黒子魔道士
ミストフェンリル

果てしなく…(後編)



 少し迷ったものの俺は結局2人の旅人に話しかけることにした。
 女はいきなり他人に話しかけられた時点で少し引いていた。
 多分彼女は旅の経験があまりないのだろう。
 そして男の方はそれとは対照的に優しげな笑みを浮かべながら俺に話しかけてきた。
 このことから2人は玄人と素人のコンビであることが分かった。
 そしてある程度話してみて男のことが少しだけ分かってきた。
 彼の笑みは恐らく偽りのものであり、本心は別のところにある。
 これ自体は昔の俺もそのようなものであったからごくごくありふれた事であると思う。
 だが問題は彼の本心がまったく読めないということだ。
 普通の人間ならある程度何を考えているかは分かるものなのだが、彼からはまったく読み取れない。
 彼には何か宿命のようなものがあるのか、もしくはもともとそういう人間なのか。
 そして何かがあったとしてそれが一体何なのか?
 いくら俺でもそこまでは知る由はなかった。
「ところで、この街は初めてか?」
 俺がそう聞くと、男がう〜んと唸った。
「僕はそうでもないですけど、彼女はそうですね」
「そうか。だったら別に道案内はいらないな」
「そうですね」
 男はすまなそうな顔をしてそう言った。
「いや、少々おせっかいが過ぎたんだ。君は悪くない。けど……」
「けど?」
「名前くらいは教えてもらえないか? 俺はディクト=ヴィルヘルム。この街の“復讐者”とでもいえば分かるか?」
 それを聞き、男は初めて表情を驚きに変え、そして女はポカンとしていた。
 女は小声で男に話しかけていた。
 よくは聞き取れなかったが、恐らく復讐者とは何か? とでも聞いているのだろう。
 男もまた女に小声で言葉を返し、そしてその直後女はやはりポカンとしていた。
「それじゃああなたはこの街の有名人なんですか?」
「まあ、有名といえば有名だが」
「そうなんですかぁ、すごいねミル。最近あたし達有名人ばかりに会ってるね」
「うん、そうだね」
 まあ、なんだかんだで2人にもいろいろとあったらしい。
 そして間接的にだが男の名前はミルであることが分かった。
「そうか、ミルっていうのか」
「ええ、僕の名前はミル=フライア。そして彼女が…」
「サリア。サリア=リプサリスです」
 俺の中の時が一瞬止まる。
 だがそれは彼女の名前が同じであるからではない。
 彼女は…いや、2人はあの時の俺達に似ているのだ。
 ミルが旅に慣れていて、サリアがまったくの素人であるという点までもがだ。
 まったく同じではない。
 少なくともミルはあきらかに年上な俺と同等かそれ以上に精神年齢は上なようだし、サリアも頭は切れそうだ。
 だからなのかもしれない。
 この街にいるときくらいは俺も2人に手を貸そう。
 そう思った。
「ディクトさん?」
「ん、ああ悪いな。少し考え込んでしまったようだ」
「いえ、そろそろ宿を取らないとまずい時間帯なので行きますね」
「ああ、それじゃあな。そのうちまた会ったらよろしくな」
「分かりました。さあ行こう、サリア」
「うん、ディクトさん、また会いましょうね」
 そう言って2人は街の方に歩いていった。
「……また会いましょうね、か」
 その言葉を同じ名前のあの人に言ってもらえたなら。
「…ダメだな、俺は」
これはもはやいつものことだ。
 こうして不意に姉さんのことを思い出しては自分に苛立つ。
 全てを吹っ切って復讐者になったのに、結局俺は何も忘れられなかった。
「そういえば、昼に召集がかかっていたんだったな」
 つい最近まで―というよりは魔族の彼女と話したときまでなのだが―は感じなかったものの、今では姉さんを失う以前と同様人も魔族も平等だと思ってしまっている。
 それでも俺は今日魔族を殺すのか。
「…どうすればいい? 俺は、俺は何をすればいいんだ?」
 誰に言うでもなく問うた。
 ……無論、返事は返ってこなかった。



 若干昼よりも前の時間帯だったので宿の周辺をうろうろとしていた俺だったのだが、その途中サリアを見かけた。
 彼女も俺に気がついたようで、こちらに向かって歩いてくる。
「ディクトさん。何をしているんですか?」
「いや、もうすぐ近くに集まらなければならなくてな。時間をつぶしているんだ。サリアは?」
 そう尋ねると、サリアは苛立ちを隠せないといったような表情を浮かべこう答えた。
「ミルなら宿を取ってからすぐにいなくなっちゃいましたよ。おかげでこうしてあたしが1人で街を歩き回る羽目になったんですよ!」
「……大変だな、お前」
 そう言うと彼女も苦笑した。
「俺が道案内をしてやりたいところなんだが、これから用事があってな。悪いな」
「いいんですよ別に。こうして1人で居るとなんだかいつにも増して旅をしているっていう気になれますから」
 そう言って笑う彼女を見て、俺は姉さんにはまったくそういったことをさせていいなかったことに気が付いた。
 俺達と2人は似ていると思っていたが、どうやらリードする立場の人間の出来がまったく違うようだ。
 そう思うと2人はうまくいくように思えた。
「なんだぁ? ありゃあ、復讐者様じゃねえかよ」
 と、その時そんな声が辺りに響いた。
 サリアはその方を向いたようだが、俺はあえてそれはしなかった。
 その声が誰のものなのか知っていたからだ。
「ロディ、そういう言い方は良くないんじゃない? 復讐者様もデート中みたいだしね」
「へ、お前も随分嫌味ったらしいぜエル」
 ロディとエルはそう言い合って笑いながら俺を見ていた。
「ディクトさん? あの人達は?」
「目をあわせるな。あいつらのことは俺に任せておけ」
 俺はそう言うと2人の方を向いた。
「何の用だ、お前ら?」
「ああ、ディクトさん。気づいていたんですね。そろそろ召集です。女性といるのはいいですけど、それは忘れないで下さいね」
「そうだぜディクト。時間に遅れたら…殺すぜ、マジで。俺は早く狩りがしたいんだからな、アハハハ!」
 そう言って笑うロディにサリアは少し嫌悪感を覚えたようだった。
 このまま放っておくと彼女に申し訳が立たないので、俺はさっさと2人を追い払う事にした。
「分かった。すぐに行くからゲマにもそう伝えてくれ」
「あいよ。じゃあな、女にかまけて魔族に殺される事がないようにな」
 最後にそう言い捨てて2人は宿の方に向かっていった。
 彼らの姿が見えなくなった後、サリアは不満を俺にぶつけてきた。
「何なんですか、あの2人は? ディクトさんのことを馬鹿にして」
「悪いな、あいつらは俺の同職の連れなんだ。口は悪いが腕は立つ」
「だからってあんな人達にこの街を任せていいんですか?」
「あんな奴らに任せなければならないほど今世の中は悪くなっているってことさ」
 俺がそう言うと彼女はすっかりと黙り込んでしまった。
 しばらくの間、そうしているとふと彼女の口が開いた。
「ひどい世の中ですよね。戦争があって、人種差別もあって…」
 そんな彼女の言葉。
 それは俺の姉と似たような思想。
 他人に言おうものならまず間違いなく殺されるであろう考えだ。
 彼女はそれを復讐者である俺にした。
 何故、そんなことをしたのだろうか?
 少し考えてみたものの、すぐに答えは見つかった。
 恐らく彼女は俺のことを信用しきっている。
 俺が他人にもらすような、そんな性格の持ち主ではない。
 そう思っているのだ。
「……俺は立場上何も言えない。だがこの世界に異常が起こっているのは事実だ。それじゃあ、俺はもう行くよ」
「ええ、それでは」
 そうして俺達は別れを告げた。
 彼女には嫌な思いをさせてしまったのかもしれないが、俺自身は胸のつかえが取れたような、そんな感覚があった。
「久しぶりに純粋な人間と話が出来たから…なのか?」
 よくは分からなかったが恐らくそうだろうと思った。



 集合場所に着くと、もう全員集まっていた。
「ん、悪いな。少し遅れたみたいだ」
「いえ、ディクトさんは時間通りです。ただ…」
 ゲマがその続きを言おうとした時、エルが割り込んできた。
「早く殺しがしたいのですよ、ディクトさん。そのために時間よりも早く来てるというわけです」
「…そうか。それで今日はどこに行くんだ?」
「今日は東地区に行きます」
「東地区?」
 俺はその単語に妙な引っ掛かりを感じた。
 確かあそこは……
「ええ、あそこはスラム。この街とは同じでありまた違う所」
 そう、あそこは名目上は同じ街として扱われているが実際はここはここ、スラムはスラムでそれぞれ別の自治体のもと活動をしている。
「いいのか? 俺らが勝手に入っても」
「もうスラム以外に探す場所がないんですよ。それにこのメンバーにはあそこ出身の者もいますし大丈夫でしょう。最悪の場合は屁理屈でどうにでも」
「……そうか、分かった」
 俺がそう言うと、ロディがゲマを急かし始めた。
「なあ、ゲマ。さっさと行こうぜ。早くいかねえと街の奴らを殺しちまう勢いだ」
「はいはい、分かりましたよ。それでは行きましょうか」
 その言葉の直後、その場にいた者の内4分の1ほどが姿を消した。
「まったく、せっかちな方々ですねぇディクトさん」
 そんな言葉に俺は、
「…そうだな」
 こう返す事しか出来なかった。



 そして俺は今こうして魔族が殺されていく様を離れた所から見ている。
 ロディが突っ込み、それに伴って現れた魔族をエルが弓で倒す。
 そして最後に残った者の後ろにゲマがテレポートで現れ心臓に剣を突き刺す。
 たったそれだけだった。
 それだけで魔族は皆死に奴らは喜ぶ。
 そしてその中に前までは俺もいたのだ。
俺は……このままでいいのだろうか?
 そう思いふと辺りを見渡したその時、
「ん?」
 一瞬人影が見えた。
 俺の視線に気づきすぐに消えたが確かにそこに何者かが潜んでいたのだ。
「誰か…いるのか?」
 とりあえずゲマ達に気づかれぬよう人影を追ってみることにしたのだった。



 人影のいた方向を進んでみると突き当たりに人の気配を感じた。
 否、人ではない。
 それは魔族のものだった。
 それも1人ではない。
 複数の気配が感じ取れた。
「まさか、こんなところにもいたとはな」
 俺がそう言うと、1人が口を開いた。
「どうするつもりだ? いや、聞くまでもないか。殺すつもりなんだろ?」
「さあな? だが1つだけ聞かせて欲しい」
「……何だ?」
「何故お前らはここにいる? こんな所に居てはいつかばれると気づくはずだ。何故すぐにこの街から出て行かなかった?」
 それには先ほどまで話していた者とか違うやつが答えた。
「何を言っているんだ? 出て行こうとしても周辺で見つかれば殺す。今までにそういった輩がどれほどいたと思っているんだ?」
 ……初耳だった。
 中にいる魔族はともかく、外に出た魔族は逃げ切れたものだと思っていた。
 恐らく…いや間違いないだろう。
 それをやったのはゲマ達だ。
「……そういうことか」
 だがそれを知ったからといってどうすればいいのだろうか?
 もう俺は魔族を殺す気にはなれなかった。
 だが、ここで俺が殺さなくてもやつらが殺す。
 そして俺が彼らを逃がそうとしても恐らくすぐにバレて彼らは殺され、俺もまた命を奪われるだろう。
「お前ら……機会があればこの街からすぐに出て行くのか?」
「ああ、やつらが手を出さなければ俺達はすぐにでも出て行く。だがどうしてそんなことを聞くんだ?」
「それは……」
 俺が返答に困ったその時、
「彼はあなた方を助けたいと思っているからですよ」
 ふと、そんな声が聞こえた。
 そしてその声には聞き覚えがあった。
「ミル?」
「ディクトさん。復讐者らしくないですね。迷いが見えますよ」
「復讐者? こいつが」
「ええそうですよ。彼が復讐者です。ですが、今は1人の人間としてあなた方を助けたいと思っている。今の葛藤はそうした本心と復讐者としての義務感によって生じているのでしょう?」
 こいつは…そう思った。
 ミルは俺のこと、いや万物の理を知っているのだろうか?
 全ての側面から事実を見て、そして自分の中で最も正しいと思える選択をする。
 俺には彼が神のように思えた。
「ミル、俺はどうすればいい?」
 そう尋ねると、彼は笑みを浮かべた。
 それは始めたあったときのものとは違い、彼自身の持つ本物の笑みだった。
「とりあえず、彼らのことは僕に任せておいてください。ディクトさんは……そうですねぇ、夕方にでも宿に来てください」
 彼の提案。
 それを受け入れる言葉が喉まで届いたその時、俺はミルの事を信じきっていることに気づいた。
 今日出会ったばかりの彼を信じきってしまっている俺。
 先ほど彼は神のようだと思っていたのだが、もしかしたらそれが原因なのかもしれない。
 いや、違う。
 その時、俺の頭にはその考えとは正反対の考えが浮かび上がってきた。
 ミルは人だ。
 そして彼は年の割に俺よりもたくさんの経験を積んでいる。
 肉体年齢ならば俺の方が幾分上だが、精神年齢に限って言えば俺よりも数倍大人だ。
 だからだろう。
 人間的にかなりの器を持っているからこそ、俺は彼に身を委ねようとしているのだ。
 そう思うと、彼に一層興味が沸いてきた。
 後になって思えばそれが初めて、似た環境による興味から彼自身の興味に変わった瞬間だったのかもしれない。
 だから俺は、
「分かった」
 そう答えて、ゲマ達のいる場所に戻っていったのだった。



「どうかしたのですかディクトさん? そんな場所を捜すなんて…」
「ああ、人影が見えてな。怪しかったから進んでみたんだが…魔族ではなかった」
 嘘は少し真実を入れると最もらしくなる。
 そんな話を良く聞くからここではそれを実践してみた。
「なるほど、そうでしたか。しかし…もうこの辺りに魔族はいないのかもしれませんね」
 ゲマはそう言った後ロディとエルの方を向いた。
「2人はとりあえず一回りして本当に魔族がいないかどうか確認してきてください。分かりましたね?」
「ああ、分かった。それじゃ早速行ってくるぜ。ほら、行くぞエル!」
「分かってますよ。それでは」
 そう言って2人は姿を消した。
「ふぅ、あの2人の戦闘狂ぶりには参りますよ」
 そう言って笑うゲマを見ても、俺はもう彼らに笑う事が出来なくなっていた。
「……そうだな。さて、そろそろ行くよ」
「ご一緒しますよ」
「いや…まだ調子が戻らないらしい。考え事もあるし、今日は1人で帰る」
「分かりした。それでは」
 そんなゲマの言葉で後ろを向く俺。
 そしてその時の俺は、ゲマが疑わしい目つきで俺を見ていた…ということには気づいていなかった。



 青空も赤みを帯び、俺はそろそろミルの言葉通り宿に行こうと思った。
 宿に入り、宿主にミルの部屋を聞いていると、背後から聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「はぁ……ミルったら何してるのかしら?」
「サリア?」
「え、あぁ…ディクトさん」
 彼女は一瞬驚いたのか、体をビクッとさせたのだが声の主が俺であることが分かると安堵の表情を浮かべた。
「ミルはまだ帰ってないのか?」
「ええ、その…ミルに何か用ですか?」
 一瞬彼女に今までの経緯を説明しかけたものの、それは止めた。
 ミルは恐らく彼女にスラムでの出来事を話していないであろうし、それを知られたくもないと思っているだろうからだ。
「ああ、ミルにここに来るよう言われたんだ。まあ来てないんだったらのんびり時間をつぶすがな。どうだ、サリアも?」
 聞いてみると彼女も暇であったのかすぐに乗ってきた。
「いいですよ。それじゃあとりあえず部屋に行きますか?」
 彼女の意見に賛成し、案内の元部屋に入った俺は一応部屋を見渡した。
 旅人らしい荷物とらしからぬ荷物。
 どれが誰の荷物であるかがすぐに分かった。
「そっちの荷物がサリアのやつだな?」
「え? どうしてそれを?」
 俺はふっと笑いこう言った。
「簡単な事だ。そちらの荷物には無駄が無く妙に使い込んだあとがある。だがお前の荷物は真新しくさらに妙にかさばっている」
 そんな俺の考えを聞いた彼女は妙に驚いた表情を浮かべた。
「すごいんですね、ディクトさんは」
「俺も昔は旅人だったからな、すぐ分かるさ」
 そう言って俺は今では遠い昔の出来事であり、そして昨日の出来事でもあるようなそんな過去を振り返る。
 もうすぐ死ぬ。
 そんな様子で倒れこんでいる俺の姉。
 そして彼女の口からたれる血。
 真っ赤な血で汚れる草。
 そして彼女の最後の言葉。
「どうしたんですか、ディクトさん?」
「え?」
 心配そうな顔で俺を見るサリアに、俺は自分が長い間思考に捕らわれていたことを悟る。
「ああ、すまない。少し考え事をしていたようだ」
「そうですか。ねえ、ディクトさん」
「何だ?」
 俺は彼女を見つめた。
 その時の彼女の顔は何かに照れているかのようだった。
「あたし、実は好きな人がいるんです」
 そう言って俺に微笑みかける彼女。
 そんな彼女を見て俺はその相手が誰なのかすぐにぴんと来た。
「それで、ずっと告白したいって思ってたんですけど、彼には何か秘密があるみたいなんです」
「……」
「あたしはそれが知りたい。けど今のあたしじゃそれは出来ないんです」
「どうしてだ?」
「もっと踏み込まなければなりませんから、そうしないとあたしは彼に近づくことが出来ないんです」
 そんな彼女の言葉を聞いてから俺は少し考えにふけた。
 彼女の覚悟。
 その覚悟は一体どこからやってきたのだろうか?
 と、その時ドアの前から声が聞こえてきた。
「サリア、ディクトさんがいるのかい?」
 その言葉を聞いた彼女は俺に苦笑した。
「あ、ミルが来ましたね。ディクトさん、さっきの話は…」
「分かってる。ミルには言わない、安心しろ」
 そう言って俺はドアを開けた。



 外に出た時、外は既に日が沈み始めていた。
「もう夕方か」
「そうですね」
 そんな俺の呟きにミルはそう答えた。
 ミルもようやく宿に到着し、話を始めようとした俺だったがそれを止めたのはミルだった。
「ここだとサリアにも聞かれますから」
 サリアに聞こえないよう言った彼の言葉に納得し、俺達は外に出る事にしたのだ。
「彼らはどうした?」
「安心してください。無事外に連れて行きました」
「すまないな、俺が至らないばかりに」
 そんな俺の言葉を聞いて、ミルは笑みを浮かべた。
「そんなことないですよ。ディクトさんはこれ以上ないくらい仕事をしています」
 これ以上ないくらいの仕事。
 それは俺の復讐者としての仕事を指しているのだろうか?
「仕事…か」
 そう呟く俺を見て彼は、
「なるほど……そう考えましたか」
 そう言った。
「……違うのか?」
「いえ、ディクトさんがそう思うのならきっとそうなのでしょう」
 ミルはそう言って、笑った。
 だがその笑みは例のごとく冷たい。
 どうやら、本当に俺の復讐者としての働きについて褒めたわけではなさそうだ。
 俺達の間に突如現れた沈黙。
 長い長い沈黙の後、それを破ったのはミルだった。
「ねえディクトさん?」
「何だ?」
「あなたはいつまで迷い続けるのですか?」
「…さあな」
 そう言うとミルは笑みを浮かべた。
 その時の笑みは温かみと冷たさを両方兼ね備えたような、そんな笑みだった。
「一度迷うと人は前に進む事が出来なくなる。誰かの手助けなどがない限りね」
 ミルは一旦笑う事を止め、そしてこう言った。
「そしてそれは僕が決めてはならない問題です。ディクトさん自身でけりをつけなければならない。だから……」
 その後にミルはこう続けた。
「あなたに自由と束縛の風を与えましょう」
 そして、
「あぁ、もうこんな時間だ。そろそろ宿に戻らないと」
「……ああ」
「そうそう、明日の昼にスラムの僕と会った場所に来てください。それでは」
 そう言って彼は宿に帰っていった。
 その後姿を見送りながら俺は先ほどのミルの言葉を考える。
「自由と束縛の風…か」
 それは一体何のことを指しているのだろうか?
 そしてそれによって俺はどうなるのだろうか?
「全ては明日の昼、あの場所で…ということなのか?」
 恐らくはそうなのだろう。
 あえてそう思い込むことにして、俺は帰ることにした。
 ……この時俺はまだ知らなかった。
 ミル=フライアという人間と、今後の俺の運命についてを。



 次の日、昼になったので俺は言われたとおり昨日ミルと再会したあの場所に向かっていた。
 彼の思惑は依然としてよく分からなかったが、行かない訳にもいかず俺はこうして歩いている。
 空は雲で覆いつくされており、少しばかり雨の匂いもした。
「少し、降るかもしれないな」
 太陽の光はほとんどといっていいほどなく、スラム街は昼でも暗い。
「これは…何が起こっても不思議ではないな」
 それは単なる独り言か、それとも未来に対する予感だったのか?
 少なくともこの時の俺はそれを知るすべを持っていなかった。
 そうこうしているうちに待ち合わせ場所に着く。
 だがそこにはミルの姿はなく、代わりに別の者たちの姿があった。
「あれは…ロディとエル?」
 俺は一度彼らの名を呼んでみた。
 しかし反応がない。
「どういうことだ? だがあれは確かに…」
 すっと血の気が引くのを感じた。
 この状況、あの時と似ている。
 そう、俺が姉さんを失ったあの時とだ。
 俺は黙って彼らの元に近づく。
 そして……
「ロディ?」
 俺は彼の体を揺さぶった。
 すると、ポテッとまるで人形のように何かが落ちてきた。
 それは本来なら落ちるはずの無い物。
 俺は恐る恐るロディを見直す。
 下半身、胴体、首……
 ああ、やはり。
 俺は少しくらっとしながらもなんとか冷静さを取り戻そうとした。
 ……ロディには頭がなかった。
 いや、先ほどまではあったのだ。
 ということは…
 俺は先ほどの落ちた物を見た。
 それは丸いとはいえず、少しでこぼこしている。
 そう、それこそがロディの頭だった。
 俺はエルの方を向いた。
 そして今度は彼を揺さぶらずに、彼を凝視した。
 彼もまた息をしておらず、そして彼の首に切れ目が見えた。
 俺は決して死体を見慣れていないわけではない。
 だが、ここまで俺が気づかなかったのには理由がある。
 彼らの周辺には血だまりも腐臭すらもなかった。
 それがどういうことなのか、俺には分かる。
「魔法……か」
 しかし、ここまで手の込んだやり方をするとは……
 これは誰が何のためにやったのか?
 それを少しの間考察していると、
「こんなところで何をやっているのですか、ディクトさん」
 ……寒気がした。
 それは俺がこの場で1番会いたくない者の声だった。
「ゲマ」
 俺がそう言うと、彼は俺の後ろに何かがあるのを発見したようだった。
「それは何です?」
「ロディとエル……の亡骸だ」
 それを伝えるとゲマはかなり驚いたようだった。
 そしてそれを確認したゲマは俺に、
「どうしてこんなことを?」
 と尋ねたのだった。
「…違う、俺じゃない」
「それなら、何故こんな場所にいるのです?」
 ゲマの目が次第に殺意を帯びていく。
 俺はそれを何とか静めようと少し話題を変えた。
「なら、何故お前もこんな場所にいるんだ?」
「呼ばれたんですよ。最近この街に来た旅人にね」
 それを聞いた俺は、その旅人がミルであると直感した。
 そしてようやく俺にはロディとエルを殺した者の正体に気づいた。
「そうか、そういうことだったんだな」
 なら、間違いなくやつはこの近くにいる。
 そして何かが起こるのを待っているのだ。
(あなたに自由と束縛の風を与えましょう)
 そしてその時に起こる事こそ恐らくは例の言葉の実践なのだろう。
 俺は辺りを見渡す。
 どこにも気配はない。
 当たり前だ。
 ロディもエルも俺達の中ではかなりの実力者にはいる。
 それがこうも無残に殺されたとなれば、やつは相当の腕を持っている。
 そこまで考えて俺はとあることに気づいた。
 俺は2人の死を見ても悲しいとは思わず、そしていまだミルのことを慕っている、ということに。
「あなたの目には悲しみが宿っていない。それがあなたが犯人であることの証拠です」
 そんなゲマの言葉。
「それで俺が殺したと思ったのか。なるほど」
 少しずつ気配が増えてきた。
 ゲマの周辺に1人、また1人。
 次第には昨日の面子全員が集まってきていた。
 どうやら奴らはここで問答無用で俺を殺すらしい。
 ゲマはまだ何か言う事があるのか、更に口を開いた。
「あなたを殺す理由はもう1つあるのですよ」
「ほう、それは?」
「あなたがもう既に復讐者ではなくなっているからです」
 ゲマも俺の心境の変化には気づいていたらしい。
 その時彼らの中で少しざわめきが起こった。
「恐らくこの前の魔族の女が絡んでいるのでしょう?」
 さすがに鋭い。
 そう思った俺は正直に答える事にした。
「まあな」
「そうですか、今まで私たちに貢献してくれたことは感謝しています。ですから私たちの全力の力を使って殺してあげましょう」
 そして、ゲマはもう一言。
「さあ、あなたたち。ディクトさ…いや、ディクト=ヴィルヘルムを殺しなさい」
 その言葉の直後、景色が変わった。



「こ、これは?」
 俺は辺りを見渡した。
 亜空間、とでも呼べばいいのであろうか?
 少なくとも現実にこんな風景はない。
 遠くを見れば蜃気楼。
 そして遠くも近くも地面も風景も全て紫で構成されていた。
「これは?」
 ゲマも突然のことに驚いているようで、辺りを見渡していた。
 そして、
「ギャアアアアアア!!」
 突如響き渡る叫び声。
 俺はその声のする方を向いた。
 そこにはゲマの部下の死体があった。
 既に息は無い。
 それどころか下半身と上半身が見事に分かれている。
「一体何が?」
 ゲマが再び辺りを見渡す、と……
「何だお前は!? まさか、お前が…うわああああ!!」
 そんな声が聞こえ、無論その声の持ち主はもう死んでいた。
 そして、今度は別の声。
「まったく、部下の教育がなってないですね。この程度で今まで魔族の攻撃を凌げたのならまさに奇跡ですね」
 その声こそ俺が待ち望んでいた答え。
「ミル」
「ああ、ディクトさん。待たせて済みませんね。それで…どうですか、自由と束縛の風。あなたはどちらに乗るのです?」
 そうだ。
 それこそが俺に課せられた選択。
 ロディとエルを殺したのがミルであると分かったあの瞬間に俺はそれぞれの意味を悟った。
 自由。
 それはゲマ達を倒し、この街を出て行くという答え。
 束縛。
 それはゲマとともに弔い合戦と称してミルを倒し、復讐者として残るという答え。
 そして既に俺の答えは決まっていた。
「悪いな、ミル。俺に力を貸してくれ」
 そしてその言葉にミルは、
「分かりました」
 そう笑顔で答えた。
「それでは僕は雑魚を片付けてきます。ディクトさんはあのゲマという人をお願いします」
「分かった」
「それでは……ああ、そうそう。何人かは殺しますから」
 そう言ってミルは姿を消した。
 俺はゲマの方を向く。
 ゲマは俺を殺意を持った目で睨みつけた。
「ディクトさん。思わぬ障害はありましたが覚悟してください。ここを墓場にしてもらいます」
「……悪いなゲマ。俺はこんなところで死ぬわけにはいかない。どうしても邪魔をするのなら…」
 俺はあの時あの魔族から奪った刀を鞘から抜き、一言。
「覚悟してもらおう」
 その言葉の直後ゲマが姿を消した。
 テレポートだ。
 俺はそう判断すると、後ろに振り向き刀を構えた。
 刀は本来3種類の構えを軸としている。
 中段、最もオーソドックスな構えでそれ故に最も強力であると言われている。
 上段、文字通り刀を上げて戦う構えで相手を攻撃するという点では有効である。
 下段、刀を下げて戦う構えで上段とは正反対の性質を持っている。
 だが、上段と違って刀を振り下ろせない分、こちらの方が上級者向きである。
 他にも特殊なものとして居合いなどもあるのだが、俺は下段を好んで使っていた。
 それは下半身を守り、そして俺の最も得意な戦術を使うのにこの構えが一番適していたからだ。
 ゲマは先ほどまで俺の背後だった場所―つまり今なら真正面なのだが―に現れ持っていた剣で俺を攻撃した。
 俺はそれを刀で防ぐ。
「な!」
 ゲマは驚いたようで俺を見つめた。
 俺はニヤリと笑いこう言った。
「何年間お前のその攻撃を見続けたと思う? お前の軌道なんてもうお見通しなんだよ」
 そう言って俺は魔法の詠唱に入る。
 下段を使う理由はもう1つある。
 それは上段だと両手を使って持たなければ10分程度しか持たないのに対し、下段ならある程度片手が自由になり、魔法の詠唱も難なく行えるからだ。
 俺の得意魔法はゲマと同じ火の魔法。
 そして、俺はゲマに向かい魔法を発射する。
 火はゲマを焼き尽くした…はずだったのだがそこにゲマはいなかった。
 少し離れたところにゲマが現れこう言った。
「何年その魔法を見てきたと思っているのです? 詠唱の時間も魔法の種類もお見通しなんですよ」
 その時、ふと俺の脳裏に過去の映像が移りこんできた。

 あの魔族を殺し、復讐者となってはや1ヶ月。
 ゲマと会ったのはその時だった。
 魔族の攻撃から街を守りきったものの、1人では全ての人を守れるわけがなく、両親を失った子供がいた。
 そう、それこそがゲマだった。
 ゲマは俺に向かってこう言った。
「復讐者なんて信用できない。だから僕は復讐者よりも強くなって街を守るんだ」
 ゲマは素人だったが才能はあったらしく主に魔法の分野でかなりの成長を遂げた。
 俺達はよく模擬戦闘で腕を競い合った。
 その時ゲマが言った言葉、それが……
「いい加減あなたの詠唱の時間も魔法の種類もお見通しなんですよ」

 過去の映像は一瞬で消えた。
「余所見をしている暇はありませんよ!」
 そう言ってゲマは俺に魔法を唱える。
 いつも通りの火の魔法。
 俺は前方に走りそれを避けると、そのままゲマの右手目掛けて斬る。
 もうあと少し、というところでゲマはテレポートを使ってそれを避けた。
 後ろに現れるのは経験上明らかだったが、ここでそれをやっていいものか一瞬ためらいを覚えた。
 恐らくやつは俺の次の反撃の手口も頭に入っている。
 なら、ゲマの知らない攻撃をするべきではないのか?
 そんな考えが俺の脳裏をよぎったのだ。
(このままじゃジリ貧だ。仕方ない)
 俺は覚悟を決め、あえて彼の攻撃を受けた。
「ぐっ!」
 微妙に位置をずらし、なんとか受け流しに成功した俺はそのまま振り返り様に刀を横に振る。
 ゲマは攻撃を当てた直後のため、剣を守りに使うことが出来ず、俺の刀はゲマの首で止まった。
「な、何?」
 まさに刀がゲマの首に届く瞬間、ようやく彼は驚きの声をあげた。
「攻撃をあえて受け、そのまま反撃に転じる。俺が本当に得意なのはカウンター戦術。お前と出会って未だ強いやつらと出会っていなかったからな。お前は知らなかったろう」
 そしてそのまま言葉を続ける。
「これこそが、俺が復讐者と呼ばれた所以だ」
 俺はそう言ってゲマの剣をふっ飛ばし、そして刀を鞘に収めた。
 意外だったのか、ゲマは驚きを隠せないといったような表情で俺を見ていた。
「何故、とどめをささないのです?」
 俺はその質問にこう答えてやった。
「お前は俺と似てる。それが理由だ」
「似てる、それは一体?」
「お前もいつか分かる時がくる。それにな…」
 俺は一瞬言うのを止めると、彼は気になるとでもいうような顔つきで俺を見ていた。
「お前が死んだら、一体誰がこの街を守るんだ?」
「あ……」
「ロディもエルも評判が悪かったのはお前も知っているだろう。それなのにお前はあいつらの死に本気で怒れた。それが何だか俺にとっては眩しくてな」
 ゲマはしばらくの間黙っていた。
 俺はそれに構わず更に言葉を続けた。
「俺から言うのもなんだが、この街を守って欲しい。それが俺の、最後の願いだ」
 そう言って俺は後ろを振り返る。
 ゲマは何も言ってこなかったが、殺気はもう消えうせていた。
「終わりましたか?」
 ミルの声が聞こえたので俺は辺りを見渡す。
 だが彼の姿は見えない。
「ここですよ、ここ!」
 声は後ろから聞こえてきた。
 まったく、いつのまに背後を取ったんだか。
「どうだった?」
「殺しましたよ。4人くらい」
 そう言って彼はその人物を指差した。
 どれも魔族を笑いながら殺すようなそんな輩だった。
「あっちで倒れているのは?」
 俺は死体と正反対の方角で倒れている集団を指差した。
「気絶中ですよ。あまり悪い人達には見えませんでしたから」
「よくそんな区別できたな」
 俺がそう言うとミルは、
「戦ってみれば分かります」
 と言った。
「さて、そろそろ戻りますか?」
「ああ、頼む」
 そう言うとミルは魔法の詠唱を行っていた。
 やはりここを作ったのはミルのようだ。
 恐らくここはミル専用ステージ。
 ミルが自分の力を考慮したうえで、ミルが最も戦いやすい環境である場所なのだ。
 そう考えると彼のあの手馴れた殺しぶりにも納得がいった。
 ふと気づくと再び景色は変わっていた。



「あ〜、疲れましたね」
 ミルはそう言って少し笑った。
「そうだな」
「…何だかまだ迷ってるみたいですね」
 ミルのそんな言葉が俺の心に突き刺さる。
「そうかもな。…ゲマ達も本当は悪い奴じゃないんだ。俺と同じそれぞれの過去がある」
「そうですね」
 ミルの言葉に俺は少し驚いた。
「お前は本当に何でも知ってるんだな」
「何となく分かるんです。分かるでしょう、そんな感覚?」
「…まあな」
 俺が少し上の空だったからだろうか?
 突然ミルが真剣な表情を浮かべ、こう言った。
「……少し後悔していませんか?」
 そのミルの言葉は確かに的を射ている。
 俺はほんの少しだけ復讐者としての生活を懐かしいと思っていたのだ。
「確かにそうだ。あの頃の生活も悪くはなかった。だがな…物足りなさもあったことは事実なんだ」
「物足りなさ?」
「…多分俺は心の底から旅人なんだろうな。定住よりも場所を転々として行った方が好きだったんだ。今気づいた」
 きっと復讐者を辞めたのはそのことも影響しているのだろう。
「なんだか羨ましいですね。僕もそう言えるようになりたいですよ」
「だったら一度定住でもしてみろ。大切なことってのは失われてこそ本当の気持ちに気づくもんだ」
「それはあなたの体験談ですか?」
「そうだな」
 俺は笑いながらそう答えた。
 少しあたりを見渡してみると、ここは街から少し離れた場所―昨日魔族の少女と出会った場所に近い―であることが分かった。
 ミルはゲマ達と俺達をそれぞれ違う場所に転送したらしい。
 彼らの気配もまたなかった。
「さて、そろそろ行こうかな」
「ディクトさん、どこに向かうつもりなんですか?」
「ん? ああ、そうだなぁ」
 俺はしばらく脳をフル回転させてみることにした。
 だが実際行ってみたいと思う場所はなく、次に俺はやりたいことを考えてみることにした。
「う〜む…あ」
 1つ、思い当たることがあった。
「決まったんですか?」
「ああ、決まったよ。北にあるアクロスだ」
 その瞬間ミルの顔が曇ったような気がしなくもなかったが、多分気のせいだろう。
「アクロスって“眠れる魔女の一団”がいるところですよね、どうしてまた?」
「昨日お前と会う直前に魔族の少女を助けたんだ」
「そうなんですか。それで?」
「ああ、それで俺は名を名乗ったんだが、向こうの名前は聞いていなくてな」
 そこまで言ってミルはもういいです、と言った。
「名前を聞くためだけにあそこに行くんですか?」
「ああ。他にやることもないし、いいじゃないか。俺は旅人なんだから」
 そう言うとミルは苦笑しながら、
「なんていうか…青春してますね」
「5年…かな。俺はそれだけの時間をここに費やした。5年前っていったら、俺がお前らの年の頃だ。俺の青春は今しがた再び動き出したのさ」
「そうですか…って、ディクトさんって20代だったんですね」
 思えば、この時の驚きが俺が見た中で一番ミルが驚いていた瞬間だったのかも知れない。
「ああ、そうだが? …まさかお前」
「あ、あははは」
「笑ってごまかそうとしても無駄だ。まったく、お前というやつは…そんな感じでサリアをいじめてるんだろう?」
 俺がそう言うとミルは慌てて否定した。
「いや、さすがにそんなことは冗談でもいいませんよ。……追い詰められたサリアは神様よりも強力ですから」
「何だそれは? 前例でもあるのか?」
「ええ、まあ」
 彼はそう言って苦笑していた。
 何か嫌なことでもあったのだろうか?
 だが恐らくそこには踏み込んでほしくないのだろう。
 そんなことが彼の様子を見ていてよく分かった。
「…そっか。それじゃ、俺はもう行くよ」
「荷物は持っていかないんですか?」
「ん? 最悪動物狩りだな」
 俺がそう言うのを聞いて、ミルは必死にそれを咎めた。
「駄目ですよ、そんなことをしたら。これをあげますから、本当にやめてください」
 そう言ってミルは俺に袋を投げた。
 俺はそれをキャッチして中身を確認する。
「食料? いいのか、こんなに」
「ええ、構いませんよ。ですが借りですよ。いつかまた会ったときに何かお返ししてくれればそれでいいです」
「分かった。それじゃあ達者でなミル」
「ええ、またいつか会いましょう」
 そう言って俺達はそれぞれ逆を向き、離れていく。
 俺は一度振り返って街を見た。
 俺がいなくなっても街は何も変わらない、そんなように感じる。
 いづれ俺は再びあいつらと出会うのだろうか?
 そしてその時あいつらは俺をどのような目で見るのだろう?
 人生は長い。
 だからこそ線はいずれまた交わり、そしてまた離れていく。
「う〜む、少し哲学的になりすぎたかな」
 そうだ、今は哲学なんてどうでもいい。
 願わくば、この街が永遠に幸せであることを。
「頼んだぞ、ゲマ」
 俺はそう言うと、また歩き出した。
 気がつくと、もう後ろを向いても街が見えないところまで来ていた。



 しばらくずっと北目指して歩いていると、俺の目が何かを捉えた。
 7,8人程度の男達と1人の老婆。
 その様子から、談笑している…わけではないことは明白だった。
 おそらく彼らは野党だ。
 確かに婆さんが1人で歩いていればカモだと判断するだろう。
「まったく、世間知らずな婆さんだ。だが……」
 俺はやつらに気づかれぬようこっそりと近づく。
「俺が近くにいた、その幸運に感謝しろ」
 俺は走り出し、婆さんと野党の間にわってはいる。
「何だお前?」
 野党の1人がそう言った。
「暇で暇でしょうがないどこぞのおせっかいだ。それにしてもお前ら…不運だな」
「へ、ヒーロー気取りの男1人で俺らを倒せるわけねえだろ!」
 その言葉でほぼ全員が動いた。
 全ての者の動きは単調で、更に反省するような者は1人もいない。
「はぁ、よっぽど死にたいらしいな」
 そう言って俺は魔法の詠唱にはいる。
 俺は普段は刀を使って肉弾戦をするのだが、魔法も決して苦手ではない。
 特に炎の魔法に関して言えば、並大抵の魔法使いにも負けないと思う。
 俺はイメージを固める。
 どんな者でも耐えられない、地獄の獄炎。
 世界を焼き尽くす灼熱の炎。
 ターゲットは俺に向かってきたやつ全て。
 ターゲットは迷わず俺に接近してくる。
 俺に接触するまで後数秒。
 ちょうどその時、俺の詠唱は終わっていた。
「喰らえ!」
 野党全員に火が襲い掛かる。
 だがその中の1人は魔法に心得があるのか、冷静にこう叫んだ。
「落ち着け、今のは下級魔法だ! 致命傷にはならない」
「ほ、ほんとだ! てめえ、結局は見掛け倒しじゃねえか!」
 その言葉で全員が再び動いた。
 だが、それはもう遅かった。
「所詮お前らは理解できない。魔法はつなげることが出来るんだぜ」
 指をパチンとならす。
 やつらに降りかかった火は次第に勢いを増し、1人ずつ転げまわっていく。
 そしてそこまでいった以上、俺は加減が出来なくなっていた。
「地獄の獄炎を味あわせてやる。さあ……燃え尽きろ!!」
 やがて炎はやつらを灰にした。
「ふん、たいしたことのないやつらだ」
「たいしたもんじゃのう、合格じゃな」
 突然後ろから聞こえた婆さんの声。
「合格? 何の話だ?」
「いや、こっちの話じゃ。感謝しとるよ、ありがとう」
「怪我はないのか、婆さん?」
「ああ、無傷じゃ」
 そう言ってくるくる回る婆さんを見て、それが嘘ではないと分かった。
「…たく、婆さんが1人で旅なんてするから絡まれるんだよ」
「ああ、そうじゃな。反省しとるよ。早く、目的地に向かわなければならなくてな」
「ほぉ、どこに行くつもりなんだ?」
「アクロスじゃよ」
 それを聞いて俺は驚いた。
「ん、どうかしたのか?」
「いや…その、最近はあそこはブームなのかと思ってな」
「なんじゃ、お前もあそこに行くのか?」
「まあな」
 俺がそういうと婆さんはしわ全快とでもいったような顔でニヤニヤと笑い出す。
「こう会ったのも何かの縁じゃ。一緒に行かんか?」
「まあ、別に構わないが…ん、何だこれは?」
 婆さんは俺に何かを渡した。
「わしの荷物じゃ。若いんだからちゃんと持て」
 なんて婆だ。
 とは思ったものの、口には出来なかった。
「婆というな、わしはまだ若いんじゃ」
「…何故、俺の考えていたことが分かる?」
「さてな。ん、お主怪我をしておるな。ちょっと待っておれ」
 そう言って婆さんはゲマに切られたところに手を添えた。
 その時激痛がはしったものの、少しずつ和らいでいく。
「傷が…癒えたのか?」
「ああ、治したぞ。…ところで名前を聞かせてくれんじゃろうか? 呼び名がないとつらくてなぁ」
「俺の名を聞く前の自分の名前を言え」
 その言葉に婆さんはしれっとこう言った。
「まったく、礼儀知らずなやつじゃな。わしは婆さんで構わん、まあ言いたいのならお姉さんでも構わんがの」
 そこまで言い切る婆さんに俺は苦笑した。
「何がおかしい?」
「いや、別に」
「ああ、もう…さっさと名を名乗れ」
 だんだん機嫌の悪くなっていく婆さんを見て、俺はわかったわかったと言い、自分の名を名乗った。
 もう俺は復讐者ではない。
 今、こういうときにそれを実感する。
 その実感を胸で感じた俺は、それを大事にしまいこむ。
 そして、
「俺の名はディクト=ヴィルヘルム。通りすがりのただの旅人だ」
 5年間―果てのないように思われたその期間―ずっと言うことはなかった台詞を俺は婆さんに使った。



あとがき
 ディクト編完結でございます。
 と、いうわけで次回からいつも通りの3人称視点のミル達主体の話に戻ります。
 まあ、もしかしたら別の視点の話があるのかもしれませんが、そうはなっても今回のように1人称にすることはないでしょう(多分)
 今回の話はとりあえず前編よりも書きやすかったです。
 やっぱりミルがいると楽できます。
 彼は無理させてもけろっとやってくれる人間なので作者としては非常に使いやすいですねw
あと剣の構えについては、他にも八相や脇構えなどもあるのですが、一般的なのは3つだと聞いたので省略しておきました。
 ついでにいえば、俺は剣道まったく出来ないので専門的なこと言われると結構困りますw
 さて、そんなこんなでまた次回をお楽しみに。
 それでは!



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