私にとっては彼女は、簒奪者でしかなかった。 私から、彼を奪った娘。 そして…彼を連れ去った娘。 憎んではいない。恨んでもいない。 そういえば、嘘になるだろう。 でも、憎しみも恨みももはや形など無くしていた。 目の前にあるのは虚無ばかり。 それでも私は恋をしている。 彼を愛しているのだ。未だに。愚かなことに。 「恋に焦がれて鳴く蝉よりも鳴かぬ蛍が身を焦がす」 こんな歌を詠ったのはいつの時代の人だっただろうか? 未だに、それは変わらない気持ち。 こんなに物事が変わり果てた現代においても、人の恋する気持ちは昔と変わりないのだろうか。 …誰か、私の胸に潜むこの狂おしき気持ちにピリオドを打ってください… |
Memories Off 2nd Append Scenario (The end of “Hope”) 『Pandora’s box』 ChapterY “Firefly” |
作:NK |
夜半から降り始めた雨が、ぽつぽつと窓を叩く。 その音だけが響き渡る室内。静寂の闇の中、ほたるは一人佇んでいた。 ここ最近、こんな日が続いている。 こうやって、部屋のベットの上で体操座りをして過ごすだけの一日。 周りを拒絶して過ごす毎日。 ヨーロッパから帰ってきて以来、こうやって無為のうちに過ごすことが多くなった。 いや、多くなったというよりもそういう過ごし方しかしていない。 いつまでほたるは、こうやって閉じこもっているつもりなんだろう? 自分のことであるはずなのに、まるで他人がやっているドラマのように感じられる現実。 頭に靄がかかったようにハッキリしない意識。 もう、眠ってしまいそうだ… いや、眠いという気持ちすら自分のものかどうか分からない。 明日も、こんな一日を過ごすのだろうか? 心のどこかで、それを否定したい気持ちはある。 しかし、それよりももうどうにもならないという諦めの気持ちが心の大部分を占めていた。 そんなほたるを現実へと急激に引き戻す何か―― それは、部屋に備え付けの子機がけたたましく鳴る音だった。 思いもしないことに、思わず身を翻してベットの上に飛び起きる。 そして、壁に掛けてあるくまんぱびの時計に目を投げかける。 午前十二時過ぎ。 草木も眠る丑三つ時にはまだ早いとは言え、充分深夜と呼べる時間であろう。 靄がかかっていた意識は、いつの間にやら覚醒してしまっていた。 …電話は鳴り続けている。いっこうにやむ気配はない。 この時間だ。皆寝るか、方々のことをやっていて、電話に気づいていないのだろう。 ほたるは、そっと子機に手をかける。 意外とあっさり手がかかり、素直にワイヤレスの子機を手に取る。 外からの接点をしばらく絶っていたほたるにとって、それは意外極まりないことだった。 何のことはない、ほたるは、無理してたんだ… 本当は、外に出たくてたまらないのに。 誰かと話したくてたまらないのに。 自分自身を押し殺してるだけだったんだ… そのまま、電話に出る。 「もしもし…?」 『ん?その声は…タルタルかな?』 心臓が、つぶれるかと思った。 昔ながらのどこか懐かしい声。 懐かしい呼び名。 間違えようも無かった。 信くんだ。 他に、間違えようが無かった。 彼が電話を掛けてくること… それは、私が目を背け続けていた現実への最後の呼び水。 用件は、分かっていた。 健ちゃんのこと。 それ以外は、ありえなかった。 私がそのことを告げると、信くんはさしたる迷いもなく事実を口にする。 『ああ、イナケンが目を覚ましたんだ。』 彼は、いともあっさりと、まるで猫が子猫を生んだ、とでも言うぐらいにぞんざいな口調でそういった。 異様なほどお気楽な口調。 でも、彼のことだ。 きっと、こういうのを幾度となく練習したのではないだろうか? なるべく、私にショックを与えないようにと。 大の男が相手のいない電話口で芝居じみた様子で先ほどの台詞を練習する光景は、あるいはとても滑稽なものなのかもしれない。 でも、ほたるにはちっとも笑える気にならなかった。 彼の口から零れ出たその言葉は、私をどん底に叩きつけるには充分すぎるものだった。 健ちゃんが目を醒ます… 当然、考えられた出来事。 でも、ほたるはそのことに目を瞑り続けていた。 頭では分かっていたにもかかわらず、考えないようにしていた。 健ちゃんがほたるの元を去り、ほたるは一人になった。 ほたるに残されたのは、ピアノだけだった。 それとも、健ちゃんがいなくなったことでほたるはピアノに憑かれたの? はたまた、希ちゃんのおかげでほたるはピアノに専念することが出来たの? だが、真実はそのいずれとも違っていた。 ほたるは、ただ目を背けていただけなのだ。 ピアノだけを見ようとして、自分自身すら見ようとしなかったのだ。 ウイーンに旅立ち、始めは順調だった。 鳴り物入りとまでは行かないまでも、それなりの肩書きを(といっても、日本国内なのでたかが知れているが)持ってウイーン入りし、それなりの評価を得た。 しかし、それから完全に行き詰ることになった。 それから、いくつものコンクールに次々と出場したが、結果は散々だった。 入賞はおろか、上位に食い込むことすら出来ない。 そして、審査員や各人からは揃ったようにこう言われた。 「個性がない」 「光るものはあるが、それどまりだ」 そして、もっとも多かったのが… 『こんなピアノなら、機械だって弾くことが出来る』 ほたるにとって、これほど悔しい、屈辱的な言葉は無かった。 ほたるの強みは、あふれるような感情を表現できることではなかったの? 少なくとも日本ではそうだった。 何が変わってしまったの? 悔し涙にくれ、何故自分がダメなのかと自問自答し続けた。 その結果、たどり着いた結論が… ――ヨーロッパという新しい環境には、ほたるのピアノは通用しない―― 単純にそう思った。 だから、がむしゃらに、ひたすらに練習した。 それこそ、周囲の人間が始めは心配し、後に気味悪がるほどに。 練習に使っていたピアノの傷みが早い、と先生に呆れたように言われることもあった。 でも、結果はいっこうについてくることは無かった。 当たり前よね、努力すべきベクトルが、根本から間違っていたんだもん。 結局、留学の一年間を無為に過ごしたほたるは、追われるように日本へと、この町へと帰ってきたの。 それが、一ヶ月前の話。 失意のうちに帰ってきたほたるは、引き篭もった中学生みたいに部屋に、自分の殻に閉じこもったまま過ごしていた。 『…タルタル?聴いてるのか?』 いけない、考え事にはまり込んでいた。 「ごめん…ちょっと、考え事してて…」 『大丈夫か?静流さんからも聞いたけど…最近、外に出てないんだって?』 「うん…ごめんね、心配かけちゃって。でも、大丈夫だから」 『そうか…』 向こうで何かあったのか?そう聞いてこないのは、信くんらしい優しさだろう。 その優しさが…今のほたるには少しつらく感じられる。 こういう風に感じてしまうのは、神経がささくれ立っているから? そのうえで強がってしまうのも…それを見越した上で、これ以上追求しようとしない信くんの優しさに甘えてしまっているからだろう。 ダメだ、こんなのじゃ。 もっと、強くなるって決めたんだ。 ピアノに見捨てられたほたる。 それでも、ずっと生きていかなくちゃいけない。 だから…今は強がりでも良い。いつか本当に、強くなってみせる。 だからほたるは、この言葉を選んだの… 「今の問題は、ほたるじゃなくて、健くんでしょ?」 話は総合するとすこぶる簡単だった。 健ちゃんのお見舞いに、一緒に行って欲しい。 たったそれだけのことだった。 信くんはたったそれだけのことを伝えるために、ものすごく言葉を選んでいた。 でも、それだけの言葉がほたるの双肩に重くのしかかる。 前言撤回。信くんは、優しくなんかない。 それとも、優しいけど鈍感なのか、無神経なのか… いや、鈍感や無神経なら、あんなに言葉を選んだりなんかしないはず。 分かってるのに、それでもなおほたるの中に足を踏み入れようとする。 やっぱり、優しくなんかない。 きっと、傷つくことと傷つけることを無意識のうちに避けてるんだ… ほたるの中に、小さな信くんに対する不信感が生まれるのを感じた。 器用で、人付き合いが上手い。 でも、人を信用しても、信頼はしないのだろう。 …それとも…それも優しさなの…? 『勿論、無理強いはしない…でも、タルタルも来たい気持ちがあるんじゃないか?今までのことも含めて…それなら…』 「良いよ…」 ほたるに選択権はなかった。 でも、ある意味で誘導尋問に近かったそれも、恨む気には毛頭なれなかった。 だって、信くんの言うように行きたい気持ちはあったんだから… 「明日、十時に病院で…良いよね?…」 明日、八月三日。 私は、伊波健に会いに行く。 |
後書き: はい、またまた大きく遅れました新章です(汗 うーん、書くことは書いていたんですが、書き直しの嵐でした(汗 何ででしょうねえ…書いててもだめだめで(汗 この章もやっぱり納得は出来ないです。 まあ、そうそう納得できるもんなんて作るほうが難しいんでしょうが… それでも書き続けるのが吉でしょうね。 これからも頑張りますのでもし応援してるぞ〜という奇特な方がいらっしゃるなら、見守っていてください〜 ではでは、また次章にて。 |
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