「稲穂さん……」
 彼の眼下には、海のある風景が広がっています。
 海の見える公園。
 磯の香りのする風に吹かれ、彼はそこにいました。
――…………
 黙して語らず、そこにいました。
 その口は開かれず、その背中も何も語りはしませんでした。
「……稲穂さん……」
 聞こえていないのでしょうか?
 そんな考えが、微かに頭をよぎっていきます。
――……………………
 やはり、何の反応も見せはしない彼。
 だが、何かが動きました。
 私の胸の内の何か、ひどく重苦しい音をたてて、私の心を這い回ってゆく何か。
「……い、稲穂……さん?」
 のどかな鳴き声と共に、青い空を舞う白いかもめ。
 白桃色の可憐な花弁を散らしきった桜からは、瑞々しい若葉がその顔を覗かせています。
――……………………………… 
 ごくり。
 喉元を過ぎてゆくごわついた塊。
 それが自分の唾だったと気づいたのは、私の喉がカラカラに渇ききった時でした。
――…………………………………………
 遠くで響いていた潮騒の音が、前触れなく途切れました。
 唐突に凪いでしまった音の風。
 音を失くした世界は、たちまち悲鳴を上げてしまいました。
「い、稲穂さんッ!!!」
 彼が、こちらを振り向きました。
 ゆっくりと、そう、気が遠くなるほど、ゆっくりと……
 そして、私の全身に。
 戦慄が……




「ええええええええええええええええええええええええぇ〜〜!
信君が、行方不明〜〜〜!!?」
 ことの起こりはあの日から3日目の、1時間目の最中でした。
 校内放送で突然の呼び出しを受けた私と今坂さんは、渋面の担任教師にこう言われたのです。
『稲穂が病院から姿をくらませた。お前達、あいつの行きそうな所を全部教えてくれ』
 その言葉を聞き終える前に、今坂さんは職員室を飛び出して行かれました。
 残された私は、先生に稲穂さんの良く行かれていたお店などを伝え、それから先生の制止を振り切り、私もまた、澄空の街へと飛び出してゆきました。
 駅・墓地・商店街・病院・事故現場、思いつく限りの場所を回りました。
 そして、お昼まで後わずかという頃、私はそこに辿り着いたのです。
 海の見える、公園に……




 ぞくり。
 背筋を、全身を、凍りつくような悪寒が走り抜けていき、思わず私は身震いしていました。
 稲穂さんは……
 笑っていました。
 唯だ、笑っていたのです。
 ごく普通に、日常の1シーンとして、これ以上なく自然に、どこか少し軽薄そうに見えてしまうのが玉に傷な、そんないつも通りの柔和な笑みが。
 4日前とまるで変わらない微笑みが、その顔には湛えられていたのです。
 そして何も言わずにその笑顔のまま、まるで嘗め回すかのように私の足のつま先から頭のてっぺんまでを、値踏みするかのようにじろじろと眺めていかれました。
 視線の這い回った後に、何かねっとりとした物が残っているかのような、感じたことのない嫌悪感を覚えました。
 あえて例えるならば、『ガイジン』として奇異の目で見られていた頃の当時に向けられた視線。
 あの視線を幾つも、いえ、幾十にも束ね合わせたかのような視線、そんなところにでもなるのでしょうか。
 それとも、獲物を見つめる爬虫類くらいでしょうか。
「…………ぃ……ぇ………っ……」
 わずかに、彼の頬が痙攣するかのようにヒクヒクと動いて見えました。
 そしてその直後、彼が、彼の姿をしたソレが、とうとうその口を開いたのでした。
 ソレは、私に向かってこう言いました。
「やぁ、おはよう、双海さん」
 私が、そこに立っているのに、今ようやく気づいたかのように……
 そしてその瞬間、彼を覆っていた違和感が、唐突に潮が引くように小さくなり、次の瞬間には、その跡形もなく消え去ってしまっていました。
「ん?双海さん、どうかした?」
 ……………………?
「……双海さん?」
 目の前では、稲穂さんが微笑んでいました。
 その微笑みは、4日前とまるで変わることはなくて、きっと、すごい無理をされているのでしょう。
 そうなのでしょう。しかし……
 ……何なのでしょうか。何か、何かがおかしい気がしてなりません。
 このひっかかりは、違和感は、いったい何だと言うのでしょうか……?






Memories Off Nightmare
第二十章「夢幻」
 Produced By コスモス






ダメ……
つらくなるだけだから
苦しくなるだけだから
そんなことしても
誰も幸せになんかなれないから
だから
そんなことを考えたら
そんな哀しいことをしたら、ダメなんだよ……
お願いだから……ね?
信……

「あれ?今なんか言った?」
「は、はい?私は、別に、何も……」
 稲穂信の質問に、やや声を裏返らせた双海詩音が、尻すぼみに声を小さくしながら答える。
 あの日から5日目の朝、信が行方不明となって、そして発見された翌朝。
 彼らは微妙なバランスの上にいた。
 そう、彼らの『今』は、果てしなく微妙だった。
 例えるならば、どこまでもどこまでも果てしなく、地平線の先まで続いているドミノ。
 今はその全てが大地に対して直立しているというのに、その先頭のたった一つのピースが、そのたった一欠片が倒れた瞬間、大地の果てまでの全てが連鎖し倒れ、そこに立っていた存在があったということ、それ自体が全くのでたらめになってしまうかのような危うさ。
 今この瞬間に『今』の全てが消え去り、後には一つ残らず全てが倒れ、『今』とは似ても似つかない別の『今』がそこにある、そんな危うさ。
 彼らは、自分達の『今』がそんな危うさの上に成り立っていることを理解していた。
 だから、彼らは怯えていた。
 いつ始まるかもしれない終わりを、もう始まっているかもしれない終わりを。
 ただ、やみくもに恐れていた……
「なんか……なんか今日、みんな、ちょっと変じゃないか?」
 不意に、そんな感想を漏らす信。
「そ、そんなこと……」
 言い淀む詩音。
 その反応が、全てを物語っていた。
「そっか……」
 だが、あえて信がそのことを追求することはなかった。
「……………………」

 ……カタリ。




 その日、今坂唯笑の姿は教室になかった。
 別段、学校を休んでいるとかそういうわけではなかった。
 朝は遅刻することなくきちんと登校して来ていたし、分からないなりにも授業は真面目に受けていた。
 だが。
 キ〜〜ン、コ〜〜ン、カ〜〜ン、コ〜〜ン……
「今坂さん?」
 チャイムの音と共に詩音が向かった先は、すでにもぬけの殻。
 彼女が視線を巡らせたその先では、唯笑の後ろ姿がちょうど教室の外へと抜け出ていくところだった。
「……はぁ」
 詩音は思わずため息をついてしまう。
 逃げ出したくなる気持ちも分からないでもないですが、正直、それはひどいのではないですか?
 それが詩音の本音だった。
 赤の他人ではない詩音だからこそそう思え、唯笑の無責任な行動を許すことができた。
 だが同時にそれは、完全な当事者ではない詩音だからこそ、持ち得てしまった誤った認識でもあった。
 そう、詩音はもう少しだけ深く考えるべきだったのだ。
 そうすれば、詩音にも唯笑の想いが理解出来たはずだったから。
 ただそれが、理解できた方がいい事なのかどうか、それは何とも難しい問題なのだが……

 カタリ。




 ガチャリ。
 後ろ手に屋上の扉を閉め、唯笑はその扉にもたれ掛かって空を見上げていた。
「ごめんね。詩音ちゃん、音羽さん……」
 呟く唯笑の視線の先には、どこまでも広がってゆく二つの青の世界。
 空の青が、海という名の鏡に映されているのか、それとも海の青の方こそが、空という名の鏡に映し出されているのか、そんな答えのない疑問が連想されるような景色を前にして、唯笑はただ苦悩していた。
 あの運命の日を最後に、唯笑はこれまで信とは、一度たりとも会ってはいなかった。
 いや、唯笑には会うことができなかったのだ。
 どんな顔をして会えばいいのか分からなかったから。
 大切な人を失うことが、どれ程苦しく哀しいことか、唯笑には嫌というほどわかっていたから。
 唯笑が人づてに聞いた話では、あの日救急車が到着した時、信は血溜まりの中で横たわるかおるに膝を貸し、ただその亡き骸をぼんやりと見つめていたという。
 そして、救急隊員がかおるを搬送しようと触れた瞬間、半狂乱になってかおるに泣きすがったそうだ。
 それを聞いて、唯笑は信に会いに行くことが出来なくなってしまった。
 そして、昨日信が行方をくらまし、それを詩音が発見し学校へと連れて来るまで、結局唯笑は一度も信に会うことが出来ないままに終わっていたのだった。
 会いたい気持ちと会いたくない気持ちがない交ぜになり、とても複雑な心境のまま唯笑は学校へと戻ることとなった。
 そして戻った学校で、唯笑はソレを目の当たりにしたのだ。
 世にも幸せそうに微笑む、信の姿を……
 思い返すだけでも背筋に悪寒が走り抜けるのを、唯笑は今でもはっきりと自覚することができた。
 かつて自分が同じ立場だったからこそ、唯笑にははっきりとわかった。
 あの信が異常であることを。
 全く事情を知らない人間が見れば、どこにでもいるただの少年だろう。
 事情をある程度知っている、そう、詩音などから見れば、不自然な違和感くらいは感じられるだろうが、その程度だろう。
 だが、唯笑にとってのあの信は、間違いなく狂っていた。
 あの微笑みは無理をしているとかそういう次元ではなかった。
 そう、あの時信は、本当に幸せだったに違いない。
 理由は定かではないけれど、あの微笑みは心から、そう、心からの幸せと共に在った。
 そしてその事実こそが、唯笑には恐ろしくてたまらなかったのだ。
 大切な人を失って、それでいて心から幸せを感じて微笑んでいられることが、どうしても信じられなくて、どうしようもなく怖かった。
 信を見ることができなかった。
 信と話すことが出来なかった。
 信と真正面から向き合うことが出来なかった。
 信の影に怯え、逃げ惑うことしか出来ずにいた。
「……はぁ」
 少女は、重い重い溜め息をついた。
 少女の顔に、微笑みはなかった。
 キ〜〜ン、コ〜〜ン、カ〜〜ン、コ〜〜ン……
「あっ……」
 突然鳴り始めたチャイムの音に、唯笑は慌てて腕時計を覗き込む。
 案の定時計の針は、すでに2時間目の授業が始まってしまっていることを告げていた。
 慌てて振り向き、ドアノブを握ってその戸を押し開こうとする、が……
「え?」
 なんと、ちょうど唯笑が握ろうとしたドアノブが、絶妙のタイミングで奥へと引かれたのだ。
 自分の体重を利用して扉を開けようとしていた唯笑は、たまらず前のめりにつんのめる。
 ボフッ。
「わ、わわ。ごめんなさい〜」
 扉を開けた誰かにぶつかってしまい、唯笑は赤面しながらその相手に謝罪の言葉を投げ掛ける。
 それに応えて相手は言った。
「何やってるんだい?とっくに授業、始まってるよ?」
「ひっ……!」
 返ってきたその声に、唯笑は反射的に後退りしていた。
 そう、唯笑を抱き止めたその相手、それは、信だったのだ。
「ん?どうしたんだい?」
 にこにこと微笑んだ信が、楽しそうに一歩二歩とその足を前に出す。
「……………………」
 思いがけない事態に声も出ぬまま、信が進んだ分だけ後退りする唯笑。
「おいおい、もうとっくに授業、始まってるんだってば」
 唯笑は無言のまま、かくかくとその首を、力いっぱい上下に振り立てる。
 だが、その間にも唯笑の後退りは止まらず、信の追跡もまた、止まることはなかった。
 ガシャンッ!!
 唯笑の背中がフェンスにぶつかり、フェンスと唯笑が、小さく悲鳴を上げる。
 にっこりと、と言うべきか、にたりと、と言うべきか、適した形容の方法がいずれかはともかくとして、信の顔にはどこか恍惚とした微笑が浮かんでいた。
 その全身をフェンスにぴったりとくっつけた唯笑の顔が、みるみると青ざめていく。
 そんな唯笑の様子に気づいているのかいないのか、信はお構いなしに二人の間の隙間を埋めてしまう。
 やがて、二人の間から隙間はなくなっていた。
 抱き合うかのような格好のまま、信は唯笑の瞳を覗き込む。
「今日は随分と大人しいけど、いったいどうしちゃったんだい?」
 そしてクスリと、悪戯っぽく笑う。
 唯笑の眼前には、ただ信の顔だけがいっぱいに広がっていた。
 唯笑には、信の瞳に映る自分の瞳が見えた。
 その信の瞳越しに見える自分の瞳には、その自分を覗き込む信の姿が。
 そして、その自分の瞳を覗き込む信の瞳が映していたソレは……
 ぺたり。
 腰が抜け、座り込んでいた。
 唯笑はこの時、全てを理解した。
 理屈ではなかった。
 あの瞳の合わせ鏡の向こうに見えた、信の中に広がる夢幻の世界。
 ソレを垣間見た瞬間、あまりの哀しさに唯笑は絶句し、腰を抜かしてしまった。
 そう、唯笑は哀しかった。
 この時唯笑は、もう信を怖いとは思わなかった。
 ほんの少しも、欠片ほどにも恐ろしくはなかった。
 ただ、あまりにも憐れで、あまりにも可哀そうで……
 気づけば唯笑は、ただ涙していた。
 信が囚われた、夢幻の世界の哀しさに。
 信が失ってしまったモノのあまりのかけがえの無さに。
 そして、自分の人生があまりにも罪深かったことを理解してしまい、悔やんでも悔やみ切れずにいた。
 だから唯笑は、この時決意した。
 静かに、だがはっきりと、唯笑は決意してしまったのだった……

 ……カタリ。




 キ〜〜ン、コ〜〜ン、カ〜〜ン、コ〜〜ン……
 4時間目を終わって昼休み、二人の少女と一人の少年の三人組は、連れ立って学食へと向かっていた。
 1時間目と2時間目の間の休み時間を境に、唯笑の様子は激変していた。
 それまでは、露骨なまでに信を避け逃げ回っていたのが、チャイムの音と同時に信の席へと直行するまでになっていたのである。
 当然、周囲のクラスメート達にも、二人の間で何かがあったのは理解できたことだろう。
 だが、そのことを敢えて詮索しようとする者はいなかった。
 良くも悪くも、それが当事者たる三人と、非当事者たるクラスメート達との差であった。
 そう、詮索しようとしなかったのは、あくまで非当事者であるクラスメートであって、当事者であるクラスメート、詩音に関しては、決してその限りではなかったのだ。
 唯笑の180度の方針転換は、それほどに劇的な物だった。
 学食へと向かう道すがら、詩音は何度も唯笑に視線で問い掛けた。
『いったい、どういうことなのですか?』
 だが、唯笑からの返事は無かった。
 気づいていないはずは無かった。
 2時間目後の休みにも、3時間目後の休みにも、詩音は何度も唯笑に問うた。
 だが、決まって唯笑の応えは、気づかない振りをするか、視線を逸らすかのどちらかだった。
『どうしてなのですか?どうして応えてくれないのですか?今坂さん!!』
 詩音の中に、唯笑に対する不信。そして、信に対する不安が生まれていた。
 小さな疑念。小さな恐怖。
 だが、二つの負の感情は互いが互いを補強しあい、加速度的に詩音の胸の内で膨らんでゆく。
 学食へと続く廊下では、唯笑と信の楽しそうな会話が反響していた。
 不意に詩音は、二人の声が妙に遠くに聞こえるようなに感じた。
 後ろから来る数人のグループのざわめきが、何故か耳障りで仕方が無かった。
 だから詩音は思った。
 きっと、この後ろからのざわめきが、二人の声を掻き消してしまっているのでしょう。
 そう、そうに違いありません。
 自らの胸の奥のざわめきには、必死で気づかない振りをして……
 程なく三人は学食に到着し、そして楽しく昼食を取り始めた。
 三人は、きっと互いに互いを想い合っているのだろう。
 だが、だからこそ三人は誰も気づいていない。
 その想いのベクトルが、三人共に、少しずつその方向が違うことに。
 小さな亀裂が、走り始めていることに……


「ご馳走様でした〜」
「じゃ、そろそろ教室に戻るか?」
 唯笑が食べ終わるのを見計らって、三人は席を立つ。
 そして、教室へと戻るその途中、三人に声を掛ける女性がいた。
「お、少年少女達、この小夜美さんのいる購買を素通りして、みんなで学食に行くとはいい根性してるね〜〜」
 声を掛けられ、何故だか唯笑は、言いようの無い不安と既視感を感じた。
 いつか、どこかで、同じようなことがあった気がしたのだ。
 だが、唯笑のそんな想いは誰にも気づかれること無く、ただ状況は流れ続けていた。
「霧島さん、こんにちは」
「はい、こんにちは。ねぇ、詩音ちゃん?
当たり障りの無い味ばっかりじゃなくてさ、たまには未知なる神秘の味に、挑戦してみたいとか思わない?」
「……断じて思いません」
「もう、つれないなぁ〜」
 どうでもいいような、それこそ当たり障りの無い会話の中で、ふと、思い出したように小夜美は言った。
「ところで今日は、かおるちゃんは一緒じゃないのね」
 その言葉に凍りつく詩音。
 だが、詩音の変化に小夜美は気づかない。
「ん〜〜?それに、なんだか信君も変ね?
なんか、顔色悪いって言うか、やつれてない?
はは〜〜ん、わかったよ〜。
信君、かおるちゃんとけんかしたのね?」
 気づかないまま、次々と致命的な台詞を吐き続ける小夜美。
 どうしようもない事態に、詩音はどうすることも出来ずに、ただ凍りつくことしか出来ずにいた。
「う〜〜ん、青春よね〜、よしっ!ここは、小夜美おね〜さんに任せておきなさい!
私からかおるちゃんに、ビシッと言っておいてあげるから」
 誰も、口を開こうとはしなかった。
 小夜美の言葉の切れ目が、そのまま沈黙の始まりとなった。
 自分の言葉へのリアクションの無さから、ようやくにして小夜美も異常を察知する。
 だが、すでに取り返しがつかないところまで、彼女は言い切ってしまっていた。
 今更気づいたところで、何もかもが完全に遅すぎた。
 三人は、貝のように口を閉じきって黙りこくっていた。
 そして、その重苦しい沈黙を破ったのは、意外なことに信だった。
「あの、何、言ってるんですか?」
「あ〜〜、信君、この小夜美さんを信じてないな〜〜?」
「霧島さん!!」
 無我夢中で詩音が二人の間に割って入る。
「稲穂さんと音羽さんは、けんかなどされていません!
それでは、私達は授業がありますので!!」
 早口で答えを捲くし立てながら、詩音は二人を促し教室へ向かおうとする。
 だが、その場を動こうとするものは誰もいなかった。
 この時になって、詩音はようやくにして気が付いた。
 小夜美の言葉に言葉を返せずにいた理由が、自分と残りの二人とでは違っていることに。
 信はショックを受けた様子など微塵も無く、それ以前に、小夜美の言葉が理解できないといった様子だった。
 そして、何より詩音と小夜美を驚かせていたのは、信の背後にそっと控えていた唯笑の姿だった。
 その時、不思議そうな面持ちのまま、再び信がその口を開いた。
「かおるなら……ここにいますけど?」
 信の言葉と、その視線の先を見て、小夜美と詩音は絶句する。
「ここに……って?」
 二人は、言葉の意味を理解できずにいた。
 信の視線の先では、一人の少女が目にいっぱいの涙を溜めていた。
 誰に言うでもなく、その少女は呟く。
「違うんだよ……」
 苦しげに、哀しげに、その少女は言葉を紡ぎだす。
「でも、そこにいるのは……」
「そうじゃないの、小夜美さん……」
「で、ですが、もう、音羽さんは……!」
「違うんだよぉ!!」
 何かを断ち切るかのように、その少女、今坂唯笑は詩音の言葉を激しく制した。
「違うんだよ……」
 ゆっくりと噛み締めるように、再びそう呟く唯笑の微笑みは、少しも綺麗ではなかった。可愛くもなかった。
 ただ、凄絶だった。
 何者にも異を挟むことは許さない、覚悟を決めた者の、凄絶すぎる笑みだった。
 二人には何も言うことが出来なかった。
 二人の前には、起きながらに狂った夢を見続ける少年と、自らを贄に、その少年の狂気を肯定する少女とがいた。
 詩音は、信を海の見える公園で見つけた時のあの悪寒を、今更ながらに思い出していた。
 そして、確信した。
 あの時、詩音が信を見つけ出し、信が詩音に微笑んで見せたあの瞬間、あの時から、既に信は壊れてしまっていたのだと。
 そして、あの休みの時間の時、唯笑はそれに気が付き、自らも壊れた世界の住人になることを受け入れたのだと……
 果たして、詩音の考えは正しいものなのだろうか?
 それは、すぐに証明された。
 なぜなら……
「さぁ、行こう、かおる!」
「うん、行こう、信!」
 幸せそうな少年の呼びかけに、少女は元気良く応えていた。
 二人は思った。
 壊れているのは、一人だけ……?
 本当に、一人だけ……?

 カタリ、カタリ、カタッ、カタカタ……




――ふふふふ。始まっちゃったね……――
 暗い昏い闇の中、どちらが床でどちらが天井なのか、それすらも分からない漆黒の闇の中、幼い少女が、倒れゆくドミノを、愛しげに見守っていた。
――このドミノが倒れきったら……――
――どんな素敵な絵になるのかな……ね、お兄ちゃん……――
――ふふふふ……あはははは……きゃははははは……――
 楽しげなのにどこか哀しげで、そして完全に狂いきった悲鳴のような嗤いが、ただ闇の中で虚しく木霊していた……





>>二十一章へ




あとがき

作者「皆様、こんにちは。メモオフナイトメア第二十章「夢幻」ここにお届けしました〜〜♪」m(_ _)m
詩音「二十章の大台突破、おめでとうございます。コスモスさん♪」
作者「お、詩音。ありがと〜〜〜」(^O^)
小夜美「あ〜〜、おめでと、おめでと、おめでとさん……」(――;
作者「な、なんか、随分投げやりだなぁ〜〜」(^^;
小夜美「あったり前でしょ〜〜!!?」(――X)
小夜美「ようやく、ひ〜〜〜〜〜〜〜〜っさしぶりの出番だと思ったら、なんでまたああいう役回りなのよぉ!!」(T-T)
詩音「まぁまぁ、やはり物語という物には汚れ役がつき物ですから♪」
小夜美「汚れ役ゆ〜〜〜なッ!! むきぃ〜〜〜〜〜!!」
かおる「汚れ役ぐらいいいじゃない……殺られちゃうよりかはさ……」
一同「……………………」
詩音「で、でも、ほら、死んでしまわれたとはいえ、4〜9章までの第2部と、10章〜18章までの第3部と、14章もの間に渡ってのメインヒロインじゃないですか!!」
かおる「最後にスプラッタで殺られても?」
一同「…………………………………………」
かおる「はぁ、次は誰かなぁ……」
詩音「ぎぎくぅっ」( ̄□ ̄;)
かおる「最近出番多いもんねぇ〜。読者の皆さんの『予想、次の殺られキャラランキング』堂々の第1位だよ?」
詩音「コ、コスモスさん?私は、私は大丈夫ですよね!!?」
作者「……フッ」( ̄― ̄)ニヤリッ
詩音「そ、そんなぁ〜〜〜」(T-T)
作者「ま、先のことはなんとも言えないけどね。詩音君、今後の君の心がけ次第ということだよ。それでは、さらばだ!!ふははははははははははははははは〜〜〜〜〜!!!」
詩音「あ、待ってくださいよ〜〜〜〜」
かおる「じゃ、私ももう寝るわ。誰がヒロインでも、もう私には関係ないしね。それじゃ、お休み……」(_ _).。o○
し〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ん。
小夜美「ちょ、ちょっと、私一人残してどうしろっていうの〜〜!?」
小夜美「もうっ!いい?これを読んでるそこの君!!」
小夜美「いつかこのびゅーりほー女子大生霧島小夜美様が、このナイトメアのヒロインの座をゲットして、華麗に大活躍して見せるから、その時までしっかりと応援してなさいよ!!」
小夜美「それじゃあ、第二十一章もよろしく。バイバ〜〜イ!!」(^o^/~~~~~


Presented by コスモス  deepautumncherry@excite.co.jp <mailto:deepautumncherry@excite.co.jp>



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