遙か彼方、天空の地にて…

第三話 
未来を貫け<魔性の瞳>
by himajinn



「――ったく!ショウのヤツ〜!」
 多分に怒気を含んだ荒っぽい口調で忌々しげに声を漏らし、ハルカは木造の廊下をのし歩いて行く。それこそまさに、床板が抜けんばかりの勢いで。
 彼女が怒っている理由は――例によってアンジェの事だった。
 今朝――二人はいつも通りに厨房でフライパンの取り合いを展開していた。今日の争いの原因は、どちらがおかずの目玉焼きを作るかというものだった。ちなみに昨日はパンにジャムをぬるかバターをぬるかという、ハイレベルな次元の争いを展開していたのだが。
 ――それはともかく、お互いがお互いを罵り合い、幾多の食器類たちの貴い命を犠牲にして、ハルカがようやくアンジェからフライパンを取り上げた時の事だ。フライパンを決闘に勝利した騎士の剣よろしく天に掲げ、勝ち鬨を上げているハルカに、ショウは冷たく言い放ったのだった。
『いいからそこどけ。二人ともおとなしくテーブルで待ってろ』
 そう言われておとなしく引き下がるハルカではなかった。フライパンをやたらめったに振りまわし、ショウの厨房への侵略を食い止めようとする。が、力の差は歴然としていた。あっさり取り押さえられ、彼は――
『ホラ、おとなしくして待ってろよ』
 だだっ子を諭すような優しい声音で言いながら、床にへたり込む彼女の頭を撫でたのだ。その目はひどく優しい。そう、子どもの悪戯を目にしながらも、全て許してくれるような――
 これで完全にハルカはキレた。怒り心頭のハルカは『子供扱いするんじゃないわよ!』と怒鳴りながら、ショウの襟首を捕まえると素早く引き寄せ、鳩尾に強烈なボディブローを三発叩きこんで、うずくまるショウと彼に駆け寄るアンジェを尻目に逃げてきた、と言うわけだ。
 こう見えて彼女は格闘技の手ほどきを受けている。パンチは全てクリーンヒットしていたから、ショウはしばらく再起不能だろう。
「いっつもアンジェの肩ばっか持って……大体あの子は何よ!?」
 自分に割り当てられた部屋のドアを乱暴に押し開けながら、ハルカは愚痴を続ける。
「おしとやかそーでいかにも男の保護欲かりたてそうな顔して、腹立つ事をさらっと、澄ました顔で……しかもショウの前に出ると、急に態度が変わるんだから!」
 ドアが外れんばかりの勢いで叩き付けるように閉めると、ハルカはそのままベッドに身を投げ出した。
「あぁ〜もぉ考えただけで腹が立つ〜!アンジェの裏表女!二重人格!このサイコめ〜!!」
 散々人の悪口雑言をまくし立てたあとで、枕に顔をうずめてみる。そうすると、なぜか少し心が落ち着いたような気がした。
 枕に顔をうずめたまま、深呼吸を一つ。そのまま顔を少しだけ上げ、枕もとの時計を眺める。秒針はとめどなく、刻一刻と時間が流れて行くのを知らせるのみ。その単調な響きが静寂に支配された部屋に響き、沈黙した雰囲気を一層強調している。
 ――ショウ……大丈夫かな……
 ふと頭に浮かんだのは、それだった。自分で殴っておいてなにを今更、彼には悪い事をしたかもしれない――と思いかけたところで、彼女の思考は中断された。
「――ぅだぁぁぁッ!!」
 暴力的な勢いで上半身だけ持ち上げると、奇妙なうめきとも叫びとも取れる奇声を発した。ショウに対する謝罪の念は、一瞬の内に霧散する。途端に腹が立ってきたためか、それとも静寂がうるさく、耐え切れなくなったのか――とにかく、叫ばずにはいられなかったのだ。
「なぁぁんであたしがあいつの心配なんかッ!大体ショウは――」
 ――ビィィッ!ビィィッ!
 突如として鳴り響いた耳障りな警報に、ハルカの叫びはかき消された。一瞬ハルカには、それがなにを意味するのかが理解できず――だが次の瞬間には、頭の中を切り替えた。
 今のこの船の状態を整理した上で、彼女は状況を理解し、急いで部屋を飛び出した。
 その向かう先は、甲板後部のコントロール室ではない。彼女は上へと続く階段を上らず、そのまま左手の階段を駆け下りた。
 彼女の向かう先――それは、<アーク>の左舷――FMP格納庫だ。

「――くそっ、ハルカのヤツ……!」
 忌々しげに吐き捨てつつ、ショウはのろのろとコントロール室に向かっていた。今なお警報は鳴り響いている。この警報は、他の飛空挺の接近警報だ。コントロール室に人がいない場合、この警報が船中に鳴り響く仕組みになっている。
 甲板の上を歩むショウの右手は鳩尾にある。ハルカのボディブローがよほど効いているのだろう。そして一方の左手は――
「大丈夫ですか?ルーカスさん」
 ショウより一回りほど背の低いアンジェの肩に回されていた。いや、その表現は正確ではない。アンジェがショウに肩を貸しているのだ。
「いや、俺は大丈夫だから、そこまでしてもらわなくても……」
「私はいいんです。離したら倒れちゃうじゃないですか」
 ショウの言葉を、ぴしゃり、とさえぎり、アンジェは腕に力をこめた。二人が一歩踏み出すたびに、アンジェの長い黒髪が左右に揺れる。やや辛そうな吐息を漏らしているアンジェの横顔を、ショウは少しの間だけ見つめていた。確かにその顔は歳の割には童顔で、ハルカの言葉はある意味的を射ている。
 船の後部に辿り着く。アンジェの助けを借りて、狭いコントロール室の中に身を納めたショウは、やっとの思いで椅子に腰掛ける。時折鳩尾が痛むが、今はそれを気にしている場合ではない。素早く状況をチェックする。
 警報が知らせていた飛空挺を示す光点が一つ、レーダーサイトの中に映し出されている。その色はグリーンで、数はおよそ三隻。
「――ちっ、中型戦闘艦クラス……飛賊か」
 小さくうめく。相手の仮想射程圏内到達まで、およそ一分。今から<ARF>を起動すれば充分に間に合うだろうが――ハルカやアンジェがいる。ハルカにはなんの警告もしていない。アンジェはつかまるものなど何もない状態だ。そんな状態で<ARF>を起動して、飛空挺同士のドッグファイトをやらかすなど、考えるまでもなく危険だ。
 残された選択肢は一つ――<空の蒼>で出撃するしかないのだが、ハルカのボディブローがかなり効いているのはすでにわかりきった事だ。この状態でFMPに乗りこんで出撃して、一体どれほどの成果を上げられるというのか?下手をすれば、制御に必要な意識領域を痛みにかき乱され、<ARF>を制御しきれない可能性だってある。
 ――それでもやるしかない……か!
 ショウが覚悟を決め、シートから腰を浮かせたその時。
 ――ごうっ。
 <アーク>が微かに揺れ、低いアクチュエータの起動音が響いてくる。ショウは、最初は敵艦の攻撃と勘違いしとっさにアンジェをかばっていたが、それは取り越し苦労だった。攻撃にしてはあまりにも早過ぎるし、なにより揺れが小さすぎる。
 慌てて起きあがったショウが目にしたものは――
「あれは―――<純白の雪>!?」
 <アーク>の左舷ハッチから飛び出して行く、白い人型の装甲体だった。
 パイロットは――考えるまでもなかった。
「ハルカ――無茶だ!」
 叫んだ時にはすでに、ショウは駆け出していた。無論、アンジェの事などとうに頭の中にはなかった。

「あたしだって、できるんだから……!」
 呪文のように口の中で小さく繰り返し唱える。
 性格からしてそうなのだが、ハルカはかなりの行動派だ。ショウに隠れて格納庫に忍び込む程度なら、彼女にとって造作もないことだった。
 忍び込んだ後は、当然FMPの訓練をしていた。いうまでもなくシミュレーションモードでの訓練なのだが、FMPに『慣れる』のには大いに役立った。シミュレート結果を信じるならば、ハルカはかなり<純白の雪>を使いこなしている事になる。
 だが――実戦はこれが初めてだった。しかも、その初めての実戦が飛空挺相手の空中戦である。はっきりいって危険極まりない。ある程度実戦慣れした人間ですらてこずる空中戦を、ハルカはぶっつけ本番でやろうとしているのだ。
 ――スラスタで滞空していられる時間は、せいぜい三十秒ってとこか……
 手元の計器を確認しながら、ハルカは頭の中で何度もその言葉を繰り返す。FMPには自機を空中に持ち上げる事が可能なだけの強力なスラスタが備わっているが、あくまでそれは持ち上げるのが限界だ。つまり、主な用途は跳躍の補助となる。
 全てのランプがオールグリーンを示す。それを確認してからハルカはハッチを開放し、カタパルトの射出台に<純白の雪>を固定する。
 天気はよく、視界は良好だ。
 緊張した体で、一度大きく息を吸い込み――
「――行くわよ……ハルカ!」
 前方の空を――その向こうにいるであろう飛賊の船を見据える。それとほぼ同時に、射出台が蒸気圧によって大きく前へ滑り出す。
「―――ッ……!」
 瞬時にして全身にくまなくかかった強烈なGのせいで、意識を失いかける。が、なんとか意識を保ち、機体の制御だけに努める。
 やがて、真っ白な一体の機動兵器が、空へと解き放たれた。
「―――あ……」
 刹那、妙な浮遊感覚にとらわれ――だが、それもほんの一瞬だった。すでにロックの解かれているペダルをすかさずを踏み込み、スラスタを一気に吹かす。
 カタパルト射出の慣性を殺さぬままに――むしろそれに、スラスタの推力を加えて、<純白の雪>は蒼穹を駆けぬける。
「――あれが……見えた!」
 鋭く叫ぶとほぼ同時に、後ろ腰にマウントしてあった長銃身の大口径キャノンを取り出す。その銃口の奥には虚ろが広がっており、見るものすべてを威圧する力強さがあった。
 ――がががががががッ!
 轟音と共に、飛空挺から対空機関銃が乱射される。飛空挺ならともかく、FMPなどが直撃を食らえばひとたまりもない。
 が、ハルカはその全てをかわして見せた。加速、減速。アポジモーターの噴射や四肢を振る事による反動姿勢制御を駆使して、放たれる数々の機銃弾を避け――
「これで――」
 一番近くにいた一隻の甲板に無理やり着地する。脚部ユニットが甲板とこすれあって火花を上げる。スラスタオフ、空中での加速をそのまま利用したスケーティング。敵艦のFMPは出撃しておらず、あっさりと着地に成功した。
 そのまま、脇で抱え込むように構える大口径キャノン――ドラゴン・レイヴと呼ばれる、対大型機動兵器用のキャノン砲――を構えた。射程は恐ろしく短いが、威力にはその倍以上の恐ろしさがある。
 手早くそれを床に向け、トリガーに指をかける。
「――いけぇぇぇッ!」
 猛り狂えし竜が、空を揺るがさんばかりの咆哮を上げた。
 強烈な反動と共に、赤い固まりが銃口から吐き出される。真っ赤に燃え盛るそれは、甲板に着弾するとほぼ同時に、紅蓮の華を咲かせた。そう、それは全てのものに恐怖と滅びを撒き散らす――灼熱の毒花。
 指向性を持たされた大量の炸裂弾を置き土産に、<純白の雪>は甲板を蹴ってスラスタを吹かし、一気に跳躍する。その数瞬のち、エンジンにまで爆発の達した飛空挺が炎を吹き上げて爆発し、空に四散する。
 空気を震わせる轟音の中を、ハルカはただ次への目標へと向けて<純白の雪>を操る。
 ――ピンッ。
 その時、耳元でなった微かな電子音に、ハルカは気付く由もなかった。無論、メインモニターの画面端で上昇を続けるパーセンテージにも。ただ、刹那の瞬間だけ現れた『Sympathy start』の文字だけが視界に跳びこんで来た。だが、そんな事を気にしている余裕などハルカにはない。その不審な文字を無視し――得に害があるわけでもなさそうだったからだ――機銃から逃れる事に専念する。
 だが、残りの二隻はなかなかしぶとかった。一度は着艦を果たすものの、スクランブル発進してきた<影の灰>の妨害で、すぐまた空へと追い出される。
「くそこの……!」
 小さく悪態をついた。<タートル>と呼ばれる、FMPの空中戦を補助するための台座ユニットから跳躍し、格闘ステッキを振りかざして突進してきた<影の灰>を、ドラゴン・レイヴの銃身で殴り倒す。
 スラスタを吹かしたまま、その<影の灰>はコントロールを失い、独楽のように回転しながら落下していく。
「うわッ!?」
 が、相手の動きが全く読めない。もちろん相手は故意にやっているのではないのだから、それも無理はない。だが、ひとたび激突してしまえば、自機もろとも巻きこまれて落下していくのは目に見えている。慌ててスラスタを吹かし、そのFMPから離れる。
 しかし、そのブーストが仇となった。
「――ヤバ……!スラスタがもう限界……!?」
 計器のうちの一つが真っ赤な数字を表示し、スラスタの出力が限界に近づきつつあることを示している。度重なる長時間滞空にブースト。それらの負荷に耐え切れるスラスタは存在しない。大抵の場合は、スラスタが焼ききれてしまう前に、リミッタによる強制停止が働く。が、この状況では、結局どちらも大差ない。違うのは、破損箇所の数だけだ。
 元々FMPの空中戦とは、<タートル>の援護があってこそなのだ。<アーク>には<タートル>が一台も置かれていなかったというのも原因の一つではあったが、元をたどればハルカの無謀さ――甘さが原因だ。
 数字が上昇するにつれ、だんだんと<純白の雪>の動きが鈍くなってくる。
 ――このままじゃ……やられる……!
 そんな絶望的な考えが脳裏に浮かんだ瞬間、ハルカの体が激しく揺さぶられた。
「―――!?」
 対空機銃の至近弾だ。とっさに回避していたためか、致命的なダメージを負うのは免れたが、それもおそらく時間の問題だろう。
 ――こーなりゃやけよ……やってやろうじゃない!
 状況は切迫していて、考えている暇などなかった。だが、この思い切りのよさは――ある意味、無鉄砲としか言い様がない。
 腰を振って飛空挺に背を向けると、何もない虚空に向かってドラゴン・レイヴを構え――
「――いけぇぇぇえぇぇぇぇぇッ!!」
 スラスタをオフにする。それと同時に、トリガーを引き絞った。
 一瞬、全てのヴェクトル干渉から逃れて虚空に制止した白い機体は、何もない空に放たれた爆発の反動で、蒼穹を飛空挺めがけてかっ飛んで行く。
 たまたま針路上にあった飛空挺の片割れに着地とも呼べない着地を敢行し、フットパーツと床の装甲版が火花を散らしているのもお構いなしに、ドラゴン・レイヴを撃ち放つ。
 ズッ!
 腹に響くような重低音と共に、赤い華が再び咲いた。その爆発は、近くにいたFMP達もろとも巻き込み、消し飛んでいく。
 無論、<純白の雪>とて例外ではなかった。発射の反動で吹き飛ばされたのがよかったのか、それとも<純白の雪>が頑丈だからなのかは定かではないが、ほとんど損傷らしい損傷もないままに、<純白の雪>は宙を舞っていた。
 だが、そのスラスタは沈黙を保ったままだった。ただ流れに身を任せるまま、遥かな高みから自由落下していく。
 ――あ……あたし、このまま死ぬのかな……?
 妙に冷静な自分が、そこにはいた。心の中に恐怖はなく――ただ漠然とした寂しさのようなものが、広がって行く。
 と、その時――
『――ハルカ!』
 突如ハルカの耳に聞きなれた声が飛び込んでくる。その焦った声が、ハルカには妙に可笑しかった。
 次の瞬間、体が、ふわっ、と浮いたかと思うと、またもとの正常な重力に戻る。自由落下のせいで体にかかっていたGは、跡形もなく消えている。
『これでも――くらってろ!』
 <純白の雪>を左腕だけで抱え上げている蒼い装甲体は、右腕に構えた長槍のような武器を突き出すと、刹那の間を置いてそこから黒い何かを高速で撃ち出した。
 バレルの内側と銃弾の外側にそれぞれ展開した<ARF>の反発力を利用して高速で弾を撃ち出す、いわばレールガンもどきだ。だが、モノがモノだけに、その威力と射程には戦慄すべきものがある。
 残り一隻の飛空挺をあっさりと撃ち貫いた黒い球体は、碧い空へと飲まれ、消えて行く。さらに二発、三発と赫いラインを残して、銃弾が空を駆けぬけ――
 ぐわんッ!
 轟音を伴った巨大な爆発が空を揺さぶる。
 その光景を、どこかぼんやりとしながら、ハルカはモニタ越しに眺めていた。さっきから頭はじんじんと痛むし、視界が微妙に霞んでいるような気がする。やはり、捨て身同然の攻撃に無理があったのか。
『ハルカ!おい、ハルカッ!返事をしろ―――』
 遠く――とても離れた場所から、ショウが自分を呼んでる声が聞こえる。だがそれも束の間――映像と音はある一点を境に、完全に闇の中へと沈んで行った――

「――なんや、やっぱいるンやん……」
 トレーラーの運転席の窓から、身を乗り出すようにしている男は、空に浮かぶ二体のFMP――正確には、内一体はもう片方に抱きかかえられるようにしているのだが――の姿を、サイバースコープの中央に捉える。
 その目に飛び込んできた映像を見て、端正な顔を歪ませ、長い金髪をかきあげる。
「ンで、ウワサ通り……それ以上の強さを見せつけてくれたわけや。<蒼い死神の王>は」
 双眼鏡をシートの上に放り出し、陽光をさえぎるためにサングラスをかける。黒のフィルタ越しにも、<空の蒼>が赫い燐光を纏っているのがはっきりとわかった。やがて二体のFMPは、後から追いついてきた小型の飛空挺に戻って行く。
「しかし――あの白いヤツ、思いきりはええけど……」
 上着の胸ポケットから取り出したクールを口にくわえ、空になったボックスの中に入っていたライターを取り出す。そこでやっとタバコが切れたことに気付き、一層表情を歪める。空箱を握り潰し、やはりサイドシートへと放り出す。
 窓から吹き込んでくる風を手でさえぎり、煙草に火をつけて、しばらくその煙をうまそうに味わう。
「――結局、素人やな……」
 煙は静かに立ち昇って――
 ひとりごちたそのセリフも、やがて空へと吸い込まれて行く。

「――なんであんな事をした?」
 ハルカが目を醒ました後、まず最初に聞いた言葉はそれだった。多分に怒気を含み、重くのしかかるような声。
 まず最初に見えたのは、木でできた天井と壁。そして誰かの影だった。
 まだどこか寝ぼけている感のあるハルカは、ゆっくりと体を起こしながら、目を醒ますために頭に手を当てて軽く左右に振る。指先に包帯の手触り。額に丁寧に巻かれたそれに軽く触れてみると、微かな痛みが走る。
 改めて辺りを見まわして、やっと気付いた。ここは<アーク>の船室――ハルカの部屋だ。そこに備え付けられたベッドに、彼女は寝かされていた。
「前に言ったよな?『危険だから乗るな』って」
 傍らには――どこからか持ってきたのであろう――丸椅子に腰掛けるショウがいた。アンジェの姿は見えない。おそらくどこかで何かをしているのだろう。この状況で一番考えられるのは、コントロールルームの留守番だ。
 ショウの声はあくまで低く、静かな怒りを秘めていた。ともすれば溢れ出してしまいそうな、それほどまでに激しい怒り。
「だって……そうする以外に方法が……」
「方法はあったんだ。それを潰したのはお前だよ」
 弁明しようとしたハルカの声を、あくまで冷徹にさえぎるショウ。
「なんで……?あの機体のどこが危険なのよ?」
 ハルカに言える事はただ一つ、それだけだ。以前ショウに釘を刺された時も、彼は同じ言葉を口にしていた。『危険だ』と。
「――あれに乗ったのなら、あるいはもうわかってるかもしれないが……<純白の雪>は間違いなく、<失われた文明の遺産>の一つだ」
 少しの間を置いて、だがわりにあっさりと口を割ったショウ。だが、ハルカはあまり驚かなかった。FMPの扱いに関しては素人である自分が、あそこまで戦えたのだ。それはひとえに、搭乗していたFMPの性能が高いという事に他ならない。
「だけど、俺が言っているのはそんな事じゃない。単純に強いだけなら、俺だってお前にアレの扱い方を教えるさ。だがな、そうしなかったのには理由がある」
 一旦言葉を切るショウ。心なし、その表情がこわばっているようにも思えた。
「――危険なんだよ。アレの強さは。
 はっきり言うと、<純白の雪>が全システムを解放したならば、どうあがいても<空の蒼>じゃ勝てない」
「―――!?そんな、嘘!」
「嘘じゃない」
 動揺し、声を上げるハルカに、ショウは冷静に言葉を返した。
「どれほど強力な武装で身を固めても、<ARF>を使っても――たとえ核兵器を持ち出したとしても、だ。最後に生き残るのは<純白の雪>だよ」
 絶句しているハルカをよそ目に、ショウはさらに続けた。
「アレには、とある強力な兵器――<失われた文明の遺産>の中でも、危険度・欠陥度ともに最上級クラスの兵器が搭載されている」
「最上級の欠陥兵器ぃ!?」
 ショウの言葉に、露骨に眉をひそめるハルカ。凶悪な兵器と聞いて、どれほどのモノかと密かに期待していたのだが――出てきたのは『欠陥兵器』の四文字だ。
「そう、まさしく欠陥兵器さ。扱う人間が耐え切れないようなものだからな。意味、わかってるか?その兵器の最大の欠陥は、扱う者の事をまるで無視している、って点なんだ。人に扱いきれない兵器は、欠陥兵器以外の何物でもない。だから、最上級クラスの危険と欠陥を持った兵器」
 ハルカは再び言葉を失う。ただ、自分がどれほど恐ろしいものに乗っていたのか――今になって、その恐怖が押し寄せてきたのだ。
「だから、もう二度とアレに乗ろうなんて思うな。頼む」
「た……頼まれなくても、二度と乗りたくないわよ……そんな危ないもの……」
 やや震えた声を絞り出すように、ハルカ。それを聞いてショウは、少しだけ表情を和らげた。
「もうすぐ近くの街に着く。俺は補給に出かけるけど、お前はここで待ってろ。アンジェが面倒見てくれるだろうから、おとなしくしてろよ?」
 最後に、ぽんっ、とハルカの頭を軽く小突いたショウは、立ちあがって彼女の部屋を後にした。
「…………子ども扱い……しないでよ……」
 誰もいないドアに向かって呟くと、彼女は頭までシーツをかぶって、ベッドの中にもぐりこんだ。ただ、いつまで経っても眠りがやってくる事はなかった。

 ――ラウルタウン――
 心地よい晴天の下、その街はほのかな賑わいを見せていた。通りの所々には露店が建ち並び、そこかしこに人が溢れている。アルセイの街ほど賑わっているわけではないが、このあたりではそこそこ大きな街だからか、それなりに人通りも多い。
 当分の食料や破損した食器類の替え、予備の弾薬や<タートル>――さっきの戦闘のように、もしまたハルカに先走られた時のための保険だ――などの補給物資はすでに手に入れた。その荷物は宅配サービスで届けてもらえるようにしてあるので、今彼の手元には何もない。こうしてぶらぶら歩いているのは、あのうるさい二人から釈放された喜びを噛み締めるためか――
「ここも久しぶりだな……」
 やや感慨深げに、周囲の景色を見まわしているショウ。確か、以前来たのが一年前で、その前が――
 どんっ。
「――あ、すんません」
 物思いに耽っていると、ついつい前方不注意になってしまい、通行人の一人とぶつかってしまった。どこか訛りのある発音。
「いえ、こちらこそ」
 あまり聞かない訛りだな――そんな事を考えた。
 だが、相手のほうもさして気に留めたわけでもなさそうだった。ショウの謝罪の言葉も半ばに立ち去ろうとして――
「……あ、あんさん。ちょい待ちぃや」
「……?」
 思い出したように振り向き、ショウの肩を掴む青年。
 その青年は、流れるような金髪の若者だった。サングラスをかけているせいであまりよくは見えないが、おそらく美形だ。肌の色もショウなどに比べるとかなり白く、華奢で繊細な印象を受けるが、付くべき所には付いている無駄のない筋肉と、フィルタの奥からも感じる強い視線、くわえて油断のない身のこなしが、見た目通りの青年ではない事を物語っている。
 しかし、その外見に反して、あまりにも不釣合いな訛り言葉がどうにも不自然だった。
「なんでしょう?」
 普通の人間なら萎縮してしまいそうなほどに強い視線を、平然と受け流しながら、ショウはただ一言そう訊いた。
「あんさん、なかなかの男前やなぁ。いい事教えたるわ」
 ――どーいう理由だよ……
 内心毒づくショウに、そのサングラスを少し押し下げて、
「まあ、結局理由なんてどうでもいいんや。ただな――」
 刺すような視線が、ショウの瞳を正面から射抜く。
「――<空中庭園>に手ェ出すようなマネだけはやめときぃ」
「―――!?」
「ほな――」
 その言葉に虚を突かれたショウが振り返った時には、すでにその青年の姿は見えなかった。人ごみに紛れ、完全に見失ってしまった。
 あるいは、今から探せば見つかるかもしれないが――結局ショウはそれをしなかった。ただ呆然と、その青年のいなくなったほうを見つめ続けていた。
 ――が。それもあまり長くは続かない。
 ――ッガァ……
「――飛賊だぁ〜!飛賊がでたぞぉ〜!!」
 遠い爆発音に混じり、悲鳴じみた叫びが上がる。その騒ぎは、まるで伝染病のように、たちまち周囲の人々に伝播して行き――
 ――街は、パニックに陥った。

「――全く……なんであんな無茶をしたんですか……」
「イテテ。だって……しょうがないでしょ?あーいう状況だったわけだし……」
 ハルカの額に巻かれた包帯を替えながら、アンジェは呆れたようなため息を漏らした。
「……ホント、バカな人ですね……」
「ん?なんか言った、アンジェ?」
「いえ、別に……」
 やや険悪な瞳で睨んでくるハルカに、アンジェは涼しい顔でそれを受け流した。いつもなら、ここで意地の張り合いを展開し、結果的にはケンカへと発展して行くのだが――今日は違った。
 いや、したくなかった。今アンジェの中にあるのは嫉妬と、そして羨望だった。自分にはあんな事、とてもできない。ただ『仕方ないから』などと言う理由で、死ぬかもしれない状況に自分から跳びこんでいくなど、とてもできない。あるいは、ハルカにはもっと別の理由があるのかもしれない――いや、確実にあるだろう。おそらくアンジェと同じ気持ちを、ハルカも抱いているに違いなかった。
 だが、たったそれだけで自ら死地に飛び込んで行けるハルカを――アンジェは正直、うらやましいと思った。
 ――だから、今日のところはおとなしく引き下がらせて――
 そこでアンジェの思考は中断された。
 ――ピピッ!
「――あ」
 ベッドサイドに置かれたヘッドセットが、軽い電子音を立てる。赤いランプが明滅を繰り返し、着信があった事を告げている。
「はぁい。ショウ、元気?」
 ヘッドセットを手に取り、軽い冗談交じりの挨拶を口にするハルカ。だが、最初は笑っていたその表情が、次第に強張って行く。その様子は、アンジェにもはっきりと見て取れた。ただならぬ事態が発生したらしい。
「――うん。わかった」
 その言葉を最後に、ハルカはスイッチを切り、ベッドから立ち上がる。
「アンジェ、ちょっと厄介な事が起きたわ」
「何があったんですか?」
 廊下に出ようとするハルカの後を追いながら、アンジェは問いかけた。ハルカは振り向き、アンジェの瞳を正面から見据え――
「FMPを十五体積載した大型航空空母一隻と、その護衛艦が二隻。飛賊が出たわ。<空の蒼>を自動操縦でスクランブル発進させた後、<アーク>も最大船速で援護に向かう。いいわね?」

「――くそっ……!」
 逃げとまどう人々の波に押しもどされそうになりながら、それでもショウはその流れに逆らっていた。先ほど見えた飛空挺は大型空母一隻と護衛艦が二隻だから、結構な数のFMPを搭載しているだろう。危険どころの数ではない。街一つ制圧できるだけの数だ。
 そしてあらゆる動物は、危険から遠ざかろうとするものだ。人間とてその例外ではない。つまり、この人の波をさかのぼって行けば、騒ぎの原因である飛賊達のもとに辿り着けるはず。
 だが、それは同時にひどく骨の折れる作業でもあった。言ってしまえば、状況は獣たちのスタンピートとそう大差ないのである。せめてもの救いは、人が高い知能を備えていることか。街の警備隊の先導にしたがって逃げている分、まだマシである。
「――しかしこれじゃ……埒があかない……!」
 通信を切ったのが三分前だ。あともう三分もすれば、<空の蒼>は街に到着するだろう。だが、<空の蒼>との合流は、なるべく人目につかない場所で、秘密裏に行わなくてはならない。そうしないと、誤って警備兵達のFMPに撃墜される可能性もあるし、火に油を注ぐような事になりかねない。
「くそ……鬱陶しい!」
 吐き捨てると、人垣を強引に掻き分け、何とかして横の小道に入る。後は裏道を歩き回っていれば、彼のヘッドセットから発振されているビーコンに導かれ<空の蒼>がやってくる。
 それから結構な間、走り続けた。いくつもの道を曲がり、あるいは階段を駆け登って、人気のなくなった街を駆け抜ける。
 その時、低いモーター音が聞こえてきた。おそらく、アクチュエーターの駆動音だろう。FMPだ。FMPが歩行で接近してきている。
 ――が、やってきたのは<空の蒼>ではない。街を襲った飛賊に違いない。ショウには歩行音が聞こえる時点で判断できていた――<空の蒼>なら、警戒しながら歩行する必要などなく、スケーティングでまっすぐ接近して来るはずだ――のだが、持っているのは護身用のリボルヴァ程度だ。六インチのマグナムは、護身用にはあまりにも物騒であり、対人兵器としては十分すぎる殺傷力を持っているが、FMPに対しては全くの無力だった。
 <暁の右腕>の能力を解放し、<戦鬼>を使えば負ける事もないだろうが、下手に攻撃を仕掛ければ、周囲の物や人を巻き添えにしてしまう可能性がある。やはりこの状況は分が悪すぎた。
 足音が消え、かわりにスラスタの噴射音が聞こえてきた。見つかったのだ。獲物を発見した飛賊のFMPが、スケーティングで高速接近して来る。
 ――いや……待てよ……
 ふと、ショウの脳裏を一つの考えがよぎった。腰のホルスターにしまってあるリボルヴァを引き抜き、周囲に視線を走らせる。目的のものはすぐに見つかった。ショウが道端の転がっていた小石――ちょうど銃口よりふた回り大きいくらいの小石を拾い上げたのと、一体の<影の灰>が曲り角から飛び出してきたのは、ほぼ同時だった。
 ――最悪、銃がダメになるか石がバラけちまうか……
 間髪入れずに放たれたFMP専用のオートマティックによる三連点射を、超人的な反射で横っ飛びに回避。右手で握りつぶし、<ARF>の作用で一回り小さくなったそれを躊躇せずにバレルの中へ押しこみ、リボルヴァを握った右手に意識を集中する。
 おそらく<影の灰>のパイロットは、あの点射が回避されるとは思っていなかったのだろう。一瞬、動きが完全に止まっていた。
 そして、ショウにはその一瞬で事足りた。
「これでもくらってろッ!リアライズ!」
 トリガーを引かずに、それだけ叫んだ。銃口が狙う先は、<影の灰>の頭部装甲。そして、赫い燐光を纏ったリボルヴァから飛び出たのは、銀色に鈍く輝く弾丸ではなく、赫い光を放つ小石だった。それは常軌をいつした速度で虚空を貫き、<影の灰>の頭部装甲に命中した。
 衝撃で吹き飛ぶ灰色の装甲体。赫い光は――赫い石はその頭部を貫通し、それ自体も砕け散り、四散した。
 地に落ちる<影の灰>。それは完全に動きを止めている。
 警戒する事およそ三十秒。それでも動かなかったので、念の為にもう一発だけ『石』を叩きこみ、それでようやく緊張を解いた。
「ったく……リパルサーレールガンの応用を思い付かなかったら、ヤバかったかもな……」
 額ににじんだ汗を拭いながら、リボルヴァの状態を点検する。レールガンの原理を応用して作られた、<ARF>同士の反発力を利用して弾丸を撃ち出すリパルサーレールガンを、ショウは即席で作り上げたのだ。ただ、なんの強化処理も施されていないようなものに<ARF>をかけるとどうなるのか、それが気がかりだったのだが、幸い、どこも問題はなさそうだ。
 しかし、街は未だに襲われている。今のは、多数いるであろう飛賊が駆るFMPの中の、ほんの一体でしかない。
 ――これからどうするか――その場で黙考し始めたその時、スラスタ音が耳に入った。聞き覚えのある、よくなじんだ音。<空の蒼>が、ショウのヘッドセットから発せられている、特定の周波数のみに向けて発振されているビーコンをたどり、ここまでやってきたのだろう。
 ショウの前に舞い降りた蒼い機体は、ただその前部装甲をオープンした。その中にすぐさま飛び込み、装甲を閉じる。
 <空の蒼>の状態チェックと平行して、ショウはこの街のマップを呼び出した。以前訪れた時のものだが、ないよりはマシである。幸い、それほど変わった所は見うけられない。そして、その至るところに赤い光点が示されている。<空の蒼>のレーダー有効圏が半径二百メートルなので、実際にはこれよりも遥かに多い数のFMPが暴れているのだろう。
「――ちッ……!こりゃちょっと厄介だな……ん?」
 ショウが見てる目の前で、光点が二つ三つ消え失せた。赤い光点は活動中のFMPを示し、その光点が消えたという事は、それぞれの光点に該当するFMPが活動を停止したか、あるいは停止させられた――撃破された事を示す。
 その事が気になり、そちらの方にレーダーを集中させてみるが、その光点を消した『誰か』は<空の蒼>の探査に引っかからない。
 そうしている間に、また一つ光点が消えた。
 ――よっぽど高いステルス性を持ってるか……ひょっとして奴さん、<失われた文明の遺産>の所有者かもな……
 だが、いつまでもここで考えているわけにはいかない。ショウは<空の蒼>をその地点へと向けて発進させた。

 ショウがそのポイントへと到着した時、奇異な光景がモニターに飛び込んで来た。
 彼が最初に連想したのは、処刑場だった。罪深き異端者や魔の使いと断ぜられ、銀光を弾く鎖によって動きを拘束された鋼の罪人達。心の臓を貫いているその傷もあわせると、あたかも魔物に施された封印のように見えた。
「これは――」
 処刑場と化したその場に立ち尽くし、だが絶句しつつも周囲を素早く走査したのは、長年FMPに乗り続けた結果身についた、条件反射のようなものだった。しかし、なんの反応もない。レーダーにも赤い光点は示されない。ここでの処刑は、すでに終わりを告げたようだ。
 かわりに、また一つ飛賊の<影の灰>が撃破された事をレーダーが知らせる。
 ――近い――
 ためらいもなく、ショウは<空の蒼>を発進させる。念の為、再び装備の点検をする。スクランブル発進したせいか、装備は全く変わっていなかった。
「――街中でリパルサーレールガンとか<流星>なんか使うわけにはいかねぇし……そうすると、頼りはブレードと<槍>だけか……」
 <暁の空>にセットされた長銃身のレールガンを取り外し、それを背部兵装マウントに固定して、小さく嘆息する。
 ショウには、この『誰か』の正体はわからないが、『誰か』の駆るFMPになら心当たりがあった。高いステルス性、芸術的なまでに鮮やかな手口、そしてなにより、鎖という独特の武装。
「――ヤツが<鮮血の紅>を持っているのは、十中八、九間違いないな……」
 街のそこかしこに灯っていた赤い光点が、いつのまにか半数以上減っているのに気付き、彼は心の中で『戦わずに済めばいいんだが』と付け加えた。ここに辿り着くまでに、ショウも二、三体の<影の灰>と遭遇したが、はっきり言ってその比ではない。
 だが、ショウの思考はそこで中断させられた。FMPの接近警告。後方から<影の灰>の三機一小隊が接近しつつある。
「このクソしんどい時に……!」
 悪態をつくと、機体を百八十度反転させ、迎撃の姿勢をとる。<鮮血の紅>は<空の蒼>のセンサでも捕えられなかった相手だ。相手の<影の灰>には<空の蒼>以外のFMPは映っていないだろう。
 いざという時にだけ、だがいつでも使えるように、リパルサーレールガンのロックを外す。残弾数は三十。余裕はあるが、あまり無駄撃ちもできないという微妙な数だ。もっとも、弾一つにかかる費用のことを考えれば、無駄打ちどころか進んで使う気が失せる。
 ――それにやっぱ、街中で飛び道具の乱射は危険だしな……
 その時、三機の<影の灰>が姿を現した。一機が後方で、牽制と援護を兼ねた射撃を開始する。残りの二機は接近戦に持ちこむためか、片方はナイフを両手に構え、もう片方はスタン・ブレードとサブマシンガンを取り出す。
 突っ込んでくる二機のFMPに対し、ショウは<暁の空>を構えて――
「――うおりゃぁぁッ!」
 ごっ。
 先頭の<影の灰>を襲った衝撃は、全く思いもよらぬ方向から飛んで来た。
『―――!?』
 いきなり頭部のメインカメラを潰され、モニターがノイズの嵐で埋め尽くされる。視界がなくなり、身動きが取れない<影の灰>に対して、ショウは再度攻撃を加えるべく――右手を振りかぶった。武器もなにも握っていない、いわゆる素手のままである右手を、だ。
「もういっちょ!」
 ごすッ!
 鈍い音とともに、<空の蒼>のマニピュレーターが灰色の機体の顎に当たる部位を的確に捕える。最初の蹴りでメインカメラを潰しておいた事が功を奏でたか、相手はよけることも防御することもできず、後ろへ吹き飛んで後続の仲間の動きを阻害した。
「<ARF>01システムロード、警告にオートリアクション」
 二体の動きが止まったところへ、さらに追撃をかけるべく、スラスタを吹かして突進する<空の蒼>。攻撃と同時進行で、ショウは<槍>の起動作業を進めた。
「――赫光の剣、狩人たるもの……」
 二体の<影の灰>は、未だに身動きが取れないでいた。片方のパイロットは完全に気を失っているらしく、もう一体に支えられるようにしているだけで、全く動かない。
 その二体に、まとめて体当たりをお見舞いする。
「神々に背き、異端の運命、汝、戦槍と化す――」
 二体まとめて空へ蹴り上げ、弾き飛ばす。その二体がふき飛んで行った先には――遠距離からライフルを連射していただけの<影の灰>がいた。衝突し、一ヶ所に集められた三体は――
「――<神狩りの槍>……」
 ――ずんっ。
 突き出された<暁の空>にまとめて貫かれた。あたかもそれは、騎士の槍に体の中央を貫かれた悪魔のようだった。
「…………リアライズ」
 ぼんッ!
 生々しい強烈な炸裂音とともに、三体のFMPが一瞬にして消し飛ぶ。至近距離から飛んでくる破片が、<空の蒼>の装甲を叩いている。その深い青色のはずの装甲が赤く染まっているのは、<ARF>起動時の影響か。それとも、たった今葬られたFMPパイロット達の返り血か――
「さて、これで――」
 スラスタを吹かしながらゆっくりと着地し、<ARF>の展開を解除する。それと同時に素早く周囲を走査。残っている反応は――
「――一つ!?」
 叫ぶと同時に、腰をひねって機体を横に跳ねさせる。不安定ながらもブーストの補助を加え、<空の蒼>はすぐさま態勢を整える。
 その最後の光点は――<空の蒼>の真後ろにあった。
『なんや、せっかく驚かしたろぉ思うとったのに』
 心底残念そうで、しかし軽薄な口調の声が聞こえた。
 今<空の蒼>の目の前には、一つの人影が立っている。街に照り返す黄昏の日よりもなお紅い――強いて言うならば、それは血の色だろう――装甲は、ひどく人間臭い仕草で肩をすくめる。
「――<鮮血の紅>……!」
『お?よぉこいつの名前知っとったな?驚かすつもりが、逆に驚かされてしもぉた』
 これは冗談抜きに驚いているようだ。が、どこか芝居がかったような調子は消えない。それがなぜか、ひどく腹立たしかった。
「済まないが、遊んでる時間はない。俺の問いに答えてもらえると助かるんだが――」
『嫌やね』
 できる限り平和的に解決しようと試みたショウだが、その目論みはあっさりと潰された。
「なぜ俺を狙う?――なぜお前が、知っている……?」
 とりあえず相手の言葉は無視した。だが、返ってきたのは言葉ではない。
 ――ひゅんっ……
 風きり音とともに、何かが虚空を疾る。銀色の何か――鎖だ。先端に重り分銅のついた鎖。直撃されれば、<空の蒼>の装甲でもただでは済まないだろう。
 しかもそれはただの重りではなく、一基につき数個のアポジモーターが装備されている。計四本のそれが、それぞれ別々の放物線を描きながら<空の蒼>めがけて飛来する。
 ――ちッ……!
 バックステップでかわし、続くステップインとともにブースト。スケーティングで一気に間合いを縮めようとする。
 一方の<鮮血の紅>は、右手から放たれたチェーンを巻き戻している最中だった。その右手を、反対側へ引きぬくようにして、一閃。
「―――!」
 相手が何をしようとしているか悟り、すかさず回避に出る。横っ飛びに飛び込むようにして、さっきまで<空の蒼>のいた空間を貫く分銅をかわす。
『そこで上へ跳ばないあたり、さすがやな』
 やはり人を小ばかにしたような口調で、今度は左手からチェーンを放つ。炸薬によってはじき出されたそれは、意思があるかのように再びショウを攻め立てた。
 だが、余裕ありげな敵を前に、ショウは焦り始めていた。相手の武器の性質上、懐に飛び込んでしまえば勝ちなのだろうが、それは相手も重々承知しているだろう。なかなか懐へもぐりこめない。
 もう一つは、この鎖分銅だった。一見ただのチェーンに見えて、実は中に一本のワイヤーが通っている。
 ――精神感応兵器……!
 そのワイヤーの正体を、ショウは一目で見破っていた。脳波を電気信号に変換し、ダイレクトに対象を操作する兵器だ。ワイヤーはつまり、鎖分銅の先端についている重りのアポジモーターを操作する為にある。
 ――<槍>は届かないし、<流星>は撃つ訳にはいかない。なら……アレしかない!
 決断した後のショウの行動は速かった。<暁の空>を構えなおし、できる限り広いところへ<鮮血の紅>をおびき出す。
「<ARF>03システムロード、警告にオートリアクション」
 いつも通りの手順をこなす。もちろんその間、相手の鎖から逃れる事も忘れない。
 ショウに与えられたチャンスは、おそらく一度きりだろう。今から撃とうとしている<鉄槌>はもともと奇襲技であり、牽制と捕縛が主な用途だ。一度見られたら、二度目はない。
 もちろんショウにはまだ負ける気はなかったが、<鉄槌>が不発に終われば、あとは防戦一方に押しこまれるのは目に見えている。欲を言えばもう一つなにかキーになるものが欲しかったが、場所があまりにも悪い。勝つこともできるが、こういった街中のような場所では、出来る限りあの技は使いたくない。
「――赫光の斧、裁き下すもの、大地に刻み、絶対の神罰、汝、鉄槌と化す――」
 詠唱音声を入力、モニターを彩る全ての警告を無視してショウはキーを打ち、
「<神々の鉄槌>……リアライズ!」
 トリガ・スペル。その発動と同時に、<暁の空>を<鮮血の紅>に向ける。解き放たれた十数本の赫い光りは複雑に絡み合い、あるものは空を分かち、あるものは地を裂き、紅い装甲体めがけて疾って行く。
 ――否。赫い光りが突き刺さったのは、<鮮血の紅>の周りの地面だった。迎撃態勢を取っていた<鮮血の紅>のパイロットは、完全に不意を突かれた。間違いなくこれは目くらましだ。噴き上がる粉塵の中、モニターはただ土砂を映すばかりだった。
 だが、相手の蒼いFMPは違う。こちらが動かなければ外から飛び道具を使えばいいし、逆に飛び出せば、そこを狙い撃ちにも出来る。
 とにかく、こうも視界が悪くては、得意の鎖も振るえない。
 ――待てよ……?
 一つの案が、彼の頭に浮かんだ。蒼いFMPを出しぬく方法。
 牽制とフェイントを兼ねて、煙の外に左腕の鎖を射出する。それから間髪入れずに、反対側から飛び出した。
『うおぉぉぉぉッ!』
 その目の前には、すでに蒼い装甲が迫っていた。さっきのフェイントを見切って、逆に動きを先読みしたか。
 だが――接近戦に持ちこもうとしたのは、完全に相手のミスだ。
「目には目を――」
 <鮮血の紅>の肩部から、二つのランチャーがせり上がる。その中には――彼の奥の手が隠されていた。
「罠には罠を、や!」

「――!?しまっ――」
 気付いた時には、すでに手遅れだった。ランチャーから射出された十数本に及ぶ鎖の群れは、それ一つ一つが生きているかのように空を切り、<空の蒼>の装甲にからみついた。
 同時に、衝撃で体が後方へ弾き飛ばされる。相手は鎖を切り離し、改めて放った楔付きのチェーンで<空の蒼>の動きを封じた。
 体がまるで自由にならない。<槍>を起動できればこの程度の鎖は簡単に断ち切れるだろうが、肝心の<暁の空>は特に厳重に鎖が絡んでおり、自由にそれを振るうことができない。
「――ちッ……!」
『そいつは地殻磁場と反応して固定されるものやからな。そうそう簡単には抜けへん』
 残る手段は引き抜くしかなかった。だが、出力を上げるショウに、<鮮血の紅>のパイロットは冷たく告げた。
 赤い機体が、背中から棒状の何かを引き抜く。陽光を照り返して鈍く輝くその刃は、分銅の先端にセットするためのブレードだ。高速微振動を繰り返す分子ブレードは、相手の装甲の厚さに関係なく、あらゆるモノを斬り裂く。
『終わりやな』
 装着された分子振動ブレードが起動し、刃の振動が始まる。それを、砲丸投げのようなストロークで<空の蒼>の胸部めがけて――投げる。
 チェーンを引きずって空を裂き、飛び行く分子振動ブレードは、吸い込まれるように<空の蒼>へ――
 ――ぎがッ!
 ――到達できなかった。寸でのところで横から瓦礫が飛んできて、ブレードの針路を逸らした。
『情けないわよ、ショウ!』
 叱咤するかのような少女の声。そちらの方を見れば――白い人型のシルエットが一つ、街の風景に溶け込んでいた。
「ハルカ……お前なにを――」
『決まってんでしょ!どこぞの不甲斐ないお兄さんを助けに、わざわざ来てあげたのよ!とりあえずコイツを――うきゃあッ!?』
 台詞も半ば、飛んで来た分銅をかわすべく、慌てて横へ飛び退くハルカ。
『なんや、仲間が出てきよった……まあ、素人が一人や二人増えたところで、ワイの優勢は変わらんけどな』
「いいの?そんなこと言って。あとで……」
 右手のドラゴン・レイヴを待機状態にし、左手にショットランサー――正真正銘の磁気射出砲を構える。磁力の反発力によって、矢じりのような物を打ち出す実体弾だ。とりあえず見た目の強そうな武装を適当に引っつかんで出撃してきたが、幸運にも<鮮血の紅>に対して有効な射程を持つ武器を装備している。
「――恥かくわよッ」
 ダッシュすると同時に、ショットランサーを三連打。時間差をもって撃ち出された合金の矢は、一直線に<鮮血の紅>を目指して――
 ――ぎがッ!
 ――全てあっさりと、鎖に絡め取られていた。
「げッ!?」
『なめたあかんで、お嬢ちゃん』
 思わずスケーティングを止め、相手の動きに見入ってしまうハルカ。予想外の出来事が起こると対処できなくなる辺り、彼女はまだ素人だった。
『戦いは――命の取り合いや!覚悟しいッ!』
 ごッ!
 右手三本の鎖が空を切り、<純白の雪>の周囲にあった建築材を突き崩す。三方から同時に、巨大な建材が白い装甲体へ向かって降り注いだ。
「うわッ!あ、危ない危ない……!」
 危なっかしい動きそのもので何とかその全てをかわしきるハルカ。
 そんな二人の戦い――一方的な『お遊び』とも言える――を、ショウは歯噛みしながら見ているしかなかった。
「くそッ!ハルカのヤツ……戦う前にこれをどうにかしろよ……!」
 <空の蒼>に絡みついた鎖はびくともしない。これから開放されれば勝負は二対一となり、有利な状況へ持っていく事が出来る。だがハルカは、<鮮血の紅>の攻撃をよけることで精一杯だ。
 しかし、ショウが焦っている原因はそれではなかった。例え一対一で勝負しても、<純白の雪>が負けることはありえない。だが、勝つためには当然、それ相応の手段と、その手段に見合うだけの能力が必要となる。
 確かに<純白の雪>に搭載されたシステムは強力だ。だが、それに人が耐えられない。アレに耐え、使いこなすことが出来る人間は、何万人に一人、現れるか現れないかという程に少ない。
「頼むから、起動するなよ……!」
 自らは戦う事もできず――ただ、祈る事しかできなかった。

『なかなか粘るな、お嬢ちゃん』
 おどけた口調が、赤い装甲の外部スピーカーから流れる。彼の言葉通り、ハルカはこの数分間、見事に耐え抜いてきた。繰り出されるチェーンの変幻自在な乱舞を、受け止め、掻い潜り、時には反撃すらしてみせた。だが、ショットランサーは一発も当たらない。掠るのが関の山だ。
『んじゃ……これはどうや、避けきってみぃッ!』
 <鮮血の紅>が両腕の鎖を全て打ち放つ。それら十本弱のメタルチェーンは――<純白の雪>に掠りもしなかった。
「え――?」
 全く見当違いな方向に撃ち出された鎖。思わずそれを、呆然と見送って――
『ハルカ、避けろッ!』
 スピーカーから切迫した声が響く。ショウだ。
 その言葉の意味を理解するより早く、ハルカは機体を強引に振った。一瞬遅れて、巨大な質量を持つ物体が複数、接近していた事をレーダーが警告する。
「――ッ!?」
 紙一重でそれをかわしたハルカ。それ――巨大な建材の塊だ。一個につき百キロは軽く越えるだろう。それがおよそ十個。よく見てみれば、塊から銀色に鈍く輝くものが見える。
「ま、まさか……チェーン一本であんなクソ重いもの操ってるの!?」
 悲鳴に近い声を上げるハルカ。実際にはそれを、十個近くも同時に操っている。確かに現実にはそうそう考えられる事態ではない。だが、相手は<失われた文明の遺産>だ。
「これは、ちょっとまずいわね……」
 さすがに焦るハルカ。背中を冷たい汗が一筋、滑り落ちる。
 そう――彼女はまたしても見逃した。『Sympathy start』の文字と、モニターの端に現れた、コンマ二桁刻みで加算されて行くパーセンテージ数を。

「―――!!」
 脳裏を駆ける、刹那の揺らぎ。ほんの一瞬のそれを、ショウははっきりと自覚していた。チェーンを外す作業を中断し、よく感覚を研ぎ澄ましてみると、今度ははっきりとその揺らぎを確認できた。
「……くそっ、起動しやがった……!」
 吐き捨て、強引に鎖を引き千切ろうとする。ダメだった。びくともしない。
「起動するなって言ってる側から……!」
 焦りの多分に滲んだ彼の声は、戦場の喧騒にかき消される。八つ当たりをするにも体が自由に動かない。怒りはやがてやるせなさへとかわり、ショウは自分の無力さを噛み締めるだけだった。

『ほら、もっと避けてみぃ!んなんじゃ追い付かれるで!?』
 あからさまな挑発。それに合わせて繰り返される、当たるはずのない攻撃。<鮮血の紅>が繰り出す攻撃は全て、最後の詰めが甘かった。もちろん故意にやっているのだろう。
 そう、全ては所詮お遊びに過ぎない。
「この……!」
 悔しげな声を漏らすハルカ。こちらもショットランサーで応戦しているものの、まるで当たらない。ハルカの狙いが悪いのではない。相手の回避力が、異常なほどに高いのだ。
「いい加減一発くらい――」
 チェーンの間隙を縫い、三連点射。だがその全てを、<鮮血の紅>はかわし、受け止めて見せた。
 その間ハルカは、周囲に視線を走らせる。元々命中は期待していない。かといって、ショウを――<空の蒼>を開放する時間が欲しかったわけでもない。少しでも時間を稼げればよかった。
 ほんの一瞬、視線を走らせ――
 ――見つけたッ!
 彼女の視線の先には、一つの崩れかかった巨大な壁があった。

「――ん?」
 <純白の雪>が放ったショットランサーを弾き散らした<鮮血の紅>のパイロットは、思わず小さな声を上げていた。
 敵の様子がおかしい。相手のFMPは素人にしてはやる方で、こっちの隙を逃さず攻撃してくると踏んでいたのだが、それがなかった。それほどまでにあからさまな隙があったのに、攻撃してこなかったのだ。
 ――これは……?
 考えている暇はない。針路を変えた<純白の雪>に追い撃ちをかける。――かわされた。元々狙いは甘めにしてあったが、今の回避機動は、彼の目から見ても称賛に価するものであった。FMPにはそれほど慣れていないようだが、体術は優れているらしい。
 白いFMPの行く手には、一つの巨大な壁があった。
「――!ちィッ……!」
 追撃の手を休めず、慌ててダッシュをかける。逃げる白い装甲体は、チェーンの猛攻に崩れた壁を目指す。だが、崩れているのは他の部分だけ。つまり壁のその部分だけは、チェーンの衝突もブレードの斬撃にも耐えた、という事だ。相手のパイロットは、それを盾にして持久戦に入るつもりだろう。いくら射程が長いとはいえ、チェーンには上限がある。だが、レールガンの一種であるショットランサーには、その上限というものが果てしなく長い。
 あの壁の陰に隠れられたら厄介だ。彼はそう判断して追撃するが、間に合わなかった。
「くッ……!」
 その壁を前にして、思わず立ち尽くす。臨戦態勢を解いたわけではない。だが、いつ相手が飛び出してくるかもわからないこの状況では、緊張感を持続しつづける必要がある。
 しかし相手は違う。気を抜くわけにはいかないだろうが、武器の関係上圧倒的に有利だ。そして、この情況の生み出す精神状態は、勝敗に大きく関わる。下手をすれば、相手が素人でも負けかねない。
「いや――あのお嬢ちゃんを素人と見くびってた、ワイの完璧なミスやな……」
 ――遊びはこれまでや――彼は心の中で、そう付け足す。だが、どうやって攻めるか。手段はないわけでもないが、隙が大きく、博打要素も高い。なおかつ『見えない』というのは、彼にとって大きなハンディキャップだ。
 かといってじっとしているわけにもいかず、彼は前に一歩、足を踏み出し――
「―――!?」
 轟音とともに壁が吹き飛んだのは、この瞬間だった。
 強烈な爆発は、巨大な壁だけでは飽き足らず、周囲の地面すらも抉り、消し飛ばした。もうもうと土煙が立ち込め、視覚を封印する。
「しまった――」
 叫んだ時にはもう遅い。攻める事だけに注意がいっていた。いや――彼の中に、まだどこか少女を侮るところがあった、という事だろうか。まさか、こんな手法で襲いかかってくるとは、考えもしなかった。彼は、射程距離の短いドラゴン・レイヴは役に立たないと、その存在を戦力として考えていなかったのだ。
『うあぁぁぁぁッ!』
 ――刹那、少女の叫びとともに土煙が割れた。薄く出来た裂け目から現れたのは――言うまでもなく<純白の雪>。ドラゴンレイヴの銃身を後ろに振りかぶっている。
「くそこのォ――!」

「うあぁぁぁぁッ!」
 咆えるハルカ。土煙を割って飛び出し、その先にはあの紅いFMPがいた。
 右手のドラゴン・レイヴで相手を直接攻撃し、至近距離からショットランサーの連打をお見舞いしてやるつもりだ。元々殴るためのものでないとはいえ、これだけの質量と重量があるならば、十二分な威力があるだろう。
 ――ごッ!
 鈍い音が響いた。FMPの装甲を伝わって、確かな手応え。モニターを見てみると、ドラゴン・レイヴは紅いFMPの肩口から側頭部にかけての部位を直撃していた。
 すかさずハルカは、ショットランサーを撃ち放とうとして――
「――う、動かない!?」
 思わず驚愕の声を上げる。何か強力な力で抑えつけられている。
『……ざ、残念やったな……!』
 外部スピーカーより、かなり辛そうな男の声。男は、ドラゴン・レイヴを振りかざす<純白の雪>に捨て身同然の体当たりをかけ、打撃の威力を少しでも軽減させると同時に、次の攻撃手段を封じたのだった。
 だが、<鮮血の紅>は違う。至近距離で腕のチェーンを放ち、<純白の雪>の動きを拘束する。
「―――!?」
『なかなかセンスはよかったで、お嬢ちゃん。殺すのがもったいないくらいや』
 腕のチェーンを切り離し、楔を地面に打ち込む。<空の蒼>を拘束したものと同じ、特殊な楔。
『でも、ここまでやられてもぉたら、ワイのプライドもズタズタや』
 言いつつも、紅いFMPは<純白の雪>に背を向けた――否。<空の蒼>の方へ向き直った。
『まずは――あっちの兄ちゃんからやな』
「―――!」
 ゆっくりと――もったいぶるかのように、一歩を踏み出す<鮮血の紅>。<空の蒼>は抵抗を続けるが、楔が抜ける事はなかった。
 紅い装甲体が右手を構える。その手には分子振動ブレードが握られている。<空の蒼>の動きが止まった。
『――の王、怒り……荒ぶる――!』
 外部スピーカーはオンになっている様だが、なにかを唱えるショウのその声はうまく聞き取れない。そうこうしているうちに、<鮮血の紅>は蒼い装甲体の目の前に辿り着いた。その右手を、ゆっくりと頭上に持ち上げ――
『ソーディ――』
「――だめぇぇぇぇぇぇぇぇぇえぇぇぇッ!!」
 ショウの声をさえぎり、ハルカの絶叫が迸る。
 刹那――パーセンテージ数が100を越えた。
 咆哮。眠りし獣の、目覚めの咆哮。歓喜と、威嚇と、そして悲哀と。猛々しく、だがどこか虚しく。
 ――白い獣の、覚醒。
「―――!?」
 そこは、ひどく異質な世界だった。『二つ』しか存在しない世界。明と暗と。黒と白と。そして――『0』と『1』と。
 時の流れがひどく遅く、視覚から得られる画像は光彩を増し、だがその情報は全て既視感。空気が希薄で、重力は見えない重圧と化し、彼女の行動を押し止めようとするかのように。だが、感じている圧力の大きさとは裏腹に、全身の反応は驚くほどクリアだった。
 息を呑むハルカ。分子ブレードに斬り裂かれようとしている<空の蒼>。だがそれはすでに過去の事象であり、今見えている現実は今であって今でない。そう、彼女は未来と今、その両方を見ている――
 迷わず地を蹴るハルカ。地殻磁場によって縫いとめられている楔を引き抜き、鎖を引きちぎって飛び出す白い機体。超感覚の塊と化した彼女に、<純白の雪>がついて来れるか――など、欠片も心配などしていなかった。それも全てわかっている事。心配する事など、何一つない。
 彼女は<魔性の瞳>を手にしたのだから――

『―――ッ!?』
 目の前に迫っていた<鮮血の紅>のパイロットが苦悶の声を上げる。そして次の瞬間には、その体を数メートル先の地面に叩きつけられていた。
「―――――」
 最後の一言を前に、思わず絶句するショウ。紅いFMPは言うまでもなく、何者かに吹き飛ばされたのだ。そしてその何者かとは――<純白の雪>を駆るハルカに他ならない。
 だが、ショウが言葉を失った理由は、自分が助かったからではない。目の前に立つ白いFMP――いや、もはやFMPの範疇を越えた究極の戦闘兵器の姿を目の当たりにしたからだ。
 ボディに走っていた黒いラインは虹色の光彩を放ち、透き通るような白は薄く発光している。機械とは思えない不思議なオーラを従え、未来すら貫くであろうその双眼は――闇。
 その機体を操っているはずのハルカは一言も語らず、ただショウを――<空の蒼>を一瞥しただけで、すぐさま<鮮血の紅>に向き直る。
 ――そんなバカな……<魔性の瞳>を制御した!?
 驚きを隠せないショウを尻目に、白い装甲体は<鮮血の紅>めがけて突進する。異常なまでの速度。さっきまでの動きが嘘のような加速能力だ。
 まだ態勢を整えきれていない<鮮血の紅>は、奥の手であろう肩部のランチャーを立ち上げた。
 しかし、放たれた鎖の群れは、ことごとく宙を切る。黄昏に舞う白い幻影。飛びくる攻撃を全て紙一重でかわしきる。
『この……ナメくさりおってぇぇぇッ!』
 咆哮する。その言葉に反応し、紅いFMPはその両腕を振り上げた。
 あわせて、巨大ななにかが地中から姿を現した。銀色に輝くそれらはうねり、たゆたい、白い装甲体めがけて殺到する。圧倒的な大多数。分子振動ブレードつきのチェーンは次々に地面を突き破り、<純白の雪>へからみつく。
 さすがにこれはかわしきれないのか、白い装甲体は銀色の蛇をいくつも体にからませていた。その蛇のうちのいくつかは、<鮮血の紅>へと直結していた。
『ワイにこの技まで使わせたんは、お嬢ちゃんが最初で最後や。――覚悟しいッ!』
 <鮮血の紅>が直接操っている数本のチェーンが、次第に締め付けられていく。ブレードで掘り崩した地面を潜行するチェーンで相手を捕え、捕縛した敵の四肢を引き千切る――そういう攻撃手段なのだろう。足元から次々と現れるチェーンは回避不能、加えて<鮮血の紅>のパワーに耐えうるFMPは、そう存在しない。
 ――だが、今回ばかりは相手が悪かった。
 白い機体のマニピュレータが、紅い機体へとつながるチェーンを掴む。
『―――なッ!?』
 そう――ただ掴んだだけ。たったそれだけの行為で、<鮮血の紅>はパワー負けしていた。<純白の雪>には、さして力をこめた様子はない。ただそれだけで<鮮血の紅>はきしみ、危なげな音を響かせている。単純な話だ。動きを拘束された<純白の雪>に、<鮮血の紅>がパワー負けしている。
『――んなアホな……こんな、力が……!』
「――これがあたしの……<純白の雪>の力よ」
 はじめて――少女は口を開いた。その声は、一ヶ月以上生活を共にしてきたショウですら、あれがハルカなのか、と疑うほどに――冷たく、底冷えするような声だった。
「もう少し力をこめれば――貴方の方が壊れるわね?」
『クッ……!』
 悔しげな声を漏らす敵パイロット。それはとりもなおさず、自分の負けを認めた、ということだ。やがて、チェーンから力が抜ける。<鮮血の紅>はがっくりと膝をつき、うなだれていた。
「さて――それじゃああなたは……」
 そう言って、ハルカが<純白の雪>に絡みついたチェーンを外そうとしたその時――
 ――絡み付いていたチェーンの全てが爆発した。中に仕込まれていた爆薬が、<鮮血の紅>の遠隔操作で起爆したのだ
「―――!?」
 突然の爆発に息を呑むショウ。
『今日のところはこの辺で退いたる。せやけど次は――』
 そのショウに向け、<鮮血の紅>のパイロットは捨て台詞だけを残し、消えた。レーダーに反応はない。ステルスシステムを作動したらしく、もはや探査不能だった。
『――またえらく……陳腐な捨てセリフだわね〜』
 爆発地点から聞こえた陽気なその声は――
「――ハルカッ!?」
『なに、大きな声だしてるのよ?あ、ひょっとして――』
 煙が晴れたその中から、白い機体が歩み出る。虹色に輝いていたラインは黒く染まり、ボディもただの白に戻っていた。
『――心配した?』
 どこか嬉しそうに、悪戯っぽい口調で、ハルカ。FMPを鎧ったそのままで、軽薄なわざとらしい仕草を交えて。
 そんな白い人型の影を前に、ショウは言葉を失っていた。不安、心配、安堵――様々な感情が溢れ出てくる。
 だが、とりあえずなによりも――
「――当たり前だろうが!」
 約束を破ったことも含め、彼は怒ることにした。

「――んじゃあなに?あれってただのシステム補助?」
 ドリンク片手に尋ねるハルカを正面から見据え、ショウはただ頷いた。
 ここは<アーク>の集合リビングだ。夕食の後、二日前の事件のことが話題に上った。ハルカが言っているのは<魔性の瞳>の事だ。
「でも、そんな大掛かりなシステムをただの補助に使うなんて、<失われた文明>の人たちは何を考えていたんでしょうね?」
 当然の疑問をもらし、小首を傾げるアンジェ。
「……わからん」
 ショウには、そう答える以外に術はない。
 ――<魔性の瞳>……
 これこそが、ショウの最も恐れていた兵器だ。
 このシステムは、FMPと搭乗者とのシンクロ率が100%を越えた時点で発動、搭乗者の脳波に干渉してこれから起こる事象を、『映像』という形でパイロットの大脳に直接送りこむ、というものだ。
 これから起こる事象、とはいえ、完璧に未来を予測するわけでもない。このシステムは「ラプラスの悪魔」の理論に則り、設定された空間内に存在する、全てのベクトルの力と向きを計測する――のだが、設定外空間にあるベクトルの干渉というものがあるため、設定された空間の中心に近ければ近いほど予測は的中し、離れれば離れるほど外れやすくなる。
 しかし、ショウが問題としているは、未来予測に関することではない。そのデータを送りこむ方法が問題なのだ。この<魔性の瞳>は逆行型精神感応兵器――脳波干渉兵器だった。はじき出された膨大な量の情報を、<魔性の瞳>は未来に起こる事象の映像として「脳波干渉波」という形で大脳へ送りこむ。強烈な感覚は大脳内で処理され――一言で言うなら、夢を見るような状態に陥る。そして、その夢が現実化する瞬間、視覚から送りこまれてきた情報は既視感を伴って処理される。この繰り返しだ。つまり、未来を先に『覗き見』するシステムと言うことになる。
 だが、大抵の人間は「脳波干渉波」が送りこまれた時点で精神崩壊を起こす。送りこまれた情報の量が桁違いに大きすぎるからだ。そもそも、どれほど高性能であろうと、現存するコンピュータでは『特定の空間内に存在するベクトルの向きと力の大きさ』など計算できるはずもない。それほどの情報量なのだ。
 もし仮に耐えられたとしても、早々長続きするものではない。現にハルカも、ここ二日間、ずっと微熱が下がらない。
 ――話を戻そう。ハルカは<魔性の瞳>が補助システムだと言った。これにはわけがある。
 一言で言うなら、<純白の雪>そのものが人体の能力を限界まで引き上げるための加速装置だった、と言うわけだ。だが、通常感覚の人体では、全能力を開放した<純白の雪>について来れない。だから<魔性の瞳>ともう一つ、全感覚神経と運動神経を中枢神経と一体化させる<崩壊機(ブレイカー)>を併用し、人体の限界を引き出す。
 これが、先日の戦闘でハルカがしていたことの全てだ。
「理由はわからない。だが、一つだけ言えることがある」
 目を伏せたまま、ショウが口を開いた。
「やっぱり<純白の雪>は危険だ、って事だ。――ハルカ」
「ん?な、なに?」
 ショウの背負った重々しい雰囲気に、思わずあとずさるハルカ。そんな彼女などお構いなしに、ショウは続けた。
「――今回は助かった。とりあえず……例を言う。ありがとう」
「…………え?」
 思わず拍子抜けするハルカ。言った当のショウは、照れを隠すかのように急に声を張り上げると、
「だが!<純白の雪>はやっぱり危険だ!乗るなとは言わない、だけど<魔性の瞳>は絶対に起動させるな!」
「き、起動させるな、って……勝手にシンクロ率が上昇しちゃうんだから、どうしようにも――」
 ショウの無茶な注文に、慌てるハルカ。
「相手は精神感応兵器だ。拒否すれば起動しないよ」
 だが、ショウは至って冷静に答えた。
「え?そ、そうなの?」
「そう。そもそも機械と人をシンクロさせよう、ってんだから、それはお互いの意思の問題さ。乗り手の意思か、あるいは機械の方ががシンクロを拒否すればシステムは作動しない。簡単な事だ」
「………………」
 思いの外単純なショウの説明に、唖然とするハルカ。
「まあそれでも、なんかの弾みで、って事もあるだろうが……限界は五分だ。それ以上は使うな。絶対に」
「う、うん……」
 戸惑うハルカ。
 彼女の中には、まだ不安があった。またあの<鮮血の紅>が襲ってきた時、一体どうするのか。いくら市外戦に持ちこまれ、思うように能力を発揮できなかったとはいえ、今度戦う時には、勝算があるのだろうか?
 ――だが、自分を見つめるショウの瞳には、固い決意と揺るぎ無い自信が浮かんでいた。
 ――大丈夫、だよね。
 やがて、コクン、と小さく頷く。
「――よし」
 それを見て、満足そうに微笑むショウ。彼は立ち上がり、リビングから出て行こうとする。
「あ、ルーカスさん、どちらへ?」
 それを見て、すかさず疑問を投げかけるアンジェ。
「ん?上のコントロールルームに、ちょっと。後片付けよろしく」
 彼はそれだけ言い残し、リビングを辞した。
「それじゃ、片づけしますので。邪魔はしないで下さいよ?」
「そりゃ、横から手を出すようなマネはしないけどね……」
 キッチンへ入るアンジェ。リビングとつながっているため、様子がよく見える。
 相変わらず癪に障るセリフだったが、まだ微熱の引かないハルカには、反論するだけの元気がなかった。
「……ねぇ、アンジェ」
「はい?」
 食器を洗い始めたアンジェに、ふとハルカは尋ねてみた。
「アンジェはさぁ……知ってる?」
「何をですか?」
 問い返すアンジェ。ハルカは、ほんの一瞬だけためらい――続けた。
「――ショウが旅をしてる……理由」

「………………」
 一通りの針路設定などを終え、甲板へ出たショウは、その場に座り込んだ。そのまま空を見上げる。
 ――空には、満天の星空が広がっていた。雲一つ見うけられない空に、余すことなく散りばめられた宝石たち。入れ替わり立ち代わり光を放つその姿は、今も――そして遥かな昔から、変わる事はない。もちろん、これから先もずっと――
 ――永久の象徴。
 ――瞬きの乱舞。
 いつの時代にも、美しい星空はそう呼ばれ、称賛される。
 風が、頬を撫でる。優しく、心地よい程度に冷たい風。<アーク>は今、北の方へ向かっている。行く当てなどない。ただ、流浪の旅を続けるだけ。
 星空に見を委ねながら、だがショウの心は別の場所にあった。
「――<鮮血の紅>……所有者は確か、ガルス=リードだったはず。だけど、彼はもう――」
 独白。誰に聞かせるでもない、自分の考えを整理したかった。
「なら彼は――息子の、フラスナ……?」
 今度は、沈黙がその場を支配する。
 ――なぜ彼は、自分を襲うのか?
 ――なぜ彼は、最初から殺すつもりでこなかったのだろうか?
 ――なぜ彼は……知っていたのか?
 さまざまな『なぜ』が浮かんでは消え、消えては浮かぶ。疑問が疑問を呼ぶ、思考の迷宮。確かな答えは得られない。どれだけ考えてみたところで、それは所詮推論に過ぎないのだから。
「――<空中庭園>……」
 一言。ローターにかき消されそうになりながらも、それは奇妙な響きを持っていた。
「俺は……逃げられないのか……!」
 ポツリ、と呟いた一言は、哀愁の色を帯びていた。



あとがき

 どうも、暇人です。あとがきって書くの久しぶり……というか、掲載そのものが久しぶりか(笑)。
 「遥か彼方、天空の地にて…」の第三話、お楽しみいただけたでしょうか?感想などを聞かせていただけたら幸いです。
 でも今回は……反響が怖いっ!だってひたすらド突き合いしかしてねぇんだもんっ!あ、あと<魔性の瞳>に関してはノーコメントで。
 ホントはもっと普通のシーンとかも入れる予定だったのですが、そうすると容量が……ただでさえオーバーしまくってるのに、これ以上増えるとさすがにマズいというか……
 んでまあ、今回で一通りのキャラクターは出揃った、って感じです。これにあと数名のキャラクターを交えて、いよいよ「遥か彼方〜」はクライマックスに向けて加速して行く――はずなんですがっ。いやほんとにするんですかねぇ(爆)。
 第四話は一応完成形が見えていて、そう遠くないうちにお披露目できると思いますが――いささか話の展開が強引だな、と。でもまぁいいやっつー事になっとるんであしからず。いや意味わかんないかもですね(汗)。

 あと、一つだけお知らせです。多分その内(どうせ完成は一年後とかそれ以上とか)に、「遥か彼方〜」の長編書きます。多分(爆)。同タイトルのくせしてキャスト一新、多分変わらずに出てくるのは<空の蒼>くらいのモンだろうというお話です。それに平行して短編を書いたり、何ぞやのSS書いたり、サークルのなんかしてたりなんで、結構時間かかるでしょうが、気長に待ってやっててください。
 では、死にそうなスケジュール相手にしても――っ!



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