その日は、雨が降っていたのを覚えている。
 そんな中で僕はぐったりとしている彼女を抱きかかえていた。
 ――彼女の背中には矢が刺さっていた。
 そこの部分からの出血が雨水と交わり、少しずつ地面に流れていく。
 僕は彼女の傷の具合などから、理性ではもう助からないと判断していた。
 それなのに僕の心はそれを必死に否定しようとする。
 何故諦めるのだ?
 諦める必要など無い。
 何故なら彼女はすぐに元気になってくれるのだから。
 そんな苦しい理論で自分を納得させると、僕は彼女をより強く抱きかかえた。
 とその時、彼女は何か話そうとして口をぱくぱくさせた。
 だが彼女の声は僕の耳には入ってこない。
 彼女の口から出てくるのは言葉ではなく、単なる空気の流れだった。
 それでも一生懸命何かを伝えようとする彼女を見て僕の心が痛む。
 彼女は最後の力を振り絞って僕に何かを伝えようとしているのだ。
 そして空気の流れは、ついに声となり僕の耳に届く。
「……最後に…あなたと一緒にいられて本当によかった」
 その言葉は僕に涙を流させるのには十分すぎる言葉だった。
 僕はそれを拭こうとはせずにこう言った。
「な、何言ってるんだよ。どうして最後なのさ? 僕は、僕はまだ旅を続けたいのに…」
 その言葉を聞いて彼女は少しだけ表情を変えた。
 ああ、もはや表情を変えることすら儘ならないのだ。
そう考えると僕は胸が苦しくなる。
自分の無力さに腹が立つ。
 だが彼女はその残り少ない力で笑みを浮かべる。
 僕は彼女の名前を何度も何度も呼んだ。
 そして彼女はそれに応えようと更に口を動かす。
「……ずっと…ずっと一緒だよ……」
 その言葉の直後彼女の腕が重力によりぶらんと下がった。
 僕は涙を止めることが出来ず、ただずっと…ずっと彼女を抱きしめていた。
 ――ずっと一緒だよ。
 それが……サリアの最後の言葉だった。



黒子魔道士
ミストフェンリル

果てしなく…(前編)


 俺の一日は散歩…と称した見回りで始まる。
 俺は街の外側周辺を歩き回り、何か異常がないかどうかを確認する。
 これは別に仕事、というわけではない。
 ただの義務感のようなもので俺は毎日こうした見回りを続けているのだ。
「異常はない、か」
 俺はそれを確認した後、しばらく物思いにふけることにした。
 サリアがいなくなってからもう何年か経った。
 それは俺の心をかなり苦しめたが、時が経つにつれて徐々に薄れていった。
 悔やんでいても、もうサリアは帰ってこない。
 だがそう分かってはいても、彼女のことを思い出さない日はなかった。
 そしてサリアのことを吹っ切るために俺は自分自身を変えようと思った。
 多分、1人称を“僕”ではなく“俺”と呼ぶようになったのもそういうことが関係しているのだと思う。
 俺は辺りを軽く見渡した。
 やはり異常は見当たらなく、俺は街へ戻ろうと振り返る。
 ――その刹那、俺の目が何かを捕らえた。
 草むらに見事に溶け込んでいたため、気づかなかったが、あれは間違いなく“人”だ。
 俺は右手を常に持っている武器にかけながら徐々に近づいていった。
 その“人”は動く様子がない。
 俺に気づいていないのか、それとも俺に気がつかないほどのことが自分の身に起こっているのか。
 それは定かではなかったが、俺はそのままその“人”に近づくことにした。
 まあ何にせよ俺が負ける要因など何もないのだ。
 そして俺は後者が正解であったということに気づくこととなる。
 その“人”は“女”だった。
 そしてその女はかなりの傷を負っていた。
 恐らくここに隠れていたのだろう。
 だからこそ先ほども気配を感じることが出来なかったのだ。
「……ひどいな。かなり容赦ない魔法の攻撃を受けている」
 俺は彼女に近づいて傷の深さなどを確かめた。
 その時一瞬サリアの死の姿が浮かび、そして消える。
 俺は首を横にぶんぶんと振ると、気を取り直して彼女の容態を調べる。
 ――少なくとも今はサリアのことを考える時じゃない。
 傷は深かったがどうやらまだ助かる見込みはありそうだった。
 俺は彼女の傷口にそっと手を添える。
 そして意識を集中させた。
 俺の“気”は彼女の傷口を駆け巡り、そしてそれを見事に塞いだ。
「…こんなもんだな」
 俺は続いて彼女の顔を見た。
 年齢は、昔俺が旅をしていた頃と同じくらい―恐らく18程度だろう―で顔立ちは若干幼めだ。
 意識はなく、依然ぐったりとしていて―これもサリアのことを思い出した要因の1つだ―目が覚める様子は未だない。
 俺はその場で彼女が目覚めるのを待つことにした。
 急ぎの用がある訳でもなく、ここに1人で―しかも意識のない状態で―いたら危険だと思ったからだ。
 しばらく待つと彼女は意識を取り戻したらしく、「う〜ん」と声を上げながらゆっくりと目を開けた。
「こ、ここは?」
 そんな彼女の問いに俺は真面目に答えてやった。
「街の近くだ。お前は傷を負って倒れてたから俺が治した」
「ほ、本当ですか?」
 そう言って彼女は自分の本来傷があった場所を凝視した。
 そこには傷などなく、彼女にとって普段どおりの肌があった。
「赤の他人だからかもしれないけどな、少しは信用してくれ」
「す、すみません。あの……ありがとうございました」
「……いや、俺は当然のことをしたまでだよ」
「けど凄くひどい傷だったのに…すごい力を持っているんですね」
 彼女は微笑みながらそう言ったが、俺は苦笑で返した。
「すごい力…か。本当にそうならいいんだがな」
「すごいですよ。だってわたしのあの傷を治せたんですから」
 彼女は恐らく俺のことを必死に褒めようとしているのだと思う。
 だがそれは俺にはまったく効き目がないということには未だ気づいていないようだった。
「どんなに優れた能力があったとしても、大切な人を守ることが出来るとは限らない。人生なんてそういうもんだ」
「え?」
「例えこの世界を破壊しつくせる程の力があったとしても、そのまま世界を壊しつくすことが出来るとは限らない…ともいえるかな」
 我ながらかなり馬鹿なことを言っている気がした。
 だが彼女はそうは受け取らなかったらしい。
「どうしてそんなに自分のことを謙遜するんですか? もう少し自信を持ったって…」
「持てないんだよ。昔は多少なりとも力があると思ってた。だが今は違う。俺に力はない。あるとしても、持っていて空しくなるようなやつばかりだ」
 俺がそう言うと、彼女は少しの間黙りそしてまた口を開いた。
「わたしはここに定住はしません。すぐにこの地からいなくなるでしょう。だから……」
「昔のことを教えてくれ…か?」
「…ええ」
「……まあ、いいだろう。減るものじゃないしな」
 別に彼女に惹かれたとか、そういった理由ではない。
 恐らく誰でもよかったのだと思う。
 俺は久しぶりにあの日のことを誰かに話したい、そしてそれで気分をスッキリさせたいと思っていたのだ。
 更に彼女はそんな時にたまたまあの時と似たような状況でいた。
 そういうこともやはり関係しているのだと思う。
「少しばかり長くなるかもしれないが、構わないか?」
 そんな言葉に彼女は、
「はい」
 とだけ言った。




「ねえ、次の街までどれくらい?」
 サリアがそう尋ねてきたのは前の街を出て3日ほど経った時のことだ。
 まだ人工物は見えず、目の前には森が見える。
 日はもう昇りきり、後は沈むだけといったところだ。
「う〜ん、もうすぐだと思うんだけどね」
 僕はひどく曖昧にそう答えた。
 実際問題、分からないものは分からないのだ。
 彼女はその言葉を聞くと「ふ〜ん」と頷き、また黙り込んだ。
 無駄話はせずに、ただ黙々と歩き続ける僕達。
 他人から見ればその光景はどのように映るのだろうか?
 恋人? それとも家族か。
 いずれにせよ、たいして仲は良くないとでも思うのかもしれない。
 それは正解なのか、それとも不正解なのか。
 僕達には“空白の時間”があったから、どちらが正しいのかは未だ分からない。
 だけど僕自身の気持ちをあらわにするのであれば、きっと後者の方になると思う。
 確かにブランクはあった。
 だけど僕は彼女のことを忘れたことはなかったし、彼女もまたそうだったのかもしれない。
 僕は彼女のことが決して嫌いじゃない。
 それは紛れもない事実であるように思われた。
 だとしたら何故僕は彼女に心を開こうとしないのだろうか?
 そう思う自分が居る。
 だけど、そうじゃないと判断している自分も居た。
 僕は間違いなく心は開いている。
 けどそれは“僕にとってのこと”であり、“彼女にとってのそれ”ではないのだ。
 だからこそ、彼女は自分に心を開いていないと思っているのかもしれない。
 そしてその差を生み出したのは間違いなくあの“空白の時間”なのだ。
 そう考えると僕は取り返しの付かないことをしてしまったのではないか? と思わずにいられない。
「ねえ?」
 そんな時、僕は彼女の声ではっとした。
「ん、どうしたの?」
「いや、あの……あたし達って、他の人達にはどういう風に見られてるのかなって思って」
 どうやら彼女も僕と同じことを考えていたらしかった。
 だから僕は笑顔でこう言ってやった。
「案外、少し若い夫婦にでも見られてるのかもしれないね」
 その刹那、彼女の顔が赤く染まるのが僕にでも分かった。
「……バカ」
 小声だったが彼女は確かにそう言った。
 だけど僕はそれだけで嬉しかった。
 少しサバサバしているけれど、コロコロと表情を変える彼女。
 笑ったり、怒ったり、そして顔を赤らめたり。
 今も昔も変わらない彼女と離れ離れになるということは昔の僕は考えもしなかったと思う。
 だけどそれは実際に起こったのだ。
 結果僕はその間で少し変わってしまった。
 何も変わらない彼女と少しでも変わってしまった僕の歯車は当然絡み合うはずもなく、僕達は昔の関係を頼りにこうして旅を続けている。
 僕はそれを変えたいと思った。
 昔の関係に頼っていてはいけない。
 僕達はいつかそれを捨てて、今現在の関係というものを気づきあげなければならないのだ。
「サリア? 君は僕の事をどう思ってる?」
 功を焦ったのか僕の口から出てきたのは、そんな唐突な言葉。
「どうって?」
 彼女が聞き返すのも無理はない。
 だけど、言ってしまった異常は仕方がない。
 僕は僕自身の持ち続けた疑問をぶつけてみることにした。
 ――自分では馬鹿だな、等と思いながらも。
「正直に答えてほしいんだ。好き嫌いで言ってもいい。だけど、僕が聞いているのは今現在の僕だ、決して昔のことじゃない」
 これでは僕はただの子供のようだ。
 婉曲な会話も何もなしに、唐突に答えを求める。
 サリアもそう思ったのか少しの間僕の目をまじまじと見つめ、そして一言。
「嫌いな訳ないじゃない。今も昔もね」
 やはり照れながらそう言った。
 自然と僕も気分が高揚していくのが分かった。
 ……気がつくともう、街の門が見えるところまで来ていた。


 門をくぐり、街の中に入る。
 門はあまり広くなく緊急事態が発生した場合、まずここで詰まるだろうと思った。
 だがそれは逆を言えば、敵が一度に入りづらいという事を指す。
 ――篭城という点ではピカイチではあるが、逃げるとなると最低の条件。
 僕は門の広さと、ぎりぎり視界の範囲内である外の森までの距離を確かめた。
 自分だけなら走って5分、サリアをいれるなら10分とでもいったところだろう。
 この動作は僕の癖であり、初めて入るところではまず地理を見極めなければ気がすまない。
 全ては不測の事態に備えるため。
 どんなことが起ころうと彼女を無事に守りきるために必要不可欠なことなのだ。
「人多いね」
 サリアはポツリとそれだけ言った。
 旅をしてきた僕でさえ、此処ほど活気のある街はなかったと思ってしまったほどだった。
 少し離れたところに宿屋があり、そしてそこまでの直線にはたくさんの露天商と、そのカモにされている僕の同業者達。
 それを見るだけで活気というものの違いなどわかってしまうだろう。
 だからサリアが一言だけ発して呆然としているのも無理ない話なのだ。
(そもそも、僕達の故郷が活気とは程遠いからなあ)
 平和なのもいいが、旅をしているとそれだけでは退屈になる。
 それが今回すぐに旅に出たきっかけでもあるのだが。
「こんなに賑わってる街なんてあたし見たことないわよ」
「だろうね」
 僕がそう言うとサリアは少し気に障ったのか僕の方を見てこう言った。
「何、その君は田舎者だからみたいな目は?」
「いや、だってそうじゃない」
「ん・・・・・・」
 サリアはそこで口ごもった。
 ……口ごもるなら突っかからなきゃいいのに。
 そう考えて、僕はとあることに気づいた。
 先ほどの僕の夫婦発言が起爆剤になったことは言うまでもないことだが、僕達の仲は少しかもしれないが前の関係に近づいてきているのではないだろうか?と。
 僕は一旦サリアから目を離した。
 でも何だかとても照れくさかった。
 だから彼女に顔を見せたくなかったのだろう。
 少し時間が経ち、気分が大分落ち着いてきたときサリアは僕の名を呼び、そしてこう言った。
「ねえ、さっきあたしにあなたのことをどう思ってるか聞いたわよね?」
「うん」
 それがどうしたのだろうか?
 そう思いながらも僕はただ首を縦に振るだけにしておいた。
「その…だから……あたしのことどう思ってるのかなって」
 ああ、そういうことか。
 僕は正直に答えようとして…やめた。
 少し彼女のことをからかいたかったのだと思う。
「実はさ、前々から言おうとは思ってたんだけど……僕、サリアのことなんて」
 そこまで言った後僕はサリアの顔を見た。
 ……無表情だった。
 だが目は少し動揺しているように見える。
 ああ、やりすぎたか。
 そう思った。
「嫌いなんかじゃないよ。むしろ好意に値するね」
 僕は笑いながらそう答えた。
 恐らくあんなに笑ったのは最近なかったと思う。
「何で笑うのよ」
「別に、アハハハ」
 そんな風に僕が笑っていたまさにその時、
「魔族だあ! 魔族が来たぞ!」
 そんな声が街の入り口の方角から聞こえてきたのだった。



「今のって……」
 そんなサリアの声が聞こえたが、僕もやはり困惑の色を隠せなかった。
 僕だけはない。
 この街にいる人全てが皆その直後は困惑していたのだ。
 そして、その状態はどこからか聞こえた男の声で崩れることとなる。
「に、逃げろ! 殺されるぞ!」
 その直後その街の人全てが門に向かって走り出した。
 ――その中には当然僕達の姿もあった。



 先頭の集団が門に入ったのを僕が目視で確認したその直後、その方角から悲鳴などが聞こえてきた。
 どうやら僕達は魔族と鉢合わせになったらしかった。
 その時僕は咄嗟に先ほどの僕自身の見解を思い出した。
 この街は篭城には向くが、攻めたり逃げたりする事は難しい。
 この街にいる者なら誰でも知っていそうなものなのだが、やはり実際そうなってみるとここに残るという選択肢など微塵もなかったのだろう。
 恐らく先ほど逃げろ、と言ったのは僕の同業者だ。
 それも戦闘には向かない、単なる好奇心でのみ旅を続ける輩。
 それも悪くはない。
 そして、あの状況で固まった皆を逃げさせる行動自体も悪くはない。
 だが問題だったのはその場所が篭城向きの街だった、ということだ。
 恐らく、魔族はもう入り口付近にいて、出てくる人を攻撃しているのだろう。
 彼らは武器なり魔法なりで手当たり次第に攻撃し僕達人間は次々に死んでいく。
 中には腕に自身のある人などもいるだろうが、それでも数の問題で結局無意味に終わる。
 僕も腕には自身はあるが、今この状況ではただ逃げることしか頭になかった。
「これって、かなりまずいんじゃ…」
 サリアもこの状況の深刻さを察したのか顔が青ざめていた。
 そんな彼女を見て、僕が彼女だけでも守りきるしかないと改めて感じさせられた。
 だからこそ僕は何とかサリアを元気付けようと声をかけたのだ。
「大丈夫。サリアのことは僕が守るから……大丈夫だよ」
 実際僕1人なら逃げるにしろ戦うにしろ些細なことだ。
 だがこの場にはサリアがいる。
 僕の知らない他人を守れとでも言われれば多少無理が利くのかもしれないが、ある程度顔を見知った関係である場合それは無理な話だ。
 僕はサリアの手を引っ張りながらうまく人混みを避けていった。
 ある程度進むと所々で倒れている人がいた。
 恐らく逃げている途中で攻撃されたのだろう。
 周囲の壁や地面はそんな彼らの血で赤に染まっていた。
 しかし、だからといって僕はその場を立ち止まることが出来なかった。
 今止まったらその時待っているのは死であり、生ではない。
 この世界で生きていくうえで最も重要なことは、他人を守ることではない。
 自分と、大切な人を守ることを優先しなければならないのだ。
 少なくとも僕はそれまでは、そういう風に思っていたしそれが間違っているとは思わなかった。
 ――死んで英雄になるより、生きてただの一般人になったほうが良い。
 それが僕の持論だ。
 だからこそ僕はそれを実践する。
「倒れてる人が…いっぱいいるよ。ねえ?」
 サリアはそう言って僕の方を見た。
多分彼女は彼らを助けることを僕に期待しているのだろう。
だけど今の僕にそれが不可能であることを説明する余裕なんてなかった。
 だから、
「今は自分の命だけを考えるんだ! とにかく生き残ることだけをだ!」
 そう言っておいた。
 そう、戦場では優しさは邪魔な感情となる。
 戦場で必要なのはそんなものではなく、負の感情。
 人間、そして魔族が普段はひたすら隠し続けているパンドラの箱だ。
 ひたすら門を目指して走り続けた僕達だが、ようやく外の森が目視できるような場所まで到達した。
 ここからならあそこまで走って15分ほど。
 サリアでも3分遅れ程度でつけるだろう。
 だがそれはここからあそこまで何もなかったらの話だ。
 森まで逃げ切ればあとはどうにでもなれる。
 だが、そこまで行くには魔族たちと対峙しなければならないのだ。
 そして彼らの攻撃をサリアが防ぐ事は不可能。
 つまりは僕が辺りにいる魔族を手当たり次第に戦闘不能にしなければならないのだ。
 僕は隠れられそうな場所を探し、そして魔族側からは見えなそうな所を発見した。
 僕はそこにサリアを連れて隠れ、それから辺りを見渡した。
 門を少し抜けた場所には矢が頭に何本も刺さった中年の男性。
 更に進んだ場所にはもはや生前はどんな姿だったのかさえ分からないほどに焼け焦げた死体があった。
 ここは死者の溢れる場所だった。
 少しでも油断するものなら僕達も彼らのようになりかねない。
 だからこそ僕は一度呼吸を整えた。
 そしてサリアの方を見る。
「…僕が囮になるよ。だからその間にサリアは奥の森に逃げてそこで隠れているんだ」
 サリアはその言葉が予想外だったのか、怒気が含まれた口調でこう言った。
「何言ってるのよ! あたしに1人で生き延びろっていうの? そんなの嫌よ、絶対嫌!」
 そんな彼女の言葉。
 自分のために犠牲にはなるな、という彼女の言葉。
 僕はその言葉を心に刻み、そして微笑んだ。
「大丈夫だよ。僕は必ず森に行く。死にに行くんじゃない。生きるために僕は囮になるんだ」
「……」
 サリアはしばらくの間黙り込んでいた。
 そして彼女は僕に、
「絶対死なないでね」
 と言った。
 だから僕も、
「約束するよ」
 そう答えた。
 実際死ぬ気なんてさらさらない。
 僕のあの“呪われた力”を使えば問題なく生き残る事が出来るだろう
 僕は右手をコキコキと鳴らし、そして掌を空に向けた。
 肩程度の高さまで上げて少し集中すると、そこから炎。
 炎はゆらゆらと揺れ、そして僕が集中を切らすと消える。
 今日の調子はそこそこ好調。
 時間稼ぎ程度ならまず死ぬ事はないだろう。
「……先に行きな。サリアを狙う輩は僕が倒す」
「…分かった」
 サリアの表情は真剣そのもの。
 必ず生き延びる。
 そんな決意が感じられた。
 そしてそんな彼女の決意が僕の心にも入り込み、僕の気力もいつも以上に増していた。
 サリアは門の近くまで行き、そして僕の方を見た。
 僕は微笑みかけ、そして彼女も笑った。
「じゃあ、行くよ」
「ああ、いってらっしゃい」
 そうして彼女は門を出て森へと走っていった。
 僕は彼女の周辺を見渡した。
 気配を絶っている連中。
 殺意を剥き出しにして彼女に狙いを定めている連中。
 様々な種類の奴らがいた。
 僕はその間に門を越える。
 今までサリアを狙っていた魔族たちは僕の存在に気づくがどうやらお構いなしだったようだ。
 そのままサリアに狙いを定め、そしてその中の1人がサリア目掛けて走り出した。
 一般的な剣で、リーチも接近戦用にしてはそこそこ。
 だが……
 次の瞬間、その魔族は紅蓮の炎に襲われていた。
 声を上げられずそのまま倒れ付す魔族。
 僕はニヤリと笑う。
 魔族側の雰囲気が少し変わったのが僕にも分かった。
 彼らはサリアをターゲットから除外し、全てが僕に集中し始める。
 OK、それでいい。
 ほとんどの魔族の視線を集めている僕は、ポツリとこう呟いた。
「これから僕の力を見てしまうことを……後悔するといい」



 僕が森に到着したころ、丁度雨が降り始めた。
 視界が少し遮られるものの、僕はそのまま気にせずに森を歩く。
 敵はあらかた片付けた。
 もう僕を追ってくるような奴はいないと思う。
 先ほどの戦闘で火照った僕の体は雨のおかげで少しずつもとの状態に戻っていく。
 そして数分間彼女を捜していた僕はようやく彼女の姿を見つけることが出来た。
 サリアは僕の方を向いて、ただ笑っていた。
 僕は走って彼女の方に向かう。
 ――その時も彼女は笑っていた。
 彼女との距離まであと数歩といったところで僕は少しサリアの様子がおかしいということに気が付いた。
 先ほどから彼女は何も語りかけてはこなかった。
「サリア?」
 僕がそう呼びかけると、彼女は僕の方に倒れこんだ。
「え?」
 僕はそのまま彼女を抱きかかえる形になった。
 そしてその次の瞬間、僕はとあることに気づき驚きを隠せなくなっていた。
 あの時の驚きはいつまでも色褪せることなく僕の心に刻まれている。
 ――彼女の背中には金の矢が刺さっていた。



 雨が降っている中、僕は彼女の事を抱きかかえていた。
 彼女の背中には金色の矢。
 そこの部分からの出血が雨水と交わり、少しずつ地面に流れていく。
 僕は彼女の傷の具合などから、理性ではもう助からないと判断していた。
 それなのに僕の心はそれを必死に否定しようとする。
 何故諦めるのだ?
 諦める必要など無い。
 何故なら彼女はすぐに元気になってくれるのだから。
 ……そんな苦しい理論で自分を納得させると、僕は彼女をより強く抱きかかえた。
 とその時、彼女は何か話そうとして口をぱくぱくさせた。
 だが彼女の声は僕の耳には入ってこない。
 彼女の口から出てくるのは言葉ではなく、単なる空気の流れだった。
 それでも一生懸命何かを伝えようとする彼女を見て僕の心が痛む。
 彼女は最後の力を振り絞って僕に何かを伝えようとしているのだ。
 そして空気の流れは、ついに声となり僕の耳に届く。
「……最後に…あなたと一緒にいられて本当によかった」
 その言葉は僕に涙を流させるのには十分すぎる言葉だった。
 僕はそれを拭こうとはせずにこう言った。
「な、何言ってるんだよ。どうして最後なのさ? 僕は、僕はまだ旅を続けたいのに…」
 その言葉を聞いて彼女は少しだけ表情を変えた。
 もはや表情を変えることすら儘ならないのだ。
そう考えると僕は胸が苦しくなる。
自分の無力さに腹が立つ。
 だが彼女はその残り少ない力で笑みを浮かべる。
 そんな時僕は久しぶりに故郷に戻ったあの時のことを思い出した。


 あの日、帰って来た僕は彼女にこう尋ねたのだった。
「何て呼べばいいのかな? 僕ももう18になったわけだし」
 すると彼女は、
「別に以前と変わらなくてもいいけど、そうねえ……別に呼び捨てでも構わないわよ」
 そう答えた。
「そっか。それじゃあ……サリア?」
 そう言うと彼女は僕に向かって微笑んだのだった。


 それから僕は彼女の事を呼び捨てで呼んでいた。
 だが今この時だけは以前のように呼ぶべきだと、僕の理性が訴えた。
 だからこそ、僕は……
「サリア……姉さん。姉さん…ねえ!」
 すると彼女はそれに答えようと更に口を動かした。
「ディ…ディクト。…ずっと……ずっと一緒だよ」
 そう言って彼女の腕がぶらんと下がった。
 僕は涙を止めることが出来ず、ただずっと…ずっと彼女を抱きしめていた。
 ずっと一緒だよ。
 それが…僕の姉、サリア=ヴィルヘルムの最後の言葉だった。



「俺は姉さんの事を守る事が出来なかった」
 彼女は俺のことをただじっと見つめていた。
「どう思う? 大切な人を守れなかった力が、本当にすごい力だと思うか?」
「……」
 彼女はずっと黙り込み、何かを考えているようだった。
 そして……、
「わたしはそれでもあなたの力はすごいと思います。確かに大切な人を守る事は出来なかったのかもしれない。けどあなたはそれでわたしの事を助けてくれました」
 静かにそう答えた。
「……そうか」
 俺はふと空を見上げた。
 自然の青が全てを覆いつくすこの世界。
 俺の心とは裏腹に世界は見事に澄んでいるようだった。
「この話…少しだけ続きがある。まあたいしたことではないんだが…聞くか?」
 そう尋ねると彼女は、
「はい」
 再びそう答えた。



「姉さん……姉さん!」
 僕はただひたすら姉さんのことを呼び続けていた。
 涙も枯れ、もう目からは何も出てこない。
 それでも僕は姉さんの死を認められずにいたのだった。
「どうかなさいましたか?」
 そんな時、僕はすぐ側に人がいたということに気づいた。
 その人は女性で僕の目と僕の腕に抱かれている“かつて姉さんだったもの”を見て何があったのかを察したようだった。
「そうですか。あなたも大切な人を失ってしまわれたのですね」
 第三者に言われて、僕はああ彼女はやはり居ないのだということを認めなければならないと感じた。
「僕のほかにもやはり犠牲者はいたんですか?」
「ええ、魔族の攻撃はなかなかやみませんでしたから」
 いつのまにか開いていた姉さんの目をゆっくりと閉じ、彼女を地面に横たえる。
 それから彼女の方を向き話を続けた。
「ところであなたは一体?」
 僕のその問いに彼女は、
「旅の者です。本業はシスターですけどね」
「ああ、なるほど」
 僕は彼女の言葉とその風貌、そして聖職者特有の雰囲気のようなもので納得した。
 それに加えて彼女にはまるで聖母のような、全てを包み込んでくれるようなそんな暖かさも持っているように思えた。
「……僕はこれからどうしたらいいんでしょうか?」
 だからなのかもしれない。
 僕が他人にそんなことを尋ねてしまったのは。
 そんなことを言っても、言われた側が困るだけだ。
 そう思っていた僕であったが、肝心の彼女の方は予想に反してすぐに言葉を返してきた。
「あなたのやりたいようにしなさい。それがどんなことであろうと神は何も咎めません」
 後になって考えてみれば、それは恐らくマニュアルに近いお約束な台詞であったのだ。
 だがその時の僕にはそこまで考える余裕もなく、またその言葉に深く感銘を覚えていたのだった。
「神はあなたを…全ての人を祝福します。これからどうするのか、どうしたいのかもゆっくり考えなさい。時間はたくさんあります」
「はい…」
 僕は彼女に丁寧に礼をし、彼女もまた僕に丁寧にお辞儀をした。
「あなたのお姉さんは……あなたのような弟さんに慕われてとても幸せだったのでしょうね」
「分かりません。けど……そうであることを信じたいですね」
「そうですね。ところで、彼女はわたしが預かってもよろしいでしょうか?」
「え?」
「仮にもわたしは聖職者です。わたしは彼女や、他の犠牲者達の魂を助けたいのです」
 そこまで聞いて僕は、なるほどと思った。
 確かに僕なんかが姉さんを預かっても何も出来ないだろう。
 だったら専門家である彼女に預けてしまった方が姉さんとしても幸せなのかもしれない。
 そう思った。
「分かりました。それでは、姉をよろしくお願いします」
「ええ、分かりました」
「それでは」
 そう言って僕は街の方に向かって歩き始めた。
 しばらく進んだところで僕は一度振り返った。
 その時にはもう彼女は姿を消していて、それに伴い姉さんもいなかった。



「どうだ? つまらない話だったろ」
 俺がそう言うと彼女は静かに首を横に振った。
「そんなことないです。わたしは……」
「気休めならよしてくれ。それだったら何も言われない方がマシだ」
「……そうですか」
「気を使ってくれるのはうれしい。けど俺は……」
「分かりました・・・もうわたしにできる事は何もないようですね」
 そう言って彼女は後ろを向いた。
「行くのか?」
「ええ、だけど一つだけいいですか?」
「……何だ?」
「今のご時勢です。あなたのような人はたくさんいます。その中には生に絶望したりする人もたくさんいます。だけど……あなたはそうでないとわたしは信じます」
 そう言って彼女は前へと足を踏み出した。
 まだ病み上がりなのかゆっくりと、しかし確実に足を進める彼女。
(あなたはそうでない……か)
 その言葉は俺の心に見事に突き刺さっていた。
 この感じは多分嘘を見抜かれた時に感じるようなそんな感覚だと思う。
 俺はもはや彼女を凝視する事が出来なかった。
 当たり前だ。
 何故なら、俺は……
(……何だ?)
 どこからか殺気を感じた。
 そのターゲットは俺ではない。
 もっと街から外側の方だ。
(まさか!)
 突然爆発音が聞こえた。
 ピンポイントに現れた爆炎。
 そう、そこは確かに彼女の居た場所だった。
(迂闊だったな)
 大変なことを忘れていた。
 ここは街の周辺。
 当然ながら“奴”がいるのも不思議ではないのだ。
「おやおや、一体どうしたんですかディクトさん? 魔族を見逃すだなんてあなたらしくありませんよ」
 身震いするようなそんな冷たい口調。
 それは俺の同業者のものだった。
「すまないな。少し疲れていたのかもしれない」
 こうとでも言っておかないと次に爆発に巻き込まれるのは俺のほうだ。
 だからこそ、ここは嘘で身を固めてしまう事にした。
「そうですか。まあたまにはそういうこともあるでしょう。」
 彼はそう言って笑った。
 ……そう、俺はまだ彼女に言っていない事が一つだけあった。
 あの日、シスターにあった直後の俺自身に起きた事をだ。
 そのことだけは彼女に、いや魔族には言う事が出来なかったからだ。



 彼女に姉さんを預けた僕は街に向かっていた。
 雨はもう上がり、少しではあったが小鳥の囀りも聞こえてくる。
 今この場所に満ちている音はそれだけだった。
 いつもなら姉さんが何かと話をしてきたのだが今はもうそれはない。
 こんな日常的な場面でも何かと姉さんが浮かび、そして消えていく。
(早く慣れないとな。1人での生活に)
 そう決意したまさにその時、僕は少し離れた場所で誰かが倒れているのを発見した。
 その人は男で血を流して倒れていた。
「だ、大丈夫ですか?」
 そう言って近づいた僕は彼の容態を確かめた。
 どうやら命に別状はないらしい。
 彼は一応話せるのか僕に向かって口を開いた。
「いつもとは違う武器を持っていったせいだろうな。まったくざまあないよ」
 そう言って彼は僕にその武器を見せた。
 分類すれば剣なのであろうが、刀身が長く一般的に普及している剣とは違うように見えた。
「この世界では珍しい武器でな、刀っていうんだ」
 彼のそんな説明に僕は納得するとその武器の柄を握ろうとした。
「だ、駄目だ! それは持ってはいけない」
 突然あたり一面に響いた彼の声。
 それに驚いたのは僕だけではないらしく、いつのまにか鳥の囀りも聞こえなくなっていた。
「この武器に何かあるんですか?」
「ああ、これには言い伝えがあってな持ち主の血を吸う悪魔の武器だと言われているんだ」
 そう言って彼は僕からその刀を奪い、すぐ側に置いた。
「なら、どうしてそんな武器を持ってきたのですか?」
「信じられなかったからだ。以前非戦闘中に持ってみたことがあってな。その時には何も起こらなかったんだ」
「今回は何かが起こったんですか?」
 そう尋ねると彼は首を縦に振った。
「使ったものには分かる。これはまさしく悪魔の剣。これを使える人間などこの世にいるわけがない」
 そう言ってうなだれた彼。
「そうですか。しかしね、あなたは今1つだけ間違ったことを言いましたよ」
「何だ?」
 彼がそう尋ねてくるのを聞いて、僕の心は次第に闇に覆われていくのを感じた。
 しかし僕はそれを塞ごうとはせず、そのまま彼に間違いを指摘した。
「人間じゃなくて魔族でしょ?」
 一瞬彼が硬直したのが分かった。
「どうして分かった?」
「僕はねえ、匂いで分かるんですよ。相手が魔族なのか、人間なのか。すぐに分かりましたよ。あなたが人ではないということに」
 僕がそう言うと、彼は参ったとでもいうような感じで僕に話しかけた。
「それで、俺をどうするつもりだ?」
「1つだけ聞きたい事があります。それを教えてくれれば命まではとりません」
「……何だ?」
 彼にとってそれは非常に魅力的な提案だったのだろう。
 彼がその話に乗ってくるのにはそう時間がかからなかった。
「今日魔族で金色の矢を持った者はいましたか?」
「金? いや、今日の部隊にはそんな矢を持った奴などいないはずだ。間違いない」
 彼はそう言って僕の疑問を否定した。
 その時、僕は初めて生き物の命は決して平等ではないと思えた。
 少なくとも人の命は魔族の命よりも上位にあると思えたのだ。
「……あなたは今決してついてはいけない嘘をついた」
 そう言って彼があれほど止めた刀に手を伸ばす。
「嘘? 何を言ってる、俺は嘘などついてはいないぞ」
「ならば何故僕の姉は金の矢に刺されて死んだ? どうして彼女が死ぬ必要があったんだ!」
「し、知らない。本当だ。俺は何も知らないんだ!」
 僕は刀を両手でゆっくりと上げていった。
 そして一言。
「ならもうあんたに用はない。死ねよ」
 その言葉とともに僕は刀を一気に振り下ろした。
 僕の全体重をかけた一撃は彼の首に当たり、それはゴロンと音を立てて体から離れた。
 ゴロゴロと回る彼の顔。
 その顔は恐怖に引きつっていた。
「こんなに脆いんだ、僕らも…魔族も」
 周知の事実ではあったが僕は改めてそういったことに気づかされたのだった。
 こんなに脆い僕たち。
 僕はただただ笑う事しかできなかった。
「アハハハハ! ハハ……」
 そして僕は物言わぬ死体に向かってこう言った。
「いいか、よく聞け。僕は……いや、俺はお前らにとっての悪魔になってやる。今日から俺は人間達の代弁者。魔族を殺す“復讐者”だ」



 だからこそ俺は彼女に自分の通り名を教えるわけにはいかなかった。
 俺はあまりにも有名になりすぎた。
 それを言えば彼女に衝撃を与えてしまう事は目に見えていたからだ。
「ふむ、どうやら本当に疲れているようですね」
 彼―ゲマ=フェイディアス―は少し心配するような様子で俺の顔を見ていた。
「すまないな、迷惑をかけて」
「いえいえ、いいんですよ。あなたは今まで仕事を休むという事を知りませんからね。疲れてしまうのも無理はありません」
「それはお前もだろう?」
 俺がそういうとゲマもふっと笑みを浮かべた。
 他人から見ればそれも冷笑に見えるだろうが、ある程度監察していれば分かる。
 ……今のは爆笑だ。
 一通り笑った後、ゲマは表情をがらりと変え彼女の方を向いた。
「ふむ、どうやらまだ息があるようですね」
 その台詞に驚いた俺は彼女を凝視した。
 確かに呼吸をしているのが見えた。
「やれやれ、魔族は無駄に魔法の耐性がありますね。1発では死にませんか」
 そう言って彼女に近づくゲマ。
 間違いない。
 こいつは彼女を殺す。
「待て」
 別に彼女が死んだとしても問題はないはずだった。
 だが、今俺は確かにゲマを引き止めた。
 それがどういったことを意味しているのか?
 ゲマも不思議に思ったのか疑問の表情を浮かべた。
「どうかなさいましたか?」
 長い間こいつと一緒にいた俺なら分かる。
 こいつはいくら駄目だと言っても彼女を殺す。
 そしてその直後には俺に牙を剥くことだろう。
 裏切り者に情けはかけない。
 そんな台詞を吐くに違いない。
「そいつは俺が殺す。お前には心配をかけたようだからな。その責任くらいは果たさせてくれ」
 どういう風の吹き回しか? とでも言いたげな様子であったが、それでも納得してくれたようだった。
「分かりました。それでは……ああ、そうそう」
「ん? 何だ?」
「ええ、今日の正午に抜き打ちで魔族がいるかいないかを調べます。皆宿の前辺りで集合です」
「分かった。それじゃあまた正午に会おう」
「ええ、それでは」
 そう言って彼はすっと姿を消した。
 俺には出来ない魔法。
 いわゆるテレポートとでもいう種類のものだ。
 彼の気配が辺りからなくなり、俺は彼女のもとへ向かった。
「……はぁ…はぁ」
 彼女はもう虫の息。
 俺が刀を下ろせばもうそれで終わってしまうだろう。
「……これが俺だ。お前の知っているディクト=ヴィルヘルムの本当の姿だ」
 そう言うと彼女は俺の方を向き、そして首を横に振った。
 先ほどとは打って変わって全ての動きがゆっくりな彼女。
 彼女を治療した時のように、再び姉の死に際の記憶が俺の脳裏をよぎる。
「何故だ? 何故否定するんだ? 俺は……俺はお前らに復讐者と呼ばれて恐れられているんだぞ!」
 何をムキになっているのか?
 語気がしだいに強くなっている事に気づいた。
「……あなたは優しい人。わたしは…そう思っています」
「違う…違う! 俺は悪魔だ。俺は魔族を殺し続けたんだ! 優しいなんて…そんな感情はあの時捨てた!」
「…なら、あなたはどうしてわたしを殺さないのですか?」
 開いた口が塞がらない。
 まさにそんな状態だ。
「そ、それは……」
「……苦しいんですね、あなたは。なら、1つすぐに楽になれる方法がありますよ」
「何だ?」
「簡単なことです。わたしを殺してください。そうすれば葛藤もなくなるでしょう」
 それはまさに悪魔のささやき。
 つまり彼女はこう言っているのだ。
 彼女を、否魔族を今此処で殺せば葛藤もなく、普段どおりの生活即ち復讐者として生きていく事ができる。
 だが…それには1つ問題がある。
 当たり前のことだが、そうするには彼女の命を犠牲にする必要があるのだ。
「……」
「早く、早く殺してください」
 そんな彼女の催促。
 俺はそれに釣られてあの日以来ずっと使い続けてきた例の刀を上に上げた。
 そして、それを振り下ろす。
 ドサッ
 そんな音と共に刀は地面に突き刺さった。
「……」
 俺は刀を地面から抜き、付いた土を飛ばすため適当に振る。
それから鞘に納め、しゃがみこんだ。
 そして彼女に手を添え自分に出来る全ての力を振り絞る。
 精神を統一し、イメージする。
 彼女の傷跡は塞がり、不足した血もすぐに補充される。
 そんなイメージだ。
 そしてそれは数秒後に実際に起こった。
「どうして?」
 そんな彼女の疑問。
「さあな? 俺にもよく分からない」
「けど、それではあなたは…」
「消されるかもな。まあ、それはそれでかまわないさ。俺はこれまでに多くの魔族の血を浴びてきたんだ」
 俺がそう言うと、彼女は悲しげな表情を浮かべこう言った。
「あなたのような人はたくさんいます。もちろん魔族にもあなたのように復讐に命をかける人たちもいます。これはあなただけの問題ではありません」
「俺の問題ではない? それなら、一体誰の問題なんだ?」
 俺は彼女の目を見つめた。
 すると彼女の頬がふっと柔らかくなった。
「今のこの世界ですよ。魔族と人間がいがみ合う。そんなこの世界の問題がこうして表面化しているに過ぎません」
 その時の表情は理想を語るもの特有のものだった。
 そしてそんな彼女の思想に思い当たるものが1つ。
「お前…まさか中立都市の者か?」
 中立都市。
 それは人の領地と魔族の領地の丁度間の辺りにある場所のことだ。
 そこにある都市のいくつかは中立を守っており、どちらも平等であるという思想の元に行動を共にしているらしかった。
「厳密に言えば違います。わたしはそこに行こうとしているだけです。もとは魔族側の者ですよ」
「なら何故お前はここにいるんだ?」
「社会勉強、とでもいうんでしょうかね? 人と魔族の生活の違いが見たかったんです。けど両者にあまり違いはないように思えましたけどね」
「……そうか」
 俺がそう言うと彼女は一度遠くを見つめた。
 どうやら、そろそろ出発したいらしい。
「もう行くのか?」
「ええ。そろそろ行かないと本当にまずそうですから」
 彼女は少し微笑んでそう答えた。
 確かにもうそろそろ先ほどの爆発を見物しにくる輩も現れることだろう。
 素人ならば彼女を魔族と断定は出来ないだろうが、俺やゲマのような輩なら彼女は殺されかねない。
「1ついいか?」
 俺がそう尋ねると彼女は首を縦に振った。
「構いませんよ」
「お前は…どこに行くんだ?」
 その問いに彼女は笑顔でこう答えた。
「中立都市の1つ……アクロス…“眠れる魔女の街”とでも言えば分かりますか?」
「そうか」
 眠れる魔女の街。
 それは中立都市、すなわち平等主義者の中でも特に過激な連中“眠れる魔女の一団”が拠点としている街だ。
「お前はあれに所属するつもりなのか?」
「ええ、世の中は穏便に済ませようとしてもうまくはいかないものだと思っていますから。それでは、わたしはここで」
「…元気でな」
 そう言って俺は彼女に背を向けた。
 後ろの方で彼女が俺にお辞儀しているのが分かった。



 1人になった俺は今住んでいる街、通称“プロテクターズカントリー”に向かい歩いていた。
 ちなみにこの名は俺が守人として住むようになってから付けられたものだ。
 もしも俺がこの街からいなくなるとしたら、この街の名は変わってしまうのだろうか?
 そこまで考えて、俺は思考を中断させる事にした。
 この街の行く末を俺が案じる事などまったくをもって無駄な事だ。
 空を見上げてみた。
 そこにあるのは先ほどと変わらない澄んだ青空。
 この果てしなく青い大空の下、俺は何をしようか迷っている。
 俺は今暗闇の中微かな光を目安に本当の光を捜し求めているのだ。
 それはいつ見つかるのか?
 そしてその後俺はどういう運命をたどるのか?
 検討も付かないが、少なくとも街の行く末を案じるよりは有意義であると思えた。


 門まであと数分というところに俺は2人組の男女が街に向かっているのを発見した。
 年は昔の俺と同じくらい。
 男は服装からして魔法使い、女は……恐らくただの一般人だろう。
 その様子が俺の目に焼きついた。
「……まるで昔を見ているようだ」
 数年前のあの時のこと。
 サリア姉さんと一緒に旅をしていた時の事。
 彼らはあの時の俺達と同じように思えた。
「少し…話でもしてみるかな」
 俺は彼らの元まで歩いていく。
 そしてそれが、俺とミル=フライアの最初の出会いとなる。






                        あとがき
 最近、1缶では酔わなくなりました
 どうも、ミストです。
 今回の主役は前回のラスト周辺のネヴァと謎の男との会話で一度だけ出てきた復讐者ことディクト=ヴィルヘルムです。
 ファンタジーなのに武器が刀だったり、お姉さんがいたりと非常に俺好みのキャラに仕上げておりますがそれはご了承ください。
 さて、この話の主な目的としては赤の他人から見たミル像と、読者騙しです。
 はじめにえ? サリア死んじゃうの? などと思わせて、途中でミルじゃねえじゃん!
 そんな感じにしたかったんです。
 まあそれだけだと何だか個人的に嫌だったので、ディクトの葛藤などいろいろと盛り込んでみましたが、騙された〜と思った方々。いてくれると本当に嬉しいですw
 次回も主役はディクトで後編に移ります。
 大分かかるかもしれませんが、それまでのんびりとお待ちください。
 それでは!



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