鮮紅華美
 作:ショージ



 こうなったのにはしっかりとしたわけがある。
 未だ記憶に新しい二日前の金曜日のことだ。

―――二日前

 夏の燦々と降り注ぐ陽光は激しく全てを容赦なく照りつけている。
今年は梅雨が広辞苑と六法全書を重ねたぐらいになかなか明けなかった。つい先日まで時々現れていた太陽は意識がダレてしまうほど暖かい優しさで包み込んでくれていたのに………。
 まどろみではなく玉の汗を浮かばせてしまう強烈な熱気の中、いつものように立ち入り禁止となっている校舎の屋上で俺と先輩は貯水タンクの生み出す影の中に陣取っているベンチに腰掛けて昼休みを過ごしていた。
「あの、先輩。明後日の夜なんですけど……暇ですか?」
 箸を休め、問いかけた。躊躇いがちな小さな声だったが風に乗って上手く流れてくれたようだ。隣に座る先輩の長い髪が風に靡く。
「ああ、花火大会ね」
 朝自分が作った玉子焼きを飲み下してから当たり前のように言う。
 あっさりと目的を突かれてしまい、思わず思考が停止する。装填されていた言葉を失って真っ白になった頭の中、適切な次の言葉を必死に見つけ出そうと試みた。
 こんなことは先輩と付き合っていればしょっちゅうで流石に慣れつつあった。そう、俺達は付き合っているわけだ………一応。
「そうです。一緒に行きませんか?」
「私が人込み嫌いなの知ってるくせに……。そんなに綺麗なの?」
 中空を眼鏡越しにぼんやり眺めている。
「ええ、そりゃあもう。聞いた話によると全国から選りすぐりの花火職人に頼んだらしいです」
「……嘘くさ」
 そう言われてしまうと返す言葉も無い。更に何か言ったところで逆に嘘かどうかを見抜かれてしまうからだ。全国から、というのはスケールがでか過ぎて拙かったか。
「あ、でもうちから見えるんだ。一見の価値はあるかもね」
 手に持っていたアンパンに再び噛り付きながら呟く。
「えっ、家から見えるんですか?」
 先輩の家に行ったことはない。それどころか正確な家の位置さえ知らないなんて、彼氏として失格かもしれない。
「うん、軒下から見上げれば楽に見えるかも………来る?」
「是非とも」
 滅多にない誘いを断るはずがない。勢いに任せて返事をしてしまったあと、先輩の顔が薄く微笑んだ。まるでその言葉を待っていた、と。
「じゃあ、西瓜一玉持ってきてね。勿論金色のシールが貼ってある高級なヤツ」
「はい?」

―――

 夜が世界を支配していた。
 空に月と星が輝く、よく晴れた最高の夜。月は満月より僅かに欠けている。空気は冴え、今夜は湿気が抜けているためか暑苦しさはあまり感じない。
 月明かりの下、渡された大雑把な地図通りに駅から歩いて十分ほどで家に辿り着いた。手には御所望の高級種無し西瓜。しかも大きくて甘いのだから文句は無いだろう。
 幸運にもあの日、家に帰ると親戚の家からダンボール一杯に西瓜が詰まって届いていたのだ。更に嬉しいことに『高級』と光り輝くただの金色のシールが張られていて、もうその時ばかりは神々しく見えた。
 木の塀に囲まれた瓦屋根の家。表札を確認して間違いないことを確認し、玄関へと足を向ける。
「こんばんはー」
 ガラガラと鳴るはずの玄関を静かに開けて、呼びかけた。直後、廊下に出てきたのは見慣れない先輩の姿。長い髪を結い上げて、朱色の帯が夕日のように映える藍染のシンプルな浴衣に身を包んでいた。それに何故か眼鏡を外している。それでも表情はいつものままだった。
 とりあえず、見とれた。気の利いた言葉をかければ良いのに声が出ない。頭も回転数が落ちて働かなくなってきている。
「どうかした……?」
「いっいや、あのですね。外も晴れてますし、今日は風も強くなくて絶好の花火日和だなぁなんて思いますっ!」
 うわっ、滅茶苦茶動揺してるよコイツ。我ながら何言ってるのか全然わからんし。
 『じぃー』という擬音が聞こえてきそうなほど平和な目を向けながら……擦っていた。どうやら眠っていたらしい。
 花火大会で周辺の住民が会場に向かっているため家に残っている人は少ないだろう。まさに不法侵入及び盗難を目的とする輩には恰好の時。
 にも拘らず、鍵を開けたまま昼寝もとい夕寝とはなかなか良い度胸をしている。
「ん、上がって」
 そう言いながらちゃっかりと俺から西瓜を頂いた。両手で持ち、踵を返して奥へと進んでいく。その際、俺の目が普段は隠れた先輩の白いうなじに釘付けになってしまったのは言うまでもない。冷静を装う中で顔が紅くなっていくのを自覚した。
「はい、お邪魔します」
 何とかぎこちない動作で靴を脱いでから後についていく。
 玄関からすぐに左に折れて部屋に入るとちゃぶ台があった。それだけなら現代にあってもおかしくはないだろう。しかし、今時画面の横にダイヤルの付いたテレビなどあるのは異常ではないか?
「昭和にでもタイムスリップしたのか……?」
「……何か言った?」
 眠気は完全に覚めたようで言葉にも鋭さが籠められている。見つめてくる目も同様だ。利いている凄みに寝惚け眼での効果もプラスされていた。
「イイエ、ナニモイッテマセン」
 俺は生き物が危険を察知するが如く、機械的に首を横に振った。両手の平を見せ、程よく上げることを忘れない。
 ふと家の中を見回す。
「……?誰もいないんですか?」
「一人暮らしだって言ってなかった?」
 背を向けたままで逆に先輩が尋ね返す。
「言ってませんよ。ということは、まさか一人で西瓜全部食う気ですか!?」
「食べれなくはないけど」
 マジですか。まず間違いなく腹壊しますよ?いや、それ以前に飽きる。絶対に飽きる。
「だって、紘平(こうへい)君も食べるでしょ?」
 戸は開け放たれていて部屋の中から庭が見える。虫が入ることなどお構いなし、と公言しているものだ。が、しかしその割に煙を漂わせる豚は二匹も置いてあった。
「座って待ってて。西瓜、冷やしてくる」
 そう言い残して裸足でペタペタと台所の方へ行ってしまう。とりあえず、軒下まで行くと座り込んで先程から喧しい虫の奏でる合唱を聞いてみる。
 それは何とも酷いものだ。各々が自分の好きなように大小高低様々に自分の音を奏でているのだから合唱も何もない。パート別の音合わせにも値しない。ただ自分勝手に音を出しているだけなのだ。
 それなのに―――夏夜の虫の音はどういうわけか風流に聞こえてしまう。
 風が吹き、その音を耳にする。同時に吊るしてあった風鈴が涼しい音色を届けてくれた。
 鼻には纏わり付く線香の匂い。
 夏の天敵も二匹いれば何とも心強い。思い切って庭に向かって足を投げ出す。開放感が最高だった。
 そうしているうちに暑さの感覚が無くなっていたことに気が付く。
「はい」
「え?」
 突如、俺の横を通り過ぎて何かが視界の隅に現れた。息を呑んで思わず口を閉じたままでいると、それから発せられている匂いを鼻が呼吸の際に掠め取った。部屋の電気に照らされて姿を明確にしたのは皿に山のように高く盛られた……カレー。
「何ですか、コレ」
「カレー。わからないの?」
 無表情で聞き返す。それは呆れているような声にも聞こえる。
「いや、カレーってのはわかります。ええ、十分にわかります」
 力強く何度も頷いて訴えた。
 その後にはどういうわけか広がった沈黙に風鈴の音が流れる。そして再度訪れる空白の時間。
「……お主、何が不服じゃ?」
 堪えかねた先輩が無理して口を開いた。俺は顔中に汗を浮かべる。それに引き換え、表情は何を浮かべればいいのかわからない。
「先輩、無理してキャラ演じなくて良いんですよ?」
「…………」
 黙り込んでしまった。
「はぁ……食べていいんですか?」
「無理しなくていいけど」
 素っ気無い返事を聞き流し、ふと思った。
 よく考えてみれば俺は先輩の手料理なんて一度も食べたことはない。それよか、学校で弁当を食べている姿を見たことなど皆無だった。だから勝手に料理はしない(できない)ものだと思い込んでいた。
 下げられる前に皿の縁を掴み、腿に置く。カレーとライスの温かさが暗闇の中で映える白いベリー皿を介して伝わってくる。タイミング良く横に置かれた水の入ったコップ。そして、水の他にコップ内の空間を占拠する銀色のスプーンを手に取った。
「じゃ、いただきます………」
 外見は普通のカレーにしか見えない。具は色々と入ってるようだが薄暗いこの場所では確認できなかった。
 口に入れてからのお楽しみ、というわけか………って、ほとんど闇鍋と変わらないじゃないかっ!
 しかし、既に二つの境界線から掬い上げた小さな山が銀色の窪みの中にある。
 全てが、遅かった。
 ここまできたら口に運ぶ以外選択肢は無い。いや、確かに虫のせいでスプーンを落とすとか、季節外れの突風が巻き起こるとか、可能性がゼロでないことは認めたい。
 だが何よりも、先輩の料理を食べてみたかった。言わずもがな、結果がどうなったとしても。
 口の中に招き入れて一粒残らず、口内が奪い取る。後悔はやってこなかった。それどころか幸福感に包まれつつあるくらいだ。
「どう?」
 自然と動く口。隅々にまで広がる味を残らず噛み締める。
 美味かった。
 よく煮えた野菜と肉。噛めば噛むほど味が出てくるとはこの感覚を言うのだろうか。僅かな辛さは食欲を促す。
「あ、美味いです。肉も柔らかくて最高ですよ」
「そう?……良かった。でも何か意外そうだけど?」
 途中まで優しかった声が変貌する。
 思わず汗が噴き出した。原因は思い出した夏の暑さや心地良い辛さではない。
「いえ、ただ先輩っていつも昼食はパンじゃないですか。だからもしかして料理しないのかなーって思っていたので」
 皿を持っていなかったら身振り手振りで必死に弁解していたに違いない。
 先輩の顔が無表情のままで固まっている。
「それって凄い勝手な思い込み」
 呟いた一言はやはり冷たかった。しかし、どういうわけか今回だけ笑みが秘められているように思える。
といっても完全に俺の個人的な思い込みでしかない。それは根拠の無い嘘と似ている気がする。
「マジで美味いんですけど。っていうか、料理できるんですね」
「それなりに」
 ほつれた髪を指で弄りながら答える姿は明らかに照れている。仕草が何とも可愛らしく、綺麗だった。
「どうして弁当作ってこないんですか?」
「面倒だから」
 人込み嫌いで面倒臭がり。例え美人であってもそれが先輩の性格だった。
 当然俺はこの答えを予想していたわけで、そうくると想定して次弾としての言葉も考えていた。
 なら今日はどうしてカレー作ったんですか、と咽まで出掛かった途端に上空に大きな花が開いた。直後、音が聴覚を襲う。
「あ、始まった」
 次の花が開くまでの空白の時間、そう呟いて先輩は俺の隣へと座る。
 考えてみれば夕飯は自分で作るよな……。それで偶然多めに作ったから俺に―――。
 そう言い聞かせて思考を終着させた。
「あっ………」
 垂直に舞い上がる光。
 空へと駆け上る一本の筋が昇りきって絶妙な間を置いてから大きな花が開き、美しい姿を見せた。そしてやってくる炸裂音。
 赤。
 紅。
 青。
 蒼。
 緑。
 翠。
 黄。
 紫。
 見るだけで人を魅了する鮮やかな色。俺はとくに鮮やかな紅が印象に残った。
 華美な花々が次々に開く様はまさに花束を連想させる。
 ちらりと横目で隣の美人の顔を盗み見ると、彼女は楽しそうに上空に咲く火の花を見ていた。窺えるのは子供のような無邪気な表情。普段なかなか見れないその顔に俺は釘付けになった。
「……何?」
 顔をこちらへと向けた瞬間に花火が横から射し込んだ。光に溢れる表情。眼と唇が光って美しく見えた。
 しかし、ここで褒め言葉の一つでも掛けることすらできないのが俺、小鳥遊(たかなし)紘平である。
「あ、いっいえ、何でもありませんっ」
 カレーを口に運んでから慌てて両目を上空の花へ向ける。先輩の据わった目線が痛かったがしばらくしてそれも空に移動した。


「いやぁ、全国から職人を呼んでいるだけあって綺麗でしたね」
 最後の八十五連発の余韻に浸りながら大袈裟に言った。それからごちそうさまでした、と告げて皿を置く。コップに口を付けた時だった。
「……物足りない」
 ぼそりと呟かれた些細な一言でしかないのに妙に説得力がある。
 そう言って先輩は部屋に上がり、何やら大きな物を持ってきた。
 花火だった。小さなキャラクターの描かれた華やかな装飾、いわゆるファミリーパックというやつだ。
「これからやるんですか?」
 かなりのボリュームがある。袋にも『量・火薬ともに三十パーセント増!』と大きく書かれていいた。法的に問題無いか果てしなく心配だったが、先程見かけた駅前のスーパーのシールが貼ってあったので売っていたものとして認識する。
「大きいのを見たから強い花火は要らない。線香花火だけね」
 袋に手を突っ込んで取り出した別の小さな袋には十本くらいの線香花火が入っていた。この小さな花火大会の開催に対して、どうやら俺に拒否権は無いようだ。でも二人の時間を少しでも長く過ごせるのは願ってもないことだった。
「あ、バケツ……」
「ある。下から取り出して」
 そう言われて俺は逆立ちのように頭だけ逆さにすると猫の隠れていそうな床下の暗闇に目を凝らす。目をこれでもかと言わんばかりに見開き続け闇に慣れた頃、視界の隅に水色の涼しげなバケツが浮かび上がった。
「……用意良いですね。よっと」
 頭に血が上ってしまわないうちに手を伸ばして素早く掴む。すると手首にずしりとした重みが襲い掛かった。だが何とか耐えて無事に取り出すことが出来た。
 バケツには本当に用意が良いことで、何ともご丁寧に水が半分ほど入れられている。
「はい、お疲れ様」
 労いの言葉と共に一本の花火を渡された。俺がバケツと格闘している間に先輩はロウソクを庭に突き立てていたようだ。そして今、一般家庭の台所でよく見かける点火装置(名前が出ない)で火を灯す。
「直接点けるより、ロウソクの方が雰囲気出るよね」
 その言葉に導かれるように立ち上がると火元へ歩み寄った。土の匂いが近くなる。
 見下ろす炎には夏の暑さとは違う温かさがあった。どうしてか酸素を燃焼し続けるそれに目が吸い寄せられてしまう。きっと目は虚ろになっているだろう。
 だが炎が微風によって揺らいだ時、目が覚めた。
「ねぇ、線香花火で賭けしなかったっけ……?」
 先輩は袋を開けて束になっている細い花火を取り出しながらそんなことを呟いた。
「賭けはしませんでしたけど、どっちの方が長く落ちないでいられるかみたいな勝負はしましたよ」
「賭けでしょ、それ」
 ふっと軽い笑み。笑顔よりも胸に突き刺さるモノがあった。
「違いますよ。賭けってお互いに何か物を出し合って奪い合うことを前提にした勝負じゃないですか。僕の言った勝負は無償ですから。ただ相手に勝ったっていう優越感を得るための娯楽です」
「娯楽?立派な賭けとして既に成立。その優越感をお互いに奪い合っているのよ。負ければ多少は悔しくない?」
 まるで俺の顔色を覗き込むように尋ねてくる。対して俺は曖昧な返事を浮かべるしかない。
「それは、まあ」
 条件反射の如く頬を掻いていると、浴衣の襟同士が重なった襟元に手を掛け、
「そうね―――」
 左右に少し開きながら言い出した。
「もしも紘平君が勝ったら……好きにしてイイよ」
「っ!?」
 声すら出なかった。
 華奢な指によって広げられた襟と襟の間から覗く白い世界。世界の持ち主は妖しく微笑んでいる。身体から放たれる何かに包まれるようだ。
 とにかく、息を吸い込んだ。そして吐く。
 個々の花火を束ねていたテープをようやく剥がしたらしく、浴衣の袖を押さえると先輩は一本の線香花火を差し出した。
「でも、私が勝ったら―――別れて」
「嫌です」
 微笑の残っていた顔に向かって速攻で言い放つ。
 それを受けて微笑みは崩れ去った。次に生まれたのは驚きを経て、無。
 それは、何よりも嫌だった。
「……そう言うと思った」
 無は笑顔に還っていく。
「え……?」
「今日私がどうして浴衣なんて着てると思う?」
 唐突だった。唐突過ぎて頭が付いていかない。重い。
「花火大会、だからじゃないんですか?」
 妥当な答えだと自分でも思った。可能性的に最も高く、先輩にとって最も低い答え。可でも不可でもない回答に思えて仕方が無い。
「次。なんでカレーをご馳走したか。述べて」
「夕飯の残り。それか、たまたま作りすぎてしまったから」
 またも回り道のような言葉が答えを成す。一つ、とは言われてないので思ったままに二つを並べて見せた。
 俺の解に反応して、先輩は眉を寄せて複雑な顔を浮かべ……るはずがない。そうしてくれれば間違っているのかどうか大体はわかるというのに。
「……違う。紘平君が来るから作ったの」
 そういうわけで結果はお馴染みの無表情から意外な返答を耳に入れる。頭の中を三巡してやっと言葉の内容を理解した俺は発言しようと口を開くが、それはお約束で遮られてしまった。
「それじゃ、最後。眼鏡を外していると思われる相応しい理由を答えてください」
「イメチェン……?」
「……バカ」
 ご丁寧に息を大きく吸い込む動作まで見せ付けてから緩やかに長く、溜めていたものを吐き出す。これによって前の発言を強化していた。
 身体の至る所に突き刺さる釘も吐かれる間に数を鼠算式に増えていく。
「最後くらいは答えて欲しかった。……酷い」
 眉根を軽く寄せてさみしい乾いた笑いを見せ付けた。
 心が痛む。それが己の過ちのせいだというのだから尚更だ。
「俺が何か言ったんですか?」
 わからないままでは更に悪い。最早、はっきりさせて謝るしかない。
「言った。コンタクトの方が、綺麗だって」
 その言葉を聞いた瞬間に自分の顔が強張るのを感じた。
「…………」
「何?」
 何も言わずに顔を見つめたままでいると、無の下に勝ち誇った表情をきっと隠している先輩が訊いた。
「それ間違ってます。眼鏡外しても綺麗ですね、とは確かに言いましたけど」
 それきり、先輩の口は開かなくなった。
 でも考えてみれば先輩は俺のためにカレーを作って、アドバイスを聞き入れて(少し違ったけど)眼鏡を外してくれたのだ。
 沈黙が場を占めて静寂の一人舞台になりつつある頃、先輩が口を開く。
「改まって、賭けしない?」
 火の明かりを浴びているせいか、顔を赤らめていた。それは俺も同じだろう。
「賭け、ですか。お手柔らかにお願いしますよ……で、何を賭けるんです?」
「賭けでも『失う賭け』じゃなくて『貰う賭け』にすればいいの。そうね、私が勝ったらこれからは名前で呼んで」
「マジですか……?まあ、『勝ったら』ですけどね」
 これは何とも嬉しいことだが『先輩』で慣れているため矯正していくのは難しいに違いない。きっと間違える度に小突かれる運命が待っている。
「そういう紘平君は何?」
「そうだなぁ……」
 そう呟いて、先輩の透き通る瞳を見つめる。目線を重ねてお互いの目と目は結ばれた。
 少し表情を和らげて、人差し指と中指を自分の唇に持っていく。重ね、真剣な眼差しを向け続ける。
 すると何を要求しているのか察したようで先輩は瞬間接着剤のように顔を真っ赤に染め上げた。
「正確にはコレじゃないですけどね。似たものですよ」
「バ、バカ……」
 目線を逸らして言う。顔は逸らされたために暗闇の中でもわかるほど紅潮していることがバレてしまった。
「でも……勝てたら、ね」
 二の腕まで袖を引き寄せ、細い腕が現れる。力瘤が見えそうなくらいに力が入っているようだった。
 絶対に勝つ気でいる。
 相手の闘志を感じ取り、花火を持つ指に力が入った。全部が全部欲望のままにあるわけじゃないことをとりあえず自分自身に言い聞かせておく。
 お互いが花火の先端を揺れる焔の先に持っていった。そして火が点き、明るみと光と影が生まれた。
 先端に丸い玉が生まれ、瞬時に見比べてしまう。俺の方が大きかった。
 身体半分が明るみに、残り半分は闇に溶け込んでいる。
 線香花火は弱々しく咲き、ゆっくりとその花弁を広げて散っていく。
「コレの必勝法知ってます?」
「あるの?」
 真剣な表情で視線は持ち上げずに投げかける。声からは興味が無いように思えたがその半面では多分焦っていることだろう。
 一色に見える火は次第に花の形を変え、大きな広がりを見せ始めた。
 目に焼き付けられる咲き乱れる結晶の花々。
「ありますよ。実力です。実力で勝負は勝敗がつくじゃないですか」
 火が形作る、触れてしまえば壊れてしまいそうな脆いソレ。美しいものは崩れやすい、なんて台詞よく聞く。
「線香花火の実力?やる前にどれが長持ちするのか見定めるの?」
 先輩の目が上を向いて俺と合う。
 興味を示したようだ。だが、それも運の尽きに他ならない。
 だから―――笑わせることにした。
「それは、運ですよ。ほら、よく言うじゃないですか。運も実力の内って」
 本当につまらない洒落。誰にも通用しないはずだったこの言葉。
 しかし、世の中はとてもとても広いもので活用する余地の無いものでもいつかどこかで使えるものだ。そしてこれも俺の知る限り、一人だけ有効な人がいる。
「っ、ふふっ、ふふふふふ……あはははっ―――あ」
 見事に先輩は笑わされて指先が震えてしまった。当然燃え盛っていた玉も揺れによって切り離されてしまう。
「はい、自滅ですね」
 地面に落ちて急速に熱を失っていく玉の末路を見届けて、呆然としている先輩に結果を告げた。現実に帰還し、慌てふためき何か必死に訴えようとしている。
「ま、待って……今の無し………!」
「嫌です。でも弁解の余地くらいは与えてもいいですよ。どうします?」
 意地悪く笑った。
「はっ反則。卑怯者」
「却下です。特にルール定めてないじゃないですか」
「もしも私が紘平君の花火を叩き落してたらどうしてた?」
「万が一にもありえませんね。思いつかなかった時点で駄目ですよ」
「もうっ」
 諦めたらしく、先輩は立ち上がって頭の後ろに手を回し、素早く髪を解いた。衣擦れの音が聞こえてきそうなくらいに鮮やかで美しい。
 首を数度左右に振り、最後に片手で感嘆に髪を整える。そして家の方へと戻り、蚊取り線香の隣に腰掛けた。溜め息が聞こえた。
 あそこまで長い髪だと顔を埋められるけど、やっぱり邪魔だな。
「どうして私が賭けしようって言ったか、やっぱりわからない?」
 先輩に近付いていく途中に訊かれ、浅い笑いを浮かべてしまう。
 隣に腰を下ろして両手を後ろに突き、身体を反らすように既に花火の残した煙が晴れた夜空を見上げた。
「そんな性格、だからですか?」
 散々躊躇った言葉を口から吐き出して答えた。先刻までの答えとは違い、確信があった。
「どうしてっ、どうして、こんな時だけ鋭いのよ……っ!」
「よく言われます」
 先輩の目に涙が浮かんでいた。
 せめて最初は優しく、と遠い方の肩に手を置いて引き寄せる。肩が俺の胸に当たった。
 その感触に頭から思考が飛びそうになりながらも何とかして碇を下ろし、船を留める。反応して肩を持つ手に力が入ってしまった。また、力に対して先輩の口から熱い息が漏れた。
 そこで、ふと思い出す。
「そういえば、まだ先刻の質問の答え聞いてませんでしたね」
「答え?」
 半ば笑い声で聞き返すその声は意味を知っている証拠だ。
「とぼけないでください。どうして浴衣を着たのか、ですよ」
「そっちこそ。察してるくせに」
 額を胸板に押し付けられて少し息苦しくなった。
 音も無く鼻から息を吸い込むと、普段は薄く感じる程度の良い匂いが今この瞬間だけとても濃い。頭がクラクラしたけれど気持ちのいい揺れだった。
 お礼に、与えた。
「ええ、わかりますよ。みずきさん」
 そして、賭けの約束通りに唇を奪った。
 深くはない浅い重ねるもの。
 ロウソクの頂に灯る鮮紅色の火が風に靡いて揺れる。
 揺れが収まったただの火の明かりは、その時だけは華美な装飾を上回る見事なものに見えた。
「なら、少しだけ私の心、理解できたってこと………?」
 返事の代わりに一度、頭を優しく撫でた。
 
 
 了



あとがき

 初めましての方は初めまして、ショージと申します。
 ダラリと二週間かけて書き上げたわけですが、これは線香花火ネタ短編です。
 わざと(?)最後は感情をなかなか素直に表せないみずき先輩をそのままで放置したのは言うまでもありませんね(ぇ

 それでは。



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