-twilight memory-
終章 私はここに書き記す
作:暇人(八坂 響)



 真琴の墓参りを済ませた彰は、真っ先にここへやって来た。
「――よう」
 軽い挨拶と共に、彰が扉を開けて入ってくる。ここは横浜にある総合病院の一室。プレートには『山城亜紀』とあった。
「あ、こら!女の子の部屋にノックもなしに入ってくるな!」
 聞こえてきたのは張りのある少女の声。もう聞き慣れた、亜紀の声。
 彰に比べるとさすがに傷の治りは遅いが、それでもすっかり元気を取り戻した彼女がおとなしくベッドに寝ているはずもなく、もうすでに荷物をまとめ始めていた。
「胸も色気もない小娘が偉そうに言うなよ」
「なによそれ!ひどーい!」
 サングラスの奥からからかうような視線を投げかける彰に、亜紀はあからさまに怒って見せた。頬を膨らませ、そっぽを向く。
「そういう仕草が子どもっぽいって言ってるんだよ。――で?何してる?」
 椅子にどっかと座った彰は、頬を膨らませながらも荷物をまとめている亜紀に尋ねた。
「ん?決まってるじゃない、退院するのよ」
「……俺の記憶が正しければ、あともう一週間は安静だったと思うんだが?」
 彼の言葉には答えず、亜紀は無言でその横を通りすぎると、病室の扉に鍵をかけた。ドアが開かない事を確認すると、また荷物のところへ戻る。
「じゃあ、彰の覚え違いね。――持って」
 一抱え近くあるバッグを投げ渡しながら、亜紀は平然と言ってのけた。
「ったく、自分の荷物くらい自分で持てよ」
「ケガ人の女の子に、そんな重たいものを持てなんて言うの?」
 窓に向かった亜紀がふと振り返り、楽しげに笑った。その腕や頬にはいまだにテープが張られ包帯が巻かれている。それがかろうじて、彼女がケガ人だという事実を主張していた。
「……あとでなんかおごれよ」
「あら、夢の中で真琴さんに会わせてあげたのは誰だっけ?」
「…………卑怯だぞ、それは……」
 悔しげに歯噛みする彰を見て、彼女はまた笑った。彼とのやり取りがよほど楽しいらしい。
 亜紀は彰に全てを話していた。自分の能力のこと。その能力を使って彰の記憶に介入したこと。その中に眠る真琴という人格を呼び覚まし、それを通じて彰を説得したこと。
 言ってしまえば、彼の中では真琴の存在が全てだったというわけだ。亜紀はその部分を呼び起こさせ、彰を目覚めさせた。つまるところ『自分で自分を説得させた』という事になるのだが――
 しかし彼は、最後の部分だけは信じようとはしなかった。いや、信じているのだろう。それでも彰は、あれが幻などではなく、本当の真琴であったと思うことにしていた。だから瞬間移動などという高度な術が使えたのだ、奇跡が起きたのだ、と。
 ――あるいはそれが、真実なのかもしれない。
「ねえ――」
 亜紀の声に反応して、顔を上げる彰。
 顔を上げた一瞬――亜紀の顔に真琴が重なって見えた。
『これからは彼女の傍に、ね?』
「――――!!」
 少女の囁きが、そっと耳をくすぐった。すぐ傍で聞こえたかのような、優しい声。
 亜紀の顔を食い入るように見つめながら、彰は何度か瞬きした。
「ど、どしたの?あたしの顔に何か付いてる?」
 少し身を引き、やや赤面した亜紀が聞いてくる。戸惑ったような彼女の声に、彰はやっと我に返った。目の前にいるのは真琴ではなく、亜紀だ。ならば、あの声は――?
「あ、なるほど。彰ったら、やぁっとあたしの魅力に気付いたのね?」
 亜紀の自信過剰なその一言に、彰は思いきり吹き出した。声を上げて笑うなど、一体何年ぶりだろうか。
「な、なによぉ!そこまで笑うことないでしょ!?」
「い、いや、さすがにな、自分がおかしくなって……」
 苦しそうにそれだけ言うと、堪え切れないかのようにまた笑った。
 それはそうだ。目の前にいる少女と自分の幼馴染の少女など、とても似ても似付かない。二人を重ねて見た自分が、たまらなくおかしかった。
 問い質すのを諦めた亜紀が、一つだけ大きなため息をついて――ふと、驚いたような表情を作る。
「……ん?どうした?」
 目じりに残る涙を指で弾き、彼の方を驚きの眼差しで見つめる亜紀に言った。
「なんだ、お前も俺に惚れたのか?」
「ちっ、違うわよ!そんなわけないでしょ!?」
 こういう話には免疫がないらしい。真っ赤になった顔で否定する。
「じゃあなんだよ?」
 改めて問う彰の声に、平静を取り戻した亜紀が、戸惑いがちに口を開いた。
「その……彰ってさ、ホントよく笑うようになったね?」
 戸惑いながらも少し嬉しそうに言う少女。彰は今更ながらそれに気付き、今度は小さく微笑った。
「お前のおかげだよ」
 椅子に座ったまま呟く。亜紀にも聞こえるか聞こえないかというくらいの、囁き。
「え?それってどういう――」
 亜紀が訊きかけた時、突然扉が激しく音を立てた。外からは医師や看護婦の声が聞こえる。彼らは口々に『またか!』、『ナースステーションからキーを!』などと叫んでいる。
「……お前、今まで何度脱走しようとした?」
「さあ?今日は心強い味方がいるからね、逃げきれるでしょ。それにあたし、一回空を飛んでみたかったんだ」
 さっきの彰の言葉にはもう興味を失ったのか、いけしゃあしゃあと答えつつ、窓辺に身を乗り出す。
「どうせやるなら派手に行こうか」
 彼女の意を汲み、彰も立ちあがる。バッグを片手にぶら下げたまま、その左手が霞んだ。再び現れた時、その左手には黒い巨大なリボルヴァが握られていた。
 銃が弾丸を吐き出す。窓が粉々に砕け散り、地面の様子がはっきりと見えた。この病室は地上六階だ。このまま落ちればひとたまりもないだろうが――そこは亜紀の言う通り、今日は心強い味方がいる。
 外から吹きつけてきた風に身をさらしながら、亜紀が一つの封筒を病室の中に放り出す。風に乗って舞うそれは静かに机の上へ落ちた。『退院届け』と書かれた封筒の中には、治療費分の代金が詰まっている。
「それじゃ、行こっか」
「あぁ。退院、おめでとう」
 亜紀を横抱きに抱え上げた彰がおどけて言う。二人の身体が宙に舞った。
「――ありがと」
 彼の頬に軽くキスなどしながら、彼女もおどけて見せた。彰の頬がみるみるうちに紅潮する。
「あ、照れてる。ひょっとして初めて?」
「うるさい」
 不機嫌に言い放つ彰。しかしすぐに別のものへ注意が行く。頬に触れた冷たい感触。
 ふと、空を見上げてみる。晴れてこそはいなかったが、代わりに空から白いものが舞い落ちてきていた。小さな花びらのような形をした淡い白。
「―――あ……」
 亜紀が呆けたような声を上げる。じっと空を見つめていた。声こそ上げはしなかったが、ただ空を見上げているのは彰も同じだ。
 寂れた都市の上空を飛びながら、年に一度だけ降る晩夏の淡雪を眺める――こんな話など、誰が信じようか。現実離れもいいところだと一蹴されるに違いない。だが、それでもよかった。この光景は、二人だけの宝物。それでいい。
「真琴さんの……」
「ん?」
 ふと呟いた亜紀の声に、彰が降り返る。彼女は相変わらず空を見つめたまま続けた。
「真琴さんからの、贈り物……よかったね」
 小さく呟いて、彼の首に回していた腕に少しだけ力を込める。心地よい抱擁。この瞬間がどこまでも――永遠に続けばいいと思った。
「……そうだな」
 再び空へ視線を戻す彰。相変わらず桜雪は降り続いていた。だが、晩夏の淡雪はもはや哀しみの象徴ではない。二人を――世界を祝福する、小さな花吹雪。
 ――俺はもう逃げない。お前は俺に、あがき続ける勇気をくれた。だからもう一度――
「ありがとう、真琴」
 万感の想いを込めた言葉は、桜雪の降りしきる中を静かに立ち昇って行って――
 ――二人の影は風と桜雪に抱かれながら、いつまでも空を舞っていた――

「……もう、いかなくちゃ」
 重ねていた唇を静かに離し、真琴は立ちあがった。唇にはまだ、暖かい温もりが残っている。
「……そうだな」
 真琴にならい、彰も立ちあがった。
「あたしが言うべきことは、もう何もないよ。あとは彰が探して、見つけ出して」
「あぁ。分かってる」
 肯定した彼の唇を、背伸びした少女がまた塞いだ。
 暖かい温もりと、言葉が彰の胸の内に流れこんできた。悲しみはない。ほんの少しの切なさと、沢山の喜びで飾られた言葉。
『彰は大丈夫だよ。あたしの……自慢の幼馴染だもん』
 そっと離れた少女の身体は、姿が透けていた。茫洋とした白い光を纏い、微笑んでいる。
 少女の唇が、動いた。最後に詠われた彼女の子守唄。その詩の一節一節が、そっと彼の心に染み入って来る。
 そう、これは――淡い想い出を綴った詩(うた)。




人よ、いつしか喜びを望む者

人よ、今は深き悲しみに在る者

あの蒼穹へと想い馳せ

願わくはもう一度だけ

されど奇跡とは顕れぬもの

ただ夢だけが在り続ける

ならば今、最期の世界(おわりのそら)壊し行こう

二人の創る、あの懐かしい未来へ






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