※本作品は、R11とE17の年代設定に関しては敢えて無視して書かれたものです。
 なお、本作品には多少の暴力的表現が含まれています。



「来たわね、涼権。」

「ああ・・・。ところで何だよ、優。
 急に俺に用事があるって・・・。」

「・・・実は、一つ頼まれてほしい仕事があるのよ。」

「はあ・・・?」

現在、株式会社「LeMU」の重役を勤める田中優美清春香奈は、長年自分の助手を勤めている
桑古木涼権に、ある仕事を依頼した。

Destiny −運命を背負いし二人− 
                              鳴きの虎






「やれやれ・・・。まだ俺の片づけなきゃいけない仕事は山積みだっていうのによ・・・。
 まあ、断ったところで問答無用で押し付けられるのが関の山だけどな・・・。」

桑古木涼権が優から頼まれた仕事とは、現在ライプリヒ製薬が監視下に置いているある人間を
特定の施設へ搬送する手続きが整うまでの2日間、監視するというものであった。
現在、監視状態にあるという人間の正体とは、一人の少女だった。
少女の名前は、犬伏景子。
蝋人形のように透き通った白い肌に、伸びやかな四肢と艶やかな長い黒髪。
雑誌のモデルとしても通用するような、可憐な少女だ。
・・・あくまで、外見の話だが。
その可憐な少女の実態は、世間を震撼させたある事件の主役であった。
20××年1月14日、北海道阿波墨市内の私立病院で日本の犯罪史を塗り替えるような
凶悪な事件が発生した。
病院内を循環していた警備員が殺害されたのをきっかけに、病院内の人間が無差別に襲われ
僅か30分以内の犯行で死者12名、重軽傷者19名を出す大惨事となった。
その未曾有の凶悪犯罪を犯した人間こそが、犬伏景子であった。
警察に逮捕された彼女は17歳という年齢であるにせよ極刑は免れないものと見られていた。
だが、精神鑑定の結果「DID(乖離性同一性障害)」と判断された彼女には、無罪の判決が言い渡されたのであった・・・。
多くの謎と計り知れない怨恨を残しながらも、裁判は終わり犬伏景子は特定の精神医療施設へと送られることとなる。
犬伏景子が送られる精神医療施設として、ライプリヒ製薬が管轄する施設が結果的に選択され、
彼女は一時的に別施設で身柄を預かる形となった。
そこで自分の助手である桑古木涼権に一日その監視を任せることにしたのである。
主な仕事の内容は、桑古木を含む数人のスタッフと共に彼女を見張るというものである。
当初は、彼女を上段から監視できるガラス張りの部屋の中に監禁しておくことが提案されたが、
拘束、監禁、監視という状況が彼女を刺激し、凶暴性を目覚めさせる危険性もあるということで
その手段は見送られた。
あくまで彼女に自身が保護下にあるという認識を持たせるためにと、スタッフが部屋に鍵をかけることも禁じられていた。

「涼権、この仕事を引き受けるに当たって、幾つか条件があるわ。
 いい?よく聞いて。」

「ああ・・・。で、何だ?条件ってのは。」

「まず一つ。例え護身のためでも、武器を隠し持ったりはしないこと。
 ペン等の、場合によっては凶器になり得るものを持ったまま彼女に会うことも禁止するわ。
 今の状態の犬伏景子は、毒気を完全に抜かれた状態だから基本的には安全よ。
 でも、いつ殺人者の人格が目覚めるか分からない。
 とにかく、彼女を刺激しないように務めて。」

「分かった。武器、またはそれに該当する物を持つことは禁止だな?」

「二つ目。食事に使う器は落として割れる心配の無いプラスチック製のものを使用すること。
 そして彼女の食事の際には箸、フォーク、ナイフなどを使用させないこと。
 まあ、何も使わせないわけにはいかないから、スプーンだけは認めるけど。
 極力、手掴みでも食べられるパン、サンドイッチ、オニギリ等を用意して。」

「・・・俺が食事の用意をするのか?」

「あんたはこれから7日間、ひたすらタツタサンドを作らなくちゃいけないのよ?
 料理の腕を試すいい機会よ。」

「・・・・・・。」

「最後に三つ目。3時間毎に必ず私に異常が無いか連絡を入れること。
 午前6時から午後21時までの3時間毎。それから就寝前。
 忘れないようにね。
 仕事中に何か質問があれば、その時は逐一連絡して。
 それから、彼女に関する記録をまとめたファイルを渡しておくから、一通り目を通しておくこと。
 いいわね?」

優から仕事の際の注意点を聞きおえた涼権は、憂鬱な気分を拭いきれないまま自分の部屋に戻った。

「よりによって、殺人者のお守りをしろっていうのかよ・・・。
 まあ、何も起こらなければいいんだけどな・・・。」

細かい作業を終え、ファイルを一通り読み終えた桑古木は明日の仕事に備えて、寝床に入ることにした。
その晩の夜空には、煌々と満月が輝いていた・・・。

次の日、ライプリヒ製薬の施設を訪れた桑古木は他の4人のスタッフと打ち合わせを終えた後、
仕事に移ることにした。
そして桑古木は、あの殺人鬼、犬伏景子が監視されている部屋のドアの前に立った・・・。

「・・・この扉一枚隔てた向こう側に、犬伏景子が・・・。」

桑古木は、ゴクリと喉を鳴らして唾を飲み込もうとした。だが、飲み込むための唾は一滴も出てこないことに気付いたのは、
桑古木が喉を鳴らした直後だった。

「(ああ、くそっ!何やってるんだよ俺はっ!
  初めからビビってて、こんな仕事が勤まるかよっ!)」

ある程度の覚悟を決めると、桑古木は彼女の部屋のドアを叩いた・・・。

「邪魔するよ。」

部屋に入ると、そこには彼女がいた。
椅子に座り、机の上に肘を立てて頬杖をついている。

「や、やあ・・・。」

何と間抜けな台詞だと思いながらも、桑古木は犬伏景子に声をかけた。
部屋に入ってきた桑古木の存在に気付いた彼女は、桑古木の方を見た。」

「あ、じ、自己紹介しなくちゃな。
 俺は桑古木涼権。今回ここのスタッフをすることになったんだ。よろしく。」

何となく落ち着かない様子で話し掛けた桑古木に大して、彼女は立ち上がって微笑を浮かべて会釈を返した。
彼女の微笑を目にした瞬間、一時的ではあるが桑古木の緊張は解けた。
それほど自然で、悪意など微塵も感じられない笑顔だったからだ。
だが、桑古木は緊張を解いてしまったことを後悔した。
自分は今、殺人者と一対一で対面しているのだ。
一瞬の油断で、次の瞬間には奈落に突き落とされるかもしれない・・・。
そんな警戒心が、桑古木の顔に緊張の色を浮かび上がらせた。
その様子を察したからか、犬伏景子は微かに後ろに身を引いた。
少々怯えた様子が見て取れる。

「あ、ご、ごめん。
 初対面だから俺、緊張しちゃって・・・。
 犬伏さん、よろしくな。」

「・・・・・・・。」

犬伏景子は、きょとんとした目で桑古木を見た。
そして、プルプルと首を横に振った。

「え?何、どうかしたのか?」

彼女は、何かを訴えているかのようだ。

「な、何だい?はっきり言ってくれなきゃ、分からないよ。」

その時彼女は、自分の喉を指差し、手を横に振った。

「え?声が、出ない・・・?そういうことか?」

桑古木が言うと、彼女はうんうんと頷いた。
彼女は、机の周りを探り始めた。何かを探しているかのようだ。
その様子を見て、桑古木は察した。
何か書くものを探しているのだ。
だが、凶器になることを想定して、彼女の部屋にはペンが置かれていないらしい。
ペンが見つからないことを察して、彼女は身振りで桑古木に訴えた。

「わ、分かった。書く物が必要なんだな?
 すぐに持ってくる。ここで待っててくれ。」

桑古木は施設内のスタッフの部屋から、ペンとメモ用紙を見つけた。
そして犬伏景子の部屋に向かおうとしたその時、優の言葉を思い出した。

−「凶器になる可能性のあるものを、部屋に持ち込まないこと。」−

「参ったな・・・。」

桑古木は困り果てた。今、彼女と意思疎通するには、書く物が必要である。
だが、下手にボールペン、シャープペンシルを渡した場合、襲ってきたらどうする?
もしかしたら、声が出ないというのは一種の演技で、書く物を渡した瞬間、自分を襲うつもりなのではないか?
そんな疑心暗鬼が沸々と湧いてくる。
そこで桑古木は、試しにサインペンを渡すことにした。
これならば、蓋を開けて無理やり目を狙いでもしない限り、凶器となることは無いだろう。
金属で先の尖ったシャープやボールペンに比べて、殺傷能力は極めて低い。
一度優に相談することも考えたが、いちいち質問していたら仕事は成り立たないだろう。
おまけに、彼女をあまり待たせていると、かえって不信感を与えかねない。
桑古木は決断を固めると、メモ用紙とサインペンを手に犬伏景子の部屋に戻ることにした。

「ごめんな犬伏さん、待たせちまって。
 とりあえず持ってきたから、使ってくれ。」

犬伏景子はペコリと頭を下げると、サインペンの蓋をとった。
そして次の瞬間・・・。
メモ用紙の上にペンを走らせ始めた。
メッセージを書き終えた彼女は、メモ用紙を桑古木に渡した。

「?」

メモ用紙の上には、こう書かれていた。

『イヌブシじゃない。穂鳥』

「え?穂鳥・・・?穂鳥って何だ?」

桑古木が訪ねると、彼女はもう一枚書いて渡した。

『私の名前は、涼蔭穂鳥』

そう書かれていた。

「(涼蔭・・・穂鳥・・・?
  何言ってるんだこの子・・・。
  この子の名前は、犬伏景子じゃないのか?)」

当然の疑問が浮かび上がったその時、桑古木の頭の中に昨日目に通したファイルの内容が頭に浮かんだ。
犬伏景子の中には、12の人格が存在しているという。
つまり、今の彼女は犬伏景子ではない。恐らく自分がそのように呼ばれていたことすら知らないのかもしれない。
涼蔭穂鳥というのは、12ある人格の内の一つなのではないか。
真偽の程は定かではないが、現時点で桑古木はそう結論付けることにした。

「分かった。穂鳥ちゃんだな?
 君の名前は、涼蔭穂鳥。それでいいんだな?」

桑古木がそう言うと、彼女は笑って頷いた。
ふと時計を目にすると、時計の針はもうすぐ9時になろうとしていた。

「あ、悪い、穂鳥ちゃん。
 俺ちょっと用事があるから、そろそろ行くよ。
 また後で別の人が来ると思うから、何かあったらその人に頼んでくれ。」

そう言って桑古木が部屋を出ようとした瞬間、桑古木は何かに引っ張られるのを感じた。
穂鳥が、桑古木の袖を掴んでいるのだ。

「ど、どうしたんだ?穂鳥ちゃん。」

穂鳥は、しきりに首を振る。
行かないで、という意思表示らしい。
何故かは分からないが、桑古木に対して安心感のようなものを抱いたのだろうか。
その思いが、桑古木と離れることを拒んでいるらしい。
彼女は、涙目で桑古木のことを見ていた。
その様子を見て、桑古木は彼女が何者であるかということを忘れていた。
何とか彼女の不安らしきものを取り除いてやらなくては・・・という思いに駆られていた。

「ごめん、穂鳥ちゃん。
 今からちょっと、電話をしなくちゃいけないんだ。
 大事な用事だから、ここでは話せないんだよ。
 大丈夫だ、すぐに戻る。
 いい子にして、待っててくれ。」

一応納得してくれたのか、彼女は手を離した。
そして、桑古木はポケットからPDAを取り出し、優のところへ電話をかけた。

「こら、桑古木!3分遅刻よ!
 定時連絡は時間きっかりにって言ったでしょ!」

「悪い悪い・・・。
 ちょっと忙しかったもんで・・・。
 次からは気を付けるよ。」

「全く・・・。まあいいわ。
 ところで、犬伏景子の様子はどう?」

「ああ・・・。今の所は問題無い。
 だけど一つ、気になることがあるんだ。」

「何?気になることって。」

「彼女、自分のことを犬伏景子じゃないって言ってたんだ。
 確か、“涼蔭 穂鳥”って名乗ってた・・・。」

「涼蔭、穂鳥・・・?
 まあ、彼女の中には12の人格があるらしいから、その内の一つじゃないの?」

「俺もそう思う。
 だけど、その時の彼女は、どうやら失語症らしいんだ。
 だから、筆談で伝える形になったけどな。
 あ、もちろんその時は、極力危険の無いサインペンを渡したから、大怪我をする心配は無かったぜ。
 無論、渡したサインペンは俺の手元に一旦回収してある。」

「犬伏景子が、失語症・・・?
 記録にはそのような記述は無かったはずだけど・・・。」

「俺も昨日見たファイルの中にはそんな記録は無かったから、疑問に思ったんだ。
 まだ解明されてない、新事実かもしれないな。
 あ、あと、一つ困ったことがあるんだ。聞いてくれないか?」

「?」

「彼女、俺が部屋から出ようとするととても不安そうな様子になるんだ。
 彼女の監視は、極力俺がやった方がいいのかな?」

「そうなの?
 まあ、彼女に不安を与えないためには、その方が良さそうね。
 犬伏・・・もとい涼蔭穂鳥があなたに対して安心感を抱いたというのなら、付いていてやるに越したことはないわ。
 じゃあ、とにかく彼女の側にいて、不安を取り除いてあげるようにして。
 でも・・・。気を付けるのよ。
 今は大人しい人格が彼女を支配していても、何時凶悪な犬伏景子の人格が目覚めるかもしれないから・・・。
 不安を与えてもいけないけど、警戒心を解いてもいけない。
 本当に難しい仕事だと思うけど、頑張ってね。」

「ああ、分かったよ。優。」

「これが終われば、特別手当ぐらい出してあげるから。
 とにかく、無事を祈ってるわ。」

「ありがとう、優・・・。」

桑古木は電話を切ると、穂鳥の部屋に戻ることにした。
だが、彼女が話せないことを考えると、会話以外のことで何か相手をしてやる必要があるだろう。
そこで桑古木は、風景画の書かれた本とトランプを見つけると、彼女の部屋へ持っていくことにした。
桑古木自身、どのように相手をしてやったらいいのか分からなかったが、本をみせたりトランプの適当なゲームを
するなどして彼女の相手をした。
会話こそないものの、その間の彼女は本当に幸せそうだった。
そこにいるのは、間違い無く一人の無邪気な少女に間違いなかった。
だが、同時に桑古木の中にはやり切れない思いも浮かんでいた。
この無垢な少女が、世間を震撼させたあの事件を引き起こしたことに間違いは無いのだ。
桑古木は信じたくなかった。
この子に、そんな真似が出来るはずが無い。
何かの間違いだ。そうに決まってる。
だが、現実は残酷だ。どんなに認めたくないことでも、事実は事実なのだ。
その事実は、事件を知る人間たちの心の中に、不安を抱かせている。
無論、あの事件の被害者となった人々とその遺族に至っては、彼女に抱く怨恨は到底窺い知ることのできるものではない。
そんな彼女に、いたわりの姿勢すら見せている自分のやっていることは果たして正しいことなのか。
桑古木の頭の中では、様々な思いが交錯していた・・・。

食事と入浴を終えた桑古木は、寝る前に彼女に挨拶をすると部屋に戻ろうとした。
だが、案の定穂鳥は桑古木が自分から離れることを拒否した。
理由はどうあれ、年頃の少女と一緒の部屋で寝るわけにもいくまい。
ましてや、部屋の中にベッドは一つだけだ。
何とか言い聞かせようとするが、穂鳥は言うことを聞いてくれない。
必死にジェスチャーで訴えかけてくる。
良心の呵責(?)と彼女に対する思いやりのせめぎ合いに疲れた桑古木は、優に電話することにした。

「もしもし?涼権?
 何よ、まだ定時連絡の時間じゃないはずだけど?」

「そ、その・・・。実は緊急事態になっちまって。」

「え?まさか彼女が何か?」

「い、いや、そうじゃなくて。
 ただ、俺からは目茶目茶言い出し辛いことなんだが・・・。」

「・・・大方予想がついたわ。
 寝る時まで彼女が離れたくないっていうんでしょ?」

「・・・・・・・。(汗)」

「・・・沈黙は、図星ということかしら?
 まったく・・・。あんたのどこがそんなに気に入ったのかしらね。
 ま、やましい気持ちが無いことを信じて、特別に許可してあげるわ。
 ただし、忘れないで。あくまでこれは監視よ。
 あなたが彼女と同じ部屋にいて、しかも彼女はあなたに気を許している。
 考えようによっては、監視の形としてはベストの状態ね。」

「まあ、そうかもな。」

「でも、今後のことを考えると、少々不安だわ。
 彼女の中で、あなたの存在が大きくなりすぎてしまうと、仕事の後あなたを喪失したことによる不安から、
 自傷行為に走るかもしれない・・・。
 まあ、考えようによっては、あなた自身が彼女を立ち直らせるきっかけにもなり得るわけだから
 喜ばしいことでもあるんだけどね。」

「優・・・。」

「ま、そっちにいる間は仲良くしてあげなさないな。
 ただ、仕事だということは忘れないように。いいわね?」

「OK。」

電話を終えると、桑古木は毛布を持ってきて寝る準備をした。
そして、穂鳥が完全に寝静まるのを待つことにした。
10分も経たない内に、穂鳥は安らかな寝息を立て始めた。
月明かりに照らされた彼女の顔と肌は、ほのかに光を放っている・・・。
そんな穂鳥の姿に、桑古木はしばし見とれた。
そして、運命というものの残酷さを同時に彼に実感させた。
なぜ、この少女があのような大罪を犯さなければならなかったのか・・・。
なぜ、その手を血に染め多くの哀しみを生み出すことになったのか・・・。
幾ら考えても自分には理解できなかった。
そして今度は、自分が背負った運命を改めて振り返る形となった。
かつて、海の中の楽園で運命を共にした仲間を助け出すために、あの時と同じ歴史を
自らの手で繰り返しさなくてはならないのだ。
救うべき人間が海の底で閉じ込められているのを知りながら、今の自分にはどうすることも出来ない・・・。
そんな無力さを実感しながらも、その時が来るまで自分は耐え続けなくてはならない。
願わくば、お互いの背負った運命にきちんとした形で決着がつくことを桑古木は祈らずにはいられなかった。


翌日、正午を過ぎた頃にライプリヒの精神医療施設からの移送スタッフが到着した。
桑古木は、彼女が無事に施設に送り届けられるまでは側にいてやることを約束し、部屋を出た。
そしてスタッフの集まる先に向かっている最中、ヒソヒソと交わされる会話を耳にした。

「ちぇっ、勝手なこと言いやがって・・・。」

「一切武器は持つな、だとよ。
 とにかく手ぶらであの女の相手をしろ、だとさ・・・。」

「で、武器は何も持ってないのかよ?」

「そんなわけねえだろ、持ってるに決まってるじゃねえか。」

「(な、何だと?冗談じゃない!)」

その言葉を聞きつけた桑古木は、スタッフの所に直行した。

「あんた達、武器をもってきたのか!?」

「当たり前だ!相手は12人も殺しやがった殺人鬼だぞ。」

「そんなの相手に、手ぶらで行けるわけがねえじゃねえか。」

医療施設のスタッフにそぐわない、無神経な男達に桑古木は焦りと憤りを覚えた。

「馬鹿野郎!今何より大事なのは、彼女を刺激しないことだろ!
 下手に武器を見せて、もし凶悪な人格が目覚めたらどうする!
 悪いことは言わない!この場に全部置いていくんだ!」

「そんなことできるかよ!
 いざって時に、あの女が襲ってきたらどうするんだ?」

「お前ら男だろうが!だったら数人で組み伏せればいいだろう!
 武器無しの素手と素手なら、明らかにこっちに分がある!
 怖いのは向こうに武器が渡って、そいつで襲われることの方じゃないのか?」

「心配ねえって、あくまで用心の為なんだからよ。
 それに丁度、岩田があの女の部屋へ向かった。
 すぐにこっちへ連れてくるさ。」

桑古木は憤りを感じた。
ライプリヒの奴等も、何でこんな馬鹿な奴等をよこしたのかと腹が立った。
おそらくこいつらは、金で汚い仕事を請け負うだけの極めて低能な連中だ。
その証拠に、白衣はおろか医療スタッフであることを証明するための証明書も衣服に着けていない。
服装のセンスから見て、全員が荒くれ者だった。
大方、仕事にあぶれた食い詰め者のヤクザ者だろう。
恐らく、万が一犠牲になっても問題の無い人間を選別し、ライプリヒが仕事を依頼したのだろうか。
何かあってからでは遅い。
桑古木は彼女の部屋へ向かうことにした。

部屋の中で佇む穂鳥は、桑古木が訪れるのを待っていた。
コンコン・・・。部屋の戸をノックする音が聞こえる。

「・・・・・。」

桑古木が部屋を訪れたのだろうと思い、穂鳥は扉へと向かった。
だが、部屋を訪れたのは桑古木ではなく、帽子を被ったガラの悪そうな男だった。

「・・・・・。」

「おい、早く行くぞ。」

「・・・・・!」

怯えた目で、穂鳥は後ずさりした。
明らかに男のことを怖がっている。

「おい!行くって言ってるだろうが。
 手間取らせるんじゃねえ!」

穂鳥は激しく首を振る。
この男に連れ出されるのを本能的に拒否している。

「さっさとしやがれ!コラ!」

男はか細い穂鳥の手を掴み、無理矢理部屋から連れ出そうとした。

「・・・いや・・・。」

言葉にならない声で、微かに穂鳥は声を発した。
男の腕を振り払った瞬間、よろけた拍子に男が懐に忍ばせていたナイフが音を立てて床に落ちた。
ナイフは、床の上で鈍い光を放っている。
その刃が、鏡のように穂鳥の顔を映し出した。

「・・・うあああああああああ!」

「!?」

穂鳥は掠れた声で呻き声を発する。
そして髪の毛をブチブチと引き抜き、頭を抱えて唸り声を上げる!

「いいやああああああああああ!」

「な、何だ!?この女・・・?」

暫くすると、穂鳥の唸り声が止んだ。
すると、刃の作り出した鏡の中に写る穂鳥は、微かに邪悪な笑みを浮かべた・・・!

嫌な予感を抑えきれない桑古木は、穂鳥の部屋へ向かった。
軽くノックすると、声をかける。

「穂鳥、俺だ。桑古木だ。」

だが、穂鳥が桑古木を迎え入れる様子は無い。
幸い、鍵はかかっていないようだ。
部屋を空けた桑古木は、その瞬間、驚くべき光景を目の前にした・・・!

スタッフの集まる部屋に、足音が響いてくる。

「お、来たか。」

「随分遅かったな。早く行くぞ。」

だが、その時部屋に入ってきたのは、ブラウスを鮮血に染めた穂鳥の姿だった・・・!

「ひ・・・!」

男たちは絶句した。穂鳥は右手にはナイフ、そして左手には22口径の拳銃を手にしている。
桑古木は自分の目を疑った。これが先程まで純真で寂しそうな目をしていた、あの無垢な少女なのか?
「あわわ・・・。」

「ひいい・・・。」

今ここに立っているのは、涼蔭穂鳥ではない。
間違い無く凶悪な殺人鬼、犬伏景子だ。
その凶悪な視線に男たちは射竦められた。人を殺めたことのある人間と殺めたことの無い人間の差、
場数を踏んだプロと、あくめで自分たちに有利な状況でしか暴力を振るえないアマチュアの歴然たるかく格の違い、
男たちはパニックに陥っている。優が恐れていた状況ができあがってしまった。
犬伏は拳銃を構えると、男たちに向かって言った。

「・・・この拳銃は、飾りじゃないわよ。
 何なら、試してみる?」

男たちは、後ずさりする。
生憎、拳銃を持っていたのは岩田だけだったのだ。
だからこそ、彼等は彼女を部屋へ迎えに行くのを任せたのである。

「フフ・・・大丈夫。
 逃がしてあげる・・・。
 お互い戦えば、タダじゃ済まないもの。
 無駄な戦いは、したくないわ。」

そこへ、既に惨劇を目の当たりにした桑古木が駆けつけた。

「・・・どうしたの?
 逃がしてあげるって言ってるじゃない。
 何なら、ここで死ぬ?」

その言葉に従い、男たちは逃げの姿勢に移り始める。
逃げ腰の男たちの様子を見て、桑古木は必死に彼等を制止する。

「よせっ!銃なんかそうそう素人が扱えるもんじゃない!
 撃ったってそう簡単に当たりゃしないさ。
 弾はせいぜい6発か7発・・・。
 こうして散っていれば、まだこっちにも分がある・・・!
 出口への道は一種の袋小路だ。
 固まったところを、後ろから狙い撃ちにされるぞ・・・!」

「・・・じゃあ、ここで死ぬのね。」

弾丸が一発発射され、壁を打ち抜いた。

「ひいいーーーーーーっ!」

我先にと逃げ出す男たち。
だが、桑古木だけはそこを動こうとしない・・・。

「あなた、逃げないんだ・・・?
 少しは頭がいいのね。」

桑古木は、犬伏の狙いを察していた。
「窮鼠猫を噛む」という諺があるように、例えネズミでも追い詰められれば
思わぬ底力を発揮することがある。
そうさせないためには、逃げ道を与えることである。
ネズミは逃げ道がある限りは戦わない。
逃げることだけを考える・・・。
その結果・・・。
希望によってネズミは死ぬ・・・!
戦う意志を失い、無力となる・・・!

逃げることを選んだ男たちは、全員が拳銃の餌食となり、床に這いつくばった・・・。
そこは正に、地獄絵図だった・・・。
男たちは血を流して、床に倒れこんでいる。
まだ息はあるらしく、苦しそうな呻き声をあげている。

「さてと、あと一人・・・。
 どこへ行ったのかな・・・?」

桑古木は出口の反対方向にあった穂鳥の部屋へと逃げ込み、様子を窺っていた。

「(何てこった・・・!
  犬伏景子の人格が目覚めるなんて、最悪の事態になっちまったぜ・・・!
  しかもあいつ、俺のことを探してやがる・・・!
  わざわざ残った俺まで、殺していくつもりだ・・・。
  殺人鬼め・・・!
  いずれはここまで来る・・・!
  来たら、もう戦うしかない・・・!
  あの、殺人鬼と・・・!」

犬伏は、邪悪な笑みを浮かべて桑古木を探していた。
そして、タンスの隙間から白衣が挟まっているのを目にした・・・。

「(確かあれは、あいつの着ていた白衣・・・。
  こんなとこに隠れてたんだ・・・。)」

犬伏は残りの一発を、タンスの中に撃ち込んだ。

「いるんでしょ?早く出てきてよ。
 私と遊んでくれるんでしょ?」

そう呟いた瞬間、部屋の中で倒れていたはずの岩田が起き上がった。
そして、犬伏目掛けて強烈な平手打ちを放った!

「うっ!」

犬伏は一瞬怯んだ。そしてナイフを振りかざして襲い掛かる!
だが、岩田はそれを手で払うと、傷を負いながらも抵抗する。
そして犬伏が頭部目掛けてナイフを振るうと、帽子が飛んだ。
その下から顔を見せたのは、桑古木・・・!

「なるほど・・・。
 死体をタンスに押し込んでおいて上着を取り替えておき、
 帽子まで被って自分が変わりの死体の振りをするなんて、大した発想ね。
 ほんの数分の間で、仕掛けたトリックとしては最高の出来・・・。
 私も危なかったわ・・・。
 でも、惜しかったわね・・・。
 背後を取っておきながら押さえ込めなかったのは、致命的なミス・・・。」

奪ったナイフのもう一本を取り出す犬伏。
瞬間、桑古木は出口に足を向けた。
犬伏は、桑古木が逃げようとしていると確信した。
そして無防備な背中を襲おうと身構える。
桑古木が、出口に視線を向けた。
その瞬間を、犬伏は見逃さなかった。
彼が後ろを向くと同時に、襲いかかった。
だが、追い詰めたはずの獲物は予想外の反撃に転じた!
振り向く瞬間、強烈な裏拳が犬伏のこめかみを掠めたのだ。
一瞬怯んだ犬伏の手首に、手刀が振り下ろされた。
桑古木は犬伏が落としたもう一本のナイフを素早く手に取った。

「く・・・。」

「お前が殺した相手は、力の弱い、女、子供・・・。
 それも満足に動くことすらままならない病人・・・!
 あとは、さっきのような逃げ腰の男たち・・・!
 そのやり方も殆ど不意打ちだ・・・!
 決して、闘って殺したわけじゃない・・・!
 敢えて退路を確保させて背後から行く騙し討ちや、
 逃げたところを襲う逃げ殺し・・・!
 そうだろ・・・?」

「・・・・・!」

「だが、生憎だったな・・・!
 俺は逃げない、闘う・・・!」

無論、桑古木は彼女を本気で殺すつもりは無い。
先程までは、お互いに心を許していた間柄だったのだから・・・。
だが、今この状況で、情を挟む余裕など無い。
今目の前にいるのは、無垢な涼蔭穂鳥ではない。
凶悪な、犬伏景子なのだ。
瞬時に発想を転換せねば、この修羅場から生還などできはしない。
フィクションの世界に見られるような説得など、愚の骨頂である。
同時に、桑古木は犬伏の立場というものも瞬時に分析していた。
犬伏景子自身の置かれている立場を想定するなら、基本的には「子供」に近い。
幼少期に、子供は小さな虫の命を奪うという行為に及ぶことがある。
相手が自分に抗うことが出来ないからこそ、命を奪うことで自身の立場と力を確認し、悦に入るのだ。
だが、それはあくまで相手が自分に抗えないという場合における話である。
追い詰められた虫が思わぬ反撃に出て、逆に子供を傷つける場合もある。
相手が自分に抗う力を見せることで、逆に今度は自分が恐怖心を植え付けられるのである。
犬伏は、まさにそのような状況に相対していた。
反撃などすまいと思っていた相手が、自分に対して反撃の姿勢を見せているのである。
相手の戦意を少しでも削ぎ、自身が有利になるためには毅然と立ち向かう姿勢が必要なのだ。
犬伏は、桑古木が今まで自分が相手にしてきた人間とは別種なのだということを察して、少々驚愕していた・・・。
加えて、相手も刃物を持っている。条件は同じだ。
加えて、相手は男、自分は女である。戦えば自分が不利なのは、火を見るより明らかだ。

「無茶はやめようよ、話し合わない・・・?」

「あ・・・?」

「こんな短い刃物でやり合ったら、両方とも共倒れ、そんなのは御免よ。
 私は、あんたとは戦いたくない。黙って出て行くわ。
 一、二の三で、床に刃物を置かない?
 ねえ・・・。」

猫撫で声で、桑古木に犬伏は話し掛ける。

「ふざけるなっ!」

桑古木は一喝した。

「さんざ騙し討ちで人を襲っておきながら、一、二の、三で刃物を置く・・・?
 戯言ぬかすなっ・・・!殺人鬼がっ・・・!それも弱者しか殺せない・・・」

桑古木は警戒を解く様子も無く、犬伏を威嚇する。

 
「フフフ・・・。でもこんなことに命をかけても、あんたはつまんないでしょ?
 だったら、やめといた方が懸命だと思うけどな・・・?」

「くっ・・・!」

結果的に、桑古木は犬伏の提案に従うことにした。
刃物を置くと、お互いはまたも距離をとった。

「あーあ、こんなによごれちゃった。ねえ、シャワー、浴びてさせてくれない?
 こんな格好じゃ、外に行けないからさ。」

「好きにしろ。」

「ふふっ、ありがと。」

犬伏景子は部屋のカーテンを影にして、その場で服を脱ぎ始めた。
そして、時折桑古木を挑発するように淫らな視線を向けてくる。
何もこの場で服を脱ぐこと無いだろ・・・そう思いつつ桑古木は僅かに視線を逸らした。
血まみれの衣服がパサッと床に落ちる。

「どうしたの?ねえ、見たい?あたしのカ・ラ・ダ。」
僅かに血の付いたブラをひらひら振って、今度はあからさまに誘惑してくる。

「うるさい・・・さっさとすませろ。」

「ふふふ、そういえばあんたもちょっとよごれてるわね。ねえ・・・
 一緒に入ろうよ。」

もはや答える気にもなれない。桑古木は目線を逸らし、沈黙する。

「おもしろくないなあ〜、もう。」

そう言うと、犬伏は椅子の上に掛けてあった桑古木の白衣を身に纏い、露になっていた上半身を隠し、風呂場へ向かおうとした。
自分に背後を向けたその一瞬を、桑古木は見逃さなかった。
背後から犬伏に飛びつき、首に腕を回す。
刃物を置いて無防備になった瞬間を狙って、組み伏せようというのだ。
だが、犬伏の首に腕が回った瞬間、桑古木の腕に激痛が走った。

「ぐああっ・・・!」

犬伏が、腕に噛み付いたのだ。
腕を抑えて、思わず地面に転がる桑古木。

「あはは!やっぱりそう来ると思ったわよ。
 私が後ろを見せれば、あんたもその隙を突くことくらい分からないと思う?」

犬伏は白衣の中に隠し持っていたナイフを取り出した。白衣のはだけた部分から彼女の白い肌が
見え隠れしている。なんという不覚・・・、
彼女は、先程の服を脱ぐ際のやりとりの間に、落ちていた刃物を拾い、隠していたのである。
桑古木を誘惑するような言動は、そのことから注意をそらす為だったのだ。
そして、ゆっくりと近づいてくる・・・。
薄ら笑いを浮かべながら・・・!

「それにしても、さっきは随分勝手な熱を吹いてくれたわね。
 弱者しか殺せないですって・・・?
 フフ・・・、その通りよ・・・!
 あ〜あ、それにしても殺しちゃうのがちょっと勿体無いかな〜、あんた結構イイ男だし・・・
 半分マジで誘ってあげたのにね・・・」

妖艶で、それでいて凶悪な笑みを浮かべ、犬伏は刃物を振り上げた。
転がって何とか避けようとする桑古木だが、容赦なく犬伏は刃物を振り下ろしてくる。
腕、足の数箇所に傷を負い、桑古木は追い詰められた。

「ぬああっ・・・!」

床を転がりながら、何とかもう一度桑古木は犬伏の背後を取った。
後ろから羽交い絞めにし、口を抑える。

「(頼む!、何とか、何とか元の穂鳥に戻ってくれ!)」

だが、桑古木の傷口からは出血がおびただしい。
血が流れ出ていくたびに、桑古木の意識は薄れていく。

「うぐぐ・・・・。」

全身から力が抜けていく・・・。
桑古木の膝が遂に落ちた・・・。

「だ、駄目だ・・・!
 い、意識が朦朧として・・・。
 お、俺はまだこんなところで、死ぬわけには・・・。」

「シャアアアッ!」

犬伏がナイフを振り下ろし、自分を押さえつけている桑古木の腕に突き刺す!

「ぐああっ・・・!」

腕を抑え、桑古木は床の上に倒れた。
瀕死の桑古木の前に、少女の姿を借りた死神は近づいてくる。
手にしたナイフが、振り下ろされようとした瞬間、部屋のドアが開いた!

「ゆ、優・・・!」

そこに現れたのは、田中優美清春香奈だった。

「フフ、強運ね、涼権・・・。
 ここまで車を飛ばしてくる間に7つは信号があったけど、全部青ですり抜けたわ。
 一つでもひっかかってたら、危なかったわね。」

「ゆ、優、気を付けろ・・・!
 今のそいつは、犬伏景子だ・・・!」

桑古木が、苦しそうに叫ぶ。

「シャアアアッ!」

犬伏は奇声を発しながら、優に切りかかった。
優は素早い身のこなしで刃物をかわしていく。
だが、ついに追い詰められ、コーナーに詰まった・・・。

「(駄目だ、詰まった・・・!)」

窮地・・・。
まさにそう呼ぶしかない優の体勢。
だが、事実は違っていた。
これは、優の作戦なのだ。
左サイドをカベにすれば、犬伏の右からの攻撃の殆どを殺すことができ、
注意の大半を利き腕でない犬伏の左手一本に絞ることが出来る。
人間の攻撃の基本は外から内、これで犬伏の攻撃は8割方限定された。
左から、まわしぎみに斬り付けてくる。
案の定、犬伏は左から斬り付けてきた。
優は半身の体勢をとり、、攻撃を横に受け流した。
犬伏の仕掛けてくる攻撃を、一度だけやり過ごす。
瞬時に優は犬伏の外へ回る。
そして刃物を持った犬伏の左手と腕間接を捕らえることに成功した。
これで完璧に、優は犬伏の動きを封じたのだ。

「犬伏、これで終わりよ。」

「な・・・?」

「残念だけど犬伏、今これであなたの勝ちの目は完全に消えた・・・!」

「シャアアアアアッ!」

右手の刃物が、優の顔目掛けて突っ込んでくる。
だが、それは数センチ前で、ピタリと進行を止めた。

「間接さえ決めれば、もうこっちのものよ。
 腕をほんの半回転捻るだけで、肩は前方へ流れて
 右手の刃物は100年ふっても、こちらのエリアへは届かないわ。
 二丁の刃物も、宝の持ち腐れってわけね・・・。」

そして、僅かに犬伏の腕を優は捻った。

「うあっ・・・!」

犬伏が悲鳴をあげる。体勢が前方へ崩れ落ちた瞬間を狙って、
優は手刀を犬伏の首筋へ叩き込んだ。

「ぐあっ・・・!」

短い悲鳴をあげて、犬伏は倒れこんだ。

「大丈夫、桑古木?」

「・・・・・・。」

「出血が少しひどいわね。ちょっと待ってて。」

「(凄い・・・・。)」

桑古木は傷の痛みも忘れて、その場の光景を眺めていた。

「(俺たちをあんなに苦しめた犬伏景子を子供扱い・・・。
  ものの一分もしないうちに・・・。
  何なんだよ、この目の前の女性は・・・。
  頭は切れる、度胸も申し分ない、腕も格段に立つ・・・!
  俺は、こんな人の助手をやってたのか・・・?)」

優は桑古木の傷口をタオルで縛り、応急処置を施す。
そして別のスタッフに怪我人の回収を命じて、病院へ向かわせた。

「具合はどう?」

「目が・・・霞む・・・。
 何だか、頭がボーッとして・・・。」

「意識をはっきり持ちなさい。
 あなたはこんな所で死んでいい人間じゃないでしょ?」

「ああ・・・そうだ・・・。
 俺は・・・ココを・・・武を・・・
 助けなきゃ・・・いけないんだ・・・。」

「だったら、しっかりしなさいよ。
 心配になって来てみたら、案の定の結果なんだから。 
 私に助けられてるようじゃ、あなたも男としてはまだまだね。」

「ハハ・・・かもな・・・。
 あ、やべ・・・。こうしてる場合じゃない・・・。」

桑古木は、気絶している穂鳥に駆け寄った。

「ちょ、ちょっと!折角気絶させたのに、起こしてどうするのよ!」

「目を覚ましたときに、こんな光景を見せるわけにはいかねえだろ?
 早く、別の部屋へ運ぶんだ・・・。」

傷の痛みに耐えながら、桑古木は穂鳥を別の部屋へ運んだ。
そしてベッドへ寝かせると、水で濡らしたタオルを額へと当てる。

「優、ちょっと着替えてくる・・・。
 彼女のこと、よろしく頼む。」

「分かった。早くしてね。」

桑古木は急ぎ足で、部屋を出て行った。

「うう・・・。」

暫くすると、彼女が目をうっすらと開けた。
犬伏か・・・。それとも穂鳥か・・・。
多少の不安はあったが、今の彼女が誰かについては優には大方予想がついていた。

「あ、気がついた?」

目を開けた彼女は、きょとんとした目で優を見上げた。
その表情は、明らかに無垢な少女、穂鳥のものだ。
ベッドから身を起こすと、周りを見渡し始める。
桑古木の存在を探しているようだ。

「大丈夫よ。桑古木ならすぐに戻ってくるから。
 ついでに自己紹介しておくわね。私は田中優。
 これからあなたの案内に付き添うから、よろしくね。」

穂鳥は、コクリと頷いた。そして暫くすると、服を着替えた桑古木が入ってきた。

「・・・・・・。」

「・・・・・・。」

暫く無言で見つめ合う二人。
そして、止まった時間を最初に動かしたのは、穂鳥の方だった。
彼女はベッドから起き上がり、桑古木の腕の中に飛び込んできた。
そして、火のついたように泣き始めた・・・。
先程の惨劇を彼女が知っているかどうかは不明だが、恐らくとてつもない不安の中にいたのだろう。
そんな彼女を可哀想に思った桑古木は、傷の痛みも忘れて彼女を抱きしめた・・・。


病院に運ばれた桑古木は一命を取りとめた。
そして、事の顛末を優から聞かされることとなる。

「何とか全員、一命は取り留めたわ。
 拳銃が威力の弱い22口径だったことが幸いしたみたいね。
 刃物で刺された男も、傷は内臓まで達していなかったから問題は無いそうよ。」

「そうか、良かった・・・。
 ところで、犬伏・・・いや、穂鳥はどうなった?」

「あの後、彼女の人格は大人しいままだそうよ。犬伏景子の人格は暫く目覚めていないみたい・・・。
 もちろん、事件の真相は彼女には話してないけどね。
 それにしても全く・・・、人手不足だからって、あんなマヌケな連中をよこすなんて、浅はかにも程があるわ。
 それから彼女は、北海道にある精神医療施設に移されることになったそうよ。」

「そうか・・・。」

「どうしたのよ涼権?なんか寂しそうね。
 犬伏、いや、涼蔭穂鳥と何かあったの?」

「別に・・・。大したことじゃないが、
 穂鳥だったときのあの子は、本気で俺を必要としてくれたみたいだった・・・。
 あの時の姿を見て分かったよ。
 あの子は、ずっと心の中で、誰かに助けを求めていたんだなって・・・。
 だから、尚更思うんだ。
 誰かが付いていてやらなくちゃ、あの子は立ち直れない・・・。
 彼女が絶対に許されない存在だとしても、いつかは呪われた運命に決着をつけてほしい・・・。
 俺は、そう思ってる。」

「運命・・・か・・・。
 でも、今のあなたには他人の運命まで背負ってる余裕は無いはずよ。
 あなたにはあなたの、決着をつけるべき運命が立ちはだかってる。
 そうでしょ?」

「そう・・・だな・・・。」

「あ、それから桑古木、彼女から預かったものがあるのよ。
 あなたに渡してくれって。」

優は封筒を取り出すと、桑古木に手渡した。
そこには、メモ用紙が一枚、メッセージが添えられていた。
『ありがとう』と、ただ一言・・・。

「(穂鳥・・・。)」

その時、桑古木は思った。
お互いの背負った運命に運命に決着をつけられた時、もう一度会おう。
その時は、俺はお前にとって必要な存在では無くなっているかもしれないが。
俺もお前も、本当の自分を取り戻す日はまだ遠い・・・。
だがそれは、決して辿り着けない場所じゃない。
だから、生きろ。
なにがあろうと、生きてくれ。
どんなに無力を噛み締めようと、運命は決して抗えないものではないのだから・・・。

「(ココ・・・。武・・・。)」

桑古木は窓の外の海を眺めた。
その目に映る雄大な世界を前にして、己の背負ったものの大きさを桑古木は改めて噛み締めていた・・・。





あとがき

連載の方は、現在かなり煮詰まってます・・・。
その代わりといっては何ですが、R11をクリアしたこともあって
こんな作品を作ってみました。
読んでいただけましたら、感想など是非ともよろしくお願いします。


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