冬空と波の音〜男性視点〜 |
裕 |
日は沈み、今日という日が終わりを告げようとしている。 辺りに響くは、波の音。 彼女は俺の前を、黙々と歩いている。少し距離を置きながら、その後姿についていく。 俺達の他に、人はいない。唯、波打ち際の流木が、寂しげに波に揺られている。 砂浜に残る足跡は、瞬く間に波にさらわれて、それが今の、俺と彼女の距離なのだと実感する。 寄せては返す波の音、心地よい子守唄。 その安らぎが、今の俺には耐え難い。 「―――寒いね」 不意に彼女は立ち止り、他愛の無い事を言う。 それは、俺に向けられた言葉なのか。 それとも、唯の独り言だったのか。 こちらに振り向きもせず、また同じ言葉を繰り返す。 「―――寒いね」 彼女の表情はわからない。 唯、後姿が凄く儚げで、今すぐにでも駆け寄って、何も言わずに抱きしめたい。 この腕で抱きしめて、彼女の不安を、俺の不安を、俺の温もりを伝えたい。 はやる気持ちを押し殺し、一歩一歩足を踏みしめて、彼女の真後ろ、手を伸ばせば触れ合える場所、こちらを窺う気配がわかる。 そう、今ここで後ろから抱きしめたら、彼女はどんな反応を示すだろうか? 拒絶? それとも、黙ってなすがままにされているだろうか? 多分、後者だろう。 それがわかるから、何も出来ない。 その行為が、俺にも、彼女にも、唯辛い現実を思い知らされるものだから。 ゆっくりと眼を閉じ、一つ息をつき…………。 「―――あぁ、寒いな」 そんな他愛の無い言葉を返す。 うつむき加減で、その言葉を聞いている彼女は、今、何を思うか。その後姿からは、何も窺えない。 今、話すべき事、話しておきたい事、お互いにぶつけ合う事があるはずなのに。その言葉の一つ一つが、喉から先に出てこない。 それに、何を言ったところで、結末は変らない。 これは、俺が、彼女が、望んだ事なのだから。 「はぁ〜〜〜、息、白いね」 突如、顔をあげ、夜空へと息を吐く。 その言葉には、何か決意のようなものが感じ、俺はすべてを理解した。 一つの恋が終わりを告げる。 今、この時に。 俺は、夢を捨てきれず。 彼女は、過去に縛られて。 「今日は、付き合ってくれてありがとう」 くるりと回り。彼女は俺に顔を向ける。 今日、初めてまともに見る彼女の顔は、満面の笑みだった。 いや、その笑みを、俺に見せるためだけに、今日という日はあったのかもしれない。 だからこそ、俺は、唯、その笑顔につられて微笑んでいられる。 今まで生きてきた中で、最高の笑顔を。 「じゃ、俺……行くな」 「ん」 この場所へと来た時とは逆に、今度は俺が、彼女に背を向け歩き出す。 そして、彼女へ、最後の言葉を一つ。 「さよなら」 「さ……よな…………ら」 泣いている。 先程まで、笑顔でいた彼女が、泣いている。 声を殺し、俺に気づかれないようにと。 俺に気づかれないはずなど、無いと分かっているのに。 それでも彼女は、声を押し殺し、泣いている。 振り向きたい。 振り向いて、彼女を抱きしめたい。 今、彼女は間違えなく、俺のために泣いている。 だけど――――― 今、振り向いてしまえば、彼女の笑顔を台無しにしてしまう。俺だけのために。 あの瞬間、すでに泣いてしまっていても、おかしくないはずなのに。 彼女の、精一杯の感謝の気持ちを。 そして、今まで、積み上げてきたものすべてを。 台無しにしてしまう。 確かに、俺達の物語は、ここで終わってしまう。けど、物語自身は確かなものだったはずなのだから。 一歩一歩足を踏みしめて歩く。 彼女の、声と呼べない声が、少しずつ遠ざかる。 その声が、俺の耳に届かなくなる時、彼女との繋がりは、途切れる。 一歩一歩足を踏みしめ、自らの足で、その繋がりを絶つ。 前方から一人、誰かが走ってくる。 その顔は、闇にまぎれ確認できなかったが、その体つきからして、男であるという事だけは、わかった。 脇目も振らず、唯、前方のみを見据え、俺の横を通り過ぎる。 その必死さが、今は羨ましい。 「友香!!」 遠くで、叫ぶ声が聞こえる。多分、今の男の声だろう。 もう、俺が呼ぶ事は無い名前を。 少し立ち止まり、夜空を見上げる。 澄んだ空、星星が綺麗に輝いている。 波音は、規則正しく心地よい。 ゆっくりと眼を閉じ、波音に心を傾ける。 心地よい子守唄。 しばらく、その波音に聴き入っていたかったが、直ぐに眼を開け、前を見据える。 そして、また一歩一歩、足を踏みしめ、駅へと向かう道のりを歩く。 話し声は、もうすでに聞こえない。 それが、俺の選んだ道だから。 |
あとがき ここまで読んでいただき、ありがとうございます。この作品、とても短いのですが如何だったでしょうか?何かしらの感想を頂けると幸いです。すでに、何人かの方に読んでいただいたのですが、最初の言葉は「続きは?」……ご指摘最もです(汗 という事で、このお話の女性視点も書く予定です。どういう形にするかは、まだ未定ですが、そちらの方も読んでいただけたらと思います。それでは。 |
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