準備は整った。
 おそらくもう失敗することもないだろう。
 男はそう呟き、もはや実験室と化した自分の部屋を見渡した。
 これでようやく自分の欲しいものが手に入る。
 あとは次の段階へと移行していけばいい。
 思わず彼の唇がにやける。
「器だ。器さえあれば」
 それで全ては自分のものだ。
 運命すらもはや自分の敵ではないのだ。
「あとはひたすら待てばいい。そうすれば器がいつかここを訪れるはずだ」
 そう、だから彼はひたすら待った。
 器にふさわしいものがこの街にやってくるのをずっと心待ちにしていたのだ。
 ……そして、それから3ヶ月が過ぎた。


黒子魔道士
ミストフェンリル

世界で1番の…





 ディクト=ヴィルヘルムが守っていた街、通称プロテクターズカントリーを出て、ミルとサリアはまた草原を歩いていた。
 2人はいま上り坂を歩いている。
 坂を上りきった先に何があるのかは知らないサリアであったが、唯一知っているとすればその先にあるのは彼女にとっての未知の世界であるということだ。
 彼女は期待に胸を膨らませ、2人はのんびりとその坂を歩いていく。
「この方角だと…もっと北に行くのね」
 太陽の方向、現在の時間、その他諸々の理由でサリアはそう判断した。
「うん…すごいねサリア。もう方角が分かるようになったんだ」
 ミルが素直にそう褒めると、サリアは少し照れたのか俯いてミルからは少しだけ赤くなったその顔が見えないようにした。
「もう結構旅してるからね、あたしもそろそろ慣れてきたのかな」
「そっか、それじゃあサリアはもう1人前だね」
「エヘヘ、どうしたのミル? 今日はあたしのこと褒めっぱなしよ」
 そう言うとミルは少し黙り込む。
「うん…そうだね。どうしてだろう」
 そう言って今度はミルの方が俯いた。
「……ミル?」
 サリアは彼の顔を覗き込む。
 ミルは驚いたのかうわぁ、とのけぞった。
「ミル…何か変だよ。考え事でもしてるの?」
「ううん、大丈夫。何でもないよ」
「本当に?」
 サリアはそう言ってミルの目をまじまじと見つめる。
「本当だよ。あ、見てよサリア。街が見えるよ」
 気づけば、もう2人は上りを終え、下りにさしかかろうとしていた。
 下りになったことにより前の方の景色が見えるようになり、確かにそこには街があった。
 彼女は未知の世界の発見を喜んだものの、初めに自分の目で見てみたかったという気持ちもあり少し微妙な笑みを浮かべる。
 それに、今彼女が気にしていることはそのことではなくミルのその態度のことだった。
 話を紛らわそうとしているのは誰の目を持っても明らかであったが、サリアはそこで問い詰めるのをやめた。
「あそこが次の目的地なの?」
「うん、そうだよ。あそこには知り合いがいてね。少し世間話でもしようかなぁって思ってるんだ」
「そう。じゃああたしはそこら辺を見て回ってればいいの?」
 サリアがそう言うと、ミルは少し驚く。
「え、いいの?」
「うん、せっかくの友達なんでしょう? だったら、あたしが邪魔しちゃだめかなぁって」
「別にそんなことはないけど……いや…うん、まあ…そうだね」
 ミルは途中で考えを改めたのか、サリアの意見に同意した。
「ごめんね、サリア。1人で見て回れなんて……」
「この前もそうだったじゃないの。まあ、もう見て回ることには慣れたからいいけど……」
「けど?」
「出来るだけでいいから、早めに帰ってきてね」
 そんな彼女の言葉にミルは、
「うん」
 と頷いた。
 気がつくと街まではもうすぐだった。



 街に入ってすぐのところに2人は人混み―特に子供が多かった―があることに気がついた。
「ミル、どうしてあの人達はあそこに集まってるの?」
「さあ? 行ってみれば分かるんじゃない?」
 そう言ってミルは足を進める。
 それを見たサリアは少し遅れて彼の後ろについていった。
 そして人混みに着いたとき、2人はその集団がなんだったのかを理解した。
 彼らの視線には1名の男。
 あまり長くなく黒い髪。
 眼鏡をかけたその男は、決して悪人ではないだろうと思えるほどやわらかい表情をしていた。
「それじゃあ、次はこれを見てください」
 非常に丁寧で優しさの溢れる口調で男は1枚のコインを出した。
「これは何の変哲もないただのコインです。しかし、こうして私の手のひらに置くと…」
 彼はコインを手のひらに置いた。
 すると、コインは真上に上がりそしてまた彼の手のひらに戻ってきた。
 その瞬間ざわめきが起きた。
 そしてそれにはサリアも驚きを隠すことが出来なかった。
「す、すごいねミル。あれは魔法なのかな?」
 そんな言葉にミルは少し苦笑をしながらこう答えた。
「残念だけどサリア。あれは魔法じゃないよ」
「え? それじゃあどうしてあのコインは飛び上がったの?」
「ええっと、あれはねマッスルパスっていう技術なんだよ」
「マ、マッスル…何?」
「マッスルパス。手のひらの筋肉だけを使ってコインを上げる技術だよ」
「けど手のひらを動かしているようには見えなかったわよ」
「うん。うまくなればなるほど、他人には分かりづらくなる。それが俗に言う手品っていうものなんだよ」
 そんなことをミルはほかの観客には聞こえないように言った。
 それは子供の夢を壊してはならないという、彼の優しさからくるのだろう。
 サリアはそう判断すると、不意に笑みがこぼれた。
「え、どうしたのサリア? 僕何も面白いことなんて言ってないよ」
「フフ、何でもないわよ。それよりもあの人の手品を見ていましょうよ」
 そんな彼女の言葉にミルはう〜ん、と考え込んでしまったものの気を取り直したのか手品師の方を再び見始めた。
 手品師はコインをしまうと今度はトランプを出した。
「これはトランプです。ジョーカーは抜きましたから今は52枚あります。確認してください」
 そう言って近くで見ていた子供にトランプを渡すと、子供は慣れない手つきでトランプを数え始める。
「えっと、んっと……うん。あるよ」
「はい、ありがとう。さて、それでは私がこのトランプをシャッフルします」
 そう言って彼はカードをシャッフルし始めた。
 そのどれをとっても無駄がなく、サリアはその手つきに感心していた。
 カードを混ぜ終えた彼は、観客に笑みをうかべる。
「さて、このトランプには実は意思があるのです。そう、非常にきまぐれで…自由が欲しい」
「トランプに意思? ねえミル、そういうのってあるものなの?」
「物に意思はないよ。手品師っていうのはああいう台詞回しで観客を虜にしていくんだよ」
 ミルはそう言って、手品師のことを凝視していた。
 種を知っているものからすれば、やはり手品というものはつまらないものなのだろうか?
 そんなサリアの思考を知るわけがない手品師はそのまま言葉を続けた。
「さて…私がカードを混ぜているうちにこの中の1枚が消えてしまったようです」
 そう言って彼は先ほどの子供に再びカードを渡した。
 子供は再び真剣な表情で数え始め、
「本当だ。51枚しかないよ!」
 と叫んだ。
「カードは自由を欲しています。つまりこのカード達は皆旅に出たがっているのです。だからこそカードはそれを実行しました。そう、一番後ろにいるお2人の旅人に注目してください」
 彼がそう言うと観客は皆ミルとサリアの方を向いた。
 困惑するサリア。
 男はさらに続けた。
「それでは、その女性の方」
「は、はい?」
「あなたのポケットを調べてみてください」
 その言葉のとおり彼女はポケットに手を入れる。
 すると……、
「あ!」
 彼女のポケットには1枚のカード。
 そして、それは彼の持っているカードとまったく同じ種類の物だった。
「はい、今日はこれでおしまいです。皆さんありがとうございました」
 その言葉に合わせるように観客たちからはたくさんの拍手。
 サリアはミルのほうを向いた。
「ねえ、ミル、今のは?」
 するとミルはこう呟いた。
「今のは……魔法だね」



 若い手品師が手品を見せている時、観客の中で妙に浮いている男がいた。
 手品師は何かのマジックの途中で一番後ろにいる旅人を見ろ、と言った。
 全ての人が旅人に注目する。
 当然、男もそうだ。
 そして、男は2人の旅人のうち女性のほうに目がいった。
「彼女は……」
 彼女のまとっている気配。
 それことが彼が最も欲しがっていたものであった。
「そうか、そういうことか」
 男は更に続ける。
「……あれが器だ」



 手品も終わり観客が次々と家路につく時、サリアは手品師の男にトランプを返そうと近づいた。
「あの…トランプ」
 サリアがカードを渡すのを見て、男は笑みを浮かべた。
 その笑みに彼女はどこか懐かしさを感じた。
 それが何故なのかは彼女自身よく分かっていなかったのだが。
「ああ、ありがとうございます。サリアさん」
「いえ、お礼をいわれるほどでは…あれ? あたし、名前言いましたっけ?」
 サリアがそう尋ねると男はただただ笑いながらこう答えた。
「安心してください、あなたは自分のことを名乗っていませんよ。私は何でも知っているんです」
「嘘つけ。どうせ僕が昔幼馴染の話をしたから当てずっぽうで言ってみただけだろ?」
 突然、ミルが2人の間に割って入ってきた。
 男はなお笑いながらミルに話しかける。
「おやおや、夢がないですね。そう思いませんか、サリアさん?」
 彼のその振りにとりあえずサリアは、
「えっと……知り合い?」
 そうミルに尋ねることしか出来なかった。
「うん、まあね」
「はじめまして、サリアさん。私はウィリアム=アトレイド。ウィルと呼んでください」
「サリア=リプサリスです。その…」
「ため口で構いませんよ。多分ネヴァにもそう言われたでしょう?」
「ネヴァも知り合いなの?」
 気が引けるものの、とりあえず彼女は敬語ではなくため口で話す。
「ええ、私達3人は共通の友人ですよ。ねえミル?」
「あまり誇れることじゃないと思うけどね」
 そこでサリア先ほど感じた懐かしさの理由に気づいた。
 ウィルは性格こそ違うが、本質はネヴァと一緒だ。
 そしてそれは2人だけではなく、ミル自身もおそらくそうなのであろう。
「それじゃあ、この街に住んでいるミルの友達って?」
「ええ、私ですよ。まあ、そういうわけですからとりあえず私の部屋にでも行きますか? ここからあまり離れていませんし」
「ああ、そうだね」
 ウィルの言葉にミルは頷く。
「そう、じゃああたしはこの街を適当に見てくるわね」
「サリアさんは来ないんですか?」
「ええ、だってせっかく久しぶりに会えたんだから、ゆっくり話したいこともあるでしょ?」
 そんなサリアの言葉にウィルも、
「……そうですね」
 と頷いた。
「それじゃあ、あたしは行くね」
「ええ、それではサリアさん。またお会いしましょう」
「話が終わったらすぐ行くから、とりあえず街を見終わったら宿でも取っておいてくれないかな?」
「うん、それじゃ」
 そう言ってサリアは彼らの元を離れていく。
 彼女の姿が他の人々の姿に紛れて見えなくなった頃、ウィルは口を開く。
「彼女が……あなたの最後ですか?」
「とりあえずはね。けど……」
「どうかしましたか?」
 そんなウィルの問いにミルは弱気な笑みを浮かべた。
「少しだけ迷ってる。僕がどうすればいいのか」
「…まあ、込み入った話は部屋でしましょう。ここだと誰に聞かれているか分かりませんからね」
「そうだね、それじゃあ部屋に行くまでに1つ聞きたいことがあったんだ。いいかい?」
「構いませんよ。何です?」
 ウィルが尋ねるとミルは照れくさそうな表情でこう言った。
「……最後のトランプの手品、どうやるの?」



 男は1人離れていく女性を見てこう呟いた。
「器は……連れと離れたみたいだ。これはチャンスかもしれない」
 男は女性に気づかれぬよう後をつけはじめた。
「もう少しだ。もう少しで……」
 男は興奮冷め止まぬ様子の自分をなんとか抑えるために必死に言い聞かせる。
「待っていてくれ。あと少しの辛抱だ」
 彼は天に向かってそう言うと彼女を見失うことのないよう再び後を追い始めた。



 サリアはのんびりと街を歩いていた。
 寂れているわけでもなく、そして栄えているわけでもない。
 だが通り過ぎる人々は皆いきいきとしているように思えた。
「皆楽しそう。いいわね。こういう街も」
 そう呟いて彼女はなお歩き続ける。
 10分ほどそうしていたであろうか?
 彼女は自分の服が何かに引っ張られていることに気づいた。
 不思議に思った彼女は後ろを振り返る。
「あら、あなたは?」
 するとそこには1人の少年が立っていた。
 そしてよく見ると、彼は先ほどのウィルの手品でカードの枚数を数えていた少年だった。
「お姉ちゃん、ウィルお兄ちゃんの知り合い?」
「う〜ん、あたしじゃなくてあたしの隣にいた人がいたでしょ? その人が知り合いなのよ」
「ふ〜ん、そうなんだぁ」
 少年はそう言って、彼女のことを見つめていた。
「どうかした?」
「うん、最近ウィルお兄ちゃん元気がないみたいだったんだ。けどさっきはすごく楽しそうだったんだよ」
 そんな彼の言葉に彼女は少し驚いた。
 ウィルは普段は平静を保っていていつでもあの優しい表情でいるのかと思っていたからだ。
「そうなんだ」
 そう彼女が言うのを聞いて少年は大きく頷いてこう言った。
「お兄ちゃんは多分寂しかったんだよ。けど友達が来たからお兄ちゃんは寂しくなくなったんだ」
 そして彼はもう一言。
「お姉ちゃんも、お兄ちゃんと仲良くしてね。お兄ちゃんすごく優しいから」
「うん、分かったわ。君がいうならお姉ちゃんもお友達になってあげる」
 その言葉を聞いた彼は満面の笑みになった。
「ありがとうお姉ちゃん。それじゃあ僕は行くね」
「うん、それじゃあね」
「バイバイお姉ちゃん!」
 そして彼はどこかへ走って行ってしまった。
 とても元気な彼を見たサリアは思わず過去の自分とミルの事を思い出していた。
「あたし達とは似ても似つかないくらい元気よね。多分ネヴァなんかは昔もあんな感じだったんでしょうね」
 そう考えると自然と彼女の頬が緩くなった。
 笑顔を絶やさなかった少年。
 笑顔以外の表情を浮かべる必要がないほどこの街は穏やかなのだ。
 彼女はそう判断して、なお歩き続けた。
 ……彼女のことをつけている男がいることにはまったく気づかずに。



「何か飲みますか?」
 ウィルはそうミルに尋ねる。
 ここはウィルの住んでいる部屋だ。
 彼の部屋には一切無駄がない。
 トランプやコインを除いて他はすべて生活に必要なものだった。
 そしてミルはその理由を知っていた。
 それはいつこの街を出て行っても構わないように、だ。
「いや、いいよ。軽く話してサリアのところに行くつもりだから」
 その言葉にウィルの表情が軽く曇った。
 しかし、それをミルには気づかれまいと必死に笑顔に作り変える。
「そうですか。ミルはサリアさんのことを大事に思っているんですね」
「そんなもんじゃないよ……分かってるのにそんなことを聞かないで欲しいな」
 ミルは少し膨れてそう言った。
「ハハハ、すみません。ですがそれならあなたは本当は彼女のこと、どう思っているのですか?」
「僕が?」
「ええ、そうです。あなたはサリアさんのことをどう思っているんですか? 正直に答えてもらえると助かるのですが」
 ウィルのその質問にミルは言葉に詰まってしまった。
 自分の本当の気持ちは一体何なのか?
 そして、自分がこれからやるべきことは何なのか?
「まだ……よく分からないよ」
 それが彼の正直な言葉だった。
「そうですか……ですがどちらにせよ時間はもう少ないはず。急がなければなりませんね」
「……そうだね」
 そしてその後2人はなかなか言葉が出てこなかった。
 しばらく時間が経ち始めに口を開いたのはウィルだった。
「そういえば……あとどれくらいですか?」
 それは2人の関係だからこそ意味の分かる言葉。
「……あと1」
「そうですか。それならもう残された問題は……」
 ウィルが最後まで言う前にミルがその答えを言った。
「そう、僕自身だよ」
「ミル、先ほども言いましたがもうあまり時間はありません。それはあなたが一番分かっているはずです」
「……」
「結論を出すにせよ早くしなければなりませんよ」
「……難しいことをいうね。ウィルはいつも正しいことを言う、けど……冷たすぎるよ」
 その言葉にウィルは笑う。
「私はあなたやネヴァと違って殴り合いなんて出来ません。ですが私はあなた方よりも深く考えることが出来る。私は策士なんですよ。策士に情はいらない。そういう点でそれは褒め言葉ですね」
「別に褒めたわけじゃないよ」
「分かっていますよ。それに私は同業者の中では温い方なんだそうです」
 ウィルはそう言って笑う。
「そっか」
 ミルはそう言ってウィルのことについて考え始めた。
 ウィルは基本的にはまともな人間だ。
 頭は切れるし彼が言うほど運動神経も悪くはない。
 そして何よりミルが尊敬するのは彼の性格だった。
 彼はどんな説得をされたとしても人を裏切ったりはしない。
 例えそこにいれば命がないものとされていてもだ。
 その己を貫く姿勢。
 それこそがウィルがウィルである由来であるように思えた。
 何気なくミルは外を見た。
 少しだけ日が傾き始め、どうやらもう話す時間はあまり残されていないようだった。
「それじゃあ僕はそろそろ行くよ」
「分かりました。また会えますよね?」
 ウィルは特に意味もなくそう尋ねた。
「当たり前じゃないか。それじゃ…ああ、そうだ」
 急に思い出したのか、ミルは振り向き、こう言った。
「ウィル、君は戻る気はあるのかい?」
「ええ、実はあなたと話をしたらその足で向かおうとしていたところです」
「そっか。ならさ、“あれ”に鍵を外すよう言ってほしいんだ」
「鍵……ですね。分かりました。そういえば、私も思い出したのですが……」
 ウィルは少し表情を曇らせ、そして言葉を発した。
「人間の王に動きがありました。1ヶ月前に例の殺人鬼キルの調査をするべく数名を送り込んだようですよ」
「……今更かい? どうしてまた」
「今になっても犯人はおろか証拠すら出てこない。それにあせりを感じたか、もしくは…」
「何者かが介入しているか…だね。分かった、ありがとうウィル」
「いえ、たいしたことではありませんよ」
「謙虚だね、ネヴァとは大違いだ」
 その言葉にウィルは笑う。
「そうですね」
「うん、それじゃあまた」
 そう言ってミルはドアを開け、外に出て行った。
 1人残されたウィルはしばらくの間頭を働かせる。
 これからしばらくぶりの里帰りだ。
 別にうれしくもないが面倒なわけでもない。
 ウィルは必要最低限の荷物をまとめると外に出た。
 一瞬後ろを振り向き、一言。
「また縁があれば戻ってくるでしょう。それまで壊れないでくださいね」
 そう言い残し歩き出した。



 一通り街を見て回ったサリアはミルに言われたとおり宿を探すことにした。
「う〜ん、宿って簡単に言われたけど、どこにあるのかしら?」
 困り果てた彼女は適当な人に道を尋ねることにした。
 後ろを振り返ると丁度いいところに男性がいたため彼女は迷うことなくその人物の元へ向かう。
 彼女が近づくにつれて、その男性の顔色が変わったのだがサリアはそれに気づくことはなかった。
「あの?」
「は、はい?」
 挙動不審気味に尋ね返す男。
「この街の人ですよね? 宿屋がどこにあるか教えていただけませんか?」
 そんな彼女の言葉に男はほっとした様子になった。
 無論、そんなことに彼女は気づかなかったのだが。
「宿屋は入り口の方にありますよ……ですがあそこは止めたほうが良いです」
「どうしてですか?」
「店構えはそれなりなのですが、接客態度が悪い。実はこの街にはあまり知られていないもう1つの宿があるのですが、そちらの方が数倍過ごしやすいと思いますよ」
「へえ、そうなんですか。その場所、教えてもらえますか?」
 非常に感心したサリアはその場所を尋ねてみることにした。
「いいですけど…何なら僕が案内しましょうか?」
「大丈夫なんですか?」
「ええ、特に用事もありませんし、僕でよければ大歓迎ですよ」
「それじゃあお願いしますね」
 こうしてサリアはその男性の案内の元、もう1つの宿を目指すこととなった。
「ところで、自己紹介がまだでしたね。あたしはサリア」
「僕はルージュ。ここから少し離れた場所に住んでるんです」
 そういった話をしていると、彼はどんどん裏通りの方を進んでいった。
それに少し不安を覚えたサリアは一度ルージュに尋ねてみた。
「こんなところに宿なんてあるんですか?」
「ありますよ。もうすぐ見えてきますよ。あ、その角を曲がればすぐです」
 彼がそう言ったので、サリアは彼の言う場所に向かい、その角を曲がる。
 しかし、宿らしき建物は見当たらなかった。
「どこにあるんですか?」
 彼女はそう尋ねた。
 だが……、
「え?」
 急に目の前が真っ暗になり、彼女の意識は途切れかける。
「う……何?」
「…魔法に耐性でも持ってるのか? まあ、いい」
 そう言ってルージュはサリアの頭に彼の右手を置きほんの少しだけ力を込めた。
 サリアは成す術もなく今度は間違いなく意識を失った。
 後ろに立っているルージュは1人で笑っていた。
「これでいい。あとは僕の家に連れて行くだけだ」
 彼はそう呟き、倒れている彼女を担ぎ込んだ。



「え、来てない? 僕と同じくらいの女性ですよ」
「ええ、そのようなお客様は現在いらっしゃりません」
 受付に座っていた女性はマニュアル通りといったような口調でそう言った。
「…そうですか。ご迷惑をかけてすみませんでした」
 ミルは宿の受付から離れ1人思考にふける。
「ここにいないってことは、まだ街を見てるっていうことか? いや、でも…この街はそれほど広くないし…う〜ん」
 ある程度のところまで考えてミルは1つの推論を出した。
「何かに巻き込まれた? ……それしか考えられないなあ。まあ違うにしてもその方向にしておいて困ることはない…かな?」
 ミルはそう決めて、意識を集中させた。
 集中力はミルという器を飛び出し、風と同化し街のあちこちまで広がる。
 これは一応風属性の魔法にあたり、人を探すという点でのみ役に立つものである。
 常人ではせいぜい家3軒ほどしか範囲がなく使い道がないが、彼は本気を出せばここから彼の故郷まで広げることが出来る。
 だが彼はそれをやったことがない。
 理由は、それをやると人を探す楽しみがないから…だ。
「ええっと…ここだな」
 ある程度の検討をつけたミルはもう一度受け付けに行き、女性に話しかけた。
「すみません。この街の地図……ありますか?」



 ミルが魔法の詠唱を行っている時、ウィルは街で必要最低限の買い物をしていた。
「ふむ、このくらいでいいでしょう」
 彼は荷物を持ち、街の出口に向かった。
 途中、顔見知りの人々にあいさつをされ、彼もまたそれを返す。
 彼はもう何年もの月日をこの街で過ごしていた。
 そのため、街の住人もいきなりこの街を出るなどということは思いもしなかったのだろう。
 彼の荷物を見てそれに気づいた彼らは残念そうな顔でウィルを見送った。
「……私は少し長居をしすぎたんでしょうか? まさか私自身寂しさを感じてしまうとは」
 これだから自分は甘いと言われてしまうのだろう、と少し自分自身に苦笑してしまった。
「あれ? ウィルお兄ちゃん」
 と、その時彼はよく彼のマジックを見てくれる少年に声をかけられた。
「ああ、あなたですか。どうかしましたか?」
 ウィルがそう尋ねると少年もまた疑問をぶつけてきた。
「ウィルお兄ちゃんこそ、そんな荷物持ってどうしたの?」
 ああ、そうか。
 ウィルは思った。
 自分が街を出るということ。
 それはこの少年とも会えなくなるということなのだ。
「ええ、実は私はそろそろ違う街に行こうと思っているんです」
「え! いなくなっちゃうの?」
 断固拒否というような顔でウィルを見つめる少年。
 ウィルは困りましたねぇ、と言いながらも嬉しそうな顔をしていた。
「安心してください。やるべきことが全て終わったら、また帰ってきますよ」
「本当!? 嘘つかない?」
「本当です。その証拠に…ほら」
 ウィルはそう言ってトランプを渡した。
「これをあなたに預けます。いつか必ず返しにもらいに行きますよ」
 少年は少し戸惑いながらも少しずつ笑顔を取り戻し、こう言った。
「…分かった。ずっと預かってるから。ウィルお兄ちゃんが帰ってくるまでずっと持ってるから」
「ええ、忘れたりなくしたりしては駄目ですよ」
「うん、分かった!」
「それでは」
「うん、またね。ウィルお兄ちゃん!」
 少年はウィルに向かって手を振っていた。
 ウィルも手を振り返し、そして出口へと向かう。
 少し経ってから彼は再び後ろを向いてみた。
 するともう誰とは区別できないほどの大きさではあったが懸命に手を振っている1つのシルエットがあった。
「フフ、いつか……いつか必ず帰ってきますよ」
 そう言って出口付近に到達した。
 すると、そこには見慣れた人物が立っていた。
 まったくの予想外だったので柄にもなく大げさに驚いてしまったものの、すぐに平静を保たせる。
「やあ、久しぶり」
「……まさかあなたがいるとは」
 ウィルはその直後その人物の名を言う。
「お久しぶりですね、ネヴァ」



「……んん……ここは?」
 サリアが目を覚ますとそこはまったく知らない場所だった。
 彼女が気を失ってからまだそう時間は経っていなかったがその部屋は暗めで、何も知らないサリアは今が一体いつなのかすら分からない状態に陥ってしまった。
「目が覚めたか?」
 サリアの視界ぎりぎりのところからそんな声が聞こえてきた。
「ここは一体……いえ、それよりもあたしをどうするつもりですか!?」
 彼に詰め寄ろうと後半は語気を強めて言ったものの、彼女が彼に近づくことは出来なかった。
 ……彼女は動けないように縄で固定されていたのだ。
「別に君をどうこうする訳ではない。僕に用があるのは君ではなく、君という器だ」
「器? それじゃあルージュさんが欲しいのはあたしの身体だっていうの?」
「変な風に聞こえるから器と比喩的に答えているのに、そう直接的に言わないで欲しいな。まあ、いい。目的も知らずに捕まってしまったのでは可愛そうだからな」
 彼はそう言って少しずつ彼女に近づいてきた。
「僕には昔、恋人がいた。名前はオゼット。彼女は心優しい女性で、近い将来結婚しようと約束をした仲だった。しかし……」
 彼は俯き、しばらくの間黙り込んだ。
 サリアは何も言わずに彼の言葉を待つ。
「あの時期、ここから少し北上した街でとある事件が起こっていた。知っているか?」
 ルージュはサリアにそう問いかける。
「いえ、知りません」
「そう、3年前のあの街では無差別殺人が起こっていた。夜な夜な人が死に、その知らせはこの街にも届いた。そしてオゼットは僕にこう言った。少しでも街の人の役に立つことがしたいって。そして彼女はすぐに北上していった。僕もすぐに行きたかったんだけど、丁度仕事が入っていてね。すぐには行けなかった。そして僕があの街に向かおうとした時……僕にとある知らせが舞い込んできた」
「……それは?」
「また事件が起こった。犠牲者は女性。街の人間ではない、よその街……つまりはこの街に住んでいたオゼットだった」
 サリアは何も言うことが出来ず、ただただ黙り込むのみだった。
 彼もまたしばらく何言わず、時間だけが過ぎていく。
「途方に暮れた僕だったけど、その時とある魔法の存在を知ってしまった」
「魔法?」
「元々僕の仕事というのが古文書の解読でね、それで知ったものなんだが。それは常識では不可能とされていたもので、ある一定以上の知識がある者は禁呪と呼び、使うことを許可しなかったものだった」
「禁呪……まさか?」
「そう人を蘇らせる魔法……いや、正確に言えば人の魂を別の物体に移す魔法」
「まさか……それが?」
 恐れを抱くサリアとは対照的に、ルージュは笑みを浮かべながらこう言った。
「そう、それが君だよサリア……儀式は君が気絶している間にすでに完了している。後は僕の意志で…」
 彼は意識を集中させ、そして目をサリアのそれを合わせる。
 サリアは目をそらすことすら出来ず、ただ彼を見つめていた。
 そして……、
「儀式……完了」
 その言葉の直後、魔方陣が彼女を中心として現れた。
 中心…すなわち彼女に光が舞い降り、それが少しずつ彼女の意識を奪っていく。
「これで……これでオゼットが」
 あまりの嬉しさに顔がにやけるルージュ。
 だが丁度その時突然聞き覚えのない声が聞こえてきた。
「……やれやれ、宿にいないと思ったらこんなところで道草かい?」
「だ、誰だ?」
 辺りを見渡した彼は入り口の所に誰かがいることに気づいた。
 そしてその人物は……、
「大切な人を蘇らせる為に禁呪を使う。それは構わない。大いにやってくれ。でもね」
 その人物はルージュに目と鼻の先まで近づき、そして一言。
「僕の連れに手を出したのが君の運の尽きだったね」



「まさか、こんなところに現れるとは思いませんでしたよ」
「人を化け物扱いしないでくれないかな、ウィルちゃん」
「なら、あなたも私のことをちゃん付けしないでもらいたいものですね。まあ、無理でしょうが」
 ウィルがそう言うとネヴァもうれしそうに首を縦に振った。
「もちろん……て、こんな話をしに来たわけではないことくらい分かるんでしょ?」
「もちろんですよ。今となっては敵なのかもしれないあなたがいきなり私の目の前に現れたのですから、少し遊んでみただけです」
「ひどいねぇ。まあ、それはおいらも一緒かな」
「……それで? 用件を言ってもらえませんか?」
 急にウィルの温厚そうな目つきが変わる。
 ミルがよく使う“冷たい眼”になったウィルを見て、ネヴァは少し苦笑する。
「おいらは敵じゃないよ。少なくとも今は」
「それは裏切る可能性もあればそうでない可能性もある、ということですか?」
「そうだね。だからこそ、こうしてここに来た。むしろ裏切るのならばミルちゃんもいるこんな場所にわざわざ来たりなんかしないよ」
「ほう、ミルがいることを知っていたのですか?」
「うん、クラウスがミルちゃんの尾行を命じていてね。その人とおいらはそれなりに仲が良かったからミルちゃんがこの街に向かってるって教えてもらったんだ」
「なるほど、2人で何か良からぬことでも考えているのでは、と思ったわけですね?」
「どうしてそう悪いほうに持っていくかな?」
 まあ、あながちはずれでもないけどね。
 再び苦笑したネヴァがそう言った。
「もし……」
 ウィルが言う。
「もしもミルがシナリオに書いてない行動を取った時、あなたは裏切るのですか?」
「少し違うね。シナリオを変えることについてはおいらは問題はないと思ってる。いや、むしろそうしてもらった方が助かるね」
 少し事情が見えてきたウィルはなるほど、と頷きながらこう言った。
「なるほど、よく分かりましたよ。あなたの…いや、あなた方の方針が」
「やっぱりウィルちゃんは頭が良いね。多分考えてる通りだよ」
「しかし何故ですか? どうしてあなたは…」
「そうか。ウィルちゃんは知らないんだったね。あの人と彼女の繋がりについて」
「どういうことです?」
「いいよ。教えてあげる。実はね……」
 ネヴァはウィルに真実を告げる。
「え?」
 それを聞いたウィルは一度聞き返してしまった。
ウィルには信じられない事実がそこにはあったのだ。
「だからあなたは……なら、ミルはそれを?」
「知っていない訳がないよ。でも彼は行動を止めないだろうね」
「だとすれば、彼は……」
 その続きをネヴァが代弁する。
「……狂ってる」
 ほんの少しの恐れを抱きながら、彼らはそう言った。



 急に現れたミルを見て、ルージュは驚きを隠せなかった。
「ど、どうしてここが?」
「禁呪を覚える前に一般的な魔法でも覚えたらどうだい?」
「……なるほど、風か」
「そう、風の知らせで僕はここに来た。なんとなく嫌な予感がしたからね」
「そうか……だけど一足遅かった」
 勝ち誇った表情でルージュは言う。
「みたいだね。まあ、負けついでに聞きたいことがあるんだ」
 あっさりと負けを認め、さらに質問までもしてくるミルに少しあっけにとられながらもルージュは尋ね返す。
「何を?」
「彼女の死因は他殺? 事故?」
「他殺だが…それが何か?」
 意味も分からずそう聞くと、その時初めてミルの表情は柔らかくなった。
「それなら、こちらにも勝ち目があるってことさ」
「何を、儀式は既に……」
「ああ、完了した。次に彼女が目覚めたとき、既にサリアではなくなっているだろう……でもね」
「……ん? ここは?」
 その時、彼女は目を覚ました。
「…君の名前は?」
 ルージュはそう彼女に尋ねた。
「わたしは……オゼット…あなたは……ルージュ?」
「ああ、そうだよ」
「ルージュ、この姿は?」
 彼女の素朴な疑問に少し罪悪感を感じながらもルージュは答えた。
「それは……別の人の身体。君は一度死んで、僕が生き返らせた存在なんだ」
「死んだ……わたしが!?」
 突然彼女の顔が強張る。
「オ、オゼット?」
 突然のことに戸惑い始めたルージュは動揺を隠し切れない様子になりながらも彼女に問いかける。
「……ぁあ! い…いや……いやぁぁぁ!!」
 家中に彼女の叫び声が響き渡る。
 数分後、肺の中にある酸素をすべて出し尽くしたのか咽ながら息を整え始めた。
 その間にミルがこう言った。
「死んだ人間を生き返らせる。それの一番の問題は身体じゃない。心なんだよ」
「心?」
「うん。特に他殺の場合なんかはね。加害者に何らかの方法で致命傷を喰らい、死の恐怖に怯えながら死ぬ。そんなことを経験したのに不意に元通りに戻ってみなよ。君はその時人を信じることが出来るかい? そしてその恐怖を乗り越えることが出来るのかい?」
 彼の言葉がルージュの心に突き刺さり、浸透しきるまでには時間がかかった。
 その間にミルは元サリアのところに行き、そして額に手を合わせた。
 それに気づいたルージュは彼に尋ねた。
「何を…するつもりだ?」
「まだサリアの意思はなくなってはいない。そしてオゼットさんの意識は不安定になっている。今なら何とか助けられるのさ。心関係の魔法は苦手なんだけどね」
 そう言ってミルは額に置いた手に意識を集中させた。



次の瞬間、ミルはとある村にいた。
「ここは……ビアレス? しかもこれは?」
 まだミルの両親がいた頃の村。
 幼いミルとサリアが一緒にいて、そして楽しそうに遊んでいた。
 彼がじっとその光景を見ていると、不意に村が赤みを帯び始めた。
 夕焼けではない。それは炎だった。
 気づけば先ほどまで2人がいた場所にはミルの両親が倒れており、サリアが1人で泣いていた。
「これが……サリアの……」
 突然ミルは空に向かって大声を出した。
「くだらない…本当にくだらないよ! こんなものを見る為に僕はここに来たんじゃない!」
 彼のそんな言葉の直後、再び景色が変わった。



 サリアは暗闇の中にいた。
 近くにはもう1人女性がいる。
 彼女はその女性に話しかけた。
「あなたは?」
「わたし? わたしは…オゼット。あなたは?」
「あたしはサリア。それじゃああなたがルージュさんの…」
 オゼットは髪の長い女性だった。
 慈愛に満ちた目をしていて、表情も優しい。
 聖母がもし本当にいるのなら、まさに彼女のような存在なのだろうとサリアは思った。
「ルージュにも…あなたにも、悲しい思いをさせてしまったわね。ごめんなさい、けどルージュを恨まないで。彼は……」
「分かってます。彼は3年間あなたのことしか考えられないくらい、傷ついてしまっていたんですよね」
「そうね。だから彼はこんなことを。本当にごめんなさい」
 本当にすまなそうな顔で謝罪する彼女を見て、サリアは自分の今の境遇を忘れてなんともいえない不思議な気分になった。
 何を言っていいのか分からない。
 そんな時、別のところからまた違う声が聞こえてきた。
「こんなこと? いくらなんでも、そういう風に言っては彼が可愛そうじゃないのかい?」
「…ミル? どうしてここに?」
「どうしてって…君を助けに来たんじゃないか」
 何を突然、といったような表情を浮かべながらミルは言う。
「まあ、もう1つやることもあるんだけどね」
「やることって?」
 サリアがミルに尋ねたその時オゼットの口が開く。
「あなたは…」
「……やっぱり覚えてたか。まあ当たり前かな」
「え? 覚えてるってミルはオゼットさんのことを知ってるの?」
「ん……まあね」
 ばつが悪そうな顔をしながら、ミルはそれを肯定した。
「まあ、そんなことは今はどうでもいいんだ。オゼットさん、あなたはまだ死ぬべき人じゃなかった。だからチャンスがあるのならやっぱりそれにすがるべきだと思いますよ」
 その言葉に一番驚いたのはオゼットではなくサリアだった。
 彼は自分に死ねと言っているのだろうか?
 そんな疑問が浮かんだが、サリアはそれを何とか打ち消した。
(そんな訳ないじゃない。さっき助けに来たって言ったんだから)
「しかし、それでは彼女が…」
「サリアは駄目だ。僕の連れですから。でも僕が何とかしますから、だから……」
 サリアはほっとしながら次の言葉を待っていた。
「わたしは…怖いんです。だからこそ、先ほどはあんなことを……」
「大丈夫ですよ。あなたは1人じゃないんだから」
 不意にサリアの意識が途絶えかけた。
 オゼットが彼女の身体から解放されたからであろうか?
 彼女はそう考えてそのまま身を委ねる。
「あなたは……彼女のナイトなんですね」
 そんなオゼットの言葉が聞こえた。
「そんなものじゃ…ないです。僕は彼女にとって……し…」
 その瞬間意識は完全に途絶えた。
 唯一見えたものはといえば、ミルの言葉の直後にオゼットの顔が悲しみに染まっていたことくらいだった。



「よし、これでいい」
 作業を済ませたミルはそう言うとルージュの方を向いた。
「心……少し考えれば当たり前だった。それを僕は…」
「誰にでも間違いはある。けどそれを知ったのならあなたはもう一度やり直すことが出来る」
「やり直す? それは、また別の女性を器にしろっていうことか?」
「まあ…そうなるね。けど心配ないよ」
 ミルはそう言うと目を閉じ意識を集中させた。
 その集中の度合いはいつもの比ではなく、それは彼の顔に滲む汗が物語っていた。
 しばらくの間そうしていたであろうか?
 何をやっているのか、不思議に思ったルージュがそれを尋ねようとした、まさにその時彼の詠唱は終わった。
「これでよし。後は…」
 そう言って彼は指をパチンと鳴らした。
 その瞬間ミルとルージュの間に光が現れた。
「な、何が……え?」
 ルージュは目を疑った。
 光が収まった瞬間、そこには先ほどまでいなかった女性が倒れていた。
 そして、その姿かたちは……
「オ、オゼット?」
「聞いても無駄だよ。それは器だから。だからこそあなたがそれに魂を入れる必要がある」
「僕が? ……そうか」
 ルージュは覚悟を決め、再び禁呪の詠唱に取り掛かった。
 その詠唱の終わりと同時に魔方陣が浮き上がり、そして器を光が包み込む。
「……質問がある」
「何?」
「どうやってオゼットを作り出したんだ? あれも禁呪なのか?」
「ああ、そうだよ」
「それじゃあ、僕の力なしに彼女を生き返らせることが…」
 ルージュの言葉にミルはこう言った。
「それは無理だね。さっきも言ったけど僕は心関連の魔法は苦手なんだ。だから、彼女を完璧に生き返らせるなら僕とあなたの力がなければ不可能だった」
「ん?」
 その時、サリアが目を覚ました。
「あれ、ミル? この人は?」
 彼女はオゼットを見ながらそう尋ねた。
「サリア、邪魔になるからもう帰ろう。宿は僕が取っておいたからさ」
「え? う、うん」
 半ば強制的に連れて行かれるサリア。
「もう1つ、聞きたいことがある」
 ドアのすぐ傍まで来ていたミルにルージュは尋ねた。
「どうして、ここまでしてくれたんだ。僕は彼女にやってはいけないことをしたのに…」
 その言葉にミルは笑顔でこう答えた。
「やらなければならないこと。それを持っている人を助けてやりたいって思う。そんな自分の気持ちに素直になった結果だよ」
「そうか」
 ルージュは笑みを浮かべ、そして一言。
「ありがとう」
「どういたしまして」
 その言葉の直後2人はルージュの家を出た。



「ねえ、ミル?」
 2人が宿に向かう途中サリアは顔を少し俯かせた。
「ん、どうかしたの?」
「うん…その……ありがとう」
 彼女のそんな言葉にミルは少し笑う。
「当たり前じゃないか。あの状況なら例え僕じゃなくたってサリアのことを守ってるよ」
 俯いているため、彼女の顔が見えなかったからだろうか?
 それとも、ミルにはサリアの心情を察する余裕がなかったのだろうか?
 サリアは黙り込み、それからようやく顔を上げた。
「ミル? 1つだけ聞きたいことがあるの?」
 彼女の顔があまりに真剣すぎたためだろうか?
 ミルは少したじろいでしまった。
「う、うん…何?」
 彼のそんな言葉の直後サリアはミルの目の前まで近寄り、そしてこう言った。
「ミルは……もうずっと、離れ離れになったりしないよね?」
 ミルがその答えを返すまでにはしばしの沈黙があった。
 彼は少なからず動揺していたのだ。
 いきなりの言葉。
 いつもならすぐに返せたのだろうが、この日だけはいろいろなことがありすぎた。
「…う、うん。もちろんだよ」
 その言葉にサリアは、
「……そっか。分かった」
 そう言ってスタスタとミルを追い抜いて先に行ってしまった。
 残されたミルは1人ポツンとこう言った。
「ウィル…結論なんて見つからないよ。僕は……」
 ミルがそうして立ち止まっていることに、サリアは一向に気がつかなかった。



 ウィルは街を出て、ただひたすら歩いていた。
「ふぅ、久しぶりの外出は疲れますね」
「ウィルちゃんは少し怠けすぎたんだよ。いい運動になると思うよ」
「ええ、そうですね。ですが……」
 ウィルは立ち止まり、後ろを振り返る。
 そこにはネヴァが立っており、どうしたの? とでも言いたげな様子だった。
「何故あなたがいるのですか?」
 するとネヴァは笑って、
「護衛、兼監視ってとこかな」
 と言った。
「まったく、あなたという人は」
「ヘヘヘ、まあいいじゃないの。向こうにつくまでの間はおいらが守ってあげるよ」
 ネヴァのそんな言葉にウィルは、
「……そうですか。なら、お願いしますね」
 そう言って、再び歩き出した。
 そして不意に、
「頼りにしてますよ」
 そう言った。
 ネヴァは形容のしようがないほどの笑顔で、
「任せてよ!」
 そう答えた。
 この時、2人は知らなかった。
 彼らの運命を。
 そしてこの後すぐに訪れる転機を。



 宿で休んでいたミルは、ドアがノックされていることに気がついた。
「サリアかい?」
「うん。その…入っていい?」
「ああ、いいよ」
 そう言ってミルはドアを開ける。
 すると、目の前には少し元気のない彼女がそこにいた。
 無理もない。
 ミルはそう思いながらも、自分の部屋に彼女を招いた。
「で、どうしたの?」
「うん、次の目的地って決まってる?」
「え? まあ、一応は」
「その…悪いんだけど、行きたい場所があるの」
「行きたい場所? どこだい?」
 なるべく平然を装って尋ねるミル。
 彼はかなり驚いていたのだった。
 それも無理はない。
 何故ならこれまでサリアは行きたい場所などを行ってきたことなどなかったからだ。
 サリアは次の言葉を出すのに勇気がいるのか、深呼吸をして、ようやく準備が整ったようだった。
「北の街」
「北? それって……」
 ミルは1つだけ思い当たった街があった。
 そして、その推論はサリアの言葉によって正しいことが証明される。
「昔…殺人鬼がいた街よ」
「……どうしても行きたいのかい?」
 ミルのその質問にサリアは頷く。
 それを見たミルはふぅ、とため息をついた。
「まあ、それならしょうがないね。行こうか、北に」
「ありがとう…ミル。それじゃあ、あたしはもう寝るね」
「ああ…おやすみ」
 ミルのその言葉にサリアも、
「うん、おやすみなさい」
 そう言って部屋を出た。
 サリアがいなくなり、静かになった部屋。
 そこで彼はこう呟いた。
「サリア……様子がおかしかったな。まさか……いや、そんな訳ないか」
 彼は独り言を続けた。
「彼女が今更“あの記憶”を取り戻すなんてありえない。オゼットという不安定要素が一時彼女の精神に介入したということが気がかりだけど…」
 ミルはそれ以上考えるのをやめ、別の課題である明日からのことについて考え始めた。
「死神の街…か」
 彼はそう言って、そろそろ眠りにつくことにした。
 これからは毎日が長くなる。
 そんな予感に包まれながら、ミル=フライアの1日は終わった。




あとがき
 どうもミストです。
 お正月に誓った今年度中に黒子を書き上げようという目標。
 すみません、絶対無理です。
 ちなみに今は考え中の展開でいうと大体中盤から後半に差し掛かるくらいです。
 ミルやらサリアやらネヴァやらウィルやら様々な伏線を敷きましたがまだその程度の展開なのです。
 次回は再びメインはミルではなくなります。
 今回は序盤かなり出てたのに中盤以降まったく出なくなったあのお方を使う予定です。
 ちなみに今回3話の初めにちょろっと出て、音沙汰がなかったキルも名前だけ出ましたね。
 伏線全部拾いきれるかな、という不安はありますが頑張りますのでよろしくです。
 それでは!



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