人も、音も、影も、太陽も――――― 昼のすべてが眠りにつく、夜の世界 そこに一歩足を踏み入れれば たちまち別世界にすいこまれていく |
Ever17ぴぐまりおん ニーソ |
昼間の灼熱を浴びたアスファルトのほのかな輝きが、数時間前歩いていたところとは別世界であることを思わせる。 影を作るのは、少しの街灯と、月明かりのみ。 影は、消え去っていた。 そして、音も。 見慣れたはずの、家の前を走る直線道路。 どこまでも続いているように思える。 その奥深い闇の果てから、得体の知れぬ化け物が這い出でて、ホクトの背骨に冷たい触手を伝わせていく。 ホクトの歩調は、脈拍と共に自然と速くなっていった。しまいには、走り出した。 走ったことでますます心拍数があがり、背後の化け物がその重圧感を増していく。 気付いて、落ち着いて歩くことに決めた。 ひとつ、深呼吸する。 もうひとつ。 やがて、ことさらにゆっくりと歩き始めた。 すると、化け物はたちまち彼方へと退いていき、かわりに夏の夜の涼やかな風が感じられた。湿った冷気が肌にまとわりつく感じは、なんだかレモンのにおいを嗅いだときのように爽快であった。 とはいえ、心臓はまだドキドキしていた。 これが、夜の世界・・・・・・・・ ホクトはもうひとつ深呼吸する。夜の空気で肺を満たしていった。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 輝く路上を歩き続け、やがてホクトは左前方に目を凝らし始めた。 夜風に木々が揺られ、波の音を奏でている。 右手には田園が、闇の底に沈んでいた。 不思議と、恐怖心はなかった。 ホクトは躊躇なく、足を踏み入れた。 林の中は、本当に暗かった。 日中も、日差しから守られていたせいだろう。熱源は点々とし、ほとんど温度差がなかった。 明かりといえば、木々が揺られるたびに入り込んでくるわずかな月明かりが、道を青白く指し示していった。 ホクトは、入ったときと同じくらい、一切の躊躇なしに暗い林の中を抜けていった。 やがて、川の流れる音を聞いた。 いつの間にか速まっていた歩調を整えて、音源へと近づいていく。 突然、光が見えた。 ぼんやりとした光が、木の陰からほんのすこしだけ見える。 人、だ・・・・・・・・ 全身に電撃が走り、一瞬とびあがりそうになった。 油断していた。 まさか、人がいるとは思ってもみなかった。 一人っきりだと思っていた。 心身ともに、開ききっていた。 誰だって他人の視線のあるところでは、そこに見合った自分を見繕い装備し、身構えているものだ。 だが、今のホクトは、裸同然であった。 油断・・・・・・・・ すぐさま装備を整える。 光の主は、ほとんど身動きをとらない。 ホクトはゆっくりと前進して、その人物と並んだ。 「こんばんは・・・・」 『彼女』は驚いて、すばやく左に振り返った。 驚きに見開いた、黒い瞳がみえた。 長い黒髪が、川のように滑らかに広がり流れていく。 ホクトと同い年くらいの女の子だった。 「え!?あ、あの・・・・こ、こんばんは。」 彼女の方も、油断していたらしい。まるで小動物のような無駄の多い機敏さであわてふためいていた。 ホクトは少し罪悪感を覚えて、 「あ、いきなり話しかけちゃってすいません・・・・」 「いえ、別に、その・・・・」 「この川、見に来てたんですか?それとも、待ち合わせとか?」 それ以外で、こんなところに、こんな時間に用事があるとは思えなかったが、一応訊いてみた。 「え、えーと・・・・見に、来たん、です、はい。」 「? そ、そう。」 なんだか、彼女の様子がおかしい、とホクトは思った。 ホクトたちは、もっと言えばホクトたちの世界は、初対面であってもほとんど遠慮がない(Lemuにて、そうだったように)。 これほどまでガチガチになって話す彼女の姿が、ホクトにしてみれば少し不思議だった。 (外国の人かな・・・・?) この初対面の人に対する接し方の違いは、あるいは文化の違いなのかもしれない。 そう思えるほどの違和感だった。 彼女のほうからは一向に話しかけてくる気配がない。 沈黙を嫌い、ホクトは自分から話を進めることにした。 「名前は?なんてゆーんですか?」 「アマカワ、ユウカ、です。」 天川優華・・・・ その響きはなにか、遥か彼方の故郷から聞こえてくるような、そんな温もった響きをもっていた。 「天井の『天』に、三画の『川』に、優勝の『優』と、それから中華の『華』、です。」 彼女は言葉と共に、中空に指先で字を書いていく。 (あれ・・・・・・・・?) ホクトは、またも違和感に気付いた。 いわれるまでもなく、漢字でどう書くかを知っていた気がする。いや、知っていたというより、『アマカワ・ユウカ』と聞いた瞬間に、ほとんど反射で『天川優華』という四字を思い浮かべていた。 優佳でも、優香でも、由佳でもない。 最初に思いついたのは、正解の『優華』であった。 奇妙な偶然だった。 優華、優華、優華・・・・・・・・ 頭の中で反芻してみる。 そのたびに、その音、その響きに和んでいく自分がいた。 「ねぇ、『優』って呼んでもいい?」 「えっ、ええっ!?」 いきなりあだ名を、それも下の名前を素材に使われた優華は、気恥ずかしさに激しくどもる。 「い、いいですよ。ど、ど、どうぞ。え、えーと・・・・・・・・」 ホクトはまだ、頭の中で『優華』の詠唱を繰り返していた。 「あの、あなたは・・・・・?」 彼女の声に我に返るホクト。 「あ、えと、倉成ホクト。倉庫の『倉』、成功の『成』、で、ホクトはカタカナ。」 「ホクト、か・・・・・ホクト、ホクト、倉成、ホクト・・・・・・・・」 覚えようとしているのか、何度も反芻する優華。 ホクトは、そんな彼女を、知らず知らずのうちに見つめ続けていた。 どこか遠くに視点をあわせている優華に、声をかける。 「とりあえず座ろうか?」 「あ、うん。」 二人は、夜の小川の縁に腰を下ろした。 小川は、漆黒の闇の底に沈でいて、今は、流れていくやさしげな音だけが、その存在を確かにしていた。 ホクトは靴を脱いで両足を浸した。 靴の中でこもっていた熱が、川の中に逃げていく。そして代わりに訪れる冷たさと、水特有の、揉み解されていくような心地よい感触を楽しんだ。 一面の闇の黒は、そこだけが歪む。川はさらにその存在感を増していった。 今度は、優華から話し始めた。 「あだ名とか、ないの?」 「ぼくのあだ名は〜〜〜・・・・・・・・」 すぐに思い浮かんだのは、もちろん『ホクたん』だった。 しかし、それは言えなかった。あまりにも恥ずかしすぎた。 そこで、続いて思いついたのは、 「少年・・・・・・・・かな。」 「少年!?」 「・・・・・・・・う、うん。まあね。」 「・・・・・・・・・・・・・・・・」 「・・・・・・・・・・・・・・・・」 「・・・・・・・・・・・・・・・・」 突然黙り込み、ホクトを見つめ続ける優華。 「・・・・・・・・ど、どうしたの?」 「・・・・・・・・ぷふ、ぷ、ぷ、」 「え?」 「ははは!あはははははは!」 唐突に笑い出した。 「へ、変なあだ名だねぇ〜。」 「うぅ、変じゃなくて珍しいだけだよ・・・・・・・・」 「うんうん、ごめんごめん・・・・・・・・ぷふふ!」 「・・・・・・・・・・・・・・・・」 それでもなお、優華は笑い続けていた。 彼女の笑い声を聞いていると、ホクトは、自身の心の奥底から、『何か』がすさまじい力をもってせりあがってくるのを感じた。 「ねぇ、なんで『少年』なんてあだ名つけられちゃったの?」 つけられ“ちゃった”、か・・・・・・・・ 本人は、多分無意識なのだろう。 言葉を着飾れない。 嘘が下手そうだ、とホクトは思った。 「それは・・・・・・・・」 なぜ、少年と呼ばれるようになったか。 「それは?」 それは、とても長い話だった。 どういった順序で話せばいいのかもわからない。 いままで、誰にも話したことがない。 9人だけの秘密にしておきたかった。 『でも・・・・・・・・』 今もなお、よりいっそう強い力をもってせりあがってくる『何か』が、ホクトを突き動かしていった。 『彼女には、聞いてもらいたい』 いつの間にか、そう思う自分がいた。 「わけを話し始めると、結構長いんだけど・・・・・・・・いいかな?」 「うん、いいよ。」 いつの間にか、タメ口で話す二人がいた。 「今年、5月1日、ぼくは海洋テーマパーク『Lemu』にいたんだ。」 「ええ!?」 期待通りの反応だった。『5月1日〜7日のLemu』といえば、知らぬものはいない。 さて、あとはどう話そうか・・・・・・・・ これが一番難しかった。なにしろ2017年だという錯覚が一番の面白みではあったが、さすがにすぐばれるだろう。今年、また事件が起こったことは周知の事実なのだ。 悩んでいると、優華のほうが話しかけてきた。 「ねえ、『Lemu』って、とうの昔につぶれたんじゃ・・・・・・・・」 「・・・・・・・・へ?」 つい、間抜けな声をあげてしまうホクト。振り返ると、優華は怪訝な目つきでホクトを見ていた。 まさか、圧壊した日を知らないとか・・・・・・・・? 確かに、今はもうLemuは無い。つぶれたからだ。とうの昔といえば、とうの昔に。 ニュースを見ただけの人は、事件の日付までは覚えていないのかもしれない。 「5月7日までは、まだ無事だったんだよ。」 それでも、優華はまだ、眉をひそめたままだった。 「・・・・・・・・・・・・・・・・」 「・・・・・・・・ねえ、優はいつ圧壊したと思ってるの?」 「・・・・・・・・・・・・・・・・」 まさか・・・・・・・・ 嫌な予感がする。 湿った夏の夜風が、二人の頬を舐めていく。 「ねぇ、海洋テーマパーク『Lemu』の事件って、知ってる?」 「知ってる。」 この返答に、胸を撫で下ろすことはできなかった。 知ってるなら、知ってるはずだ。 「いつ圧壊したか、知ってる?」 「知ってる。」 おかしい。ますますおかしい。 「いつ、圧壊したと思う?」 「・・・・・・・・少年は、いつだと思うの?」 「・・・・・・・・5月7日。」 「私も同じ。5月7日。」 (えっ?) 「で、でもさっき優は―――――」 「2017年の、ね・・・・・・・・」 にせん、17年・・・・・・・・? 確かにその年も、Lemuは同日に圧壊した。 「今年の事件は知らないの?」 「知らない。ねぇ少年、もしかして夢見てたんじゃないの?それも17年も昔の事件の。17年間語り継がれるほどの大事件だったからねぇ〜。」 確かに夢のような出来事だったが、夢ではない。この事件は、日本どころか、世界中で通る話題だ。むしろ2017年の事件の方が無名なのではないだろうか(どちらも十分有名だが)。 高校生であろう彼女なら、なおさら今年の事件の方がよく知っているはずだ。 ホクトは、彼女に詰め寄った。 「確かに、Lemuは2017年にも一度圧壊した。でも、再建築したんだ!知ってるでしょ!?」 「しょ、少年、落ち着いて・・・・・・・・」 落ち着いてなんかいられなかった。 2034年の事件を否定されることは、自分自身を否定されているかのようで、我慢ならなかった。 だが、ホクトは優華がおびえていることに気付いてハッとした。 「ご、ごめん・・・・・・・・」 「う〜〜〜・・・・・・・・」 なんだか、うめいている。 「優って、ニュースとか見ないの?」 「あんまし見ない。」 「そっか・・・・・・・・」 だからといって知らないとは思えなかったが、ひとまず妥協することにした。 「じゃあ話すけど・・・・・・・・今日はもう無理かな。」 腕時計の数字は、すでに午前2時を10分程すぎていた。 優華がまず腰を上げた。丈の長いスカートにこびりついた雑草を払う。 ホクトは、もうほとんど感覚の失せた冷たい両足を、ハーフパンツのポケットに入っていたハンカチで拭う。小さなハンカチは、たちまちずぶ濡れになった。 風が両足を乾かしていく感覚も、ひんやりとしていて気持ちがいい。 靴を履いて、立ち上がる。 同じ視線の高さに、優華の底深く黒い瞳があった。 話し始めたのは、ホクトからだった。 「ねぇ、また会えるかな?」 「もちろん。」 「じゃあさ、待ち合わせしようよ。話の続き、したいしさ。」 「うん、いいよ。」 待ち合わせ場所は、ここに決まった。なにせ、他の場所は二人ともほとんど一致しなかったからだ。 時間は、 『夜』に決まった。 二人は、夜の世界の怪しさにすっかり心を奪われていた。 「じゃあ、11時半くらいに来るから。」 「うん。それじゃ、おやすみ。」 「おやすみ〜。」 二人は別れた。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ わずかに輝きの衰えた道路を歩きながら、ホクトは、ついさっき起こった奇怪な出来事を思い出していた。 彼女、天川優華――――― あの、名前を聞いたときの奇妙な偶然、声を聞いているときの不思議な感覚。 あれは一体、何だったのだろう・・・・・・・・? そして、 2017年の事件は知っているのに、2034年の事件は知らなかったこと・・・・・・・・ 不思議に満ち溢れた、夜の小川の出来事だった。 8月1日の朝日が昇る―――――― (第2話 終) |
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