生温かな風が、私の髪を執拗に嬲っていきます。 見慣れた街並みが、赤黒く染まって見えました。 夕陽の照り返しが、まるで返り血のようでした。 学校の屋上から見える澄空の街並みは、まるで別の街のようでした。 ぎしぃ。 骨が軋むような、耳障りな音。 音源は、私の手に喰い込んだフェンスの金網。 不自然な力が込められた私の手は、不気味なほどに白くなっていました。 それはまるで、雨の日の白い傘のようで…… 「いい、眺めですね」 不意に、そっと掛けられた誰かの声。 音もなく私の背後に現れたのは、小柄な少女。 逆光で、表情は口元しか見えませんでした。 以前に少しだけ話したことのあるその下級生の少女は、にたりと口許に笑みを浮かべていました。 いえ、そんな風にしか見ることができなかったのです、その時の私には。 どうしようもなく不安で、どうしようもなく焦燥感に駆られていました。 もう、何もかもが上手くいっていたあの頃には、決して戻れないような気がしていました。 夕陽が、風が、少女が、私を嘲っているかのように思えてなりませんでした。 何もかもが、私を、私達を、あの二人を、嬲り貶めようとしているとしか感じられなかったのです。 「風が、気持ちいいですね」 私は少女から目を背けました。 背けざるを、得ませんでした。 応えられるはずが無かったから。 私の抱いた絶望を、少女にまで投げ付けずにはいられそうに無かったから。 だから、私は少女を拒みました。 無言の背中だけを見せつけて、ひたすらに少女を拒み続けました。 フェンス越しの眼下に広がる澄空の街並み。 手前に校庭が、その向こうの少し行った先に噴水のある公園が、そしてそのさらに向こうには、小さく澄空駅と駅前通りが。 微かに、遠くでサイレンの音がしているような気がしました。 「あ、あの、双海先輩……ですよね?」 運命の刻が訪れてしまったあの刻、私には何をすることもできませんでした。 何をするでもなくこの場所、澄空高校の屋上で、ただ無為に佇んでいました。 私にできた唯一のこと。 それは、罪無き少女を拒み続け戸惑わせること。 ただ、それだけ。 私はそこにいて、そうすることしかできずにいました。 何の意味も無い場所で、何の意味も無いことをすることしか、私にはできなかったのです。 結局は…… |
Memories Off Nightmare 第十七章「訪れしは終焉の刻」 |
Produced By コスモス |
4月16日 午後5時30分 運命の刻、始まる…… |
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『さようなら』 そんな言葉が、聞こえたような気がした。 その言葉が本当に聞こえたものなのか気のせいだったのか、それはわからなかった。 だが、ビデオのコマ送りのようにやけにゆっくりと進む目前の光景の前に、そんなことはどうでもいいことでしかなかった。 俺の視界の中心にいたのは、一人の少女。 その少女はゆっくりゆっくり、本当にゆっくりと、歩道にいる俺から遠ざかるように、車道の中心へとその身を滑らせていく。 涙を流しながらもその瞳をしっかりと開いて、俺の目を見据えたそのままに、軽やかに後ろへと滑ってゆく。 コマ送りの世界の中で、羽のように舞う彼女へと、一コマごとに急速に接近する影があった。 その影の正体に気づいたその瞬間、絶望の濃度はさらにその密度を高めた。 それは、どうしようもない大きさだった。 恐ろしいまでのスピードだった。 遙か彼方から撃ち出された巨大な鋼鉄の弾丸、ダンプトラック。 それが今まさに、ここが市街地であることを完全に忘れた速度で迫っていた。 目測の必要性は皆無だった。 あの速度から減速して彼女を交わし、悲劇を回避することなど、絶対に不可能だった。 まして、あのダンプに轢かれて無事でいられる人間など、存在するはずがなかった。 そう、彼女は、音羽さんは死ぬ。 音羽さんが、死ぬ。 俺の前から、間違いなく消えていなくなってしまう。 不意に脳裏に浮かびあがってきた、見覚えのある眺め。 そこは、昼というのが嘘のように薄暗い、雨に煙る街。 その中で揺れているのは白い傘。 ゆらゆら、ゆらゆら、波間を漂うクラゲのように、持ち手の歩みに合わせて揺れる傘。 鉛色のその世界にあって、白い傘はひどく美しくて、何故か哀しくて…… その周囲の風景から浮き上がるような白さが、俺の瞳に焼きつくほどに映えて苦しかった。 叩き付ける雨音が世界中の音を葬り去っていて、不安が膨れ上がって止まらなかった。 たった一つの単調なリズムだけが刻まれ続ける中、白い傘がくるりと向きを変える。 傘を差していたのは一人の少女。 場違いな柑橘系の香りが、微かに俺の鼻を刺激する。 白い傘のその下で、少女が微笑む。 にっこりと…… その微笑みを待っていたかのように駆け抜けていったのは、空へと向かうつむじ風。 風に吹かれた少女の髪が、灰色の空へ向かって舞い上げられていった。 舞い上げられた長い髪が、先端から無数の白い羽根へとその姿を変え、つむじ風へと溶けてゆく! 羽根になったのは髪だけではなかった。 手も、足も、服も、白い傘も…… 俺はただ呆気に取られ、少女が遥かなる高みへと還って行くのを見守っていた。 まるで吹き散らされる霧の様に、少女の全身は羽根になって消えていった。 一番最後まで残っていた少女の口元が、その形を数回だけ小さく変える。 『さようなら』 その囁きが、なぜだか別の少女の囁き声になって、俺には聞こえた。 俺は何も言えないまま、灰色の空へと視線を向けてみた。 白い羽根が、どんどんと小さくなっていく。 どこまでも昇り往く羽根はやがて、灰色の空に溶け込んで見えなくなってしまった。 だが、その代わりに俺は、別の羽根を見つけた。 雲の隙間から滲み溢れ出てきたその羽根は、白い雪だった。 言葉もなく、俺は雪の舞い降らす灰色の空を見つめ続けていた。 いつしか街を煙らせていた雨は止み、変わって街を霞ませる雪が降り始めていた。 しばらくして雪は、大粒のそれへと変わった。 灰色の世界は、白の世界へとその彩りを変えようとしていた。 気づけば風もまた、止んでいた。 ただ、しんしんと大雪が降っていた。 一夜にして降り積もる大雪の晩の様に、辺りは静寂に包まれていた。 降りしきる雪があらゆる波長の音を吸収し、世界に痛いほどの沈黙を充満させていた。 雪は、どんどん、どんどんと激しくなってゆき、わずか数メートル先が、いや、手を伸ばせばその手の平ですら…… 足元に目を落とせば、大地にはすでに、純白の絨毯が敷き詰められていた。 だが、その絨毯はあまりにも白すぎた。 まぶしいほどに真っ白な絨毯は、どこまでが絨毯なのか、そして、どこからが雪のカーテンなのか、それすらも俺には見分けさせてくれなかった。 俺の視線が、白の世界を当てもなく彷徨う。 偶然俺は、白の絨毯に染みを見つけた。 それは、濃紺色の縦に長く伸びた二本の染み。 その染みを目で追いかけてみた。 それが先の方で一つになっているところまで追いかけて、そこで俺はようやくにして気がついた。 その二本の染みが人のズボンであり、雪のカーテンを隔てた数メートル先に、誰かがポツンと立ち尽くしているのを。 あまりの大雪で、その人影はよく見えなかった。 だが、その人影には見覚えがありすぎた。 俺の右手が、あの日あいつを送り出した右手が、燃えるように熱かった。 「………………ッ!」 俺はそこにいる筈のない友の名を叫んだ。 だが、その声は降りしきる大雪に根こそぎ吸い取られてしまい、自分の耳にすら届きはしなかった。 目の前の人影は何も言わない。 ピクリとも動かず、身じろぎすらしない。 ただ、白く霞んだその先で、にっこりと微笑を浮かべた口許だけが、妙にはっきりと見えていた。 俺は堪らずあいつの名を叫んで走り出した。 ざくざくざくざくざくざく。 俺の足が雪を踏みしめているのが、音としてではなく感触として確かに感じられた。 だが。 ざくざくざくざくざくざくざくざくざくざくざくざく。 すぐそこにあいつはいる筈なのに、このカーテンを捲り上げたすぐのところに、バカ面下げて突っ立ている筈なのに。 なのに。 微笑を湛えた口許は、今もカーテン越しのすぐそこに在った。 走っても走っても、あいつの名を呼びながら走っても、黙ったまま走っても、結局あいつはカーテンの向こう側に、俺のいる場所からほんの少しの所に立ち尽くしていた。 お前はいったい、何が言いたいんだ? こんなことをして、いったい何だって言うんだ? どうして、どうしてそのカーテンを捲ってこっちに来てくれないんだ? どうして、俺にその顔を見せてくれないんだよ!? 「智也ッ!!」 カーテンを切り裂くように、突き抜ける様に俺の声が響いた。 その瞬間、不意に智也の姿が揺らぐ。 だがそれは、こちらに向かってではなかった。 俺に背を向け、遠ざかり始めたのだ。 「…………、………………ッ!」 俺は、声を張り上げた。 だが、この白い世界には再び沈黙の魔法が掛けられていた。 智也の姿がどんどんと遠ざかってゆく。 俺は必死で走った。喉が張り裂けるほどの大声で怒鳴った。 だが、俺の耳にはどんな小さな音すらも届きはしなかった。 俺がどれほど必死に走っても、ゆっくりと歩んでいる筈の智也の背中が、容赦なく確実に遠ざかっていった。 待ってくれ、その言葉が声にならなかった。 体を乗り出して飛び付けば、簡単に手がとどいてしまいそうだった距離、そんなわずかな距離を、俺は埋めることができなかった。 とどかなかった俺の右手火照りが、哀しくて悔しくて情けなかった。 俺達を隔てる白いカーテンが徐々にその厚みを増していき、ついには分厚い緞帳になろうとしていた。 どんなに目を凝らしても、光を当てたとしても、決してその向こうを見ることはできない、ステージの役者と観客の間を完全に遮ってしまう緞帳に。 幕が降り切るその最後の間際に、不意に役者がこちらを振り向いた。 そして、一言。 『さようなら』 聞こえた囁きは、またこの場にはいない少女のモノだった。 あらゆる音が完全に封印されたこの無音の世界の中に在って、その囁きは小さいけれども確かな音として響いていた。 そして、智也は弾け散った。 文字通り、風船が割れたように、冗談のように智也の姿は弾けて消えてしまった。 その風船自体がそれでできていたのか、あるいは、風船の中にそれが入っていたのか、智也が弾け飛び散ってしまった辺りには、輝く紅い粉雪が舞っていた。 まぶしいくらいに紅い粉雪が、辺りの宙空へと漂いながら、ゆっくり広がっていった。 あいつが広げた、紅の翼のように…… やがて、拡散した紅い粉雪が、白い絨毯に降り積もってゆく。 そして、一瞬の眩暈の後、辺りは血の海になっていた。 その中央には一組の男女。 その男女は、見間違えるはずもない二人だった。 血の海に沈む女をもう一人の男が抱き起こし、泣きながらすがっていた。 血の海に横たわった女が、抱き抱える男の頬をそっと撫でる。 そして…… 何かを囁いた直後、その腕が血の海に沈んだ。 その指先は男の頬を撫でるように滑り落ち、力の抜けきった体は抱きかかえる男の腕から滑り落ち、自らの流した血の海へと落下し、血飛沫をあげた。 その光景に、俺の背筋が凍りつく。 動かなくなった2人を、『俺と音羽さん』を見下ろし、俺は思った。 これが、今から起こるだろう出来事…… 音羽さんの最後の囁きが、耳元でリフレインしていた。 『さようなら』 その言葉の本当に意味するところが、ようやく俺の奥底にまで染み込んでゆく。 音羽さんが、ここを離れてしまうということ。 それは、彼女が死んでしまうということ。 死んでしまった彼女は、もう二度と口を開かない。かつて智也がそうであったように。 死んでしまった彼女は、もう二度と笑わない。かつて桧月さんがそうであったように。 残された者は、大きすぎる十字架を背負うことになる。かつて唯笑ちゃんがそうであったように。 彼女を死に追いやってしまった者は、自らを呪い続けることになる。かつて俺がそうであったように。 何故? 何故、こんなことになってしまった? 何故、音羽さんが死ななければならないんだ? 俺は、問うた。 答えはすぐそこにあった。 いつだって、俺の隣に佇んでいた。 俺が目を背け続けたその場所に、唯一の答えが打ち捨てられていた。 ――もう、いいよね?お姉ちゃんは、金翔鳥なんだから……―― あの時、少女はそう言った。 だが、俺はもっと前から知っていた。 こうなってしまうことを知っていたんだ。 例えば、あの時。 『さぁ、こっちにおいで……』 桜舞う夜に、俺は想いを告げた。 『好きだよ。音羽さん……』 そう言って。 あの時、俺はすでに理解していた。 『この軽率な判断が、目の前のこの少女までをも失わせてしまうかもしれない』ということを。 それでも俺は、自分の想いを告げてしまった。 自らの想いを止めることができなくて。 俺に自分の幸せを求める権利なんて、ありはしないというのに。 唯だ、償うために、彼女に唯だ、笑ってもらうためだけに。 そのためにこそ、俺は生きなければならなかったのに。 だが、俺は求めてしまった。 弱い俺は、己の幸せを求めてしまった。 都合のいい話に耳を貸し、音羽さんを求めてしまった。 だから彼女は、今日、死んでしまう。 罪を忘れた愚か者に罰を与えるために、そのためだけに、彼女は命を失ってしまう。 俺のせいで。 俺のせいで、何の罪もない彼女が! 「ふざけるなぁッ!」 今更見つけた答えに、俺は納得できなかった。 できるはずがなかった。 俺への罰に、何故に無関係な彼女を巻き込む? それが、俺への当てつけとして最も効果的だからか? 確かに効果的だろう。 だが、そんなことが受け入れられるはずがない。 そんなくだらない理由で、彼女を殺されてたまるか! 俺は、確かに彼女を想ってしまった。 だが、だからこそ、彼女だけは殺されるわけにはいかない。 俺は、彼女のことが好きだ。 彼女を想う資格は俺にはなかったけれど、それでももう俺は、彼女を想ってしまった。 その彼女を、こんな形で、俺のせいなんかで死なせてたまるか! 罪を犯したのはこの俺だ。 なら、俺が罰を受ければいいことだろう。 償いを忘れた俺が、生きるに値しないというならこの命だってくれてやる。 だから、彼女だけは死なせはしない。 俺の前で、俺のせいで、彼女を殺させたりはしない。 守ってみせる。 彼女は、彼女だけは、俺は絶対に守り抜いてみせる!! 目を限界まで見開き、俺は完全に意識を覚醒させる。 そこには、一瞬前までと寸分変わらぬ眺めがあった。 死へと向かう、俺の愛する彼女。 俺の愛する彼女を抹殺すべく、暴走し続ける鋼鉄の弾丸。 だが、その光景を前にした俺は、全くの別人であった。 一瞬前までここにいた、絶望にその身を委ね、全てを諦めようとしていた俺はそこにはいなかった。 俺の心に揺らぎはなかった。 怯えも、恐れも、哀しみも、諦めもなかった。 代わりに俺は、全てを悟っていた。 唯笑ちゃんを守り導くという、己の罪を贖うための行為。 それを使命とする資格が、すでに俺からは失われているということを。 俺に残された選択肢は2つだけしかないということを。 このまま彼女を見殺しにし、ただ絶望の海へと沈んでゆくのか。 或いは、命を賭けて、いや、自分の命と引き換えに、彼女だけは守り抜いて見せるのか。 俺に残された道は、その2つだけだった。 致命的なミスを何度も犯してしまった俺に、すでに誰もが納得できるハッピーエンドを望むことは許されてはいなかった。 だから、俺は選択した。 せめて、罪滅ぼしのために犯してしまった罪だけでも、償い清算し、そして散ることを。 桧月さんを、唯笑ちゃんを、智也を裏切ってしまった上に、彼女と自分自身までをも裏切らないことを。 時の胎動を感じた。 止まった時が、再び動き出そうとしていた。 終わりの刻が、終焉の刻が、迫っていた。 俺は、静かに覚悟を決める。 見守っていてくれ……智也…… ぱたぱたぱたぱた…… 軽快というよりは、どこかそそっかしそうな、そんな足音が静寂の中に響いた。 ここは、この街で最も空に近い場所。 この街で最も風の吹きぬける場所。 この大地の鎖から解き放たれし者達の、かつての存在の証が立ち並ぶ場所。 この大地にいまだ繋ぎ止められし者達の、想い出の証が立ち並ぶ場所。 死者の眠るこの場所に訪れたのは一人の少女。 唯だ、微笑みを浮かべた少女は、とある墓石の前で立ち止まった。 「智ちゃん、やっほ〜。遊びに来たよ〜〜♪」 「ね、智ちゃん。唯笑、ちゃんと笑えてるでしょ?」 少女は愛しげに墓石を見つめて、話しかけていた。 「いつも言ってるけど、唯笑、智ちゃんがいなくなっちゃって哀しかったんだよ?」 「でも、今、唯笑は幸せだよ。ちゃんと、智ちゃんと彩ちゃんがいてくれた時みたいに笑っていられるよ」 哀しかったという少女の面影に、哀しみの色はすでにほとんどなかった。 「智ちゃんはいなくなっちゃったけど、唯笑にはみんながいてくれた」 「お父さんとお母さん、音羽さんと詩音ちゃん、それから、信君」 不意に何かを懐かしむような顔をする少女。 「ね、智ちゃん、覚えてる?信君が唯笑に告白してくれたこと。信君はいつだってあんな感じだったよね。あの時も、唯笑と智ちゃんのためにあんなことしてくれたんだよね? 唯笑、今ならすっごくわかるよ」 少女の微笑みは、春風のように穏やかだった 「信君は、いつだって唯笑を励まして支えてくれた。だから、唯笑はこんなに、唯だ笑っていられるの」 春風と共に流れたのは、穏やかな静けさ。 「……………………♪」 少女の微笑みが、不意にいたずらっ子のそれにとって変わる。 「で、その信君なんだけどね?ふふふ〜〜。智ちゃん、知りたい?知りたいよね〜?」 「なんと!あの信君が、最近音羽さんといい感じなの〜〜〜!」 弾けるようなその笑顔は、一点の曇りもなく澄み渡ったものだった。 「唯笑、前からあの二人は………………」 少女の話は、まだまだ続くようだった。 そして、時が…… 動き出す! 「うおおぉおおおぉおおおぉおおおッ!!」 俺の咆哮が、駅前通りの日常風景を、一気に極限の非日常へと変貌させた。 微塵の迷いもなく、俺は全力で車道の中へと踏み込んでいった。 俺達の異常に、ようやくにして気がついた通行人達が、背後から悲鳴や制止の声を上げていた。 そして、それらを打ち消そうとするかのような、微かな地響きが感じられた。 次の瞬間! 爆発的に膨張した地響きの音が、周囲の喧騒を一瞬にして薙ぎ倒す。 轟音と共に突撃してきた鋼鉄の弾丸が、視界の端へと侵入してくる。 間に合わないのか? また、俺は死なせてしまうのか!? 違う! もう俺は、見殺しになんてしない。 守る、守ってみせる! 愛するヒトを、大切な彼女を! 守ってみせるんだッ!! 俺は、想いのままに再び吼えていた。 「かおるぅうううぅうううぅうううッ!!!」 俺の絶叫が、地響きすらをも切り裂いた! 刹那、彼女の、かおるの表情が激変する。 信じられないという表情。 待っていた、待ち望んでいたという表情。 どんなに望んでも起こらないはずの奇跡が、起こってしまったという表情。 涙を流しながらも微笑んでいたその笑顔の仮面が、たちまちにして砕け散り、あっという間にくしゃくしゃになってゆく。 子供のような泣き顔のかおるもまた、俺に向かって絶叫する。 「しぃいいいぃいいいぃいいんッ!!!」 喚いたかおるが、半歩、こちらに向かって踏み出す。 しかし! ギャアアアァアアアァアアアァアアアァアアアッ!! 地響きが激震へと変わり、鋼鉄の弾丸がタイヤを軋ませ、金切り声をあげる! 俺の瞳とかおるの瞳が、今、始めて、お互いの全てを曝け出して絡み合う。 きちゃ、ダメ!ダメだってば!!ダメなんだってばぁああッ!! 赤ん坊がいやいやをするように首を振り回すかおる。 でも、俺は引かない。俺は逃げないッ! 俺はかおるが好きなんだ!好きなかおるを、守るんだ!! 俺が、どうなったっていい。 かおるだけは、かおるだけは、絶対に守り抜くんだッ!! 何があったって、どんなに無理だったって。 俺はかおるを、守り抜くんだぁあああぁあああぁあああぁ!! 二人の視線が絡まり、想いが溶け合い、かおるの心は俺の心に、俺の心はかおるの心に、俺達は今、一つになっていた!! 次の瞬間、ついにかおるに牙を剥くダンプトラック! 極限状態の中で思考は消え、俺は無我夢中でかおるへ向かって手を伸ばす! 間に合え間に合え間に合え間に合え間に合え間に合え間に合え間に合え間に合え間に合え間に合え間に合え、間に合えぇええぇええぇええッ!! 『ドガッ!!』 痛みも何もなく、腹に響く、鈍い衝撃音だけを感じた。 狂ったかのようなひどい泣き顔のかおるの姿が、凄まじいスピードで真横にスライドしていくのが観えた。 吹き飛んでいるのがかおるなのか、俺なのか、何もわからなかった。 だが、その直前。俺の右手は確かにかおるを捉えていた。 かつて親友を死地へと送り出した俺の右手が、確かに、愛する少女を! 今度こそは、この、俺の右手がッ!! そして俺は、光に包まれた…… 「しんちゃ〜〜〜ん、まってよぉ〜〜〜」 蝉の声がうるさい夏。 「はやくこいよぉ〜〜。まけちゃうだろぉ〜〜」 蝉よりうるさいのは子供達。 「あっちにはゆえちゃんがいるんだもん。ぜったいだいじょうぶだよぉ〜〜」 やや大人びた女の子が、訳知り顔に話す。 「い〜〜や、そんなことない、あっちにはあいつがいる。どんなひきょ〜なてをつかってくるかわかんない」 大人っぽく見せようとしているのが、逆に子供っぽくて可愛らしい男の子。 「もぅ、しんちゃんはすぐにむきになるんだからぁ〜〜」 腰に両手を当てて、やれやれと首を左右に振る、やっぱりおしゃまな女の子。 「でも、いっか。いこ、しんちゃん♪」 可愛く宣言した女の子が、その小さな手を差し出す。 「うん。いこっ、かおる!」 そして、二人の小さな手がしっかりと結ばれた、その瞬間。 「ひゅ〜ひゅ〜〜♪うわ〜、あっつくるし〜な〜」 「やめなさいよ、ともや〜〜」 「へへへ、ほら、おまえもいってやれよ、ゆえ」 「ほへ?ゆえも、ゆ〜のぉ?」 ガサガサと茂みを掻き分けて出てきたのは3人組の子供達。 「と、ともや〜!?」 「いつからいたんだよぉ〜」 子供ながら、恥ずかしそうに頬を染める二人。 そんな二人に、髪の短い女の子が追い討ちをかける。 「じゃ、ゆえ、ゆ〜よ〜〜」 唯だ、楽しそうに笑いながら少女は身構える。 「『やめなさいよ、ともや〜〜』♪」 「そっちかい!」「そっちかよ!」 何故かはもってしまう、男の子達。 そして、2人は顔を見合わせ笑い出す。 『きゃははははは〜〜〜♪』 そして、2人につられて女の子達も笑い始める。 青い夏空の下、蝉の声を浴びて笑い合う子供達。 その笑い声は、楽しくて、穏やかで、嬉しくて、ただ幸せに溢れていた。 どこまでも。 いつまでも…… その日、澄空の街は、春風に吹かれていた。 街のメインストリート、駅前通りは今日も人々で華やかに賑わっていた。 今、この時までは。 凍りついた街。 通りの両側の歩道に立ち尽くす人々は、皆一様に無言だった。 誰一人として、動く者もなかった。 車道の真ん中で横転しているダンプトラックのタイヤだけが、クルクルと力なく回っていた。 そしてそれも、程なくして止まった。 「うっ……」 長い沈黙を破ったのは、当事者の呻き声だった。 駅前通りの車道の真ん中で気を失っていたその当事者には、それ程目立った外傷はなかった。 もう一人の当事者に比べれば…… ゴフッ。 幸か不幸か、奇跡的に即死を免れたもう一人の当事者が、吐血と共に意識を取り戻した。 その当事者は、うっすらとその瞳を開き、愛する人のその姿を探す。 求めた姿を視界に収め、その無事を確認し、その若者は微笑んだ。 その微笑みは、およそヒトという種族にこれほどの表情が出来るものなのかと、感動の念を禁じ得ないほどの穏やかさと優しさだった。 その若者は、喜びと幸せを噛み締めていた。 たった一つのささやかな願いが、ついにかなったと。 若者の抱くその深い感慨には、この若者の人生を形容するのに、薄幸という二文字程ふさわしい言葉はないのではないか、そんな印象を持たされてならなかった。 その若者は、安らぎと安堵に包まれていた。 愛する人を、死神の祝福から逃れさせることが出来たから…… 同じ頃、意識を取り戻していたもう一人の当事者が、もぞもぞと動き出す。 死を免れた若者が、意識を取り戻してから最初に見たものは、視界いっぱいに広がる無機質で真っ黒なアスファルトだった。 自分がうつ伏せに倒れていたためなのだが、その若者は自分が死んでしまったのかと勘違いしてしまった。 その若者は思った。 これが、死後の世界なのだろうか? だが、その世界は、若者が予想していたそれとは随分と違った雰囲気を持っていた。 そして、意識がはっきりしてくるにつれ、どこかがおかしいと若者は感じた。 そこでその若者は、うつ伏せのままだった身体をゆっくりと起こしていった。 すると、若者の視界の範囲がぐんぐんと広がっていった。 相変わらず下を向きっぱなしだった若者には、道の両側に立ち並ぶ無言の人々を認識することは出来なかった。 音のない世界の中、若者はただ色彩の変化だけを求めて視界を広げていった。 やがて、その瞳に飛び込んできたのは、赤、紅、朱、ただ一色の赤…… 視界が、鮮烈な黒と赤とに二分されてゆく。 円状に存在した紅い世界は、まるで侵食するかのように、徐々に黒の領域を呑み込み拡大してゆく。 若者は、何故だか気になって仕方がなかった。 この紅い世界の中心には、いったい何があるのか、いや、誰がいるのだろう? 若者は、苦もなくその答えに辿り着くことができた。 しかし、苦悩するのはその後だった。 その若者にとって、自分の見てしまったモノを現実と理解すること、理解してしまうこと、それこそが、文字通り悪夢だった。 今、まさに、死を免れた若者は見下ろしていた、紅い世界の源を。 若者の目に映った、それは…… 「………………………………」 そこに落ちていたモノは、どこか見覚えのあるモノだった。 それの真ん中、例えて言うなら、下手くそなできばえの人形の腹。 その腹からは、白い牙が生えていた。 「………………ぁ………あ…………」 腹の内側から鋭い牙を突き立てられ、腹の柔肉がいとも簡単に食い破られてしまったかのように、白い棒が腹の真ん中から天を指して突き出ていた。 その棒には小さな肉片が張り付き、白い牙を斑に赤く染め上げていた。 「……あ……あ、ぁ……あぁ…………」 そして、子供に飽きられ部屋の片隅に打ち捨てられたマリオネットのように、その人形の手足は全くでたらめな方向に折れ曲がっていた。 いや、それどころか、曲がっていないはずの部分までもが折れ曲がっていたり、布地で覆われていなければ成らない部分がちぎれとび、白く硬そうな何かを覗かせたりしていた。 それは、ゴミのようだった。 道路に投げ捨てられた肉塊と化していたソレは、レアステーキよりも大量で真っ赤な鮮血を、溢れかえるほどに滴らせながら、濃厚すぎる血臭をひたすらに香り立たせていた。 一分前までのソレは、まだ生きた人間であったはずなのに…… 「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」 若者の狂乱の絶叫が轟き渡る中、すでに人でなくモノになりつつあったソレは、とても不思議に感じていた。 醜悪な肉塊は、朽ち果てながら思う。 自分はこんなに幸せだというのに、あの人は何を叫んでいるのだろう? どうして涙を流してなどいるのだろう? いったい、何が哀しいというのだろう? 「どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして、どうしてなんだよッ!!?」 どうしてなの? 「かおるぅうううぅうううぅうううッ!!」 信君…… |
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>>十八章へ |
あとがき 何も言いません。今すぐ第十八章にGO!!……と、書くことができればどんなに良かったんでしょうね〜〜(T-T) 皆さん、こんにちは。最近、自分のあまりの遅筆に思わず苦笑いな気分のコスモスです。 さて、今回の第十七章「訪れしは終焉の刻」いかがだったでしょうか?たぶん非常に明確に賛否(好き嫌い?)が分かれることと思います。ひょっとすると、分かれる分かれない以前の問題だと、切って捨てられる方もいらっしゃるかもしれません。でも、作者的にはこの章と次章は絶対に外せないシーンの一つだったりします。まぁ、詳細については、次章のあとがきでということで〜〜 さて、それでは短いですが今回はこの辺で。私もできうる限り早くアップできるようがんばりますので、是非、次章もよろしくお願い致します〜〜m(_ _)m Presented by コスモス deepautumncherry@excite.co.jp <mailto:deepautumncherry@excite.co.jp> |
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