バトル・オブ・ライフ |
月守 蒼輝 |
12月某日、私は卒業検定を目の前にして緊張していた。当然だ。これは自動車学校の教習を締めくくる最後の試練である。まして、仮免取得時にもひと波乱起こしたのだ。今回も無事で済むとは思えない。 あの時はひどかった……。脱輪1、エンスト2、試験官による急ブレーキ2。もし校内のコースが試験場でなければ事故を起こしていたかもしれない。それほどまでに運転が下手だった。結果はもちろん不合格。実技教習を延長、欠点を見直しての再挑戦でようやく合格したのだった。 あれから同じ失敗を繰り返さぬよう死に物狂いで練習した。担当の教官はバリバリ体育系の熱血教師のような人だった。今も目を閉じると血のにじむような特訓の思い出がよみがえる……。 「ブレーキのタイミングが遅い! そんなことでは雪道で止まれないぞ!」 「はい!」 「急に曲がりすぎだ! ハンドルを切るときはゆっくりと円を描くように!」 「はいっ!」 「トロトロ走るんじゃない! アクセルをもっと強く踏み込め!」 「サー、イエッサー!!」 「このバカ弟子がァァァァッ! だからお前はアホなのだァァァァッ!」 「しぃぃぃしょおぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」 ……これ以上思い出すのはやめよう。 とにかく既に合計10時間も実技教習を延長しているので一発で合格したいところだけど、自信は全く無い。どうしよう。 「それでも、やるしかないか……」 覚悟を決める。どうせいつかは通らなければならない道だ。今がそのときならば、ただ全力を尽くすのみ。当たって砕けろだ。本当に玉砕しそうだけど。 そんなことを考えていると、ちょうど試験官もやってきた。 「君が今日の受験者か。受験番号と名前を言いなさい」 「受験番号4番です。私のことはツッキーとお呼びください」 「ちゃんと真面目に答えなさい。名前は?」 「いいんですか? 後悔しますよ」 「いいからさっさと言いなさい」 「仕方ありませんね。どうなっても知りませんよ……」 大きく息を吸って肺にめいっぱい酸素を溜め込む。そして、早口で一気にまくし立てた。 「ツッキ=ジャン=クラナッハ=クリストゥス=カルパッチオ=トゥーラ=デューラー=サンチシマ=クリスパン=ポントルモ=ディエゴ=コシモ=ベルリーニ=マルティーニ=カヴァルリーニ=バルドゥンク=ルイス=ストッスコップフ=ボッティチェルリ=ボッス=ベラスケス=ポール=クリヴェルリ=ト=レーニ=シニョレルリ=ドッシ=トリニダット=クリムト=クリスピアノ=フィニー=ホセ=エルンスト=ヴィールツ=ド=ラ=フランチスコ=ジョーンズ=ラビッス=デ=トレス=アンソール=フュスリ=ネポムチェーノ=ルドン=アングル=ナンデダロォー=月守です」 「なんだって? もう一度言ってみなさい」 「だから、ユッケ=ジャン=クッパ=クリスチャン=カルボナーラ=アブラ=カタブラ…………えーと、以下同文です」 「さっきと違うような気がするんだが」 「気のせいです」 「はぁ……。こんなことをして君に何の得があるんだ?」 「少なくとも文字数は稼げます」 「はぁ?」 「何でもありません」 「……もういい。次、発進の準備」 「はい。えっと、ドアロックよし。シートベルトよし。ルームミラーよし。クラッチとブレーキのペダルを踏んで、ギアをファーストに入れて、サイドブレーキを下げて……」 「おい、エンジンをかけないでどうやって発進する気だ」 「え? あっ……」 慌ててキーを回そうとする。 「待った! その前にギアをニュートラルに入れなさい!」 「あわわわわっ!」 「おいおい、大丈夫か?」 まだ発進前だというのに、既に試験官はあからさまに呆れていた。 そして何より、他の誰でもない自分自身が己の運転に恐怖を感じていた。 「どうか、私に神のご加護がありますように……」 自分でやっておいて言うのも何だが、冗談じゃなかった。 路上に出てからは予感的中というか当然と言うべきか失敗ばかりだった。動揺していてはまともな運転など出来るはずも無い。あるときは直線で、あるときは交差点で、いつもどこかで試験官が怒鳴っていた。失敗を重ねる毎に余計に頭がこんがらがって、更にミスを繰り返す。どう考えても悪循環だった。このままではきっと落ちてしまう。というか、もし私が試験官だったら絶対に合格にしたくない。 (どうする……どうする……どうする……どうする……どうする……どうする!?) 『今こそ明鏡止水の心だ!』 どこからかそんな声が聞こえた。藁をも掴む思いでその言葉に従う。 (そうだ、まずは落ち着け……) ………………………………。 ………………………………。 ピチャン……。 (見えた! 見えたぞ! 水の一滴!) 「馬鹿野郎ッ! 運転中に目を瞑るなぁぁぁぁぁッ!」 ハッとして目を開ける。前方には赤信号が! キキィィィィイイィィィィィィィッ!! 「はあっ、はあっ、なんて、はあっ、事を、はあっ、はあっ、するんだ……」 「はあっ、はあっ、すみませんっ、はあっ、はあっ、つい……」 車は停止線ギリギリで止まっていた。どうやら教官がブレーキを踏んだらしい。教習車は助手席の足元にもブレーキがついているのだ。 (もうおしまいだ、何もかも……) ついに、絶対やってはいけないことをやってしまった。教官がブレーキを踏むことは、受験者が安全運転を守れなかったことを意味する。もはや合格は絶望的だろう。そう思ったら今まで気負っていたのが馬鹿らしくなってきた。残りの時間は楽しく運転しよう。 幸い、それから怒鳴られることは一度も無かったのだった。 路上での運転も何とか終わり、命の素晴らしさを噛み締める。ああ、生きてて本当に良かった……。これで残すは方向転換のみ。方向転換とは、道幅の狭いT字路を利用して車の向きを180°転換することをさす。先程、これを実践するために校内のコースへと戻ってきた。 今回は右側の方向転換なので、右側の路地を一度通り過ぎた後、右後方にバックして路地に入り、十分に下がった後にハンドルを左に切り直し左前方……つまり最初入ってきた道へと引き返すのがセオリーだ。 だが、最初からいきなり右折で路地に入ってしまう。当然ながら、手順が違うので途中で試験官がブレーキを踏む。 「何をやってるんだ!」 「いえ、これでいいんですよ……」 思わずニヤリと笑ってしまったが、おそらく試験官には見えていないだろう。 ついに来たのだ、この時が。 夕暮れ時。夕日が西の空を赤く染め上げていた。この自動車学校は少し高い丘に建てられていて、なかなか眺めがいい。いつも心臓破りの坂を自転車で登って来なければならないのだけは堪えるけど、それももうすぐ終わる。そう、これが検定前の最後の教習。合格してしまえば二度とこのコースを走ることは無いかもしれないと思うとちょっと感傷的になってくる。そんな時、教官が真面目な顔で話を切り出した。 「どういうわけか、お前は方向転換だけはまともに出来ている。だが、今のままでは足りない」 「じゃあ、一体どうすればいいんですか?」 「それを今から教える。合格したければついて来い!」 「はい!」 特訓は日が完全に沈むまで続いた。今までで一番厳しかったけど、その一挙一投足を無駄にしないように必死に食らいついていった。この時間を、最後の教習にするために。 (今こそあの練習を思い出すんだ!) ハンドルを右にめいっぱい切る。ギアを1速にいれ、アクセルを一気にふかす。エンジンが猛り狂う野獣のように咆哮する。回転数が5,000rpmに達した瞬間にすかさずクラッチを繋ぐと、タイヤが物凄い勢いでスピンしながら悲鳴を上げた。 「アクセルターンっ!」 「何いぃぃぃぃぃっ!?」 本来のアクセルターンで180°転回するにはここはあまりにも狭すぎて不可能なはずであるが、車体の半分を路地に入れている今なら何とか可能だ。 視界がぐるぐる回る。しかし、私の心は不思議と落ち着いていた。ただ一瞬のためだけに全神経を一点に集中する。 「今だっ!」 90°ほど曲がったところで瞬時にハンドルを左の限界まで切りつつギアをバックに! 最初の入射角が45°だったため、180°にするには180-(45+90)=45°ほどバックすれば良い。 「うおぉぉぉぉぉぉぉっ!!!」 検定は終わり、私は結果発表を見るためにロビーで待機していた。検定の結果は電光掲示板に表示されることになっている。今更合格するとは思ってないが、それでも見ないで帰るわけにはいかない。 アクセルターンは大成功だった。特訓の成果を生かせたのは嬉かったけど、後で試験官にこってり絞られた。技術ばかりに目を向けて安全運転を守れない者は車を運転する資格が無いとの事。つまり、徒労に終わるどころかむしろ逆効果だったのだ。だったら何で教官はあんな技を教えたのだろう……。 まぁいい。どうせもう一時間教習を延長しなければならないのだからそのときに聞くことにしよう。 電光掲示板に合格者の番号が表示された。そこにはしっかりと「4」の数字が。まさか、合格するなんて……。 そんな思考を巡らせていると、後ろからポンと肩を叩かれた。振り向くと、あの教官が立っていた。 「頑張ったな。合格おめでとう」 スポーツマンの如き爽やかな笑みを向けてくる。でも、それに対する感謝よりも先にどうしても気になっていたことが口に出た。 「どうして合格なんですか? 自分で言うのもおかしいですが、今日の運転は合格の基準には及ばないものだと思っています。それなのに、一体何故……?」 教官は少し考えるそぶりを見せた後、 「お前も言われただろう? 『技術ばかりに目を向けて安全運転を守れない者は車を運転する資格が無い』と」 と聞いてきた。 「はい」 「ここを優秀な成績で卒業しても事故を起こすやつは多いんだ。運転が上手いかどうかじゃないさ。事故の多くが速度超過などの交通違反によって引き起こされているものだからな。大事なのは、自分の力量をきちんと見極め周囲に目を向けてベストの運転をすることだ」 顔を俯ける。自分が何を言うべきなのか分からない。 「お前の運転、後半はなかなか良かったと言ってたぞ。教えられたことをきちんと守っているって」 そういえば、試験を意識しなくなってからは普通に運転してた気がする。最初は気負いすぎたってことか……。 「それに、アレを決めたんだってなぁ?」 そう言いながら、教官はとてもおかしそうに笑っていた。 「自分で教えておきながら笑うなんてひどいですよ」 「まあそう脹れるな。結果的に合格したんだから良かったじゃないか」 「……そうですね」 「それじゃあ、これでお別れだ。これからも常に安全運転を心がけるように」 「はい! 今まで、どうもありがとうございました!」 こうして私の自動車教習は終わった。ここで経験したことは生涯忘れることが無いだろう。それはもうあらゆる意味で。というか、忘れたくても忘れられないと思う。いやホント。 ちなみに、学科試験も合格しなければ免許証は発行されないのだが、それはまた別の話である。 |
あとがき ども、月守 蒼輝です。Ever17のほうではいくつか投稿してましたがこちらでは初めてになります。というか、Ever17のほうも半年以上は投稿してませんね……。ひょっとして、前より書けなくなってるんじゃないでしょうか。 今回のBOLは、とある方に「駄文を書け駄文を」と言われてしまったので、駄文=くだらないSS=BOLという三段活用(?)により書く事になりました。言葉通りに見事な駄目っぷりですが、もしほんの少しでも楽しんで頂けたのなら幸いです。 それにしても、なんだかやけに固い書き方になってしまいました。BOLとして書くならもうちょっと気楽に出来ればよかったんですけど……やはり経験不足でしょうか。 さて内容のことですが、ちょうど免許取得中でネタには事欠かなかったので使ってみました。念のため断っておきますが、本作は実体験を元にこれでもかって言うくらい脚色・曲解したものをいったん隅々まで分解し再構成した、明らかにフィクションに分類されるお話です。事実スレスレのことも確かにありますが、だからって余計な詮索はしないでくださいね。もし肖像権を著しく侵害されるような事になった場合、報復としてあなたの許にヒットマンが送られる可能性も決して全否定するような事はできませんので♪ さて、それではまたの機会にお会いしましょう。最後まで読んでくださった方々、どうもありがとうございました。 |
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