ナツコイ-first love-
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あの夏の蜃気楼(ミラージュ)―1






     “少し話したいことがあるんです……”





 暦の上での夏が終わり、既に一ヶ月が過ぎた。
 秋という季節の感触を、実際に肌で感じられるようになってきた。
 残暑も過ぎ去り、さすがに夏服では寒くなってきた丁度良い時期に衣替えが行われ、今俺自身もこうして冬服でいつもの通学路を歩いている。
 見慣れた、いつも通りの風景。黄金色の稲穂を刈り取られた水田に囲まれた道。その自然の中に建てられた不自然な建築物。
 少し先へ進むと、十字路がある。
 左に続く道は、山へ続く道。昔から変化の無い、狭い道。
 右に続く道は、中心街のある西地区へ渡る橋のうちの、北側の橋への道。最近新築されたばかりのその橋と同様、その道も整備されている。以前とは比べ物にならないほど綺麗に、そして広くなったその道は、反対側の道とは全く正反対の印象を受ける。
 だが俺が進むのは右でも左でもない。
 シグナルが青に切り替わり、俺は再び直進する。その先にあるのは、左右に蛇行する蛇形のカーブ。その道の右側は、新旧両方の一軒家が建ち並び、左側には小さなアパートたちが建ち並ぶ。
 そこを100メートルくらい進んだ先には更に十字路がある。
 左の道の先には、古い町営体育館とグラウンドがある。新しい町営体育館が既にあるというのに、その体育館は未だ残っている。グラウンドはそれでもまだ使われているものの、その体育館は、もはや誰も使えないのではないかと思ってしまうほどボロボロになっている。小学校の頃、少年野球でたまに用いていたが、その時既に、壁にいくつもの穴が開いており、キャットウォークにある窓も、既に割れたのをテープでかろうじてとめているといった始末である。あれから既に3年。その3年間の空白時代にこの体育館がどうなっているかはわからないが、話によるとテニス部などの人数が少ないスポーツ部が未だ使っているそうなので、まだなんとか使える状態にはあるようだ。
 右の道の脇には、一軒のスポーツ用品店が建っている。そのスポーツ用品店は、勿論、その店の看板を出してはいるのだが、その建築物の壁には、『おいしい手作りパンの店』と大きく書かれている。この建築物はもともとパン屋のものだったのだが、そのパン屋が移転するにあたり、その建物をこの小さなスポーツ屋に売ったらしい。看板は外したものの、壁のペイントは外せない。ゆえに未だこうして残っているのだ。昔はよくここを通る時、香ばしいパンの匂いを感じていた。懐かしいあの頃の、些細な楽しみであった。
 そして俺はその十字路も直進した。その先にある分かれ道を左に曲れば、目的の通りに出る。
 幼稚園、小学校、中学校……ものごころついたときからずっと通ってきた道。
 時間が時間なだけに、その通りにちらほらといるのは、俺と同じく登校が遅めな中学生くらいである。
 左手に幼稚園を通り越し、右手の小学校の前を通り過ぎていく。ふと視線を小学校の窓に向けると、私服姿の子供がちらちらと見える。楽しそうに飛び跳ねているように見えた。俺の胸の中に、懐かしさがこみ上げてきた。3年前まで、俺もあの場所にいた……それがまるで昨日のことのように懐かしく感じられる。3年前……
 気が付けば小学校を通り越し、既に中学校の前までやってきていた。感慨に耽る思考を取り戻し、校門を潜る。
 その先の玄関から、一人の男子生徒が軽く手を挙げているのが見える。
「おはよ」
 彼は桐生直人。女性と間違える可能性もありそうな中性的な顔立ちをした、小柄な少年。俺の友人だ。
「よ」
 俺も軽くに挨拶をして、直人と一緒に校舎の中に入る。
「今日、臨時朝会らしいよ」
 靴を履き替えながら、直人はなかなかショッキングなことを言い出す。
「は? 今週は朝会なかったんじゃねえの?」
「だから、臨時だってさ」
 下駄箱に靴を放り込んで、勢いよくフタを閉める。
「ちっ……じゃあ、少し急ぐか。そう何度も朝会サボってられないしな」
 二人ともカバンを玄関に残し、体育館へと向かう。
 廊下を歩く時、俺は窓から見える外の風景へと視線を転じた。遠くに、僅かに紅葉の始まった山々が見えた。
 ああ、もう秋なんだな。
 俺――柿崎雅人はそんなことを考えながら体育館へと歩いていった。

「何故お前がこの時間にこの場所にいる?」
 体育館に辿り着いた俺を迎えたのは、一人の少女の口から発せられた、あまりにも痛烈な一言だった。
「……いちゃ悪いか?」
「いや、悪くは無い。ただその事実があまりにも衝撃的だっただけだ」
 腕組みした姿勢で俺の前に立ち尽くし、失礼極まりない言葉を並べ立てるこの少女の名は、朝倉由実。整った顔立ちと、すらっとしたスタイル、そしてクールな言動(俺から言わせれば超がつくほどの毒舌)は、校内の男子生徒には高い人気を、そして女生徒には憧れを呼んでいた。
 しかしその嫌味なほどの魅力も、このようにある程度言葉を交わす関係になってしまうと色褪せてしまう。逆にこの口の悪さが目立ってしまうという始末。
「でも確かに意外だね。朝会に雅人が出るっていうのは」
 由実の背後から現れた少女――相川千穂。俺のクラスメイトであり、特に仲のいいグループの一人である彼女も、なかなか痛いことを言ってくれる。
「そんな……雅人も結構出てるよ、朝会」
 仲間だと信じていた者達からの言葉の暴力に、打ちのめされてうなだれていた俺の背後から、真の仲間・直人がなんとかフォローしてくれる。
「あれ? そうだっけ?」
 千穂は本気で疑問の表情を浮かべる。
「ああ、そういえば見ますよ、柿崎さんは」
 集まり始める生徒達の影から現れた、新たなる救世主――椎名美奈。
「ええっと……そういえば、臨時朝会の時はいつもいますよ」
 控えめな笑顔で、そう言ってくれる。
「…………」
「…………」
 しかし千穂と由実は冷たい表情で俺を見る。直人はというと、引きつった笑みを作っていた。
「なるほど。つまりお前は朝会の時だけ遅刻してきて、ワザと朝会をサボっていたわけだな」
「そういえばコイツ、朝会の時は遅刻するくせに普段は特に遅刻することなかったな……」
 由実は無表情に、千穂は呆れながら呟いた。
「そ、そうだったんですか……で、でも、その……」
 椎名さんはなんとかフォローをいれようとしてくれているようだが、言葉が続かない。
「ま、まあ、いいじゃん。とりあえず、並ぼう」
 引きつった笑みのまま、直人が促す。
「ん。そうだね」
「そ、そうですね」
 千穂も椎名さんもそれに従って、周りの生徒達と共に所定の位置へ並ぶ。
「相変わらずだな」
 それだけをボソリと告げて、由実もまた人ごみの中へと姿を消す。

 一種の居眠りタイムである朝会を終え、俺は千穂と共に教室へと戻ってきた。直人と由実と椎名さんは違うクラスなので既に別れている。
「ふう、よく寝た」
「寝るなよ」
 軽快なボケツッコミの後、俺は廊下側最後列の席へと座る。そして千穂も、その俺の席の隣の席へと座る。
 そこで違和感に気付いた。俺の前の席はいつも通りの空席なのだが、その隣の席までもが、何故か今日は空席だった。
「ああ、そういえば今日、朝会の時も水瀬さんいなかったな」
「みたいだね。遅刻かな? 那美にしては珍しい……」
 その席の主である水瀬那美――彼女もまた、オレたちのグループの一人だった。
「あーあ。俺も遅刻してくればよかった」
「あんたねぇ……ふわぁぁ」
 語尾に欠伸を加えながら呟き、そのまま机にうつぶせになる。
「ほれ見ろ、朝会で眠らなかったからだ」
「眠らないのが普通」
 ごもっとも。
「しかし、真面目にどうしたんだ?」
「うん……昨日、夜遅くまで那美と話してたからね」
「携帯で?」
「うん」
「不良女め」
「なんでよ」
 うつ伏せだった顔をこちらに向けて、鋭く呟く。
「まだ中学生だというのに携帯なんか持って夜遅くまで話し合うなんて……嗚呼、父さん悲しい」
「誰が父さんよ、誰が」
「ミー、ミー。アイアムユアファーザー」
 ふざけろ、とだけ呟いて、またうつぶせになる。
「でも、那美の遅刻もそれが原因だったりしてな」
 ボソリ、と呟く。
 途端に、千穂は再び顔だけこちらに向ける。
「そうかも。つーか絶対そう」
 ヤバーといった表情を見せる。
「ああ……まさかお前のせい?」
「イエス」
 どうしよ〜って表情へと変移させながらのっそりと起き上がる。
「ちょっと私事で長電話にしちゃったから……那美のヤツ、そういう時は何も言わず訊いててくれるから、つい……」
「千穂のヤツ、そういう時は遠慮せず喋り続けるから……」
「うるさい。……まあ、そうなんだけどね」
 ハァ、とため息をつく。本当に後悔しているようだ。
 別に千穂だけが一方的に悪いわけでもないだろうに……なんだかんだ言って、コイツも友達想いのヤツである。
 そんな風に思ってると、唐突にオレたちのすぐ背後にある扉が、おそるおそる開かれた。
 俺と千穂、そして他の生徒達の視線が一斉に注がれる。担任ではない。担任は後ろから入ってきたりはしない。
「お、おはよーございまーす……」
 クラスメイト全員の視線を一斉に浴びて、否応無しに控えめの挨拶を告げたその人物は、水瀬那美その人だった。
「って、まだ小松来てないんだ」
 なかなか遅い、あのやる気なし担任の不在を確認し、ほっと胸を撫で下ろす。
「ごめん、ごめんね〜、那美!!」
「え? え?」
 唐突に千穂に謝られた那美はさすがにうろたえてしまう。
「な、何が?」
「いや、昨夜の長電話……アレの所為で寝坊しちゃったんじゃないの?」
「あー、アレ? 確かにその所為で遅刻しちゃったけど……なんで千穂が謝るの?」
「だって私の所為で長くなっちゃったでしょ?」
「ああ……そんな、気にしてないよ。だってそのおかげで凄く楽しかったもん」
 申し訳無さそうに呟く千穂に、満面の笑みで対応する。
「それに夜遅くまで話すのって、なんか新鮮な感じで面白かったし……ありがとね、千穂」
「え? えーと……ああ、うん」
 謝っていたはずなのに何故か感謝され、今度は千穂の方がうろたえる番だった。
 そして、今度は前の扉が勢いよく開けられた。
「あー、すまん、遅くなった。んじゃ、簡単にMHR始めるぞー」
 早歩き気味で入ってきて教卓に配布物を置いた担任、小松祐樹は、いつものやる気の無さをたっぷりと出しながらそう告げる。
 それを確認し、那美は慌てて自分の机に座る。千穂の席の前であり、俺の前の空席の隣り。
「ホント、ごめんね」
「いいっていいって」
 身を乗り出して申し訳無さそうに両手を合わせながら謝る千穂と、その前の席から後ろに体を向けて笑顔を返す那美。その光景が、何か微笑ましく思えた。親友ってヤツだなーって思いながら。
 そしてなんとなく、俺の前の空席に視線を向けた。

 酷く簡単なMHRを終え、さっさと小松は教室から出て行く。それと同時に、我がクラスはいつも通りの喧騒に包まれる。
 一時限は英語。早速カバンから英語の教材を取り出そうとして……
「あ」
「どうした? 間抜けな声出して」
「…………」
「雅人?」
 机の脇にかけてあるはずのカバンへと手を伸ばそうとして凍りついた俺を、千穂は訝しげに覗きこむ。
「……カバン昇降口に忘れた……」
「…………」
 ことさら呆れたような表情を見せる千穂。
「早く取ってくれば? もう一時限始まっちゃうよ」
「そうだな」
 那美の言葉に頷き、俺は廊下へと飛び出す。
 そしてそこで気付く。そういえば、途中で別れたものの、3年の教室のある3階の廊下までは、直人も俺達と共にいたということを。勿論手ぶらで。
 ――と、いうことは。
「あー、雅人もやっぱりあそこに置いてきたままだったんだね」
 と、いうことだろう。
 振り向けば、罰の悪そうな笑顔の直人がいた。
「いつもは忘れないのにねー」
「まったくだ」
 苦笑しあいながら、俺たちは駆け足気味で廊下を行き、階段を駆け下りる。一段飛ばしで一気に3階分の階段を駆け下りた後、1,3年用の西側昇降口へと辿り着き、そこに寂しそうに放置されているカバンをそれぞれ拾い上げる。
「っと、俺、ちょっとトイレ言ってくるわ」
「ええ? 時間無いよ?」
「大丈夫大丈夫」
 心配そうな表情を見せる直人を笑顔で説得し、先に行かせる。直人が駆け上っていく西側階段とは反対側の、今朝も通った1階の廊下をカバンを持ちながら走る。そして中央階段脇のトイレに駆け込み、用を足す。
 洗面台で手を洗い、なんとなく鏡を見てから、扉を開けてトイレから出る。
「ふう」
「きゃっ」
 トイレから出たところで、隣りの女子トイレから同じように出てきた一人の女子とぶつかりそうになった。
「っと……悪い……って、石川さんじゃん」
 誰かと思えば、そのどことなくぼうっとした雰囲気を帯びた少女は、元女子テニス部員の石川杏子だった。
「あ、柿崎クン、おはよ〜」
 のんびりと挨拶を交わす。
「おはよ〜」
 そして俺も……って!
「いや、おはようじゃなくて、さっさといかないと、一時限始まるよ?」
「あ、そうですね〜。急がなくては〜」
 なんだか全然急いで無さそうな口調で呟く。
 いかんいかん、彼女のペースに踊らされては。
「さ、行こう」
 そう促し、俺は中央階段を昇っていく。
「あ、待って〜」
 その後ろを、石川さんもマイペースに駆け上ってくる。
 下りてきた時同様、一段飛ばしで昇ろうかとも思ったが、それでは石川さんがついてこれないのではないかと思い、普通に駆け上がる。
「あの、柿崎クン」
 3階に辿り着いた所で、後ろの石川さんが声をかけてくる。
「ん? 何?」
 振り向くと、彼女はやけに真剣な表情をしていた。
「あの、今日のお昼休みに、少し話したいことがあるんです……ですから、屋上に来てくれますか?」
「え……あ、ああ……」
 その真剣な表情と口調につられ、よくも考えないうちに了承してしまう。
「ありがとう。それじゃ、バイバイ」
 それだけ言い残し、彼女は中央階段から最も近い3年4組の教室へと入っていく。
 同時に、一時限開始のチャイムが鳴り響く。
「……っと、行かなくちゃな」
 そうひとりごちながら、俺は自分の教室へと向かう。しかし、俺の頭の中では、先ほどの石川さんの言葉の真意について、様々な思考をめぐらしていた。
(少し話したいこと……? なんか凄く改まっていたけど、一体……)
 そういう風に言われたことは初めてではなかった。陸上部に在籍していた頃には、後輩から何度か聞かされ事がある。
 だが、その時、その言葉の真意は……
(まさか、な)
 心の中で苦笑しつつ、俺は教室の中へと入る。
 ギリギリじゃん、とかいう千穂たちの軽口に軽く付き合いながら席に着いた俺の頭の中からは、いまだにそのことが離れることはなかった。
 結局、いつも集中を欠いている午前の授業は、いつも以上の集中の無さで受けることとなった。
 
 昼休み。
 いつも通り、俺は男友達との昼食をとる。
 そしてそれを早めに終え、単身屋上へと向かった。
 屋上へ続く階段。そこから屋上へと向かう扉の前には、簡単なバリケードと立ち入り地禁止と書かれたボードが存在している。無論、そんなことは俺の行動にとってなんの妨げにもならない。しかし問題は、事実上屋上が立ち入り禁止の空間であるということだ。石川さんは至って真面目な生徒であり、そんな彼女が普段から屋上を利用しているとは考えにくい。それだけ、今回の話とは他人に聞かれたくない重要なことなのか。俺の心臓は、自然と早鐘を打ち始める。
 既に俺の仮説は仮説とは思えないほどの真実味を帯び始めていた。もしその仮説が正解であれば――俺の答えは決まっていた。
 ノブをまわし、途中で小さな抵抗を感じた後、そのまま勢いよく扉にタックルを喰らわせる。荒々しいが、これが我が校の屋上の扉を開ける技である。最初の頃は大半の生徒がこの技を知らなかったために、屋上なんて行けなくて当たり前と思っていただろう。今となっては3学年のほぼ全ての生徒がこの技を知っているだろうが。
 というか直さなくていいのか? 教員諸君。
 そんなことを思いながら屋上に出ると、秋のすがすがしい風を全身に感じた。屋上の端からは、見慣れた街の全景を見渡せる。その街並みの隙間に、紅葉に染まり始めた木々が見え隠れしている。そしてその街を囲むように存在する山々にも、秋の衣が被せられていた。
 石川さんは、既にそこにいた。
「あ、柿崎さん、こんにちは」
 笑顔で挨拶を交わす。
 先述の通り、俺としてはいつもより早めに昼食を終えたつもりだったのだが……何か凄くのんびりと昼食を食べそうな彼女が、先にここにいるということにはさすがに驚いた。
「屋上は立ち入り禁止だけど?」
「そうだね〜」
 笑顔。
 いや、そうだねって……。
 まあ、軽い冗談だったからどうでもいいのだけど、まさかそんなリアクションをとられるとは……。
 真面目だと思っていたが実はボケなんじゃないのか、この人は。
(って、そんなことはどうでもいいんだよ)
「それで、話したいことって」
 気を取り直して聞いてみる。
 途端に彼女は真剣な表情になる。
 思わず俺まで緊張してしまう。
「えと、その……」
 話しづらそうに口をもごもごとする。
 この反応……
 ああ、やっぱり仮説通りなのか……
「あの……私……」
 俯いて恥ずかしそうに呟く。
 語尾が小さくなっていく。
(…………)
 俺の結論は、決まっていた。
「私……」
 だけど、その結論は……
「私……実は、直人クンのことが好きなんです」
 結論は……結……って……え?
「…………」
「…………」
 恥ずかしそうな表情のままおそるおそるその顔を上げ、俺の表情をうかがう。
 その時俺はどんな表情をしていたのだろう?
 多分、面白いくらいに呆然としていたのだろう。
「えーっと……そ、そうなのか……?」
 ぎこちない笑みをなんとか造りながら、そう訊いてみる。
「うん……」
 彼女は心底恥ずかしそうに頷いた。
 …………。
(ハハ……ハハハ……)
 心の中だけで笑う。自分の阿呆らしさに。
 なんか、馬鹿みてぇ。自己嫌悪とかじゃなくて、ホント、心から笑えるぞ。
「あの、柿崎クン……?」
「っと……ああ、ごめん」
 思わず失笑してしまいそうになるのを堪え、彼女を見つめる。
 そして頭の中を整理する。崩れ落ちた仮定はさっさと掃除して、現実を見つめる。
 彼女は直人のことが好き。これが現実だ。
 しかし、改めて考えてみると、今俺の目の前にいる石川さんは、直人のことが好き――これは、なかなか意外でもない話だった。
 違うクラスとはいえ、どちらも元テニス部であり(男女の違いはあるが)、交流はたくさんあった。しかも直人はなかなか、女の子うけしそうな顔立ちではある。去年も同じテニス部の娘と付き合っていたという事実もある。その娘とは既に別れたらしいが。
「それで……なんで俺にそのことを?」
 とりあえず当然の質問をしてみる。
「柿崎クンって、直人クンと友達ですよね?」
「ああ、そうだけど」
 ははん。なるほど。
「それで、仲を取り持ってもらいたいと?」
 石川さんは恥ずかしそうに、無言で頷く。
「でもさ、そんなことしなくても、面と向かって告白すれば? 石川さんなら、アイツもノーとは言わないだろうし」
 それは事実である。実際、何度か親しげに話している場面は見たことある。少なくとも、アイツが石川さんに悪いイメージを持っていることはありえない。
「それに、今こうして俺に告白できたんだし、別に告白する勇気が無いってわけじゃないでしょ?」
「でも……」
 そこで言葉を区切り、小さくうなだれる。
「いつも親しげに話してるじゃん。きっと大丈夫だよ」
「それはそうですけど……でも、それだけですし」
「それだけって……充分だと思うけど。とりあえず告白だけでもしてみれば? そこでオーケイもらえなくてもアイツに意識させることぐらいはできるでしょ」
「それが……」
 まだ何か踏ん切りが付かない様に呟く。
「何かあるの?」
「実は……」
 おそるおそる顔を上げつつ、俺の顔を見る。
「直人クン……もしかしたら、好きな人いるかもしれないんです」
「……へ?」
 初耳だった。
 アイツに、好きな人?
 元カノではないことは確かだ。彼女とは今も交流を続けているものの、明らかに友達としてのそれだ。
 じゃあ、一体?
 アイツからは、それっぽい話は聞いたこと無い。
「石川さんの勘違い……とかは?」
「そうかもしれませんけど……でも、そうじゃないかも……」
 またうつむき気味になっていく。
「じゃあ、仲を取り持ってもらいたいというか……つまり、そこらへんの事実を調べて欲しいと、そういうこと?」
「……はい。お願いできますか?」
 顔を上げ、真剣な面持ちでそう訊いてくる。
 なんかいつもののんびりとした彼女とは別人である。
 いわば恋する乙女モード?
「まあ、そういうことだったらやってみるよ。でもきっと勘違いだよ」
「そうだったらいいんですけど……」
 またまたうつむき気味になろうとする彼女を慌てて制しながら、俺は笑顔を見せる。
「任せなよ。俺は今まで数え切れないほどのカップルを誕生させてきた、愛のキューピッドだぜ」
「そうなの?」
「いや、それは嘘だけど……いや、でも、大丈夫。マジで大丈夫。任せなって。ホント」
「は、はい……」
 徐々に彼女の顔に笑顔が戻ってくる。
 俺は内心安堵する。
「それじゃ、お願いしてもいいですか?」
「勿論。ヤツの無罪を証明してやるよ」
 胸を張って答える。
「つ、罪って……」
「いいや、君みたいな一途な恋する乙女の気持ちを踏みにじるなんて事は、明らかに罪だ!」
「な、なんか違うような……」
「だがしかし、俺はヤツと友達やってて判るのだ。アイツがそんな悪事を働くことなんか無いと!」
「そ、そうだよね……」
「そういうわけで、早速真実を解明するべく、私柿崎雅人は行動を開始させていただきます!!」
 そう高らかに叫んで、ビシッと敬礼をする。
 その光景を始めは呆然と見守っていた石川さんだが、やがて堪えきれずに吹き出す。
「プ……ププ……アハハハハ」
 そして腹を押さえて、満面の笑顔で大笑いを始める。
 俺もまた、そんな彼女を見ながら笑う。
 この笑顔が、石川杏子という少女の本当の表情である。そう感じた。
 そしてそんな笑顔を見せてくれる少女に好かれる直人を、少し羨ましくも思ったりした。
 屋上に吹く秋の風の中、俺たちは笑いあっていた。

 放課後。
 昇降口で靴を履き替える千穂に、俺は声をかける。
「なあ、直人見なかった?」
「ん……いや、見てないなぁ。もう帰っちゃったんじゃない?」
「そうか……」
 心の中で舌打ちをする。
 結局、午後に直人をつかまえることは叶わなかった。お互いのクラスの午後の授業が移動教室ばかりだったのも原因だ。
「何? 彼になんか用があったの?」
「ん、ちょっとな」
「ふうん」
 特に追求もせず、千穂はさっさと外靴を履いて外に出る。
 俺も靴を履き替え、後を追う。
「なんかもう、すっかり秋って感じだね」
「まったくだな。今年の残暑は厳しいと思っていたら、一気に寒くなっちまったよ」
 秋の夕暮れの、柔らかな日差しを浴びながら、そんなことを言い合う。
「俺らのクラスでも、結構風邪のヤツとか多かったしな」
「そうそう。だから那美も風邪かなーって思ってたくらいだし」
「ああ、そういえば水瀬さんは?」
「今日木曜だし、委員会でしょ?」
「そっか……彼女、図書委員会だっけ?」
「そうそう」
『楽そうな委員会』として有名な図書委員会。実際、そういう動機で入ったものも何人かいるが、彼女はそれには含まれない。今頃真面目に取り組んでいる頃だろう。
「そういえばアンタも委員会入ってたでしょ」
 歩きながら、千穂は訊いてきた。
「イエス」
「出ないの?」
「だって今日無いし」
「本当に?」
 疑わしく俺を覗き込む。
「本当だって。あったら俺は今ここにいないだろ」
「いや、普通にサボりそうじゃん」
「…………」
 まあ、そう思われても仕方ないがな。
「でも、無いって……何委員会だっけ?」
「奉仕委員」
「あー……」
 納得したようだ。まあ、そうだろうな。なにしろ活動内容は募金程度しかない。所謂『楽そうな委員会』として有名な委員会の一つである。勿論俺はそういう動機で入った。
「サボる必要も無い委員会さ」
「まあ、そうだね」
 千穂は苦笑する。
 苦笑しながら、視線を左へと向ける。
 そこには、俺達が通っていた小学校があった。
「そういえば私達、同じ小学校だったんだよね」
 懐かしそうに目を細め、呟く。
「アンタとはずっと違うクラスだったから、中1の頃同じクラスになった時、まさか同じ学校のヤツとは思ってなかったよ」
「なんだよ、それ」
 今度は俺が苦笑する番だった。
「いくら違うクラスだったからって、まさか違う小学校だとは思わないだろ、普通。大体俺、小学校の頃の友人と普通に話してたじゃん。中学校に上がってからも」
「いや、だってさ」
 視線をまた俺に戻す。
「アンタ、中学校に上がってから、那美と結構親しく話してたジャン? だから、那美と同じ学校なのかなって」
「ああ……」
 曖昧に相槌を打つ。
「そういえば、アンタなんであんなに那美と親しかったの?」
「ちょっとな」そこで一旦言葉を切った。「ちょっとした知り合いだよ」
「ふーん」
 特に言及することなく、千穂はそれだけを呟いやいた。
「あれからもー3年かー」
 唐突にそんなことを言いながら千穂は空を仰ぐ。
「そんでもってもう秋かー」
「なんか、お前らしくないセリフだな」
 思わず口に出た。
「どういう意味? それ」
 ギロリ、と睨み付けられる。
「さあ。どういう意味だろうな」
 俺にだってどういう意味かはよく解らない。ただ、なんとなくそう思ってなんとなくそう呟いてしまっただけだ。
「ま、そりゃあ、確かにいつもの私なら言わないかもねー」
 特に機嫌を損なったわけでもないらしく、視線を前に戻し、曖昧な笑みでそんな風に呟く。
「じゃあ、なんで今は言ったんだ?」
 訊くと、千穂は曖昧な笑みのまま、目線だけをこちらに向けた。
「さっきからアンタがさ、樹とか空とかばっかり見てるから。そんな感じの気分なのかなーとか思って代わりに私が代弁したーみたいな」
「……ああ、そう」
 自分でも気付かなかったが、そういえばさっきから俺、空とか何回も見てるな。
 それで、なんとなくもう一回見てみる。
 見上げた先には、雲一つ無い、真っ青な秋空が広がっていた。
「…………」
 本当に雲一つ無い。
「…………」
 見つめ続けているとそのうち吸い込まれていきそうなほど、ブルー。
「…………」
 ふーん。
「いや、止まらないでよ」
 少し前の方からそんな声が聞こえて、視線を元に戻す。
 少し前の方にいる千穂が呆れた顔で抗議していた。
「そんなにじっくりと空を見て、何考えてたのよ」
「いや」
 また歩き始める。
 まだ、落ち葉の無い道を。
 誰かが落ち葉を踏みしめて歩く音を頭の中に思い浮かべながら。
「もう秋なんだな、って」





to be countinued to [that mirage of summer-2]



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