君がいるから
                             作:三剣 由


朝、学校の登校途中で、幼なじみの家の呼び鈴を鳴らす。
これは、もはや麻生翔の日課となっている行為だった。
ピンポーン。
耳慣れた音がしたあと、しばらくして家のドアが開き、中から眠たげにしている少女が現れた。
「おはよう、天音」
「おふぁよう、翔ちゃん・・・」
天音と呼ばれた少女は、目をこすりながら挨拶を返した。
「おい、しっかりしろよ、天音」
今にも眠ってしまいそうな気配に、翔は思わず声を掛けた。
いつものことなのだが、見ているほうとしては心配せずにはいられないほど、天音は朝に弱かった。
しかし、こうして自分で起きて来る日は、まだいいほうだったりする。
1週間のうち、半分は翔がわざわざ天音の部屋まで行って、起こしてあげないといけないのだ。
「私なら大丈夫だよぉ・・・ちゃんと起きてるもん・・・」
天音の仕草には、説得力というものが感じられなかった。
「ほら、ぐずぐずしていると遅刻するぞ」
翔は天音の背中を押しながら歩き出した。
ふたりが歩く通学路に散らばっている落ち葉は、日を重ねるにつれ、次第に多くなっていた。
季節は秋から冬へ───
そんな予感を感じさせる風景だった。
「ねえ、翔ちゃん・・・」
ここに来てようやく目を覚ました天音が、心配そうな表情をしながら話しかけてきた。
───多分、あのことだな。
翔は天音の言いたいことがすぐに分かった。
「翔ちゃんは特待生じゃなくなったからと言って、学校をやめたりしないよね?」
予想どおりの質問だった。
以前、自分は絵を描く才能を認められ、特待生として入学し、そのなかで数々のコンクールで賞を取った。
ところが、この特待生という椅子を与えられた代わりに、翔は大きなものを失った。
絵を描く喜びと情熱である。
気が付けば、自分はただ、コンクールで勝つことを目的とした絵を描くことしかしなくなっていた。
受賞するたび、周りから賞賛と尊敬の言葉を送られたが、
それと同時に言いようのない虚しさと苛立ちを覚えた。
───俺は、こんなことを望んでいたんじゃない!
翔はそんな自分が嫌になり、絵を描くことを放棄した。
しかし、天音のひたむきな思いによって、翔は絵の情熱を取り戻し、さらにもっと大切なものを手にした。
天音というかけがえのない宝物を。
その結果、特待生という立場を失ったが、それ以上に得たものが大きかったので、
今の翔に未練や後悔は微塵のかけらもなかった。
「俺なら大丈夫だ。学校をやめるつもりはないから安心しろ」
「よかったあ」
天音がほっと胸を撫でおろした。
心ない一部の生徒が特待生でなくなった翔に対し、いろんな陰口や中傷を言っていることを知って、
彼女なりに心配していることがよく分かった。
「天音、心配をかけてすまない。でも、俺は本当に大丈夫だから、そんなに心配しないでくれ」
「うん!私、翔ちゃんのことを信じるね」
翔の言葉に、天音に笑顔が戻った。

午前中の授業が終わり、昼休みに入った。
「翔ちゃん、一緒にお昼ごはん食べよ」
「ああ」
翔と天音は机を向かい合わせにくっつけると、お弁当を広げて食べ始めた。
ちょうどそのとき、ふたりのもとにひとりの男子生徒がやって来た。
「おや、まだこの学校にいたんですか?」
男子生徒がいやみっぽい口調で話しかけてきた。
「黒金か・・・」
翔はちらりと一瞥した。
嫌味な男子生徒───黒金和樹は、翔と同じ特待生で、美術部に所属しており、
勝手に翔をライバル視して、ことあるごとに突っかかっていた生徒である。
「なんのようだ?」
「いやあ、あなたが特待生の資格を無くして、どうしているか心配して様子を見に来たんですよ」
何、見え透いた嘘を言ってやがる、と翔は思った。こいつの性格からして、自分を笑いに来たのは明白だった。
「それにしても哀れですね。かつてはコンクールで賞を取り続けたひとが、
一般の生徒に成り下がっているんですから。恥ずかしくないんですか?」
「別に特待生でなくなったからといって、退学しないといけないとはなっていないだろ」
「それはそうですが、あとに残された私たちにとっては迷惑なんですよ。
あなたは美術部にとって、最大の汚点なんですから。
もっとも、マグレで特待生になったあなたには、今の姿がお似合いなんでしょうね、ハハハハハ」
黒金が小馬鹿にするように笑う。
「そんなことないもん!」
今まで黙り込んでいた天音が急に立ち上がった。
「翔ちゃんが特待生になれたのはマグレなんかじゃない!
すごくきれいな絵が描けるからなれたんだよ!私、知っているもん!翔ちゃんの絵が世界一だって、知ってるもん!」
天音は声と体を震わせながら、必死に訴えた。
その目にはうっすらと涙がにじんでいた。
「へええ、こんな可愛い女の子にかばってもらえるなんて、うらやましいですね」
黒金はそう言って視線を天音に向けた。
「あなたは確か橘天音さんですよね。
どうですか、こんな男なんかより、私と付き合いませんか?
あなたみたいな女の子には、私みたいな選ばれた男がふさわしいですよ」
「いや!来ないで!」
近づこうとする黒金をさけようとして、天音は翔のそばに駆け寄った。
「いい加減にしろよ、黒金。天音を泣かせるようなことをするなら、許さないぞ」
翔は沸き上がる怒りを抑えるかのように、低い声で話しかけた。
翔が放つ威圧感に気圧され、黒金は立ち止まった。
「そ、そこまで言うなら、今月行われる市の美術コンクールで勝負しようじゃないですか。そこにいる天音さんを賭けて」
「断る。なんでおまえなんかと天音を賭けて勝負しないといけないんだ。それに天音は何の関係もないだろ」
「おや、勝負するのが怖いのですか?
そうでしょうね、落ちこぼれの元特待生と私みたいに選ばれた特待生とでは、もう勝負が見えていますからね。
しょせん、あなたの絵なんか私の足元に及ばないですから」
「そんなことないもん!翔ちゃんの絵はすごいもん!本当にすごいんだから・・・」
感極まって天音はついに泣き出した。
遂に翔の怒りが限界を超えた。
「黒金!そこまで言うのなら、おまえとの勝負を受けてやる」
翔は黒金を睨みつけた。
「そ、そうですか。ば、馬鹿ですね、わざわざ負ける勝負をするなんて。せ、せいぜい恥をかかないようにしてください」
黒金は怯えたように、早口でまくしたてると、急ぎ足でその場を立ち去った。
「ごめんなさい、翔ちゃん・・・私が余計なことを言ったばかりに、翔ちゃんに迷惑を掛けてしまって・・・ごめんなさい・・・」
天音は泣きじゃくりながら謝った。
「いや、謝るのは俺のほうだ。俺のせいでおまえを巻き込んでしまって、本当にすまない」
翔は怒りで我を忘れ、相手の挑発に乗ったことに、責任を感じずにはいられなかった。
「翔ちゃん・・・もし、絵を描きたくないなら、無理して描かなくてもいいよ。
だって、それでまた翔ちゃんが絵を描くのが嫌いになったら嫌だから・・・」
「天音、これは俺自身が決めたことだから、何も心配しなくてもいい」
と言って、そっと天音を抱き寄せる。
───俺は黒金なんかに負けない!俺と俺の絵を信じてくれている天音のためにも、絶対に負けられない!
翔は天音の髪を何度も撫でながら、強い決意を宿した。

日曜日、翔はコンクール用の絵を描くため、天音を連れてある公園へ向かった。
そこは昔、天音とよく遊んだ公園で、彼女との思い出がつまった場所でもあった。
「ここに来るのって久しぶりだよね」
天音は公園の中を見渡しながら話し掛けた。
「そうだな。確かこの辺りだったと思うんだけど・・・あ、あったあった」
翔は撫子の花が咲いている花畑を見て、立ち止まった。
「ここで絵を描くから、天音は中に入って、座ってくれ」
「うん、分かった」
天音は花畑の中に入って、ちょこんと両膝をついて座った。
「これでいい?」
「ああ、あとちょっと右に寄ってくれ」
「うん」
翔の指示に従って右に寄る。
「よし、そのままでいてくれ」
翔は筆を取り、スケッチを開始した。
「天音、そんなに緊張しないで、リラックスしてくれ」
「う、うん、分かってる・・・」
言葉とは裏腹に、天音の表情から硬さが消えることはなかった。
「天音、昔、俺がここの公園の池に落ちたことを覚えているか?」
「あ、うん、覚えてるよ。あれはすごかったから」
そのときのことを思い出したのか、天音が小さく笑った。
「確か私のために、とんぼを取ろうとして落ちちゃったんだよね」
「そうそう。つい夢中になってとんぼを追いかけていて、落ちたんだよ。
今、考えるとあんなアホなことをしたのは、俺ぐらいかもな」
「うん、きっと翔ちゃんだけだと思うよ」
天音はそう言って、楽しそうに笑った。
「そういえば、それ以外にもここではいろんなことがあったな・・・」
翔は天音と昔話をしながら筆を走らせた。
天音は昔の思い出話に顔をほころばせていた。
翔がキャンパスに描きたかったのは、子供のように純真無垢なこの笑顔だった。
彼女の笑顔があったから、今、こうして自分は絵を描いている。
自分のためではなく、天音のために絵を描きたい。
それが天音の願いであり、翔の新たな目標でもあるのだから。
翔はこの時間がとても楽しかった。
楽しい時間はあっという間に過ぎ、1枚の絵が完成した。
「天音、お疲れさま。もう終わったから、こっちに来てくれ」
「あ、出来たんだ。見せて見せて」
天音が小走りで駆け寄った。
「うわあ、すごくきれい。これならコンクールで優勝間違いなしだよ」
「ああ。これならきっと大丈夫だ」
天音の言葉に、翔は力強くうなずいた。
今回の作品に関して、翔は絶対の自信があった。
少なくとも、黒金ごときに負けるような作品ではないと、断言できるほどの出来だった。
「それじゃ、途中で近くの甘味屋に寄って帰ろうか。モデル料として、今日は俺がおごってやるよ」
「ほんとにいいの?それじゃ、また半分っこにして、一緒に食べようね」
「別に半分にしなくてもいいぞ」
「駄目だよ。私、と半分っこにして翔ちゃんと食べたいの」
天音は大きく首を横に振った。
「分かった分かった。好きにすればいいさ」
翔は妙なところで頑固な幼なじみに対して、苦笑いを浮かべた。

市の美術館の中央に1枚の絵が大きく飾られていた。
その絵のまわりには、大勢のひとが集まっていた。
他のところはひとがまばらなのに、何故かそこだけは通りかかるひとすべてが立ち止まって、その絵を眺めていた。
「なんか恥ずかしいね」
そこから少し離れた場所に立っていた天音が、はにかみながら言った。
「実物を見たら、絵との違いにみんなが落胆してしまうかもな」
隣にいた翔がいたずらっぽく笑った。
「うー、どういう意味よぉ」
頬を膨らませて翔を睨む。
「そのままの意味だよ」
「うー、翔ちゃんのいじわるぅー」
さらに頬を膨らませる。
「でも、やっぱり翔ちゃんはすごいよ。だって、翔ちゃんの絵のまわりにあんなに多くのひとが集まるんだから」
天音が嬉しそうな顔をしながら言った。
「これもすべて天音のおかげだよ。
おまえが俺のそばにいてくれたから、こうやってまた絵を描けるようになれたんだ。ありがとう」
「ううん、そんなことないよ。全部、翔ちゃんの実力だよ」
「そんなことないさ。天音がいなかったら、俺はきっと2度とこの喜びを得ることはなかったと思っている。
天音、これからも俺を支えてくれ」
翔は天音に向かって頭を下げた。
「うん・・・私、ずっと翔ちゃんのそばにいるね。私、翔ちゃんのことが大好きだから・・・」
天音は翔の腕に自分の腕を絡めて、寄りかかった。
「天音、俺たちの絵を近くで見てみよう」
「うん」
ふたりは寄り添いあいながら歩き出した。



-あとがき--------------

知っている方もいると思いますが、まずはご挨拶を・・・
今回、CANVASのサイドストーリーに挑戦した三剣 由と申します。
内容的には天音ちゃんのエンディング後のストーリーになります。
今回は「誰かのために」ということを重視してみましたが、うまく伝わっていれば、幸いです。
それからこれは余談ですが、公園でのシーンで咲いている「撫子」の花言葉には、
「純粋な思い」という意味があるそうです。
一途で純真な天音ちゃんにぴったりな花ではないかと私は思って、この花を選んだという経緯があったりします。



 感想BBS

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送