Lilac
N・O



Moonshine










俺の2m程先を歩く彼女。
(人聞きの悪いことを言うわね)
(怒っていないって言ったら怒ってないの!)
じっと彼女の黒髪が揺れるのを見た。
ざし、と足元の砂利が鳴る。
闇に溶けそうな黒。
輪郭も不確かになりそうな色。
コートの白が、
眩しく見える。
それを、ぼんやりと、見る。
後頭部に突き刺さる視線に気付いたのか、怪訝な顔で振り返えり、眉を顰めた。
「…何?…何か髪についてる?」
多少ぼんやりとしていた事もあり、返事が遅れた。
それでも、
僅かな躊躇いと供に、返事を返す。
「いや、何でもない」
言ったら多分怒るだろう。
もしかしたら殴り倒されるかもしれない。
さっきの君はとても子供じみて見えた、なんて言ったら。




翌月曜日、いつものように学校へ。
制服で。
あまり人のいない朝。
朝日が眩しい、何の変哲も無い朝。
校門をくぐり、最初に目に入ったものは赤。

大きな赤。

小さな赤。

点々と裏庭へ続くそれ。
そして所々赤く染まったコートとセーラー服、
血塗れの何かを抱えて座り込んだ、彼女。
呆然として、
彫刻のように動かずに。
よく見れば、抱きかかえているのは犬だった。
事故にでも遭ったのだろう、皮膚が裂け、骨が露出している。
見たことがあった。
裏庭で、
餌を貰っていた。
「…見て」
もう命の灯が消えてしまった犬の頭部を起こす。
「目を閉じさせてあげたいんだけど上手くいかないの」
半目の状態で固まってしまっていたらしく、すぐに元に戻ってしまう。
そんな風に、血の付いた手で。

何度も繰り返して。

表情すら変える事無く。

そんな彼女を見ていられなくて、少し目をそらし、言葉を搾り出す。
「…早く埋めてあげよう」
裏庭の隅。
そこに穴を掘った、
彼女の姿を見た用務員の小父さんは何も言わずにシャベルを貸してくれた。
黙々と穴を掘る。
満足いく深さになるまでに大分時間がかかった。
その間もずっと彼女はぼんやりとしていた。
掘り終わり、亡骸を彼女の手から抱き取る。
その一瞬、びくりと怯えたように手を引く。
摘んで来た白い名も知らない花と供に埋葬を済ませる。
上に石を置いて。
手を合わせる。
後ろで気配が動く。
「鹿島?」
「…ごめん、気分が優れないから、帰る…」
「ちょ…、待てよ」
以降、うんともすんとも返事をしてくれなくなる。
それを放って置けなくなって、追いかけた。
幾人かのクラスメイトとすれ違うが、気にしない。
今は登校時。
血塗れの彼女を追いかける自分。
冷静に考えれば目立たない筈も無かったが、気にしない。
彼女に声をかけようとした。
でもまるで思考する脳細胞と、言語化する脳細胞のあいだにフィルターのようなものがあって、
考えることがぜんぶそこに吸収されてしまうような感覚。
このままアルジャーノンになってしまうのではないかとか、
そうして結局声をかけられないままに、
彼女の家に着く。
そうしてくだらないことを、
ぼんやりと考えながら、
家に入って行く彼女を見送る。
振り向いて、
どこか疲れたような顔で、
でも彼女は言うのだ。
「…入らないの?」

血に汚れてしまった彼女の顔が、

綺麗だと感じた。




私は、コートを脱いで洗濯機の縁にかける。
同じく多分もう駄目になっているだろう制服を隣にかける。
入り口でぼうっとしていた彼を客間に押し込んで。

脱ぐ、
血に汚れてしまった物全て。

シャワーを浴びて、適当にYシャツを着て、ジーパンを履く。
手早くお茶と、お菓子を用意する。
亡くなった母が、いつかきっと役に立つと教えてくれたもの、
優しく、そしてあまり笑わない女性で、
私をとても愛していた人。
準備を終え、ゆっくりと客間へ向かう。
途中、客間から出てくる父に遭った。
「…四季?」
私の名前、母が付けたもの。
母はどういうつもりだったのだろう。
昔父に問うてみた事はある。
父は苦笑いして教えてくれなかったが。
「…何、…父さん?」
「…どうしたんだ?」
この人に誤魔化しは効かない、頭の中できちんと整理。
「学校は気分が優れないから休みました、彼は私を送ってきてくれたの、そして服の血は私の物ではありません」
「……わかった」
溜息をひとつついて、歩いて行く。
元々あまり人と話をする人ではない、例外はあるようだが。
だから声をかけるだけ心配しているのだろう。
そう思っている。

ドアを開けると何処か手持ち無沙汰そうな彼。
私が来た今も、何処か所在無さげだ。
「いや、びっくりしたよ」
黙って腰を下ろし、お茶を入れる。
「あの人、お父さんだろ?」
口をつけても、味はしなかった。
「何て言うか、誤解されなくて良かった、俺のせいだとか思われたら何て言い訳すればいいのか…」
言葉をかけられても、返せない。
返す余裕は無かった。
「その…」
だんだんと落ちて行く言葉のトーン。
「俺…、やっぱり、帰るわ…」
次の瞬間、

横を通り過ぎようとする彼の、

少し土で汚れてしまった袖を、

力いっぱい、

握り締めていた。

かすれた声で、

「やさしくして」

やっと、それだけを言葉にする。

それだけでよかった。

この現世には、

いらないものが、

多すぎた。




正直な話。
俺は驚いた。
とても。
今までクラスメイト達に何をされても気にも止めなかった彼女が、
俺の袖をつかんで、
感情をあらわにして。
目の端に光る滴を湛えているのだ。
俺に何ができるだろう?
答えは一つだ。
何もできない。
だから、涙が枯れるまで。
腕が力を無くすまで。
そのまま疲れ果てて眠るまで。
俺は、ただ何もできずに見ている。
俺にできるのは、それだけ。
どうしようもなく間抜けで愚かな俺。
いるだけ、
ただそれだけ。

大人っぽい彼女。

子供じみた彼女。

知りたいと願っていた、本当の彼女。
それが、今ここにいる。
堪え切れなくて、
何かに縋ろうとして、
寄りかかろうとしている彼女。

ああ、
何て愚か。
何もできない、
彼女の前に俺は無力。
俺は何を出来るつもりだったのだろう。




私はあの後、眠ってしまったようだ。
次に起きたのは夜。
父は何も聞かない。
黙って睡眠薬を持ってくるだけ。
そして今日は夢を見なかった。

結局二日学校を休んだ。
明日私はいつも通り、そ知らぬ顔で学校に行く。
いつも通り、いつも通り。
自己暗示をかけながら。
大丈夫。
私は大丈夫。
大丈夫な筈だ。
大丈夫であって欲しい。
お願いだから。

次の日、心配そうな彼に。
もう私にあまり関わらない方が良い。
そう告げた、私がクラスの皆に良く見られていないのは知っているから。
「え?」
「…二度と私に関わらない方が良いわ、碌な目にあわないから」
「何でだ!?俺は、俺は鹿島が…」
声を、落として。
「鹿島が…」
それを遮るように、私は、
「でも…私は…貴方に壊された物が在るわ」
迷ったが、
「…何をさ!?」
告げた。
「私の孤独を」
嘘ではない、楽しかったのは確かだ。
でも、
お終い、
これでお終い。
そう、これで。
横を通り過ぎながら。
一昨日と同じ構図だ、等と。
ぼんやりと考えながら。
ただ昨日と違うのは、
彼は袖を掴んで来なかった。
追いかけてきたのは、
私が閉めた屋上のドアの音だけ。
これで終わり。
私は、どうしたかったんだろう。
私は今まで一瞬だって夢なんか追いかけたことはない。
ただこの飢えを満たしたいだけ。
死にたくないだけ。
生きたいだけ。
ただ、それだけなのに。
何でこんなに苦しいんだろう。
誰か、誰か教えて欲しい。
誰も教えてくれない、そんな問いを、誰もいない空間に投げた。



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