2月14日
バレンタインデー
その日、街中の人々が、幸せに包まれていた
その日、大地は白い雪に包まれていた
降り積もった雪が、世界を白く染め上げていた
白く
まぶしいくらいに、
 白く・・・




ざわざわざわ・・・・・
公園の木々が風を受けてざわめく
水の流れなくなった噴水は、何の変化も見せない
ただ、水を受け続けていた水盤の上で、さざ波だけが時の流れを刻んでいる
空を見上げるが、そこにオリオンの雄姿を見つけることはできなかった
大小さまざまな雲達が大空を駆け巡ってゆく
時は流れ、夜はふけてゆく
そして、今この場に訪れていたのは、告白の時だった
私は何も言わずに、苦しげに、悔しげに、哀しげにしている稲穂君を見つめる
やがて、複雑に絡まりあった感情の彩りが、二本のストライプに集約されていく
その色は、あきらめと決心
その相反するような色の組み合わせが、今の私達の異常性を物語っていた
稲穂君は狂っていた
私も狂っていた
運命という名の悪夢に弄ばれて、私達は狂っていた
目指すものは同じなはずなのに、私達は騙しあい、傷つけあった
もし、この世に悪魔がいるというのなら、きっと今ごろ高笑いをしていることだろう
私には、そう思えてならなかった
そして、長く、哀しすぎる物語が・・・始まった・・
「・・・全てを、話すよ・・音羽さん」


Memories Off Nightmare
第九章「彼の者は往かん、遥かなる高みへ」
 Produced By コスモス



音羽さん、まず、『白い傘』についてを話すよ。
智也のことは、その後に話すよ。
「・・・その後?」
ああ、その後だ。つまり、『白い傘』ってのは、正確には『智也と唯笑ちゃん』には無関係な話なんだよ。
関係あるのは、智也と・・もう一人の幼馴染なんだ。
「・・・桧月、彩花さん?」
・・・知ってたのかい?
「うん、智也の大切だった・・そして、もう2度と逢うことのできない人・・・
ううん、今はきっと逢えてるよね?」
ああ、きっと逢って、今ごろ唯笑ちゃんのことを2人で見守ってるさ。
彼女・・桧月さんが・・・持っていたんだよ。
「・・・?」
いなくなってしまった時に・・・事故にあった時に・・彼女が差していた傘、それが・・・
「・・『白い傘』・・・」
・・・・・
その時に、その事故の時に、桧月さんは適切な応急処置を受けることができなかった。
救急車が到着するまで、彼女に応急処置が施されることは一切なかった。
そして、車内で止血処置が済んだ時には、もう全てが手遅れだったらしい。
彼女は、あまりに多くの血を流してしまっていたから・・・
「なんで・・ドライバーは何してたのよ・・・」
・・・ひき逃げだったんだよ。
誰が通報したのかはわからないけど・・・ともかく、彼女は救急車が到着するまで応急処置どころか、誰にも触れられることなく雨ざらしにされていたんだ。
・・・目撃者は、ちゃんといたってのにね。
「えっ!!! 目撃者って、その場にドライバー以外の人がいたの!?」
ああ、たった一人だけど、確かに目撃者はいたんだよ・・・
「なら、どうして!! どうして助けて上げなかったの、その人は!?」
どうしてだろうな? きっと、いきなりなことだったから、怖くなってしまったんじゃないかな?
「でも、そんなこと言ってる場合じゃないじゃない!! 人の命がかかってるんでしょ? 怖がるのなんか、助けた後に、やることやった後に、家に帰ってからでもゆっくり怖がればいいじゃないっ!! そうしてれば、桧月さんは助かったかもしれないんでしょ? 智也も今坂さんも、あんなに苦しまなくて済んだんでしょ!?」
ああ、その通りだよ。生死に関わる事故ってのは、最初の3分間にどういう処置が取られるかで、その結果が劇的に変わるんだよ。
その目撃者がすぐさま119番をして、一番酷い出血部分を力いっぱい押さえつけてるだけで、止血まで可能かどうかは別にして、出血量は最小限に留めることができたはずなんだ。そして、ショック死さえしてなかったら、たいていの場合は血さえ足りていれば、命だけはどうにかなる物なんだ。
「じゃあどうして!!!」
だから・・・怖かったんじゃないかな?
「そんな・・そんなの・・・酷すぎるよ!!! それじゃあ、智也は・・智也はどうなるのよ!!」
・・・ああなったんだよ。
「・・・・・」
桧月さんが救急車に運ばれていった後、それからしばらくして、一人の少年が事故現場に走ってきたんだ。少年は、現場に残された『白い傘』を見て、まぶしいぐらいに『白かった傘』を見て、ここに彼女がいたことを知ったんだろうな。そして『白い傘』に付着していた、雨に流されずにアスファルトの上に残っていた、白くないものを見て悟ったんだろうな。
彼女の身に何が起こったのかを・・・
彼女に逢うことはもうできないってことを・・・
「ね、ねぇ、稲穂君・・・」
アイツは『白かった傘』を抱きしめて、泣き崩れたよ。
「どうして・・そこまで・・・」
その姿を見てそいつは、思ったんだよ。
『ああ、俺がこいつの大切な人を・・・「殺した」んだ』ってね。
「ねぇ、稲穂君・・・稲穂くんっ!!」
それから、一年ちょっとの時が過ぎた。
そいつは、澄空学園に入学したんだ。
「もういい。もういいよ!! わかったから・・・もうやめようよっ!!」
そして、その人殺しは、俺は、出会ったんだよ。あの時の少年に!! 智也にっ!!!
「もうやめてって、言ってるでしょぉ!!!」
そして、俺は誓ったんだ。
智也に償いをすると・・・
例え俺がどうなろうとも、必ず償いをすると・・・
「・・・・・」
そして、ここまでが・・・『白い傘』についての話しなんだ。
「・・・・・」


そこまで語った稲穂君は、無表情に空を眺めた。
これまで決して、誰にも語られることはなかっただろう話。
これからも決して、誰にも語られることはないだろう話。
その話を語る稲穂君は無表情だった。
口調が熱を帯びても、悲しみを帯びても、決して感情が顔に表れることはなかった。
だが、その様子に以前のような迫力を感じることはできなかった。
おしよせる荒波をかろうじて支えている堤防のような、どうしようもない危うさがにじみ出ているようにすら思えた。
荒れ狂う自己嫌悪の嵐に押し流されてしまわないように、必死で命綱にしがみついているその様は、まるで狼に睨まれた仔羊のように弱々しく憐れだった。
空を見上げていた稲穂君が、左の手の平を空に向け呟く。
「・・雪、か・・・あの日も・・降ってたな・・・雪が・・・」
気づけば空は、厚い雪雲に覆われていた。ちらほらと舞い降りてくる白の欠片。
「・・・白い・・まぶしいくらいに・・白い雪が・・・」
幕間の終わりを告げる鐘の音が、高らかに鳴り響いていた。



・・・・・
・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「お〜〜〜〜〜〜〜〜〜い、唯笑ぇ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!」
智也はそう叫んで、白い世界の中、風のように駆けていった。
この日は、年に一度あるかないかの、凄まじい大雪だった。
俺から遠ざかってゆく智也の姿が、降りしきる雪に遮られてゆく。
智也を送り出した俺の右手が、所在なさげに空をつかむ。
智也のぬくもりが、手の平から消えていった。
続いて、親指、小指、中指、薬指の順番に次々と消えてゆく。
そして、最後まで智也に触れていた中指だけに、智也の体温が残った。
だがそれも一瞬、あっという間にそのぬくもりもまた、冬の大気に奪われてゆく。
智也の姿が、曲がり角の向こうへと消えてゆく。
そして、その場には、俺だけが残った。
智也の声も、姿も、ぬくもりも、ここには何も残されてはいない。
雪の上に残された足跡だけが、智也がここにいたことが、夢でもなければ幻でもないことを物語っていた。
だが、その存在の証も、降りしきる大雪に押し潰されようとしている。あと、一時間としないうちに、ここは何もない、ただ雪だけが存在する、白い世界へと変貌するだろう。
まぶしいくらいに白い世界へと・・・
不意に、今の季節には似つかわしい香りが鼻をついた。
―いっちゃったね・・・―
柑橘系の香りを漂わせる、白い翼を持った少女が囁きかけてくる。
「ああ、いっちゃったよ・・・」
俺と同じことを望む存在。
―嬉しいことだけど・・こうなるように見守ってたんだけど・・・ちょっと寂しいね―
俺に殺された存在。
「ああ、なんだか、お祭りの後みたいな感じだよ・・・」
だが、彼女は俺を責めなかった。
―智也は・・・幸せだよね?―
彼女は、残されたものの幸せを、ただ願った。
「ああ、幸せさ」
だから、俺もその遺志に従った。
―唯笑ちゃんも・・・幸せだよね?―
そして、彼女の望みは果たされ、俺の償いもまた終わった。
「ああ、幸せさ。2人とも・・・」
今日まで彼女は、俺は、2人の幸せを確認し続けてきた。
―やること・・なくなっちゃったね・・・―
自らの存在理由を求めて・・・
「ああ、なくなっちゃったよ・・」
だが、それも今日で終わる。
―いろいろ、ありがとうね―
彼女は、今日、その翼を広げるだろう。
「セリフ、間違ってるんじゃない?」
遥かなる高みへと、還って往くために・・・
―ふふ、そうね。じゃ、もう許してあげるね。今まで、ご苦労様でした―
空を見上げる。
「ああ、ありがとう・・本当に、ありがとう・・・」
空は暗く、昼というのが嘘のようだった。
―二人にも、よろしく言っておいてね―
彼女が旅立つ日には、もっと青く澄み渡った大空であって欲しかった・・・
「俺から・・・かい?」
でも、それは望むべくもない。
―ええ、自分で言いたいのは、山々なんだけどね・・・―
なら、せめて笑顔で見送ってあげたい。
「そっか」
悪夢の運命から逃れられなかった彼女にできる、唯一のはなむけになるだろうから。
―それじゃあ・・・もう・・逝くね・・・―
(・・ちょっと待ってよ・・・)
え?
―え? 何、この声・・・―
唐突に響き渡る、少女のような少年のような、幼い『声』。
(・・忘れちゃったの?・・お姉ちゃん・・・)
俺は、この声を覚えていた。忘れるはずがなかった。
―あ、ああ! あああっ!! なんなの? 胸が、胸が・・痛いっ・・・!!―
痛みと、哀しみと、苦しみと、憎しみと、悔しさが、それらが入り混じった・・・『絶望』の中に、その記憶はあった。
(・・あのね・・・ボクがお願いしたの・・・)
そして、この『声』が存在するということは・・・
(・・お兄ちゃんに・・・お姉ちゃんを殺してって・・) 
悪夢は、まだ・・・終わらない!!
―ま・・まさ・・・か・・―
(・・今日は、ね・・・ふふっ・・)
まさか・・・
(・・もう・・・遅いかな?・・・)
突如として、俺の脳裏に智也の姿が浮かぶ。
(・・お兄ちゃんは・・・また殺しちゃったんだよ・・・)
智也の背には、見覚えのある右手が押し当てられていた。
(・・あの時・・始まっちゃったんだよ・・・)
俺の右手が、智也の背から離れてゆく・・・
(・・・今度は・・お友達だね・・・)
―智也!!!!―
天使の悲痛な声が響く。だが、届かない。
彼女は、その翼を力の限りにはばたかせる。
俺は大地を蹴り、猛全と走り出す。
彼女が角を曲がり、智也の後を追う。そのまた、後ろを俺が追う。
俺が角を曲がった時、智也はその道の突き当たりの、T字路交差点を渡ろうとしていた。
交差点の向こうには、信号が変わるのを待つ唯笑ちゃんが見える。
信号が変わる直前に、横断歩道を遮るかのように、大型トラックが路肩駐車をした。
そして、智也の前の信号が青になる。
またも脳裏に智也の姿が浮かぶ。
智也は嬉々として、かわったばかりの青信号を駆け抜けようと走り出す!!
「智也あああああああああぁぁ!!!!!」
―智也ああああぁ〜〜〜〜〜!!!!!―
俺と彼女は、力の限りに絶叫していた。
だが、それも遅すぎた。
何もかもが・・遅すぎた・・・
どんな音がしたのだろうか? そんな、愚にもつかない疑問が脳裏をかすめる中・・・
俺の親友は・・・彼女と、唯笑ちゃんの大切な人は・・・
三上智也は・・・
放物線を描いて・・空を舞った・・・・・
そして、トラックが動き出す。
その向こうには、幸せに満ちあふれた唯笑ちゃんが一人、佇んでいた。
唯笑ちゃんは、不思議そうにきょときょとと首を左右に動かす。
そして、彼女もまた、悪夢の世界へといざなわれていく・・・
「いやああああああああああああああぁぁぁ!!!!」


智也の傷は、素人目にも明らかな致命傷だった。
脳裏に浮かぶ、50メートルほど離れた先の事故現場に、三つの存在があった。
いつも一緒だった3者が・・・
散ってしまった者、散りゆく者、そして残される者、三つの存在が、再び集っていた。
だが、そこに再会を祝する笑顔はない。
そこに存在したのは、再び訪れた悪夢、避けることのかなわない永遠の別れへの、哀しみと苦しみ、そして絶望だけであった。
幸せの訪れ、希望の灯火、悪夢への終止符、築きあげた絆、創りあげた想い出、全てが音をたてて崩れ去ってゆく。
3人の・・たった3人だけのセレモニーが、今始まる。
「智ちゃん! 智ちゃん! 智ちゃん・・!」
智也を胸に抱いた唯笑ちゃんが、ぐったりとした智也に呼びかける。
何度も何度も、狂ったように呼びかけ続ける。
やがて・・ゆっくりと智也が目を開く。
「と、智ちゃん!!!」
わずかな期待を込めた、起きない奇跡を信じた、いや、信じようと必死な唯笑ちゃんの歓声が響く。
だが、その希望は、あえなく砕け散った。
「唯笑・・・ごめん、ごめんな・・・」
絞り出された智也の言葉は、自らの死を覚悟し受け入れたものだった。
「な、なんで謝るの!? ねぇ、智ちゃんが謝ることなんかないじゃない!!」
「ごめんな・・・唯笑・・」
「いや、いやだよぉ、智ちゃん、謝らないでよぉ!!」
だが、唯笑ちゃんは受け入れられないでいた。
受け入れられない、受け入れることなんて、できるはずがなかった。
智也がいなくなってしまうなんて。自分の二枚の翼が、たった2人のかけがえのない幼馴染が、2人ともいなくなってしまうなんて。
愛する人に、二度と逢えなくなってしまうなんて・・・
「ごめんな・・・約束したのに・・
ずっと・・一緒にいるって・・・約束したのに・・・」
「智ちゃん!!! いや!!! いや!!! いや!!! 逝っちゃダメ!!!
絶対に逝っちゃダメ!!!」
智也の命の炎が、最後の煌めきが、弱く小さくなってゆく。
「ゆ、唯笑・・・どこだ・・? どこに・・いる・・・?」
「智ちゃんっ!! ここ、ここにいるよっ!! 唯笑はここにいるよぉ!!」
唯笑ちゃんが、智也の手を渾身の力をこめて握りしめる。
智也をこの世界につなぎとめようとするかのように、強く・・強く・・・
だが・・それでも・・・
「智ちゃん!! 唯笑を・・唯笑を、一人ぼっちにしないで!!
ダメなの!! もう、もう・・唯笑は、一人ぼっちには耐えられないのぉ!!
だから、お願い智ちゃん。逝かないで、唯笑を置いて逝っちゃわないでっ!!
なんでも、言うこときいたげるから。
夕ご飯に唯笑のご飯食べてくれなくても、唯笑我慢できるから。
朝だって、智ちゃんがサボりたいって言ったら、唯笑も一緒にサボるよぉ!!
智ちゃんさえいてくれたら・・・唯笑、なんだって我慢できるからぁ・・・
だから・・・!!」
ダメなんだよ・・・唯笑ちゃん。
それだけを望んでも、それだけは、それだけは・・・もう・・無理なんだよ・・・
もう・・・
今も、雪は変わらず降り続けている。
時は変わらず流れ続けている。
世界はよどみなく流れてゆく。
だが、俺の前の光景は、目の前の光景だけは、変わってしまった。
あまりにも変わってしまった。
泣きたかった。わめきたかった。何でもいい、何でもいいから、今ある現実をなかったことにしたかった。
受け入れられない現実を、白紙に戻してしまいたかった。
そう、この降りしきる雪のような白に。
まぶしいほどの真っ白に・・・世界を、現実を、いつものありふれた光景に塗り変えて、くだらない日常で埋め尽くしてしまいたかった。
だが、世界は塗りかわらなかった。何一つ変わりはしなかった。
俺の目前にあるのは、悪夢だけだった・・・
そして、智也の炎が、最後の命の煌めきが、紅蓮の火柱を巻き上げる。
唯笑ちゃんに握られていた手が、ゆっくりと動き、唯笑ちゃんの頬に添えられる。
光を失った智也の瞳が、再び涙にあふれる唯笑ちゃんの顔を捉える。
「ゆ、唯笑・・・泣くな・・・俺達・・いつでも・・一緒・・・んだ・・・」
そして、ゆっくり・・ゆっくりと・・・唯笑ちゃんの涙をぬぐって微笑みかける。
「いやっ、いやぁ、絶対いやぁ!!!
唯笑、智ちゃんが逝っちゃったらいっぱい泣いちゃうから!!
だから・・だから・・・!!
智ちゃん、智ちゃんっ!!
お願い、お願いだからっ!!!」
そして、最後の炎は・・・
「だから・・・笑って・・ろ・・・・・
唯笑・・・愛して・・る・・・」
消えた。
「智ちゃああああああああああああああああんっ!!!!!!」
唯笑ちゃんの顔をなぞるように智也の手が滑り落ちてゆく。
そして・・・
パサッ。
智也の手が、降り積もった雪に吸い込まれた・・・
真っ白な大地に、
まぶしいほどに、真っ白な大地に、
智也は倒れていた。
智也の体から流れ出した紅の液体が、
雪の大地に広がってゆく。
大地の色を、塗りかえてゆく。
今日、この時、この瞬間、もう一人の天使が、
新たなる天使が、生まれ落ちた。
その背に、紅い、まぶしいほどに紅い翼を持った天使が。
彼は、恐る恐るその翼を広げてゆく。
はじめて広げるその翼の、使い心地を試すかのように。
そして今、紅の翼を持った天使が、空へと舞い上がってゆく。
その先には、白き翼を持った天使が・・・涙を流して待っていた・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・
・・・・・



「これが・・・あの日の全て・・そして、俺が唯笑ちゃんにこだわる理由だよ・・・」
話し終えた稲穂君は、私から目を背けて公園を囲む木々を見つめていた。
そして、一端言葉を切った後、今度は独り言のように、自虐的に語り始める。
「要するに、音羽さんや、クラスのみんなは、とんでもない勘違いをしていたってわけだ。いや、巧妙に騙くらかされてたって言った方がいいね。『友達思いな稲穂君は、親友だった三上君のために、がんばっているんだぁ』てな具合にね。
ははっ、何のことはない、俺のやってることは全て自己満足のためなのさ。
桧月さんを殺してしまった罪悪感から逃れるために智也に近づき、勝手に余計な世話を焼いて、勝手な自己満足に浸って、あげくの果てに今度は智也まで殺してしまった。
そして、今度は智也殺しの罪悪感から逃れるために、償いと称してあれやこれやと唯笑ちゃんに世話を焼いてるってわけだ。
周囲の迷惑なんて全く顧みることなくね。それで音羽さんに対して、よくもあれだけのことが言えたもんだ。我ながら、ある意味感心しちまうよ」
「・・・・・」
私は、責めるべきなのだろうか?
彼を、稲穂君を、責めたてるべきなのだろうか?
『この人殺し!! どうして桧月さんを助けて上げなかったのよ!!』と言うべきなのだろうか?
あるいは『どうして、智也の背中を押したりしたのよ!! あなたがそんなことさえしなければ!!』と言うべきだろうか?
それとも『それだけのことをしておきながらよくもぬけぬけと唯笑ちゃんの前に顔出せたわね!! だいたい自分のことを棚に上げて、私達に良くもあれだけの態度を取れたものね!!』と皮肉たっぷりに言ってやるべきなのだろうか?
ううん、それは違う。稲穂君を責めることなんてできはしない。できるはずがないよ。
桧月さんを見殺しにした?
目の前で突然おきた交通事故に、中学生の少年が適切な対処が取れなかったからと言って、誰が稲穂君を責められるだろうか。
智也に意図的に近づいた?
それが何だって言うの? それこそ稲穂君が智也を思えばこそのことじゃない。もし智也がこの事実を知ったとしても、智也は感謝することはあっても絶対に稲穂君を恨んだりはしない。智也はそんなことで稲穂君を恨むような人間なんかじゃないのだから。
智也を最後に死地へと送り出してしまった?
それこそ、単なる偶然。神様にしかわからないことを嘆いて悔いたところで、何も変わるわけがない。どうしようもないことなのだから。
償いを口実に罪悪感から逃げている?
確かに逃げているのかもしれない。でも、稲穂君はまだ生きている。生きなくちゃいけない。だから、生きる理由が必要なんだもの。仕方がないよ。それに、動機はともあれ稲穂君の償いは、間違いなく智也の支えになっていたし、今坂さんの支えになっている。桧月さんも、智也も、今坂さんも、誰もがそのことには感謝していると思う。
だから、私に稲穂君を責めるなんて、そんなことができるはずがない・・・
じゃあ、『仕方なかったんだよ』そう言って稲穂君を慰めるべきなんだろうか?
そうすべきなのかもしれない。そうした方がいいのかもしれない。
でも、私にはできない。私にそんなことを言う資格は・・・ない。
頭をよぎる私の言葉。
『智也に・・・智也に何が分るって言うのよ!!』
『私がどんな気持ちで今日まで過ごしてきたのかも知らないで・・・・』
『大体、智也にはこんな経験ないからっ・・・・』
そう、私に人を見殺しにした経験はない。
そのことを、毎日毎日後悔し、自分を責めたて、償うために時を過ごした経験はない。
見殺しにしてしまった相手の大切な人を、自らの無二の親友を、自らのその手で死地へ送り出してしまった経験もない。
私には、稲穂君が今日までを、そして今この時を、どのように過ごしているのかはわからない。例え、想像することができたとしても、実感することなどできるはずもない。
そんな私に、稲穂君の何が・・何がわかると言うのか・・・
何もわかりはしない。そんな私に、稲穂君のことをあれこれ言う資格があるはずがない・・・
私は、返すべき言葉を見つけることができなかった。
ただ、沈黙を返すことしか、私にはできなかった。
そんな私の態度を稲穂君はどう捉えたのだろうか?
私が怒りに打ち震えていると思っているのだろうか?
それとも、同情していると感じたのだろうか?
その答えは、いずれでもなかった。
「智也も・・・桧月さんも・・・殺してしまった・・」
稲穂君はただ、自分を責めていた。
「俺が・・・俺が・・・」
稲穂君の肩が小刻みに震えていた。
「・・・俺のせいで・・何もかもが・・・」
荒波を支え続けていた堤防が、今まさに決壊しようとしていた。
必死につかんでいた命綱から手が離れ、稲穂君は、荒れ狂う自己嫌悪の嵐のただ中へと押し流されようとしていた。
あの、稲穂君が・・・
「殺してしまった・・・智也を!! 俺がこの手でっ!! 俺が智也をっ!!!」
稲穂くんっ!!
考えるよりも先に体が動いていた・・・
私に言葉はなかった。ただあったのは、愛おしさ。
独りで、たった独りぼっちで、自分を責め続ける稲穂君が。
それでも、償いを止めようとはしない一途な稲穂君が。
今はただ、愛しかった。
そして私は、気づけば稲穂君を抱きしめていた・・・
稲穂君の体から、力が抜けてゆき、そのまま地面にひざをつける。
そして、私の腰に腕をまわした稲穂君は、私のおなかに顔を埋めて泣き崩れていた。
「・・智也ぁ・・・智也ぁあ・・還ってこいよぉ・・智也ぁあ・・・!!」
嗚咽と共に、こぼれ落ちる涙・・・
涙と嗚咽と一緒に、稲穂君の哀しい心が流れ込んでくる。
苦しかったんだよね? 悲しかったんだよね? ずっと独りで、寂しかったんだよね?
もう、そんなに哀しまないでいいんだよ、稲穂君・・・
私には、どうするこもできないけど・・・傍にいてあげることだけはできるから・・・
一緒に苦しんであげるよ。一緒に悲しんでもあげるよ。
だからもう、寂しくだけはないんだよ。
だから・・・
「だいじょうぶ・・・」
腕の中では、愛しい幼子が震えている。
一人で恐い夢を見続けて、恐くて恐くて、ぶるぶるぶるぶると震えている。
だから、私は抱きしめ続ける。そっと抱きしめて、ゆっくりと頭をなでながら囁き続ける。
「だいじょうぶだから・・・泣かないで・・・? だいじょうぶだから・・・」
子守唄を歌うように、私は囁き続ける。
愛しい幼子が、恐い夢を見なくなるまで・・・
安らかな寝息をたてはじめるまで・・・
いつまでも・・・
いつまでも・・・



2月14日
バレンタインデー
その日、悪夢のどん底に、叩き落とされた人々がいた。
その日、大地は絶望に満たされていた
飛び散った羽毛が、世界を紅く染め上げていた
紅く
まぶしいくらいに、
 紅く・・・


 そしてその夜・・・


沈黙の神が降立った霊安室に、中年の男女がいた
彼らは語れない
彼らは動けない
ただ、砕け散った宝物を
愛する息子を
見つめ続けるのみ・・・


悲哀の神が降立った一室に、電話を手にした一人の少女がいた
「・う・・そ・・・」
『・・・・・』
「・・ねぇ、先生・・・うそ、なんでしょ?」
『・・・・・』
「ねぇ・・そうなんでしょ?・・・ねぇ・・ねぇ!!」
「うそでしょ? うそなんでしょ!? うそって言って!! うそって言ってよ!!!」
「・・お願いだから・・・うそって言ってよぉぉぉ・・」


嘆きの神が降立った一室に、ベッドに泣き伏す少女がいた
「智ちゃん、智ちゃん・・智ちゃん・・・」
少女の口から、呪詛の言葉が紡がれる
「智ちゃん・・智・・ちゃ・・・と・・も・・・ちゃ・・ん・・」
何十回、何百回、何千回、同じ呪詛が紡がれ続ける
そして、時折
「いや・・いやだよ・・・還ってきてよ・・・」
嘆きの言葉が紡がれる
「智ちゃん・・とも・・ちゃん・・・」
いつ果てることなく、水車は回る
「唯笑・・・いやだよ・・」
川がそこにあるかぎり
「・・どうして・・・智ちゃん・・・」
絶望という名の、水が流れるかぎり
「・・唯笑を・・一人に・・しないでよ・・・還ってきてよ・・」
永遠に
「ねぇ、智ちゃん・・・」
時、果てるまで・・・


悔恨の神が降立った空間に、少女を見つめる二つの存在があった
「智ちゃん・・智・・ちゃ・・・と・・も・・・ちゃ・・ん・・」
『・・唯笑・・・』
少女の呪詛が、翼を持った少年を苛む
「いや・・いやだよ・・・還ってきてよ・・・」
『ごめん・・ごめん・・・ごめんよ・・』
『智也・・・』
少女の呪詛と少年の後悔が、翼を持った少女をも苛む
「唯笑・・・いやだよ・・」
『唯笑・・』
決して触れることはかなわない、肉を持たない両腕で
そっと少女を抱きしめる少年
「・・唯笑を・・一人に・・しないでよ・・・還ってきてよ・・」
『ごめんね・・ホントにごめんね・・・唯笑ちゃん・・智也・・』
見守っていたのに・・ずっと傍にいたのに・・・少女は二人を守れなかった・・
涙と悔恨と共に、少女は二人を抱きしめた・・・


新たな天使が飛び立った地に、希望を、全てを、失ってしまった少年がいた
「なんで・・なんでだよ・・・なんでだよぉ・・・」
少年は知った
「なんで・・・こんなことに・・」
残酷なる悪夢の、第二幕が始まったことを
「・・智也・・智也ぁ・・・」
本当の絶望を・・・
「どうして・・どうして!!!」
少年の手が、真紅に染まった雪を握りしめる
「何で智也なんだ!! どうして俺じゃないんだ!!!」
真紅の雪が・・・体温を受けて、そのあるべき姿を取り戻す
「どうして・・なんだよぉ・・・」
少年の手が、服が、真紅に染まってゆく
「どうしてなんだよぉ・・智也ぁぁ!!」
涙と鮮血にまみれた、少年の絶望の嘆きが、夜の闇へと吸い込まれていく
そして少年は、純白と真紅に染め上げられた絨毯へと、崩れ落ちていった・・・


2月14日
三上智也死亡
まぶしいくらいに白い世界に
まぶしいくらいに紅い鮮血が舞った
少年は翼を広げた
紅の翼を
 遥かなる高みへと、往かんがために・・・



>>10章へ





---あとがき----
みなさん、こんにちは〜〜、コスモスですm(_ _)m
ナイトメア第九章「彼の者は往かん、遥かなる高みへ」ただ今お届けしました〜〜♪
さて、本章ではこのナイトメアの大前提となっていた智也の死、その原因がついに明らかとなったわけです。当然、本章は、山場中の山場ということで、本シリーズを書き始めた当初からずっと書きたかったシーンなのです。そんなわけで今回は久しぶりに自分でも納得のいく仕上がりにすることができました。作者の諸事情により、アップを急いでいたため、推敲に少々甘い部分があるかとは思いますが、内容的にはあらゆる面で書いていて充実感を感じることができました。
これまでいろいろと張っていた伏線が、本章でかなり一本化されたわけですが、さすがにこれはかなり書き応えがありました。勢いでダダダダーーーッと書きながら、これまでの前振りと整合性をつけなければいけないのですから・・・
正直、やっちまったよぉ(^^;という設定のミスも、どことは言いませんがあります。以前にとある方に突っこまれて気づいたのですが、もはや手遅れのようですので、ばれないことを祈ってます♪まぁ、可能でしたら、後でどうにかしたいんですけど・・・無理だろうなぁ〜〜(T-T)
ま、何はともあれ、本章はともかく痛いです。読んで頂いて、あいたたた、と思って頂ければ、作者としてはとても嬉しいです。まして、ぐっときたりしてくださったならば、もう涙流して喜びまくりです。ということで、痛いの痛いの飛んでこい〜〜〜♪
それでは今回はこの辺で、次は第十章でお会いしましょう!!
ごきげんよう(^o^/~~~~~


Produced by コスモス  deepautumn@hotmail.com



感想BBS



SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送