カタッ・・・ 静かな室内に、陶器と陶器のぶつかり合う小さな音が生まれる。 ティーカップを口元に寄せながら、湯気と共に室内に広がってゆくダージリンの香りを楽しむ。 ふぅ・・・ 暖かな春の陽射しが、ガラス戸越しに私を暖めてくれる。 あまりに暖かなその陽射しは、汗ばむほどに、体の芯までポッカポッカに暖めてゆく。 カラララ・・・ 窓を開ければ、うららかな春の光景が満ちあふれていた。 サラサラサラ・・・ くすぐるような春の風に、新芽を芽吹き始めた生垣の木々が、庭の隅にある菜園の、芽生えたばかりの可愛らしいハーブが、光の加減でかすかに銀の輝きを放つ私の髪が、ささやかで柔らかな音をたててなびいてゆく。 生垣の向こうからは、近所の子供達の笑い声が流れてくる。 笑顔がそこそこにあふれている。 穏やかな春の光景。 どこにでもある、当たり前の幸せが、私の目の前には広がっている。 どこまでも、どこまでも・・・ 願わくば、この幸せのさざ波が。 空の果てまで、時の果てまでも、届かんことを・・・ |
Memories Off Nightmare 第10章「Dear My Father」 |
Produced By コスモス |
親愛なるフィンランドのお父様へ。 | ||
31 March 2002 | ||
お元気ですか、お父様? 私はとても元気です。 こちらでは明日から新学期が始まります。 周りの皆様は、いよいよ大学受験だと張り切っておられるようです。 正直に言いますと私はあまり実感が湧きません。 澄空学園は、クラス換えがないということでクラスメートの皆さんは誰も変わりませんし、大学受験と言いましても、受験のために勉強をするということに納得がいきません。 勉強という物は本来・・・ やっぱりやめておきますね。なんだか不毛な気がしますので・・・ この話題はここまでにしておきましょう。 それよりもお父様、生きるって・・・幸せって・・・なんなのでしょうか? 以前に何度か話しましたクラスメートのお話、お父様は覚えておいでですか? 三上智也さん。 彼は私の、私達の、大切なクラスメートだったんです。 三上さんは、私に仮面をかぶることの愚かさを教えてくださいました。 そして、私と同じように転校してきた新しいクラスメートの音羽かおるさん、彼女にも私にしてくださったように、三上さんは力を貸して差し上げたようです。 同じ仮面をかぶっていた者として、同じ仮面を外してもらった者として、三上さんが音羽さんにどう接され、どのようにしてその呪縛から彼女を解放して差し上げたのかは十分に理解しているつもりです。 そのおかげで私も音羽さんも過去から解き放たれ、滑稽な仮面をかなぐり捨てて、今を生きることの意味、幸せの意味を学ぶことができました。 しかしその反面、私達を過去から解き放った張本人である三上さんは、誰よりも強く過去に捕らわれていました。 今を生きることを頑なに拒否されていました。 そのことの虚しさと哀しさには、誰もが気づいていました。 私も、音羽さんも、もちろんもう一人の過去を背負った者、今坂唯笑さんも・・・ そしてその愚かさを、誰よりも感じていたのは三上さん本人でした。 でも、気づいているからこそ、気づいているのにどうすることもできないでいたからこそ、三上さんは苦悩されました。 過去に捕らわれ続けていても、愛した人、桧月彩花さんが還っていらっしゃることはない。 それどころか、桧月さんは哀しい瞳で三上さんを見つめられていることでしょう。 そのことに気づいていらして、それでも桧月さんのことを忘れることができないでいらして、桧月さんのことを忘れてしまおうとする自分を許すことができなくて・・・ 三上さんは、永遠の悪夢の中で生きようとされました。 絶望という名の、止むことのない雨の中で、たった独りで白い傘を差して生きていこうとされていました。 でも、それは無理だったのです。 それは、許されないことだったのです。 三上さんが独りで白い傘と共に生きるということは、今坂さんが独りで冷たい雨に打たれ続けることを意味していたのです。 人は、たった独りで雨の中に立ち尽くして生きていくことなどできません。 人は、それほど強い生き物ではないからです。 人には愛という名の家が、友という名の衣服が必要なのです。 想い出という名の傘だけにすがって生きてゆくことなどできはしないのです。 ましてや、想い出すら否定されてしまえば、自分の想い出の主役の中に、自分が脇役としてすら存在していないと思ってしまえば・・・ 欠片も存在していないと思ってしまえば・・・ 家も、衣服も、傘すらも持たない今坂さんは、冷たい雨にあっという間に体温を奪われてしまいました。 だから、たった独りで白い傘を差して生きていくことは、三上さんには絶対に許されなかったのです。 でも、三上さんは、立ち尽くす今坂さんに気づきはしませんでした。 だから、今坂さんは、立ち続けていたのです。雨の中、倒れそうになりながら・・・ そのことを、三上さんに気づかせてくれた人がいました。 稲穂信さんです。 彼は、よくわかりませんでした。 私の目には、軽い、良くも悪くも淡白な方だと映りました。 クラスメートの皆さん、学校の先生、誰もがそう思われているようでした。 ご自分でも、自分をそういう人間だとおっしゃっていました。 三上さんもそうおっしゃっていました。 あいつは、軽くてうまがあう。だから俺達は親友なんだと・・・ なんだか矛盾した評価のように聞こえましたが、その言葉は間違いなく三上さんの本心から生まれた言葉だと、私には思えました。 時折三上さんを見る時、今坂さんを見る時、本当に一瞬ですが、稲穂さんは泣いているような瞳をされることがありました。 そして、不思議と稲穂さんには、この方は信じられる方だ、そう思える雰囲気が漂っていました。 その稲穂さんが、何度も何度も今坂さんに声を掛けに来られました。 何度も何度も三上さんの前を通り、今坂さんの前に立ち、寒くない? そう声をかけられていました。 その際、稲穂さんは、三上さんにも必ずこう声をかけることを忘れられませんでした。 よっ、と〜もや♪ 唯笑ちゃん、寒そうだよな。と・・・ それから今坂さんに、俺が暖めてあげよっか? と尋ねられました。 そして、ううん、唯笑だいじょうぶ、そう答えられていました。 やがて三上さんも、寒さにうち震える今坂さんに気づかれました。 でも、その理由にまでは気づかれませんでした。 ご自分のされていることの哀しさにも、必死で気づかない振りをされ続けました。 三上さんは、今坂さんにおっしゃいました。 さぁ唯笑、俺達の家に帰ろう、2人で一緒に帰ろう、と。 そして、今坂さんを家の中に入れて、ご自分は家の外に立ち続けられました。 その両手で、まぶしいほどに白い傘を、しっかりと握りしめて・・・ 昼というのが嘘のような暗い空を、ただ一心に見つめられていました。 そんな三上さんを、今坂さんはただ一心に見つめられていました。 哀しそうに、今にも涙がこぼれ落ちそうな瞳で、家の窓の向こうから・・・ そんな2人を、私は見つめていました。どうすることもできずに、ただ、哀しい瞳で見守っていました。 やがて、二人の家に、一通の手紙が届けられました。 誰が、何のために送ったものか。 その水色の封筒に入った手紙には、宛名も、差出人も一切記されていませんでした。 不思議そうな顔をして、三上さんはその封筒を開きました。 中には一枚の便箋と・・・雨に濡れたせいか、しわのよった写真。 それを見たとたん、三上さんは涙を流しながら家へと入ってゆきました。 それが、何を意味したのか・・・私にはわかりません。 神様の贈り物だったのでしょうか? 次に窓から家の中を覗いたとき、三上さんと今坂さんは、ソファーに並んでピッタリと寄り添って座っていました。 白い傘を、2人の間に挟み込むようにして・・・ それからしばらくの間、幸せなで穏やかな時が流れました。 私達の間には、いつも笑顔がありました。 幸せが満ちあふれていました。 こんな時がずっと続くんだ、そう思っていました。 でも、そうはなりませんでした。 ある雪の降る日に、私は三上さんと今坂さんの家の傍を通りました。 家の前には、紅い雪だるまが鎮座していました。 そして、稲穂さんが、その雪だるまにすがりつくようにして泣かれていました。 そして、その雪だるまを見つめるように、電話を手にした音羽さんが呆然とされていました。 声をかけても二人とも答えてはくれませんでした。 稲穂君はただ泣き続け、音羽さんは何の反応も示さずぼんやりとされていました。 何かに取り憑かれたかのような二人の様子に、わたしは言いようのない不安を覚えました。 家の中を覗いてみました。 今坂さんがソファーに腰掛け、さめざめと泣かれていました。 今坂さんの両隣には、白い、まぶしいほどに真っ白い傘と、紅い、まぶしいほどに真紅の傘がありました。 まるで、今坂さんを包み込むように、抱きしめるかのように、2本の傘が置かれていました。 三上さんはどこへいかれたのでしょうか? 姿が見あたりません。 私は探してみました。 三上さんを探してみました。 世界中を探してみました。 でも、三上さんはどこにもいませんでした。 だから、わかりました。 三上さんがいなくなってしまったことが。 もうこの大地の上のどこにも、三上さんはいらっしゃらないということが。 三上さんが、桧月さんの待たれている遥かなる高みへと、往かれてしまったことが・・・ 三上さんがいなくなって、教室には大きな大きな穴があいてしまったようでした。 もう、教室で机積みの限界にチャレンジされる方はいません。 1限目から6限目までさぼり続ける方もいません。 学校でかきこおろぎなる非売品が密売されることもありません。 こうして思い出してみると・・・ 本当におかしなことばかりされていますね。 ・・・・・ でも、それでも・・・ やっぱりいて欲しかったです。 バカなことをされていても、授業を真面目に聞いていらっしゃらなくても、やっぱり三上さんは大切なクラスメートでした。 同じ教室で、同じ時間を過ごしていたかったです。 それに・・・ 今坂さん、今坂唯笑さん。 彼女は、一体どれほどの傷を負ってしまったのでしょうか? 今坂さんには、かつて二枚の翼がありました。 白い翼と、紅い翼が・・・ でも、3年前に白い翼が失われ、そして残された紅い翼も今はもう・・・ 誰もが恐れました。 今坂さんが生きることに絶望してしまうことを。 2人の幼馴染に、愛する人に逢うために、彼女までもが逝ってしまうことを。 でも、今坂さんは強かったです。彼女は生きることに絶望しませんでした。 自分を残して去ってしまった2人が、いったい何を望んでいるかを、今坂さんはしっかりと理解されていました。 今坂さんは、それに応えようとされました。 そして、今坂さんの翼に代わって、彼女を支え、彼女が再び大空へと舞い上がろうとするのを助けようとする2人がいました。 稲穂さんと音羽さんです。 2人とも、何か思うところがあるようでした。 特に稲穂さんには、鬼気迫るものすら感じられることがありました。 その甲斐あってか、今坂さんは驚くほど順調に立ち直っていかれています。 たまに、思いつめた表情をされることもありますが、これはいずれ時が解決してくれるでしょう。 誰もが、ほっと胸をなでおろされました。 でも、1人だけ、いいえ、2人だけ浮かない顔をされていました。 誰よりも、今坂さんのために尽くされた稲穂さんと音羽さんです。 稲穂さんは、今坂さんと入れ替わるように明らかに元気をなくされていきました。 稲穂さんが、1人でこっそりとどこかに向かわれ、それを音羽さんが後からこっそり追われる、そんな光景を目にするようになりました。 終業式を終え、私達は春休みを迎えました。 それから私は、今坂さんとも音羽さんとも稲穂さんとも、ほとんど会う機会がありませんでした。 ですから、私のいない場所で何が起こりどんなことが話しあわれたか、私は知りません。 ただ、3月も終わりを迎えようとしていたあの日、海岸でばったりと、私は稲穂さんにお会いしました。 その時稲穂さんは、不思議な笑顔を私に向けられました。 まるで、海風に溶けて消えてしまいそうな笑顔でした。 そして一言おっしゃられました。 さよなら・・・と。 私には、この言葉の意味が、わからないけれどもわかりました。 ふふっ、我ながらおかしな表現ですね。 どうしてなのかはわかりません。 でも、わかったんです。 稲穂さんとは長いお別れになってしまうことが。 もう稲穂さんと教室でお会いすることはできないということが。 稲穂さんの心が、哀しみと諦めに彩られていることが。 そして、稲穂さんの決心を変えることはできないということが・・・ 稲穂さんが歩きはじめようとされた時、私はふと空を見上げました。 空は、どこまでもどこまでも一面の青でした。 祝福するでもなく、咎めるでもなく、空いっぱいの青が、ただじっと稲穂さんを見送っていました。 もう一人の送別者と共に・・・ 海の見える公園。その展望台に、一人の少女が佇んでいました。 叫べばその声は十分に届く距離でしょう。 でも、少女は何も言いませんでした。 稲穂さんも何もおっしゃられませんでした。 ただ最後に、2人の視線が絡み合いました。 その視線に、どれほどの想いがこめられていたのでしょうか。 やがて、稲穂さんは、背を向け、砂浜を歩きはじめられました。 その頬には、一筋の雫を流されていました。 少女も、唇を噛みしめ、手すりを握りしめ、それでも何も言わずに、ただ涙だけを流されていました。 生きるって・・・幸せって・・・なんなのでしょうか? 私には・・・わかりませんでした。 わかりませんでしたよ・・お父様・・・ 視線を戻せば、稲穂さんの姿はずいぶん離れたところにありました。 静かにゆっくりと歩き去ってゆく稲穂さん。 いつの間にどこからやってきたのか、その足元には小さな影がまとわりついていました。 風の悪戯でしょうか。 私の耳に、なぜか稲穂さんの囁きが届きました。 「さあ行こうか? トモヤ・・・」 一人の少年と一匹の子犬が、波打ち際を歩いてゆきました。 彼らはどこへと向かって行ったのでしょう。 哀しみと共に歩む彼らに、はなむけの言葉を送りました。 Memories Off Nightmare 悪夢の記憶に、終止符が打たれんことを・・・ |
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あなたの娘、詩音より | ||
Memories Off Nightmare END |
---作者総括--- 皆さんこんにちは、コスモスですm(_ _)m |
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