も、それなりに重い過去を背負っているから。
「後ろの――」
「後ろの二人は任せて。そっちは六人もいるけど、大丈夫?」
 彰の言葉をさえぎるようにして、亜紀が口を開いた。さっきまでのあっけらかんとした口調は消えている。
「……上出来だな。任せておけ」
 彼はそれだけ答えると、臨戦態勢に入った。
 彰は、六人の武装した人間を、たった一丁のリボルヴァで相手すると言っているのだ。確かに彼の戦闘力や、銃弾の数などから考えても、奇襲などならば不可能ではないだろう。だが、攻めて来るのは相手の方。こちらは守りである。
 それでも彼は、援護を依頼してこない。倒せる自信があるのだろう。
「じゃあ……任せたわよ?」
「ああ」
 特に何の気負いもなく、返事する彰。
 いよいよ足音が近づいてきて――
 彰がいきなり、敵がやってくる方とは反対の壁側に跳び、素早く三連射。まだ敵は飛び出してきていないのだが――
 次の瞬間、甲高い金属音が通路に反響し、複数の悲鳴が聞こえてきた。足音は止まり、残りのものはその場でうろたえているようだ。
 さすがにこれは意外だった。亜紀にも何が起きたのかわからなかった。思わず彰の方を振り返ってしまい――
「何をしている!」
「――!?」
 彰の声で我に帰り、後ろを振り返った時にはもう遅い。二人組みの男が、彼女の頭をポイントしていた。
 そして、亜紀は迷わず――もう一度振り向き、男達に背を向けた。
 交錯する轟音。
 数発分の銃声が響き、赤い液体が飛び散る。銃弾は腹部を貫通し、かなりの銃創を形作っていた。少しの間を置いて、それはゆっくりと倒れ伏す。
 それ――二人組みの男達は。
 そして亜紀は、迷わずトリガーを引いた。彰へ――正確にはその後ろにいる、たった今飛び出してきた六人の内の残りである三人組の男に向かって。
 放たれた銃弾のいずれも、男達を外さなかった。武器を取り落とし、それぞれ傷を押さえてうめく男達。中には重傷の者もいるようだが、助けてやる義理など全くない。
「……ナイスショット」
「な、ナイスショットじゃないわよ……一体何したのよ?」
 刹那のうちに起きた、死のギリギリ一歩手前の戦闘。そのせいか、亜紀の心臓はまだ高鳴っている。死闘の経験はなくもないが、防御に転じた状態での死闘はあまりない。どちらかといえば奇襲や搦め手が得意なので、常に攻めるよう心がけているのだ。
「何、とは?」
 そんな亜紀の内心を知ってか知らずか、彰はいつもの調子で問い返した。
「さっきのあれよ。壁に向かって銃弾撃ったら、いきなり敵の何人かの悲鳴が聞こえてきて……」
「あぁ……あれか」
 得心がいったように呟くと、愛用のリボルヴァをもてあそびながら、
「弾を壁に反射させて撃った。もちろん急所は外してあるから、死んじゃいない」
「…………はい?」
 思わず呆けた声を上げる亜紀。
 彼がやってのけたのは、ボールを壁に反射させるのとは訳が違う。入射角や反射角、壁の状態や弾丸の形状とスピード、それに加えて自分と敵の相対位置など――それら全てを把握した上で、なおかつ抜群のセンスと技術が要求される。『高度な技術』程度では済まされない。それであえて殺していないというのだから、まさしく神業だ。
 ――あるいは、そうした要素もあるからこそ、『神の左手』という二つ名がついたのかもしれない。
「さて。また敵が来ない内に逃げるか」
「へ?に、逃げるって……」
「ここから先に進む、ってことだ。……もう一回やるか」
 その一言に、果てしなく嫌な予感が走った。亜紀はやや身を引き――
「そうだな……三階層くらい、まとめて行ってみるか?」
「………………え?」
 一瞬、亜紀は自分の耳を疑った。足が凍りつく。
「えっと、それは一体どーいう――」
「しっかり着地しろよ。俺もフォローにはまわれないからな」
 事情の説明を求めようとした亜紀の言葉をさえぎり、彰はさらりと無茶な事を言った。左手に握ったリボルヴァが、淡い燐光を纏っている。この燐光が、彰の能力の正体なのだろうと、亜紀は直感的に悟った――のだが、今はそれどころではない。
「ちょ、ちょっと待っ――」
「砕けろ!」
 一足遅かった。さっきと同じように、彰は自分の足元に銃弾を撃ちこむ。違うのは、弾の威力だ。ただのマグナムではない、文字通り常識外れの威力を持つ魔性の弾丸だ。
 ほのかに白く輝く銃弾は、床をあっさりと貫き、巨大な亀裂を刻んで、下の階層へ消えて行く。
「――いぃぃやぁぁぁぁぁッ!」
 数瞬の後、床が轟音を立てて崩れた。不安定な姿勢で下を見てみると、そこには床がない。やはり砕け散っているようで、彼女が見たところによると、明らかに五階分は貫通している。
「もぉダメ!父さん母さんごめんなさい!あたし、そっちに逝くかもしれない!――なんてセリフ言ってる場合じゃなくて……よっ!」
 自由落下を続けているにもかかわらず、思いのほか冷静に態勢を整え、事態の打開策を考える亜紀。あるいは、ある程度心構えができていた事が幸いしたのかもしれない。
 だが、彼女は空を飛ぶなどという事はもちろん、宙に浮く事も出来るはずがない。
「あれね……」
 心は決まった。勝負は一瞬。それを逃せば、自分はあの世逝きだ。右手グローブの甲に、そっと左手を添える。
「――今っ!」
 一喝と共にそれを引き伸ばし、右手を大きく振りかぶった。その手の甲から伸びる、三本の細い線。それが、床の裂け目からのぞいていた機構材の一つにからみつき……
「よっ……と!」
 先端に重りをつけた頑丈な三本のワイヤーを構造材に絡めて利用し、ブランコの要領で落下速度を殺して、彼女は手をつきながらも何とか着地した。
 一呼吸ほど遅れて、彰が着地する。こちらの方は何の危なげもなく、やはり足から着地した。ある程度の浮遊能力が、彰にはあるのかもしれない。
「………………」
「……ん?どうした?」
 何か物言いたげな視線で見つめてくる亜紀に、彰は戸惑ったふうもなく尋ねた。
「……別に」
 少し唇を尖らせて、亜紀はそっぽを向いた。
「……ならいいんだが」
 納得してはいないようだが、食い下がっても仕方がない。太もものホルスターに銃を戻し、きびすを返して歩き始める彰。相変わらず、物音一つ立てない。
 その後ろを少し後れてついて来る亜紀。彰が両手をコートのポケットに突っ込んだままなのに対し、彼女は銃を手に警戒を怠っていなかった。
「案外静かね」
「そうだな。あるいは、何か切り札でも持っているのか」
「お、脅かさないでよ。……ん?」
 眉をひそめる亜紀。自分たちの進行方向から、妙な音が聞こえたからだ。重々しい機械音。通路の先が影になっているせいで、それの正体を見極める事は出来ないが――二人とも、大体の見当はついていた。単調な歩調で、大きな足音がこちらに向かっている。その正体に、彰は一瞬で気付いた。
「……どうやら、切り札のお出ましのようだな。えらく旧式だけど」
 おどけた調子で肩をすくめると同時に、亜紀を壁側に突き飛ばし、自分は反対側に跳ぶ。
「――きゃっ!」
 亜紀の小さな悲鳴と同時に、微かに瞬く銃口炎(マズル・フラッシュ)。くぐもったような銃声しかしなかった。おそらく減音装置(サウンド・サブレッサ)を装備しているのだろう。さっきまで二人のいた空間を、二本の火線が貫いていった。
 それに呼応するかのごとく、立て続けに轟音が響く。
 彰が反撃した。受身を取り、転がっている途中で一発。立膝の姿勢で、もう二発。甲高い金属音。おそらく全て弾かれているだろう。それとほぼ同時に、それは暗がりから姿を現した。
「……機械兵(ウォーカー)……!」
 驚きの声を上げる亜紀。
 灰に近い白で統一された人型のボディ。生半可な銃弾では貫くことの出来ない強化セラミックス多積複合装甲は丸みを帯びていて、元々の頑丈さに兆弾性を与えていた。
 見た目には割りと華奢な印象がある。ちょうどそれは装飾を一切取り払った、中世の全身鎧(フルアーマー)に似ていた。
 電磁筋肉(マッスルシリンダー)と駆動装置(アクチュエーター)で稼動する腕は、片方でM60ガトリングガンを軽々と操るほどのパワーを秘めている。この機械兵の装備は頭部の簡易バルカンだけのようだが、マニピュレーターを使用すれば人間が扱う既存の火器をそのまま転用できる。
 ラグナレク時に使用された機械仕掛けの兵士達。戦場はヒトに取って代わって機械兵で埋め尽くされたという。今も無傷のものや一部破損しているものが発掘・改修され、使用されている。
 唯一の欠点は、反射行動以外は既存のプログラム以上の行動を人工精神集積回路(ブレイン・サーキット)が実行できないことだが、それでも生身の人間の勝てる相手ではない。
「シンニュウシャニツグ」
 単調な声で、機械兵が話し出した。おそらく、あらかじめ仕組まれれていた警告プログラムだろう。その声には抑揚がなく、感情が欠落していた。機械兵とはこういうものだ。
「タダチニブキヲステ、トウコウセヨ。シジニシタガワナイバアイハ――」
「――どっちみち、殺すんだろ?」
 機械兵の声をさえぎり、発砲。銃弾は機械兵の装甲で弾け、暗がりの中へ消えて行った。機械兵の装甲には傷一つついていない。
「……装甲だけは、いい物使ってるんだな」
 少しだけ驚いたように――どうもわざとらしい驚き方だが――呟き、サングラス越しに機械兵を見据える。
「コレヨリ、ハイジョヲカイ――」
「遅い」
 機械兵の口上をさえぎり、彰は突進した。簡易バルカンを構える機械兵。しかし彰は、その直前で跳んだ。天井すれすれの高さまで跳躍。放たれた火線は、無為に虚空を切り裂くばかりだ。
 即座に反応し、目標を修正する。だが、銃口を上げようとした機械兵の行動は、亜紀の援護射撃によって阻害され、一隙を作ってしまう。機械兵の気が一瞬、亜紀の方へ向く。
 そして彰には、その一瞬で事足りた。
 機械兵の肩口に着地した彰は、リボルヴァを動力ケーブル――人間でいう首に当たる部分――に向けようとする。そこが機械兵の最大の弱点だ。ラバー処理された金属繊維で覆っているとはいえ、装甲がないために攻撃が素通りしてしまう。そして機械兵にとっても、多くの中枢神経系を収めた首は急所だ。
 だが、それでもその機械兵は頭部のバルカンを彰に向けた。銃口が光を反射し、鈍く輝いている。目標をロックオン。ロックまでに要する時間は僅かコンマ四秒足らずで、そこから発射まで一秒とかからない。人間の照準動作などより遥かに早い。たとえ弱点を狙われたとしても、その機械兵には先制して目標を倒す自信があった。少なくとも、それの人工精神集積回路はそう判断した。
 が、そこで予測していなかった事態に陥った。いや。元々機械兵には予測できない事態だ。
 ――見失った。侵入者――彰を。
 常識で考えれば、あり得ない話だった。人間が機械兵の早さを越えるなど。
 戸惑ったのもほんの一瞬。すぐに全センサを駆使しての、三百六十度全天高速走査(スキャン)を開始する。鋭敏な知覚は、どんなに小さな虫一匹すら見逃さない。――はずだった。
「――哀れだな」
 声は、背後から聞こえてきた。戦闘プログラムにより出された判断の結果、真っ先に走査した場所だ。そしてそこには、何もいないという判定が下されたはずだった。もしセンサーが故障していないのなら、彰が何らかの方法でセンサーを騙したのか、あるいは秒間100フレームの処理能力を持つセンサーが感知するより早くそこに現れたかのどちらかだ。
 機械兵に『悩む』とか『考える』という機能はない。組まれているプログラムや、既存のデータをもとにただ計算し、それに従うだけ。不整合エラーが発生したとはいえ、それは些細な問題だ。声が聞こえた瞬間には、振り向いていた。
 しかし、それよりも早く放たれた銃弾は、機械兵の頚部――動力ケーブルを、正確に射抜いていた。
 ――ず……しゃぁ……
 重々しい音と共に、機能を停止した機械兵が床に崩れる。その電子網膜には、最後の瞬間、闇の中に光を弾いてほのかに輝く、サングラスのフレームが浮かび上がっていた。
 亜紀はそれを、ただ呆然と眺めていた。彼女がした事といえば、援護射撃を一回だけ。あとは全て、彰がやってのけてしまった。たった一人で。
「――なっ……」
 長い沈黙の後、やっと彼女は声を絞り出した。
「何したのよ……今……?」
「?……見てなかったのかよ?ヤツの股をくぐって、後ろから撃っただけだ」
 銃をしまいながら不思議そうに、彰。これと同じ問答を、今日だけで一体何度繰り返した事か。
「それはわかるわよ。あたしが聞きたいのは、どうやってあいつの『目』をごまかしたのか、って事よ」
「あぁ、なるほど」
 彰は納得がいったようにうなずくと、
「能力でヤツの人工精神集積回路に働きかけて、全感覚を麻痺させた」
「…………はい?」
「目隠しをしたんだと思えばいい。元々ヤツの方が速いんだ。まあ、小細工なしでも何とかできるんだがな。余興だよ、余興」
 事も無げに彰は言った。それが、さも当然であるかのように。
 ――からかったって事?機械兵を!?
 内心舌を巻く亜紀。
 例え腕利きの傭兵であっても、機械兵はそう簡単に勝てる相手ではない。電磁筋肉から引き出される力は重武装の兵器を軽々と操り、その装甲は生半可な攻撃など一切通用しない。ものによっては、対戦車ロケットの直撃にすら耐え得るのだ。
 さっきの機械兵はジェネレーターにガスタービン・エンジンを使用した旧式――実はこの表現は正しくないのだが――だったせいか、駆動音が響いていたが、プロトアクチニウム小型核融合反応炉(リアクタ)を使用した新型の機械兵は、完璧に近い静粛性と隠密性を実現している。こうなると、ヒトの手で機械兵を倒す事は実質不可能だ。
 それを、からかったというのだ。
 ――只者じゃないわね。神の左手の二つ名は伊達じゃない、って事か……
 さっきは散々に言われたせいもあってか、彼に対して反発心を抱いていたが、これを見せつけられてはもはや認めざるを得まい。
「何してるんだ?さっさと行くぞ」
 彰が、機械兵の出てきた方を指差し、促す。
「え?なんでそっちなの?」
「なんでって……あいつはこっちから出てきただろ?つまり、こっちに行けば、その内ボスのところに辿り着く、ってわけだ」
 いちいち説明してくれる彰。
「あぁ、なるほど。頭いいわね」
「お前が悪すぎるだけだろ」
 あっさり切り捨てると、彰は歩き出した。サングラスをかけているせいか、冷たい印象がやたらと強い。
 ――やっぱ腹立つわ……!
 いつか仕返ししてやると心に決め、亜紀は後を追った。

 ――十分程後。彰の考えは正しかった事が証明されたのは、言うまでもない。切り札すら通用しなかった相手――神の左手を前に、組織のボスはなす術もなく取り押さえられたのだった。




>> 第二章 淡い雪の降る場所で……




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