3次元が4次元に触れる瞬間、4次元の居場所..........

昔、“彼”を巡る物語があり、
そして今、“彼女”を巡る新しい物語が始まろうとしている。

そして“彼女”の手によって、“彼”は再び蘇る―――――

Ever17ぴぐまりおん
                              ニーソ 



第12話 時空間の恋物語


黒い。

黒がどこまでもたなびいている。
その色が、その歪みのない真実の色が、かつての彼を描き出す。

老いることも死ぬことも自由であることも許されない黒の瞳の少女が記憶の中にたたずんでいる。
黒の眼に生かされ、黒の眼のために消えた彼。

ホクト自身待ち望んでいながら、かつて彼を消し去ったのも、そして今また彼を消そうとしているのもホクトであるという皮肉を、黒の眼が再び攫っていく。

ホクトが眼を覚ます―――――

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友達の家でお泊りした部屋で目を覚ましたように、自分を取り巻く世界に現実味が感じられない。
使わないくせに置いてあるハサミや定規が散乱している机があり、ほとんど空の収納用品の数々と一月前から捨てるつもりだった紙類、ありえない位置に転がっている消しゴムやシャーペンがあるここは、確かに自分の部屋だった。

それなのに、ホクトはまるで別世界に放り込まれたような、体が宙に浮いているような、そんな奇妙な感覚に捕らわれていた。

まるで天啓のように、一つの理解が胃の腑に落ちてくる。

その理解は、ちょうど英単語を度忘れしてしまったときのように、“言葉”ではなく“感覚”としてホクトの頭に浮き上がっていた。

いつまでも形を得ないもどかしさに脳みそがむず痒くなる。

連続と一致。
点。

もし、自分が自分であり、自分という存在として独立していて、地球も宇宙もソレとして独立しているのなら、

それなら、世界とは一体何だろうか。

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「おーいっ、ホぉークトくーん。緊急招集指令、緊急招集指令、これは訓練ではない、これは訓練ではない。」

強烈な睡魔に打ちのめされながら、ホラー映画のゾンビのようにゆっくりと身を起こし、扉を貫いて響き渡る罵声に殺意の刀を構える。
ピントの合わない視界が、偶然的に時計を捉える。
朝の7時だった。

ホクトの起きた気配を感じて尚、扉の向こうからの砲撃は止まない。

「本部より通達。今より10分ほど前、八神ココ氏から貴殿への謁見を申し込まれた。本日午前9時に氏は再訪されるとのこと。復唱せよ。」

唐突に扉は開き、砲撃主・武の鼻面を叩き潰した。

「ココが今日の9時頃に、ぼくに用事があってうちに来る。」
「うん、まあ、そう..........その通り。」

毎年プレゼントをくれると信じられている可哀想なひげおやじの飼っているトナカイのように真っ赤になった鼻先をさする父の姿をものともせずに、下へ駆け下りていくホクト。

「お〜、いってぇ〜。あのやろ〜..........」

鼻詰まりのような不快な痛みに、目が痒くなるような涙がこぼれる。

そして、余裕のあった耳がそれを捉える。

ホクトの隣の部屋の扉が開く音..........

武の頭は一瞬で情報を整える。

今は朝。
自分は大声を出した。
沙羅の寝起きは酷い。
その沙羅の部屋の扉が開いた。

フラグ発生の条件は、残酷なまでに整いすぎていた。

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すっかり擦り切れて色も生地も薄くなったタンクトップを被り、ポケットに何かが入ったままの短パンを履き、どでかい腕時計を巻きつける。

便所に駆け込む、両手と顔面に水をぶっかける、乱暴に髪を梳く、テーブルに突進する。
まだ2時間もある。1時間掛けて食べたっていい。なのに、ホクトは朝食を5分程度で平らげてしまった。
おそらく人生でトップ3には入るのではないかというスピードで朝の一連の儀式を済ませていく。

やはり、自分はどこか、ココに対して警戒心を抱いてしまっているのだと思う。
研ぎ澄まされた神経が消化器官を活発にしていた、とホクトは感じていた。

余り過ぎた時間、ホクトの意識は一つに集中してしまい、他のことには全く手がつけられなかった。
家中を闇雲に歩き回る。家の狭さを感じる。沙羅やつぐみに怪訝な目で見られた。武に怒りに燃える目で睨まれた。

全てがホクトの中で受け流されていく。
もう時計の針と、9の文字しか目に入らない。

9時までの残り30分が、呆れるほどに長かった。

のろまの短針が9の字を舐める。
まだ来ない。
明確な目標が失せて、どんよりとした焦燥感が巻き起こる。

突然、聞きなれた音が家中を掠めていく。
その音にホクトは全身で反応する。

玄関前に設置されている見慣れた呼び鈴の外形が、ほとんど同時にホクトの脳裏に浮かぶ。

気付いたときには、玄関のドアノブに手を掛けていた。

「あ、ホクたん!おはよっ!」
「うん。おはよう。」

自分でも意外なほど、素直な声が出た。

靴を履いて、夏の陽光に晒された後で、ホクトはもう一度自分の家を覗き込む。

そこには武とつぐみと沙羅が当たり前のように立っている。その向こうにはいくつもの足跡で埋め尽くした廊下が走っていて、視線は更にその奥に吸い込まれていく。そこには、いつの間にか当たり前になっていた、かけがえの無い時の眠るリビングが静かに横たわっている。

それら全てがホクトの中に沁みこんでいき、心を濡らしていく。

何かが始まろうとしている。
いや、もうとっくに始まっていたのだ。
自分も、もう歩き始めなければならない。眠ってばかりはいられない。どんなに望んでも、心地の良い夢はいつか醒めてしまうのだ。

「いってきます。」

グリップの擦れる音が聞こえるほど力強く踵を返し、ホクトは歩いてゆく。
ホクトの背中が、アスファルトの陽炎の中に消えてゆく。
武は、つぐみは、沙羅は、それをただ呆然と見つめていた。

ホクトが、ココが、

夏の輝きを昇ってゆく―――――

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その公園は、やはり以前と同じに静寂が耳を洗い流し、目を洗う花々もその美しさを微塵も損なってはいなかった。
遠くから僅かに耳に触れてくる車の走る音が、この公園の清浄さを際立たせている。
そしてやはり二人は、あの大木の掲げる緑の日傘の下にいた。

「ココ、聞きたいことがあるんだ。」
「..........」

幾重にも折り重なった葉々が薄いシェードとなり、ココの顔が水で薄めたようにうっすらと影って見える。

「どこまで知ってる?エア、って人は知ってる?」
「うん。」

その一言がきっかけとなって、臨界状態だった疑問が雪崩を起こす。

「ねえ、分かれた世界って何?“ある出来事”って何なの?なんでぼくに会いに、って言うか何で会えたの?優華って一体、」
「“彼”が3次元に堕ちた世界と、“彼”が4次元として譲らなかった世界。」
「――――。」
「普通、世界が二つになるなんて有り得ない。――――何が起きたのかはわからないけど、彼らは確かに“彼”と接触した。3次元のどこかにあるって言われてる“彼”の..........4次元の『居場所』を掴んだんだと思う。どうやったのかはわからないけど..........」
「..........」
「“彼”に触れたのは『エホバ』。――――2011年、彼らは“彼”の居場所を掴み、“あるシステム”に探らせて、そのなかに“彼”を見出した。システム内に残った“彼”はAIに利用して、それから“彼”の研究を進めた。」
「....................」

耳が重くなるほどの静寂と、群葉の輪郭を飲み込むほどの真っ白い太陽光があたりを支配する。
そう、静寂だった。ココの語り口は、真夏の恐ろしいほど青い空のように冷静で高圧的で、そして静かであった。

上から圧しつぶされるような緊張のなかで、全身が痙攣すると思えるほどの脈動がホクトの喉を塞ぎ込む。

彼女の身に一体何が起こっているのだろうか。あるいは、既に起きたのか――――

ココの精神は、明らかに別のレベルに達していた。
まるで聖書を読み上げる司教のように、全く揺るぎない完全なる口調で話し続ける。

「..........それから、誰かは分からないけど、“彼”を宿すためにあらかじめ造られていた人がいる。その人について私はほとんど何も知らない。女性ってことと、エホバと強いコネクションを持ってるってことだけ。“彼女”は“彼”を完全に支配できる唯一の人。そのために創られた人。“彼女”はオリジナルの視点能力者。『ラコニアの鍵』と呼ばれてる。」

ふとすれば幼稚な戯言のような話が、ココの口を介するだけで、まるで真理を解き明かす神話のように聞こえる。
宗教とはこういうものなのだろうと思う。

「ある日、“彼女”は自分以外にも“彼”を宿すことが出来る少年に出会った。“彼女”の接触によって触発された新たな眼が、その少年に宿った。だから、少年の眼は“彼女”に依存してるの。―――――それから始まる“眼の連鎖”は、すべて“彼女”という存在に依存してる。」

ふいに、ココの語調が厚みを増す。人間的な「丸み」を感じられる声に、ホクトの頭はようやく受容体勢を整えられた。

「彼らの世界で起きている究極的な危機『スコーピオ』。人間が「人間」を追い求めた結果起きた終わりの事件。――――それが災厄か至福かわからないけど、彼らはそれを打開しようとしている。そのためにホクたんを利用しようとしてるの。」
「..........ぼ、ぼくを?」

情けない声だと自分でも思う。正直、ココという人物の前に萎縮してしまっていた。彼女と対等に話すことなど、荒れ狂う巨象と直談判するよりも自信がない。

ココが、神に達する威圧感をもって話しかけてくる。

「“彼女”は“彼”を支配する。ホクたんに眠る“彼”もまた然り。エホバは“彼女”を接触させてホクたんの眼を起こして、その眼を支配するつもり。そうすればこっちの世界にあるものは大概手に入る。」
「で、でも、エアはぼくと優華の意思次第でコントロールできるって、」
「....................」
ココは何も答えず、感情の感じられない目で見つめてくる。


思う。
あれは全て、いや、全てではないにしろ嘘だったのだろうか?
本当は“彼女”とかいう何者かに自分も優華も支配させて、この世界を根こそぎ奪い取ろうと企んでいたのだろうか。

夜..........エアと名乗った向こうの世界の優美清秋香菜の言葉が、僅かにその面影を感じさせる表情が、再び展開される。

彼女は嘘をついたのだろうか?

思う。
彼女の言葉は実際ほとんど思い出せない。“思い出させないように”話していたようにも思える。
覚えているのは『彼らが危機に陥っていること』『自分の力が必要だということ』

その語り口には、確かに何らかのペテンが感じられる。

つまり、彼女はホクトと話すのが目的ではなくて、「ホクトに近づくことが目的だったのではないか」。

そう言われれば、そうなのかも知れなかった。

「....................」
ホクトは再び言葉を失い、ココは静かなる弁舌を再開する。
「今のままなら、どのみちホクたんは“彼女”の支配下に置かれる。ホクたんも覚えがあるでしょ?黒が、自分の中に侵食してくるのが――――」
うなずく。
「でも、ホクたんが“彼女”の接触無しに眼を開けばいい。そうすれば、その眼は“彼女”に依存せずにすむ。」
「何で知ってるの?」
「私の眼はそうして宿っているから。私の眼は“彼女”に触発されて目覚めたから初めは依存していた。だけど、今はもう大丈夫。私はホクたんの眼に依存してる。」
「、ぼくの?」
ココは何故かにっこりと笑って、
「こないだ分かったことだけど、ホクたんは秋ちゃんといる時は“彼女”を退けることができる。そうしてホクたんの自我の中で眼が目覚めれば、ホクたんは“彼女”に支配されずにすむ。だから、」
「それなら、」

ホクトは無意識に息を呑む。
完全に圧倒されている立場から、窮鼠のようにわずかな力を振り絞る。
息が止まりそうになる。全身が燃えるように熱い。

「それなら、彼らはどうなるの?」
ココはほんの一瞬息を詰めて、
「――――わからない。でも、それは彼らが選んだ道。」
「見捨てるってこと?」
心臓が高鳴る。ココに相対する緊張のなかで、快楽的な奮えが全身を走る。
「それが彼らの運命だから?」
「――――そう。悲劇かどうかは、彼らが決めること。」
興奮で体が燃え上がる。
「見捨てるのが正解だって言うの!?」
「違うっ!」

怒声の混沌を貫く一声が再び静寂を創り出し、高鳴っていたホクトの心臓を握り締める。

「私だって、できるなら手を差し伸べたい。だけどその為にこの世界を売るわけにはいかない。」

世界を売る。
その言葉に、この話の途方もない巨大さを今更ながらに思い知る。
胃のよじれるような圧倒的な重圧感に塗りつぶされる。

エアの、混じりけない切実な目が脳裏をよぎる。

今、自分に迫られている決断は、目を背けることが叶わぬほどに明白であった。

どちらを信じるのか。

言葉にしてしまえば、それだけのことだった。
だがその一言の裏に隠されたものの巨大さに、気が遠くなるほどの吐き気を覚える。

ただ、一刻も早くこの空間から抜け出したかった。この場を支配する非現実的な空気に足がすくんでしまっている。
力の入らない身体を強引に捻じ曲げる。

公園の緑と街のアスファルトからは視力が変わったと思えるほどの違いが感じられて、公園の出口はまるで夢と現実の境界線のようであった。

手ごたえのない道を歩く。

どうすればいいのか。
わからないが、もはや歩むほかなかった。

圧倒的な青空の下でしんと静まり返った人一人いない街並みは、ホクトに巨大な幽霊屋敷を思わせるのだった。

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頭上の空は圧倒的に青く、風の流れは死んでしまったかのようだった。
風が全く感じられない。その所為で皮膚を焼く太陽光の針はいつにも増して痛烈であった。

とはいえ、風が無い日の自転車は実に爽快である。これこそ人類史上最高の発明品ではないかと思う。

優は、ほんのりと温かな空気抵抗を受けながら、街中の他人事のような喧騒を置き去りにしていく。

ばかばかしい程飾り立てられた駅前を抜けて、悲しい程色気のない住宅街に入っていく。

すると、歩いているときの五倍は関心無く流していた風景の中で目の前に迫っていた家を更に40メートルほど進んだ先に、ホクトの背中が見えた。
ペダルを回す。家が背後に流れ、ホクトの背中が急接近してくる。

そのままの勢いで思い切り背中を叩いた。

「――――っ!?」
「ちぇす。」

ホクトの喉に焼けたような違和感が走る。汗と日差しで荒れて脆弱になっていた背中がヒリヒリと痛む。

にもかかわらず、ホクトはむしろ救われた思いでいた。

頭の中が真っ白になるような途方もない喪失感から、磐石として何の不安も感じられない現実へと引き戻される。
ようやく「日常」というものに触れられて、その場にへたり込んでしまいそうになるほど深く安堵するホクト。

「ケフッ..........ったいなあもお..........」
「どしたの?今帰るとこ?」
「....................」

別に行く当てもないし、ろくに動いていないが身体も疲れ果てていた。
だが、正直帰りたくはなかった。
心が不安定なせいで、群衆の中の安息というものに浸っていたいのかもしれない。家に帰れば否が応にも自分と見詰め合わなければならない。

だが、そうしたいと思ったのは、決してそれだけの理由ではない。

「―――あのさ、今から優んちに行ってもいい?話したいことがあるんだけど..........」
「ん?うん、いいよ。」

優は自転車を降り180度回って、一度は置き去りにしてきた自宅の方に歩いていく。ホクトは放心したような目つきで、とぼとぼと後ろをついていく。

二人を照らす、嘘のような太陽。

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相変わらず整然とした優宅の2階、そこにある優の部屋は相変わらず昨日まで物置として使っていたとしか思えないほど雑然としており、それがむしろ高調したホクトの精神を柔らかくほぐす。

「話って?」

二人は瓦礫の海に垣間見える僅かなドライエリアに向かい合って腰を下ろし、室内にこもったぼんやりとした熱気に耐え忍んでいる。散らかっているせいで余計暑苦しい。

「うん..........」

部屋に集まりこもり切った「夏」を全身で感じながら、ホクトは中々切り出せないでいる。
優もまた、催促するようなことはしない。

自分で誘っておきながら、自分の中でもまだ整理し切れていないことに部屋に着いてから気が付いた。
ただ「優に話したい」という思いが無様に先行してしまったのだと思う。

目がくらむほど乱雑とした頭の中を強引に引っ掻き回す。

何を話すべきか。

「あの、さ..........」
「ん?」
「....................」

目の前に、ただ当たり前に、何の疑問もなく優がいる。
そしてホクトは、選択することをやめた。

何を話したいか。

あるいは、現実から一歩足を踏み出したようなこの感覚を楽しんでいたかったのかも知れない。
自分が主人公になったような超越感を、自分だけが知っているという独占欲を――――

だが、事態がホクトの意思を挫くほどまでに発展したからか、それとも、優の存在がそれらの欲求をはるかに上回るほどのものだったからなのか..........

いずれにせよホクトの実感として心に溶け残っているのは、優に話を聞いてほしいという願いにも似た感情だった。

あの日から微塵もその鋭さを損なっていない真っ白な太陽が、部屋に散らばる物物の群れを偏りなく輝かせている。

天川優華という少女との出会いから始まる、今年の夏の、いまだに現実とは思えない出来事を語る。
第3の眼と、“彼” ..........ブリック.ヴィンケルを巡る、どこまでが真実なのかもわからない魔法の物語。

窓の外で蝉が最後の声を振り絞っている、スクーターの長閑なエンジン音が右から左へ流れていく、遥か高みから見下ろすヘリのローターが眠そうな音を地上に降ろす、街中に聞こえて当の住人には聞こえていないチャイムがしつこく歌っている、ズルをした子供がアスファルトを盛大に叩きながら逃げていく、ズルされた子が甲高く虚しい、ふとすれば泣き声のような怒声を張り上げている。

街は生きている。

自分のあずかり知らぬところで、街は止まった時を生きている。

当たり前だと信じて気にも留めていなかった全てが、今のホクトには無性に悲しく聞こえるのだった。

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日はいつの間にかその高さをいや増し、街からは多くの影が失せていた。
あれほど盛んであった子供達の力に満ち満ちた声は嘘のように消え去り、その代わりに遠くから何度も反響を続けてすっかり変質した喧騒が聞こえてくる。
そしてよく耳を凝らせば、包丁のステップも其処彼処から聞こえてきていた。
それこそ、自分の足元からも。

太陽は今やその力を遺憾なく発揮し、それに並行するように街もその日の全盛を極めていた。

だが、まるでそれら外界の事情から省かれたように、二人は窮屈で重い沈黙に打ちひしがれていた。
日が南中して光が差し込まなくなり、部屋のほとんどを黒が区別なく塗りたくっている。

第3の眼、エホバ、ラコニアの鍵と呼ばれる人物、そして普通の眼では見えないが確かにこの場にあるもう一つの世界と『スコーピオ』..........
優の存在が、“彼女”の影響力を退けてくれるということ。
そして、自分が今何を信じていいかわからないでいることも―――――

すべてを優に語り、ホクトは意味のない安堵感を感じていた。
自分だけで抱え込むことの非常な苦しさは、人に話してみて初めて分かるのだと知った。少しだけ気が軽くなった所為か、ホクトは朝からポケットに入っていたままだった何かがノート型のカードホルダーであったことに今更気が付いた。

ホクトはしばらくしてようやく時計を意識し、腕時計を確認する。
12時16分。
一目瞭然で昼の時間だった。
だが、不思議と空腹感は感じない。虚ろな瞳で何か物思いにふけっていると思しき優もまたそんな素振りは見せない。

結局、ホクトを立ち上がらせたのは第3者の一声だった。

不意にドアがノックされ、扉の向こうから春香菜のどこか場違いな声がする。
『お昼できたから、二人とも降りてきて。』
「あ、ぼくは別に..........家に帰ればあるんで、」
『そんなこと言われてもねえ..........できちゃったもんはできちゃったんだから、生ゴミ増やさないでよね。』

無茶苦茶言ってる。
だが、他人の家の食卓には不思議な魅力があり、特に昼飯という生活感溢れるものは一度は見てみたいものだった。ホクトは半ば嬉しく半ば恥ずかしく思いながら、嫌な笑みを浮かべて立ち上がる。

「さ、行こう。」
「..........うん。」

まだショックが抜け切れていない優の手を取る。握力がまるで感じられない。

「..........大丈夫?」
「え?ああ、うん。..........君に心配されるほど弱くないですし。」
「ボーゼンとしてたくせに。」
「お腹すいてたからだよぉーだ。さ、行った行った!後がつっかえてんだからよぉっ!」

ホクトは木製のスイングドアを開き、優に背中を押されるようにして廊下に出る。

初めに、床の冷たさを感じたことは覚えている。
部屋のこもった空気から抜け出して、廊下の空気の涼やかさに身体を洗われた記憶もある。

だが、直後に目の前の風景が一変した。

空に浮いているような感覚。
目の前を走っていたはずの廊下はその空に混じってうっすらとぼやけ、ふとすれば足に感じる廊下の冷たさも遠のいてしまう。
半透明にぼやけた廊下の下、ホクトの足元3メートルほどに背の低い草がまばらに生えた地面と思しきものが広がっている。

その光景はまるで、二つの世界が同時に見えているような..........

背筋に一閃の電撃が走り、全身が恐怖というよりも驚愕に凍りつく。

『ボリション・コーディネートr、?グリーン?タンゴ、リスト1127テンソル許容範囲、リスト1109までクリア、』

どこか遠くで忙しなく叫びあう声の嵐。
聞き覚えのある声、身に覚えのあるこの空虚な感覚。


つまり、また。

彼らが来たのだ。

風景は飴細工のように歪み、溶けていく。
自分すらも巻き込まれているような感覚に陥る。いや、事実巻き込まれていたのかもしれない。

だが、そんなことはどうでもよかった。

色が再び形を取り戻す。

覚悟を決めた。もう目を背けたりはしない。




気付けば、尻が地面についていた。

すぐ隣に、巨躯な男が清々しい笑みを浮かべて座っている―――――






(第12話 終)











あとがき

というわけで、『第12話 時空間の恋物語』でした。
いよいよッ!ニーソです。(?)

というわけで、あとがき〜

はてさて、この物語の中核をなすべきキーワードが色々転がってきました。
BWという存在にいよいよ近づいてきましたねぇ〜。もうすぐ、もうすぐなのです!(興奮

ちなみにタイトルの意味するところが出てくるのは、かなり終盤になってしまいます。
なら今出すなよって感じですが・・・・(汗

それでは〜


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