2034年
LeMUという特殊な閉鎖環境において、2017年は華麗に再生された

桑古木涼権、そしてホクト

17年の歳月を経て、“ショウネン”は連鎖する..........

Ever17ぴぐまりおん
                              ニーソ 



第11話 コイン・サイド


初めに感じたのは、まるで果てなく広い真っ白な部屋に自分だけが取り残されたような、そんな途方もない脱力感だった。
体は灰黒い霧の海に拘束され、上も下も分からず漂っていた。

もがくことすら許されない、真っ黒な絶望感に圧し潰されそうになる。

現状を全く把握できない。
あまりの恐怖に思考が震え停止してしまっている。

夢か。

初めにホクトを貫いたのはそんな可能性だった。
しかし、そうは到底思えぬほどの存在感を感じる。

突如として窮屈になる。朝のプラットホームで一人映画を観ているかのような居心地の悪さを感じる。

そう、存在感。

はるか彼方で何かが蠢いている。やつは恐るべきスピードで押し迫ってくる。
強烈な圧迫感に吐き気がする。

やつのいる彼方で声が聞こえた。

『アヌ、コンタクトの方、最終境界線を越えました。』

くる。

『あー、もしもしぃー、大丈夫かな優華ちゃん?』

きた。

瞬間、唐突に霧は晴れ、暗黒の視界が広がった。

「久しぶりだね、ホクト君。」

黒に満ちた視界に、奇妙なほど色を持った像が現れる。
女性..........
直感的にそう感じた。
それは女性だった。
ホクトは人の年齢を測るのは得意ではないが、およそ30代後半の女性のようだった。
乾ききった山吹色の髪、ひび割れた唇、痩せこけた顔には、修行を終えた仏陀のような気配が感じられた。

「おひさし、と言っても覚えてないんだよね。というわけで初めまして!コードネーム“エア”と申します!よろしくぅ〜。」

外見の生気のなさからは気味悪く感じられるほど、明るい口調で話しかけてくる。

「今は優華ちゃんにぃ、私の側の世界の情報を、君の眠っている眼に送ってもらってるの。君の方の情報はぁ、優華ちゃんが視点を重ねて回収してくれてるから安心して。言ってることは代わりに話してくれるし、姿はイメージしたものをレミを通してRSDで映してるから。」

相手が恐怖に停止してしまっているのも構わずに、つらつらと意味不明なことを、やはり明るい口調で連ねていく。

その明るさがホクトの心をほんの僅か、一日に溶ける南極の氷程度に溶かす。

震えながら口をこじ開ける。
詰った喉から蚊の鳴くような声が漏れる。

「誰、です、か..........ここ、どこですか..........」
「私はエホバのカナーン計画遂行を任された特務機関カルディアの、第3視点を取り扱う部署レムの、あなたたちの保護観察を専門とするウラヌスの役員である通称エア。ここは優華ちゃんが君に送っている場所。まあ、ぶっちゃけ優華ちゃんのイメージね。」

息も絶え絶え、律儀に質問に答えるエアという女性。

ホクトの混乱は頂点を極める。
あらゆる単語が脳内を駆け巡り、あらゆる過去の記憶と照らし合わせていく。
一本たりとも繋がらない。
頭の中には、ただ無闇に言葉が散乱された。

見開かれたホクトの目を真っ直ぐに見つめながら、エアという女性は淡々と話を進める。

「ホクト君。理解しがたいかもしれないけど、世界は今、二つあるの。君の世界と重なって、ある。いつもすぐ目の前にあるけど、君たちには知覚できない。同じように私達も君たちの世界を知覚できない。」

ここで一呼吸置くエア。

「世界は、ずっと昔の“ある出来事”を境に二分されてしまった。Yの字のようにね。二つの世界は全く離れてはいない。重なり合ってる。でもそれぞれで独立している。言ってみれば、コインの裏表、みたいなもの。いい?訳がわからなくても、今はとりあえずそうなんだって納得して。必ずいつか、自分でも理解できる日がくるから..........」

一瞬、ホクトの脳裏にココの姿が浮かぶ。

「さて、と。それじゃ、私の本名、教えてあげるね。そこまではいいってことになってるから。..........油断してるとぉ、きぃっと驚くぞぉ〜?」

彼女はやや前傾して細い人差し指を揺らす。
驚くと言っても、すでに言葉の半分以上は、飽和状態のホクトの頭からことごとく掃きだされている。

彼女は突然胸を張って、高らかに宣言した。

「アーイ、アーム、ユー!」
「え..........?」

濁りきったホクトの頭に、遥か天上から一滴の雫が落ちてくる。

I am YOU...

彼女は、今、確かにそう言った。
まるで、あの日の優の声真似をしているかのような、そっくりな口調で―――――

驚きと困惑と、そして冷たい怒りがこみ上げてくる。

その言葉は、決して安易に口にしていいものではなかった。
それは優美清春香菜と秋香菜をつなぐ、奇跡の象徴のような、神聖な言葉であった。
こんなわけのわからぬ輩に言われたくはなかった。

だがそれ以上に、何故その言葉を知っているのか、“その意味”として知っているのか..........
あらゆる思考が交錯し、混乱し、怒りが表に出ることはなかった。

硬直するホクトに微笑みかけながら、彼女は続ける。

「わたくし、名を、」

オホン。
ひとつ咳払いして、

「田中優美清秋香菜と申します。」

(―――――!?)

瞬間、自分の中で何もかもが止まってしまったかに思えた。

その一言は、ホクトの中の全てをなぎ払った。
ホクトの中に満ちていた困惑、混乱は、あるいは意味不明な言葉のすべてを一度に理解しようとしていたがためだったのかもしれない。

ユウビセイアキカナ―――――

そのたった一言が、これまでの全ての思考思索を無意味にした。
今まで悩んでいた全てのことがアホらしく思えるほどの、強烈な一撃だった。

(お前は一体誰だ..........)

考えるべきことが一つに絞られ、ホクトの体に少しずつ血が行き渡り始める。
目の前の知らない女性を凝視する。

彼女は、壮麗な顔に蠱惑的な笑みを浮かべている。

優の名を騙る目の前の奇人にホクトは煮えたぎるような怒りを感じながら、一方で、彼女の中に優の面影を感じてもいた。

だが、彼女を認めるわけにはいかなかった。
ホクトの中で、優美清秋香菜とは誰かはもうとっくに決まっているのだ。
こいつが、優なはずはない。
誰かが優に似た人物を差し向けて、自分を混乱させようとしているのだ。

(何のために..........?)

ホクトの中で理性と怒りが相克する。

「ホクト君..........」

彼女の声は意識には届かない。

「会いたかった..........」
「!..........」

突然の言葉。
胸に残る、ほんの少しだけ温かな感触。
それは、優のものとは確かに違っていた。
だが、やはりその中には、優の気配が見え隠れしていた。

その声に、やや平静を取り戻すホクト。

(まず話を聞かないと..........)

そんな幼児並の考えがようやく頭に上る。

「あなたが『優美清秋香菜』って..........どういうことですか。」
「ん?おっ!ようやくまともに喋ってくれたね。」

うんうん、と満足げにうなずくエア。

「最初に、世界は“ある出来事”を境に二つに分かれた、って言ったけど、私は分かれる前に生まれたから、どっちにもいるの。つまり君の世界の優美清秋香菜さんとは、ずっと昔に一つだったってわけ。でも今はもう分かれちゃってるから、彼女と私は全然関係ないけどね。」

世界が分かれた..........?
ある出来事..........?

あらゆる疑問がふたたびホクトの頭を支配し始めたが、振り払う。
考えることは一つに絞った方がいい。

「“ある出来事”って..........」
「2011年―――――」

エアは、その問いをあらかじめ予想していたかのように、実に機械的な答えを返してきた。

「当時のエホバは、開発中だった“あるシステム”の起動実験で、システム内に正体不明の自律意思体を発見した。それは、そのシステムが“何か”を観測し、その結果を打ち出したものだった。」
「それが、“ある出来事” ..........?」
「話は最後まで聞く!」
「....................」
「エホバは、システム内に残された不明意思体をAIとして利用する一方、観測された“何か”の研究を進めた。そして6年後、彼らはその“何か”をAIシステムに似た形で機械的に複製する実験を始めたの。その実験の影響でIBFの全館生命維持に支障が生じて、TBが漏洩してしまったってわけ。」
「....................」

ホクトは言葉に詰る。
ようやくすっきりとしてきていた頭は、再びぐつぐつと煮えたぎり始める。

ホクトの質問が止まると、エアは思いつめたような顔をして、逆に問いかけてきた。

「あの、さ..........君は、優美清“春”香菜を知ってるんだよね?」
「え?あ、は、はい。」
「優しい人?」
「ええ、まあ..........」
「....................」

今まで楽しそうにしていたエアの顔に、唐突に影がかかる。

なぜそんなことを訊くのか。
ホクトはすぐに感づいた。

「あの..........あなたのお母さんは..........?」
「私の世界には、もうお母さんはいないよ。2017年に、TBで死んじゃったから。」
「....................」

ホクトは罪悪感に縛り付けられた。
人の死に、初めて言葉で触れてしまった。
彼女の心に土足で踏み込み泥を撒いていったのだ。
声が出ない。
一方で、頭の中に何かが引っかかっているのを感じた。

2017年、TB..........

エアは語る。
その声は、触れれば崩れてしまいそうなほどに震えていた。

「私のお母さんは、田中優美清春香菜。でも、触れたことはない。私にお母さんの感触は残されていない。」

エアは、泣き笑いのような表情をしていた。

「私は物心ついたときには、施設にいた。預けたのは田中ゆきえだけど、彼女のことも記憶にない。何故預けたのかもはっきりとはしない。そして、私は自分の肉親を探した。死んだって言われてたけど、信じなかった。それでね、ある日、厳重にガードされてたあの事故の、IBFの映像記録を見つけたの。」
「..........IBFの?」
「そう。彼らはそこで死んだ。」
「彼らって..........」
「それは、もう分かってるでしょ?」

2017年のIBFで..........

あるいは、ホクトは最初から予想していたのかもしれない。
脱力感すら覚える。

LeMU圧潰事故

やはり全ての物語は、そこに終着するのか――――――

「その事件の死者は、茜ヶ崎空を除くなら、4人。4人ともTBが発症して、IBFで死亡した。」
「....................」
「..........何か質問は?」
「いえ..........」

一度はそう答えて..........
後退しようとした思考の裾がどこか引っかかる。

死者は、空を除いて、4人..........

4人?

「あの、4人って今言いましたけど..........」
「一人だけ、生き残ったものがいる、ってこと。」

ホクトの質問に先回りして答えるエア。

「生き残ったのは小町つぐみ。彼女だけはTBは発症しなかった。彼女は一人だけ診療室を出て、その後はよくわからない。ただ、IBFに落下したLeMUの隔壁が当たって、彼女が部屋を出た直後に診療室前まで水没した。診療室そのものは、彼女が扉を外側からロックしてたからしばらくは無事だったけど..........そして彼女はその後、少し離れた海中で奇跡的に救出されたの。」
「お母さんが..........」
「正確には、もう分かれた後だから君のお母さんとは関係ないんだけどね..........」
「それで、今どうしてるんですか!?」

また土足で踏み込むようなことになったりはしないか。
そんな悠長な懸念は、ホクトの中からとっくに消え去っていた。

エアは、奇妙なほど落ち着いた口ぶりで答える。

「もう何年間も、私達と一緒に働いてる。彼女は、『スコーピオ』を抜けて再び世界を蘇らせる、希望の星なの。」
「スコーピオ..........?」

エアは、何かを求めるように視線を泳がせる。
再びホクトの目と交わったとき、彼女は重々しく語りだした。

「世界規模の究極的な危機、それがスコーピオ。すべての始まりは、2017年のTB漏洩だった。それから、北京虐殺、クリムソン報告、そして日の出事件..........いろんな事件が重なり合って、世界は混乱に陥った。とどめはアイザック演説..........国家は消滅し、世界は細分化された。」
「....................」

話についていけず、ホクトはただ呆然と、うつむくエアのつむじを見つめていた。
彼女は疲れ切ったようにため息を吐いて、続ける。

「たくさんの集団ができて、動物的社会集団であるそれらは、互いにほとんどつながりを持たない。みんな勝手に動いてる。夢も目的もない。ただ生きるだけ。人は野生化した。みんな勝手に動くから、もう資源も底を突きかけてる。」
「....................」
「私達は、それを終わらせようとしている。私達にはそれだけの力がある。だけど、終わらせられたとしても、その先に希望がないの。財も資源も残されていない。だから、君の力を借りたい。」
「力って..........言われても..........」
「君には第3の眼がある。」

エアの眼差しが急に熱くなる。
ホクトはその視線に拘束され、硬直していた。

「ここに点Aと点Bがあるとする。この二つの点を連続させるとき、二つの点の間には無数の点があることになる。無数の点の間に距離はない。距離があれば、その間にも無数の点があることになるから。距離がない、ということは距離は0。つまり無数の点は一致している。よって連続とはすなわち一致。そして3次元の連続が4次元。過去未来を含め、すべての世界は一致している。“ある出来事”によって分かれた私達二つの世界は重なり合ってて、同時に存在している。すぐその場にある。そして君の眼は、その重なり合った世界を視ることができるの。そしてそれは..........優華ちゃんも同じ。」
「――――――っ!」

優華..........
その名は、ホクトの中で非常に大きな領域を占めていた。
神経は研ぎ澄まされ、他の一切が頭から排斥される。

エアは淡々と続ける。

「世界は重なり合ってて、ただ私達3次元人は知覚限界に達して見ることができないだけで、本当は別の世界はその場に一致して存在している。“A世界がB世界を媒介する”と言ったりもするけど..........本当はその場に重なって『ある』のに、知覚限界のせいで扱えない存在を、4次元存在は扱うことが出来る。つまり君達の“眼”のことね。そうすることで、何もかもが失せた私達も、君たちの世界の財や資源を利用できるってわけ。もちろん、どれだけ遣わせてくれるかは力を持つ君たちで決められるから安心して。」
「....................」
「..........お願い、できないかな..........」

まるで、自分が自分の身体から遠くに引き離されて、そこにあるかのような..........
言葉を咀嚼し組み立てて「理解」の城を建築しようとする自分と、その城に欠陥が無いか、不備が無いかを「分析」しようとする自分が、まるで切り離されて存在した。
思考の頂点とはこういう状態のことなのだと思う。

協力関係
これほど甘美で危険極まりない言葉は無い。
初対面の人物ともなれば尚更である。ホクトは出来うる限りの警戒心をもって分析を進めた。

だが..........

彼女の誠実さに、偽りは感じられなかった。
危機的な状況にあり、それを救うことができるのが自分だけなら、救うべきではないか。
彼女らを助ける義理は無い。だがそれでも人が選ぶべき道というものは、この世には確かに存在する。
それに、彼女の話を聞く限りでは、主導権は自分にあるのだ。
そう、彼女の話を聞く限りでは..........

「....................」
「....................」

彼女は黙って返答を待っていた。
その目は切実で、しかしホクトを強制するような卑劣な輝きは感じられなかった。

自分は、第3の眼についてほとんど何も知らない。
だがココなら知っているように思えた。
そして、ココは言っていた。
ホクトの中で“彼”が目覚めれば、全てを思い出すと―――――

「あの..........ぼくには今、第3の眼はないんです。」
「わかってるよ。でも今は眠ってるだけ。そしてそれは目覚め始めてる。優華ちゃんとの接触によってね。」
「優華との..........?」
「そう。君もそれを感じていたはず。」

優華が、夜が、自分のなかで満ちていくのを―――――

「眼が開けば君は全て思い出せる。この世界のことも、第3の眼のことも..........だから、返事はその時でいい。」
「....................」

返事までに時間が与えられて、正直ホッとしていた。
これまでずっと、どこかで切り詰められていた神経が弛緩する。

エアは、それだけで大概の男の視野の全てを奪えるような、完璧な笑みを作ってみせる。

「それじゃあ、用件は伝えたから..........今日は君に久しぶりに会えて、本当に嬉しかった。」

彼女のその台詞は、無闇にホクトを焦燥させる。

「あ、あの..........!」
「ん?なに?」
「優華は、一体何者なんですか..........?」

するとエアは、白魚のような人差し指を鼻先に掲げて、

「それは、もう君にも分かるはず。」
「え..........?」
「また会う日まで。“2代目”ホクト君――――――」

エアの言葉は耳元から急速に遠ざかっていき、最後の言葉は、もうはっきりとは聞き取れなかった。

突然、視界が急速に立体感を取り戻す。

そこにあったのは、青白い天井と、月明かりの漏れてくる四角い窓。

ホクトは、自室のベッドで目を覚ました。
部屋中を探るように首を回す。

壁掛けの時計が目に入る。




時計は、午前0時を示していた――――――






(第11話 終)










あとがき

というわけで、『第11話 コイン・サイド』でした。
とりあえずニーソです。

というわけで、あとがき〜

はてさて、物語始動といったところでしょうか(遅
前回2話分とか言ってましたが、結局8月17日だけで3話分いきましたねぇ〜(苦笑
最後の一行はそんな気持ちの表れです。

第3の眼について色々触れましたが、次のお話ではBWについて『理』を用いて詰めていきますので、ツッコミはその後でお願いします。
・・・と、逃げてみる。

それでは〜


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