ナツコイ-first love-
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第5章 交差






     “ごめんなさい”





 さらけ出された肌に、容赦なく太陽の光が降り注ぐ。
 皮膚がジリジリと焼き尽くされる感触を直に感じる。
 見上げればそこには、透き通るような蒼い空を背景に、思わず手を翳してしまうほどまぶしい太陽が存在していた。
 耳に飛び込んでくるのは、ほぼ定期的に響く、波の音。
 若者を中心とした様々な人々の矯正。
「お待たせ〜♪」
 背後からかけられた声は、雅人のものだった。
 振り返った先には、水着姿になった雅人、椎名さん、千穂、そして那美……。
「別に待った、というほどでもないよ」
 オレの背後から、オレと共に先に着替えを済ませていた直人が、笑顔で応える。
「いや、直人。コイツはな、さっきのセリフを言いたかっただけだ。だから相手するな」
「うっ……!」
「え? そうなの?」
 対極のリアクションをとる二人。
「海にまで来てコントしないでよ……」
 コンボのトリを務める、千穂の呆れ交じりの突っ込み。
 今日も絶好調……なのか?

 山の中にあるオレたちの街から、車で1時間。
 山道を越えて辿り着いたこの海岸。シーズン真っ盛りだけあって人は多いが、椎名さん曰くこれでもまだ空いている方らしい。
 椎名さんは意外と運動神経はよく、特に水泳やスキーの類はかなり得意の範囲らしく、毎年何度もこの海水浴場に訪れているらしい。
 オレたちの街からは一応一番近いし、それなりにいい場所だからである。だからオレたちもここを選んだのだが。
「晴れてよかったねぇ」
 一人だけ水着ではなく、Tシャツにショートパンツ、麦藁帽子という格好で現れたのは千穂の姉、沙耶。千穂に負けず劣らずワイルドでラフな性格をしている半男半女の生命体……勿論そんな言葉を口に出せば、二人によってこのまま海の藻屑とされてしまうだろうが。
「そうですねぇ♪」
 随分とご機嫌よく相槌を打ったのは、那美だった。近くにいた子供に負けずとも劣らずといった感じではしゃぎながら、海の中へと向かっていく。
「なんか、随分とはしゃいでますね」
 オレと同じ感想を、椎名さんは苦笑しながら呟いた。
「それじゃあ私は、子守をしてきますので」
 冗談めかしながら、彼女は那美のもとへと向かっていく。
 ……どうやら『子守』というのは那美の相手をする、ということらしい……
「なあに女性人の眩しい水着姿に見とれてるんだよ、隆二ぃ!!」
 もう一人のガキが、オレにヘッドロックをかました。
「…………」
 その首に回された腕が絞めに入る前に、オレはすさかずその雅人のみぞおちへと肘を喰らわす。
「…………っ!!」
 思いもよらぬ反撃に、声にならない悲鳴を出す雅人。まあ、確かに自分でも怖ろしいほどにクリーンヒットしたからな。あの体勢で。
「だ、大丈夫?」
 直人が心配して近寄ってくるが、
「大丈夫でしょ、そのくらい。教室じゃ日常茶飯事だったし」
 と、千穂が口を入れてくる。
「ぐ……あ……大丈夫なワケ……ある……か――」
「さて、オレたちもゆっくり海水浴を満喫するか」
 最期が近い雅人の言葉を遮り、オレは那美たちが楽しそうに泳ぎ回るその海へと視線を飛ばした。
「そだねぇ。行こうか」
「あ、うん……でも、沙耶さんは? 着替えたりしないんですか?」
 促されたものの、直人は唯一人水着ではない沙耶に話を振る。
「あ、ああ……私は――」
「めんどくさがり屋だから♪」
 沙耶の言葉を引き継いで――いや、奪い取って、千穂が笑顔で告げる。
「おいこら。そうじゃなくて私は――」
「本当はスタイルがよくないということを悟られたくないから」
 そしてオレもまた、ノリで言葉尻を奪い取ってやった。
 ……ノリとは辛いものだ。
 そして芸人とは辛いものだ。
 そのことを、オレは身を持って思い知ることになる。
「う、うるせぇーーーーーーー!!!!」
 緊急回避発動――に至るより早く、沙耶の右腕がオレの首根っこを掴んだ。
 そしてそのまま。
「とんでこーーーーーーーーーーーーーーい!!!!」
 どういう筋力をしているのか。
 片手一本でこのオレを軽々と持ち上げたばかりか、そのオレの体を海目掛けて思い切り投げ飛ばしたのだ。
「――!!」
 視線の先には、海。
 いや、唯の海ならまだいい。
 だが――
 思考が執着するより早く、肉体は答えに辿り着いた。
 頭から海に飛び込んだオレは、水面の冷たさを感じるより早く、その口の中に大量の塩水が流れ込むことに不快感を感じるより早く、水面下数十センチの『海底』に激突した。
「ぶばあが……がばがば!!」
 あまりにもなんともいえない衝撃に、思わず叫びが漏れるが、それはしっかりとした声にならず、その代わりに海水が流れ込んできた。
 そして全身がうつぶせの形で『海底』に着地する。
「…………」
 そしてオレは、そのままの姿勢で、砂浜からそう遠くないこの位置にて、ぷかぷかと漂うこととなった。
 誰か、助けてくれ……

 楽しい一日っていうのは、すぐ終わるらしい。
 まるでいつもより、時間の流れを早く感じる――そんな感じ。
 それは本当なのだろう。
 気が付けば、太陽は西に傾き、空と水平線に紅い影を映し出している。海の中の人ごみも、ビーチに咲くパラソルの花々も、既にその数を半分以上まで減らしていた。オレたちのように、この近くのホテルに泊まるような者たち以外は、ほとんど帰ってしまったであろう。
 そんな寂れてしまったビーチでオレは、唯一人ぼうっと紅い海を見つめていた。
 日が高い所にあった時は、やけどしそうなほどの熱を帯びていた砂浜も、今では海水で冷えた体には心地よい程度にまでなっていた。そんな砂浜に両足を投げ出し、両手を後ろに回し体全体を支えるような姿勢で、オレは座っていた。
 波の音。黄昏に響く、五月蠅くも無く寂しくも無い、ちょうどいいレベルの嬌声。
 そんな音と、目の前に広がる色と、真下に感じる感触と、潮風の香りと味に体全体で浸る。
 平和。
 まさしくそんな感じ。
 何の悩みも無く、苦しみも無く。
 ただ、普通に笑っていられる、そんな時間。
 何の慈悲も無くただ一定のリズムで容赦なく過ぎていく時間も、この時だけは気にならない。
 何も変わらない。
 昔からの、何の変化も無い、楽しい時間。
 いつか失ってしまうかもしれない、だけどそれ故にかけがえのない、時間。
 オレはゆっくりと瞼を閉じ、後ろに回していた両腕を離し、そのまま後頭部へと移動させ、上半身をゆっくりと砂浜に降ろしていく。
 次に目を開けたとき、眼前に広がっていたのは、紅に侵食されつつある蒼い空。
 再び目を閉じれば、あとは砂の感触と風の味と香りと、波の音と人々の幸せそうな声しか存在しなくなった。
 そうしてオレは世界の一部となり、時間の流れに身を任せる。
 ふと、誰かがオレの隣に来た気配を感じた。
 ――ん?
 オレは訝しげにその瞳を開けた。
 その先にあったのは。
 銀の円。
「――へ?」
 と、声を出した次の瞬間、額に冷たい感触。
「どわぁっ!?」
 思わず謎の叫びを発し、咄嗟に手を伸ばす。
 伸ばした先にあった、その冷たい物体は、ジュースの缶だった。
「なんつー声出してんのよ」
 ケラケラと笑い出す、千穂。
「お前かよ……いきなりすぎるんだよ。まったく……」
 千穂の手からそのジュースを奪い取り、オレはゆっくり上半身を起き上げた。
「いや、だってさ。いい若者がたった一人でビーチに寝そべってるなんてアレだと思ってね……喝を入れてあげたのよ」
 まったく悪気を感じていないような屈託の無い笑みを見せる。
「他の奴らは?」
 辺りを見渡すが、オレたち二人以外は誰もいない。
「女性陣はボート。男性陣は遠泳」
「んで、女性か男性か判らない相川千穂さんは仲間はずれっと」
「どうやら今日の私は子守役らしくてね。こうしてまた一人の子供の面倒を見ているってわけ」
「…………」
 オレ、子供かよ。
 いや、ここで眠っていたんだ。むしろ老人の方が……
 いや、それも嫌だな……
「……そういえば沙耶は?」
「姉貴は一足先にホテル。タブン今頃熟睡中だよ」
「……それって、引率者の意味無いじゃん」
 まあ、予想していたことだが。
「と、まあ……私がここに来たのは……ちょっとアンタと話がしたくてね……」
 意味の取り方によってはとてもトキメク展開になりそうな言葉。
 だけどその言葉がそういう意味じゃないことは解っていた。
 それは別に千穂だから、とかじゃなくて……
 おそらく。
「……あの、さあ……告白、したの?」
 やっぱり、だった。
 数日前の放課後、千穂との会話。
 そこでオレは、那美に告白する、と決心した。
 そして、決着をつけることになると。
 千穂は絶対OKであると言っていた。
 自信満々で。
 中途半端な励ましとかじゃなく、本心から。
 だからどうしても不可解だったのだろう。
 あの日からもう数日も経っているのに、オレたち二人の間が近づくどころか――むしろ、離れたかのように……
 千穂自身も訊くに訊けなかったのだろう。
 訊く以前に、ある程度の結果予想は出来ているのだから。
 これを訊く事でオレに不快感を与えないための、配慮。
 そして、千穂自身信じたくなかったのだろう。
 あれほどまでに、何故なのかと疑いたくなってしまうほど自信満々だったのだから。
 だが、それでも訊かなければならなかった。
 だから、彼女は今、勇気を振り絞り、訊いた。
 だから、オレもまた、勇気を出し、答えなければならない。
「……ああ」
 彼女が抱いていた最後の希望が、音を立てて砕けた。
 もしかしたら実はまだ告白していなくて、近づいていないのは必然だから、という希望。
「そっ……か……」
 彼女は顔を伏せた。
 彼女らしくない、憂いを帯びた表情。
 両手で掴んだ缶ジュースを、強く握り締め、震えていた。
 オレもまた、そんな彼女の顔を直視できず、目を逸らした。
「どういう風に……言われたの?」
 顔を伏せたまま、目線だけ僅かにこちらに向けて彼女が訊いた。
 オレは少し沈黙を挟んで、あの時の『彼女』の言葉を思い出しながら紡ぎ始めた。
「……自分は隆二に相応しくない、って」
 こういうことを言うのはいいのだろうか?
 でも、千穂ならいいのかもしれない。
 いつの間にか千穂に頼っているオレが、そこにいた。
「隆二の傍にはもっといい人がいる。隆二のことを心から想っている人。私なんかより強く、強く……って」
 あの時、電話の向こうから聞こえた、彼女の声。
 オレの『告白』の前では明るく、ぎこちなくなる前の彼女の声のようだったのに。
 なのに、『告白』した後の彼女の声は、か細く、弱々しく……
『泣いていたようだった』と感じるのは、都合のいい感覚なのだろうか。
「だから私なんかが隆二の傍にいちゃいけないって……」
 そして。

 ――もう私たち、離れた方がいいよね。

「…………」
「……リュージ?」
 なんなんだよ……
 なんで、今更涙腺が緩むんだよ……
 あの時ですら、泣かなかったのに。
 ってゆうか、この歳にまでなって、泣くなんて……
 男の癖に、泣くなんて……
 オレは、もうガキじゃないって思ってたのに……
 もう一人前の大人の男だと思っていたのに……
「リュー――」
「オレ、まだガキなんだな……」
 涙でかすれそうになりながら、それでも本当に涙をこぼさないように注意しながら、オレは千穂の方を向いて、力なく笑った。
「一人前の大人でも男でもなく、唯の女々しい一人のガキなんだな」
 自虐的に、力なく笑う。
 耐えられなくなって、目を逸らし、顔を伏せる。
 そんな自分が、更に女々しく感じる。
 いつもだったら絶対人には見せない、自分の弱い部分。
 なのに、千穂の前では、素直にさらけだせる。
 昔からずっと一緒だった、かけがえのない幼なじみ……
 そんな彼女が、突然オレの体を引き寄せた。
 オレの頭が、彼女の左肩に乗っかる。
 彼女の左腕が、オレの左肩に回されていた。
「そんなことないよ」
 そして彼女は優しく言葉を紡いだ。
「恋をして、人は大人になっていくんだからね……恋して泣くことは、子供の証ではなくて、大人になった証だから……」
 そこまで言って、彼女は突然立ち上がった。
 支えを失ったオレの体は思わず転びそうになるが、なんとか立て直す。
 水平線に沈み始めた太陽をバックに、彼女の背中が前方に見える。
「こ、恋をしたこともない奴がそんなこと言ったって、全然説得力無いよね、アハハハハ……」
 上ずった声でまるで照れ隠しのように早口で喋る彼女。
「ご、ごめんね。アハハ……」
 振り返った彼女の笑顔は、夕日の所為か紅潮していた。
 そんな彼女の表情を見て、オレの中からいつの間にか、悲しみがなくなっていた。
「いや、充分励ましになったよ」
 オレは笑顔で応え、同様に立ち上がる。
「ありがとう」
「ど、どういたしまして……」
 彼女は目を逸らした。
 夕日の方へと向けたその表情は、更に紅くなっていた。
「で、でも……大丈夫なの?」
「ん……ああ……」
 大丈夫じゃないかも知れないけど……きっと大丈夫。
 今すぐにってわけにはいかないかもしれないけど……いつか、忘れられる時がくるかもしれない。
 それが正しいことなのかどうかは解らないけど。
 でも……きっとそれでいい……そう思っていたい。
「…………」
 オレへと向き直り、何かを言おうとして……また視線をそらした。
 そんな千穂に、オレは笑ってやった。
 大丈夫だよ、と。
 自分で言うのもなんだけど、
 オレは優しくなれた気がした。
 恋をして大人になるっていうのは、
 こういうことなのかもしれない。
 痛みを知って、
 思いやることが出来る。
 それが、
 大人なのかも知れない。

 でも、まだだった。
 まだ、オレの夏は終わってなかった。
 まだ、蜃気楼のように消えてはいなかった。





 夜。
 午後10時をまわったころだろうか。
 ちょっと涼んでくる、雅人と直人にそう伝え、オレは部屋を抜け出した。
 海沿いの街のホテル。
 バブル時に考えなしに立てられたホテル郡の、数少ない生き残り。
 すれ違った母子。
 5,6歳くらいの女の子の、笑顔。こんばんは、と元気よく挨拶をした。
 笑顔で会釈する母。オレも、こんばんは、と二人に返した。

 向かった先は、ホテルの中庭。
 溢れる光に包まれた空間。人はいないが、なんだか居心地が悪い。
 だからオレは、電灯の光の少ない、中庭の隅の方へと移動した。
 そこにはベンチがあった。オレはそのベンチに座って、先ほど自動販売機で買ってきたジュースのプルトップを開ける。
 プシュッと音がした。その他には、電灯の周りを飛び回る虫達の音だけ。
 静かな空間。
 夏の夜の涼しい風が、頬を優しく撫でる。
 一口含んで、そのままジュースの缶を両手で包む。
 涼しい風と、両手の冷たい感触は、僅かに寒い、と感じさせてくれた。
 視線を上げる。夜空を彩る、ホテルの巨大な外観。その外観にいくつか灯る窓の光。
 その光が見つめる中で、オレはゆっくりと瞼を閉じた。

「先客がいたんですね」
 突如聞こえたその声に、オレは目を覚ました。と、言っても、本当に眠っていたのかはよく解らない。夢も無く、目の前に深遠の闇が広がっていただけだった。
 開かれた視界の先にいたのは――椎名さんだった。
「こんばんは、志倉さん」
 彼女は闇の中、いつもの笑顔を向けてくれた。
「こんばんうわぁ〜……」
 オレも挨拶返しをしたのだが、同時に放たれたあくびによって語尾が歪んだ。
 そんなオレの奇怪な挨拶に、彼女がクスッっと笑う。
「隣、いいですか?」
「勿論」
 隣に座った彼女の腕にも、缶ジュースが握られていた。
 ポケットにしまった携帯電話を取り出して時間を調べる。10時20分。ここに来てまだ10分程度しか経っていなかった。
 やっぱり眠ってはいなかったのかな……と考えていると、突然横から「あの、」と声がした。
「ん?」
 携帯電話をしまって横に座る椎名さんの方へと振り向く。
「何?」
 椎名さんは缶ジュースを開けもせず両手で握り締めながら、そのジュースを見るかのように俯いていた。
「あの……その…………私、実は……」
 か細い声が、ゆっくりと紡ぎだされていく。
「志倉さんに、謝りたかったんです」
「へ?」
 椎名さんが……オレに、謝る?
 オレが謝るのだったら解るが……
 いや、別にオレは椎名さんに何もしてはいないが。
 ……多分。
「謝るって……何を?」
 オレのその当然の問いに、彼女はまた少し言い出すのを躊躇った後に、
「なみちゃんの、ことです」
 そう、言った。
「…………」
 オレは椎名さんの方を向いたまま、沈黙してしまった。
 ――那美。
 忘れようとしていた、名前。
 忘れてはいけないような気がしていた、名前。
「……那美が、どうかしたのか?」
 オレはなんとか、ぎこちないながらも言葉を紡ぎ出した。
 椎名さんはあのことを知らない。
 だからオレは普段どおり振舞わなければ。
「私の……所為なんです」
 だけど、その彼女の紡いだ言葉に、オレの中の『普段どおり』なんてものは消え去った。
「……椎名さんの、所為?」
 わけがわからない。
 何が椎名さんの所為なのか。それ自体すら解らない。
「彼女が……なみちゃんが、志倉さんとの距離を離そうとしているのは、私の所為なんです」
 俯いたまま、彼女はゆっくりとそう告げた。
「ちょ……」
 いきなりの告白に、オレは慌てまくる。
「ちょ……ちょっと待てよ! いきなりどういうことだよ!? 意味が解らねえよ!」
「ご、ごめんなさい」
 思わず荒げてしまったオレの声に、彼女は俯いた肩を震わせた。
「あ、いや……別に責めてるわけじゃなくて…………ただ、君が何を言っているのかが……」
「なみちゃんと志倉さんの関係がぎこちなくなっているのは、なみちゃんが志倉さんから離れようとしているからなんです」
 今、椎名さんはどういう表情をしているのだろうか。
 俯いた彼女の表情は、ここからでは見えない。
 那美が、離れようとしていた。
 
 ――もう私たち、離れた方がいいよね。

 携帯電話の先の、彼女の言葉。
 それは、別れるための、口実では無かったのか。
 だとすれば。

 ――隆二の傍にはもっといい人がいる。隆二のことを心から想っている人。私なんかより強く、強く……
 
 あの言葉。
 オレの傍にいる、オレのことを心から想っている人?
 それが那美でないのだとしたら……
「でもなみちゃんは、志倉さんのことをずっとずっと想っていました」
 椎名さんの言葉は紡がれる。
「志倉さんと同じクラスになる前からずっと……」
「……え?」
「そして、今も……」
「……な」
「彼女は、今も志倉さんのことを強く想っているんです」
「だ、だけど!」
 だけど。
 彼女は、オレに別れを告げた。
 ――何故?
「だけど、もう一人、彼女と共に、志倉さんのことを想っている人がいたんです」
 まさか。
 なんとなく、見えてきた。
 だけど、まさか、そんな馬鹿な。
 そんなこと、あるかよ。
 いや、そんな思い付きを持つなんて、オレも唯のナルシスト……
 だけど、でも、
 まさか。
「ごめんなさい……」
 椎名さんの声は、震えていた。
 いつの間にか俯いていたオレは、視線を椎名さんに戻す。
 彼女は肩を震わせて、缶を強く握り締めて、
 おそらく、その双眸からは涙を流して。
「まさか……なみちゃんまで志倉さんのことを好きだったなんて思わなかった……。気づいたのは、彼女が志倉さんと同じクラスになった時」
「椎名さん……は……」
「志倉さんと楽しく会話してる時の、彼女の表情。凄く、幸せそうだった……」
「椎名さん……」
「その時、ああ、なみちゃんも志倉さんのこと好きだったんだって。不思議と嫉妬とか、湧かなかった」
「…………」
「私は、なみちゃんのことも好きだったから。私の好きな二人が幸せになれればいいって、そう思って」
「しいな……」
「見守っていこうって、そう思ってた……」
「…………」
「だけど、だけど……」
「…………」
「彼女……も……私の想い……気付いてて……優しくて……優しすぎて……」
 嗚咽交じりの言葉は、文法も無視して紡がれ続ける。
「結局私は……二人を幸せにしたいとか言っておいて……私の所為で……二人は離れて……」
「そんなの違……別に椎名さんの所為じゃ……」
「――それに私、酷いの」
 突然はっきりと強くなった彼女の声。
「私……志倉さんから、二人が付き合ってないって訊いた時…………心の中で喜んでしまった」
 再び嗚咽にまみれる声。
「二人を見守るとか、幸せにするとか……言っておいて……結局……自己満足でしかなかった……」
「別に、そんなの……悪いことじゃないだろ!!」
 オレは、叫んでいた。
「優しすぎるのはあんたもそうだろ!! ってゆうかそんなの優しさなんかじゃねえよ!!」
 彼女は肩を震わせた後、ゆっくりと顔を上げた。
「なんだよ、お前ら……結局勝手に自己犠牲みたいなことしやがって……そんなの自分勝手じゃねえか!! オレの気持ちも全く考えてな――」
「うん、そうだよ」
 彼女は、笑った。
「私は、結局自分勝手だったんだよ。自己満足だったんだよ」
「そういう意味じゃ――」
「ごめんなさい」
 そして彼女は立ち上がった。
 そのままホテルの方へと向き直って、足を踏み出す。
「ま、待てよ――」
 咄嗟に伸ばした手。彼女の右手を掴む。
 缶ジュースで冷やされた手。冷たかった。
 振り向いた彼女。涙で、濡れていた。
「――ごめんなさい」

「何が……ごめんなさい、だよ」
 誰もいなくなったベンチ。
 電灯の周りを飛び交う虫の音だけ。
 ぬるくなった缶ジュースを、左手が握り締めていた。
 オレは立ったまま、椎名さんが走っていった方向を見つめていた。
「何が悪いんだよ……誰が悪いんだよ……」
 解らなくなっていた。
 何もかも。
 椎名さんの言葉も、那美の気持ちも。
 そして先ほど、感情に任せてぶつけたオレ自身の言葉も。
「わけ、わかんねえよ……」
 もう、それだけしか言葉に出来なかった。
「わけわかんねえよ……」



 夏はまだ、終わらない。





to be countinued to chapter.6



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