……一言で言えば、海を綺麗にする仕事です。
 ミズ・ポートマンは、そう言った。
 Clear the sea――海を綺麗に。
 間違っちゃいない。嘘をついている訳でもない。ただ、単語が二つばかり、不足気味だっただけだ。
 Clear the sea for mines――掃海作業。
 そう言ってくれていたならば、俺には別の選択肢もあった筈だった。
 今さら言っても、仕方の無いことなのだが。

海をきれいに
                              長峰 晶


2019年6月 春香奈 二十歳  桑古木 十七歳

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 化石燃料。石油を代表とするその資源は、有限のものだ。後数十年で枯渇すると言われて続けてもう五十年ぐらいが経つが、幸いにしてまだ枯れ果ててはいない。
 火力発電への依存度が緩やかにではあるにせよ減少し、燃料を『燃やす』割合が減ったこともある。バイオマスなど、化石燃料以外の資源の活用研究の進展が著しいことも、理由の一つだ。
 だが、おそらく最大の原因は、人々が飽くなき欲望を持って資源を求め続け、一つまた一つと、これまで見つかっていなかった油田を発掘し続けたことだろう。
 二十一世紀に入って幾年かが過ぎ、地上には未発掘の油田フロンティアはほとんど残っていなかった。
 地上になければ、海中に。
 それは、当然の思考の帰結だろう。地球の表面を海と陸に分ければ、海が約七割を占めているのだから。
 そうして、また一つ、新たな油田が発見された。
 ただし、その場所はいかにも上手くないところだった。
 コロンビア、ブェナベントゥラ湾の沖合。
 海底の地形や土壌の性質、深度、海流等のさまざまな自然環境に伴う技術的問題――これらはもちろん絶無ではなかったが、現代の科学力をもってすれば、克服できないものではなかった。
 険しい障害となって立ち塞がったのは、政治的な問題だった。
 コロンビアは南米最大の反政府組織、コロンビア革命軍(FARC)を抱える国家だ。
 大規模な反政府組織はこの他に二つ、民族解放軍(ELN)とコロンビア自警軍連合(AUC)が存在し、総て外国テロ組織として米国に認定されている。俺が生まれた年である二〇〇一年には、三つの組織を合わせた構成員の数は約三万人となり、最盛期には四万人を超えたとまでと言われている。
 これら反政府組織とコロンビア政府との間の内戦の歴史は長く、とても一言では説明できない。
 内戦を鎮圧するために、その昔、コロンビア政府は一九九九年から二年間を予定した「プラン・コロンビア」という政策を打ち立てた。もっとも、実際のところはその政策は米国のクリントン大統領のイニシアチブにより始められ、原文はコロンビアの公用語であるスペイン語ではなく、英語で書かれていたという説もある。
 プラン・コロンビアの当初の目的は、その四十パーセントがゲリラの手にある国土を国家が統制し、ゲリラと麻薬を撲滅することだった。コロンビア政府は、南部コロンビアのFARCに対しての軍事攻撃を行い、同時にその地域で作付けされているコカを根絶することにより、その目的を達成しようとした。
 その成果を簡潔に述べると、次のようになる。
 二〇〇一年には九月十一日の同時多発テロ事件が発生したにも関わらず、同年の国際テロの件数は前年の四二六件から減少し、三四六件だった。しかし、そのうちの一七八件はコロンビアの多国籍石油パイプラインを標的にした爆破事件であり、これが二〇〇一年の総件数の半分を占めた。また、コロンビアで二〇〇一年に発生した二八〇〇件を超える誘拐事件のうち、約八十パーセントがFARCとELNの犯行であると言われており、それらの組織に莫大な資金がもたらされた。
 このような結果に終わったプラン・コロンビアだったが、計画は中止されるどころか、延長されることになった。
 ある意味皮肉なことに、二〇〇一年の同時多発テロは、米国に対する伝統的な石油供給源だった中東への不安感を高め、米国に対する石油供給国第七位のコロンビアの価値を相対的に高めたからだ。少なくとも、当時の駐コロンビア米国大使アン・パターソンは、そう語った。
 これが、減圧時間の暇潰しを兼ねて、ジャックとロジータが俺に語ってくれた二十一世紀初頭のコロンビアの状況だ。
 こんな状態で油田が発見されればどうなるか。その結果は、子供にだって分かる。
 ブェナベントゥラ湾の沖合に発見された大規模な油田は、文字通り、火に「油」を注いだのだ。
 かくて、苦難の日々は始まる。
 年間約百八十件、二日に一回の割合でパイプラインの爆破テロが起こる国での油田開発など正気の沙汰ではないと思うのだが、世界は俺の想像以上に狂っていた。
 そして、米国企業の主導による試験採掘が開始される。
 FARCを中心とするコロンビアの反政府組織は激しい抵抗を行ったが、世界最強の軍事国家の軍事力の前に、それらは押し潰されていった、かのように見えた。
 何者かによる大規模な機雷撒布による海域封鎖がなされたのは、二〇一七年二月三日のことだった。
 この行為により、海底油田開発計画は事実上、完全に停止させられた。
 翌日にFARCが犯行声明を出したものの、後にFARCが分裂し、分裂後の片方の勢力が冤罪を主張するなど、事件の真相は闇に包まれている。
 コロンビアと同じく南米の産油国であるベネズエラの牽制であるとか、原油価格の暴落を恐れた中東勢力によるものであるとか、コロンビア反政府組織に猛攻撃を加えるための口実を作るための米国の自作自演であるとか、諸説が各国のジャーナリズムを賑わせた。
 現場側の人間としては、真相は気にならない筈はなかったが、それ以上に心を占めることがあった。
 真相が何であれ、機雷は確かにそこに存在するのだ。それを除去しなければ、開発に着手することができない。
 そうして、大規模な掃海作戦が始まり、世界中からダイバーが集められた。ミズ・ポートマンによれば、俺の同僚であるジャックはこの黎明期から参加し、現在も残り続ける貴重なメンバーなのだそうだ。
 数多くの犠牲を払いつつも掃海作業は着々と進められたが、二〇一八年の秋に、大きく状況が動いた。
 二〇一八年十月十二日、再び、何者かによって機雷が撒布されたのだ。
 今度は、犯行声明が出ることもなかった。
 海底油田開発計画は大きな打撃を受け、幾つもの企業がこのプロジェクトから撤退していった。
 また、ダイバー達も次々とこの地を離れた。
 その気持ちは良く分かる。
 命懸けで行い続けてきた作業が、僅か一日で水泡と帰せば、誰でも意欲を失うことだろう。
 しかし、ことここに至っても、驚くべきことにプロジェクトそのものは消滅しなかった。
 半ば信じ難い話ではあるが、命知らずな人間は世界中に溢れており、ダイバー達は再びここに集まってきたのだ。
 そうして、現在に至る。
 ダイバー達は幾つもの危険に晒されつつ、今日も生きている。
 作業ミスによる機雷の誤爆が最も直接的なものだが、その他にもさまざまな危険がある。
 海中での遭難事故や減圧時の事故、酸欠などによる溺死。
 死の恐怖に怯える日々に精神の平衡を喪う者もいれば、酒に溺れる者もいる。
 また、世界のコカインの七割を産出するこの国は、一種の麻薬天国だ。恐怖に参った者から麻薬に手を出し、破滅していく。
 契約期間中に脱走を図り、処刑される者もいる。違約金を払えば大手を振って出て行けるのだが、その莫大な金額は到底個人で支払えるものではなく、事実上、ほとんど意味の無いものとなっている。
 そして、反政府組織による妨害工作。
 米国軍による苛烈な攻撃を受け、その構成員が二万人以下とも一万五千人以下とも言われるまで縮小した反政府組織は、その腹いせとばかりに掃海作業に携わる人間達を標的とするようになった。
 何せ俺達は、ミサイルも戦車も爆撃機も持っていない。連中にとっては、七面鳥撃ちのようなものだ。
 もちろん米国軍やコロンビア海軍による海域の警備は行われているが、これらは第三次機雷撒布を防止することを最重要課題としており、そのようなことが到底成し得ない小型のモーターボート――テロリスト達がしばしば使う――などは、警備の網の目からぼろぼろと抜け落ちていっている。
 こうしてブェナベントゥラ湾は、テロリスト達の狩場となった。
 掃海作業に携わる人間は何らかの形で自衛手段を取るしかなく、それはダイバーとても例外ではなかった。
 掃海作業開始から、約二年。
 求人広告には、幾つかの統計が付けられるようになった。
 POS八十三パーセントという数値を初めて見たときは、思わず自分の目を疑った。
 Probability Of Survival、生存率、八十三パーセント。ダイバーの契約期間は最低半年間なのだが、この最初の半年で十七パーセントの人間が死んでしまうことを、統計は示している。
 機雷の誤爆か、遭難か、減圧事故か、酒か、麻薬か、それともテロリストによる攻撃か。
 その理由はさまざまだが、六人に一人は、半年後にはもうこの世にはいないのだ。
 資格も年齢も不問、給料は高額。その好条件の裏にあった背景が、これだ。
 世の中、そうそう無条件に美味しい話は転がっていないということだろう。
 ただ、幾つか救いとなる点もある。
 先程も言ったことだが、給料は抜群に良い。優に仕送りをして、さらに貯金ができるほどだ。
 掃海作業の難易度は、機雷の種類や、機雷の配置されている場所の地形や深度などにより大きく変わってくる。新たな機雷が発見されるたびに、これらの条件がチェックされ、難易度に応じてポイントが付与され、難易度が高いものほど高いポイントが割り振られる。ダイバー達は月当たりに消化すべき最低限のポイントが決まっており、このポイントを上回った分は、ボーナスとして給料に加算される。
 俺が所属するチームは、プロジェクト黎明期からのメンバーであるジャックがリーダーを務めており、このプロジェクト全体の中でも最精鋭部隊の一つとして数えられている。このため、難易度が高い、すなわち高いポイントが割り振られた作業に従事する機会が多い。
 そして、初心者は間を空け過ぎると勘が狂うというジャックの判断により、俺達のチームの稼働率は高い。このため、この三ヶ月と言うもの、俺にはかなりの額のボーナスが支給されていた。
 何故俺が、いわばエリート部隊ともいえるこのチームに配属されたのか、それは良く分からない。リーダーであるジャックに問い詰めたこともあるが、はっきりとした答えは返ってこなかった。
 あくまで推測だが、おそらくはミズ・ポートマンの差し金によるものだろう。それがどんな計算、あるいは気紛れによるものなのかは分からないが、少なくとも俺にとっては有り難い配慮だった。
「……そろそろ、晩飯の時間か」
 呟いて、ベッドの上で上半身を起こす。
 ベッドの側に置かれたバッグを引き寄せ、いつものようにホルスターと銃を身に付け、ジャケットを羽織った。
 まずは銃そのものに慣れることが第一というジャックとロジータの教育方針により、外出時には銃を携帯することが義務付けられていた。習慣とは恐ろしいもので、最近ではこの重み、左脇の下の一キログラム強の重みを感じていないと、外出時にはどこか不安感に駆られてしまう。
 習慣という訳ではないが、独り言も増えた。
 国際色豊かなこの職場だが、今のところ日本語を話せる人間は俺しかいない。独り言でも言わなければ、日本語を忘れてしまいそうな気がする。それは極端にしても、時折、誰かと日本語で話したくてたまらなくなるときがあった。見知らぬ者ばかりの異郷の地で、日本語でのコミュニケーションの一切を断たれるのは、自分が予想していた以上のストレスとなっていた。
 何度か、優に電話を掛けそうになったことがある。
 だが、今そんなことをすれば、自分の口からは愚痴や泣き言しか出てこないであろうことを、誰よりも自分が知っていた。
 武がそんなことをする筈がない。倉成武に、愚痴や泣き言は似合わない。
 そして、今の俺は、倉成武なのだ。
 所詮はオリジナルを取り戻すまでの出来の悪い模造品フェイクであるとしても、その時が来るまでは、俺は自分の役割を果たさねばならない。他の誰でもない自分自身に、そう誓ったのだ。
 ベッドの上から、ゆっくりと立ち上がる。
 ジャケットの下のシャツの襟を整え、いつもの待ち合わせ場所へ足を向けた。

 

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