船全体を揺るがすような衝撃に、思わず目を瞑った。 無防備な背中や足に、飛来してきた破片が突き立てられる。 その痛みと衝撃に、束の間、意識が飛んだ。 意識が戻ったとき、俺は自分の体でロジータを押し潰していることに気付いた。 衝撃に半ば麻痺した体は、自分でも驚くほどに緩慢にしか動かなかった。 甲板上についた左手に、ぬらぬらと赤い液体が滴っている。思わず体を強張らせ、自分の体の下のロジータの姿を見つめたが、気が付く範囲のどこにも、俺の血で汚れた箇所は見つからなかった。 安堵の息を付いて、体を起こす。 甲板上はひどい有様だった。 船体の後部には、無残なほどに大きな穴が穿たれていた。 あちこちで、人が倒れている姿が見えた。 船はスクリューを止め、惰性だけで動いていた。 その一発は船だけでなく、その上にいる者達が持っていた抵抗しようする意志を、根こそぎ打ち砕いていた。 |
海をきれいに 長峰 晶 |
近付いてくる船を、ただぼんやりと見つめた。 投げやりになった訳ではない。 投げやりになれるほど、はっきりとした自意識を保つことができなかった。 だから、その船の上で男が二発目のロケットランチャーを装填し、膝立ちになってそれを肩越しに構えようとするのを、俺はじっと見つめることしかできなかった。 一発の銃声が鳴り響いたのは、その時だった。 見つめる俺の視線の先で、不意に、ロケットランチャーを構えた男がうつぶせに倒れ込んだ。 半ば無意識に、銃声のした方向に振り返る。そこには、操船室の屋上でスコープを覗き込むジャックの姿があった。 淀みなく動くボルトハンドル。 ライフルから吐き出される薬莢。 その薬莢が甲板上に転がり落ちる音が、不思議なほどに耳に付いた。 体を身震いさせる何かが走り抜けたのはその時だった。 諦観に浸っている場合じゃない。 俺が知る倉成武は、諦めという言葉とは対極の位置に立っている男だった。 そして、今の俺は――倉成武になろうとしているのだ。 ロジータに視線を落とす。 爆発の衝撃に、未だ自分を取り戻せてはいないようだったが、その体には負傷らしい負傷は見当たらなかった。 それを確かめてから、顔を上げて甲板を見渡した。 首を九十度左に廻した時に視界に飛び込んできたそれを、俺はじっと見つめ続けた。 左手に滴る血を、ジーンズに擦り付けて引き剥がす。 立ち上がって、船室に向かって駆け出した。 ジャックの部屋に入り、ジャックの個人持ちの爆発物が収められたジェラルミンのケースを開ける。その中から目的のものを二つ取り出し、救命胴衣の左右のポケットにそれぞれ捩じ込んだ。 続いて、自分の部屋へ。 ロジータに渡された俺の銃、アルゼンチン製のガバメントのコピー銃にマガジンを叩き込み、ズボンの前の部分に突っ込む。 予備のマガジンを、左右の尻ポケットに一つずつ放り込んだ。 甲板に戻り、先刻俺の視線を縫いとめたもの、俺達が普段作業に使っているホバークラフトに駆け寄り、留め具を次々と外していった。 銃弾飛び交う甲板上でホバーに飛び乗り、エンジンに点火する。 ジャックが何か叫んでいるのが聞こえたが、エンジンの轟音がその内容を掻き消した。 見上げれば、どこまでも広がる蒼い空と青い海。 ただそれだけの風景に、訳もなく涙がこぼれそうになった。 一つ息を吐いて、ホバーを発進させた。 勢い良く、ホバーは甲板上を飛び出していく。 甲板から海面への落下の衝撃に振り落とされそうになるのを、歯を喰いしばって踏み止まった。 俺達の船に大穴を開けたRPG、Rocket Propelled Grenadeは、元々対戦車用として開発された兵器だ。戦車の厚い装甲を貫通し、その後、内部で爆発するように作られている。このため、破壊力としては爆発力よりもまず貫通力に重きが置かれている。エンジンに当てられていたのであれば話は違うが、船倉部に一発喰らったぐらいならば、船はそうそう沈まない筈だ。俺は自らにそう言い聞かせた。 ホバーを敵船に近付けていく。 一直線に向かって行っては格好の的になるだけなので、右へ左へと、狙いを付けさせないようにホバーを乱暴に振り回す。 それでも、フルオートのライフルを連射し続けるテロリスト達の攻撃は点ではなく面であって、その総てを躱しきることはできなかった。 ホバーの船体に穴が開いていく。 左肩に、熱い衝撃が突き抜けた。 熱い液体が左目に染み込み、視界をうっすらと赤く染めた。 敵船の左側面をすれ違う軌道にホバーを載せる。 波頭に乗るようにスロットルを全開にし、瞬間、操縦桿を左に切った。 ホバーが、敵船を飛び越すように宙を舞った。 重力に引かれて、ホバーは敵船の甲板に向かって落ちていく。 甲板にぶつかる直前に、ホバーを蹴りつけるようにして空中に向かって飛び出した。 左足が甲板の一部を捉える感触。 甲板上で、転がるように受身を取る。 そこにいた男達は、ある者は呆然として、ある者は同士討ちを恐れてライフルを撃てずにいた。 跳ね起きて、操船室を目指した。 速度ゼロの静止状態から、瞬時にトップスピードへ。 最短の距離を、最適の動作で、最速の速度で進む。 この動きができるようになるために、ただひたすら鍛錬を積み上げた。 その速度をそのままに、操船室の扉の前で、左足を踏み込んだ。 一瞬の静寂と空白。 左足を軸に右足を踏み抜き、左の肩から背中を金属製の扉に叩き付ける。 派手な音を立てて、分厚い金属の扉は部屋の内側に向かってひしゃげていった。 ジャックの部屋のジャラルミンケースから抜き出した手榴弾を救命胴衣の左右のポケットから両手に一つずつ掴み、セーフティロックピンを口で咥えて引き抜く。 一個を壊した扉越しに操船室の中に、もう一個を前方の男達に向かって投げ付けた。 扉に背を向け、強く目を閉じて両手を耳の横にかざし、口を開く。 手榴弾の信管の遅延時間は一・五秒だった。 固く閉ざした瞼の下で、世界が閃光と轟音に包まれていくのを感じた。 轟音の残響を耳に感じながら、ゆっくりと目を開いていった。 足元に視線が落ちる。 踏み抜いた床は、その箇所を中心に放射状の亀裂が入っていた。 視線を上げ、周囲の状況を眺め渡す。 あちこちで人が倒れている姿が見えた。 船はスクリューを止め、惰性だけで動いていた。 ほんの少し前に見た光景だ。 先刻と違うのは、この光景をもたらしたのは自分だということだ。 その事実に一瞬怯みかけたが、今の自分にその猶予が残っていないことは認識していた。 ズボンの前に突っ込んだ銃を引き抜く。 左肩はずきずきと痛んだが、まだ左手を動かすことはできた。 左手を、スライド全体に掌を被せるようにしてスライドに載せる。 大切なたいせつな何かを自分が喪おうとしていることをはっきりと自覚しながら。 俺は一息にスライドを後退させた。 トリガーガードの内側に軽く指を添えるように人差し指を置き、銃を目の高さに構えた状態で、視線と共に銃口を動かす。 甲板の上では、何人かの男達が苦しみ悶えていた。 うつぶせに倒れた一人の男の傍らにはロケットランチャーの筒が転がり、その体の下では赤黒い液体が小さな池を作っている。その池がそれ以上面積を増やすことがないことが、見た瞬間に把握できた。 心臓が激しく脈打つ。 海中にいる訳でもないのに、胸が息苦しくなるのを感じた。 手の中の銃を振り回し、それと同時に縫い止められていた自分の視線を引き剥がす。 その視界の片隅に、操船室の外壁にもたれるようにしながら、よろよろと立ち上がろうとする若い男の姿が映った。 動くなとか、抵抗は止めろとか、何か言うべき言葉はあった筈だった。 だのに口の中はからからに乾ききり、小さく開いた口からは荒い息が吐き出されるばかりだった。 男はまだ若かった。 外国人の年齢を判断するのは難しいが、おそらくは武と同じくらいで、二十歳を幾らも越えているようには見えなかった。 顔を上げた男との間で、互いの視線がぶつかり合う。 男は虚を突かれたような表情で、自分に向けられた震える銃口を見つめていた。 半ば無意識に銃口を逸らしそうになるのを、必死の思いで堪え続けた。 そのときの自分は、きっと泣き出しそうな顔をしていたのだと思う。 震える銃口か、泣き出しそうな表情か。 そのどちらがきっかけになったのかは分からない。 銃を向けられていた男が、ほんの一瞬、足許に視線を移した。 そこには、カバーが外れた錆止めオイルのスプレー缶が転がっていた。 男は額から汗を流しながら、じっとこちらを見つめた。 強張った男の顔の中で、口元だけが小さく笑みを作った。 それで、これから何が起きるのかが理解できてしまった。 転がっていたスプレー缶が、こちらに向かって蹴り付けられる。それと同時に男は体を横っ飛びに左側に動かし、ズボンの尻ポケットから小さなハンマーレスの回転拳銃を抜き放つ。 だが、それは予測済みの動きだった。 その動作の総てが、スローモーションのように俺の目に映っていた。 蹴りつけられた缶を半歩体をずらすことで躱し、男が尻ポケットから銃を抜き放ったその瞬間に、俺は再び男の体の中心に照準を合わせていた。 男の目が驚愕に見開かれる。 それでもその動きは止まらず、ゆっくりと流れる世界の中で、男の手の中の銃は着実にこちらに向けられていった。 人差し指に触れた硬く冷たい金属の感触。 銃声が、総てを打ち消した。 |
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