「6月はジメジメして嫌ね〜」
 6月の梅雨に入り例年通りに、ここ海鳴も連日雨の日が続いていた。
 それにより大幅には減ってはいないが、商店街の客足は他の季節と比べて少ない。
「何かこう〜、明るい雰囲気に出来ないかしら?」
 閉店時間を過ぎ去り誰もいない喫茶店『翠屋』の厨房の奥でこの店の店長、高町桃子は連日の雨による湿った雰囲気を払拭するアイデアを考えていた。
 だが出てくるのは、既に他の店が出したアイデアばかり。
「ナメクジ、アジサイ、千葉県民の日(爆)、後は……」
 そこではっ、と気付く。
 そう、6月で行われる素晴らしい行事があったのだ。
 しかも桃子が凄く楽しめる。
「そうよ、そう。6月は『あれ』の時期じゃない♪」
 それに、あの『2人』にはちょうど良い刺激になると考えてみる。
 思わず独身男性が愛の告白をしてしまいそうな満面の笑みを浮かべると、携帯でとある店に電話を掛ける。 
 そして、店長企画による翠屋イメージUPが密かに進んでいった。








 


プロジェクトUD
鏡丸太



「るるるん♪」
 商店街を歩いている少女、神咲那美は久しぶりに翠屋に赴く。
 友人でもある高町美由希から、なにやら新企画があるということで呼び出されたという事。
 一体どんな企画かは聞いてないが、あの桃子の考えた企画。
 それは凄く楽しい企画だと思い、楽しみにしながら歩く。
 それから数分して翠屋に到着する。
 からーん♪
「こんにちは〜〜」
 ドアを開けカウンベルが鳴り中に入る。
「あ、那美。いらっしゃい♪」
 ソプラノの美しく澄み通った声が那美を迎えた。
 声の持ち主は、翠屋のチーフウェイトレスであり、世界に煌く稀代の歌い手『光の歌姫』フィアッセ・クリステラ。
 この春、無事コンサートツアーを終え帰国。
 再び翠屋でチーフをしているが、その表情は以前と比べてますます活き活きしており、美しさに磨きがかかっている。
 そして、那美はフィアッセを見た瞬間、固まってしまう。
 フィアッセが世界的有名人だからではない。2人は去年の春から面識があるからだ。
 では、何故かと言われれば、それはフィアッセの姿。
 純白のウエディングドレスを着ていたのだ。
 純白のウェディングドレスとブロンドの艶のある長い髪を後ろに束ねたポニーテールが合わさり、元来の美しさをより際立たせていた。
 それは同姓の那美から見ても、見惚れてしまうほど。
「うわ〜……」
 思わずその場に呆けるように固まってしまう那美。
 そんな那美を不思議そうに見るフィアッセ。
「どうしたんだフィアッセ? あ、神咲さん」
「あ、恭也さ……」
 2人の元に駆け寄るのは、大学生になって最近暇を持て余している高町恭也。
 だが恭也の姿を見て、再び固まる那美。
 それは恭也の姿が……

 白のタキシード姿!! 
 であるからであった。

 生来の顔立ちの良さから、似合ってる事は似合っているが……何処か似合わない。
 普段黒い衣服しか着ていないので、尚更違和感が目立つ。
 余談だが、恭也は古流剣術『永全不動八門一派・御神真刀流、小太刀2刀術』の遣い手で師範代。
 そして某弟子兼義妹の美由希は、初めて兄の恭也のタキシード姿を見た途端、大笑いして恭也に地獄の特訓メニューを受けたのは、あんまり関係の無い話。

「神咲さん、どうしたんですか? フィアッセ、何かあったのか?」
「ううん、分からないよ〜、お店に入った瞬間いきなり固まったから」
 何故、那美が固まったか話し合う2人。
(ウェディングドレスを着たフィアッセさんに、タキシードを着た恭也さん……こ、これはもしかして……)
 そんな2人を余所に、那美は固まったままの状態から、今の状況の答えを頭の中で捻り出す。捻り出す。
 それは……
「あ、あの! きゅ、急用を、お、思い出したので、ま、またすぐに、き、来ますので!」
 慌てて途切れ途切れに言うとすぐさま踵を返し、店を出て行く。
 ばたっ。
 店の中から見える範囲で、転んだのは言うまでも無い。2回も。

「何だったんだ? 一体?」
 一体全体何しに来たかと、不思議そうに走り去る那美を見る恭也。
「確か、美由希が会う約束してたって言ってたじゃない?」
 那美が来た理由を教えるフィアッセ。
 だが、急に帰った理由を見つけられない。
 一つの考えに至った恭也は口を開く。
「おそらく『仕事』が入ったんだろう」
「そっか、大変だね、那美も」
「そうだな、怪我が無ければいいがな」
 那美の『仕事』。
 それは無念に死んだ霊を救い祓う『救霊』で、『神咲』と呼ばれる退魔の一族が行う裏の仕事。
 場合によっては霊と戦わねばらならないので、2人は那美の身の案じる。
 この場合の身を案じる意味は、戦いで怪我をするのではなく、何も無い所で転ぶ那美が持つ天性のドジを案じてだ。
 いままで数ある『仕事』の最中、那美のドジで事態がややこしくなった事件は決して少なくは無いからだ。
 
「あれ? 恭ちゃん、フィアッセ、どうしたの?」
 そこへ完全に那美とは入れ違いで美由希が翠屋にやって来た。
 簡単に今までの経緯を説明すると、美由希も納得した。
「じゃあ、今日は無理だね」
 それは新企画の事。
 ちょうど那美用の『あれ』が出来上がったので、試そうとしていたのだった。
 それは……




 さざなみ寮。
 一言で言い表せば『海鳴の魔境』。
 その名の通り、人並みはずれた、いや、本当に人じゃない人外な住民が住んでいるとんでもない寮。
 その玄関に那美は息を切らせながら座り込んでいた。
 那美自身もこの寮に住んでいて、とある事を知らせるために大急ぎで戻ってきたのだ。
 走ってきた所為か、体中転んだ跡だらけ。
「はあ〜、はあ〜」
 ゆっくりと息を整えていると突然後ろから声をかけられる。
「ん〜、どないしんたんや那美ちゃん、ラマーズ法なんかして? 今日、翠屋に用事があるんとちゃう?」
「あ、ゆうひさん」
 那美の後ろに立つのは、椎名ゆうひ。別名『天使のソプラノ』こと『SEENA』。
 世界をまたにかけて歌うソプラノ歌手でさざなみ寮の家族の一人。つい先日、海外ツアーが終わり日本に帰国、海鳴に帰ってきたばかり。
 那美に問いかける。何故、そんなに息を上げていたかと。
 そして那美は、ラマーズ法は妊婦の出産時の呼吸法であるというのをスルーしてゆうひの質問の答える。
「そ、それは恭也さんとフィアッセさんが……」
「恭也君とフィアッセがどないしんたんや?」


 


「ふう〜、そろそろ休憩に入れるな」
 那美が帰った後に段々と客が増えていき、大ラッシュとなって翠屋は全力で満杯の客達に対応した。
 それこそ猫の手を借りたいくらいに。
 だが時間に経つにつれて段々と客の数が減り、仕事が減った恭也とフィアッセは頃合を見て休憩に入ろうとした。

 翠屋6月限定のウエディングドレス版の制服。
 これこそが桃子が考えた翠屋イメージUPの企画。
 もちろん、那美が美由希から聞いた企画とはこの事。
 そしてそれが思いの他大好評で、じめじめとした雰囲気は消え客足が再び戻った。
 いや、更に増した。
 言うまでもなく、フィアッセと恭也だ。
 もちろん、美由希や他のバイトのドレス姿目当てもいたが、客の大半の目当てが純白のドレスとタキシードを着たフィアッセと恭也であった。
 
 フィアッセはそうだねと頷くと、オーダーの品を客席に運ぶ。
「翠屋期間限定、ミニウエディングケーキです♪」
 運ばれた品は、結婚式でよく見かける多段重ねのケーキ。
 むろん、全長2m以上のものでなく、サイズを小さくした物。
 これは企画発案者である桃子が、「制服だけじゃつまらないからウエディングケーキも出しましょう〜♪」と言ったからだ。
 しかも本気で、本場サイズのウエディングケーキを作ろうとしていたから少し暴走気味。
 その暴走を止めたのは、翠屋のアシスタントコックであり正スタッフ唯一の常識人である松尾女史その人。
 もし止められなかったら、本当に2mを超えるウエディングケーキが出されていたであろう。
 この事に関しては、桃子を除く高町家と翠屋のスタッフ&バイト達は、大いに感謝感激の嵐。

「では、ごゆっくり」
 フィアッセはカウンターに戻ると、そこには既に仕事を終え一休みしている恭也が座っていた。
 手には紅茶が注がれたカップがあり、反対の手に持つカップをフィアッセに手渡す。
 ありがとうと微笑むと、カップを受け取り席に座る。
 一口、紅茶を飲むと身体が少し温まる。
 今日は雨が降っていないが、それでも今日の天気は曇り空で少し肌寒い身体には嬉しい温かさ。
 嬉しそうに紅茶を飲むフィアッセの横顔を、分かる人だけが分かる、とても小さな微笑で見守る恭也。
「そういえば美由希は?」
 美由希の事を尋ねられて、恭也は客席の一つを指差す。
 そちらを見てみると、何重にも重ねた食器を危なっかしく持ち抱えている美由希の姿が。
 もちろん、彼女もウエディングドレスを着ている。フィアッセとは異なり、デザインの違う淡いブルーの色合いのドレス。
 あわわっと、冷や汗を掻きながらも何とかバランスを保っているが、今にも食器を崩し落としそうだ。
 美由希は恭也に剣術を『御神流』を学んでいて、その身体能力は武道を学んでいる成人男性以上のもの。
 だが、あくまでそれは『剣士』としての美由希であり、『普通の少女』としての美由希はよくドジを踏む。
 そして今は『普通の少女』としての美由希であるので、生来のドジでバランスを崩しかねない。
 またドレスという動きづらい服もバランスを崩しかねない相乗効果が生まれていた。
「あ、危ないよ恭也。手伝おうよ」
 フィアッセは慌てて美由希を助けようとするが、恭也はそれを止める。
 これもいい修行になると言い、何事もないように再び紅茶を飲む。
 前に白いタキシードが似合わないと、大笑いされた事を決して根に持ってはいない筈。
 ……多分。
「恭也〜、そういうのは時と場所にもよるよ〜」
「大丈夫だ、ほら、無事着いた」
 2人がそんなやり取りしてる間に、美由希は無事厨房に着き、何重にも重ねた食器を下ろした。
 美由希が無事でフィアッセは、ほっと胸を撫で下ろす。
 

 から〜ん♪、から〜ん♪
 勢いよくドアが開きカウンベルが鳴ると、恭也とフィアッセはカウンターの席から立ちあがり挨拶に行くと。
「いらっしゃいま……」
「おめでとう〜さんや!」
 挨拶が終える前に、澄んだ大声が翠屋全体に響き渡る。
 声の持ち主はゆうひ。世界をまたに駆ける歌手だけにその声量は半端じゃない。
 接客しようとした恭也とフィアッセは、何がおめでとうか分からないまま固まっていると、いきなりゆうひに2人同時に抱き締められる。
「し、椎名さん!?」
「ゆ、ゆうひ!? いきなりおめでとうって、何!?」
「だからおめでとうや。それにちゃんと準備してあるし?」
「「準備??」」
 ゆうひのいきなりの行動にお互い同じ疑問に思う恭也とフィアッセ。
 すると、遅れて息を切らした那美が翠屋に到着した。
 2人はさざなみ寮からバスで駅前に降りると、そこからは走ってきたが、ゆうひは全然息を乱していない。
 流石は世界に活躍する歌手、肺活量も世界並ということだろう。
「ゆ、ゆうひさん〜、足速すぎです〜」
「あ、神咲さん。これは一体?」
 那美に説明を求める恭也。
 フィアッセも目で那美に「どういう事?」と言っている。
 今のゆうひはハイテンションで質問に答えられない状態と見て、代わりに那美に。
 那美は恭也とフィアッセが何も分からないでいる事に、少しおかしいと感じながらも、ゆうひが祝辞の言葉を出した事を話す。
 祝辞。つまりは……。
「えっと、恭也さんとフィアッセさん、御二人の結婚式ですよね」
「「えっ??」」
 またも声が重なり合う恭也とフィアッセ。
 実は那美とゆうひは、いやさざなみ寮の面々は翠屋の企画を知っていなかった。
 ましてはゆうひは帰国したばかり。
 そしてちょうど今日、美由希が那美を呼んだのがこのウエディングドレスの制服の事だった。
 そんなことも露知らずに、勘違いをしたまま話を進めようとするゆうひ。
 そして運悪く?、美由希が厨房から出てくる。もちろんドレスを着ている状態。
 それを見て那美は何を思ったか。
「も、ももも、もしかして、じゅ、じゅじゅじゅ、重婚ですか!?」
 日本の憲法では重婚は犯罪です。
 重婚可能なのは中東辺りの国です。
 ……多分。
 そう心の中で、那美に小さく突っ込む恭也。

「椎名さん、神咲さん、違います」
「私のドレスと恭也のタキシードは、翠屋の新しい制服なんだよ〜」
 このままだと勢いで更なる混乱が訪れかけるので、慌てて誤解を解こうとする。
 だが、それでも妄想が暴走した那美とゆうひの誤解を解けれず止まらせる事が出来ない。
 こうなったら仕方ないので最終手段として、嫌々に店長の桃子を呼ぶ事に。 
 ロビーから呼ばれて厨房から出てきた桃子を見て、更に驚く那美とゆうひ……だけでなく、席に座っている客全ても。
 ……桃子もウエディングドレスを着ていた。
 色はもちろん、桃子の名の通りピンク。
「かーさん、2人に説明してくれ」
 桃子がドレスを着ていて、こうなる事を分かった上で呼んだのだ。恭也がどれほど切羽詰っているかがよく分かる。
 ぐったりしながらも恭也は桃子に説明を頼む……が、ある意味予想通りに恭也が求めた説明とは違う事を、爆弾的発言を投下する桃子。
「そうね〜、私達のはただの衣装だけど、恭也とフィアッセのは本物にしちゃいましょうか♪」 
「ちょっとま……」
「2人とも、付き合ってるんでしょ♪」
「な、なんでかーさんが知ってる!!」
「やっぱりね」
「恭也〜」
 桃子の口から出た衝撃の事実。
 思わず口が滑り、「しまった!」という表情の恭也。
 「言っちゃたよ〜」という感じで困った表情のフィアッセ。
 疑惑が確信となり悪戯な笑みを浮かべる桃子。
 そして、キュピーンと目が輝くゆうひ。
「え、あの、あの、万年朴念仁で他人の好意を感じない超鈍感の恭ちゃんが!!!」
「じゃ、じゃあ、私が言ってた事は、合ってたという事ですね♪」
 衝撃の事実に店内が震えるほどの大声を上げる美由希。何気に失礼な発言もあったり。
 自分の考えが合っていて嬉しそうな那美。
 そんな2人、特に美由希の姿を見て恭也は。
(後で、この前とは比べ物にならないほどの、きつい鍛錬をやってやろう……)
 と、情け容赦ない事を考える。
 ある意味気の毒な美由希。合掌である。
  
 開いた席に座るタキシード姿の恭也とドレス姿のフィアッセ。
 その席の反対側に座るゆうひと那美。
 そしてその席の前に立つドレス姿の桃子と美由希。
 流石にこのまま騒いでいたら、客に迷惑を掛けてしまうので一旦落ち着くために席に座らせた。
 仕事は良いのかというと既にオーダーは終わっており、なにより客達はこの騒ぎの結末を見たかった。
 今いる客の殆どが皆、翠屋の常連客で、なおかつ高町家の人間関係を大まかに知っている人達。
「え〜と、つまり、今、翠屋で仕事で着ている制服がウエディングドレスなんですね」
「そんでもって、男の子の恭也君はタキシードを着てる」 
「ええ、そうですよ」
「今日、那美さんに来てもらったのは、那美さん用の制服が用意できたからなんです」
 大体の説明が終えて、事の確認をするゆうひと那美。
 恭也はこれで誤解が解けてほっと一安心したが、柄にもなく大事なことを一つ忘れていた。
 普段の恭也ならすぐに気付き、やがて来る地獄から逃げ出す筈だったが、隣にフィアッセがいたことからいつも以上に警戒を緩めてしまっていたのたが原因だろう。
 そして気付くのが遅かった。
 何時の間にやら那美と美由希は、真剣な面持ちで恭也とフィアッセに詰め寄る。
 もちろん、2人の付き合いについてだ。
 なるべくはぐらかそうとする恭也だが、桃子とゆうひがそれを逃さない。
「いい加減に観念しなさい、恭也」
「た、戦えば勝つ……それが御神だ……」
「恭ちゃん、それは無理っぽいよ!」
「そや、男の子なら諦めも肝心や!」
「恭也さん!」
 女性陣に一気に言われて、流石の恭也もたじろいでしまう。
 そんな恭也にフィアッセは助け舟を差し出す。
「別に隠すことじゃないから、話そうよ。ね?」
 詰まるところ、2人が恋人になった経緯を話す事。
 別に恭也も隠すつもりもないし、話したくもない訳でもない。
 ただ、恥ずかしかっただけである。後、絶対にからかわれそうだと思っていたから。
 少し赤面しながらも、恭也は話し始める。
「まあ、あれはちょうど去年のチャリティコンサートが始まる少し前だ」
 そのときの気持ちを全て包み隠さず話すが、話すたびに付き合い始めた当時のことを思い出してしまい、照れて時折話が止まってしまう。
 そうなると早く続きを急かせられるが、照れの所為で中々進まない。
 そんなときにはフィアッセが代わりに話を続ける。
 照れやな恋人の為に。
「それで今年の春、コンサートツアーが終わって帰ってきたでしょ? それからちゃんとした形で付き合うようになったの♪」
「なるほど、せやからコンサートツアー中、フィーが妙に元気やったんやな」
「もう、フィアッセ! どうして教えてくれなかったの?」
「ほら、ちょうどコンサートでゴタゴタしてたから」
「あ……、そうだったね」
 去年の6月、海鳴の地から始まったチャリティーコンサートは、フィアッセの母親であり『世紀の歌姫』のティオレ・クリステラにとって最後の舞台であった。
 だが、それを中止させようと犯罪組織からの刺客が放たれ、恭也と美由希が戦い、激闘の末に退けた。
 この事は当事者である恭也と美由希、そしてティオレとフィアッセを含むクリステラソングスクールの一部の人間のみしか知らない事実。
 そしてフィアッセはコンサートツアーの為、翌日すぐに海外に発った。
 そういった経緯ゆえに、今の今まで話す機会がなかったのであった。
「にしてもよく分かったな、かーさん」
「何年、あんたの母親してると思ってんの」
 母親の顔をしながら、自信満々に答える桃子。
 そしてフィアッセの方にも振り向き。
「フィアッセも、私の娘みたいなものだしね」
 ウインクしながらフィアッセに微笑みかける。
 そんな桃子の気持ちに嬉しさがこみ上げるフィアッセ。
「ありがとう、桃子」
「う〜〜、気付かなかったよ〜」
「私もです〜」
 恭也とフィアッセの関係を気付けなかった美由希と那美は、少し悔しそうに落ち込んでいた。
 恭也としては、美由希にばれなくてホッとしていた。
 もしばれていたら、ある意味切腹するほどのものだろう。
 まあ、そんな天然な2人は無視されて話が続く。
 不意に、ばたんっ!と机を叩いて、立ち上がるとゆうひは言う。
 更に真剣な面持ちをしていた桃子も、いきなり顔を崩して悪戯な笑みを浮かべてゆうひに続く。
「せやから、今日結婚式しよう〜」
「いきなりですね」
「かーさん、ウエディングケーキ作りたいな〜〜、本物の〜〜、等身大の〜〜」
「却下だ」
 恭也はゆうひの意見や桃子のおねだりを一刀両断で断ると、席から立ち上がる。
「恭ちゃん、逃げるの?」
「馬鹿者、そろそろディナータイムだ」
 壁に掛けてある時計の針は、午後6時を既に過ぎていた。
 桃子はそれに気付くと、慌てて厨房に戻る。その途端、厨房から松尾女史のお小言が、ブツブツ聞こえてきたり聞こえなかったり。
 美由希も立ち上がると、恭也たちの話を聞き終わって満足した客達が並ぶレジに急ぐ。 
「フィアッセも早く」
 促すように言うと、恭也は食器を片付け始める。
「あ、うん。そうだ、2人とも、ついでだからここでご飯食べてく?」
 席を立ったフィアッセがゆうひと那美に夕食はここで食べないか誘う。
 即答で首を縦に振る2人。桃子の腕を知ってるから尚更楽しみだ。
 ふと、思い出すように携帯を取り出し、電話を掛けるゆうひ。
 那美は何処にと尋ねると。さざなみ寮と答えが。
「あ、もしもし〜、耕介君。今日の夕飯は翠屋さんで済ませるから〜、ついでに那美ちゃんもや」
 携帯から男性の声、さざなみ寮の管理人である槙原耕介から了解という声が聞こえた。
 用件を伝えて通話を切るが、そのまま携帯をしまわず再び電話を掛ける。
 那美は再び疑問に思うが、ゆうひは別に気にする事でもないと言うので考えを切り替え、夕飯に何を頼むかメニューと睨み合う。

 



 英国の某スクールのとある高価な一室。
 部屋の中央に座っているのは齢60歳を超えた老婆。
 彼女の顔には悪戯に満ちた笑みが充満していた。
 それは、さきほど教え子の1人から受けた電話だ。
 その内容に、彼女の心はかつて無いほどに大きく震え上がる。
 机には、これから数日先までのスケジュール予定が、みっちり組み込まれた手帳が開いている。
 彼女は嬉しそうにペンを持つと、手帳に書き込む。
 英文で『……の予定』と書かれた文字がペンで上書きに消され、代わりに『全部キャンセル♪』という英文が手帳に書き込まれた。
 そして、誰にもばれないように忍び足で部屋を出た。
 だが、その瞬間、誰かに手を捕まれた!
 それは眼鏡を掛けたスーツ姿の女性で、彼女の秘書を務めている者。
「校長、何処に行くのですか?」
 はっきりとした口調で訪ねる。
「え〜と、それはね〜」
 何とか美味くごまかそうとする彼女。秘書にばれては、どんな小言を聞かせられるかたまったものではないからだ。
「ちなみに、ゆうひから先程の電話は早とちりという連絡を受けましたので、あなたが日本に行く理由はありません」
「え?」
「さあ! まだ、処理が終わっていない書類がありますので」
 無理やり引きずられるように、秘書に連れて行かれる女性。
 その顔はとても悔しそうな表情。それは2重の意味でだ。
 娘の結婚の事が早とちりと、日本に遊びにいけない事。
 まあ、結句の所、自業自得。







 閉店時間を過ぎ客がいなくなり、しんと静まりかえった翠屋。
 ゆうひと那美は夕食を食べた後帰り、美由希も早めに家に戻った。
 今店内にいるのは、店長の桃子と松尾女史、そして恭也とフィアッセだけ。
 桃子と松尾女史は既に更衣室へ行き、着替えている最中。
 恭也とフィアッセは黙々とロビーの片づけをしていた。
「ねえ、恭也? それ、着るの、嫌だった?」
 フィアッセが小さな呟きで尋ねる。それとはタキシードの事。
 実は恭也はそれを着るのを渋っていたが、フィアッセが無理やり頼む形で着てもらったから。
 今回で流石の恭也も迷惑を被った訳で、フィアッセは申し訳ない気持ちになってしまう。
 そんな些細な表情に気付いたか、恭也はフィアッセを優しく抱きしめる。
 今、桃子や松尾女史は着替えている最中。だからこそ、こんな大胆なことが出来る。
「まあ、嫌なことは嫌だったが……」
「やっぱり……」
「本当は結婚式で着たかったんだがな……」
「じゃあ、なんで今日やろうとしなかったの? きっと、皆集まってくれて祝福してくれたのに?」
 フィアッセの言う通り、彼らの友人達はすぐに集まり、2人の仲を祝福してくれるであろう。
 しかし、恭也はそれを拒んだ。拒んだ事には彼なりの理由がある。
 こほんと一度咳を吐くと、恭也はおもむろに抱きしめた身体を放しフィアッセの顔を見るが、思いの他、顔が赤くなり過ぎたので少し顔を逸らしてその理由を告白する。
「……結婚することは、プロポーズは、ちゃんと、俺自身の口から言いたかったからな……」
「恭也……」
「まだまだ不安だからな、俺がフィアッセを幸せに出来るか……だから、もう少し待っていてくれ」
 フィアッセはゆっくりと恭也に近づくと、無骨な鍛えた胸に顔を埋める。
「待っててくれって、もう10年以上も待っていたんだけどな?」
 胸に埋めた顔を上げ恭也の顔を見上げる形で悪戯な笑みを浮かべるフィアッセ。
 かつて幼い頃、恭也はフィアッセに約束をした。
 いつか、フィアッセをお嫁さんにすると。
 そしてフィアッセは今まで、10年以上も待っていた。いつか恭也が自分をお嫁さんにしてくれる事を。
 恭也は分かっていたが、実際言われて心が痛む。去年までフィアッセの気持ちを、約束を忘れていたのだから。
 だからこそ、フィアッセに釣り合う一人前になってから結婚したいと思っていた。
 今の自分は、まだまだ未熟過ぎるから。
「そんな待っていたら、私、お婆ちゃんになっちゃうよ」
 困らせるように頬を膨らませて怒ったそぶりを見せるフィアッセ。
 きっと、慌てて「すまん」と謝る恭也の姿を予想していたが、返ってきた答えは予想とは全く違う、はっきりとした恭也の想い。
「例えフィアッセがお婆ちゃんになっても、俺は、フィアッセと結婚したい」
「……え」
 思わず顔が赤くなってしまう。
 そして、瞳から溢れそうになる涙。気持ちが、鼓動が止まらない。
「だったら、早く一人前になってね。早く、恭也のお嫁さんになりたいから、ずっと、隣に居たいから。ね♪」
「ああ」
 見上げたままそっとつま先を伸ばすフィアッセ。
 下を見続ける恭也。
 そして重なり合う不器用な青年と優しい女性の影。
 いつか、訪れる白き祝福のウエディングチャペルを待ち望んで。
 今は、愛しい人との時間を大切にしよう。




  

 それから一年後。
 翠屋に純白のウエディングドレスを着た女性と白いタキシードを着た青年が互いに寄り添っている。
 一年前と同じ状況だが、一つだけ違う。
 互いの指に、はめられた銀色に輝く指輪。
 それは……2人の絆の証。
 そして、皆に囲まれた中で、重なり合う唇。
 祝福の歌。
 優しい夫婦よ、永遠に。
 とらハSS第2弾です。

 ほのぼのな感じが出れば嬉しいです。

 やはし、自分は恭也×フィアッセのカップリングnほのぼのが一番好きですな〜

 とりあえず「とらハ3=戦闘」という先入観は消えて欲しいです。本当にとらハファンとしては。

 ではでは。


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