-twilight memory-
第六章 我が心を楔とし……
作:暇人(八坂 響)



 ――これで何度目になるか、もう数えるのも馬鹿らしいほど二人は激突を繰り返していた。紫乃が高速で突進し斬りこんでくるが、彰はそれをうまくかわし、決して懐には入らせない。入られたところで、紫乃の刃は彰の装飾銃の前に阻まれる。
 だが、決定打をうてないのは彰にしてみたところで同じだった。武器の関係上、あるいは能力の関係上、彰にとっては間合いは開いている方が有利である。しかし同時に飛び道具が決定打になる事はなく、また彰に撃つ事を許さないほどに紫乃の攻撃は激しく、執拗だった。
 紫乃の刀を銃で防ぎ、圧し返し、撃って牽制する。そう、あくまで牽制にしかならない。能力を込めた弾丸であっても、あの黒い刀の前にはただの銃弾同然だった。弾はあっさりと弾かれ、その間隙を縫って再び紫乃が接近して来る。迫り来る黒い軌跡を受け止めようと銃を掲げかけて――彰はそこで、考えを変えた。
 彰が左手から右手へ銃を持ち替える。その行動によって、紫乃の中に一瞬の躊躇が生まれた。彰が左利きなのは明白だ。右に持ち替えたところで、命中精度と発砲速度が下がるだけ。メリットなどあるはずがない。しかし目の前にいる蒼眼の男は――自信に満ち溢れていた。躊躇そのままに刃を振り下ろしたため、僅かな隙が生まれる。
 その隙を見逃す彰ではない。刀の腹をグリップの底で思い切り叩き、逸らす。
「―――!」
 続けて彰の左手が閃く。神の左手の名に恥じぬ速さ。そこに現れたのは装飾銃ではなく、激発状態の手榴弾。短いストロークで、密着同然の紫乃に投げつける。
「阻め!」
 手榴弾が大爆発を起こすのと、彰の左手に能力の障壁が展開するのとは、ほぼ同時だった。あれをまともに受けていればひとたまりもないだろう。能力によってその威力を全て殺していた彰は、当然無傷だった。
 しかし条件は紫乃もそう変わらない。不意を突いたか突かれたかの違いだけ。この違いは大きいようで、しかし相手が相手なだけにあまり効果は期待していなかった。
 爆発で巻き起こった煙の中から抜け出す彰。だが、それを追って一つの人影が踊り出た。紫乃だ。所々焦げてはいるが、大きなダメージがあるようには見えない。
「―――!?」
 今度は彰の方が不意を突かれた。ここまで立ち直りが早いとは思ってもみなかった。慌てて牽制射撃を行うが、放たれた銃弾はあっさりと弾かれる。それだけではない。その斬撃は衝撃波を生み出していた。
 身体をねじって身をかわす彰。その胸を衝撃波が浅く切り裂いた。鮮血が迸る。その量がやけに多いのは、以前斬られた傷が、今の攻撃と度重なる激しい運動によって再び開いたからだろう。
 紫乃は速度を落とさず、むしろ加速して突っ込んでくる。銃を撃ってどうにかなる距離でも状況でもない。彰は左手を自分の傷にあてがって、その血に能力を込めた。赤い飛沫を左腕の一振りで飛ばす。僅かな能力を与えられたそれは、防ぎようのない小さなシャワーとなって紫乃に降り注いだ。防御のために急制動をかける紫乃。その間に彰は銃を左手に持ち替え、ありったけの能力を込めた弾丸を撃ち放った。
 轟音。閃光が縦横無尽に荒れ狂い、防御姿勢をとる男の体をさらに後方へと押しやる。
 そこへ彰の追撃。針の穴を縫うような緻密な射撃は紫乃の隙を確実に襲い、徐々に追い詰める。
「――ちッ!」
 それまで防戦に回っていた紫乃が再び攻勢へ転じる。銃弾を受け止めるのではなく、斬りとばす。副次的に生まれた衝撃波が彰に牙をむいた。
 彰はそのどれをもかわすが、ちょうど弾切れだった。ここぞとばかりに紫乃が攻めたてようとする。リロードしている暇などない。
 右手の中に小さな光を灯す。十分に紫乃を引きつけたところで、彰はそれを解放した。
「――注げッ!」
 閃光の弾はしばし宙を漂った後、無数の光の矢と化して紫乃に襲いかかった。文字通り光の雨だ。物体――紫乃の場合は黒刀だ――を媒体としてのみ能力を行使する紫乃は、彰のように純粋な能力だけを放つ事はできない。つまり、この光の豪雨を全て刀で叩き落さなくてはならないのだ。無論そんな芸当ができる者などいるはずもない。大部分はかわすか叩き落すかしたが、数条が彼の身体を貫き、掠めている。
 すかさず彰が距離を詰める。光の雨を追うようにして接近してきた彰に対し、攻撃を加える余裕など紫乃にはなかった。拳がまともに紫乃の鳩尾に決まる。
 刀で反撃を試みるが、あまりにも深く懐へ入られたため、小回りの利かない黒刀はまるで役に立たなかった。今度はローキックが膝裏に入った。そのどれにも、例外なく能力が込められている。左膝関節は砕け、肋骨も何本か折れているだろう。
 紫乃の正面ががら空きになったのを見て、彰が銃ごと拳を彼に叩きつけようとしたところで――紫乃は奥の手を使った。心の中の、あらゆる箍を外す。
 ――どくんっ。
「―――!?」
 その音は彰にもはっきりと聞こえていた。ノイズに混じる事もなく、空気を――世界を震わせたその音。何者かの鼓動。
 その発生源は、紫乃が握る黒い刀からだった。
 動揺し、振り下ろしかけていた拳を途中で止め、反射的に飛び退る。
 次の瞬間には、紫乃の足下の地面が爆発的な勢いで吹き上げた。火山のように吹きあがる土砂を、やがて黒い炎が覆い尽くす。炎は全てを呑みこみ、ふっと幻のように消え失せた。
 陽炎の揺らめきの中に、一つの人影が浮かび上がる。紫乃だ。紫乃戒。それ以外に誰がいるというのだろうか。しかし彰は、言いようのない違和感に捕らわれ続けていた。
「――誰だ?誰なんだ……?」
 だから、訊いた。予想と違い、答えは返ってきた。
「神に身を捧げし乙女(サクリファイス・ヴァルゴ)を継ぐ者だ」
 底冷えするようなその声に、彰は戦慄した。

「神に身を捧げし乙女(サクリファイス・ヴァルゴ)を継ぐ者だ」
 紫乃がそう語る。いや、果たしてそれは紫乃なのか?そもそも人なのか?あるいはそれは愚問なのかもしれないが、亜紀には考えている余裕などなかった。
 圧倒的なまでのプレッシャー。居合せるだけで息苦しくなるような感覚。存在感だけで周囲に在るもの全てを圧迫する。厳然とした、恐怖の象徴。
 人ではあり得ない。スパーズですらない。その男の存在全てが謳っている。彼は全てを超えた存在なのだ――と。
 気が付けば、亜紀は小さく震えていた。恐怖に慄き、すがるものを探すかのように両手は当てもなく地を這いまわる。動けなくなっていた。逃げる事すらかなわなかった。魂からの恐れ。結局両手が行き着いた場所は、彼女の胸の上で煌いているペンダントだった。それを両手でかたく握り締める。
 ――自分はあんな化け物と渡り合おうとしていたのか――ふとそんな考えが脳裏を過る。あれは生きとし生けるものの敵だ。人はあれを恐れるように出来ている。そうとしか思えなかった。
 一方、紫乃――だった男――と対峙する彰の額にも、薄っすらと汗が浮かんでいるのが見えた。恐れているのは彰とて例外ではなかったようだ。だが、逃げる素振りはまるで見せない。あくまでも戦うつもりのようだ。
 先に動いたのは紫乃だった。その姿がかき消える。黒い残滓は刃の炎。漆黒の弧を描きながら、刃が彰に迫る。
 ――速い!
 心の中で呟きながら、一閃された斬撃から逃れるために彰は横へ跳んだ。自身の速度があまりにも速すぎたためであろうか、紫乃は彰が紙一重でかわしたのに対応できず、そのまま駆け抜ける。
 彼が駆け抜けた後の地面から、次々と黒い炎が吹き上げる。小規模な噴火にも似た光景。そこから吹き上げるマグマは闇色だ。
 再び紫乃が消えた。短距離の瞬間移動を繰り返しているのではないかと疑いたくなる速さ。もう一度避けようとして、しかしそれは間に合わなかった。
「―――!」
 彰の脇腹が水平に薙がれた。飛び散る鮮血。漏れそうになる苦痛のうめきをかみ殺し、彼はその飛び散った鮮血を右手で薙ぎ払った。能力を与えられた赤い飛沫が塊となり、紫乃へ突き進んで行く。迎撃しようと紫乃が黒い刃を振りかぶった瞬間、赤い塊が爆ぜた。
 雨となって鮮血が降り注ぐ。だが紫乃は慌てる事なく刃を突き出し――
「小細工など!」
 吹き上げる炎の舌。黒い炎に焼かれ、能力を纏った血の飛沫が蒸発する。もちろん、依り代を失った能力は拡散、消滅するだけだ。
 今度はその炎を飛ばす紫乃。数条に分裂した灼熱の業火が、砕けたアスファルトを舐めるようにして疾る。彰はそれを跳んでかわすが、炎はしつこく彰を追尾する。あの炎は黒刀――ヴァルゴを媒体に増幅された紫乃の意思力だ。ヴァルゴは紫乃に接触型以外の力も与えた。炎は彼の意思一つで空を薙ぎ、大地を割つ。
「くっ……!」
 本体との挟み撃ちを嫌って、彰は空中から狭い路地中へと逃れた。道が狭くなれば炎はまとまらざるを得ない。しかし彰の目論みはあっさりと打ち砕かれた。
 炎は建造物を破壊し、その中を貫通しながらもなお突進してきた。ものが炎なだけに、単純な衝撃などで消え失せる事はない。
「――そったれ!」
 能力を込めた弾丸を撃つ。そのどれもが炎に命中し、四散させる。
 背後に気配を感じた。振り向き。銃をかざす。振り下ろされた刃を間一髪で防御。一見力は拮抗しているように見えたが、実際には彰の方が押されていた。刃が食い込むような事態にはなっていないが、あまりの能力の負荷に銃身が金属的な悲鳴を上げている。
「どうした?もっとあがいてみせろ」
「……ッ……!」
 刃にかかる力が一段と増した。それにあわせて押される彰。空中で鍔じり合いをしているため足が踏ん張れない。この場合は空中での適応性と能力の強大さがものを言う。少なくとも後者は、紫乃が圧倒的に有利だ。
「それとも、もうあがくのは終わりか?この星座の前に屈するか?」
「星、座……?」
 食いしばる歯の隙間から言葉を絞り出す。
「星座の名を冠する旧世界の武具だ。そう、ラグナレク中最強と謳われた、この強大な力の事だ……」
 紫乃が強引に刃を振り切る。彰は衝撃に負けて弾き飛ばされた。
 態勢を立て直した彰へ紫乃が衝撃波で追撃を加える。彰は逃げ戸惑うだけだった。反撃しようにも残りの銃弾は十を切っている。今まであまりにも無駄弾を撃ちすぎた。
 紫乃が刃に黒い炎を集めた。太陽の如く燃え盛るそれは、一撃で家屋の一つや二つを消し飛ばす威力を秘めている。
「女はその身に星座を宿し、開放された星座はその魂をもって力を目覚めさせる。お前の恋人から生み出されたこの剣は、その魂の欠片の結晶――コアによって完全に目覚めたというわけだ」
 紫乃の言葉は爆音の中にもよく響いた。巻き起こる砂煙。その中から一発の白い閃光が飛んでくる。紫乃はそれを片手で受け止め、握りつぶした。
 煙を割って走る彰を追うように空を翔ける。数十メートルはあったであろう二人の距離が、ほぼ一瞬にして縮まった。
 彰が紫乃に気付く。かわせないと悟った彼は斬撃を防ぐために銃を盾にする。そこへ黒い刃が、吸い寄せられるようにして弧を描き――
「―――!?」
 轟音。衝突の瞬間、刃から吹き出た炎が指向性を持って炸裂した。炎に焼かれた彰はたまらず吹き飛び、地面に墜落する。
「あ、彰!?彰ッ!」
 彰が吹き飛んだ先には亜紀がいた。少女の横を掠めるようにして地面に落ち、なおも数メートル滑って壁に衝突し、ようやく彼の身体は停止した。亜紀の叫びが響く。
 彰は壁に手をついて何とか立ちあがるものの、それ以上は動けなかった。
「ここまでだな、神の左手。女の元へ逝くがいい」
 ちょうど二人の間に割り込むような形で着地した紫乃が、冷徹に告げて刃を振り上げ、動けない彰に衝撃波を撃とうとして――その動きを凍りつかせた。
 彰の身体から、白い光が立ち昇っている。それは陽炎のように揺らめき、彼の全身を包み込んでいる。うつむいているために表情は見えない。
「――終わらせちゃいけない。終わらせるわけにはいかない」
「こいつ……まだ動けるのか」
 あれだけ痛めつけたにもかかわらず、彰は立ちあがっていた。全身から発散される光のせいで、さながらその様子は幽鬼のようだった。
 いや、あるいは幽霊だったのかもしれない。何かに憑かれたかのような表情。前髪の隙間から覗く蒼い瞳は虚ろで、焦点が合っていない。そのくせ声だけはやたらと明瞭で、意思の力強さを感じさせる。そのアンバランスさが紫乃に恐怖を与えていた。
「絶対に……終わらせない」
 五発の銃声が響く。全身から発散されていた能力の全てを乗せた銃弾が紫乃に牙をむく。彼の奇妙な気迫に圧倒され、紫乃は横跳びにかわそうとして――
 紫乃が彰の意図に気付いた。五発のうちたった一発だけを叩き落す。
「……残念だったな。お前の考えは読めた」
 少ししびれの残る右手を軽くほぐしながら、紫乃は告げた。それほどの衝撃があった。
「………………」
「妙な演技で俺の気を引いて、その間に地面に五紡星を描く。そこに残る全ての能力を叩きこむつもりだったんだろうが……甘いな」
「………………」
「一発でも叩き落されては、陣が完成しない。そうなると、お前は技を撃てない。違うか?」
「…………その通りだ」
 彰がうつむいたままの姿勢で答えた。その答えに満足したのか、紫乃が笑みを浮かべる。
 五紡星を完成させなければ彰は技を撃てない。昔から五紡星には呪術的な力があるといわれるのがその所以だ。この形状を成す事で彰の能力が増幅されるのは間違いない。
 もちろん撃てないというわけではない。しかし、よしんば撃ったところで、頂点が欠けた星では増幅が不充分で、紫乃を倒せるだけの力を引き出せない。
「さて、これまでで随分愉しませてもらった。礼を言おう。そちらのお嬢さんにもな」
 軽く後ろを一瞥し、紫乃は慇懃に礼をした。彰も亜紀も動かない。恐怖に硬直したか、未来がない事に絶望したか。紫乃にとってはどちらでもいい事だ。
「ではそろそろ、終わりにしようか。――心配しなくてもすぐに後を追わせてやる」
 亜紀に背中で告げると、紫乃は黒い刃を――ヴァルゴを構えた。
「消えてなくなれ、神の左手」
 呟き、彼は刀を振り下ろし、衝撃波と炎を撃ち出そうとした。
 その刹那――黒い刃が急に悲鳴を上げた。甲高い金属音のような悲鳴。何事かと攻撃を中断してヴァルゴを振り仰いだ紫乃は、目の前に起きている出来事に愕然とした。
 ――コアに、亀裂が走っていた。
「詰めが甘いぜ。消えるのはお前の方だよ、神に身を捧げし乙女(サクリファイス・ヴァルゴ)」
 彰はあえて刀の名を口にし――右手に宿ったありったけの力を紫乃の足下の地面に叩きつける。そう、これは魔方陣の能力を解放するための儀式。
「バカが!無駄だと――」
 無駄だといっただろうが――そう罵ろうとした紫乃の言葉を、白い光の奔流が飲み込んだ。地面から吹きあがる光の嵐。驚愕し、慌てて能力で障壁を構成するが、それでも圧し負けそうになる。乙女座の力すら凌ぐ、圧倒的な能力の奔流。
「どっ、どうなって――!」
 必死に力を制御しながら紫乃は叫んだ。いつのまにか彼の足下には五紡星が形成されている。欠けているはずの頂点に、何か光るものがあった。
 それを見て彼はますます混乱した。彼の見たものとは、銀色に輝くペンダントだった。それが、他の頂点に撃ち込まれた銃弾とは比にならないほど鮮烈な光を放っている。
「――敵を彰一人だと思わないでよね。あたしもいるんだから」
 紫乃が振り返ると、そこには全身傷だらけの少女がいた。折れそうになる膝を支えて立ちあがった少女。その胸元から銀色の輝きが消えている事に、紫乃は今更ながら気付いた。
 彼女がペンダントを投げ込んで、魔方陣を完成させた。それはわかる。しかしなぜ、あのペンダントが媒体となり得るのか――
「彰はこのペンダントを胸に、六年間もの間戦い続けてきた」
 紫乃の考えを察したのか、亜紀は静かに語った。
「当然能力も使ったでしょうね。弾に能力を込めたり。もしその能力の欠片が漏れて、このペンダントに宿り続けていたら――どうなると思う?」
「―――!!」
 例えほんの少しずつでも、その能力が六年間蓄積し続けていたとしたら、それは膨大な力を秘めた立派な武器だ。あの一瞬で彰が込めた銃弾の威力など軽く凌ぐに違いない。それで魔方陣が形成されているなら、この威力も頷ける。
 いや――それ以上に、彰の意思力にはすさまじいものがあった。
「終わりだよ、ヴァルゴ。それ以上真琴を辱めるな」
 弾倉に弾を込める。最後の装弾。
 また彼は、刀の名を呼んだ。それに呼応するかのごとく、コアの振動が一際大きくなる。
 ヴァルゴがコアを持って完成されたならば、それを支配しているのは真琴の残留思念と考えて間違いない。彼女は『行く』と言っていた。ならば真琴が望んでいるのは破壊でも流血でもなく、自己の消滅。
 ――ひょっとしたら、あのコアが残っていたから、俺は真琴に会えたのかもな……
 思い出したのはほんの一瞬。真琴の残留思念は紫乃の元で強制的に力を引き出されている状態にある。それが望むものに関係なく、破壊を続けさせられるのだ。そして紫乃の強制を甘んじて受け入れる存在、それこそが神に身を捧げし乙女の正体。
「旧世界の遺物なんて必要ない」
 銃を引き絞って構える。黒の銃身に描かれた獅子が、金から白金(プラチナ)へ染まっていく。銃全体を彰の能力が包み込んでいた。
「過去の思い出は苦いけど、今更それを振り向いて後悔するつもりもない」
 撃鉄を起こす。カチッ、という音と共に、装飾銃はいつでも弾丸の発射が可能な状態となった。
「あの懐かしい未来へ辿りつくまでは……」
 彼の足が地面から離れる。そそり立つ白い柱へ向かって駆け抜ける。全身から発散される白い光りが尾を引いて、さながら光の翼が生えているかのように錯覚させた。
「――俺はどこまでも、あがきつづけてみせるッ!」
 白い柱へ向かって放たれる五発の銃弾。それは壁に垂直に張り付くと、吹き上げつづけている全ての光を吸収して、一個の魔方陣を形成した。いっそ圧倒的ですらあるそれは、同じ形状の魔方陣が二つ折り重なり、それぞれに独立した軌跡を描いて回転している。
 全身にかかる負荷が消え、紫乃は思わず力を抜いた。刃には無数の亀裂が走っている。コアは相変わらず微振動を続けていた。この刀はもう持たない。だが紫乃には、もう一歩動く気力すら残されてはいなかった。
 ふと視線を上げると、そこには暴力的なまでの力を秘め、白いスパークを当たり構わず撒き散らす、いつになく複雑な形状をした魔方陣があった。その向こうから彰がかけてくる。紫乃は何とか黒刀を盾のように掲げ――
「砕け散れ、過去の亡霊!――スクウェアリング・エイリアスッ!!」
 二重の魔方陣に黒い銃が突き立った。それを突き破って放たれた最後の一発の銃弾に乗って、圧倒的な力の奔流が流れていく。その先には刀を何とか盾にしている紫乃の姿。
 白い閃光が蒼穹へと立ち上っていき、廃墟と化した街全体を包み込んで行った。音も、光景も、全てが曖昧となり、ただ圧倒的な力の前に押し流されて行く。
 ――やがて白い光は澄み渡る空へと呑みこまれ、消えた。

「――ん……」
 まず最初に見えたのは、妙にぼやけた蒼い空だった。
 何度か瞬きをしてみる。だんだんと焦点が合うにつれ、周囲の様子がはっきりと見えるようになってくる。
 ――雲一つない、見事な青空だった。
「……!あ、彰!」
 飛び起き、周囲を見回す。――いた。五紡星の形そのままに抉れた地面の淵に、見慣れた人影が一つ。その手に黒の装飾銃はなく、握られているのは銀色の光を弾いて輝くペンダントだった。しかし彼の瞳はそのペンダントを捉えてはいない。ここではないどこか――もっと遠くを見つめていた。
「――死んじゃいない」
「え……?」
 一瞬、それが誰の事を指しているのかわからなかった。もう一度辺りを見回してみる。大地に穿たれた五紡星の中心に、男が仰向けに寝転んでいた。
「気まぐれな怪物!?(ザ・モンスター)」
 思わず亜紀はその名を叫んでいた。よく見れば、紫乃の胸が微かに上下している。
「――違うよ」
 彰は全く亜紀のほうを振り向かず、それでもはっきりとした口調で言った。
「ヴァルゴに……過去の遺物に憑り付かれていた怪物は死んだ。そこにいるのは、紫乃戒って名前の――ただの哀れな男だ」
 そう告げる彼の瞳は、どこまでも静かだった。その蒼い瞳は深く、蒼くどこまでも澄みきっている。その中に、ほんのひとかけらだけ悲しみを宿して。
 ――彼は、過ぎた存在に憑り付かれ、滅びて行った男に自分を重ねていたのかもしれない。しかし――
 その一言で何かを吹っ切ったのか、彼はペンダントを首にかけた。
 二人とも満身創痍に変わりはない。だがお互い、心の中は清々しいほどに晴れていた。
 ――その刹那。
「あき――」
「――甘いものだ」
 名を呼んで駆け寄ろうとした亜紀の声を、轟音と何者かの声が遮った。彼女の耳元を掠めてとんだ鋼鉄の塊――ライフルの弾丸が、彰の胸に吸い込まれるようにして当たった。彼女はそれがなんなのか、とっさに理解できなかった。
「――――――」
 悲鳴すら上げずに吹き飛ぶ彰。細身ではあるものの180センチ近くある身体が、軽々と宙を舞って地に落ちた。
「………………え?」
 今更ながら亜紀は声を絞り出した。やっと出た声は、たったそれだけ。踏み出しかけた足が、そのまま凍り付いていた。
 彼女の目の前で、彰が倒れている。全く動かない。亜紀が彼に向けて伸ばしかけていた手が空気を掴む。
「部下は全員失ってしまったが――まあいい。神の左手を狩れたのだからな」
 どこか狂気じみた男の声は、亜紀の耳には届いていなかった。
 ――これは何かの悪い夢なのだろうか。そうだ。今まであった事は全て夢。真琴という少女の死も。彰という青年との出会いも。紫乃戒という力にとりつかれた男の存在も。あの死闘も。そして、目の前に展開している現実も。全てが夢――
「私の存在を忘れてもらっては困る。だから君は詰めが甘いのだよ、神の左手」
 背中から聞こえる声には聞き覚えがあった。どこか引きつったような、妙な口調だ。狂ったように上下するその声は、ひどく不快だった。
 ――ならばこの全身に走る激痛はなんなのだろうか?今左足を掠めた鋼鉄の塊は?なぜこの男の声に聞き覚えがある?共に駆け抜けたハイウェイの風の感触は?今もはっきりと思い出せる、彼の髪の匂い――ラベンダーの香りは?
「……何よ、あたしったら。まさか自分に自分の能力使っちゃってるんじゃないでしょうね……?」
 そう独白する声音は震えていた。
 散発的な弾丸の雨にさらされながら、少女は全身を震わせていた。
「夢を見せるのは得意じゃない……まさか、自分で見てるわけ?」
 動かなくなった少女を訝しんだか、男――柴場の動きが止まった。亜紀の右手が微かに震えていた。
「そう、これは夢なのよ。自分で自分に見せてる、ただの夢……」
 彼女の傷の痛みが、そして何よりも心の痛みが、全てが。これは紛れもない現実なのだと告げている。
「夢なのよ……夢……な、わけ……!」
 少女がゆっくりと振り向く。どうして人の気持ちとは、いつも熱い滴となって空に散るのだろうか?廃墟と化した街の地面に、少女の想いが染みを作る。
「夢なわけ……ないじゃない……!」
 亜紀が地を蹴った。まっすぐに柴場へと突進して行く。柴場の位置は明らかに亜紀のワルサーの射程内。それでも彼女は駆けた。胸に溢れる想いそのままに、右手が閃いて愛用の銃を引き抜く。
 ――どうしてこんなにも悲しいんだろう。どうしてこんなにも悔しいんだろう……
 腕を、脚を銃弾が掠める。柴場は正気を失っているようで、ライフルをろくに狙いも付けずに連射している。それでもその中の一発が彼女の右手を捕えた。空に舞う拳銃。右手に走る激痛と、虚空に舞う僅かな紅。しかしそれでも亜紀は駆けた。
「ああぁぁぁあぁぁぁ――」
 ふと、妙な叫び声が聞こえた。それが自分の上げた雄叫びであると気付くのに、数秒を要した。
 全身が痛かった。だがそれ以上に――心が痛かった。
 やっと生きる意味を見つけた彰。過去の記憶を受け入れ、それでも歩みつづける事を決意した彰。その彼が、なぜ死ななくてはならない?なぜ彼には安息が許されない?なぜ彼は日常を掴めない?彼はただ、当たり前のものしか望んでいないと言うのに――
 これは彼女の痛みではない。全てを失くし、それでも生きる決意をした青年の痛みだ。
「あぁぁぁぁあぁあぁぁッ!」
 飛び来る銃弾に構わず右手を振りかぶる。その時、柴場の表情が驚愕に歪んだ。
 ――ふと、何かが彼女の鼻孔をくすぐった。
「―――!?」
 その香りに、失いかけていた理性がよみがえる。地面に両足を踏ん張り、急停止した彼女の前に腕が掲げられた。彼女の突進をとどめるかのように。彼女を守るかのように。
 ――駆ける。
 見慣れた背中が、慌ててライフルを構えた柴場の目の前まであっという間に間合いを詰めた。白い光を纏った拳が閃き、柴場の鳩尾に叩きこまれる。
「――――――」
「……言っただろ?」
 逆光でシルエットになりながらも、少女には彼の姿がはっきりと見えた。
 意識を失い、倒れこんできた柴場の身体を片手で支えながら、彼は言った。
「俺の目の前じゃ、誰も死なせない。誰も殺させない――ってな」
「―――あ……」
 彼の胸元で銀色の光が弾ける。そのペンダントはライフルの弾が当たったせいで、少しひしゃげてしまっていたが――相変わらず、輝きを失ってはいなかった。
 彰が微笑みかける。これで二度目。彼女が彰の本当の笑顔を見るのは、これで二度目だった。沢山の優しさの中に、ほんの少しだけの悲しみの影を思わせる――ぎこちない笑顔。左の蒼い瞳が、亜紀を見つめている。
「―――うんっ」
 亜紀もまた、とびっきりの笑顔でそれに応えた。

 ――あれから、一週間が過ぎた。
 意識を失って昏倒していた紫乃と柴場は、賞金首として警察に引き渡した。この二人には新政府も手を焼いていたらしく、喜んでその身柄を受け取って行った。
 あの二人が再び野望に走る事はないだろう。紫乃は彰の渾身の一撃で、狂気と力の源となっていたヴァルゴを失った。能力そのものが消える事はないだろうが、あの気まぐれな怪物は、彰の言葉通りもういない。
 一方の柴場は、彰が紫乃に対して放った一撃の余波を受けたせいで、すでに正気を失っていた。正常な精神状態への回復は見込めないほど深刻らしい。
 満身創痍だった彰は持ち前の回復力のおかげで、大事に至ることはなかった。すぐに回復し、今はもう以前と同じように動き回る事も出来るほどだ。
 そして今日は――

「………………」
 二つの小さなラベンダーの花束を片手に下げた彰。彼は今、小さな二つの墓標の前に立ち尽くしていた。海から吹いてくる潮の匂いを乗せた風が、彼の長い黒髪を宙に舞わせた。
 薄いフィルタのサングラスを静かに外し、コートの内ポケットに差す。さすがにいつも外しているわけにはいかなかったが、ここには誰もいない。誰にも邪魔される事はない。等身大(ありのまま)の自分でいられる。
 彼は墓標をじっと見つめていた。そこに刻まれた文字――神月真琴という名前を、静かに。
 やがておもむろに腰を屈めると、その前に花束の片方を横たえる。
「やっと、ここに花を添える事が出来るよ」
 まるでそこに真琴がいるかのごとく語りかける。
「――永かったな……ここに辿りつくのに六年もかかった。随分な遠回りだよ」
 自嘲気味に笑い、その墓標に手をかける。風雨にさらされてやや薄汚れた墓石は、冷たくもどこか温かみを残しているような気がした。
「今思い出してみると、お前には迷惑かけっぱなしだったよな……結局最後の最後まで、お前に助けられた」
 瞳には以前のような冷たい光はない。温もりを宿した人の瞳。たとえ彼が人に在らざる者だとしても。
 ふと、視線を横にずらす。真琴の墓と並んで立つもう一つの墓標。こちらは真琴のものよりさらに古ぼけている。彼に真琴と会うきっかけをくれた人。母を失った悲しみから抜け出せなかった幼き日の彰はこの場所で真琴と出会い、そして彼女は今もここで眠っている。
「母さん……やっと、見つけたよ。大切なもの」
 そっとその前にも花束を置く。彼が最初に殺した人。彼女だけではない。彰は今までに多くの人々を手にかけて来た。その中には殺されても文句の言えないような人間も混じっているのだろうが――人殺しはやはり罪。
 彼は赦されざる業を背負い、生きなければならない。
 彼は贖罪の術を、見つけなければならない。
 そして、償わなければならない。
「今はまだ、どうすればいいのか分からない。どうすれば赦されるのかなんて分からない。あるいは、一生赦されないのかもしれない」
 二つの墓標の前に立ち、彼はそっと告げた。まるで二人に語りかけるかのように。
「でも俺はやらなきゃならない。一人でも多くの人を助けて、一つでも多く命の灯をともす。人だけじゃない、スパーズもだ。偽善かもしれないけど、それでもいい。
 俺に出来るのはこれくらいだけど――でも」
 おもむろに右手に灯した光を空に放る。頭上で制止した光球は、ゆっくりと光の鱗粉を撒き散らしながら輝いている。
 光は彰だけでなく、二つの墓標にも降り注いだ。まるで魔法にでもかかったかのように、その表面から汚れが失せていく。
「でも、二人が微笑んでいてくれるうちは――真琴の言う通り、まだあがける」
 それだけ告げると、彼はきびすを返して去っていった。そこに別れの言葉はない。必要ない。結局言葉なんて物は、いつまでも不完全なものだ。足りない部分は心で補ってやればいい。そうすれば、想いは伝わるはず。
 青年は、母親の残した温もりの宿る銃と、少女の与えた生きる証とを胸に、行った。




>> 終章 私はここに書き記す




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