根雪〜白の迷宮〜
                             作:ユキノブ



白い天井。白い壁。白い床、白い人々。
窓ごしの景色さえも。
白い、世界。
そこに俺たちはいた。

「手術中」とかかれた表示板の赤が、
白い世界と俺たちを蝕んでいた。

俺の隣には名雪がいる。
何も言わず、身じろぎもせず、白い床に視線を落としている。

「大丈夫だよ。きっと」
口にしてから、ひどく後悔した。
こんな時に、こんな陳腐な台詞しかでてこないなんて。
「秋子さん、きっと助かるよ。きっと」
空虚なことばを重ねる。

名雪はしばらく黙っていたが、やがて口を開く。
「助からないよ・・・」

思いもよらない言葉だった。
「なんだって?」

「お母さん、多分助からないよ」

「何を、何いってるんだ、名雪!」
唐突に思い出される、朝の光景。
ずっとひっかかっていた、名雪の台詞。
「お母さん、気をつけてね」
なぜ、その日に限ってそんなことを言ったのか。
なぜ今、そんなことを言うのか。
名雪は顔をあげた。そこに涙の跡はない。
呆然とする俺の横を素通りし、窓に歩み寄った。

「暖かくなってきたね、祐一。雪が解けてきてるよ」

「そんなわけないだろ、まだ1月だぜ。一体何を言ってるんだ、名雪」

名雪は外を眺めたまま続けた。
「ほんとだよ、祐一。雪は解けてきてるよ。7年ぶりに」

7年ぶり?何いってるんだ?さっぱりわからない!

「ここは、この世界はね。ずっと冬だったんだよ。
7年前、祐一が消えたあの日から」

名雪は続けた。

「あの日、祐一と約束した日、祐一はこなくて、泣いて帰って。
お母さんに祐一のことを聞こうとした。
でも、先に聞かれたの。祐一さん、知らない?って」

わからない、思い出せない。

「祐一は行方不明だった。みんな必死に探したけど、見つからなかった。
けどね、私にはわかったよ。
祐一は、あゆちゃんのところに行ったんだって」

名雪の言葉は、理解できなかった。
なに一つ、理解できなかった。

「私も行きたかった。祐一を追いかけたかったよ。でも、できなかった。
私には、お母さんがいたから。お母さんをおいて、一人では行けなかった」

いやな予感がした。その先を聞きたくなかった。

「祐一がいなくても、やっていけると思ってた。お母さんがいれば、淋しくはなかった。
それなのに、お母さんは、祐一が消えた冬に、雪が解ける前に」

「死んだんだよ」

「私は祐一と同じように、否定した。お母さんと祐一のいない世界を。
そしてここへ来た。ここにいれば、祐一に逢えると信じて。ここは」
「あゆちゃんの夢の世界」

「そこには祐一はいなかったけど、元気なお母さんがいて、私は幸せだった。
でも、それももうお終い。あゆちゃんは祐一と逢って、願いをかなえようとしてる。
夢は、7年間溶けなかった雪といっしょに、現実に解けていく。
お母さんのいない、現実に!」

「あゆちゃんは祐一と逢って、願いをかなえようとしてる。目覚めようとしてる。
夢は、7年間溶けなかった雪といっしょに、現実に解けていく。お母さんのいない現実に!」
名雪の叫びが、いつまでも頭を離れなかった。
確かめたいと思ったのだろうか。俺の足は、どこかに向かって歩き出していた。
どこかってどこだ?
そこは病院だったはずの白い世界。
視界は全て白で覆われ、前に進んでいるのかさえ、判然としない。まるで迷宮だった。それでも、足は動き続ける。
やがて、俺は白いドアにたどり着いた。
開けるのはためらわれた。中にいるはずの少女の痛々しい姿を想像したからだ。

祐一、あゆちゃんと帰ってあげて。わたしはいいから。もう、いいから。

認めない!そんなことは認めない!!俺はドアを開け放った。
色が、飛び込んできた。白に染まった視界を、鮮やかにうめつくした。
そこは教室だった。見知らぬ学校の見知らぬ教室で、一人の少女が懸命に黒板を書き写していた。
少女はこちらに気づくと、席を立って駆け寄ってきた。背中の羽がパタパタとはためく。
「祐一くん、来てくれたんだ」
「・・・授業はいいのか。あゆ」
「うん。ここは好きなときにきて、好きなときに帰れるんだよ」
「そっか、そうだったな」

ここをふたりだけの学校に・・・・

「じゃ、出ようか」
「うん」
俺たちはだれもいない教室をあとにした。


どこをどう歩いたのだろう。やがて、俺たちは並木道にさしかかった。
「祐一君、あのね」あゆが切り出す。「探し物みつかったんだよ」
「・・・ああ」
「願い事も決まったよ。最後の願い事」

それは・・・

「秋子さんを、助けて欲しい。それが、ボクの最後の願いごとだよ」
「あゆ、それじゃ、あゆは・・・」
「他に願いなんてないよ。もう逢えないと思ってた祐一くんに逢えて、
ほんとのお母さんみたいな秋子さんにも会えて。ボク、幸せだったよ」
「あゆ・・」
「さよなら、祐一くん」
あゆがとりだした天使の人形を、俺はつかんでいた。
「祐一くん?」
「あゆ、最後の願い、俺にくれないか?」
あゆは、やんわりと微笑んだ。
「いいよ、祐一くんが決めて」

俺は願った。願いはいつだってひとつだった。

花びらが舞っていた。
咲き誇る桜が風に揺られ、やさしい音をたてて、淡い色のかけらをふりまいていた。
春は、幸せの予感がした。
ほら、それはどこにでも満ちている。

例えば通学路。なにげない朝の風景。
「おはよう祐一くん、名雪ちゃん」
「おはよう、あゆちゃん」
「おはようあゆ。今日も髪型きまってるな」
「うぐぅ、それは言わないでって・・・」
「ごめんごめん。それじゃあらためて。おはようあゆ」
「?うん、おはよう祐一くん」
「今日もうちの制服、似合ってるな」
「うぐぅ、いじわる・・」
「祐一・・・」 

例えば校庭でみかけた光景。
「川澄先輩と倉田先輩は、つ、付き合ってるんですか?」
「つきあってな・・・」
「そうなんですよー舞とさゆりは何年も前からラブラブなんです」
「だから、つきあって・・・」
「やっぱり・・・いいんです、倉田先輩なら。お幸せに!」
駆け出して行く女生徒。
「あや〜」倉田と呼ばれた女生徒にチョップが決まる。
「うーむ、なんつうか」
「面白い先輩だね、祐一」 

例えば教室。遅れてきたクラスメートに。
じーっ、はあ。
「なんで人の顔みてため息つくんだよ、香里」
「どうしてこんなのがいいのかしら?」
「どういうイミだ?香里」
「はい」渡されたのは、ピンクの封筒。・・・ピンクの封筒?
「ああーっ!香里!おまえもしかして?!」
「落ち着きなさいよ北川くん。わたしじゃないわよ」
「あ、ああ、そうだと思ったよ」
ウソつけ
「泣かせたら承知しないわよ。わたしの大事な、たったひとりの、妹なんだから!」
「良かったね、祐一」
「ギクッ、名雪?」
「良かったね」
「あの、名雪、さん?」
 
例えば帰り道。通りかかったゲームセンターで。
「まだ撮るの?まこと?あんたホントにプリクラ好きだねぇ」
「もう一枚だけ!今目、つぶっちゃったんだもん」
「私、抜けたー」「あうー、みんなで撮ろうよ」
「楽しそうだね祐一。私たちも撮ろうか」

そして、朝、まどろみの中で。
「祐一、おはよう。起きた?」
「・・・名雪、今何時だ?」
「もう走らないといけない時間だよ」
「・・・・・なんで起こしてくれないんだ!」
「祐一の寝顔、見てたかったから」
「・・・くそう!」がばっ!
「だめだよ祐一」
「なにが」
「朝起きたらおはようございますだよ」
「・・・」
春になって朝の立場はすっかり逆転していた。
もう、いいのだ。
朝おきて、夢から醒めていることを恐れなくても。
夢にしがみつく必要はもう、ないんだ。
「いってきます、秋子さん」
「祐一さん、これだけ持っていきなさい」
おにぎりを受け取る「ありがとう、それじゃ」
「いってきます、お母さん」
「いってらっしゃい」 

奇跡は起こらないから奇跡っていうんですよ 
それは誰の言葉だったろう 

春がきて、ずっと春だったらいいのに 
それは誰の言葉だったろう 

奇跡は起こったのだ。
俺たちは、永遠の春にいる。

「祐一!」走りながら名雪が呼ぶ。「私、幸せだよ!」
ああ、俺もだよ、名雪。

雪割草の芽が顔を出すころ 
長い長い冬の終わり 
夢の終わりに 
俺たちは新しい夢を願った







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