――絶望と還ろう――
――悪夢へと還ろう――
――悪夢が絶望を生み――
――絶望はまた悪夢へと還る――
俺はそんな哀歌に迎えられた
――やっと逢えたね、お兄ちゃん……――
小さな女の子が、そっと俺を抱き締めてくれた
――これからは、ずっとずっと、一緒だね――
何も聞こえず、見えず、触れることすら叶わない
そんな孤独な闇の中で
ただ俺を待ち侘びていた女の子
――やっと、やっと、一緒になれたね……――
そんな女の子の胸に抱かれ
俺は呟く
――さようなら……――

 その日の深夜、とても月が綺麗でした。
 歩き慣れたはずの廊下は、昼間とは別の場所かのような雰囲気を漂わせていました。
 足を止めて、窓越しに空を見上げてみました。
 そこには、みなもの病室から見えるのと同じ夜空。
 昼間の雨が嘘のように晴れ渡った、雲一つない空。
 その視界の真ん中で、満月が煌々と輝いていました。
 夜というのが嘘のような夜。
 その造りを暗記してしまうほど、慣れ親しんでしまったこの建物。
 みなもは、再び歩き始めました。
 しばらく歩いて、とある病室へとみなもはやってきました。
 一瞬の躊躇いの後、私はその病室の戸を小さくノックしました。
 ノックした手には硬く冷たい感触。
 病室からの答えはなく、沈黙の天使が舞い降りました。
「入りますよ……」
 そう囁き、そっとドアノブを廻して病室へと入りました。
 電灯の消された病室。
 その端に置かれた一台のベッド。
 白い壁。
 白い天井。
 白い床。
 白いシーツ。
 窓から差し込む月光の照り返しで、その部屋は白く輝いていました。
 青白い月光の祝福によって、その病室は、白く、眩しいほどに真っ白く輝いていました。
 夜というのが、嘘であるかのように……
 その白いベッドに、この病室の主が横たわっていました。
 白い包帯に包まれて丸太のようになった右腕、白い病室服、生気のない頬。
 その部屋の主もまた、真っ白に輝いていました。
 その白い頬に赤みは微塵も浮かばす、その白さは死体のそれを連想させてやみませんでした。
「稲穂先輩……」
 そっと、部屋の端から呼びかけてみました。
 先輩はピクリともしません。
 先輩は、今日の午後から眠り続けていると聞いています。
 今日の午後、あの時から、稲穂先輩は鎮静剤を投与され眠り続けているといいます。
 みなももあの騒ぎの直後、なぜか意識を失ってしまい、いつもお世話になっているこの病院に、先輩と一緒に搬送されたそうです。
 みなも自身には外傷もなく、夕方には目を覚ましていましたが、念の為今晩だけ入院していくことになったのです。
 でも、先輩の方はみなもみたいにはいきませんでした。
 右腕は、切り傷、打ち身、擦り傷等、その数は多数というより無数。
 骨に関しては、複雑骨折というレベルすら超えており、腕から飛び出た骨が削れて割れて、全治に要する期間の長短でなく、元のように再び動かすことが出来るようになるかどうかすら不明とのことです。
 ただ、下手をすれば出血多量で死んでいたかもしれない程の状態だったそうで、この状態でも不幸中の幸いと言った方がいいのかもしれません。
「稲穂先輩……」
 二回目のみなもの呟きが、また病室に漂っては消えていきました。
 これが、みなものやってしまったことの結果。
 みなものやってしまったことにより、導き出されてしまった結末。
「……ごめんなさい」
 どうして、あんなことを?
 どうして、こんなことに?
「ごめんなさい……」
 あんなことをするつもりじゃなかったのに。
 こんなことを望んでたわけじゃないのに。
 なのに……
 でも、もう終わってしまいました。
 何もかもが、もう済んでしまいました。
 稲穂先輩は……
 こんなに、なってしまいました。
 みなもが、こんなにしてしまったんです。
 もう、元には戻らないです。
 元には、戻せないです。
 壊してしまうのは、あんなに簡単だったのに。
 視界の中心には、未だ眠り続ける先輩。
 その右腕は。
 その心は……
 なんでだろう?
 視界が、急にぼやけ始めました。
 熱い何かが頬を伝い、顎から滴り落ちていきます。
 その雫の落ちた先には、月光に照り映えた白い床。
 ぽたりぽたりと、小さな染みが、一つずつ増えていきます。
 やがて、輝く染みが、輝く池になりました。
 優しく降り注ぐ月光を浴びたその池は、白銀色に輝いていました。
 みなもはただ、その鏡の池を見つめていました。
 理由もなく、食い入る様に見つめていました。
 そうしていなければ、大声で泣き始めてしまいそうで、堪えることすらできなくなりそうで……
 じっと見つめたその鏡の中に、不意に人影が現れては消えた気がしました。
 白い傘を差したその人影は、私の大好きだった従姉妹の女の子でした。
 彩花ちゃんは、優しく微笑んでくれていました。
 大丈夫だよ、とでも言っているみたいに。
 みなもが、堪えられたのはそこまででした。
 涙が溢れ、噛み殺しきれない嗚咽が漏れて、それでも、入り口から奥には、一歩たりとも踏み入ることができなくて……
 微笑む彩花ちゃんも、先輩も、窓の外のお月様も、誰も何も言ってはくれませんでした。
 ただ、みなもの嗚咽だけが病室の空気を振動させていました。


Memories Off Nightmare
第二十二章「移ろいゆく季節、君は今も彼方の地にて……」
 Produced By コスモス






なぁ?
――な〜に?――
結局、俺はここに逃げてきたのかな?
――ん〜、どうかなぁ?――
違うのかい?
――逃げてきたのはそうだけど、でも、それは元から決まっていたことだから――
――だから、お兄ちゃんが悪いわけじゃないよ……――
…………
――納得……できない?――
なんで……俺だったのかな?
――さぁ?――
え?
――きっと、理由なんてないよ――
――ただ、悪夢がここにあった。ただ、それだけ――
…………
――やっぱり、納得できないかな?――
……いや、そんなことないよ
むしろ、そうじゃなきゃ納得がいかないよ
――どうして?――
俺の日頃の行いは、そんな品行方正じゃないかもしれないけど
だからって、いくらなんでもあれはあんまりだ
あんな目に遭わなきゃならない理由なんて
理不尽極まりないのじゃなけりゃ、絶対納得できないよ
――ふ〜〜ん……――
どうした?
――なんだか、変わった受け止め方だなぁ〜って――
そうか?
――そうだよ。私はそんなに割り切ってなんかいられなかったもん――
――だから……――
???
――あ、ええと、なんでもないよ……――
なんだよ、気になるじゃないか
――ふふふ――
――ねぇ?――
ん?
――還りたい?――
あ?
――だから、あっちの世界に還りたいとは思わない?――
還れるのか!?
――還れるよ。お兄ちゃんがそれを望みさえすれば――
……ッ!!?
――あの夢の中へと戻りたいと思えば、ね――
……夢へ、戻る?
――そう、あの悪夢にだよ……――
…………
――戻りたい?――
何だ……
――???――
期待して損した
還るって、あの夢の中にか
夢が始まる前なら、戻りたいんだけどな
――夢の中には、戻りたくないの?――
当たり前だッ!!
だから今、ここにいるんだろう?
あんな夢、もう二度とみたくない!
考えたくもない!!
そんな分かりきった事、今更聞くなよ!
――…………――
……あの地獄に絶望したから、俺は今ここにいるんだろう?
――ごめん――
…………
――ひどいこと、聞いちゃったね――
……全くだ
――でも……ね?――
???
――私、お兄ちゃんに伝えなきゃいけないことがあるみたい……――
……お、おい?
――あの……ね?――


 皐月。
 山肌の緑に、公園の藤棚に、淡い薄紫の藤の花が垂れ下がる季節。
 変わってしまった日常の中で、とある少女は、変わることなく唯だ笑っていた。
「信君、今日もいいお天気だねぇ〜」
「そうですね、五月晴れとは、今日のような天気を指していうのでしょうね」
 だが、その二人の声に、答えるべき者からの答えはなかった。
「……稲穂さん……」
「大丈夫だよ、詩音ちゃん」
 どこか痛ましげな表情の詩音を、そっと唯笑が制する。
「信君は、ちょっと疲れちゃったんだよ。だから、今はお休みしてるだけなんだよ」
 焦点のずれた瞳で窓の外を眺める少年を、そっと労わるように優しく見つめ、その頭を撫でながら唯笑が囁く。
「智ちゃんも、こうだった…… でも、ちゃんと還って来てくれた」
 誰に言うでもなく、唯笑がそう呟きを漏らす。
「だから、大丈夫。大丈夫なんだよ。
唯笑は、唯だ笑って待っていれば、それだけでいいんだよ……」
 その日、日当たりの良いとある病室からは、楽しそうな笑い声が終始絶えることなく流れ続けていた。
 二人の少女の声だけが……


 水無月。
 命の水瓶に天の恵みが降り注ぎ、庭の片隅で紫陽花が静かに微笑む季節。
 何もかもがミスマッチなこの月に、少女は思わず溜め息を漏らしていた。
「詩音ちゃん、どうしたのよ?そんな溜め息なんかついちゃって……」
 購買部のカウンターの奥から、そんな声と共に一人の女性が現れる。
「……水無月」
「……ん?」
 お昼のピークを過ぎた購買部、詩音はそこで小夜美と話していた。
「水無月、水の無い月。日本では、6月の事をそう呼ぶのですよね?」
「え?あぁ……ま、確かにちょっとずれた呼び方だけど、旧暦だからねぇ?」
 取り留めのない話の花が、穏やかに咲き誇っていた。
「旧暦の事は知ってますけど、紫陽花が咲いていたり、水の無い月と呼んでみたり、あまりに不似合いが過ぎますので……」
「そ、そう……って、あれ?紫陽花は6月に咲くものじゃないの?」
「沖縄と北海道。桜の開花日は同じ日でしたか?」
 そんな取り留めのない会話が、今の詩音にはとても心地良く感じられた。
「あ、そういうことね」
「はい、日本の梅雨というのは、本当に久しぶりなものですから……」
 ここの所、重苦しい話題ばかりだったから。
「ほほぅ、さすがは帰国子女というところね。あ、そうだ詩音ちゃん。ついでにもう一つ聞いてもいいかな?」
 こんな気軽な話がしたかった。
「はい?なんでしょう?」
 だから、ここへ詩音は来ていた。弁当組にも関わらず。
「詩音ちゃん達、みなもちゃんとは仲直りできた?」
 だが、そんな会話はあっさりと打ち切られてしまう。
「…………そ、それは……」
「そっか、まだなんだ……」
「……はい。すみません」
「何で詩音ちゃんが謝ってるのよ?早く仲直りできればいいんだろうけど、こればっかりはねぇ」
「……すみません」
「だから謝んなくってもいいって。どうせ私は部外者なんだから気にしないでよ。
詩音ちゃんだって、気を紛らわせたくってこんなとこに来てるんでしょ?
人間、そういうのもやっぱ大切なんだから。
気にしない♪気にしな〜い♪一休み♪一休み♪って。ほら、昔こんな番組無かったっけ?」
 気づかれていた、そんな思いが詩音の胸を去来していく。
 なぜだかそんな自分がひどく気恥ずかしく思えて、詩音はつい憎まれ口を叩いてしまう。
「すみませんがそのネタは分かりかねます。ジェネレーションギャップでしょうか?」
「こんの、ガキ……」
 頬をひくつかせる小夜美に、詩音はそっと心の中で頭を下げた。
 色々な意味で……


 文月。
 するすると勢いよく蔓を伸び上がらせた朝顔が、朝の訪れと共にその花を開かせ、梅雨の終わりと盛夏の訪れを告げる、そんな季節。
 一人の少年が、ぼんやりと窓の外を眺めていた。
 彼は、いつだってそうしてきた。
 ただ、ぼんやりと窓の外を眺めて暮らした。
 何も言わずに。
 何もせずに。
 ただ、その瞳に窓から見える風景を映し出し続けた。
 朝の目覚めと共に、彼は窓の外を見やる。
 看護婦が、チューブ越しに彼の肉体に餌を直接注入している間も、彼は横たわったそのままで、窓から見える光景をただ眺めていた。
 ほとんど毎日訪れる一人の来訪者には目もくれず、耳も貸さず、身じろぎもせず、飽きることなくただ眺め続けた。
 そして、窓の外に夜の帳が降りてからは、窓に映る自分と睨めっこをしていた。
 窓の内側にも夜の帳が落ちる、その時まで。
 消灯して間もなく、全てが闇に閉ざされたのを確認してから、彼の意識も闇に落ち、一日が終わる。
 この病室にやってきたその日から、彼がこのスケジュールを崩した時は無い。
 唯だの一日、唯だの一瞬の刻さえも……


 葉月。
 揺らめく陽炎の中で、向日葵が溢れんばかりの笑顔をみせ、顔を上げてみれば、山肌の力強い緑と陰影のコントラストが、いつにも増して美しい季節。
「あ、あづぃ〜暑すぎるよ〜〜 信君は、暑くないのぉ?」
 今日も今日とて、少女はこの病室に入り浸り、少年もまた、何ら変わるところはなかった。
 夏休みに入ってからというもの、少女は面会時間の開始と共に入室し、終了と共に退室するようになった。
 身も心もとろけてしまいそうな灼熱の季節を、少女は今年、そうして過ごした。
 ただ、この病室への面会者は、この少女だけではなかった。
 中には、面会者受付帳に名前も書かない不届き者すらいた。
『相変わらずだな。全く……』
『そういうこと言っちゃダメでしょ、智也?』
 この季節によく似合った柑橘系の香りが、病室の中に広がってゆく。
『分かってるって、俺だって、お前を失っちまった時はこうだったんだ。
こいつの気持ちは手に取るようにわかるさ。俺にはな』
『智也……』
『でもな?俺は唯笑の気持ちだって嫌ってくらいに分かるんだ。分かっちまうんだ。
だから、無茶言ってるのは百も承知だけど、俺にできなかったことをお前には求めたい。
早く還ってこい、このバカ!』 


 長月。
 朝風が楠(クスノキ)をざわめかせ、秋の訪れを声高に告げているにも関わらず、昼間の残暑がそれを台無しにしてしまう、そんな季節。
「そう…ですか…… ありがとうございました、先生」
 そう言って頭を深々と垂れた少女が、『医師控室』というプレートの付けられた部屋から出てくる。
 歩き慣れた廊下を、少女は上の空で歩いてゆく。
 少女の意識を占めてやまないのは、とある病室で眠る独りの少年と、その傍らに寄り添い続ける独りの少女のことだった。
 少女は思う。
 理由はどうあれ、自分のやってしまったことには自分で決着を付けなければならないと。
 自分のやってしまったこと、そのやり口自体は悔やんでも悔やみきれないが、その行動の元となった自分の感情、これ自体は少なくとも間違っていないと。
 どう言い繕った所で、稲穂先輩がしていたことは絶対に許されることではなかった。
 だから、誰かが正さねばならなかった。
 たまたま、その糾弾者が自分だっただけの話。
 その糾弾の手口が、あまりにも残虐過ぎたけれど。
 でも、今のままでは変わらない。
 彼女達が憐れ過ぎるということは、何一つとして変わっていない。
 だから、彼女達の為に、私はもう一度、もう一度だけ稲穂先輩を苦しませなければならない。
 散っていった彼女達と。
 これから散っていく、あの人の為に……




そんな馬鹿な!!
――……ごめん――
ふ…ふざけるなよ……
――…………――
な、何を、今更言い出すんだよ……
俺は……嫌だぞ?
――…………――
嫌だからなッ!?
――…………――
もう……もう、絶対に嫌だからなッ!!
――ごめんね――
――でも……悪いのは、お兄ちゃんなんだから……――




「少し揺れますからね」
 言葉の直後に、みなもの押す車椅子が、石畳の段差にぶつかってがたりと揺れる。
「稲穂先輩、大丈夫ですか?」
 そう問う言葉に、車椅子に座った信は何も答えなかった。
「もう少しですからね〜〜」
 ただその瞳に、眼前の景色を映し出すばかりで。
 だが、そんな信を気にすることなく、みなもはどんどんと車椅子を押していく。
「ねぇ、稲穂先輩? ゆう君やめぐちゃん達、どうでした? とっても可愛い子達だったでしょ?」
「……………………」
 この日、みなもと信は、朝からずっと一緒に過ごしていた。
 学校を欠席したみなもは、自分のなじみの入院仲間の子供達の所へ、信を連れて回っていた。
「皆、元気……とは言えないけど、でも、明るくって、楽しそうに笑ってくれて、本当にいい子達なんですよ。私、あの子達が大好きなんです」
 そしてその後、みなもの父親のワゴン車でここの入り口まで送って貰い、今、こうして二人はここにいる。
 およそ、通常では考えられないような行動ではあるが、みなものその行動を咎める者は一人としていなかった。
 正確に言えば、咎められる者がいなかったのだ。
 この話を病院関係者に頼み込んだみなもが、あまりにも真剣だったから。
 みなもの独白をBGMに、車椅子は更に奥へと進んでいく。やがて……
「はぁ、到着です〜」
 車椅子は目的地へと到着した。
 そこは、悪夢の訪れと始まりを告げた者、悪夢に為すすべなく呑み込まれていった者、悪夢に抗おうとして叶わず力尽きた者、彼等三人が眠る、この街で最も風の吹き抜ける場所だった。
 その墓碑群の中で、信を乗せた車椅子が止められたのは、『音羽家之墓』そう銘打たれた墓碑の前だった。
 そこでみなもは、ゆっくりと信へと語り始めた。
 一つの哀しみの物語の中で、誰にも気づかれることなく、それでも、確かにその物語の一端を紡ぎ続けた脇役の少女がいたことを。
 物語の主役である信は、その少女の物語を聞き届けなければならないことを。
 凪いだ日の水面(みなも)のように穏やかな口調とは裏腹に、その物語は、信にとって残酷とさえ言える内容だった。
 みなもは、幼い自分と大好きだった従兄弟の姉との温かな交流から語り始め、姉から聞かされる楽しいノロケ話へと進んでいった。
 その話は、ただただ微笑ましく、幸せに満ち溢れていた。
 だが、みなもの物語には、程無くして転機が訪れた。
 大好きな姉と、その姉の大切な人との間で交わされた、ある日の昼下がりの何気ないやり取り。
 何気なく、本当にどうということも無く置かれた受話器。
 それが、二人の間の最後のやり取り。
 そして、始まってしまう悪夢と、そこに不意に現れる新たな登場人物。
 みなもは、何故自分の大切な姉がいなくなってしまったのかを、事細かに話した。
 その中には、その場にいないみなもには分かり得ないようなことまでもが、実に克明に含まれていた。
 だが、その矛盾に気づく者はそこにはおらず、少女の物語は淡々と進んでゆく。
 物語はやがて、悪夢が姉の大切だった人をも奪い去り、新たな登場人物達までもが悲劇に次々と囚われ呑み込まれていく過程を辿っていき、ついには今へと至って終わった。
「だから……みなもは、稲穂先輩がそんな風になってしまったのが凄いよく分かります」
 そして、更に言葉を紡ぎ出す。
「でも、そうやって逃げることは、先輩には許されないことなんです」
 そこまで言ったみなもは車椅子の背後から前へと回り、石畳に膝をつき、信の両肩を両手で握り、その無表情な顔を下から覗き込んだ。
「ねぇ、稲穂先輩?今日会ったあの子達、先輩は覚えてますか?
あの子達、いい子達ばっかりだったでしょう?
でも、あの子達の中で、みなも達ぐらいまで生きられる子は、半分もいないんです。
みなもは、たまたま今まで生きてこられました。
でも、あの子達はまだわからないんです。
今日までの命かもしれないし、明日までかもしれない。
だから、みんな必死なんです。
頑張って、例え短い人生でも、精一杯生きようって……
そうして、あの子達は哀しい希望にすがるんです。
せめて、誰かに覚えていて貰いたい。自分という存在が、この世に存在していた事を、一人でも多くの人に覚えていて貰いたいって。
だから、みんな必死なんです。
みなもは、みんなの気持ちが分かります。痛いぐらいにわかります。だって……
みなもも、そうだから!あの子達と、おんなじだから!!
稲穂先輩ッ、先輩は……あと一人!
少なくとも、あと一人のヒトを殺してしまうんですよ!!
そう、決まってしまっているんです!
だからせめて、殺してしまったヒトのことを、これから殺してしまうヒトのことを。
稲穂先輩自身が覚えていてあげて下さい。
お願いです。
すごい残酷なことを言ってるのは分かってます。
また、殺してしまうのが分かっているのに、もう、決まってしまっているのに。
それなのに、意識を取り戻せって、こっちに還ってこいって……
あっちとこっち、どっちが先輩にとって楽かなんて、分かりきってます。
でも、それでもお願いです。
これから殺されていくその子に、せめてもの慰めを与えて上げて下さい。
せめて、自分がやってしまった事を悔やんで上げて下さい。
でないと、でないと……」
 そこまで言い終えて、みなもは信の膝へと泣き崩れる。
 凪の日の水面のように穏やかだった少女は、いつの間にかただの女の子へと戻っていた。
 大切だったヒトの死を哀しみ、身近だった仲間達の死を悼み、散っていった者達と散りゆく者とに自分の姿を重ねている、ただの臆病な女の子でしかなかった。
 涙でその顔をぐしゃぐしゃにさせた女の子が顔を上げる。
 涙越しに見える車椅子に座った男には、なんの表情もなかった。
 その、能面に向かって、駄々をこねる様に女の子が喚く。
「忘れないで下さい。覚えていて下さい。一生悔やみ続けて生き続けて下さいッ!
その子の人生を……無かったことにしないで下さい!!」
 それは、ただの言い掛かりでしかなかった。それでも、女の子は言わずにはいられなかった。
 だから、ただ喚き続けた。目の前の男を、呪い殺そうとでもするかのように……
 それでも、その男の表情はピクリとも動かず、ただ、狂ったように泣き喚く膝元の女の子を、その焦点の合わない瞳に映し続けていた。
 そして、そのまま時だけが過ぎていった。
 やがて、空が茜色に染まる頃、泣きつかれた少女は、男の膝の上で小さな寝息をたてていた。
 長月。
 その残暑から、昼間は未だ夏が続いているのではないかと疑いたくなる季節。
 だが、朝夕はすでに秋一色になっていた。
 空が燃え上がるようなオレンジ色に包まれる頃、墓碑の前で沈黙する男と女の子の頬を撫でる風は、しっとりとした水分を含み、二人の頬から昼間の熱気を奪ってはどこかへと流れ去っていく。
 そんな風と共に、彼女はそっとやってきた。
『ほ〜ら、そろそろ起きなきゃ、ダメだぞぅ?』
 男の肩が、ビクリと震える。
『みんな心配してるんだから、これぐらいでへこたれてちゃ、私の彼氏失格だよ?』
 口から、言葉にならない小さな声が漏れ、全身が小刻みに震え始める。
『おはよう、信。頑張れ、信……』
「か…ぉ……ぅ……」
 呟きと共に、男が両手で自分の顔を覆う。
「言うなよぉ……がんばれなんて、もう、言わないでくれよ……」
 伏せられた顔から、擦れた音が漏れ出してくる。
「俺は…もうダメなのに、お前がいなきゃ、ダメなのに……
頑張れだなんて、あんまりだ……いくらなんでも、ひどすぎるよぉ……」
 男は大泣きしていた。
 まるで先刻の女の子のように、嗚咽に咽びながら、ただひたすら泣き続けていた。
 今は亡き、愛する少女の名を呼びながら……
 そんな男に、夕暮れの風が囁きを残して去っていった。
『信、愛してる……』






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あとがき

 皆さん、こんにちは〜♪ メモオフナイトメア第二十二章「移ろいゆく季節、君は今も彼方の地にて……」をここにお送り致しましたぁ。(^O^)
信君、いいですねぇ〜〜。物語前半の暴虐無人な強さが嘘みたいに弱々しくなっちゃって、個人的に私、こういう敗者の美しさみたいなのがすんごい好きなんですよね。判官びいきってやつですかね?日本人にはこういうのを好む人が欧米人に比べて多いなんて、嘘のような本当のような、それなりにもっともらしい話を聞いたことがありますけど、実際の所はどうなんでしょうか?
 さて、余談はともかくとして、このメモオフナイトメアもとうとうラストが見え始めて来ました。一時はこれが終わりを迎える事は本当にあるのだろうか?と、あまりの先の長さに眩暈を感じていた時期もありましたが、いやいやどうして、ノロノロノロノロ、それでもちゃんと一歩ずつラストに向かって進んでこれてたんですね。と、ゆ〜ことで、残りは本当にあとわずかとなって参りましたが、この救いようのない物語、どうか最後まで見守ってやってくださいませ!!
それでは皆さん、次は第二十三章のあとがきでお会いしましょう!!(^o^/~~~~~




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