一年に一度、7月7日にのみ
会うことを許された二人

それが、恋におぼれ仕事を忘れた二人に、下された罰

許された、その一日に
二人はかささぎの翼を渡ってゆく

Ever17ぴぐまりおん
                              ニーソ 



第3話 The Galaxy


徹夜の翌日は、つらい。
完徹ではなくとも、Lemu以来初めての夜更かしは、小さなホクトの体に鉛のごとく重くのしかかった。

ベッドの上で、異物が詰まったような頭を振りながら、考える。

(寝るか・・・・・・・・)

いや、そんなことをすれば体内時計が乱れかねない。昼間寝るような生活は勘弁だった。

時計は、もうすでに9時半を回っている。父も母も、きっともう出かけただろう。

ホクトはカタツムリのような緩慢な動きでベッドから這い出て、ボタン一個に10秒はかけてのろのろと着替えた。

重苦しい顔面に、冷たい水の塊をぶつける。
もう一度。
さらにもう一度。

頭もまぶたもようやく軽くなってきた。

家には、誰もいないようだった。
テーブルの上に、広げた新聞紙が置いてある。中央付近を中心にふくらみをもったその姿は、紙の盾のようだった。

盾のなかには、朝食がおいてあった。

(一人だけの朝食、か・・・・・・・・)

初めての体験に、なんだか少し胸が高鳴る。

席につくとともに、テレビを点けた。
この時間になると、ニュースはもう、ろくな話題を扱ってないし、すでに「座談系」の番組が大勢を占めていた。

10時が近づいてくる。
天気予報士がここ一週間の予想を一方的にまくしたてていき、自己満足な星占いが終わり、新たな番組に切り替わる。

番組の冒頭は、こうだ。

『今日から、いよいよ8月――――』

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ホクトは、この日一日はかなり無為に過ごした。
夜まであまりにも暇すぎて、同じく暇そうな友達と連絡を取ってみたものの、バイトだのお勉強だの部活だので、暇な奴はほとんどいない。
人数が集まらないので、遊びに出かけるのはすぐにあきらめた。

その日は、たまっていた本等の消化に専念した。
昼寝もした。
まさしく、なまけものの一日であった。

空が染まり始めた頃に沙羅が帰ってきたが、疲れていたようで、すぐに部屋に戻ってしまった。
また暇をもてあます。

そして武やつぐみが帰って来る頃には、ホクトの心はすでに浮き立っていた。

暇だった反動だろうか。まるで明日の遠足を待ち望む小学生のように興奮していた。

何から話そうか。
どうやって話そうか。

楽しみすぎて、ベッドの上でひとり悶えていた。

(11時10分に出よう)

内心で、そう決めていた。

だが、実際に家を出たのは10時半前だった。


昼の面影をわずかに残すアスファルトの道を、軽い足取りで歩んでいく。
吹きすぎていく風は、以前よりも数段爽快に感じられた。

ものの15、6分で、すでにホクトは例の小川まで来ていた。

あたりを見渡す。

木々の陰に、おぼろげな光が見えた。
木の幹に、退屈そうに寄りかかっている。

まだ10時50分にもならないというのに、すでに優華は来ていた。

ホクトは光に駆け寄り、声をかけた。
「こんばんは。優。」
優華はすぐに振り向き、にっこりと笑う。
「うん。こんばんは。少年。」

そうして、二人はしばし見つめあった。
不思議なことに、気恥ずかしさはほとんどない。
ホクトは、その黒い瞳に、なにか暖かみを感じていた。

二人は腰を下ろした。ホクトはまた、靴を脱いで両足を川に投じる。

いつまでもこの流れに、身を任せていたい・・・・・・・・

一切の区別無く包み込んでくれる夜の闇のなかで、
ホクトはそんなことを思っていた。

ドボン・・・・・・・・

右隣で鈍い音がして、ホクトの足にいくらか水滴がかかった。

優華もまた、靴を脱いで両足を川の流れに任せている。
はにかんだ笑顔をホクトに向ける。

「気持ちいいねぇ〜。」
「・・・・・・・・」
「ははは!うりゃうりゃ」
「うおっ!」

足をバタつかせて、水をかけてくる優華。

ホクトは、なんだか、彼女には自分と近しいものを感じずにはいられなかった。
彼女の声は、自分ですら、もはや手の届かない、はるか昔の遠く懐かしい記憶の琴線に、直接触れてくるような・・・・・・・・
そんな声だと思った。

無邪気に笑う彼女の声、深く黒い瞳、たなびく黒髪に、
ホクトは、急速に惹かれていった。

ひとしきり笑い終えて、ホクトは話を切り出した。

Lemuでの、事件のこと。

今年、2034年に、自分自身が体験した、とてつもない出来事・・・・・・・・

あますことなく聞かせるつもりだった。

優華は、まるで一字一句逃さず拾う気かのように、ホクトの話に、真剣に聞き入っていた。

そして、その透き通った黒い瞳で、楽しげに話すホクトの顔を、じっと見つめ続けていた。
ホクトもまた、彼女の瞳を見つめ返していた。

二人だけの、夜の世界―――――

時間とは、個人個人がそれぞれ所有しているものだ。
同じ時刻に、眠っているものもいれば、命をかけて戦っているものもいる。

それぞれに、それぞれの時間がある。

そして、二人が出会ったとき、彼らは新たに出現した同じ時間を共有する。

しかし現代の大衆化社会において、個々別々の時間をまとめあげ、組織、集団を成り立たせるために、すべての人々に絶対の時間である、時計が生まれた。

ホクトの腕時計は、誰の意思とも無関係に、絶対の時間を刻んでいく。

二人は絶対の時間を利用して『11時半』に約束を取り付けて、
そして絶対の時間の元に別れるのだろう。

だが今は、二人のいるこの空間は、

この小川のほとりには、

二人だけで共有した、二人だけの時間が流れていた。

それが、夜の世界。

夏の夜風が、火照った顔をやさしく撫でていく。

草木が、波の音を奏でる。

川の流れる音が、耳を通して心身を洗っていく。

二人の足は、同じ川の流れの中で、心地よく冷やされていく。

ここは、二人だけの、夜の世界、だった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

話のキリがよくなって一度時計に目を通すと、いつの間にか日付が変わって2時をとうにすぎていた。
惜しみながらも、切り上げることにした。
「じゃあ、今日はここまで。」
「え〜〜〜〜・・・・・・・・」
観衆から惜しまれながらの退場となった、ホクトの思い出話。

「よっ、と。」
勢いをつけて、ホクトは両足を上げた。
持参したタオルで、感覚の失せた両足を拭っていく。
突然めぐりだした血流に内側からくすぐられて、ホクトはその場で身悶えた。
まだすこし濡れていた足に、雑草や土が付着していく。
落ち着いたところで再度足を拭いて、靴を履いた。

優華も両足を上げて、足が地面につかないよう慎重にバランスをとりながら、今は風に乾かしている。
「タオル、貸そうか?」
「あ、うん。ありがと。いただきまーす。」
「泥だらけだけど。」
元は薄いピンクであっただろうそのタオルは、先ほど拭いた土のせいで表面がかなり黒ずんでいた。

優華も靴を履いて、今二人は立ち上がって向かい合っている。

今日は優華から切り出してきた。
「じゃあ明日もおんなじで。」
「あ、あのさ・・・・・・・・」
「ん?」
「昼間は、会えないの?優の家にも行ってみたいし。」
「それは・・・・・・・・」

そこで、優華は言いよどんだ。両腕を後ろに回して、うつむいている。

「それは、ゴメン。できない・・・・・・・・」
「え?どうして?」
「私、その、事情があって・・・・・・・・昼間のうちは・・・・・・・・」
ホクトは、その瞳の奥に浮かぶ悲しみの光を敏感に感じ取ったが、その正体をつかむことはできなかった。

「そう・・・・・・・・じゃ、しょうがないね。夜だけ会うってのも悪くないし。」
実際、まんざらでもなかった。

だが優華は、そんなホクトを今にも泣きそうな目で見つめる。

「ごめん・・・・・・・・。本当に、ごめん・・・・・・・・」

突然の優華の様子の変わりように、慌てだすホクト。

「い、いいんだよそんなの全然!ぼく、優に会えるだけで」
「え・・・・・・・・?」

今度はホクトが言いよどむ。
だが、不思議なほどなんの抵抗もなく、するりと言葉はでてきた。

「・・・優に会えるだけでいいから。優の声が聞ければ、それで・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・」

優華の顔が、この暗闇の中で、いっそう強い光を放ち始めた。
対してホクトは、言った後で顔が熱くなってきていた。

いつの間にか、波の音は消えて、小川のせせらぎだけが聞こえてきていた。

優華が、少し上ずった声をあげる。
「あ、ありがと・・・・・・・・。そう言ってくれると、助かる・・・・・・・・」
「う、うん・・・・・・・・」
二人ともロボットのような口調で話し出す。
「それじゃ、おやすみ!」
「お、おおおやすみぃ!」

やたら強い口調で挨拶を交わした二人は、急ぎ足で別れていった。

往きよりも、さらにひときわ爽快な夜風を全身で浴びながら、ホクトは、輝く路上を跳びはねながら帰っていった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ホクトの昼夜は、もはや逆転していた。
交感神経は夜働きだし、副交感神経は昼に効果を現し始めた。

8月初日の出来事は、それほどの影響力をホクトにもたらしていた。

8月2日の夜は、すぐに訪れた。


木々のざわめきの下で、二人はまた両足を、同じ川の流れにゆだねていた。

小川のやさしいせせらぎをバックに、ホクトは昨日の(正確には本日未明の)話の続きをはじめた。

優華は、ところどころ相槌やツッコミをいれながら、真剣に聞き入っていた。

ホクトにとって、今この時間が至福だった。

この林の中で、この小川のほとりで、優華と一緒にいるとそれだけで、自分達以外の全ての時間が眠りについたような錯覚すら覚えた。

太陽など、今のホクトにはちっとも恋しくはなかった。

今日の話が終わり、二人はまた再会の約束をした。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

名前をつけようか――――

8月3日の夜。
二人は、いつものように両足を同じ流れのもとにゆだねていた。

ホクトの思い出話は、今日はなかなか開演しなかった。

今日はしばしの間、二人で、この小川のせせらぎに聞き入っていた。

この川は、二人にとっては、まるで親のような存在だった。
いままでずっと、二人をやさしく見守っていた。そして、この音で、この冷たさで、この感触で、ひっそりと、自分達を癒してくれた、小さな川。

ホクトは、この川に名前をつけることにした。

優華は、少し首をかしげる。
「名前、ないのかなぁ。」
「無いと思うよ。こーんなに小さいんだし。」
「上流はすごいかも・・・・・・・・」
「まあね。でも、あってもなくても関係ないよ。」
「え?」
「この川は、他の人たちと違って、ぼくたちにとってはとっても特別な存在なんだ。他の人たちが見ているときのこの川と、ぼくたちが見てるときのこの川とは、別物なんだよ。」
「・・・・・・・・そう、だね。」

そうして二人は、名前を考え始めた。

ホクトは、すぐに思いついた。

「『天の川』、なんてどう?」
「ずいぶんだいそれてるけど・・・・・・・・何で?」

それはもちろん・・・・・・・・

「優の名前からとったんだよ。」
「え?・・・・・・・・あ。」
気付いて、優華の放つ光が少し強くなる。

「それじゃ少年がいないじゃん!だ、だめだよそんなの・・・・・・・・」
「ぼくは北斗七星ってことで、宇宙つながり、てのは?」
「う〜〜〜〜む・・・・・・・・」
「てゆーか、決定!今宵この川は『天の川』となり遂せたのであった。」
演技調に決めるホクト。
「は〜〜い。りょうか〜〜い。」
優華も、まんざらではないらしかった。


二人は、地に降り立った『天の川』に両足をゆだねて、二人だけの時間をつむいでいった。

そしてまた今日の話が終わり、

濡れた両足を拭って、

再会の約束を取り交わすのだった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

二人が最初に出会ってから、もう一週間が経つ。

その間、二人は毎日欠かさず、深夜の逢引を繰り返していた。

話の核は、ホクトの思い出話。
3ヶ月前の、あの事件の話。

だが、

その話も、今日で終わりになる。

前日の逢引で、もう話は核心に迫っていた。

(この話が終わったら、きっともう会えない。)

普通に考えてそんなはずは無いが、そんな不吉で強烈な予感に、ホクトは苛まれていた。


8月7日の昼、
誰もが活発に動いている時間のなか、ホクトはベッドのうえで恐怖心に悶えていた。

卒業式が悲しいのも、長い小説を読み終えたあとに悲しみが押し寄せてくるのも、

当たり前だった日常が終わるからだ。

当たり前だと思って見過ごしてきたもの
それがいつかは終わるのだという現実に、唐突に気付かされる日がある。

この1週間の想い出話は、夢のようだった。
夢のような、日常だった。

(いやだ・・・・・・・・)

耐え難い恐怖に、震えおののいた。

(過去形にしたくない・・・・・・・・)

こんなときにも正確に時を刻んでいく時計が、憎かった。

恐怖にふるえ、現実逃避に近い状態になったホクトは、いつの間にか眠りについていた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「ホクト・・・・・・・・」

どこからか、やさしい声が聞こえた。

それはまるで、はるか彼方の記憶の琴線に直接触れてくるような―――――

ホクトは目を開く。

ぼやけた視界の先には、

長い黒髪と、どこまでも深く黒い瞳があって―――――

(優・・・・・・・?)

時が経つにつれ、次第にピントが合っていく。

目の前にいたのは―――――

「お母さん・・・・・・・・・・?」

ホクトの目を覚ましたのは、つぐみの声だった。
もう、夕食の時間だった。
とんでもないほどの時間、ホクトは眠り続けていた。

「大丈夫・・・・・・・・?体の具合でも悪いの?」
「ううん、大丈夫だよ。昨日ちょっと夜更かししちゃったから・・・・・・・・」

嘘ではないが、本当でもない。
ホクトは明らかに、自律神経系に異常をきたしていた。

夕食をほとんど無言で終え、部屋に戻る。

あいかわらず、時計は正確に時を刻んでいく。

それを見ながら、ホクトは思った。

完全に固有の時間など、無いのだ。

どんなに固く扉を閉ざしても、時計の刻む絶対の時間は、幽霊のように入り込んでくる。

ホクトは終始無表情のまま、時計の針を見つめていた。


10時半になった。




8月7日の夜の世界に駆けていく――――






(第3話 終)




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