『少女と天使と夏の風-』
作:みつばや 






  1、御伽噺


 春、夏、秋、冬。
 世界には四つの季節が在ります。そしてその季節ごとに、天使がいるのです。

 春には春の天使が。
 夏には夏の天使が。
 秋には秋の天使が。
 冬には冬の天使が。

 天使たちはそれぞれ季節を分担し、自分の季節が最も美しくなるようにお仕事を続けているのです。

 春には彩りを。
 夏には青葉を。
 秋には実りを。
 冬には静謐を。

 天使は、今日もお仕事を続けています。

 春に咲く花は夏の青葉を宿し、夏の青葉は秋の実りの肥やしとなり、秋の実りは冬の静謐のエピローグを迎え、冬の静謐は春の彩りのオープニングを奏でる。
 季節はそうやって巡っているのです。
 天使は、そうやって季節を受け継いでいくのです。

 春には春の天使が。
 夏には夏の天使が。
 秋には秋の天使が。
 冬には冬の天使が。

 天使は自らの季節に生き、そして――




  2、少女


 女の子は何時もベットの上にいました。身体が弱く、外で遊ぶことができないのです。
「つまんないなぁ」
 刳り貫かれた窓からソラを見上げると、そこには青く輝く世界が広がっていました。風は凪いで、白い雲は動こうとしません。おかげでまだ冬の匂いが残る風も、今日は温かく感じます。
 女の子は「良かった」と感想を漏らしました。寒いと、お母さんが窓を開けることを許してくれないのです。
 犬のぬいぐるみをぎゅっと抱きしめ、それからほぅ、と息を吐き出しました。何処からか漂う桜の香りが、初春の風景を甘く彩ってくれます。女の子は、この雰囲気がとても好きでした。
 ずっと幼い頃から、女の子は外で遊べない身体でした。……いえ、無理をすれば遊べましたが、そうするとすぐに高熱を出して倒れてしまうのです。今まで遊びに誘ってくれた子供たちも、そんな女の子の身体が心配なのか遊びに誘ってくれません。代わりに、本を持ってきてくれたり、部屋の中で遊べる遊びをしてくれます。
 病名は難しすぎて女の子は覚えていませんでしたが、とても重い病気だと言うことは、お母さんやお父さんやお医者さまの言葉から、なんとなく分かりました。
 けれど、女の子は悲観していませんでした。いつか、治る。きっと治る。そう想い続けて、今日も窓から空を見上げているのです。
 女の子が悲観しない理由はそれだけではありません。遊びに来てくれる友達が心の支えでもありました。多分今日は、港で鬼ごっこをしていることでしょう。昔――今から数年前のことですが、身体の弱い女の子は鬼ごっこができないので、友達と遊ぶときはいつもかくれんぼでした。女の子は隠れるのが上手くて、鬼になったことは一度もありません。じゃんけんも強かったのです。
 そのおかげで、友達からは「かくれんぼ以外の遊びをやろう」と言われていたのですが、例えばだるまさんが転んだ、にしても、女の子が一番強かったのです。友達は何とか女の子に勝とうと努力するのですが、女の子はその更に上を行って、勝たせてもらえませんでした。
 けれど、それも昔の話です。身体の調子が悪くなった最近は、外で遊んでいません。今遊んだから、きっとわたし負けちゃうかも、と女の子は不安になりました。犬のぬいぐるみをぎゅっと抱きしめます。
「ねえ、チャム。わたし、いつになったらまた遊べるかな?」
 女の子は犬のぬいぐるみにむかって話しかけます。
 この犬のぬいぐるみは、去年、お父さんが誕生日プレゼントで買ってくれたものでした。かなり大きく、女の子の半分くらいはありそうです。薄茶色のふわふわとした毛の感触が、女の子はとても好きでした。
 チャム、という名前にしたのは、ずっと前から、犬にはこの名前をつけようと決めていたからです。
 と、急に風が吹いてカーテンを揺らしました。突然のことに驚いた女の子は目を閉じて、身体を硬く丸めました。耳元でゴゥゴゥと鳴る風は、今まで聞いたことも無いような叫び声のように聴こえました。
 その風は数十秒続いて、ようやく落ち着きました。女の子は恐る恐る瞼を上げ、部屋中を見回します。テーブルの上の本が落ちただけで、他に荒れているところはありませんでした。
「良かった……」
 女の子は安堵の息を漏らします。そしてチャムを抱き寄せ、
「すごい風だったね?」
 また窓から外を眺めました。
 外の世界は、相変わらず穏やかで、さっきの突風なんて嘘のように風は凪いでいます。
 なんだったのかな?
 女の子は少し疑問に想いました。
 今まで、あんな強い風と会ったことは一度もありませんでした。
 少しの物珍しさと、恐怖と、好奇心。女の子に浮かんだ感情は、決して不の面だけではありませんでした。怖かったけど、心がうきうきするような高揚感を感じていたのです。もしかすると、何かイベントが欲しかったのかもしれません。
 ――ドスン。
 突然部屋の反対側で大きな音が鳴り響きました。反射的に女の子は振り返ります。
「あ……」
 目の前には女の人が倒れていました。
 白いドレスのような服を着て、金色で長い髪が腰の辺りまで伸びています。そして背中には二対の翼。それはまるで、絵本の中で出会ったことのある――
「てんしさま?」
「……えっ?」女の人は驚いたように声を上げます。ふらふらとした足取りで立ち上がると、女の子に微笑みかけました。「……っあ、そうね。わたしは――天使よ」




  3、天使


 女の子が天使と友達になって二日が経ちました。女の子はすっかり天使に懐いて、
「てんしさまは何処から来たの?」
「てんしさまは空を飛べるの?」
「てんしさまは魔法を使えるの?」
 と、矢継ぎ早に質問して、天使を困らせていました。
 天使はその質問に丁寧に答えましたが、本当のことは黙っているつもりでした。本当のことを言えば、女の子がきっと辛くなると想ったのでしょう。
 女の子と天使はずっと一緒にいました。食事のときも、寝るときも、本を読むときも。不思議なことに、天使の姿は女の子にしか見えないのでした。お母さんやお父さんに言っても信じてもらえません。
「これが魔法よ」
 と、天使は微笑みながら答えてくれました。
 その効果に女の子は驚きました。絵本の中の天使が使う魔法は、花を咲かせたり、雨を降らせたり、傷を癒したり、と目に見えるものだったからです。けれど、目の前にいる天使が使う魔法は、指先が光るわけでもなく、何か魔法の言葉を言ったわけではありませんでした。いつの間にか魔法をかけ、いつのまにかお母さんとお父さんは魔法にかかっていたのです。
 女の子は少し不安になりました。もしかしたら、わたしにもかかってるのかもしれない。
 けれど、その心配に天使は、
「大丈夫。あなたには魔法、かけてないから」
 と、微笑みながら答えてくれました。
 それから天使はいろいろな話を女の子に聞かせてあげました。そのどれもが女の子の知らないことばかりで、とても面白く、聴いていて飽きません。
「もっと、もっと」
 と、女の子は何度もせがみました。
 天使はそんな女の子に軽く苦笑を浮かべると、
「分かりました。では、次の話を――」
 そう言って、また次のお話を聞かせてあげるのでした。
 そんな天使を女の子が好きになるのは一瞬でした。
「てんしさまてんしさま。わたし、てんしさまだぁーいすきっ」
 それに対して天使は、
「ありがとう」
 と微笑って答えてくれます。けれど、その中に見えない悲しみが孕まれていることに、女の子を気付いていませんでした。
「てんしさま、てんしさまっ」
「なあに?」
「てんしさまは――ずっと傍にいてくれるよね?」
「うん」
「ほんとに?」
「ええ……」そう答えると、天使は、窓から外の世界へ視線を移しました。「ずっと……ずっとよ」
 女の子は天使と約束できて嬉しいのか、天使の身体に抱きついて思いっきり甘えています。そんな女の子の頭を、天使は優しく撫で、そしてキュッと抱きしめました。女の子の中に、天使の香りが満ちていきます。
「あったかぁい」女の子は天使の腕の中で目を細め、嬉しそうに言いました。「……てんしさま、春のにおいがするね」




  4、夏の風


 春が終わり始め、夏を迎えようとしていました。女の子と天使は、今日も楽しいおしゃべりを続けていました。
「ねぇねぇ、てんしさま。てんしさま」
「なあに?」
 今日も女の子は天使に質問をします。毎日のように質問をしても、天使はそれに確りと答えてくれるのです。
「季節の中で、どれが一番好き?」
 それが女の子の質問でした。天使は一瞬考えるように天井を仰ぐと、
「春、かな?」
 と笑顔で答えます。女の子の顔が嬉しそうに緩みました。
「わーい。わたしもねわたしもね、春がだーいすき。春って、暖かいし、気持ちいいし、ぽかぽかだし……うーんと、えーっと……」
「そうね……春は暖かいものね」
 天使は女の子の頭を優しく撫でてあげます。
 女の子の調子は、最近とても良くなっています。おかげでベットの上ではなく、椅子の上に座って話を聞けるほどに回復しました。これもてんしさまの魔法なんだ。と女の子は感謝の気持ちで一杯です。
「うん、暖かいの、大好き」
「じゃあ……ね」
「うん?」
 女の子は天使を見上げます。その表情は、いつもと同じように微笑をたたえていました。
「夏は、嫌い?」
 ううん、と首を振ります。
「秋は、嫌い?」
 嫌いじゃない、と女の子は答えました。
「冬は、嫌い?」
 寒いのは嫌だけど……雪は好き、と女の子は答えました。
「だけどその中でも、春が一番好き!」
「――そう」天使は微笑みました。「良かった」
 え? と想った女の子がなんで、と聴こうとしたとき、トントンとドアがノックされました。
「お医者様が来たわよ……」
 お母さんの声です。今日は週に一度の検診の日でした。
 女の子は椅子から飛び降りると「行ってくるね」と天使に言いました。天使は「言ってらっしゃい」と答えました。
 お母さんに支えられながら階段を降りて、女の子はダイニングルームへやってきました。白衣を着たお医者様が椅子に座って待っています。
「もう、そこまで回復したのか……」
 壮年のお医者様は感心したように呟きました。昔はベットで寝たきりだったのに……と、どこか感動しているようにも聴こえます。
「うん」
 これもてんしさまのおかげだよ、と言おうとして、女の子は口を噤みました。天使のことは、二人だけの約束にしておきたかったのです。
「それじゃあ、今日も検診を始めますかな」
 女の子はお医者様の向かいの椅子に座ると、
「お願いします」
「はい、こちらこそ」
 検診は簡単なもので、脈を調べたり、日常生活に関する面接がほとんどでした。
 検査中も、女の子の頭の中は天使のことでいっぱいでした。次は何を聞こうか、何を話そうか、そんなことばかり考えています。だからお医者様が質問したとき、咄嗟に答えられなくてあたふたしてしまいました。
「そんなに急ぐ必要は無いですよ」
 と、苦笑しながら言われて
「す、すいません」
 と、顔を真っ赤にして俯いてしまいました。
 それからしばらく検査は続き
「はい、今日はもうお終いですよ」
「ありがとうございました」
 女の子とお母さんは同時に頭を下げました。
 さあ、検査は終わりました。これでまた、天使を話ができます。女の子は心がウキウキしていくのを感じました。
「それにしても……」お医者様は道具を鞄にしまいながら感心したように言葉を漏らします。「最近の回復具合は素晴らしいな。このままなた完治も夢ではない……」
 その言葉を聴いて、女の子は改めて天使に感謝しました。こうして元気でいられるのも、全て天使のお陰なのです。
「天使にでも魔法をかけられたのかな?」
 女の子はハッとしました。心臓がドクンと強い鼓動を刻みます。もしかして天使の存在がばれてしまったのかもしれません。
「てん……し」
「あはは。まさかね」
 女の子の心配をよそに、お医者様は自分の言葉を笑い飛ばしました。
「医者が奇蹟だ何だって言ったら、適わないもんだよな」
「お医者さま、てんしさまを知ってるの?」
 不安にかられた女の子は、いつの間にかそんな言葉を口走っていました。言った後で口を押さえましたが、もう遅かったのです。
「ん? ああ、結構有名な話だからね。春には春の天使が。夏には夏の天使が。秋には秋の天使が。冬には冬の天使が……ってやつ」
 それは女の子が読んだ絵本と同じ内容でした。天使たちはそれぞれ季節を分担し、自分の季節が最も美しくなるようにお仕事を続けている。そういった話だと記憶しています。だから、天使はすごい、と純粋に思えたのです。
 けれど、お医者様の意見は違っていました。
「あれは……哀しいお話だよね」
「哀しい?」
 女の子は首を傾げました。
「あれ? 読んだこと無い?」
「ある、けど……」
 お医者様は道具を全て鞄に仕舞うと持ち上げて、女の子を見下ろしました。女の子はお医者様を見上げます。
「だって、そうだろ? 春の天使がどうやって――夏に生きるの?」
 風が吹きました。
 窓が揺れました。
 一瞬、その言葉の意味が分かりませんでした。
 お医者様はしまった、と後悔したような表情になりました。
 女の子は懸命にその言葉の意味を考えていました。
 春の天使は、どうやって夏に生きるの?
 春と夏は違います。春は彩を、夏は青葉を持ってその季節を美しくするのです。
 だんだん混乱し始めました。
 天使と会ったのは、いつ?
 それは春の初めでした。まだ風に冬の匂いを残す、初春のお昼です。
 春。春。その次の季節は、夏。
 出会いは、春です。別れは、いつになるのでしょう?
 お医者様が何か言っているようですが、女の子の耳には届きませんでした。
 春。夏。春。夏。春――
 不意に、天使との思い出が浮かび上がってきました。楽しい思い出ばかりです。楽しいお話ばかりです。笑顔ばかりです。笑い声ばかりです。天使との想い出は、全て楽しいものだけでした。
「てんしさま……」
 春の天使は、春を彩るためにお仕事をします。
 そして、今は……今は、春ではありません。
 今は――今は夏です!
「てんしさまっ!」
 弾かれたように女の子は駆け出しました。ドアを開け放ち、階段を駆け上り、部屋に飛び込みます。
「てんしさまっ!」
 女の子は叫びました。心の底から叫びました。こんなにも哀しいと想ったのは初めてでした。
 部屋の真ん中に置かれているテーブルにひれ伏している天使に抱きつきました。身体を揺すります。
 そして、違和感を感じました。
 天使の身体が軽いのです。ぬいぐるみのチャムより軽いのです。抱きかかえていると言う感覚はありません。空気を掴んでいるような感覚でした。
「………」
 てんしさま……、そう呼んだつもりでした。けれど、言葉になりませんでした。
 日差しが室内を照らして、天使の頬を淡く染め上げます。その頬に、水滴が、ポツポツと落ちていきました。
 女の子の涙でした。
 女の子は泣いていました。
 女の子は涙を零していました。
「……ん…しさ……」
 言葉は最後まで続きませんでした。
 開け放たれた窓からは、小鳥のさえずりが聴こえます。ツバメです。初夏の到来を告げる、ツバメの鳴き声です。
 女の子は軽い天使の身体を抱きしめました。
 と、それに反応したのか、天使が今まで閉じていた瞼を挙げたではありませんか!
 言葉になりません。どう言葉にしていいか、女の子には分かりませんでした。ただ、天使の顔を見つめます。
 そして女の子の涙がまた一つ天使の頬にかかって、窓から風が吹き込んで、
「春は――好き?」
 天使は光となって消えてしまいました。

 天使を光に代えた風は、夏の風でした。





  5、御伽噺


 春、夏、秋、冬。
 世界には四つの季節が在ります。そしてその季節ごとに、天使がいるのです。

 春には春の天使が。
 夏には夏の天使が。
 秋には秋の天使が。
 冬には冬の天使が。

 天使たちはそれぞれ季節を分担し、自分の季節が最も美しくなるようにお仕事を続けているのです。

 春には彩りを。
 夏には青葉を。
 秋には実りを。
 冬には静謐を。

 天使は、今日もお仕事を続けています。

 春に咲く花は夏の青葉を宿し、夏の青葉は秋の実りの肥やしとなり、秋の実りは冬の静謐のエピローグを迎え、冬の静謐は春の彩りのオープニングを奏でる。
 季節はそうやって巡っているのです。
 天使は、そうやって季節を受け継いでいくのです。

 春には春の天使が。
 夏には夏の天使が。
 秋には秋の天使が。
 冬には冬の天使が。

 天使は自らの季節に生き、そして――その季節に生涯を終えるのです。




 おわり。




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