遙か彼方、天空の地にて…

第四話
今目覚めの刻<空中庭園エアーズガーディン
by himajinn



「あぁ〜、疲れた……っ!」
 甲板に上がり、大きく伸びをしたハルカは、日の光を浴びて眩しそうに目を細めた。彼女の服は所々汗を吸って肌に張り付いていた。首にはタオルがかかっていて、いかにもついさっきまで運動していたといった様子だ。
「ん〜、良い天気だな……」
 陽光の元、やや上気した彼女の頬で、気持ちよさそうに陽光が跳ね回っていた。タオルで汗を一通り拭い落とすと、甲板の入り口から一人の青年が現れた。
「あ、ショウ。お疲れサマ」
「……あぁ……」
 笑顔で労うハルカの声に、ショウは何故か短く答えた。その顔はどこか青ざめていて、明らかに調子が悪いと見える。
「……?どしたの?」
「どーしたもこーしたもあるか……あんな心臓に悪い……」
 ハルカの言葉に、ショウは力なく悪態を吐いた。
 原因はおよそ一時間前、FMP格納庫での事である。ハルカの訓練にショウが付き合っていた時の話だ。ハルカが格闘に関してなかなかの腕をしていたので、ショウは好奇心から『十分以内に俺を無力化してみろ』と言ったのだ。ルールはいたって簡単、ハルカがショウを襲い、ノックアウトすればいい。
 その勝負に対してハルカが取った行動は、なんと徹底したゲリラ戦だった。FMP格納庫だけに、FMP整備用オートマシーンの騒音や、あるいは武器庫などの遮蔽物も山ほどある。しかし真っ向勝負を考えていたショウは、完璧に意表を突かれた。
 ――その勝負は地獄だった。
 遮蔽物のせいで視界は利かず、騒音のせいで音も拾えない。それだけならまだいいのだが、このハルカ、ショウに一切気配を悟らせなかったのだ。いくら視覚と聴覚が役に立たなかったとはいえ、全く気配を感じさせないというのはどうかしていた。普通の十代の少女に出来る芸当ではない。十分プロの暗殺者で通用する技術レベルだった。
 突如床に投げ出されるスパナ。足音のようなものがしたかと思い振り向けば、逆に後ろから接近される。もちろん一撃を加えられるまで気付かない。そしてたった一発だけ当てて、ハルカはまた潜伏する。もちろんその一撃は、確実にショウの急所を狙っていた。
 追われるものの恐怖。狩られるものの恐怖。これほどの恐怖は、かつて味わっていたとしてもせいぜい一度か二度である。
 ハルカの取った一撃離脱とプレッシャーによる、肉体的・精神的に重度の負担をかける戦法。ショウはそれに十分で屈した。
「そのくせ見た目にはただの小娘なんて……反則だぞ」
「?……何の事?」
 小首を傾げて訊いて来るハルカ。どうやらハルカにしてみれば、先程の『戦闘』はあまり意識するほどの事ではないらしい。つまり、それだけ身体に染みついているという事。それを思うと、また背筋に悪寒が走った。
「やめ、やめ……考えるのやめよ……」
「……?」
 首を振り振りコントロールルームへと行くショウ。その後をいまいち理解していない様子のハルカが付いて行く。
 コンソールの前に設置されたチェアに座り、この飛空挺<アーク>のチェックを一通り済ませるショウ。その時、一本の通信が入った。コンソール脇のランプが明滅を繰り返し、耳障りなコール音が鳴り響く。
 ショウはディスプレイに表示された先方の番号を見て、露骨に眉をひそめた。見覚えのある番号。彼はあえてコールが十回鳴るまで待ってから回線を開いた。画面に三十代の男のバストアップが表示される。
『やあ、ショウ=ルーカス。暇そうにしている君に、実はおいしいしご――』
「テメェの依頼だけは絶対受けん」
 にこやかで友好的な笑顔で言ってきた男の言葉を遮り、問答無用で回線を切断するショウ。スピーカーは律儀にも、つーっ、つーっ、という音を繰り返している。
 残りの針路設定を一通り終えたところで、さっきとはあまり間を置かずに鳴るコール音。
 ショウはそれを目の前に、きっちり七回鳴るまで待ってから再び回線を開く。
『な、何を考えているんだい、ショウ=ルーカス!?』
「その言葉、そっくりそのまま返すぜ、このエセ区長。口の利き方には気をつけろよ」
 そしてまた回線を閉じた。相手はリダイヤル機能を使ったのだろう、すぐにまたコールが鳴り響く。やはりコールが七回鳴るのを待って、
「――はい?」
『用件は一度しか言わないからよく聞くんだ、ショウ=ルーカス。君はこの依頼を受け――』
 三度、回線が切れる。次のコールはなかなかかかって来なかった。しばらく間を開けて焦らした上で、コールが鳴った途端に回線を繋げさせる腹積もりなのだろう。
 しかしショウは電話などなかったかのようにゲームなどを始めた。ディスプレイに表示されるチェス盤と駒。ショウがチェスを初めて間もなく、またコールが鳴った。結局インターバルは五分と続かなかった。
 それでもきっちりコール七回待ってから回線を開くショウ。
「もしもし?」
「いいかい?用件は一度しか言わない――」
「どうせ『おいしい仕事があるから受けないか?』とか何とか言うんだろうが。分かってんだよ、お前のやり口は。それに『用件は一度しか言わない』っての、これで二度目だな」
 ――鬼か、あんた……
 心の中で独白するハルカ。おそらくその気持ちは、ディスプレイに映るこの男も同じだろう。
『随分と酷いなあ、ショウ=ルーカス。こんなにも友好的な好青年が、せっかくおいしい仕事を斡旋してあげようと――』
「その言葉に今まで何度騙された事か。言っただろ、お前の依頼は絶対受けん」
『……なかなかどうして、今回は頑固だね。何かあったのかい?――っと、そちらのお嬢さんは?』
 ディスプレイに映る男がハルカに気付いた。好奇の視線をハルカとショウに、交互に投げかけてくる。
「邪推はすんなよ。ハルカって名前でな。俺が引き取った……まあ、義妹だな」
『……あぁ、それで今日はいつになく頑固だったのか』
 ショウの一言に、この男は何か得心したらしい。何度も頷きながら、ハルカの方を見つめる。
『しかし……へぇ〜、義妹ね……って、ハルカちゃん、せいぜい十七かそこらでしょ?君との年齢さを考えると、これって犯罪――』
 ――ぷつっ。
 これで回線が切れるのは四度目だった。リダイヤルボタンに指をかけながら話していたのだろうか、それくらいの速さで間髪入れずにコールが鳴る。
『――いや、ごめんごめん』
 口では謝っているのだが、ディスプレイに映っている表情には余り誠実さが感じられない。色々想像して愉しんでいるのだろう。
『えっと、まず自己紹介した方がいいのかな?』
「お前なんざエセ区長殿で十分だろ」
 そのせいか、相変わらずショウの言葉は手厳しかった。
『ハルカさん、初めまして。私はセフィル=マスナー。アルスト山岳区の区長をやらせてもらっているものです』
 ショウの事はまるっきり無視し、ハルカへ語りかけるセフィル。彼の自己紹介に、ハルカの目が大きく見開かれる。区長といえでも、それは大都市の内分地区を指すものではない。多数の都市や農村と広大な土地を一括して管理する、むしろ州と呼ばれるべき管理区の長だ。
「――って、思いっきり有名人じゃない!ショウ、あんたなんで区長さんと知り合いなのよ!?」
「う……なんつぅかその、どう言ったらいいんだろ……」
『腐れ縁、ってヤツですかね』
 言葉に詰まったショウに、助け舟を出すセフィル。
「腐れ縁?って、どういう経緯で知り合ったのよ?」
「どういう、って……そりゃお前には関係ないだろ」
 また疑問をぶつけてくるハルカに、ショウはさも当然と言わんばかりに返した。彼のその言葉にハルカは一瞬だけ表情を歪め、そしてすぐに怒り出した。
「な、なによ、関係ないって!教えてくれたっていいじゃない、減るわけじゃないんだから!」
「あのなぁ、俺だって秘密の一つや二つくらいあるんだ」
「だからなによ!あたしは二人がどうして知り合ったのかが聞きたいだけなのよ!?」
 ややヒステリック気味に、叫ぶも同然の声で、ハルカ。ショウにはなぜ彼女がここまで激昂しているのか、皆目見当がつかなかった。
 ショウはため息を一つだけついてから、ハルカの瞳を見据えて、言った。
「はっきり言おうか?――話したくないんだよ」
「―――!な、なんでよ……」
 はっと息を呑むハルカ。その後に出てきた言葉は、微かに語尾が震えていた。
「なんで、ってお前……」
「いいじゃない、家族でしょ!?あたしたち!なのになんで隠したりするのよ!?」
 肩で息をして怒鳴り散らすハルカ。ショウは困ったような顔でモニタの中のセフィルを仰いだ。
『……あのですね、ハルカさん?』
「な、なによ?あたしは部外者だから関係ないとか言うの?」
 敵愾心丸出しの視線をモニタに向ける。セフィルはやや引きつった笑みを浮かべながら言った。
『残念ですが、その通りです。これは彼と私の話であり、あなたが首を突っ込む権利はないんです』
「なっ……なんでよ!?あたしとショウは――」
『義理兄妹であっても、たとえ本当の兄妹であってもです』
「………………」
 先に言われてしまい、押し黙るハルカ。彼女が聞きに回っている事を確認してから、セフィルは続けた。
『でもだからといって、彼があなたの事を嫌っているわけではありません。むしろ大事だからこそ話さない、というのもあります』
「………………」
『知っての通り、彼はこれでも飛賊です。義賊とは言え、不法侵入や金品強奪だってしてきました。たとえそれらを貧しい人々に分け与えていたとしても、司法の前に引き出されれば罪は罪。何より人を殺している――どうやっても彼は罪人なんです』
「……こりゃまた手厳しい……」
 セフィルの言葉に、思わず苦笑するショウ。彼の言っている事はおおむね正しい。実際彼の首にも賞金がかかっている。もっとも、その二つ名――<蒼い死神の王ファントム・ロード>の名の巨大さ故か、襲われる事はかなり少ないが。
 セフィルはやはりショウの言葉を無視し、続けた。
『だからです。彼が全てを話さないのは、出来るだけあなたを巻き込まないようにするため。遠ざける事によって守る、という手段も現実に存在するんです』
 そこでセフィルは言葉を止め、ハルカの反応を待つ。彼女はうつむけていた視線を少しだけ上げ、ショウの方をちらりと盗み見る。彼はやや憮然とした態度でハルカに背を向けていた。おそらく照れているのだろう。それくらいはハルカにもわかった。
「……区長さんとショウの出会いって、そんなにヤバい出会い方だったの?秘密にしなきゃいけないくらい、ヤバい出会い方?」
 おもむろに彼女は口を開いた。確かめるような口調。
 セフィルは一瞬だけ押し黙り、ショウに少し視線を送ってから、答えた。
『……ヤバいどころの話ではありませんでしたね』
「……っ……!」
 セフィルのその一言に、ハルカはコントロール室から飛び出して行った。
 その背中が甲板から消えるまで見送っていたショウは、大きなため息を一つついてセフィルに向き直った。
「なんで急にあんな事言い出したんだか……」
『は?ショウ=ルーカス、君はまさかわからないのか?』
 間抜けな声を上げるセフィル。そのリアクションにやや腹を立てたのか、ショウは口を尖らせながら、
「わかるかよ、そんな事」
『…………なるほど、彼女も相手が悪かったという事か……まあ確かに、この朴念仁相手じゃ、苦労も耐えませんね……』
「おいこら、ちょっと待て」
 何気なく呟いたセフィルの言葉を目聡く聞き止め、突っ込むショウ。
「どういう事だよ、そりゃ?まるで全面的に俺が悪いみたいじゃ――」
『君が全面的に悪いんだよ。それがわかってないから朴念仁呼わりわされるんだ』
 地の口調に戻って言うセフィルの言葉に、ショウは言い様のない罪悪感を覚えた。確かにそう言われれば、そんな気もしないでもない。
「って、元々お前が連絡よこすからこじれたんだろうが」
 押されたままそれで引き下がるわけにも行かず、ショウはとりあえずそう切り返した。一方のセフィルは大仰な仕草で肩をすくめ、
『乙女心を理解しないというのは、時としてそれだけで重罪なんだよ』
「は?なんだそりゃ。どこの軟派ヤローのゴタクだよ?わけわかんねぇぞ」
『さぁね。どこぞの偉大な区長さんの名言さ。ま、彼女は君の事が好きなんだ、とだけ言っておいてあげよう』
「は?ちょ、ちょっと――!」
『――で、肝心の仕事の話なんだが』
 ここで会話は終わりとばかりに切り上げたセフィルにペースを握られ、ショウはその言葉の意味を尋ねる機会を失った。
 ――それ、どういう意味だよ……
 その事ばかりが気になっていたショウだが、考えても仕方がないので、セフィルの話に耳を傾けた。
 そして彼は、驚愕した。

 ――どんどんっ。
 乱暴に扉が叩かれる音が部屋に響く。アンジェはその主が誰なのか計り損ねた。ショウはもっと丁寧にノックするし、ハルカは許可もなくズカズカ入ってくる。
 扉の前まで行って覗き穴から外の様子をうかがう。扉の前に立っていたのは、なんとハルカだった。
「――あら?どうしました?ハルカさん」
 ドアを開けつつ尋ねるアンジェ。ハルカの表情は怒りと悲しみに歪んでいた。ただその瞳――なんとも寂しげな光を宿した双眸を見ただけで、アンジェはおおむねの事情を察した。
「………………」
 何を言うでもなく部屋の中に入ってくると、いきなりベッドへダイブする。枕に顔をうずめた姿勢そのままで、
「…………ねぇ」
 ハルカは訊いてきた。なんとも情けない声だった。
「はい、なんでしょう?」
 苦笑しつつも、ベッドの横に椅子を引っ張って、そこに脚を揃えて座る。何かあった時はいつもこうだ。怒るにしろ、悲しいにしろ、事の原因は常にショウ=ルーカス。彼とケンカをしたか、あるいは冷たく突き放されたか。どちらにせよ、その後の彼女はしょげくれかえっていて――例えるならそれは、飼い主に捨てられてさ迷う子犬に似ていた。
 たとえいつもはいがみ合っていても、性分ゆえか、アンジェはこういう瞳をした人を見捨てられない。だから孤児院を任されていて、子どもからも懐かれていたのだろう。
 ――もっとも、今私の前にいるのは、外見こそもう大人ですけど……
「中身は子どもですね。十七でブラコンと言うのは少々みっともないように思いますが?」
「……ブラコンじゃないもん」
 もはや中身だけでなく、仕草や言動からして子どもそのものだ。ふてくされたように言うと、言葉を発するために上げた顔を、また枕にうずめる。
「ショウってさ、アルスト山岳区の区長のセフィル=マスナーと知り合いだったの」
「知ってますよ」
「二人の出会いは相当ヤバかったらしいよ」
「詳しい事は聞いていませんが、一応知っています」
 少しだけの沈黙が訪れる。ハルカは少しだけ逡巡し、
「……ショウってさ、何者なんだろうね?今までにどれだけの危ない橋渡って、危険を潜り抜けて、戦い続けて……そうやって生きてきたんだろうね?」
「………………」
「あたしさ、実はショウの事何も知らないよ」
「………………」
「あたし、もっとショウの事知りたいよ……」
 ハルカの告白に、ほぅ、とため息を吐くアンジェ。この娘には敵わないと、まざまざと見せつけられた気分だった。
 聞けばハルカも孤児だったらしい。ただ、年上のものはいなかった。最初は十歳近く年上の『兄』がいたのだが、彼はハルカが十を過ぎた頃に姿を消した。それからは彼女が一番年上だった。孤児院の大人達は優しいけど、それでも彼女は常に『弟』や『妹』の面倒を見なければならなかった。つまり、甘えた事がない。
 それ故か、ハルカは不自然なほどショウに懐いていた。何かにつけて彼にちょっかいを出したり。あるいは無理にでも家事や仕事を手伝おうとしたり。
 その姿はまるで子どもそのものだ。遊んで欲しいから親の気を引こうとして悪戯をする。誉めて欲しいから頑張って家事を手伝う。幼い子どものように純真で、無垢で、どこまでも一途だった。
「でも、彼の事を一番よく知っているのはあなたですよ?」
「そんな事ない。あたしはショウの昔の事とかは全然知らないし、まだショウが旅する理由だって知らない」
 ふてくされたように言うハルカ。もう意固地になっている。
「あたしはショウの全部が知りたいの」
「……それはいささか傲慢というものではありません?」
 ハルカの一言に、厳しく、しかし優しい微笑を浮かべたまま語るアンジェ。母親が我が子を諭すかのような、微笑み。
「……なんでよ」
 少し顔を上げ、横目でアンジェの方を窺うハルカ。
「ルーカスさんにはルーカスさんの事情というものがあります。人に触れられたくないという事もあるはずです。そしてこの世界では、それはタブーだという事はあなたも知っているでしょう?」
「……知ってるわよ」
「相手が話す事を拒むなら、もうそれ以上は突っ込まない。相手が話したくなったその時は、聞いてあげればいい」
「でもそれは、ショウが話したくないから――あたしが信用されてないから話さないって事でしょ?」
「それだけは違います。絶対に」
 自信を持ってアンジェは断言した。そのいつになく強い調子のアンジェに、ハルカは少しばかり気圧された。
「ルーカスさんは優しい方です。優しすぎて困る事もあるくらいに、優しい人。そして強い人。自分が赦さないと決めたものは絶対に赦さないという信念の強さと、守ると決めたものはどこまでも守り抜いて見せるという心の強さ、それらを兼ね備えた人です」
「……誉めすぎよ」
「そうですか?まあ、誉めすぎにせよなんにせよ、ルーカスさんは現実に強い。だから<蒼い死神の王>なんていう二つ名も負っているし、その首には莫大な賞金すら懸けられています」
「―――え……?」
 アンジェの何気ない一言でハルカは凍りついた。普通に考えればわかる事なのだが、ハルカはそれを今まで拒否していた。それほどに彼女の中のショウは大きく絶対であって、唯一信じられる存在だった。
 その彼が、賞金首――
「どうあがいても人殺しは人殺し。心の傷は癒えても、過去を切り捨てても、罪は消えません。ルーカスさんはこの世界でも五本の指に入るほどの賞金首なんです」
「――――――」
 思わず絶句した。あのショウを前に、誰が賞金首だと気付けるというのだ?
「ルーカスさんはその十字架を背負って生きています。いくら<蒼い死神の王>の名前が大きくても、いつどこで危険な目に遭うかもわかりません。そういう時、大切な人や物を守るには二通りの方法があります。自分の目の届く範囲に置いておき、自らの手で守るという方法と、自分の手すら届かないような遠い場所に遠ざけて守るという方法」
「………………」
「あの人はそれを理解しています。だから、一見ぶっきらぼうに見える言動も、そっけない態度も、そのため。本当はある程度離れて欲しかったのでしょうが――」
 そこでまたため息を吐いて、続けた。
「相手が悪かったといいますか。ハルカさんみたいなじゃじゃ馬は、ルーカスさんの手には余るようですね」
「な、なによそれ〜!」
 不満の声を上げるハルカの様子がおかしいのか、アンジェはくすくすと小さく笑ってから、また元の真剣な表情に戻った。
「ルーカスさんがあなたに何を言ったのかは存じませんが、それはきっとあの人なりの優しさです。それはハルカさん、あなたが誰よりも理解しているはずですよ?」
「…………わ、わかってるわよ……そんな事」
 正面からアンジェに見据えられて、ハルカは僅かに頬を染めつつも、また枕に顔をうずめた。
「大丈夫、ルーカスさんはあなたを置いてどこかに行ったりしませんよ」
 その一言に耳まで赤くなり、より深く顔を沈めた。窒息死するのではないかというほど、力の限り自分の顔を枕に押し付けている。
 そんな彼女を、アンジェは素直に可愛いと思った。同時に、こんないい妹を持ったショウを羨ましくも思った。優しい手つきで、ハルカのブラウンの髪をそっと撫でる。ハルカの方は抵抗するでもなく、ただ恥ずかしいのか、動こうともしなかった。
『ハルカ、アンジェ』
 その時唐突に、艦内放送がかかった。スピーカーからショウの声が流れてくる。二人ともおもむろにそちらの方を見上げた。
『新しい仕事の依頼――というより非常事態が発生した。今すぐコントロール室に来てくれ』
 ショウは焦っているのか、それだけ告げてすぐに放送を切った。二人は少しの間だけお互いの顔を見合わせて――同時に笑った。
「じゃ、行こう。相当焦ってるみたいだし」
「そうですね」
 そして女二人は立ち上がり、連れ立ってコントロールルームへ向かった。無論、二人の仲の良さにショウが肝を抜かれたのは言うまでもない。

「で、だ。今回の依頼だが――」
 彼は二人にモニタを見るよう促した。
 相変わらず空を映していたメインモニターが切り替わり、とある街の風景を映し出す。
 不気味なほどに人のいない町並み。閑寂な住宅街。普段は行商で溢れ返っているだろうに、なぜか人が一人もいない。
 ――いや。
『―――!?』
 それを見た瞬間、二人は絶句した。
 人型の物はいた。黒いFMP。大多数の飛賊か、私兵を雇うだけの財力を持った権力者、あるいは警察機構しか持ち得ないはずの追従型機動甲冑。ブラックのボディに紫のラインが走るFMPが数体、街中を徘徊していた。
「――これが、レディナって街の十時間前の映像。FMP十機を保有した飛賊が街を占領しているらしい」
 ショウの言葉に、ハルカは露骨に眉をひそめた。
「え?ちょっと待ってよ、十時間前って――」
「ちなみに街が占領されてから、もう三日も経つらしい」
 二人して驚愕した。
「ちょ、ちょっと……じゃあ、行政府はなにやってるのよ?警察お抱えのFMP部隊なら、たかが十機のFMPくらいなんとでもなるんじゃないの?」
「普通はそうさ。いくら飛賊の練度が高くても、警察の<影の灰シャドウ・グレイ>部隊は圧倒的な物量を保有している。いつもなら数でいずれ押し切れるのだろうが、今回は事情がちょっと違ってな」
 言ってショウはコンソールを操作する。キーボードの上を指が数回踊ると、モニタの一部分が拡大された。黒いFMPのアップだ。
「こいつの名前は<黒の猟犬ブラック・ハウンド>。<失われた文明の遺産ロスト・フォーチュン>中で最下級とは言え、現代のFMPを軽く凌ぐスペックを持っている」
「そんな……それじゃあまさか」
「ああ。警察は何度もFMP部隊を派遣したそうだ。その数実に五十機。そのことごとくが、相手に傷一つ負わせる事すらなく撃破された。まぁ、相手の腕も相当立つんだろうがな」
 あっさりとショウは言ったが、それはとんでもない事態だ。警察のFMP部隊が通用しないとなると、飛賊の排除は出来ても、その方法は乱暴極まりないものとなる。つまり、街の奪還はほぼ絶望的といっていい。
「それでまあ、<失われた文明の遺産>保有者である俺にお鉢が回って来たわけだ。依頼内容は、こいつ等から街とその住人を無事に奪還する事。ちなみに報奨金は、百万ツェンだ。<失われた文明の遺産>十体を相手にするには少々釣り合わない金額だが、これでも一応こちらは賞金首だからな。あまり文句は言えない」
 少しだけ笑って、二人の方を仰ぎ見るショウ。ちなみにツェンとは、世界共通の通貨単位である。
「はっきり言って危険極まりない。けど引き受けた以上、もうパスは出来ない。どうする?嫌なら一時的にせよ<アーク>を降りる事を勧めるが?」
 二人はその言葉に少しだけ黙考したが、やがて顔を上げ――
「降りるわけがないでしょ。攻撃力のありすぎる<空の蒼エアーズ・ブルー>は市街戦には不向きなんだから」
「私だって<アーク>の基本操縦くらいなら出来ます。街の人達を避難させることくらい出来ます。足手まといにはなりません」
「…………そう来るだろうと思ってた」
 呆れたような、諦めたような表情で呟くショウ。彼は困ったように後ろ頭を掻きながら立ち上がった。
「警察はすでに『緊急解決策エマージェンシーリゾート』の準備を始めてる。急がなくちゃならない」
 突如<アーク>がその向きを変えた。プロペラの回転数が増し、空をものすごい勢いで泳いで行く。
 <アーク>はすでにその針路をレディナの街へと向けていた。
「緊急解決策?それって、まさか……」
「おそらくそのまさかだ。住民だけを秘密裏に強制退去させ、街ごと焼き払う。慌てて出てきた飛賊を片っ端から袋叩きにする、荒っぽい事この上ない作戦さ。時には衛星砲を撃ちこんで、住民もろとも街ごと消滅させる事もあるな」
 ショウは淡々と語る。ハルカもアンジェも凍りついた。そんな作戦を実行に移せる警察機構の冷徹さと、そしてなにより、そうでもしないと倒せないという<失われた文明の遺産>の強力さに。
 それを見たショウが、ふと柔らかい口調で告げる。
「『緊急解決策』決行まであと四十七時間だ。……実はな、時間的にも難易度的にも、この仕事を一人でやり遂げるのは少々辛かった。助かる」
 ショウはそれだけ言って、やや照れたように視線を二人から外した。
 二人は虚を突かれて、一瞬何の事か理解しかね、互いに顔を見合わせて――笑った。
「なぁに水臭いこと言ってるのよ!家族でしょ、あたしたち」
「そうですよ。私達は二人ともあなたに助けられて、今日までやって来られたんです。困った時はお互い様ですよ」
 ハルカは嬉しそうにショウの首へ抱きつく。アンジェは優しい微笑を浮かべていた。二人とも、ショウにとって最高にして自慢の乗組員だ。
 今度はショウが面食らった。少し驚いたような表情を見せ――
「そうだな。――頼むぜ、二人とも」
『了解!』
 ショウの力強い一言に、二人は笑顔で応えた。

 <アーク>のFMP格納庫。薄暗いその場所で、ショウは黙々と<空の蒼>のチューンアップを進めていた。前は緊急出撃だったから準備不足が目立った。しかし今回は違う。
 <暁の空ダーンスカイ>の先端には何か爪のようなものが取り付けられている。<ARF>をより一層収束させるためのオプション装備。<ARF>の射程は短くなるが、出力を収束させて一点集中の破壊力を得るブーストオプションだ。左腕には増加装甲を施したスタンウィップシステム。シールドと鞭のような武器の一体化した武装で、先端のスクリューに高圧電流を帯びさせ、それで相手を行動不能に陥らせるものだ。人間相手なら出力を絞って気絶させ、FMPが相手なら最大出力で容赦なく焼く。
 右肩には散弾銃をそのまま大型にした散弾砲と、左肩には威力よりも弾数を重視したスプレーミサイルポッド。背面には機動力増加のためのエアスラスタを増設してある。中間距離から接近戦にかけて一撃離脱に特化したアサルト仕様だ。ちなみにオーヴァーウェイトにしかならない大型バックパックと、そこに接続されたオプションは取り外してある。
 一方の<純白の雪スノー・ホワイト>は、特に何をいじったわけでもなかった。<空の蒼>と同じくエアスラスタは増設したが、目立った変化はそれだけ。腰には相変わらずドラゴン・レイヴがマウントされている。要は、換装した武器が非常に目立たないのだ。右手にはウェポンシステム搭載のエネルギーガン。装備次第ではマシンガンにもスナイパーライフルにもなる。そして左手はというと、展開式のパイルドライヴァが装備されていた。マニピュレータ保護用のナックルを展開し、同時に肘関節オプション内に内蔵された炸薬の反動で、強烈な一撃を見舞う武器。コンクリ壁を紙切れのようにぶち抜く、凶悪この上ない接近戦兵装である。あえてこれを選ぶあたり、彼女の神経を少し疑ったりもするが、ショウは何も突っ込まなかった。戦闘に関してショウが口を挟む必要はないだろう、という信用もある。
「ねえ、ショウ」
「……ん?」
 換装した装備とFMP本体との微調整を続けるショウに、ふとハルカが呟きを漏らす。
「前から訊きたかったんだけどさ、ショウは何のために旅をしてるの?前、あたしを助けてくれた時にさ、言ってたじゃない。『俺には夢があった』って」
「……あぁ、あれか……」
 一瞬、ショウのキーを叩く手が止まる。ディスプレイには、FMPの仕様変更によるOSの微調整内容が表示されている。少し見ただけでは意味を見出せない文字群の羅列。ショウの視線は、その上を一瞬意味もなく泳ぎ――また元のように、左から右へと流れ始める。
 再び作業に戻ったショウは、少し間を空けてから語り出した。
「……ずっと昔からな、とある伝説があるんだ」
「?な、なによ、突然……」
「その伝説を守るのが、俺の夢」
 簡潔にそうとだけ言うショウ。ハルカは少し疑問を抱いた。
「たったそれだけのために、故郷も家族も捨てて飛び出たの?」
「……あぁ。もう随分前の話だな」
 しばしの逡巡の後、それでも答えは返って来た。ショウ自ら語ることはもうないのか、作業に没頭する。
 彼の回答が意外だったハルカは、何度か唸ったり首をひねったりしてから、訊いた。一番の疑問。
「その……ショウがそこまで惹かれた伝説ってなんなの?」
 彼女の言葉が終わると同時に、ショウの作業も終了した。<空の蒼>に接続されていたハンディパソコンが甲高い電子音を響かせる。
「――<空中庭園エアーズガーディン>……」
 ぽつり、と呟いた言葉は<アーク>のエンジン音にかき消された。
「え?なに?」
「……なんでもねぇよ。お前に出会うため、ってのはどうだ?」
「な、なによそれぇ!」
 冗談だとはわかりつつも赤面してしまうハルカ。顔を真っ赤にしながら両手を振りまわして抗議している。
「あたしはショウと出会うつもりなんてさらさらなかったんだから!そもそもあの飛賊たちが襲って来たりして、それでショウが妹になれなんて言うから、仕方なくなってあげたのよ!?そうよこれは不可抗力――って、全身震わせて笑うなぁっ!!」
 ハルカの抗議も虚しく、ショウは腹を抱えて笑っていた。
 高速でレディナの街を目指すアークの船腹では、いつまでもショウの笑い声とハルカの叫び声が響いていた。

 よどんだ雲に覆われた街は、静寂に包まれていた。寂れた通りには虚しく風が吹くだけ。結局街の様子は十時間前とは何ら変わっていない。通りを我が物顔でのし歩いているのは人間たちではなく、黒いつや光りするボディの人型。<失われた文明の遺産>であるFMP<黒の猟犬>。
 その街の中を、ショウとハルカは二人で駆け抜けた。FMPを持たない、言ってしまえば生身のままで。二人はそれぞれぼろきれのようなマントを羽織っていた。このマントの中に織り込まれた特殊金属繊維が、着用者の体温と、身体の各部から発せられる音を吸収してしまう。これで足音さえ殺して歩くことが出来れば、視覚で発見されない限りFMPのセンサにすら引っかからない。ちなみに武器は携行していなかった。
 二人のFMPは、スクランブル発進可能な状態で<アーク>に待機している。それぞれが呼び出しをかければ、およそ一分以内に飛んでくる。
 入手した情報によると、街の人々は皆一ヶ所に軟禁されているらしい。一人も殺していないのは、政府への身代金取引の取引材料とするためらしい。もっとも、誰にも手を出していないというわけにはいくまい。飛賊の構成員は得てして男が多いため、女性は特に危険だ。
 今回の二人の目的は、その軟禁場所への潜入。その場所には警察関係の潜入捜査官も潜伏していて、その侵入ルートもセフィルから訊いているため、知っている。一度紛れてしまえば、相手もそうそう気付く事はないだろう。
 目的の場所はすぐに見つかった。警察のFMP部隊と飛賊――<黒の猟犬>という名の飛賊団との激突時に出来た穴。それを偽装して、侵入ルートは作られていた。巡回しているFMPの目を掻い潜り、中へ。
 中はただの一軒家なのだが、台所に不自然な音の反響があった。空洞が出来ているらしい。蓋の役割を果たしていた板を外し、暗闇の中へと降り立つ。
「せ、狭いわね、ここ……」
 ハルカがぼやく。確かに底の浅い穴は狭かった。空洞に反響する声を聞く限り、この横穴はそんなに長くはないらしい。掘削機械で横穴を掘るのにも限界はあるはずだ。そのため、あまり長い距離は稼げなかったのかもしれない。
 先頭はハルカ、殿はショウが取る。迷うことなく横穴を進んで行った。
「――あ」
「ぶっ!?」
 突如ハルカが止まった。暗闇のせいで反応しきれなかったショウは、ハルカに後ろから思いきり激突してしまった。
「ちょ、ちょっと!どこ触ってるのよ!?」
 一応の自制心はあるのか、小声で抗議するハルカ。
「どこって……お前が急に止まったんだろうが」
「だ、だからって、乙女の、その……お、お……」
「小言は後で聞く。今は任務中だぞ」
 おそらく彼女は顔を真っ赤にして言葉を絞っているのだろうが、それは暗闇で見えない。とりあえずショウはハルカに冷たく告げた。不満げに鼻を鳴らしつつも、ハルカは正面の壁に手を触れた。
「行き止まりよ。ちょっと押したくらいじゃダメみたい。多分セメントか何かで固められてるわ」
「なるほど、ね。俺以外は侵入できないって寸法か。セフィルも考えたもんだ」
 後ろを向いて言うハルカに、ショウは小さく嘆息する。おそらくこれは、潜入した捜査官の仕業だろう。これを破るには爆薬などを使わなければならないが、この狭い横穴で爆薬などを使用した日には穴が崩れる。つまり、もし飛賊がこれを発見したとしても、潰す事は不可能だ。
 だがショウは違う。右手に宿る<ARF>を使えば、この程度の壁を穴に影響を与えずに、しかもほぼ無音で突破する事などたやすい。<ARF>による応急処置だが、修復も可能だ。
「下がってろ」
 ショウがハルカを押し退け、前へ出ようとする。もちろん、直接壁を破壊するためだ。しかし、人一人通る事がやっとのこの横穴では、位置の入れ替わりは困難を極めた。
「わ、わ……!ちょっと、急に動かないでよ、くすぐったい!」
「そう言われても……この狭いのはどうにも……」
「だからって……や!スケベ!」
「誰がだ!?」
「あんたよあんた!どさくさ紛れに変なところ触らないでよね!」
「そういう台詞は一人前の女になってから言え!」
「な、なんですって……!?あたしはこれでももう十七――」
「だぁもううるせぇ!ぶち破るから静かにしろ!」
 すったもんだの果てにやっと位置の入れ替わりを完了した二人の言い争いは、ショウの一喝でとりあえず終結した。もちろんハルカが納得するわけがなかったのだが、<ARF>の発現に精神集中が必要なのは彼女も知っているため、これ以上口は挟めなかった。
 ショウは静かに瞳を閉じると、右手をそっと壁に当てた。黒い無機質なグローブに、淡い赫光が灯る。
「――リアライズ」
 呟いた刹那、彼の右手から放たれた閃光が、壁の部分だけを舐め回す。一瞬だけ加えられた圧力により、壁が小さく弾け飛んだ。
 残骸を押し退け、ショウが穴から顔を出す。そして彼が最初に目撃したのは――
「――はい、ご苦労様。あなたたちには死んでいただきますね」
 目の前に突きつけられた黒光りする拳銃と、それを片手で構え、酷薄そうな笑みを浮かべた黒ずくめの青年だった。そしてその青年は、躊躇もなくトリガーを引き絞った。

「……これは驚いたな」
 いささかも驚いている様子も見せずに、ややずれ落ちた眼鏡を神経質そうに押し上げ、青年は言った。
「ほとんどゼロ距離から発射される銃弾を、指一本で受け止めたりできるものなんですか?」
「出来るのさ。気合と根性さえあればな」
 撃たれたはずのショウが、こちらもいつもと変わらぬ調子で言った。銃弾を受け止めた右手が、淡い赫光を放っている。
「……全く、非常識な人だ」
 肩をすくめると、彼は拳銃を放り出して、静かに後ろへ下がった。そして、街の住人らしき人質の一人に合図する。
「では、これでは?」
 その言葉が言い終わるか否かの内に、人質だと思われた人間が全員、一斉に武器を構えた。マシンガンをメインに、ショットガンやアサルトライフルなども見受けられる。
 しかし、構えよりもショウの方が一瞬早かった。穴から抜け出し、右手を振りかざす。
「リアライズッ!」
 怒涛の如く押し寄せる銃弾よりも一瞬早く、赫い障壁が発現した。
「やめろ、無駄だ」
 青年が静かに手を上げ、人質達を制する。いや、人質ではない。
「総員退去、同時にやつをここへ足止めしろ」
「了解」
 青年の言葉に静かに従うその姿は、まさしく地位のあるものと部下のそれだった。
「くそっ、待て――」
 ショウの叫び声は、再び押し寄せた弾丸の豪雨にかき消された。ハルカを後ろに庇っているため、障壁を広く展開しなければならず、攻撃に回る余裕がない。その隙に青年は部屋から脱出する。
「くっそ……このぉ!」
 精神を集中し、ありったけの力で障壁を拡大し、強く押し出す。そのまま突進した壁は、銃を構えた人間達を、容赦なく壁とサンドイッチにした。
「よし、いくぞハル――」
 意気込んで走り出そうとしたショウの足元で、銃弾が鋭く跳ねる。取り逃がしたものがいるらしい。彼らは忠実に撤退戦を繰り広げるつもりのようだ。
「……なんつーか、普通に厄介な相手ね」
 それまで穴に隠れていたハルカが、頭を小さく掻きながら這い出てきた。壁と<ARF>の障壁に挟まれ、伸びている人々に軽く視線を飛ばす。
 彼女の言う通りだった。ここまで徹底した罠を、躊躇もなく実行できる人間はあまりいない。彼らのやり方には、躊躇いというものがなかった。
「この調子だと、住民達の生存も怪しいな」
「そうね、確認は取れてないけど、最悪の事態もありうるかも」
 小さく嘆息して、ショウはハルカの言葉に頷いた。彼は躊躇わずヘッドセットのチャンネルをオープンにし、<アーク>にいるアンジェへ通信を入れた。
『……はい、な…でしょうか……なんか、音が……』
 少し間を置いて、アンジェの声が届く。やや声が遠い。おそらくジャミングがかかっているようだ。しかしそこは彼らのことである、汎用のECMの通用しないチャンネルを持つヘッドセットを、<失われた文明の遺産>でホットラインとして作り上げていた。もっとも、多少の影響は受けるようだが。
「アンジェ、少し声が遠いだろうが気にしないでくれ。ただのジャミングだ」
『は……わ、りました』
 イヤホンから聞こえてくる彼女の声に慌てた様子はないので、どうやら事態は飲み込めているようだ。ショウは廊下の様子を慎重に伺いながら、ヘッドセットに向かって話しかけた。
「こっちは罠にはめられた。多分情報は筒抜けだ。住人の生存者は発見できず。というか、生存者が一人いるかどうかも疑わしい限りだ」
 廊下の奥から散発的な銃撃が続いている。それを物陰に隠れてやり過ごす。不意に銃声がやんだ瞬間飛び出すも、そこに敵の姿はなかった。見事な手際の撤退戦。警察のFMP部隊壊滅にしても、あながち機体性能による結果だけではなさそうだ。
「アンジェは今から<空の蒼>と<純白の雪>を発進させてくれ。速力最大、ビーコンは発信しておく。で、<アーク>は一応住民救助の用意をしつつ待機、いざという時は砲撃も出来るようにしといてくれ。いいな?」
『はい、わかりました』
 その返事だけを聞いて、ショウは通信を断った。曲がり角の向こうに見える背中に向けて、愛用のマグナムを連射する。適当に撃っただけなので当たらなかったようだが、相手を追い立てることは出来たようだ。
 それを確認すると、後ろをついて来ていたハルカに向かって戻るように促す。
「よしハルカ、さっきの部屋で待機するぞ」
「へ?なんで?」
 当然の疑問を口にするハルカ。その疑問に、さも当然といった様子でショウは答えた。
「大人しくじっとしてFMPの到着を待つのが、一番安全だろ?その後で住民のことを調査して、救出するなりすればいい。どの道この街は、あと一時間半ほどで壊滅だからな」

 自分を先導するガードの背中を目で追いながら、レイ=エリシエルは小さくした打ちした。やはり躊躇せずに殺すべきであった。<蒼い死神の王>の顔を一目見ておこうなど考えるべきではなかったのだ。その結果、あの男を消すチャンスをみすみす逃してしまった。計画に後顧の憂いを残すような真似はやはりすべきでなかった。
「しかしあいつ、やはり只者ではない……さすが、というべきか」
 レイは小さく呟くと、走っている揺れのせいでずれた眼鏡を、元の位置に戻した。時計に目をやる。作戦開始時刻まで、あと一時間半弱だ。この数字は微妙だった。あと一時間半、<蒼い死神の王>をしのぎきることができるか。欺くことは難しくないだろうが、全滅しては意味がない。あと一時間半、この街と彼らの旗艦を死守しなくてはならないのだ。
「さて……とっておきは後にするとしても、まずは相手を無力化することが先決か」
 独白し、走るペースとともに頭の回転も加速させていく。冷酷であろうと卑怯であろうと構わない。任務を達成することが彼のプライドであり、あの方にできる唯一の貢献だった。
 そしてその優秀な頭脳は、冷徹にプランを練り始めた。

 <空の蒼>と<純白の雪>に乗り込んだショウとハルカを待ち受けていたのは、<黒の猟犬>二個小隊だった。三機を一組としたフォーメーション編成が二つ。片方の三機が前に出て戦っているときは、もう一方が後方支援と退路寸断に走り、前衛が危うくなるとすかさず交代して戦い始める。その隙にフォワードだった小隊は後退して体勢を立て直し、後方支援。数に任せたやり方とはいえ、見事なFMP運用戦術だった。
このローテーションと後方支援が曲者で、二人は持ち前の機動力を活かすこともできず、ジリジリと後退を迫られていた。相手はこちらが接近戦特化のアサルト仕様であることを考慮し、無謀な接近戦は挑まず、着実に戦いを進めていた。
「くそっ、うざったい……こいつらはっ!」
 一喝とともに放たれたショットキャノンの散弾は、散開されてあっさり回避される。
 ショウは内心舌を巻いていた。警察機構のFMP部隊五十機撃破という実績を侮っていたわけではないが、まさかこれほどだとも予想していなかった。この技量ならば百機撃破も夢ではないだろう。
『ショウ、これどうする!?』
 通信。少し焦ったハルカの声が耳に届く。彼女も中々の技量を持っているが、やはりこれほどの技量を持つ相手はきついのだろう。
「これから弾幕を張って後衛を引き離し、フォワードのリーダー機の足を止める。俺のフォローとトドメ、任せていいか?」
『……了解!ケガしないでね!』
 快く返ってきた返答は、いささかヤケクソ気味だった。ショウが無茶をやると提案しているのは理解していて、しかしそれ以外には方法がないだろうという事も理解した上での葛藤。そんな彼女の心境が読み取れるような一言だった。
「お前がミスらなきゃ……なっ!」
 スラスタ全開。ショットキャノンをリロードの許す限り最速で連射しながら、三機の<黒の猟犬>の中へと突っ込む。
 ショウが焦れて強硬手段を取ったと読んだ敵は、牽制射撃と同時に少し後退する。それに合わせて、後衛だった小隊が側面を突くようにしてライフルを発砲。
 しかし、ショウが望んでいた形はこれだった。
「行けぇっ!」
 スプレーミサイルを自分の正面に向けてばら撒いた。目標を発見して追尾モードに入るもの、蛇行して地面に激突し、粉塵を巻き上げるもの。数が多いだけに、どちらも派手な火花が咲いた。無論、土煙のせいで<空の蒼>と<黒の猟犬>たちの間は視界が通わない。
 だが、それはさっきまで前衛であった方に関しての事だ。側面を突いてきている小隊は違う。
 すかさずショットキャノンを炸薬でパージし、その場に放り捨てる。どの道弾切れ寸前の武装だ、捨てた分だけ<空の蒼>は速度が増した。
 これに驚いたのは、<黒の猟犬>小隊の方だった。自分達が前に出ているため、相対距離が急激に詰まって行く。だが、<空の蒼>に飛び道具はない。右手には長槍のような武装――ブーストオプションつきの<暁の空>――があるが、どう見ても射程外。ミサイルもまだ再装填出来ていないだろう。彼らは落ち着いて、左手のマシンガンを構え――
 刹那、<空の蒼>に最も近い位置にいた一機が、いきなり青白い閃光を迸らせ、一瞬でたらめな動きをした後、糸の切れた操り人形のように動かなくなった。
「―――!?」
 思わず足とトリガーを引く指を止める残り二機。その内右翼を守っていた一機が、霞むほどの速度で飛びかかる蛇のような何かによって、同じく青白い閃光に打たれ、倒れ伏した。
 <空の蒼>の左手に握られた、スタンウェップシステムだ。
 その正体に気付いた残りの一機は、ステップバックすると同時にフルオートで弾丸をばら撒く。正しい判断ではあるが、ショウはその上を行った。スタンウェップを投げ付けたのだ。
 上手い具合に遠心力によってバランスを保たれた高圧電流の鞭は、弾丸を喰らうこともなく、見事に<黒の猟犬>の頭部に絡みついた。この状態ではスタンウェップは<空の蒼>と接続されていないため、高圧電流は流れない。しかし、メインカメラを目隠し状態にされた<黒の猟犬>は、とっさに対応が遅れた。そしてその隙は、ショウが<空の蒼>を飛び込ませ、鞭の柄を握って高圧電流を流すのに十分な時間があった。
 この間およそ二十秒。しかし二十秒もあれば、もう一方の小隊も体勢を立て直していた。トドメをさすために背中を向けている<空の蒼>に向け、三機が一斉に集中砲火を浴びせようとして――
『――こっちよ!』
 声が上から降ってきた。と同時に、肩に軽い衝撃。頭部を上にめぐらせると、その<黒の猟犬>の上に純白の装甲を持つFMPと、そして鈍く黒光りする巨大な銃口があった。
「―――!?」
 爆音。短射程の炸裂弾が、真上から<黒の猟犬>を容赦なく叩き潰した。圧壊するFMP。それを見て慌てて飛びのく他の二機。その内一機に、ドラゴン・レイヴを捨てた<純白の雪>が肉薄する。エアスラスタを増設した<純白の雪>が、単純に推力で<黒の猟犬>に勝った。
『これでも――喰らいなさいっ!』
 盛大な爆裂音とともに繰り出される必殺の拳。火薬の爆発力を利した無慈悲なストレートが、<黒の猟犬>の腹部装甲をバラバラにしながら吹き飛ばした。推力が上乗せされただけではなく、何より衝撃が並ではないパイルバンカーである。例え機体が無事でも、中の人間が無事では済まない。
 その隙に攻撃しようと、慌ててマシンガンを構えた<黒の猟犬>――あるいは既に逃げの体勢だったのかもしれない――が、フルオートで弾丸をばら撒き始める。跳んでかわすハルカ。
 そして、蒼い電撃の花が再び黒い装甲の上に咲いた。背後に回り込まれていたのに気付かなかったようだ。
「……なんとか片付いたか」
 狭いFMPの中で、小さく息を吐くショウ。
『ずいぶん時間も弾薬も無駄遣いしちゃったね』
 ハルカが苦笑気味に言ってきた。<純白の雪>には弾の再充填可能なエネルギーガンがあるから何とかなるものの、<空の蒼>のショットキャノンは撃ち尽くしてしまった。飛び道具が少ないというのは大幅な戦力ダウンにつながる。そもそも市街戦に向かない<空の蒼>である、これから先はスタンウェップ主体で戦うことを余儀なくされた、と言ってもいいだろう。
 同時に時間も大きく取られてしまった。どうやらかれこれ三十分、あの六体と戦い続けていたことになる。補給に一度戻りたいところではあるが、現在位置と時刻をつき合わせて、苦い表情をする。レディナはそれなりに大きな街で、単純に横断しようと思ったら、<空の蒼>が速力最大で飛ばしてもにしても片道十分は見ておきたい。彼らはさっきの戦闘で、大分街の外れに追いやられていたし、しかも悪いことに、アークはちょうど街の反対側の、さらにいくらか距離を置いた砲撃戦の射程外にいる。ここにたどり着こうと思ったら、真っ直ぐ行っても十五分、妨害を考えると。どれほど短く見積もっても三十分だ。となると『緊急解決策』まで残り三十分となる。
 もし生存者がいないのであれば、『緊急解決策』の事を悟られないように粘りつつ後退し、『緊急解決策』後にいつでも遊撃できる体制を整えておけばいい。だが、状況はそう甘くない。生存者がいる可能性はまだ否定できていないのだ。もし生きているものがいれば、まず探し出し、保護しなくてはならない。探すだけでも三十分では厳しいというのに、もし住人が飛賊に捕まっていたら、その救出までしなくてはならない。実際にははっきり言って不可能である。
 よって、この見極めが大きく今後の行動を分ける。<失われた文明の遺産>消滅のためには少々の民間人の犠牲もやむなしと切り捨てるのが警察機構であり、行政や世論の総意ですらある。ショウの行動は駄目でもともとの捨て駒的な策であり、おそらく今から撤退を決め込んでも、誰も悪く言うものはいないだろう。しかし――
 ――なんだか、悪い予感がする。
 あの青年、おそらくは飛賊団の首領格であろう青年を見たときから、どうにもこの悪寒が払拭できずにいた。
 そもそも、なぜ相手は警察機構のFMP部隊に示したような、苛烈な猛攻を見せなかったのか。のらりくらりとこちらの攻撃をかわし、しかし同時にプレッシャーをかけて後退させる。プレッシャーで押しつぶすならばわからなくはないが、異分子は極力最速で排除すべきであり、これほど時間をかけるべきものではない。そうこうしている間に、街で目標を達成する前に『緊急解決策』が敢行されてしまうからだ。それがわからぬほど愚かな相手ではあるまい。
 だからこそ、ショウには相手の奇妙なやり方が引っかかった。
『どうする?ショウ』
 ハルカは見捨てることが悪いことではないと気づかないほど馬鹿ではないだろうし、その問いかけはショウに決断を促す体裁をとってこそいるが――いやむしろ、そういう体裁をとった上での、わかりきった決断を早く下せ、というものであった。
 ショウは迷った。普段こういう局面で迷いなど微塵も見せないショウに接していたハルカは、モニタ上のウィンドウに映った表情を訝しげに曇らせる。
『……どしたの?』
「……すまん、ハルカ」
 しかしやはりショウはやはりショウであった。時間はない、手段も少ない。即断即決の要求される場面で、不必要に悩み、行動を躊躇する彼ではなかった。
「住人の安否を確認しつつ、敵FMPを遊撃する。『緊急解決策』直前まで可能な限り粘るつもりだ。すまんが――付き合ってくれ」

 飛空挺の管制室でレーダーを見つめていたレイは、不意に眉をひそめた。レーダー上には現在七つの光点が映っている。二つは<蒼い死神の王>とその仲間のFMP、もうひとつはその母船となる飛空挺を示したもので、残り四つはレイの擁するFMP部隊だ。六つの光点が消えたのは、彼の計算内の出来事であった。むしろたった六体で三十分も足止めできたのは僥倖といえる。問題はその後だ。
 <空の蒼>たちを示す二つの光点が、真っ直ぐレーダーの中心――つまり、レイのいる飛空挺に向かって進み始めた。
 もし補給に戻るなら、ちょうど<アーク>と直線上にあるこの場所は迂回して行くだろうし、『緊急解決策』までの時間稼ぎをするのであれば、様子見をしつつじりじりと距離を詰めてくる――レイはそう踏んでいた。それが、かなりのスピードでこちらに真っ直ぐ向かってきている。これは一体どういうことなのか?
 レイたちの目論見が見破られたとは思えない。しかしならばなぜ彼らはこちらへ向かってくるのか。住人が生きている可能性が少ないという場面を見せ付けられて、『緊急解決策』の決行がちらついてくるこのタイミングで、まだ粘るという愚を犯すような<蒼い死神の王>ではないだろう。ならば――なんとも不可解な話であった。
「……何を感じ取ったというのか……やはり、禁忌には反応するように出来ている、とでも言うのか」
 呟いて、通信機をオンにする。彼はいつもの淡々とした口調で、接近しつつある二機のFMPに、それと気づかれないように足止めをし、なんとしてでも後一時間弱時間稼ぎをして見せろ、と厳命し、場合によっては飛空挺での艦砲射撃、あるいは自分の出撃もありうる、そう付け加えた。
「………………」
 彼の見つめている目の前で、四つの光点が接近しつつある二つの光点へ向かっていく。少し横に広く開いた布陣。
 先ほどの二小隊は使う間もなく撃破されてしまったが、<黒の猟犬>にはオービタルブラスターと呼ばれる兵器が搭載されている。背部バックパックに収納された小型の半自律型軌道兵器で、簡易に作られた補助攻撃戦闘機を飛ばすものである。単純な兵器としての格付けは<失われた文明の遺産>の中でも下級クラスだが、これを展開した<黒の猟犬>を複数相手にするのは、非常に面倒な事態である。加えて、今ショウたちに向かって行った四機のパイロットは、いずれもオービタルブラスターの扱いに慣れている猛者、レイの擁する飛賊団の中でもわりと古株で腕の立つ者たちだった。勝てるかどうかは別にして、そうやすやすと負けることはないだろう。
「………………」
 しかし、レイはやがて管制室を後にした。部下の誰も彼の行き先を問いはしない。聞くまでもないのだ。部下の一人――管制室を基本的に仕切っている男が声を上げた。
「エリシエル様のFMPのスタンバイを!急げっ!」

 『緊急解決策』決行まで、あと四十五分――
 ここまで来ながら、ショウたちはまたも足止めを喰らっていた。
 新たに現れた四機のFMPは、さっきの六機よりも強かった。一体一体の練度、チームワーク両方において先ほどの六機を凌駕していたし、四機それぞれが展開している自立軌道兵器――オービタルブラスターの扱いにも慣れていた。この兵器には小型・大出力のジェネレータと、それに直結した高出力ブースター、そして威力こそは低いものの、非常に連射の利くエネルギー砲が搭載されていて、基本プログラムとターゲット設定さえしてしまえば、あとはコマンド選択による行動・攻撃パターンで動く、非常に厄介な兵器だ。オートモードに入るとパイロットの手間を取ることも少ないので、隙を突くことも難しい。放熱と冷却のために長時間の展開ができない、というのがショウたちにとってせめてもの救いだろう。
 もうひとつ、不幸中の幸いといえるのは、彼らの狙いが専らショウに向いている、ということと、どうにも相手の攻撃に、必殺の意思がない、ということだった。
 ハルカがショウに比べて未熟であるのは見ればわかるし、こうなることは予想できた。実際、<純白の雪>は一体で相手をしている。しかし、後者はどうだろう。もちろん攻撃は容赦のないもので、殺意もそれに相応のものだろう。しかし、いまいち迫力に欠ける。あと四十分という時間の内に仕留めてやろうという気迫に欠けたものだった。いや、むしろ――
 ――時間稼ぎ、か?
 そうとでも思わなければ辻褄が合わない。だが、ならば何のための時間稼ぎなのか?この先彼らを待っているのは『緊急解決策』決行による衛星砲からの攻撃だけだ。ならば、そこに一体どんなメリットを見出すか――
「――くっ!」
 思考を中断し、機体を強引に振ってレーザを回避する。そこへマシンガンによる連射が襲い掛かってきた。エアスラスタで跳んだ<空の蒼>を追って火線が走る。
「―――っ!」
 彼の跳んだ先を狙い撃つように、レーザが走った。いわゆる『置き』の攻撃である。最大出力からの逆噴射、ゼロ制動。機体が悲鳴のように軋んだ音を伝えてくる。一部負荷に耐え切れなかった部分が損傷したようだったが、いちいち気にかけていられない。些細なことを気にしているようでは、あっという間に次の逃げ場がなくなるのだ。案の定、火線が<空の蒼>を焼き貫かんと迫り――
「このくそっ……!」
 蒼いFMPが突如空中で不自然に姿勢を変えた。エアスラスタの慣性とその制動によって、全身にかかるヴェクトルがゼロになったその一瞬、ショウは脚を思い切り振り抜いたのだった。反動姿勢制御。際どいところで火線をかわし――かわしきれなかった数発は、一番装甲の厚い腕と脛の部分で受け、間髪いれずにスタンウェップを繰り出す。
 不用意に前へ出ようとした<黒の猟犬>に鞭が絡みつく。鞭を思い切り引くと同時に着地、そしてショウは再び跳躍した。スタンウェップを振りほどかれるより一瞬早く、高圧電流が<黒の猟犬>を灼いた。
 驚いたからか、一瞬前に出る足を止める他の二機。ちょうどその二機はオービタルブラスターを冷却のため展開していなかった。かなり大きな隙をさらしてしまう。致命的な一瞬。
 しかし、<空の蒼>から追撃が飛んでくることはなかった。どころか、そこから離脱するような勢いで横に跳ぶ。一瞬遅れて、さっきまで蒼い装甲体のいた空間を、数条のレーザが貫いていった。
「ちっ、本体が動けなくても関係なしかよ……」
 今しがた仕留めた<黒の猟犬>のオービタルブラスターによるカットに毒づくショウ。そもそもジェネレータが別なのだから、命令さえしっかりしていれば、オービタルブラスターは放熱限界まで標的を狙い続けるだろう。他の二機は、そのオービタルブラスターに救われたと言っても過言ではない。
 だがしかし、敵の数は確実に減った。メリットにこそなれど、デメリットになるはずがない。そして<空の蒼>は再び躍動した。

「なんでこうも……このっ!」
 掛け声とともにエネルギーガンを連射する。しかしそのことごとくが回避され、今度はハルカが追い立てられる。相手にはこちらにかかりきりになるつもりはないようで、どちらかというと彼女の相手をしつつ、常に<空の蒼>の方を気にしたような戦い方であった。接近戦だけは挑まれないようにしつつ、ライフルとマシンガン、そしてオービタルブラスターの連携により押し込み、<純白の雪>を<空の蒼>から引き離すように戦っている。
 そう簡単に引き離されはしまいとするハルカであったが、しかし簡単にねじ込めるほど相手は隙を見せず、また退いたりもしなかった。特にオービタルブラスターも含めたときのラッシュが激しすぎる。これの三倍の猛攻をしのぎきっているショウの技量に、改めて感心したハルカであった。
 ――でも、あたしだって……!
 それは焦りでも悔しさでもなく、純粋に力を求める心だった。足手まといにはなりたくない、そう思い、願う彼女の心。
 それは、一瞬の出来事だった。ショウが<黒の猟犬>の内一体を撃破した。撃破、というよりかは行動不能に陥らせた、という方が正しいのだろうが、それに気を取られた敵の動きが、一瞬止まった。今はあの鬱陶しいオービタルブラスターも展開していない。これ以上ない絶好のチャンス。
 彼女はドラゴン・レイヴをマウントから外して除装すると、スラスタを一気にレッドゾーンまで叩き込んで加速した。一瞬の加速と、間髪入れずにブーストオフ。相手にさがることを許さない接近だった。
 それに気付いた<黒の猟犬>のパイロットは、ためらいもなく右手のマシンガンを棄てると、バックパックから引き抜いたレーザーブレードを展開した。相手のパイロットも相当思い切りがいいようだ。迎え撃つようにして、地を蹴る黒いFMP。
 それに合わせるかのごとく、<純白の雪>もウェポンシステムを排除、エネルギーガンをレーザーソードに換装して半身に構え、さらに加速した。
 互いに右に握った必殺の武器を交えるかのように、<黒の猟犬>は右半身を絞り込んで突きの構え、<純白の雪>は軽く差し出した左手で間合いを計るようにしながら、すくい上げるような一閃を――
 そして白と黒、対極の色をした二つの人型が交錯した瞬間。――いや、それよりも一瞬早かっただろうか。
 ――何の前触れもなく、轟音とともに<黒の猟犬>の右腕が、レーザーブレードごと吹き飛んだ。対する<純白の雪>は、頬の辺りの装甲が軽く焦げている程度である。
 腕を吹き飛ばされた反動で、<黒の猟犬>は錐揉みしながら宙に舞っていた。それを、交差して行き過ぎた次の瞬間、振り返りざまにハルカはレーザーソードを一閃、<黒の猟犬>を両断した。
 墜落する<黒の猟犬>。その右腕は、どう見てもレーザーブレードで焼ききった断面ではなく、強力かつ頑丈な何かで、途方もない衝撃を与えて叩き潰したかのようなものだった。そう、例えば火薬と爆縮エアの反動で繰り出される、鋼鉄の拳のような代物。
 あの瞬間、ハルカは迷わずパイルドライヴァを繰り出した。最初から右手のレーザーソードはフェイクで、本命は左の拳だったのだ。それはちょうど、切り結ぶと見せかけて武器破壊のジャブを繰り出すようなものだが、威力はフィニッシュブロー並である。結果、腕に引っ張られるような形で<黒の猟犬>の右腕を吹き飛ばし、かつ自分の損傷は掠った程度で済んだのだ。
「……どーだ、参ったか」
 勝ち誇ったように後ろを振り返り、黒い装甲体の残骸を見下ろして――
「―――っ!!」
 ハルカは息を呑んだ。思わずモニタの映し出す風景から遠ざかろうとして、自分が今FMPの中にいることに気付く。しかし、気付いたところでどうすることも出来なかった。
 ――赤いものが、黒い人型から流れ出ていた。人の形をした機械の器から、その中身が、少しだけ、顔を出している。黒く焼け焦げた断面。未だにくすぶる灰色の煙。白く染まった周囲の町並み。モノトーンに色褪せた世界の中で、その赤だけが妙に鮮やかだった。
 彼女はFMPを両断した。
「…………ぃ……や……」
 腕を吹き飛ばして、その後に胴体を真っ二つにした。上半身と下半身を分断するように斬ったのだ。
「いやだ……いやぁ……!」
 そして当然、その中に人はいる。
 人間は、死んだ。
 腕を吹き飛ばされただけでなく、胴を分断されて生きていられるものなど、人間ですらない。
「いやっ……!」
 死んだのだ。なぜ死んだ。ハルカが殺した。ハルカがパイルドライヴァで相手の右腕を吹き飛ばして、その後でレーザーソードを使って真っ二つに――
「や、だ……よぉ……!」
 人殺し。
 セフィルの――笑顔が印象的な、あの区長の言葉が脳裏をよぎる。
 人殺し。
 相手がFMPなら人間ではないなどという道理は存在しない。それは殺した者の、理屈だ。
 人殺し。
 ならば、以前撃墜した飛賊の艦の乗組員は?そこから出撃してきたFMPを、人間を、遥かな高みから叩き落したのは誰だろうか。
 人殺し。
 今度は自分の家が焼かれたときの光景が、脳裏をよぎる。凍えるように冷たくなった弟、でたらめなマリオネットのように四肢の捩れた妹、それだけではない、たくさんの――本当にたくさんの家族たちが、死んだ。
 ひとごろし。
 自分は今――いや、もう大分前から、あの飛賊たちと同じ場所に立っていた。
 ひとごろし。
 そう、それはあのショウにしても同じ。同じ場所。同じ――罪。
 ――ヒトゴロシ。
「――いやぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

「――ハルカ!?」
 スピーカー越しにいきなり聞こえてきた悲鳴に、ショウは思わず声を上げた。意識が白い装甲体を捜し求めて、一瞬モニタ上を走る。しかし、その隙を見逃す敵ではなかった。瞬時に周囲が火線と爆音に包まれる。
「ちぃっ……!」
 回避行動。一瞬遅かった。左上腕部に直撃、至近弾が数箇所。装甲はまだ貫通されていない。数えるのが馬鹿らしくなるほどのレッドランプが一斉に点灯し、ダメージと警告を伝えてくる。それらへのリアクションすらもどかしいほどの集中砲火を捌きながら、ショウは一瞬だけ見えた<純白の雪>の様子を懸念する。
 <純白の雪>は――ハルカはうずくまっていた。それにあの悲鳴。状況を見てみると、彼女はFMPを一機、接近戦で撃破したようだ。
 ――そういうことか……こんなときにっ!
 間の悪さを呪う。人を殺すことへの禁忌それ自体は、この時代には貴重な彼女の美点ではある。しかしそれがよりにもよってこのタイミングでやってくるとは。
 その様子に気付いた<黒の猟犬>の一体が、ライフルを<純白の雪>に向けた。それをカバーする位置にもう一機。
「くそったれぇっ!」
 スタンウェップでの牽制で、カバーに入った<黒の猟犬>を無理やり押しやる。フルスロットル、限界まで加速する。爆発的な推力を得るとともに、右手の<暁の空>を振りかぶった。距離的にはぎりぎりで間に合わない。飛び道具を撃ち尽くしてしまった自分を呪うが、それでも諦めずに加速し続ける。<純白の雪>を狙った<黒の猟犬>がライフルのトリガーに指をかけ――
 ――瞬間、ショウの視界がいきなり回転した。
「――え?」
 自分が宙を舞っているのだと、気付くまで数瞬かかり――そして姿勢制御を、と思いつくその直前、焼けつくような痛みがショウに牙をむいた。
 やかましくダメージを告げるレッドランプ。モニタには『左腕被弾、直撃・貫通』と表示されていた。
 ――う、迂闊だった……!
 かろうじて脚から着地すると同時に、再び地を蹴る。続いて放たれたマシンガンの弾は虚しく地面を削るのみ。だが、回避に移る<空の蒼>の機動力は、格段に落ちていた。
 あの瞬間、<黒の猟犬>は<純白の雪>を狙っていたライフルをいきなりこちらに向け、セミオートで連射したのだ。振り向きざまだったので狙いが甘かったのが不幸中の幸いではある。しかし、フルブーストのところへカウンター気味に、同じ箇所へ点射が命中したのだ。相対速度差を考えると、装甲を貫通するのも当たり前だといえよう。ショウ自身の左腕にも銃弾は掠めた。肉は抉れているだろうし、出血も大分酷いようだ。ある程度の止血や応急処置程度のことはFMPが勝手にやってくれるが、これで今のところ左手は使い物にならなくなってしまった。
 これを好機と見て取ったか、<黒の猟犬>はオービタルブラスターを展開し、ラッシュを仕掛けてきた。上下左右、四方向から同時に飛んでくる火線を、怪我を押してショウは捌いた。こういうとき、シールドオプションのない<空の蒼>の防御力を呪う事がある。いや、そもそも<ARF>を展開して戦うことを前提とした<空の蒼>にしてみれば、通常弾頭による攻撃などあってないに等しい。その鉄壁ともいえる防御力を備えた<ARF>の使用を制限しているのだから、圧されてしまうのも無理はない。
 そもそも<ARF>の展開は、周囲への影響が大きすぎる。それゆえに今までは展開もせず、近接戦闘での武器として用途を限定、同時に市街戦であることへの配慮とした。
 ――でも、もういいだろ……このままじゃ、やられる……!
 市民の生存は絶望的だ。どの道、あと三十分ほどでこの町は跡形もなく消え去るのだ。今更建造物や町の景観に注意を払っても意味がない。何より自分が、ハルカが危ない。
 心に決めると、<暁の空>に取り付けた収束オプションを、半ば強引に引きちぎり、手近なオービタルブラスター目掛けて投げつけた。命中。三次元的な集中砲火に綻びが生まれる。
 その間隙を縫って、ショウは全速で駆け抜け包囲を脱すると、すぐに<ARF>の起動に取り掛かった。<暁の右腕>との回路形成、接続を確認。虚数斥力場生成。
「纏え、ブルー!」
 一喝とともに、光が散った。風変わりな突撃槍を構えた蒼い装甲体が赫い燐光を纏う。蒼から赫への鮮やかな変化。まるで世界が生まれ変わったかのように、身体が軽い。
 <空の蒼>の変化に気を取られることもなく、すかさず後を追いかけてきた火線を、ショウは避けもしなかった。マシンガンの弾は全て虚弦斥力場である赫い燐光に阻まれ、虚しく宙に散る。かといって衝撃まで防げるわけでもない、激しく揺れる機体を御し、追撃のため接近してきたオービタルブラスターを、ショウは<暁の空>の一閃で二機とも叩き落した。
「<ARF>01システムロード、警告にオートリアクション。赫光の剣、狩人たるもの、神々に背き、異端の運命、汝戦槍と化す!」
 <空の蒼>を蜂の巣にするはずのマシンガンはあっさり防がれ、オービタルブラスターまで撃墜されて、さすがに<黒の猟犬>も足を止めた。そこへ、<空の蒼>が今までとは比べ物にならない滑らかな加速で迫る。右手に携えた無双の戦槍が、赫い燐光を禍々しく撒き散らしながら、唸りを上げてその切っ先を向ける。
「<神狩りの槍ハンティング・ラム>、リアラ――っ!?」
 とどめの瞬間。何かを感じ取ったショウは、咄嗟に<暁の空>を突き込むのをやめ、空に向けた。爆発的な勢いで迫っていた何かが、無限の威力を秘める切っ先に突き刺さり――
 刹那、大爆発を引き起こした。指向性を持たされた爆薬が、火炎と鉄片の残骸を奔流として<空の蒼>に叩きつける。火薬を満載した大型弾頭兵器――バズーカか、迫撃砲。物理的な物体の進入を完全にシャットアウトする<ARF>に鎧われていても、熱と衝撃まで打ち消すことは出来ない。たまらず吹き飛ばされ、民家の塀に激突し、家屋を崩してその中に埋もれてしまう。濛々と立ち込める土煙。
『お前たち、一度退くぞ。態勢を立て直す』
 声は<黒の猟犬>たちの頭上から降ってきた。レイ=エリシエルの声。同時に、二本足の重厚な物体が目の前に降下、着地する。紫とも赤ともいえぬ暗黒色で、つやのないシルエット。フォルムに<黒の猟犬>などとは大きな違いが見受けられるFMPだ。分厚い装甲と、巨大化が為されている背部推進器。全体的に背面部の機能が充実しているようで、バインダーのようなものが四つ、翼のように突き出している。両手にそれぞれ巨大なバズーカを携えた威容は圧巻の一言に尽きる。
 新たに現れた一機――<紫赤の獅子ボルドー・ライオン>は左手のバズーカをバックパック側面にマウントし、腰の手榴弾を外した。
『呆けるな、退け』
 戸惑う部下を叱咤すると、手榴弾を放り投げて自分が一番に飛び立った。慌てて後を追うように飛び立つ二機の<黒の猟犬>。
 刹那、瓦礫のように崩れ去った家屋へ駄目押しの爆光が閃くのと、赫い光条が三機のFMPを追いかけて飛んでくるのとは、全く同時だった。
『うお――!!』
 危うくそれを回避した<黒の猟犬>のパイロットが声を上げる。いや、完全にかわせなかったようだ。脚の装甲の一部と、ライフルが銃身半ばからごっそり持っていかれている。内心舌打ちするレイ。中のパイロットさえ傷ついていなければまだ戦えるだろうが、貴重な武器をあっさり破壊されてしまうとは、なんと不甲斐無い。彼には、辛くも一撃を逃れた部下を気遣うなどという思考は、一分たりともなかった。
 かわりに置き土産ではないが、<蒼い死神の王>の仲間らしい白いFMPに一撃くれてやろうかとも思ったが、そんなことより修理と補給が先決と思い直し、レイはFMPを加速させた。

「ルーカスさん!ハルカさんっ!」
 <アーク>への一時帰還を果たした二人を迎えたのは、悲痛な声を上げて駆け寄るアンジェだった。格納庫には照明が灯り、二つの人型をした装甲体と、駆け寄る女性のシルエットを床に描き出している。
 ショウは無言で<空の蒼>を除装し、続いて<純白の雪>も外部から操作して待機状態にさせ、コックピットからハルカを引っ張り出す。
「……ハルカさん……?」
 アンジェが訝しむような声を上げる。ハルカはショウの支えを失うと、床にうずくまって動かなくなった。否、縮こまって震えている。
「これは一体……その腕、ルーカスさんも!」
 事情を問おうとしたところでショウの左腕の出血を見とめ、再び驚愕の声。ショウはただ、暗い表情でうつむいたままアンジェに背を向けると、格納庫の隅のほうに置いてあるサバイバルキットを引っ張り出し、左腕の止血を黙々と始める。想像していたより傷が浅いというのが不幸中の幸いだろうか、しかし戦闘に耐えられるほど動かせるかというと、自信はない。
「ルーカスさん、一体何があったんですか?」
 平静を取り戻したアンジェが、再び問いかける。
 その心配そうな顔には目もくれず、ショウはただ呟くように応えた。
「ただのかすり傷だ」
「か、かすり傷ってその出血……!」
「ハルカは……あれは、人を殺したことの実感による恐怖と、あいつの良心が咎めるのと……トラウマになるだろうな」
 そう語るショウの口調もまた、暗く沈んでいた。
「あいつの家族は飛賊に殺されている。それと同じラインに立ってしまった、引き返せない場所に来てしまった、そういう恐怖感からくるショックだろう」
 その一言を最後に、格納庫に重い沈黙のカーテンが降りる。飛空挺の低く唸るような駆動音に混じって、ショウが包帯を巻く音が奇妙なほど鮮明に響き渡った。
「さて。行ってくる」
 一通りの応急処置を済ませると、ショウは何事もなかったかのように立ち上がり、さらりと告げた。その一言に、アンジェはさすがに顔色を変えた。
「無茶です!その怪我で戦闘なんて出来ると思っているんですか?それに、もうすぐ『緊急解決策』が決行されます。あと十五分です!もう退避した方が――」
「駄目だ。やつらの目論見がわかった以上、なんとしても『緊急解決策』を阻止しなくちゃならなくなった」
 アンジェの意見を切り捨てるショウ。無言でひざまずき主を待つ<空の蒼>へ、ショウはまた歩き出した。
 その進路へ、アンジェが両手を広げて立ち塞がる。
「………………」
「行かせません。例え何があろうと、ここは退くべきです」
 確かにアンジェの意見は正しい。敵もこちらも戦力はズタズタで、現状ならば放っておいても任務は完了となるのだ。しかし――
「それじゃ駄目なんだ。『緊急解決策』の衛星砲を、止めなきゃならない」
 ショウは強引にアンジェを押しのけ、通ろうとする。しかしアンジェも床を踏みしめて、頑として道を譲らなかった。
「それなら、セフィルさんに頼んで止めてもらえば済む話です」
「動き出した衛星砲は今からじゃ止められない。町を焼き尽くすまで攻撃を止めないよ」
「――なら、ハルカさんはどうするんです?」
 どうしても行こうとするショウに、アンジェの一言が突き刺さる。一瞬ショウの顔が強張った。
「あんな状態のハルカさんを放って、あなたはまた戦いに行くのですか?そんなにも戦いが重要ですか!?」
 アンジェの悲痛な叫び。ハルカがこうなってしまったのは事実として、そんな彼女を支えてあげられるのは、この世界におそらく一人しかいない。それはアンジェではない、彼女の目の前にいる、ハルカの最後の家族だけ。
「――あぁ。重要だ」
 しかしショウはどこまでも譲らなかった。一瞬ショウがなんと言ったか、アンジェの頭は理解することを拒み――その拒絶は、すぐに打ち破られた。
「な、なんてことを――!」
「ようやくわかったんだよ、奴らの狙いが。このままじゃ人類そのものが――いや、この星が滅びる」
 ショウの中では、すべての謎が一本の糸で繋がっていた。時間一杯まで粘る飛賊。やがて放たれる衛星砲。そして暗躍する、あの忌まわしい<紫赤の獅子>。
「第一、いずれにせよ連中は殲滅しなきゃならない相手だ。……<紫赤の獅子>、ヤツは野放しに出来ない。俺のこの手で確実に――」
 殺す。
 そう続くべきであろう言葉を飲み込んだショウを見て、アンジェは強烈な疎外感に襲われた。例えハルカほどに慕っていなかったとしても、相手は自分のことをそれほど気に留めていなかったとしても、自分はずっとショウを見てきた。だがしかし、今の言葉を聞いて思い知らされた。
 ――私は一体、今までルーカスさんの何を見てきたというの……
 <紫赤の獅子>を見逃せない理由。彼が衛星砲を止めるという決意をした理由。ショウがそこまでしなくてはならない、理由。それをアンジェは知らない。
 ふと、目の前に立っているのは、自分の知っているショウではないのでは、という考えすら浮かんできた。今自分の前に立っている男は、<蒼い死神の王>と呼ばれる飛賊。あるいは、それとはまた別の、何か。
『俺が出たら、すぐにこの空域を離脱するんだ。巻き添えを喰うぞ』
 気がつけばショウは、アンジェの脇をすり抜け、<空の蒼>に乗り込んだところだった。
 増設したエアスラスタと、ショットガン用の肩部武装マウントを外した<空の蒼>は、いつもと同じフォルムを取り戻していた。続いて、各種装備の収めてある棚から、<暁の空>専用のオプションや兵装を取り出し、バックパックへマウントしていく。リパルサーレールガン、リパルサーリフト増幅オプション、左腕ダガーシールド、投擲用小型ブレード。機動力を損なわないギリギリの武装に加え、リパルサーリフト――斥力場推進装置の増幅オプションにより<ARF>の展開力を強化、機動力に置き換える装置――での速力強化。
 アンジェも一度だけ見たことがある、<空の蒼>の武装選択。確か名を――殲滅仕様。
『ハルカを、頼む。……俺はもう、戻れない』
「……え?それはどういう――」
 外部スピーカー越しに、振り返りもせず告げたショウは、格納庫の扉を開いて虚空へと飛び出した。反射的に問い質そうとしたアンジェの言葉を、FMPが飛び出した際の風がかき消す。未完成なままに終わった問いかけには、ただただ空の青さが応えたのみ。その鮮やかな青を、煌めく赫い光芒が切り裂いていく。
 アンジェはその軌跡をしばらくただ眺めていた。わからない。何もかもが。
 やっと口から出たのは、たった一つのため息と、たった一つの呟きだった。
「ハルカさんには、誰よりあなたが必要だというのに……ルーカスさん」
 アンジェの目は悲しげに、いつのまにか晴れ渡っていた青い空と、うずくまるハルカを見つめていた。

 出迎えはとびきり派手だった。小型の飛空挺ならば一撃で爆砕出来るミサイルがまるで花火のように乱れ飛び、その隙間を埋めるようにして対空機銃が唸り続け、時折空を光の奔流――主砲クラスのレーザ砲が薙いで行く。対空砲火の嵐だった。
 いかに鉄壁を誇る<ARF>の防御といえど、<空の蒼>が生成しうる力場強度には上限があり、一定以上の破壊力を持つ攻撃を受ければ防御力場が決壊する。そしてこの空域は、その一定以上の威力を持つ兵器で溢れ返っていた。もし仮に当たったのが機銃の弾幕であったとしても、食らえば動きが鈍るし、パイロットへのダメージも大きい。そしてそこへ攻撃が殺到すれば、おそらく無事ではいられまい。
 だが、いくら威力が高くても当たらなくては意味がない。リパルサーリフトで推力と機動性の両方を強化された<空の蒼>は、赫い残像を引きずりながら宙を縦横無尽に飛び回っている。
 一撃。間隙を縫ってもう一撃。二発のリパルサーレールガンが巡洋艦クラスの飛空挺に突き刺さり、爆砕する。これで二隻目。また一段と対空砲火がゆるくなった。だがしかし、飛空挺はまだ三隻も残っている。撃破すべき対象は間違いなく中央の巨大な旗艦だ。
 視線を一瞬だけ時計に走らせ、小さく舌打ちする。残り五分。時間がない。
 弾幕を全て速力のみで振り切り、上空から迂回するように位置を取る。三隻の飛空挺からしてみれば、<空の蒼>は太陽を背負う形になったはずである。目視による銃座、赤外線ホーミングのミサイル、その全ての死角。攻撃が弱まる。
「邪魔を、するなぁぁぁぁっ!」
 瞬間、爆発的な――いっそ無謀な加速をする赫い残影が一つ。ほぼ天頂から打ち下ろすようなパワーダイヴ。風景が糸を引くようにして後方へ流れ、異様な振動と風の圧力が装甲越しにも感じられる速度。生身の人間では耐えられないほどのGが、ショウの身体を瞬時に押さえつける。しかしそれに屈しない強靭な肉体と精神力を持って、ショウは唱えた。力の解放。呪の詠唱。展開は既に完了している。
「<神狩りの槍>っ!」
 落下速度も加えた急降下の速力を全て運動エネルギーに変え、無限の刃が飛空挺の艦橋に突き刺さる。あたかもそれは長大な銃剣か、さもなくば騎馬ごと乗り手を斬り裂く斬馬刀の如き様相だった。
 飛空挺が二つに折れて倒壊し始めると同時に、小さくビープ音。横跳びに空へ逃げると、さっきまでいた場所にレーザとマシンガンの雨が降り注いだ。
 三機のFMP。補給や応急修理を済ませた<黒の猟犬>二機と<紫赤の獅子>の三機だ。オービタルブラスターも予備のものを用意したらしい。追いすがる半自律軌道兵器の間を抜け、逆にショウは間合いを詰めにかかった。今や彼の全ての動きが攻撃的であり、獰猛であり、暴力的。
 空を、大地を駆け回る蒼い獣は、前衛である<黒の猟犬>に研ぎ澄まされた牙を剥く。<暁の空>はその切っ先を不吉に尖らせていた。まずは雑魚を片付け、<紫赤の獅子>を撃破して、敵の旗艦を叩く。
 その時再び警告音が鳴った。新たな被ロックオンの発生。その数、四つ。
「何っ――バカな!」
 ショウは攻撃をやめにして、強引に機体を振った。宙へ逃れる<空の蒼>のすぐ傍を、五つの眩い光芒が通り過ぎていった。
四連装砲カルテットキャノン――いや、本体込みで五連装砲クィンテッドキャノンか」
 今しがた攻撃してきた相手に視線を振る。<紫赤の獅子>と、その周囲に浮かぶ四機の大型オービタルブラスター。この四機と、<紫赤の獅子>の腹部に搭載されている大口径レーザ砲の全てが連動し、同じ敵を攻め立てるのだ。しかもその全てがコントロールは精神感応であり、本体そのものの動きにそれほど制限されない攻撃を展開できる。威力が威力なだけに、再充填まで時間がかかるようではあるが――
 <空の蒼>の脚ほども太さがある光条が通り過ぎた。一発だけである。続いてもう一発。避けた先に置くようにしてもう一撃が放たれた。辛くも回避。さらに一撃。さすがに体制を崩すショウ。そこへ暗色の重装甲FMPが滑り込んできた。腹部レーザ砲、両手の大口径バズーカ、三つの銃口が<空の蒼>を捉える。
「ざけんなぁぁぁっ!」
 上下逆さまのまま左手を一閃する。鋭い痛みが左腕を苛むが、それを気力でねじ伏せ、すぐに体勢を立て直すと離脱に入る。
 投擲ナイフが片方のバズーカの砲身に吸い込まれていって、大爆発を引き起こした。ナイフが銃弾に突き刺さり、弾を暴発させたのだ。そのショックでレーザももう一方のバズーカも狙いがそれる。爆風に煽られつつも何とか着地すると、今度はそこへオービタルブラスターとマシンガンの一斉掃射。宙返りを打って後ろへ跳ぶと、今度は極太のレーザが降ってくる。ステップバックを四回繰り返して全弾回避。続く攻撃はやってこなかった。
 距離を置いて対峙する三機のFMPへ油断なく構える<空の蒼>。敵も<空の蒼>に銃口を向けていた。いや――一機の<黒の猟犬>が膝を屈した。その胸部に深々と投擲ナイフが突き刺さっている。宙返りを打った瞬間に投げたものだ。
 ただの投擲では装甲を貫くことは出来まい。しかしそのナイフの刃は、高速で微振動し続けるチェーンソーのようなもので構成されている。FMPの装甲すらダンボールのように切り裂く代物だ。相手がダンボールなら、包丁でも貫通できる。
『ちっ……だが図に乗るな、<蒼い死神の王>。いや、<剣王ソーディン>と呼ぶべきか』
 注意深く構えながら、語りかけてくるレイの言葉に耳を傾ける。
『地上サテライトは我々が完成させた。衛星砲は止められない。――どういう意味か、わかるだろう?』
「わかるさ」
 <空の蒼>の赫さが一際輝きを増した。
「貴様らを殺して、地上サテライトを破壊する。<空中庭園>の復活は阻止する。絶対に」
 言うが早いか、音もなく迫った<空の蒼>は、残る一機の<黒の猟犬>を一刀のもとに斬り伏せた。右手に<暁の空>、左手には投擲ナイフを三本。
『もう遅い!』
 突如、さらに五つの何かを<紫赤の獅子>が射出した。ショウはそれの正体を知っている。鏡面反射子機リフレックス。同時に五連装砲が火を噴いた。
 ショウはそれをかわすと、すぐに次の回避運動へ移った。案の定、一度は通り過ぎたはずのレーザ群が戻ってくる。鏡面反射子機によって跳ね返ったレーザが再度<空の蒼>を襲ったのだ。
「遅くはない!」
 ブレードを引き抜いた<紫赤の獅子>へ迫る。右手のバズーカを撃ったレイは、その後を追うように自らも距離を詰めにかかった。
 バズーカを最小限の動きで回避すると、二機のFMPは真正面から切り結んだ。武器の威力を始め、単純な接近戦での能力なら間違いなく<空の蒼>に分があるだろう。しかし<紫赤の獅子>が持つブレードもただのブレードではないらしく、<暁の空>と切り結んで悲鳴一つ上げていない。単純にFMPのパワーと重量は<紫赤の獅子>が勝っており、しかもショウは左腕を負傷している。この状態は長く続けはショウに不利だった。
 悟るが早いか、ステップバックすると同時に、ショウは左手のナイフを同時に三本投げつける。無理を押しての行動を強い続けた結果か、左腕はもう痛みを伝えてきているのかどうかもわからなくなっている。だがそんな事には構っていられない。全てがギリギリのラインで成り立っている戦い。
 刹那、二条の光がナイフを焼き貫き、跡形もなく焼き払ってしまった。おそらくもともとは<空の蒼>を狙っていたものであろう。それが発射直前に避けられ、しかしレイにとって不幸中の幸いというか、反撃のナイフを叩き落したというわけだ。
 だが極大のレーザは地面にぶつかる直前、突如その向きを変え、<空の蒼>に向かって飛んできた。地面すれすれに鏡面反射子機。クロスする形で迫るレーザを跳んで回避すると、すぐに今度は脚を振り、そして側面方向へ加速する。その後を追うように、いくつもの光芒が放たれ、消えて行き、詰め将棋のような隙のない攻撃が絶えず<空の蒼>を攻め立てた。
「くそっ、時間がないのに――っ!?」
 その時、<空の蒼>が異常を告げた。頭上に途方もないエネルギー反応。その高度は計器の予測によると優に一万メートルを超えている。完全にセンサの圏外だ。つまり蓄えられたエネルギーの余波、余剰エネルギーだけで一万メートルの距離を越え、かつこれだけの反応を示している。その本体には、一体どれだけのエネルギーが蓄えられているのか。
 ――衛星砲のチャージが終わったか……!
 すると、敵の飛空挺の旗艦がいきなりその甲板を開き始めた。そこから展開される、何かのアンテナ受容器のような装置。薄赤く発光する機械。その赤は、ショウにとって非常に馴染みの深いものだった。
「まずい、もうサテライトを展開している」
『よそ見している余裕があるのか!?』
 舌打ちするショウを、レイはさらに激しく追い立てた。最後の最後、衛星砲がサテライトに降るその時まで、彼は一瞬たりとも気を抜くつもりはない。いや、ここで終わらせるつもりさえあった。一気に距離を詰めにかかる。付随してオービタルブラスターの砲火も激しさを増していった。
「この――!」
 ショウも気を抜くつもりはなかった。どころか、この戦闘はショウにしてみれば通り道以外の何物でもない。過ぎ去っていくもの。通過点。その意識の違いが、言うなればレイの焦りであり、誤算であった。
「<神々の鉄槌ラグナ・ブラスト>!」
 輝きを放つ<暁の空>を地面に突き刺す。衝撃でアスファルトがひび割れ、その中心から蠢く何かが四方に吹き上げた。噴火でも起こしたような土砂にまぎれて、赫光のヘビが次々とオービタルブラスターを貫いていく。
「なっ、なんだと!?」
 思わず驚愕の声を上げるレイ。主力である五連装砲の内四基を撃破されてしまった。砲座が一基では、鏡面反射子機もあまり意味を成さない。
 そしてその一瞬が命取りとなる。赫い風が<紫赤の獅子>を薙いだ。
 僅かに浅い。だがその一撃は装甲のかなり奥まで到達し、おそらくはメインの電装系統を焼ききったのだろう、<紫赤の獅子>を行動不能に陥らせた。
 それだけの事は感覚でわかる。ショウは振り返ることも確かめることもせず、瞬時に転進して旗艦に狙いを定め、最大速度で――
 瞬間。
 光が降ってきた。
 眩い光の柱が、大気を焦がし、雲を逆巻かせ、青い空を黒々と染めながら地上に落ちてきた。
 神の降臨か、さもなくば世界の終わりか。数十年に一度も姿を現せることもないその禍々しい威容は、遥か空の高みから打ち下ろされた絶対の鉄槌。あれに撃たれて生き延びることはまず不可能だ。それは滅びをもたらす光の渦。全てを破壊する絶対の刃。
 だがしかし、光の柱が地上に落ちることはなかった。突如吸い込まれるようにして、その進路を大地から旗艦上に展開されたパラボラアンテナ状のものに変え――
 刹那、光は拡散して空に散った。サテライトにより跳ね返された衛星砲はいくつもの細い光条に姿を変え、夜空を覆い尽くす流星群のように広がり、命を慈しむ儚い雪のように降り注いだ。淡い粉雪、幻想的な、季節外れの、星全体に降り注ぐ雪。
『緊急解決策発動、か……ふん、随分と焦らされたよ、今回の任務はな』
 動けなくなったFMPの中にいるレイが、感慨深げに呟く。その暗色の装甲にも、極彩色に煌めく光の雪が降り注ぎ、溶け込むようにして消えて行く。
『だが、これで任務完了だ。わかっていると思うが……地上サテライトを中継して拡散したエネルギーは、<神騎オーディン>と<空中庭園>を深い眠りから呼び覚ます。といっても、まだもうしばらく時間はかかるだろうがな』
 ショウは、踏み切る直前の姿勢で固まっていた。彼は空へ飛び出さなかった。飛び出せなかった。間に合わなかったのだ、ショウは。
 ――決して呼び覚ましてはならないものが、もうすぐ起きる。
『すぐに衛星砲第二波が放たれるだろうが、どうやったところで無駄に復活を早めるだけだ。そもそもあの衛星砲がただのエネルギー生成・中継基地だなんて、現代に生きる人間――特に政府の石頭どもの誰が気付くものか』
「黙れ」
 レイの語りを一言で切り捨てるショウ。
 悔しかった。何が何でも復活だけはさせまいと、彼は長い間封印を守り続けていたのだ。だが、それ以上に恐れていた。あの忌まわしき大地の復活を。悪夢の再来を。かつて存在した文明そのものを滅ぼした、<赫光戦争しゃっこうせんそう>を。
 二度と見たくない、二度と繰り返させはしまいと誓ったあの戦場。赫い光の飛び交う宇宙。有機物と無機物取り合わせた多くの骸が転がる大地。その中に目覚めたショウ=ルーカスの使命。彼が守り抜くと決めた伝説。伝説を伝説のままに守り抜くこと、それが彼の使命。
 その全てが、泡のように弾けて消えた。
 再びビープ音。高エネルギー反応。衛星砲の第二波が放たれようとしている。
 ショウの中で、何かが弾けた。
「――<PAAD>システム、起動。全警告に対しオートリアクション。セーフティ解除、システムオールグリーン。対象空間を設定――完了。出力を37%へ」
 端末を通してではなく、<空の蒼>へ直接送り込まれ、直接頭に返ってくる電気信号。システム制御はもはや手動ではなく、ショウと<空の蒼>のリンクによって行われている。
「無の威、無の陣、猛り狂えし魔性の焔
  刹那の時の仮初めなれど
   その威は天空そらの幻にあらず」
 空が、震えた。
 雲が逆巻く。だがしかし、その渦の中心は衛星砲のあるポイントではなかった。衛星砲が再び雲を逆巻かせ始めるが、それすら押しのけて自らの存在を誇示する力。その空の異変の中心は――<空の蒼>。
『な、なんだ……!?』
 さすがのレイもこれには驚いたようだが、しかし応えるものはいない。ただ虚ろに呪の詠唱が響き渡るのみ。
 それは、滅びを告げる詩。
「時を、空間そらを、全ては原初の在るべき姿
  世界を滅ぼす全き虚ろ
   汝の前には生死もあらず」
 <暁の空>の形状が変化を始めた。後方へバインダーのように伸びていた突起が前方へ展開、スライドした。同時に、槍の如く尖っていた先端が口を開き、先の突起に対し直角方向へ回転すると、やはりスライドして前方へ爪を伸ばし始める。
 四本の爪が伸びきったところで、今度は<空の蒼>に異変が起きた。バックパックから左右にせりあがる二対の翼。手から肘にかけて口を開いた突起。脚部の側面装甲から姿を現した鉤爪。その全ての先端から一際赫い光が放たれ、<空の蒼>を守るように覆いつくす。
「ただ赫き無の、駆けるままに……」
 <暁の空>の先端、ちょうど四本の突起に覆われたその先端部に、鮮烈な赤のプラズマが生まれた。線香花火のように小さく、儚く、弱々しい閃光。だがしかし、そこへ収束された破壊力は、核兵器など物の数ではない。さながら蟻地獄の如く、<空の蒼>から生まれ出でた赫い光を吸い上げ続ける。肥大化も巨大化もしない、ただひたすらに凝縮され、何かを抑えるためだけに吸い上げられる赫。
 衛星砲が放たれた。
 地上サテライトへ光が収束する。
 無が雄叫びを上げた。
「<全てを無に帰す魔性の焔スカーレット・ホール>……リアライズ」

 ――そして、街が消えた。


 扉を二度ノックする音が聞こえた。
「はい」
 アンジェが返事をすると、ほぼ間髪入れずに扉が開く。ゆったりとした動作で入ってきた人物を見て、アンジェはやや驚きを隠せないでいた。
「セフィル区長」
「やぁ、君がショウ=ルーカスのいた船の乗組員だっていう、アンジェさんかい?」
 彼には付き物ともいえる人懐っこい笑顔も、どこか疲弊しているように見えた。秘書の姿もない。おそらく仕事に忙殺されているのだろう。何せ今は、全世界的な緊急事態宣言が出されているのだから。
 区長の肩書きを持つセフィルが、今ここにいるということ自体ありえない話である。その激務の合間を縫って、わざわざ来てくれたのだろうか。それを思うと、少しだけアンジェの胸は痛んだ。
 ここは、アルスト山岳区でもトップクラスの大きさを誇る総合病院。その一室をあてがわれているのは、無論アンジェではない。
「彼女は、まだあの調子なのか」
 ちらり、とセフィルが視線を送った先には、ベッドの上に座り込んで空を眺めている一人の少女。アンジェは小さくかぶりを振った。
 ハルカはあの後、なんとかショック症状からは立ち直ったものの、ショウがいなくなったことを知って今度はふさぎこんでしまった。何を話しかけても反応しない。激昂して叩けば、やはり虚ろな視線を再び空に向ける。食事は一応摂るものの、その量はあまりに少なく、ハルカは見る見る間にやせ細っていった。彼女の視線は、今もあの空のどこかを飛んでいる、蒼い装甲体を追い続けているのだろうか。
 ショウは姿を消した。街一つ――いや、レディナの町を中心に半径十キロ弱の地域を消し飛ばして。
 ショウが放った赫い光は全てを飲み込み、無に帰した。レディナの街近辺には、今や巨大なクレーターがあるのみ。まるでそこだけごっそりと抉り取られたかのような境界が出来ている、と調査団は報告していた。
 一方アンジェたちを乗せた<アーク>は、赫い光が炸裂する直前突如自動で動き出し、その効果圏から脱出を果たしていた。その後ハルカとアンジェを降ろすと、<アーク>もまた空の彼方へ姿を消した。ショウと、彼の乗る<空の蒼>の後を追ったのだろうか。アンジェはただ呆然と、空へ消え行く飛空挺を見送ったのを憶えている。
 だがしかし、今現在の空はそのFMPの名が示す色をしてはいなかった。
「……いやな色の空ですね」
「あぁ。全てこちら行政側のミスだ。昔ショウ=ルーカスが言っていた通り、衛星砲は破壊するべきだったのかもしれない」
 アンジェの言葉につられるようにして、セフィルもまた空を見る。
 空は、赤かった。
 それも朝焼けや夕焼けのように鮮やかなオレンジ色ではない。正真正銘、真紅に染まっていた。それはアンジェもセフィルも――無論ハルカも馴染みの深い、あの赫である。
 透けるような禍々しい血の色に染め上げられた空。その向こうに、かぐろい影が浮かんでいた。
 雲が地上に描き出す影に良く似ていたが、それの正体は雲ではない。正確に言うなら、そこに浮かんでいるのは、島だ。
「……<空中庭園>、か」
 それも一つや二つではない、数え切れない大小取り合わせた島々と、そして一際大きい群島の中心を行く巨大な『大地』が一つ。
 それに与えられた名前の穏やかさとは裏腹に、その驚異は計り知れない。何せ相手は、<失われた文明の遺産>の大物であり、過去の文明が消滅した直接のきっかけとも言える代物なのだから。
 今でこそまだ実害や攻撃行為などは確認されていない。だが、空が朱に染まっているだけでも十分大事である。加えて、もし伝説や逸話などにある通りの力をあの<空中庭園>が備えていたら、今の文明は対抗しうる術を持たない。
 よって早期にどうにかしなくてはならないのだろうが、破壊しようにも<空中庭園>には一切の攻撃が通らない。それはちょうど、<空の蒼>に物理的な攻撃が聞かないのと同じ原理なのだろう。ただ、本体の大きさを考えると、その防御力は計り知れない。赫い空は、全てを阻む。
「……これから世界は、どうなっていくのでしょうか」
 アンジェの問いにセフィルは答えない。あるいは、それがセフィルに対するものではないと、彼自身悟っていたのかもしれない。
 だが、やはり答えはなかった。答えのない世界。未来の見えない世界。それこそが、今最も相応しい世界の表現であり――誰もが抱く、明日への不安と絶望でもあった。





 ども、長らくお待たせいたしました!「遥か彼方、天空の地にて…」シリーズ第四話、今目覚めの刻<空中庭園>をお届けいたします!
 いや〜、長いなぁ。読むのがしんどくなりませんかみなさん?(ヲイ)書くのも結構大変ですが、物語はこういった展開を迎え、これからぐんぐんと加速して行く……はずなんですが!多分次のお話、また相当先になるんだろうな〜(^^;

 以下、反省ターイムっ!
 今回、前半(出撃前あたり?)とその後で大きく書き方が変わっている可能性があります。というのも、前半部分を書いたのは半年前でして(爆)。しかもそれ以後ロクに書いていないから、悪い方向に変わったかもしれませんね。ただ、自分でもちょっと思うのが、会話の数が減ったなぁ〜、と。あと、「、」がすごい多くなった。これが吉と出るか、ってか出て欲しい(笑)。今書いてる別のお話は、真剣に会話がなかったりするモンで(^^;
 あと、随所で解説を意図的に省きまくってます。お話のブラックボックスの名前がポンポン出る割に、解説なし。次の第五話とせっとにしてこそ意味のあるお話、それが第四話なのだろうと(^^;だから、気になる単語も次のお話が出るまでは「あぁそういうモンね」くらいで流しといてくれると嬉しいです(笑)。
 ちなみに、コスモスさんの話にあった『俺にとって当たり前の単語』についてですが、気にせずにいつも通り行かせてもらうことにしました。今まで通りの力すら発揮出来るかどうか怪しいのに、気にかけてる余裕もなかったので(^^;次善策程度ですが、なるべく漢字を読めばなんとはなしに意味がわかるっぽいものを多くしています。

 ではでは、半年後とかになっても「遥か彼方、天空の地にて…」を見捨てずによろしくお願いします(^^;それでは、時間をも気にさせない力を――顕れよリアライズッ!



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