少年は、いつのまにか世界から一人はぐれていた。 闇を愛し、太陽を失くした少年の体は、 夜毎に冷たくなっていった。 |
Ever17ぴぐまりおん ニーソ |
9日の空も、よく晴れていた。 ここ10日間、雨は一滴も降っていない。 今年は梅雨の降水量も低く、テレビで、街中で、水不足を心配する声は高まっていった。 そんな、夏の日の正午が過ぎた。 子供達が、500mlのペットボトルを片手に、次の遊びを思案している。 蝉達が、わずかな時間を惜しんで叫び続けている。 誰もがこの暑さのなかで、滝のように汗を掻きながら、みな生き生きと過ごしていた。 そんな、希望に満ち満ちた音を窓越しに聞きながら、 ホクトは、白い陽光の世界から一人取り残されていた。 枕に顔をうずめる。 腹から身が引き抜かれたような喪失感が、全身からどうしようもなく力を奪っていく。 ホクトは、ベッドの歪んだ平面の上で、身動きが取れなくなっていた。 ついに最後まで、優華は現れなかった。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ホクトは、林の中に差し込んでくる光刃に朝の訪れを感じて、ようやく腰を上げた。 朝日が昇ろうとしていた。 太陽の強烈過ぎる光が、ホクトの両目を焼いていった。 その光から逃れるようにして、ホクトは林の中から立ち去った。 太陽が、道を歩くホクトの身を低い角度で鋭く焼いていく。 しかしその熱は、穴の開いた下っ腹から止め処もなく流れては、朝の風の中に消えていった。 それからホクトは、ベッドの上で、現実と浅い眠りの世界の境目をさまよい続けた。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 8月10日 ホクトは、家の中でほとんど言葉を交わすことはなかった。 食事や風呂を済ませると、すぐに部屋に戻ってしまっていた。 ホクトはベッドの上で、やはり何も考えず、何も感じぬまま、 夜を待ち続けた。 待ち続け、 しかしその日も、彼女が現れることはなかった。 ホクトは深い闇のなかで、徐々に蝕まれていった。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 時の流れの中で、心と体が無情にも回復してきていたホクトは、ついにベッドから身を起こした。 時計を見る。 8月11日の、午後3:50だった。 それは、ホクトの体が、結局は日の光を求めるようにできているが故の行動だったのかもしれない。 ホクトは、寝汗ですっぱい臭いのする服を、亀のようにのろのろと替え始めた。 もう何年も感じていなかった気がする。 久しぶりに、空からの温度を感じていた。 灼熱のアスファルトが、遠くで湯気を上げている中を、ふらふらと幽霊のように歩いていった。 その足は、自然とあの森へと向かっていた。 外に出たホクトには、そこしか居場所がないように思えた。 しかしその場所すら、今この時間だけは自分を受け入れてはくれないような、そんな確信に近い予感もあった。 まだその林が見えてこないうちに、背後から声をかけられた。 「ホークートーーーー!」 振り返る。50mほど前方で、レモンイエローの髪を揺らしながら、優が走り寄ってきていた。 ホクトの目の前で両足をそろえてピタリと止まる。 「なんだか久しぶりじゃない?どこいってたのよぉ〜うりうりぃ〜!」 夜の世界に行っていたのだ。 そうホクトは思ったが、口にはしない。 「ここんとこずっと、体調崩しちゃってて..........」 「ふ〜ん。そういえば今も顔色悪いよね。大丈夫?」 大丈夫..........? この十日間、その言葉をもう何度聞かされただろうか。 そのいずれの声も、ホクトを癒してはくれなかった。 ホクトはいつになく褪めた目で優を見ながら、言った。 「優、今帰るとこだったの?」 その言葉にも、一切の感情がない。まるでアナウンスのようだ。 優はしばし考えて、答えた。 「ううん。こんなに晴れてることだから、ちょっと散歩してこようかなぁ..........なんて。」 「ふーん。」 「....................」 冷えたホクトの言葉になんとなく傷つきながら、それでもなんとか言葉を探す。 「ホクトは?どうしてたの?」 「別に......」 言った後で自分の無神経さに気付き、言葉を取り繕うホクト。 「ぼくも優と同じだよ。ちょっと外に出たくなってね。ずっと寝てたから.......」 「それじゃあ、一緒に歩かない?久しぶりだし!」 明るさを取り繕う優。 (ここで断ったらまずい..........) 「うん、いいよ。」 「....................」 しかし、せっかく優が灯した明かりも、ホクトの冷たい水のような言葉に、味もそっけもなくかき消されていく。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「..........」 「..........」 久しぶりの白昼の出会いは、とても痛ましいものとなった。 歩いている間中、ホクトの方からはほとんど話しかけてこなかった。 優は間をもたせようと、必死に話しかけていた。 しかし返ってくる言葉も、まるで風船のように、外見こそ取り繕ってはいたが中身は無く、ふわふわと宙を漂っていた。 今のホクトは、以前あれほど欲していた優の声に、なんの温もりも感じていなかった。 優の香りも、届いてはこなかった。 白く輝く世界にあって、二人の歩く姿は見るも痛々しい光景であった。 「....................」 「....................」 今、二人は肩を並べながら、ほとんど無言で歩いていた。 視線は、自然と落ちていく。 どちらにとっても、苦痛の時間であった。 そして優のほうが、空虚なホクトよりも数段、苦しめられていた。 まだ少しは余裕のあったホクトが、話し始めた。 「優。」 「な何?ホクト。」 すばやく振り返る優。そこには、ホクトのうつろな目があった。 「悪いけど、ぼく、しばらく誰とも話したくないんだ..........」 「え..........?ど、どうして..........」 「ちょっと、辛いことがあってね。しばらくの間、立ち直れそうにない..........」 「辛いこと、って......?」 「それは、言えない。ゴメン..........」 ゴメン―――― その言葉が、優の心のとても深い部分を傷つけていっていることに、ホクトはまったく気付いていなかった。 「そう..........それじゃしょうがない、ね。」 「うん..........ゴメン。」 「....................」 優は、もうホクトの顔を見ることもできず、うつむいて歩いた。 そんな優の悲壮な姿にも気付かずに、ホクトは静かな住宅街の一角の十字路で、足を止めた。 「それじゃ、この辺で別れようか。」 「....................」 優が無言でうなずくのを確認して、ホクトは十字路を左に、優はそのまま真っ直ぐに進んでいった。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「ただいま..........」 家に着いた優を、春香菜が出迎える。 春香菜はすぐに、娘の様子に気がついた。 「おかえり。何かあったの?元気、ないみたいだけど..........」 「暑かったから、ばてちゃったのかも。部屋で休んでるね。」 「そ、そう..........」 たしかに、心身ともに疲労困憊といった様子だった。 しかし、春香菜は通り過ぎていく優の背中に、冷たい氷の気配を感じていた。 優は部屋に着くなり、目の前のベッドに突っ伏して、泣いた。 枕が、涙に濡れて冷たくなっていく。 泣いて、泣いて、何もかも吐き出してしまおうと思った。 泣ける、ということは、幸せなことだと感じていた。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 8月12日の日が沈もうとしている。 今日、倉成一家は優の家の夕食に御呼ばれしていた。 ホクトは異常なまでに行くのを渋ったが、この数日間のホクトの変調を、部屋に塞ぎきっているからだと思い込んでいた武たちが、半ば強引にホクトを連れ出した。 それに、この数日間、彼らはホクトとほとんど会話できていなかった。 強引に連れ出したのは、そんな寂しさを感じていたこともあった。 優宅のテーブルで、いつもよりも少し豪勢な、しかし家庭の味のする食事を楽しんだ。 武も、つぐみも、沙羅も春香菜も、テーブルの上で楽しげな声を交し合っていた。 しかし同じテーブルの上で、ひどくよそよそしくしている二人がいた。 優とホクトは、何かをごまかすかのように、黙々と咀嚼ばかりしていた。 他の4人は、楽しく会話しながらも、しかし気にならないはずがなかった。 何度も二人に声をかけ続けたものの、『うん』だとか『そうだね』だとか、ろくな返事は返ってこなかった。 場が、ややしらけてきたところで、唐突に優は立ち上がった。 「ホクト、私の部屋に来てくれない?」 その声は、まるで新入生の自己紹介のように、無駄に力がこもっていた。 それとは違った点は、その声が悲しい響きを含んでいたことだった。 ややあって、ホクトは頷いた。 「うん、いいけど..........」 その言葉をきいて、優はテーブルから離れていく。ホクトも立ち上がる。 「ご馳走様。」 「ごちそうさまでした。」 そう言い残して、二人は二階へと上っていった。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 優の部屋に入るのは、いつ位振りだろうか。 初めて入ったときは、緊張に胸が高鳴って、情けなくはしゃぎまわってしまった記憶がある。 ピンクに近い赤を基調としたその部屋の床は、雑誌やらDVDやら着替えやらで、かなり汚れていた。 その部屋は、女性特有の香りに満ちていた。高校生くらいの男なら、この匂いだけでどうにかなってしまいそうだ。 今また、その部屋にホクトは足を踏み入れている。 ほのかな電灯に照らされながら、ベッドに腰掛けてうつむく優の横顔は、儚げで美しかった。 優はホクトを見ることなく、話し始めた。 「ドア、閉めてくれる?」 「あ、うん..........」 パタン、と。 木材のぶつかり合うこもった音が耳に響いた。 「ねえ、ホクト。」 「なに..........?」 「この頃なんだか、おかしくない?一体どうしたの?」 「..........」 「辛いことって、何?何があったの?」 「....................」 「教えて、くれないの?」 「うん..........」 「どうして..........?」 優は振り向き、ドアの前で立ち尽くすホクトを見つめる。 ホクトは優の両目を真っ直ぐ見つめ返しながら、答えた。 「何故って......これは、ぼくの問題だからだよ。優には関係ないだろ?」 その言葉に、唐突に立ち上がる優。 「そんなことわかってる!私は、ホクトの世界に踏み込むつもりなんかない......だけど..........話してくれなかったら、何も始まらないよ..........私にだって、きっと力になれるよ..........!!」 紅潮して、今にも泣き出しそうな優の表情に、一瞬、ホクトの胸は高鳴った。 ホクトの中で、何か強い力が突き上げてくる。 優の瞳、優の声が届くと同時に、優華の面影が、ホクトのなかで急速に消えていく。 その力に抗うようにして、ホクトは背中を向けた。 「ホクト..........」 背中越しに聞こえてくる声に、心臓が張り裂けそうなほど強く脈打ち始める。 (やめろ..........) この力が一体なんなのか訳がわからずに、扉の前で立ち尽くしていた。 (ぼくを、壊すな..........) 「こっち、向いてよ......」 (ぼくは、優華のことが好きなんだ!) ホクトはいよいよ耐えられなくなり、部屋に優を置き去りにして、走り去っていった。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「じゃあぼく、先に帰ってるから。」 「え......?」 「ご馳走様でした。」 ホクトは、武たちと春香菜それぞれに機械的な挨拶をして、帰ろうとした。 だが、その足は唐突に止まった。 ホクトの視界を、『彼女』の姿がかすめる。 (優..........!?) ホクトは振り返る。 艶やかな、長い黒髪と、どこまでも深い、黒の瞳―――― だがそれは.......... 「....................」 つぐみ、だった。 つぐみは、少しあっけにとられたように、ホクトを直視している。 その瞳を見ていると、泣き叫びたくなるのだった。 この胸につかえた激情を、冷たく濡らす悲しみを.......... その視線を振り払い、ホクトは早足で帰っていった。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 輝く路上を、人形のように無気力に歩き続ける。 太陽は、とっくに沈んでいた。 あたりは青黒い闇に包まれている。 そこには夜が、ただ漠然と佇んでいるだけだった。 昼の、乱雑な色の数々に汚れた目を洗ってくれた、あの透き通った黒も、 騒音に疲れた耳を癒してくれた、あの繊細な声も、 あの日の、あの甘くかぐわしい夜は、もうそこにはなかった。 『七夕伝説って............知ってる?』 もう一度............ あの昔話を聞いて、二人で遠い世界を旅していたい。 『あ、ありがと........。そう言ってくれると、助かる........』 もう一度............ 優華に、一緒にいたいという、この気持ちを伝えたい。今度は、もっとはっきりとした言葉で........ 『気持ちいいねぇ〜。』 もう一度........ 二人で、同じ川の流れを感じていたい。あのくすぐったさを、あの心地よさを........ 『へ、変なあだ名だねぇ〜。』 もう一度........ 彼女の笑顔が見たい。何もかもを忘れて、いっしょに笑いあっていたい。 『アマカワ、ユウカ、です。』 もう一度................ もう一度だけ................ 優華と、一緒にいたい――――― 「........うあああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」 あふれ出した激情が、何もかも消えうせた夜の闇に響き渡る。 優華の身に、何かが起こっていると知っていたのに........ なぜ自分はいつもいつもいつもいつも、なにもせずに見ていることしかできないのか? 人一人救えないのか? なぜ、自分は父のように強くないのか? 冷たい悲しみと、むなしい怒りがこみ上げてくる。 ホクトは、自分の幼さに失望しながら、 もう自分でもどうすることもできずに、また今日も、夜の世界に向かうのだった。 何にも癒されず、何にも暖められずに、 ただひとり、無音の闇の世界をさまよい続けて、 ホクトは、壊れていった――――― (第6話 終) |
あとがき というわけで、『第6話 優美なる雨』でした。 改めましてニーソです。 というわけであとがき〜 はてさて、第6話にしてようやく優秋の登場ですー(第1話でも出てましたが) とはいえ、皆さんが期待するような感じではなかったかもしれませんね♪ ちなみに、地の文では優秋のことを『優』、優華のことを『優華』、優春のことを『春香菜』と区別しておりますのでよろしくです〜 ホクトの台詞や心情表現の時は秋、華とも『優』ですが、文脈でわかるかと。わかりにくいときはホクトにも地の文と同じような区別をさせときます。 何故こんなややこしくしたかというのは、今後ちょっとした描写で雰囲気を出すための前準備なわけですわ。ほんとうにちょっとしたことなんですが・・・・ お次は“完全”の数字7番目(確かそう)。 それでは〜 |
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