注:この作品〜男性視点〜と、対になっています。よろしければそちらからお読み頂けると幸いです。


冬空と波の音〜女性視点〜
 裕






『今から、あの日の場所へ来て』

 メールを送る。
 二人の男性に、同じ文面、同じタイミングで。たった一行の言葉を。
 それでも彼らには、これで通じる。例え、同じ文面であろうとも。その意味は、まったく別のものだけど。
 私は今、海の見える場所、その駅で彼らを待つ。
 夏には、海水浴場としてごったかえすこの駅も、冬の寒空では利用者も少ない。
 改札口の目の前、其処で私は独り立ち尽くす。
 携帯電話の電源を切り、一つ息をつく。

「はぁ〜〜〜」

 彼らは、本当に来てくれるだろうか?
 来てくれるにしても、メールに気がつき、ここまで辿り着くのに、少なくても二時間。
 もしかしたら、返信のメールが、今すでに来ているかもしれない。でも、それを確認したいとは思わない。確認してはいけない。
 唯、私は、ここから動かず、彼らが来てくれるのを待たなくては。
 海からの潮風が、私の髪をなびかせる。もう、日は傾きかけ、今でも十分寒い。これから、寒さはもっと酷くなるだろう。
 こんな所で一人、立ち尽くす事に、何か意味があるのだろうか?
 誰が褒めてくれるわけでもない。誰に伝えるわけでもない。何処か、寒さと風が防げる場所で、彼らが来てくれる時間まで待機していても、これから起こるべき事に大差は無いはずだ。
 それでも、私は頑なにここから動く事はしない。それが私の、私に対する戒めだから。
 電車がホームへ滑り込んでくる。やはり、人影はまばらで、数人が降りてくるばかり。
 降りてくる人を、一人一人確認していく。今、メールを送ったばかりで、彼らがその電車に乗っているわけが無いのに、知らずと目で追ってしまう。
 乗っているはずが無い。案の定、釣りの道具を持った男性二人と、女の子の集団、そしてお年寄りの男性が一人、私の捜し求める影は無かった。
 女の子達は、一際騒がしく、私の横を通り抜けていく。私のことなど視界の隅にもいれず、他愛の無いお喋りをしながら。
 羨ましいく、懐かしい風景。数年前までは、私もそんな女の子だったのだから。
 でも、今では遠い昔のようで、そして、今の私にはもどることの出来ない場所。
 遠くに、彼女達の笑いが響く。潮風に乗って、その笑い声は私に辿り着く。今からしなくてはいけないことを考えると、とても笑える気分ではないのに、何故か私も微笑が浮かんでくる。





 いくつかの電車が、ホームに滑り込み、そして去っていく。
 メールを送ってから一時間近く。駅に備え付けの時計は、夜の帳へと時を刻んでいく。
 まだ、彼らが来る気配は一向に無い。
 寒さが身にしみる。体はかじかんでしまって、小刻みに震えが止まらない。
 それでも、私は彼らを待ち続ける。ずっと同じ場所、其処に立てられた銅像のように。
 遠くで、甲高い笑い声が聞こえてくる。一人二人のものでは無い。複数人の希望に満ちた声。
 声のするほうへ顔を傾けると、先程この駅から降り立った、女の子の集団と思われる影。顔をちゃんと覚えていたわけではないが、服装や雰囲気が間違いないと私に確信させる。
 途中一人の女の子と目が合う。少し小首を傾け、私のことを不思議な目でみるのがわかる。しかし、直ぐ他の子に声をかけられ視線をそらしてしまう。
 女の子達は、思い思いに、自動販売機で飲み物を買っている。そんなことでも楽しげにしている彼女達から、私は目をそらし、又駅の改札口の方に目をやる。
 彼女達は、何をしにこんな何も無い所まできたのだろう?ふっと、そんな疑問が浮かんでくる。
 別に深い意味は無いのかもしれない。唯、冬の海を見たかった、そんな他愛の無い理由だろう。
 私にも経験がある。友人達と、その場のノリで、意味も無く馬鹿馬鹿しい事に熱中になった事が。
 それにしても寒い。やっぱり何処か、寒さの防げる場所で待っているべきだったのだろうか。
 キュッと目を閉じ、身を縮め、自らを抱きしめる。

「あのぉ〜」

 彼らが来るのは、まだ先で、今更にして後悔してしまう。
 ちらっと、そんな事を考えて、あわてて首を振る。
 その行為が、大変であればあるほど、自分にとっての戒めになるのだから。
 今から、こんなことでは、この先もっと弱気になってしまう。

「えっと……すいません。大丈夫ですか?」

「…………え?」

 いつから、その場所にいたのだろうか?目を明けると、私の直ぐ前、其処に女の子が心配そうな顔で、私のことを覗き込んでいた。
 顔を上げ、辺りを見渡してみる。私とその女の子を、少し間を空けて眺める少女達。
 もう一度目の前の女の子に目を向ける。よく見ると、先程目の合った女の子。
 彼女はニッコリと微笑んで。

「これ、温まりますよ」

 手に持っていた何かを、私に手渡す。私は無意識に手を出し。

「アツッ!?」

 あまりの熱さに、それを落としそうになり、慌てて、ハンカチにくるむ。
 悴んだ私の手に、それはあまりにも熱すぎて、ちょっと手が痛い。

「……ココア?」

「はい、とっても温まりますよ」

 彼女は又、ニッコリと微笑む。その姿に、フッと頬に伝う雫。
 涙?
 そう気が付いたときには後から後から涙が頬を伝う。
 気が張っていたからだろうか、一度堰を切った涙は取り止めも無く、目の前の女の子はオロオロするばかり。
 間を空けてこちらを眺めていた少女達も、何事かと、こちらに近づいてくる。
 潮風が、一つ、私達を包み込む。
 先程まで、その風に身を縮めていた私は、逆にその冷たさに、今のぬくもりを伝えてくれているようで、心地よさまで感じている。

「ご、ごめんね。驚かせちゃったね」

 ひとしきり泣いた後、彼女達に笑顔を向ける。
 自分でも分かる、心からの笑顔。私は、彼女達に救われた。
 多分、あのまま、彼らを待っていたら、その姿を見つけた瞬間、今のように涙で何も話すことができなくなっていただろう。
 それは、どちらの男性に対しても、同じ事。
 その時、気づく。別れをきりださなければいけない人、その人の前で泣く事はどんなに残酷な事なのだろう。
 彼には…………彼の前ではもう二度と泣いてはいけないという事に。
 他の誰でもない。彼の前でだけはこの先、絶対に泣いてはいけないのだと。

「あのぉ〜何にも知らない私がこんな事を言うのは、失礼かもしれないですが……元気出してください」

 心配そうに覗き込む女の子。周りの子達も、口にはしないが、心配そうな目。
 彼女達は、今、本当に私のことを心配してくれている。
 それがわかるから、私も微笑んでいられる。
 興味本位もあるだろう。私に声を掛けてきたのだって、唯の気まぐれだったのかもしれない。
 それでも、彼女達のおかげで、私が救われて気持ちになった。
 だから、私は、もう一度彼女達に笑顔を向けて。

「ありがとう」

 その言葉を、心の底から伝える。
 精一杯の感謝の気持ちも込めて。





 ゆっくりと、でも確実に、その時間は訪れる。
 手の中には、空き缶が一つ。すでにその中身は飲み終わっていたが、これをくれた女の子の温もりが、いまだに私の心を温める。
 少女達は、しばらく他愛の無いお喋りを交わした後、家路へと帰っていった。
 去り際、少し心配そうな素振りを見せていたが、私は微笑み『大丈夫』と『ありがとう』の言葉を彼女達に伝えると、彼女達も眩しいほどの笑顔とともに、駅のホームへと消えていった。
 身体一杯に、手を振りながら。
 それからは、また私一人。駅の改札口前で、降りてくる人、一人一人確認している。
 もう、辺りの日は落ちて、顔を確認するのは困難だったけど、降りてくる人自体がそんなにいないので、見落とすという事は無い。
 寒さが身にしみるのは相変わらずだったけど、これからのことを考えると、気持ちも高ぶり、あまり気にはならない。
 一人の男性に、さよならを伝え、私は別の男性とこれからの道のりを歩む。
 結局、私は過去に縛られ、先の見えない一歩に恐れをなしただけなのだろうか。
 自分勝手……そう罵られても仕方の無い事。でも、だからこそ、さよならの一言は自分の口から伝えたいと思う。
 名も知らぬ、少女達。彼女達自身は気がついていない、私に教えてくれた事。
 さよならは、笑顔で。私はそう決めている。
 また、電車がホームに滑り込んでくる。ここで待ち続けてから、何台目の電車になるだろうか。
 ゆっくりと速度を落としながら、少し耳に障る音を発して、電車は止まる。
 扉が開き、降りてくる人は…………一人。暗闇の中ですら、その人の事がわかる。
 そう、同じタイミングでメールを送れば、先に辿り着くのは彼の方だ。わかっていたから、同じタイミングでメールを送ったのだから。
 目を瞑り、ゆっくりと息を吸い込み、腕の中の空き缶をキュッと胸に抱く。
 無愛想で、だけど、自分の夢を語るときには子供のような彼。
 常に私の前を歩いて、時々気がついたように、振り返り、私がいることを確認してまた歩き出す。
 不器用で、やさしさを表に出してはくれなかったけど、そんな彼についていくことが幸せだった日々。
 でも、私はそんな生活が次第に苦痛になり、そして、今日その日々が終わる。
 そして、おずおずと目を開けると、彼はすでに改札口を通り抜ける所で、こちらに気がつき近づいてくる。
 私は、慌てて彼に背を向け、声をかけられるのを待つ。

「まったか?」

「んーちょっとだけね……少し、歩こっか」

 顔も見せずに、海岸に向け歩き出す。先ほど泣き腫らした目は、まだ酷い状態だろうから、駅の灯りで泣いていた事がばれてしまうのが嫌だった。
 駅のゴミ箱へ、手にしていた空き缶を捨てる。
 カコッン
 と小気味のいい音がして、何か気持ちがいい。
 横目で、彼を覗き見ると、私のそんな何気ない仕草を、唯黙って見守っている。
 そんな彼を尻目に、私は何も言わずにまた歩き出す。
 海岸への道のりは、本当に閑散としていて、人一人すらいない。
 唯、海から聞こえる波の音と、私たち二人の足音だけが、この冬空に鳴り響くのみ。彼は黙々と私の後ろを歩いている。
 そう言えば、こうして彼の前を歩くのは初めてのことかもしれない。いつも私は彼の後ろを半歩以上遅れて歩いていたのだから。
 そんな事を考えている間に私達は、海岸へと辿り着いた。
 私は暗がりの中、気をつけながら、砂浜へと下りる階段を踏みしめる。
 彼は依然として、そんな私を一寸遠めで眺めながら、黙々とついてくる。
 そんな彼に気を取られただろうか、気をつけていたはずなのに、途中、砂に足を取られる。

「あっ!?」

 と口に出した瞬間、腕をつかまれる感覚。

「大丈夫か?」

 直ぐ近くに、彼の声。
 駆け寄ってきてくれたのだろうか。
 私の腕をとって、支えてくれている。
 彼の腕からの温もり。今迄、この寒空の下にいた私にはとても暖かく、でもその温もりが逆に寂しく思う。
 この腕に支えられて良い私は…………もういないのだから。

「う、うん……大丈夫、ありがとう」

 少し突き放す形で、彼と距離をとる。
 そのまま、砂浜に降り立ち、独り歩き出す。
 この距離が、今の私たちの距離。それは、二人でもう決めた事なのだから。
 私は黙々と歩き出す。
 ゆっくりと、一歩一歩を踏みしめて。
 波打ち際に、その足跡を残していく。
 少し遠くから、砂を踏みつける音をならして、彼はついてきている。
 しばらくその音に耳を傾けながら、私の決めていた目的地へと、近づいていく。
 そう、多分この辺り。
 昼間と夜。夏と冬では雰囲気は全然違っているが、自分の中では確信がある。
 そこへはもう直ぐ辿り着く、と。

「―――寒いね」

 この場所だ。
 私は予感めいたものを感じながら、急に立ち止まり、そんな言葉を漏らす。
 その一言が、誰に向けて発せられたのか……自分でもよくわからない。
 唯、彼はこの場所の意味を、理解してくれているだろうか。
 彼との距離は、今はない。
 もう一度。
 今度は私の意志で、彼に向けて同じ言葉を。

「―――寒いね」

 ゆっくりと、近づいてくる気配。
 彼は何と答えるだろうか。
 わからない。でも、答えは直ぐにでる。
 それがどんな答えだろうと…………結末は変らない。
 本当に?
 それすらも、わからない。
 直ぐ真後ろ、彼はそこにいる。
 一つ息をつくのがわかる。
 彼の出した答えは。

「―――あぁ、寒いな」





 そんな何気ない一言だった。





「はぁ〜〜〜、息、白いね」

 だから、私も、冬空へ向けて、そんな何気ない言葉を返す。
 頭の中は、色々なものが一杯だったから、それらすべてのものを空へと向けて吐き出した。
 私の目に映るものは、暗い夜空。
 点々と寂しそうに光る星達。
 そして、欠けてしまっている月。
 その光景を、少し見つめた後、私は彼へと振り返る。



「今日は、付き合ってくれてありがとう」

 大丈夫、私の笑顔に曇りは無い。
 だから、その笑顔が崩れてしまう前に、彼に最後の言葉を伝えなければ。
 今日、まともに見る彼の顔も、笑顔なのだから。
 お互い笑顔のままで、お別れしよう。
 それが、私の我が侭だとわかっている。
 自己満足なだけかもしれないけど、これが私の出した答えなのだから。

「じゃ、俺……行くな」

「ん」

 彼は私に背を向けて、歩き出す。
 その背に向かって、最後の言葉を言おうとした時。

「さよなら」

 先に彼に言われてしまった。
 それで、私の緊張の糸は、切れた。

「さ……よな…………ら」

 泣かないと決めていたはずなのに。
 止められない。
 彼の背が、涙でぼやけてしまう。
 それでも必死に声を押し殺し、泣いている事を悟られないよう努力する。
 そんなことに意味はないのかもしれないけど、すでに彼にはばれているのはわかっているのに。
 それでも必死に声を押し殺す。
 この涙は、彼のための涙だけど、それを知られてしまってはいけないのだ。
 一瞬、彼の動きが止まるのがわかる。
 今、彼は何を思っているだろうか。その背を見つめながら、私の目からは涙が止まらない。
 その、永遠とも思える一瞬。
 彼は、振り返ることもせず、いつもの足取りで、歩き出す。
 その背に向かって、もう一度、彼には聞こえない声で最後の言葉を漏らす。

「さよ……な……ら。ありが……と」

 もう二度と、彼の後ろを歩く事はない。
 その背を見るのも、これで最後。
 ゆっくりと、でも確実に、彼の背中は遠ざかる。
 涙が、後から後から、頬を伝う。
 砂浜には、点々と黒い痕。
 一つの物語は、もう終わったのだ。
 私は、彼の後ろを歩いていく事に、疲れてしまったのだから。
 すでに、彼の背は、遠く離れてしまっている。
 あの背が、見えなくなったとき、彼と私の接点はなくなる。
 だから彼の姿が見えなくなるまで、その時までは彼を見つめていよう。
 霞む目を凝らしながら、彼の姿を焼き付ける。
 もうあと少し、そう、後何分かでその姿が見えなくなるだろう。
 フッと、その影が二つに増える。

「友香!!」

 そして、私を呼ぶ声。
 一つの影は遠ざかり、もう一つの影は次第に近づいてくる。
 その必死に走ってきてくれる姿に救われる。
 涙はまだ止まらないけれど、構わない。
 私とともに歩んでくれる人。
 その姿は、次第に確認できるようになる。
 夢を語る、そんなことは出来ない人。一人で、道を切り開く事も出来ないけれど。
 私は、誰かについていく道よりも、ともに歩んでくれる道を選んだのだから。
 私の物語は、終わらない。









あとがき
 ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます。やっとのことで、女性視点完成です。ラストあっさりしすぎかもしれませんが、私的にこのラストが一番しっくりきたので、こういう形になりました。ツッコミどころ多数おありでしょうから、その辺も踏まえて感想頂けると幸いです。





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