Innosent dreams 〜遠い世界の歌〜
作:marin


幕間 〜失われた記憶〜

それは、二千三年九月二日の事だった。
私が生まれた時は、その日である。



その日、私はいつものように、培養槽の外にある世界をぼんやりと、ただ眺めていた。実験体として生まれたのでしょうがない事だが、それでも無意識的にしげしげと眺めてしまうのだ。それより、
何故、私は生まれたのだろうか。
その理由が全くもって解らない。外に出れば、解るかもしれないけれど。
はぁ、と小さく息にならないような息を吸う。一体いつになったら―――――
と、思ったその瞬間だった。
突然、培養槽に繋がっていたいくつかのコードが、ぶち、と音を立てて切れる。
一体、何だろう?必死に目を動かして、後ろを見た。見る必要が有る、というか、酸素公給コードとかが切れればやばい。
見た結果。
幸いにも、酸素公給コード等の物は切れていない。それどころか、培養槽から出れる際に切るコード、『透明壁操作コード』『機械操作コード』が切られていたのだ。
もしかして、私も外の世界に出れる?
有り得ない可能性だが、あの二つのコードが切れるのは人の手によって作られた人間型生命体を出す時だけだと、ここの研究員達から何度も聞いていた。
でも。
外の世界に出たとしても、利益な事をさせてくれるのでは無いだろう。ほぼ99%人体実験の道具にされてしまう。自分以外の人間型実験体の末尾を何度も見ていたから、それはもう承知済みだ。
はぁ、とまた大きくため息を吸い、頬杖を付きながらうずくまり、何の因果かちょっと足を伸ばした瞬間。
培養槽の中の生命体を守っている透明壁が、一瞬のうちになくなった。
体を少し前にずらしていたので、あ?と思った時にはもう遅く、思い切り地面に尻餅をついてしまう。そのせいか少し、ひりひりして痛む。まぁそんな事はどうでも良い。
ぺたりと座り込んで、研究員を待った。きっと、透明壁が無くなったと知れば、
物凄い速さで走って来るだろう。その後私は実験体にされて――――――――
嫌な気分になった。
顔が、意志とは無関係にたちまち暗く沈んでしまう。駄目だ、そんな事考えても。嫌な事なんて、言ったら駄目なんだ。私はそれでも、幸せな女の子だった。
人間型実験体としても、それほど多くの人体実験をされた事もないし、何よりも死んでいないのが不幸中の幸いである。他の子達は、もう、死んでいるか、‘自分’に対しても解らないままで居るのか。そのどちらかだ。
こういう研究員達って、何のために一体私みたいな子を作り出すのか、問いだしてみる機会が有れば、そうしてみたい。そんな事を思いながら、視線を泳がせて時計を見る。時間はもう透明壁が無くなってから、10分ほど経っていた。
あれ?いつもなら、5分、いや、1分もせずに駆け付けて来るはずなのに。おかしいな、と思い、またまた視線を動かした。やっぱり誰もいない。
どうして?
理由を探求してみても、答えが出ない。仕方が無いので、とりあえず動き回ってみる。培養槽の中の無重力感覚から、外の世界の重力のある感覚にいきなり変わると、なかなか馴れない。浮いてると思って足を滑らせて転んだり、壁にぶつかったり。おまけにここら辺は寒い。いや、自分が薄着を着ているからかもしれない。培養槽の中で育たれた人間型生命体は、温度というものを感じないので薄着、あるいは裸身で居る事が多かった。
自らの体を抱くような姿勢で寒気をなくそうとしている私に、そっと背後から誰かがカーディガンを羽織ってくれた。え?と思い、感謝の言葉の一つでもかけようと振り向いた瞬間。
私と同じ年頃、それでも少し大人びた女の子は、笑った。
「気が付いた?ほら、寒いからこれ着なさい」
それが、『お姉さん』との出会い。

その時研究員達がまだ私達が人間型生命体という証拠を消したがら無かったので、正式的な日本の名前は付けられなかった。その代わりに。
「私はナンバー・イレブン<No.11>、サブポエナ<召喚>よ。宜しくね」
姉のような、こんないちいち意味のついた名前が付けられた。
その時私が名前に大爆笑すると、姉は苦笑しながら『研究所も解りやすくしたいのは解るけど、もっとセンスの良い名前、付けてくれないかなぁ』と良いながら、手をぽんと叩いて私の名前も一緒に考えてくれた。
とりあえず二人で私が以前育っていた培養槽の前にあるプレートを見ると、『実験体12番、万能な治癒能力を持つ魔法使い』と書いてあるのが解り、早速『治癒』という意味を持つ良い感じの外国語を熱心に考えたのだが、私がいきなり最初から良い意見を出してしまった。
『ナンバー・トウェルフ<No.12>キュア<治療>』
至って単純だったが、それでも私も姉も特に気に入らないという訳ではない。
結局、その時の私の名前は、キュアだった。

次に姉の事。
姉―――『サブポエナ』、通称エナは、私が生まれた時と同じ日(でも彼女が20分ほど年上)に生まれたらしい。そして私と彼女の遺伝子には、相通点がいくつか見当たると、研究所のデータベースには書いてある。確かに外見は少し似ているかもしれないが、魔法の方はまだ使った事が無いので解らなかった。それはともかく。
エナは、とても優しいお姉さんだった。面倒見も良いし、何かと器用だし、私よりも知識が豊富。そんな優等生だったので、私は姉の事が大好きである。
しかし、姉に欠点が一つだけある。
それは、『あまりにも人に譲りすぎる』――――――――簡単に言うと、優しすぎるのだった。私に対しても何かと無理に気を遣いまくっているし、よくよく見ると不自然だ。私は無理に優しくされるよりも、自然と振る舞ってくれればそれこそ楽しいのである。まぁ、彼女も後ほどそれは解ることになるけど・・・・・。
私達は、研究員達に『脳内からのエラーがほとんどない優れもの』と言われたので、暫しの日の間二人で遊んでいることが出来た。
料理。買い物。勉強。運動。隣の柚木さん家の赤ちゃんを見に行くこと。一つ一つがとても楽しく、特に一人ではない二人の思い出は、私にとって凄く新鮮だった。
エナお姉さんも楽しそうだった。生き生きとした表情と、てきぱきとした行動は、まるで私の中に元気を齎すかの様だ。
『この時間がずっと続くといいね』
『そうだね』
それは、4日間だけの幸せだ。
崩壊は、すぐその後にゆっくりと回って行った。

二千三年九月七日。
その日私は体調が物凄く悪かった。
鼓動が普段より脈打ち、吐き気がほとんどせり上がってきて、ぎりぎりでそれを止めていた。
熱はない。風邪もひいていない。
バグかもしれない。知らない所でもしかしたら『サイレントマーシナリー<対魔法用鎮静機械>』と『ハッキングプログラム<脳構造散乱機械>』に触れたのだろうか?それとも、昨日魔法を使いすぎて?ともかく、今日から胸騒ぎがした。
外に行って何か悶着起こすといけないので、とりあえず研究員から貰った部屋に閉じ篭り、ベッドに仰向けで倒れ、ぼんやりと、ただ私は虚空を見つめているだけ。それ以外は、何もしなかったはずだ。
それなのに。
倒れていても、鼓動はやはり早い。そして吐き気が限界までせり上がってきた。耐え切れずに、ドアを開けて外へふらりと飛び出し、無我夢中で何故か動き回っていた。どこへ行けば良いのかは、解らない。ともかく動くだけ。
培養槽がずらりと並んでいる部屋に来た途端、私の生命の糸が、切れたかの様だった。
瞬間的に吐き出した。黒く、また傍目では赤い、液体。血?ではない。床にもっと不可解な海を描き出しているのだから。
2回、3回、4回、同じ事を繰り返しても、心臓の鼓動や、吐き気は止まらず、
私の口からはその黒い液体が噴き出している。気分が悪くなり、そのままうつ伏せに倒れ込んだ。顔に、手に、足に、その液体がべっとりと付く。多分、立てば酷い格好になっているだろう。
馬鹿馬鹿しい。
これは、元素人工知能の中身を吐き出した物なのだろうか。胃液でも血でもないこの液体は、それとしか思えない。研究員からも聞いていたから、ほぼ確証がある。
欠陥が一つもないと思った、私が、本当に馬鹿だった。
ごめんね、みんな―――――――――――意味を特になさない胡乱な独り言を1回だけした後、私は深い深い闇の中に吸い込まれた。



――――――貴方が全てを崩壊するの
そして、貴方の残骸から生まれたもう一つの‘貴方’つまり私が生まれる――

正体不明の声を聞いて夢から覚めた。
一体、あれ、誰の声だろう?と思ったが、考えてみれば簡単な結論が出た。
――――――私の声に似ている。いや似ているだけのレベルじゃなく、同じだ。
だとしたら、あの声の通り私も、他の人間型生命体の様に、死亡して、蘇生して、永久的に真新しい人生を歩むのか、それとも死亡と蘇生の繰り返しなのか――――――――――。
そこではっ、と何かに気付く。
姉さんは?私を運んだ研究員は?
探しに歩・・・けるはずなかった。考え事をしすぎて忘れていたのかもしれないのだが、私は培養槽の中に居たのである。
しょうがないか、と弱々しく息を吐き、疲れたのでもう一度眠ろうかと思ったが、すぐにやめた。
不安定な状態で、眠れる訳ないじゃない。
心の奥で、誰かがそう叫んでいたのである。まぁ確かにそれはそうだ。事実上、私は眠れそうになかった。さっき吐くべきものは、ほとんど全て吐いたはずなのに。まだ脈拍の早い鼓動と向こうの鏡に移る蒼白な顔が、そう告げていた。
残った時間を、どうやって過ごせば、良いのか。何もやるべき事が見当たらないので、いつも通り頬杖を付きながら両膝を立てて座る。
ふと、さっき聞こえた私に似た声について少し考えてみた。確かにあれ、私に似た声というのは納得出来るが、『崩壊して残骸を残して自分が生まれる』という言葉が、何となく引っ掛かる。
崩壊するというのは、研究所を破壊する事だと思う。それ以外に考えられる可能性は無い。多分この状態で破壊するまで持っていても、研究所以外に進める場所が無いと思うから。
そして、次に謎なのが残骸を残すということ。
昨日魔法を使ってみてから解った事だが、私の最大級の力では建物一つを跡形もなく消し去る事が出来るというので、研究所の残骸を残すとは思えない。ならば先ほど気が付いて電撃的に思い付いた一つの可能性、『人間型生命体の死亡と蘇生』を経験することになるだろう。残骸が自分のデータだとすれば、全てつじつまが合う。
問題、というよりも疑問が有った。
『脳内からのエラーがほとんどない優れもの』と研究員達は言っていたのに。
どうして、私はあんな症状になるのだろうか?
優れものでも、時にちょっとだけおかしくなる事は有るし、完璧な人でも、人に見えない欠点の一つや二つぐらいは有るだろう。だが、私から出されたあの液体は、それが半端ではないレベルだと言うことを示していた。だとすると、やはり何処かで『サイレントマーシナリー<対魔法用鎮静機械>』と『ハッキングプログラム<脳構造散乱機械>』に触れたのだろうか。それにしては、脳に何の異変も無かったのだが。
じゃあその異変が、後になって起こる?
考えれば考えるほど思考の泥沼にはまりそうだった。少し、頭を休めようと思ったその時。
姉が、研究員とこちらに向かってつかつかと歩いて来る。彼女は研究員と何かを話しており、首を振ったり、頷いたりして何かを決めている様だった。
声を、かけられるはずは・・・・ない。培養槽の中だから。仕方なく恨めしげに繋がっているコードをただ、私は見ているだけだった。暫くして二人はこちらに近づいてきて、姉は私を見ると、申し訳なさそうな顔をしながら培養槽を撫でた。隣には研究員がタッチパネルに指を滑らせ、何らかのプログラムを起動しているかの様だった。
姉は暫くそうしていたが、すぐに振り返り、最後のパネルを押そうとする研究員の腕に必死にしがみついた。振り払おうとする研究員に、姉は至って平静を装い、大声で何か叫んだ。しかし、培養槽は防音装置が起動しているのか、彼女の声はちっとも聞き取る事が出来ない。
多少のいざこざが有り、最終的には。
研究員の勝ちだった。彼は最後のタッチパネルを何とか小指で軽く押した。姉は絶望的な表情になり、何とかコードを切ろうとしたが、特殊なチタン合金を混ぜて作ったそのコードは、なかなか簡単に外れはしなかった。
コードは何かを私の培養槽の中に送り込む。
そして、すぐ後にそれが麻酔液体なのだと解った。それは何度も外に出る前に見て、使った物だから。
培養槽の中では何も出来ず、ただ、私はもう一度無理矢理二度目の睡魔に襲われた。
これが最後の睡眠だった。



――――――全てを、壊しなさい。貴方が今まで住んできた環境を恨みなさい
どうして?
――――――貴方はね、閉じ込められてばっかりの世界が嫌いじゃなかったの?
嫌いなだけじゃないけど・・・・・。
――――――じゃあ何なのよ
たった一つの幸せが壊れてしまったのは、どうしてなのか、教えてくれなければ、恨むことも、何もかも出来る訳ない
――――――あら、そう。なら教えてあげましょうか
え?
『あんた本当は欠陥が有ったの』
嘘でしょう?
『嘘じゃないわ。本当に微細な物だけどね、あんたは適応力が少なかった。その証拠のバグがとても微細な物で、誰も気付けなかっただけなのよ。生まれて一ヶ月もせずに魔法を使って、耐えられる訳無いでしょう?という訳だから、あんたはそろそろ死ぬわ。自らの力を、ほとんど使い果たして・・・・』
五月蝿い。
『真面目に聞いてよ、あんたの末尾とその後・・・・』
五月蝿いわよ。
『良い子で聞か』

五月蝿いって言ってるんじゃないの。
声にならない声を大声で発し、自分が持っているありったけの力で、培養槽を粉々に砕いた。
はぁはぁと荒い息を吸い、空間に一瞥をくれた。当たり前だがそこには誰にもいない。まぁそんな事はどうでもいい。
時計を見ると、もう私が何かの液体を吐き出した日から、もう三日も経っている。それほど強い麻酔だったのだろうか。
それはさておき。
今日はあの日に比べて体調がかなり悪い。胸の動悸がとても早く、体の底から這いずり回っている得体の知れない気配は、私をずっと不安にさせている。
そういえば、またあの謎の声が自分を襲った。本当にあれは、何だろう。幻?自分の中の声?それとも『イリュージョンボイスプログラム<幻影音機械>』が培養槽のコードに繋がっていて、私の未来を予知する幻影音が聞こえるのか。
物理的に一番有り得るのは『イリュージョンボイスプログラム<幻影音機械>』の可能性しかないのだが、それは一体何処から繋がっていたものなのだろう。私は、今まで一回も見ていなかったのに。
そんな事を考えながら、壁に手を付いてゆっくりと歩いた。あの声、真実なのかどうなのか確かめてみないと納得がいかない。
息が、徐々に荒くなり、詰まりそうになるのにも関わらず、データ保管所に向かって1歩、2歩、3歩、4歩と歩く。
培養槽室の出口のドアを、やっと開けた。共同研究室に出て、また少しずつ歩きながら廊下へと出るドアまでの道を進む。
が。
突然、一人の研究員と目が合った。
やばい。
逃げようと考える間もなく、研究員は緊急サイレンのボタンを押す。と共に、不愉快な音がしながら大人数の研究員達がよって集ってここまで来た。
さっき私を見た一人の研究員が、こいつは欠陥品の十二番だ、と言い、もう一人の研究員が頷き、処理すると言うと残りは強引に私の腕を引っ張って処理をしに行こうとする。
その瞬間、
私の体から、無数の氷の刺が突き出て来て、ほぼ全ての研究員を刺し殺していた。
もしかして、これが崩壊への幕開け?
どうすれば良いのだろうかと考える間も無く、私は黒い液体を二回ぐらい吐いた。あの日と同じ様に気分が悪い。床には血の赤い色と液体の黒い色が混じった不可解な色の海が広がっている。
唯一、最初に私を見た研究員がたった一人で、この光景を全て見ていた。彼は、恐怖のあまり逃げ出してしまった。
どうして、人をこんなにも殺す必要が有る?肉体的苦痛とは比べ物にならない、
精神的苦痛が私の中で渦巻く。
そんなこんなで、扉まで歩いた。扉・・・まで?前を良く見ると、扉が無かった。廊下の床には、灰色の破片が1個、2個、3個、4個、5個・・・・・・
数え切れないほどの数で有ったし、私の体の氷の刺は、未だに引っ込んではいない。だとすると、刺で扉までもを壊して――――――――――――――――
やだ。考えるのも酷く億劫になり、ただ3階のデータ保管所に向かって歩き続ける。
その時。
途中で何かの爆発する音が聞こえた。反射的に振り返り、向こうに居たのは――――――『荷電粒子砲<ビーム>』の発射機を持った、研究員。仲間の死を知ったのだろうか。
考える間もなく、2発目が撃たれる。私は目を何とか動かして氷の刺のうち一つにヒビが入っているのを確認。その後はただ足を動かして逃げようとした。
逃げるだけの行動をしようとしたはずなのに。
無意識的にまた心の中で何かが弾け、気が付いたら手だけを使って無数の岩を出現させ、それによって『荷電粒子砲<ビーム>』の通過が阻まれた。と同時に黒い液体をまた吐く。研究員達は絶句している。その隙を狙って私の手は望みもしなかったのに容赦なく岩を突き出し、研究員達を突き刺し殺した。
また、ここにも、赤くて、黒い・・・・・・・・液体。
別の吐き気がせり上がって来たので、息絶え絶えになりつつもともかく早足で階段まで行き、苦しみながらも登った。本当に階段を登るのは苦痛だ。やっと3階まで登った時、そこには別の研究員が武器を持って待ち構えるのが見える。
どうしてこんな事に。
あの『イリュージョンボイスプログラム<幻影音機械>』が出した声の通り、私は適応力が少ないのは確かなのか、流石に無意識的に氷の刺や岩を出す『元素魔法』を2回使って吐いただけでももう視界がぼやけてきた。
もう、私には何の力も残されていない。
それながらも、足はただ、データ保管所を目指している。
研究員が、居ても。

いつの間にか、データ保管所に着いたようだ。
無意識で、記憶が何処までも黒く塗り潰されていて、私はどうやって此処に来たのか自分自身ですら良く解らない。
吐いたのは覚えている。多分、10回。3階に来て10回吐いて、2階で3回吐いたから10階ぐらいかな。その間に私は聴覚、嗅覚、味覚、触覚の4つの感覚を失っていた。というよりも、そうなのだろうと薄々と感じていただけ。でも、それは真実かもしれない。
今の私には、何も聞こえない。
今の私が何かを触っても、特に感じない。
唯一残った視力を使って、近くにある本を見つけ、手にとって捲った。
捲り続けて、あるページで私の手が止まる。
『実験体番号12:キュア<治癒>
能力の高いエレメンター。しかし適応力が少ないので死亡が早い』
他にもいくつか内容が書かれていたが、私はそれを無視。核心だけ解れば、もうどうでもいい。本をぽいと保管所の何処かに放り投げる。
欠陥、品。
思えば、それもしょうがない事だったのかもしれない。
科学が発達したと言っても、完璧を作れるという訳では無いのだから。
科学は、ただの補助でしかならないから。
ならば、全て諦めて、一人で朽ちよう。
自暴自棄になったその時、振り向くとデータ保管所のドアが開かれた。
無数の研究員達が私を捕まえようとしていた。それも今にとってはどうでも良いようなことである。
そう、放っておけば、良いだけの問題なのに。
無意識にゆっくりと右手を差し出し、そこから炎の槍を突き出させた。また突き出し殺しだ。多分ぐさりとかそういう音がしたはずだと思うけれども、私には何も聞こえなかった。聴覚が、失われてしまったから。
その後暫くぼんやりとしていたが、今度は左手を無意識的に振り上げて辺りを一面、炎の海にする。同時に何回も何回も黒い液体を吐き続け、床はチタン合金だったはずが、もう何なのか解らない床になっていた。黒と赤が入り混じった、禁断の部屋。そこには、もう、誰も入ってこない・・・・訳なかった。
姉と、研究員の一人が炎の海の中をゆっくりと突き破って来る。姉の方は多分元素魔法の類を使っていると思うし、研究員は多分防炎服でも着ているのだろう。その二人を見た私に、電撃的な考えが閃く。
姉にとどめを差して貰おう。
そう思い、何とか立ち上がって、歩・・・けない。あの黒い液体が、私の体を包み、縛り付けて、酷い格好にさせているだけ。
姉はそんな私の姿を見ても、平然としながら先頭に立ってただゆっくりと近づく。
だけど、また無意識に右手の一指し指を出して広範囲の電撃を発してしまった。研究員は感電してへたりと座り込んだが、姉は、姉は・・・・・・・・・・・
感電するのにも関わらず、攻撃を受けるかもしれないのにも関わらず、私に手を差し伸べてきた。そして何か呟いたが、当然聞こえる訳ない。
私はそれを何故か無意識的に払いのける。もう一度姉が同じ行動をしたが、今度もまた強く払いのけた。突如さっきの研究員が現れて私の手を強引に引っ張ろうとしても、それは全て無駄な事だった。
何かを喋ろうとして、また吐く。これで胃に溜まっていた全ての黒い液体が出せたような、そんな爽快感が有ったが、あまり嬉しくはない。私の体はほとんど黒い液体に侵食されていて、もう傍目では化け物にも見えるだろう。
それでも。
姉は私の髪を優しく撫でてくれる。いつもなら同い年なのに子供扱いされて恥ずかしいだけのこんな行動も、今にとっては優しい。嬉しくって泣き笑いの表情を作りたくなったけど、無駄な事。涙腺なんて動かないし、口元もからからに乾いている。それでも何とか眉を動かして笑みの形にする。
そんな光景をぼんやりと見ていた研究員が、何かを思い出したかのように姉のうなじと私のうなじに何とか通信端末をくっつけた。私があれ?というような形で眉を動かすと、頭の中に、一つの文字が浮かび上がる。
『お父さんが許可した、最後のお喋りよ・・・キュア』
そっか、お姉さんとの、最後のお喋りか。
『お父さんって・・・・私を生み出した・・・・あっちの研究員さん・・・』
『うん、私達を生み出したのよ・・・・』
『そっか。生きる時間は少ないけど、でも、幸せが少しでも得れて、私、嬉しい。あのさ、姉さん。私の代わりに有り難うと伝えてね』
『了解』
『後、そろそろこれ切ろう。私も皆の所に行くの。もし私が無理矢理培養槽の中に入れられてまた復活しても、死んだ皆が可哀想だから・・・・それに、もし復活しても生きる時間は長くないと思うから・・・ね?お姉さん、許可してくれる?』
『ええ、それが貴方の選んだ道なら』
姉は、頷いて自分のうなじにある通信端末と私のうなじにある通信端末を同時に引き抜き、床に置いた。
私は仰向けに倒れ、最後の遺言を、心の中でいつまでも繰り返す。
―――――――お父さん、お姉さん、ありがとう。本当にありがとうございました。

その日二千三年九月十日、二人の家族に看取られて、私は死んだ。





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