―The old crock―古時計
作:NK





―これは、とある冬に僕の身に起こった、ちょっと不思議な物語―



 どこかうらびれた街と対照的に、人の活気に当てられるような気分だった。
師走という月にはどこかそんな雰囲気が流れるが、今がますますそんな雰囲気に溢れていた。こういう雰囲気、嫌いじゃないけれど。
年の瀬も一週間を切った―今日はクリスマスイヴだった。
去年もらったマフラーをしっかりと首に巻きなおし、前を見つめて街を下る。

僕にとっては今日はラストチャンス。今日、許されなければ―
許されなければ―僕は、どうするだろう?
犯罪に走るか?それも悪くない。多分親にはしこたま怒られる。自慢ではないが(本当に、なんの自慢にもならないけれど)僕の両親は怖い。多分賃金カットだ。いや、完全無給も有り得る。さらに三日間はおまんま食い上げだ。臭い飯とやらを喰ってみるのもいい人生経験になるだろう。これを利用して警察にコネクションを持つことだって可能だ。案外人生薔薇色な気がしてきた。

 でも…あいつに泣かれるのが見えてるだけに辛い。泣かれるのだけは困る。どうすることも出来ないから。
だからできるだけ犯罪には走りたくない。でもいざとなったら仕方ないとも思う。
多分あいつも最初は大泣きして、僕をボコスカ殴って、でも最後にはきっと笑って喜んで、全部を許してくれるはず―だと思う。あまり自信ないけれど。

そうこうしてるうちに僕は目的地に付いていた。古臭くて大げさに重たい木製のドアをそっと押す。
ぎぃ、と軋んだ音を立ててドアが開く。薄暗い室内から、ふわっと暖かい空気が溢れた。
室内に並んでいるのは古ぼけた時計、時計、時計…
僕はその中の一つの前で足を止めた。
他のとさして変わらないように見えるそれには―なぜか店でも一番目立つ場所に鎮座ましましてるくせに、「非売品」の札がおまけで付いている。

「いらっしゃい…なんだ、お前さんか…」

奥から現れた店の主―どう見ても戦前の生まれで、赤い毛糸の帽子と茶色のカシミアセーターのよく似合う一見好々爺風な老人―は、不快な表情を隠そうとせずに僕に毒を吐きかける。

「随分な挨拶ですね、まがいなりにも僕は客ですよ?」

三日連続で通って、手ぶらで帰るのをそういうのならばきっとそうだ。

「何度来ても、それは売らん、といっとるだろう」

白髭を撫でながら、ただでさえ渋い顔をいっそう渋くしながら云う。きっと泣く子が見たら号泣するだろう。

「では無断で持って行きますよ」

つるりと云ってみる。
老人は軽く苦笑しつつ丸椅子を俺にすすめた。

「まあ座れ。美味いコーヒーでも飲ませてやる」

そういうと彼は再び店の奥へと消えていった。
僕はぐるりと店内を見渡した。どこか古臭さを感じさせる佇まいは、この店の歴史そのものなんだろう。置いてある時計にもきっとそれぞれの歴史がある。
 
 僕は、この店に始めて訪れたときのことを思い出していた。
去年の秋の頃だった。外の銀杏が店内にまで舞い込んでいた覚えがある。
始めてきたとき、僕は一人ではなかった。
この時計も…最初に興味を示したのは彼女だった。僕はそれを隣で見ていたんだ。
寄木細工の本体に時計が埋め込まれたもの。幾何学的な文様は確かに僕らを魅了してやまなかった。
でも、買おうとして…非売品だといわれ、泣く泣く諦めたのだった。
泣く泣く諦めた、というのはよく誇張で使われるけれど、彼女はおそらく本当に泣いていた。心の中で泣いていた。

「おや、まだ居ったのか。…てっきりそれを懐に携えて、とっとと逃げ出しおったものと思ったものだが」

奥から戻ってきた老人の一言で僕は引き戻された。コーヒーの深い香りが心地いい。

「…すっかり忘れてました。そうですね、持って逃げればよかったんだ」

我ながらすっかり失念していたものだ、と嘆息する。

「忘れていた、か」

老人はさも愉快そうにニヤリと笑みを浮かべる。

「残念だが、もう次の機会は無いぞ?絶好の機会を失ったな」

「まだありますよ?力ずくで、という方法が」

老人は髭を撫でながらまた愉快そうな笑みを浮かべた。

「出来もせんことを云わんことだ。…そら、コーヒーが冷める前に飲め」

確かに僕は老い先短い爺さまを殴り飛ばすほど非道にはなりきれない。
すすめられたままにカップとソーサーを受け取る。カップの中身はゆるゆると薄められたカフェオレで、ソーサーにはティースプーンと角砂糖が二つ、置いてあった。
甘党であることすら見抜かれたようだ。僕は、角砂糖二つをカップに落とすと、ティースプーンでゆっくりかき混ぜる。

「まあ、コーヒーがなくなるまでこのじじいの昔話につきおうてくれんか」

カップを傾けながら老人は静かにそう云った。

「せっかくだからな、あの時計の話でもしようかの」

老人は目を細めて件の時計を見やった。

「あの時計の物語を―話すとするか」

老人は卓上ランプの火を少し絞り、静かに語りだした。

「あの時計が作られたのは―そうだな、今から大体60年ほど前―わしがお前さんくらいの年のころだ。そのころ、この国にもまだ腕のいい時計技師がおってな。女性だったのだが、いい仕事をしておったのだよ。ここにも、彼女の時計はいくつかあるが、あれもその一つだ。むしろ、あれは最高傑作といっていいだろう。それを見抜いたかどうかは知らんが、お前さんの彼女は良い目をしておるよ」

そういってまたもニヤリと笑みを湛える老人。くそ、最初からお見通しだったわけか。

「技師には男の幼馴染がおってな、そいつもまた腕の良い寄木細工の職人だった。ああ、云いたいことはわかっとるよ。なんで時計と寄木細工が同じところにあるのか、といいたいのだろう?それはな、時計のような精密機械を作るときには清純な水を大量に使う。綺麗な水があるところには、いい木が育つ。それだけのことだよ。その二人は、将来を誓い合う仲だったそうだよ」

それとなく、先に先に手を打ってくる。歳のなせる業か…
でも、どこかに田舎臭さを残した純朴な寄木細工職人と、洗練された都会の美しさをみせる時計技師の素朴な恋愛。綺麗でいいと思う。今なら有り得ないんだろうけれど。
僕と彼女もそうだ。幼馴染の微妙な距離感を、僕のほうから踏み切ったんだ。

「寄木細工の男―彼のことをこう呼ぼう―は、彼女に自分が作ることの出来る最高の寄木細工の箱を贈った。毎年毎年、誕生日に、義務のようにな。技師の女は、毎年毎年最高の笑顔でそれを受け取った。ただ、男にはちょっとした不満があった。彼女は、彼には自分の作品を贈った事が無かったから」

彼の感情は、僕にもなんとなく分かるような気がする。与えてばかりでは不安になるんだ。
僕の場合、形あるものではなかったけれども。

「それでも、彼らを妨げるものは無かった…彼の前に、ある人物が現れるまでは…ああ、コーヒーのおかわりはいるかね?」

いつの間にか僕のカップは空になっていた。空のカップを老人に渡すと、老人は側にあったケトルからコーヒーを僕のカップに注ぐと、たっぷりのミルクを注いでカフェオレにしてくれた。もちろん、角砂糖二つも欠かさない。
僕は先ほどと同じようにティースプーンでさらさらと混ぜた。

「そう、彼は彼らにとってはミルクのような存在だった。今までずっと同じだった透き通った日常を彼一人で濁らせてしまった…彼にしたら、そんな気はさらさらなかったんだろうがね。彼は、東京から来た腕利きの時計技師だった。同じ時計技師の女は心酔した。彼の生み出す時計はどれも見事なものばかり。彼女が惹かれたのも無理は無い。その技術を盗もうと彼女は躍起になった」

ああ、いけないな、と思う。彼はそれを見て快くは思うまい。そう、彼女は彼に惹かれていった。それを恋愛のそれだと思うだろう。僕と同じように。

「寄木細工の男は思い悩んだ。ただでさえ自分とは不釣合いだと思っていた彼女に、ぴったりな男が現れた。彼女もまんざらではないようだった。思い悩まないはずが無く―その結論は、自らが身を引くことで解決しようとした」

彼女は彼と共にいた。それは、きっと僕のためだったのだろう。でも、そのときの僕はそうは思わなかった。思えなかった。彼女と疎遠になり、今を迎えた。

「寄木細工の男はひっそりとその土地を去った。そして三年経って帰ってきたときには―全てを失っていた。時計技師の男は彼が去ってすぐに東京に帰っていった、という話を聞いた。彼女は、時計技師の女は―すでにこの世には居なかった。仕事に身をやつすようにして死んでいったらしい」

彼女が倒れたと聞いた。正直、僕は迷っていた。何かきっかけがないと顔をあわせられない。そう思って、あの時計を思い出して此処に来たのだった。

「彼女は、最期に遺作とも言える物を彼に遺していた。彼からもらった寄木細工の箱をくりぬいて作った時計―それがあれなんだよ。それを遺族から受け取った男は―小さな、時計屋を開いた」

「だから…非売品ですか」

「その通り。しかし、それも今日で終わりだな」

「え?」

老人はおもむろに立ち上がると、あの時計を手にとって戻ってきた。
そして、それを僕の目の前に、ことりと置いた。

「やろう」

「でも、これは貴方の…」

「昔話といったろう?昔話の多くは、作り話なんだよ。これも例外じゃない。これは、わしの暇つぶしにつきあってくれたお礼だと思えばいい。それより、きりも良い。早くいってやるといい」

僕の目の前にある空になったカップをさっと取ると、奥に下がっていった。僕は去っていく老人の背中に慌てて声をかけた。

「貴方は…どうするんですか?」

「とりあえず今日は少し早いが店じまいだ。それからは知らん」

「…そうですか。では…頂いていきます。ありがとうございます」

「わしの仕事は終わりだ。長かった。歳はとるもんじゃない」

そういうと、そのまま奥に消えていった。

「ドアはきっちり閉めていってくれよ。老体に隙間風は凍みる」

そう云い残して。

 重いドアを開け、外に出ると、僕を雑踏の空気が包んだ。そういえば、この店の中はやたらと静かだった。やはりあの重いドアは密閉効果も高いんだろうか。

後ろを振り返った。

そこには、「テナント募集中」と張られた張り紙と降ろされたシャッターがあるだけだった。
僕の腕の中の時計も見た目は変わらなかったが、妙に真新しかった。

 彼女と共にもう一度訪れてみたけれど、やはりそこにはあの店は無かった。
今ではもうことさら意識を向けることも無いけれど、たまにあの店の前を通りかかることがあるが、今の僕がそこから見つけられるのは、あの僕好みのカフェオレの味くらいだ。
あの時は確かに存在したけれど、今は確かに存在しない。
あんなに鮮明に覚えていたはずの店の名前も、今では遠い記憶の彼方だった。





後書き―このHPでは初めてのオリジナル作品となります。短編の形でしたが、いかがでしたでしょうか?この作品はテストケースの側面があって、短い中にいろいろな謎を伏せているつもりです。作品中に俺が埋めた謎を手に取り、皆様なりの答えを出していただけたならこれに優る幸せはありません。

連載書きます、書きますからも少し待ってください(滝汗



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