The angel of darkness |
蒼樺 |
「そう、ハンターはまだ動いていないのね」 「はい」 アニスは頷き、クルディアナを見た。 正直、クルディアナが恐い。 それは彼女が感じる本能の警告。しかし、その恐怖が現実になること決してはない。そして、彼女は恐怖を上回るほどクルディアナを慕っている。 クルディアナは長い茶色の髪をすべて後ろに撫でつけ、うなじのあたりで一つに結ってある。アニスを見るその瞳は優しげではあるが、同時に何事も見逃さない鋭さも併せ持っている。 「ご苦労様。さ、カルドの所へ戻っておやり。これは二人で食べてね」 そう言ってクルディアナは菓子の入った袋を二つ渡した。 「あ、ありがとう……ございます」 「それから、無理は禁物よ」 「はい」 はっきりと返事をすると、アニスは飛び立っていった。 「本当に、無理はしないでね」 アニスは微かにその声を聞いたが、急いで戻ることに専念していた。何か悪い予感がする。何か暗いものが心に染み出してきている。そして、時間が経つにつれ、その感覚は強くなっていった。 ズキンッ。 「―――――!!」 胸に走る突然の激痛に、アニスはバランスを失って墜落しそうになった。が、その寸前で回復し、何とか免れることが出来た。 「カルド!」 アニスの不安は既に確信へと変わっていた。カルドの身に何かが起きた。もしかしたらハンターに見つかってしまったのかもしれない。 身を引き裂かれそうな心の痛みに耐えながら、アニスは街を目指した。その際落とした菓子袋は、虚しく地面に叩きつけられた。 「大変だよ!!」 ドタバタとうるさい音を立てて誰かが支所に飛び込んできたとき、マルコフ・ゲイラーはトースターのスイッチを入れる直前だった。 「何だよ、騒がしい」 仕方なく食事を諦めて待合室に出向く。 「ゲイラーさん、大変なんだよ!」 そうわめき立てているのは歳が40ほどの小太りの男だった。 「あー、大変なのはわかったから何がそうなのかを言ってくれんかね?」 「だからたいへ……ん? ああ、そうなんだよ。屋根で子供が殺されているんだよ」 「ほぅ……」 途端にマルコフの目つきが変わる。 「詳しい話は現場に行きながら聞こうか」 そう言って部屋の奥を覗き込む。 「おい、嬢ちゃん。仕事だぜ」 マルコフはそう言ったが、仕事の相方を“嬢ちゃん”と呼ぶほどマルコフは歳をとっているわけではない。せいぜい30半ばぐらいだろう。となると、その相方をそう呼ばせるだけの何かがあるというわけだろうか。 その声に僅かに反応するものがあった。暗い部屋の中で何かがもぞもぞと動いている。 「……………んん〜? まだお昼じゃないですかぁ。もっとゆっくり寝させて下さいよぅ」 答えたのは若い女声だった。安眠を妨害されたことに腹を立てているようだ。 「ったく、どうしてこんな時間まで寝ていられるんだ」 マルコフは部屋に入ってゆき、 「おら、とっとと起きろ。殺人事件だよ」 そう言いながら敷き布団を跳ね上げた。 「ふわぁ……飛んで……ぐえ」 声の主は布団と一緒に見事な放物線を描きながら飛び、落ちた。 「起きたか?」 「うん、起きたよ」 応える声はさっきまでとは打って変わって溌剌としたものだった。その変わり様はまるで電灯のスイッチを思わせる。 マルコフは制服と装備を渡しながら寝坊助を観察した。 起きあがってもそもそと制服を着込んでいるのは20代半ばほどの女だ。全身から気怠そうなオーラが発せられており、おまけに寝癖なのか、それとも元々そうゆう髪型なのか判断しづらいが、短い髪が好き放題にはねている。 見るからに面倒くさがり屋に見える――いや、実際そうなのだ――のだが、面立ちは美人の類に、そして、胸や腰は理想的なスタイルだ。やはり、“嬢ちゃん”と呼ばれるには違和感がある。マルコフに言わせれば言動すべてがそうだと言うことだが…… 「それで、何で私が行かなくちゃいけないのよぅ。殺人なら私は関係ないでしょお」 マルコフは溜息をついた。ぐっすり眠っていたはずなのにしっかりと会話を聞いている。一体どんな耳をしているんだ。 「子供は屋根の上で発見されたそうだ」 その言葉を聞いて今度は彼女が溜息をついた。どうやらその奥に潜む意味を読みとったらしい。 「仕方ないなぁ」 「あ、あの……」 二人のやりとりが一段落したのを見計らって小太りの男が遠慮がちに声を掛けてきた。 「ああ、紹介しよう。彼女はつい最近赴任した新人、ユウ・ミランダ対魔監査官だ」 「ども〜」 軽く手を振りつつ、ユウはお辞儀をした。 「さて、準備は出来たな? 行くぞ」 「あ〜ん、待ってよぅ。マルちゃん」 ピシッ。 マルコフの表情が一瞬で凍り付き、 「セヤッ!」 「ギャンッ!」 裏拳がユウの額に直撃し、彼女の首が後ろにのけぞる。 「……………行こうか」 片足を中途半端に跳ね上げ、のけぞったまま気絶したユウを無視して、マルコフは男に現場まで案内させたのだった。 アニスはただ呆然としていた。 目の前にはヒトの姿に戻ったカルドの死体がある。 最初、夢だと思った。 なぜなら、それが本当にカルドであるかわからなかったからだ。 それほどまでに、カルドは傷つけられていた。全身の骨が砕かれ、大小様々な裂傷が刻まれ、心臓を取り出されている。いくら兄妹とは言え、いや、双子の兄妹であるからこそそんな姿を、どうして信じられよう。 しかも…… アニスの眼には“それ”がはっきりと読みとれた。ちょっとしたことでは気が付かないほど些細な“それ”にアニスは気が付いていた。 だが、どうすることも出来ない。 動きたくても、目をそらしたくても、それが出来ない。 ただ、見ているしか出来なかった。 「ここだな?」 確認するまでもなかった。その家を囲むように人垣が出来ている。おまけに、辺りには血臭が色濃く漂っている。マルコフはその人垣の合間を縫って問題の家まで辿り着き、見上げた。 大まかな話は小太りの男から聞いてある。 この家は彼の家らしい。屋根の上で物音がしたかと思ったら外から雨が降るような音が聞こえ、窓から見てみたところ滴り落ちる血液を見たとのこと。慌てて外に出て屋根を見てみたら子供の死体があったそうだ。 (何とも面白い体験をしたものだ。いや、さすがにこうゆう感想は少々酷か) 「酷いじゃないですか!」 諫める声が聞こえてきたのは彼が梯子を掛けて屋根に登ろうとした直前のことだった。 「……何だ、遅かったな。嬢ちゃん」 「誰のせいだと思っているんですかぁ」 頬を膨らませて怒る姿は子供にしか見えない。 「何ぼさっとしている。早く登ってこい」 いつの間にか屋根に登っていたマルコフが意地悪く言う。 「わかってますよぉ」 次の瞬間、野次馬たちは信じられないものを見る。 屈伸したかと思った瞬間、ユウの体が屋根の上まで飛んでいたのだ。 「それで、どうですぅ?」 周囲の反応などまるで気にせず、ユウが聞く。マルコフもまた、気にしていないようだ。 「どうもこうも酷いな」 マルコフは遺体の周りに集まった小鳥たちを追い払うと、遺体を調べ始めた。 「見ろ」 マルコフが指さした場所にあったものは皮膚から生えた小さな羽根であった。 「《悪魔の落とし子(ハーフ・デーモン)》だねぇ」 「やはりお前の仕事だ」 ユウは肩をすくめると、マルコフと共に検分を始めた。 「さて、招待状は受け取ってくれましたかねぇ……」 マルコフに追い払われた小鳥たちを眺めながらその男は呟いた。 柔和な面立ちに小さな鼻眼鏡を掛けた背の高い男である。もし飛び立ったアニスが彼を見つけていたらきっと飛びかかっていただろう。彼女の兄を殺したこの男を。 彼の名前はソルテクス・ソリュートという。俗称はSS。 外見からは決して人殺しなど出来なさそうな印象を受けるが、実際は殺すことに何の感傷も持たない。彼にとって《悪魔の落とし子》という存在は別に意味はなかった。ただ、昔名も知らぬ誰かからこの仕事を紹介されてハンターをやっている。 また、それすらもどうでもいいことである。 彼は何も感じない。 今ここにいるのでさえ、メッセージを受け取ってくれたのかを確かめるためだった。 SSは警官と遺体にはそれ以上の興味を持たず、小鳥が見えなくなると同時に歩き出した。 「さぁて、今晩は鶏肉でも食べに行きましょうか」 鼻歌交じりにそう言うと、人混みの中に消えていった。 ジャクスは向こうから泣きながら走ってくる少女を見ると、しゃがんで両手を広げた。 「さあ、お嬢さん。私の胸に飛び込んで、思いっきり泣きなさい」 「バッカじゃないの?」 とりあえず突っ込んでおいてからクルディアナは少女――アニス・コルチェ――を見た。 「クルディアナ様ぁ……」 アニスはクルディアナの胸に飛び込みと、思いっきり泣きじゃくった。 「むぅ……何だか寂しいぞ」 やり場に困った両手を胸の前で組みながら羨ましそうに見ているジャクスをにらみ返すと、アニスの髪を撫でながら聞いた。 「アニス、何かあったの?」 「カルドがぁ、カルドが死んじゃったよぉ……」 クルディアナがジャクスに視線を送ると、ジャクスは頷いて階段を上っていった。彼にも事態の重大さがわかったらしい。すなわち、見張っていたハンターが行動を起こした、と。もちろん、こんな形では知りたくはなかったが、何かしらの行動をとる前に監視していた者を殺すのはある意味常套手段となっている。出来れば、犠牲を出すことなくハンターの動向を知りたかったのだが。 「アニス、まずは涙を拭いて。それから落ち着いて説明してくれる?」 彼女の言葉にアニスは頷いたが、一向に泣きやむ気配はなかった。 クルディアナはとりあえず胸にアニスを抱えたまま動かずにいた。彼女自身何故こうしたのかははっきりとわかっていなかったが、こうしていれば少しは落ち着くだろうと判断しての行動だった。 アニスは暫く泣き続けた。 小さな顔をぐしゃぐしゃに歪ませ、涙と鼻水が流れ続けているのも気にせず。 「そう、落ち着いて」 母親が子供を慰めるような暖かい声でクルディアナはアニスの髪を撫で続ける。 やがて、少しは落ち着いてきたのか、アニスはクルディアナから離れた。 「……事情を」 背後からはクレアの掠れた声が聞こえてきた。 「アニス、私たちに何が起きたのかを話してくれる? ゆっくりでいいから」 クルディアナが促すと、アニスはたどたどしく話し始めた。 自分が街に戻っていったときには既にカルドが死んでいたということを。 カルドの全身が無惨に切り刻まれていたことを。 そして、心臓が取り出されていたことを。 「……カルド、真っ赤で……冷たくて……」 アニスの瞳から再び大量の涙が溢れてきていた。 「それで、……ヒック……カルドの心臓に文字が……」 「文字?」 アニスの眼が捉えたとても小さな文字はハンターのメッセージだった。通常では絶対に気づかれなかったのだろうが、鳥の鋭い瞳はそれを読みとった。 『明日、プルート・スラムへ参上仕ります。明日という日が紅く華やかな花が咲き誇る素晴らしき一日になることをお約束致します。SS』 クルディアナはクレアを仰ぎ見た。 クレアは顔を青ざめさせたアニスとクルディアナを静かに見ている。ハンターのメッセージにもさほど驚いていないようだった。 (もっとも、この御方は滅多なことでは驚かないでしょうけれど) クレアを見ているうちにクルディアナは冷静になっていった。数秒とはいえ長の腹心たる自分が動揺してしまった事を恥じる。 「……SS?」 クレアの疑問に答えたのはジャクスだった。 「SSとは名うてのハンターの俗称です。ソルテクス・ソリュート。常に柔和な顔をしていて表情を読みとることが出来ず、微笑みながら赤子でさえ殺してしまうと言う男だそうです。ただ、その腕は確かだと」 アニスはそれを聞いてカルドのことを思った。 (カルドも、笑いながら殺したのかな? カルドは、どんな気持ちだったのかな……) 凄まじく怖ろしかっただろう。それは自分が感じた心の痛みからもわかる。彼等は稀にお互いの心を感じることが出来たから。だからこそその恐怖を知ることが出来る。 「そう言えば私も聞いたことがあります。でも、その男は確か主にリスタスで活動していたはずでは?」 「さすがにそこまではわたくしにも……」 「……リスタスは、壊滅状態にある」 クルディアナの疑問に答えたのはクレアだった。 「! それは本当のことなのですか!?」 今度こそ、クルディアナは表に出して驚いた。信じられない話だった。プルート・スラムのある五大都市の中でもその規模は《悪魔の落とし子》の生み出されたアーネスに次ぐほどだったというのに、壊滅状態にまで陥るとは。 「……コリンツ兄弟」 その名前に三人の表情が固まる。遠くこの地まで轟くその悪名は、彼等《進化した人間(ニークシェア)》にとってもっとも忌むべきものの一つだった。 「なるほど、確かに彼等なら可能かもしれませんが、長は何をしていたのです?」 「……長は、留守だった」 「何と……」 「クレア様、今はリスタスの話よりもSSのことを」 クルディアナが方向性のずれた話を元に戻そうとする。 「そうだったな」 ジャクスも頷く。 「ともかく、リスタスで活動が出来なくなってしまったSSはかの地から一番来やすいこの地を次の活動拠点に選んだと言うことですな」 「そうね」 リスタスの壊滅はどの地に置いても大きな影響を受けることになるだろう。何しろ今までリスタスで活動していたハンターたちのほとんどが活動拠点を移動させるからだ。そうなればハンターとの抗争がより激しいものとなることは間違いない。 「クレア様、SSは明日スラムを攻撃すると言っています。それまでに対抗策を練っておきたいのですが」 クルディアナはクレアにそう提案した。しかし、クレアの返答は期待に反したものだった。 「……不要」 「何故ですか!」 「……犬死には、無駄」 つまり、どんな対策を取ったとしても無駄に死人が増えるだけと言うことか。しかし、何もするなと言われて素直に納得するわけにはいかない。 「では、いかがなさいます?」 絶句するクルディアナの変わりにジャクスが問うた。 「……クルディアナ・リホーク」 名を呼ばれてクルディアナは顔を上げた。 「……ユウ・ミランダを」 「クレア様! 本気ですか、あの者を呼ぶというのですか!」 しかし、クレアは抗議を無視して背中を向けていた。 決定事項。 クルディアナの脳裏にその言葉が浮かんだ。 (一度決められたことを覆すことは出来ない。出来るのは、クレア様の本当のお仲間だけ……) 歯を食いしばって悔しさを飲み込む。 「おい、誰なんだそのユウ・ミランダって言うのは」 「最近ここに赴任した対魔監査官よ」 ヒューとジャクスは口笛を鳴らした。 「対魔監査官は人間と《進化した人間》とのトラブルが専門だろう? あくまでも人間の味方のはずだ。それなのに協力を仰げと言うのか?」 「そうね」 「そうね、じゃないだろう。そんなことが出来ると思っているのか?」 「仕方ないでしょ? クレア様がああ言われた以上はそれが決定事項となるのよ」 そう言いながら、クルディアナはどう話を進めるか必死に考えていた。彼女はユウが苦手だった。 「疲れたねぇ」 そう言ってユウは椅子に座り込んだ。 屋根の上で見つかった少年の死体を検分し、しかるべき処置をしてから支所に戻ってきた頃には既に夕刻となっていた。 「帰ってきていきなり婆臭くなるなよ、お嬢ちゃん」 「ういぃ、おばあちゃんはいいよぉ」 ユウはニカッと笑い、背もたれに顎を載せた。 「でもさぁ、結局何もわからなかったよねぇ」 ユウは切り刻まれた少年を思い浮かべながらいった。 ユウたちが調べてわかったことといえば、少年は何者か――十中八九ハンターだろうが――に見るも無惨に殺されたというだけだった。 一体誰がやったのかを含めて、その他のことは一切わからなかったのだ。 「まったく、ハンターってのはわからん連中だな。あいつらが何を思って何を感じているのかは知らんが、異常としか言えなくなるときがある」 それはマルコフが子供の時から感じていることだった。 少年時代のマルコフは純粋に人の姿をした人でなし、《悪魔の落とし子》が恐かった。また、それと同様に《悪魔の落とし子》を平然と殺すハンターも恐ろしかったのだ。 だが、歳を重ねるごとにマルコフは《悪魔の落とし子》がそれほど恐ろしい相手ではないと感じるようになってきた。彼等は彼等で自分たちと同じように必死になって生きている。そう思うと怖さや憎しみが薄れていったのだ。 むしろ、半日常茶飯事化してきている人間同士の争いの方が恐ろしくさえ感じている。 「他人の考えていることがわかる人なんて誰一人いないよ?」 「そうだな」 ユウの言葉に苦笑する。 「悩み事が解決したところで寝よー」 そう言ってユウは椅子に座ったまま寝ようとした。 「まだ話は終わってなぁい!」 「そうね、話はこれからだわ」 第三者の声が割り込んだのはマルコフがユウの背中をはたこうとした寸前だった。 見れば、一組のカップルが支所の入り口に立っていた。 一人はすべての髪を後ろに撫でつけている鋭い目をした女。もう一人は顎に髭を生やした若い男だ。 「君たちは?」 マルコフが聞くと、女の方が答えた。 「ユウ・ミランダはいるかしら」 マルコフは人差し指で真下を指した。腕はまだ背中をはたこうとしたままになっている。 「ん?」 ユウは頭を上げて目の前まで歩み寄ってきた女を見上げた。そして、 「あぁ!!」 と、叫んだ。ユウは震え、女が目の前にいることが信じられないというように大きく目を見開いた。 「どうした、お嬢ちゃん?」 「マルちゃん、マルちゃん。ディアちゃんだ、ディアちゃんだよぉ!」 そう言ってユウははしゃいだ。だが、 『その名前で呼ぶんじゃなぁい!!』 ゴンッ。 ドガッ。 「ふげぇ……」 マルコフとディアちゃんと呼ばれたクルディアナの拳が両側のこめかみにめり込んだのだった。 |
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