0/X=0 ―@, X/∞=0 ―A Aより∞=0/X,これに加えて@より 0=∞ またAよりX=0・∞,これに加えて0・∞=0だから、 X=0 神(∞)と点(0)を用いたとき、全ては点(0)となる |
Ever17ぴぐまりおん ニーソ |
その二人の後姿は、遠近法の魔術すら思わせる、笑えるほどの体格差があった。 二人は肩を並べて(と言っても、その男の肩はホクトよりも頭一つ分高い位置にあるのだが)座り込んで、押せば後ろに倒れそうな空を眺めていた。 すぐ目の前で、道路のような川が色もなく流れている。 見つめていると気が遠くなりそうなほど高い空を、青い鳥がグライダーのように滑空していく。 街に暮らすものなら一度は誰でも憧れて、そして大昔には誰一人として憧れなかったような世界で、ホクトとホクトの隣で遠く空を眺めている男だけは、薄汚いほどリアルであった。 彼はイシュクルと名乗った。 「――――まあ、元々は雷神『アダド』だったんだけどな。けど響き悪いし、アダドの別名イシュクルなら、かの有名なイシュタル女神に似てるだろ?んで、変えてもらったんだわ。」 彼は、緩みきった表情で軽やかに語る。 「こないだはエアが世話になったな。てか、あいつ本名教えたんだよなあ..........どうする?俺の本名気になる?」 「..........別にいいです。教えたくなければ。」 「ならいい。じゃ早速だが話をしようか。待たせたら悪いし。」 誰を..........?と思ったが、なんだか口を開くのも面倒くさい。それに彼の本名を聞けなかったことが、今更ながら惜しくもあった。 イシュクルは、その身長差にもかかわらず威嚇的にならないような、親しみすら感じられる目でホクトをじっと捉えながら、 「俺に何か聞きたいことはあるか?」 「え..........?えと、」 無警戒なところに話を振られて脳みそが急発進する。だが、車体が重過ぎて無様にスリップしてしまう。 『聞きたいことはあるか?』 愚問だ、とホクトは思った。 聞きたいことなど、余りにも多すぎる。 まず一番初めに聞くべきことは何か。それはホクトの中ですっかり用意されていた。かつてないほどはっきりとした形を得た質問をぶつける。 「なぜ、ぼくと話をしようとするんですか?」 本来なら、エアと話したときにも、そしてココの演説の際にも聞いておくべきだった、全ての疑問の根幹を成すに足るその質問。 イシュクルは視線を逸らし、平坦な空の中に答えを探している。 その時、その横顔に刻まれた冷厳な雰囲気にホクトは気が付いた。 イシュクルは、どこまで話すべきかを探っているのだろうと思う。 ホクトは何だか所在無くなって、指先を指先でこね回していた。 やがてイシュクルは泥のような口調で、 「―――――エアに聞いてるだろ?」 「それは..........確かに聞きましたけど、」 あまり覚えていない、というのが正直なところだ。あの日、真っ白に白熱した脳みそは、彼女の言葉を白光の中にことごとく飲み込んでしまっていた。 だが、そんなことはどうでもいい。今自分が言うべきことは、 「――――でも、それを素直に信じるわけにはいきません。」 半ば以上は、未だ綱渡しの上でフラフラしている自分に言いつけるように、堅苦しい程はっきりと宣言する。 「..........なるほど?」 そう言い捨てて、イシュクルは再び視線を平坦な虚空に彷徨わせた。 そのタイムラグに、綱の上でバランスをとっていたホクトの意思は崩れそうになる。 そしてイシュクルは、まるでホクトの意思が崩れ落ちるのを見計らったかのように、頑強な口調で話し始める。 「お前が俺達のことを信じられないのは、まあ、仕方がないことだと思う。何しろ、お前からしたら初対面の連中だしな。それとも、それ以外にも何か理由があんのか?」 「..........ぼくを支配し得る女性が、あなた達と手を組んでるから。」 ココが「彼女」とだけ呼んだ人物。 「ぼくがこのまま、優華を通してあなた達の傍に居続けることは、危険だから――――」 徐々に弱まっていくホクトの声を、屈強な声が打ち消す。 「なあ、ちょっといいか?..........その、お前を支配しうる女性って誰のことだ?」 「――――――。え..........」 硬直は一瞬だった。 一度は真に受け、質問の答えを探し出したホクト。 途端に、頭から抜け落ちていた一文がありありと姿を現す。 何を信じるか。 その一言には多くの事態が隠されていることをはっきりと実感する。 誰かが嘘をついている。そうでなければ、エアとココの言葉は、そのどちらも意味を成さない。 だから決めたのだ。何を信じるか、それを考えることを。 ココの懸念は、ホクトが「彼女」とか言う何者かに支配され、ホクトを通してこの世界のすべてを奪われてしまうことだった。 だが、そもそも誰かが誰かを支配するなど、そんな古いアニメのような事態が本当に起こりうるのだろうか? 優華が現れてから、ココの様子は明らかにおかしい。 彼女の言うことは全て信じるに足ることだろうか? 「....................」 結局、ホクトはまた何も喋れなくなってしまうのだった。 その小さな肩を、イシュクルは親犬のような目つきで見守りながら、 「悩むこたぁないだろ。まだお前は何も知らない。それにな、人を信じるってのは、そりゃあとんでもなく難しいことだ。ウンウン唸ってても解決するようなもんじゃない。だから頭を上げてくれ。」 「....................」 イシュクルの言葉は、まっすぐホクトを捉えていた。 入り組んだ迷路に一本の幹線が引かれる。――――ただ乱雑なだけであった混乱は、その線によって安定を得る。 ホクトは、彼の中に穏やかな太陽を見た。 「俺達がお前に会おうとするのは、お前の力が必要だからだ。――――スコーピオを止めること。それが俺達の義務だからな。“償い”みたいなもんだ。」 「償い..........?」 「蠍を生み出したのは俺達エホバだと言われても仕方ない。それに、止める手段があるとすれば、それは俺達にしかない。..........そーゆーわけだ。」 最後は誤魔化してみせたが、血のにじむような「覚悟」の気配が、木を削るような声の裏からはっきりと感じとれた。 彼の住処は、明らかに自分のそれとは違っていた。 自分達が知ったような顔をして武力の無意味さだの飢餓の子供達の苦しみだのを並べ立てて結局は中途半端な幸せやら平和やらに埋没して死んでいく丁度その時に、彼はどんな濃密な時間を潜り抜けてきたのだろうか。 純粋に興味があった。子供のような真っ白な気持ちであった。 「何が、起こってるんですか..........?」 普通の眼には見えず触れられない、しかしその場に在って同じ時間を共有しているその世界。 イシュクルは言い捨てた。 「――――真の幸福だな。」 虚を突かれるホクト。 「幸福、なんですか..........?」 「だが俺達にしてみれば、そりゃ単なる破滅なのさ。だから止めようとしてる。連中にしてみりゃメーワクなもんだ。」 「....................」 今一つ掴めない。スコーピオは究極的危機だとエアは言っていた。ココだってそう言っていた。 それが真の幸福とはどういう意味なのか。 それに彼らがしていることがメーワクなことなら、それが“償い”とはどういうことなのか。 何を信じるか。 「目に見えないある種の『力』の壁、それがある限り自分に相応しい真の幸福は尽く潰される。それがこの世界の結論だった。要するに、コショウを知らない連中にとっては、生肉でも幸せに感じられるってことだ。――――そして、自分達が『力』によってその泥沼に冒されてることをはっきりと自覚して、必死に抵抗し始めたんだ。」 ある種の『力』の壁.......... イシュクルの言葉はそこかしこで遠まわしに感じられて、その意味は真っ直ぐには浮かんでこない。 ただ初めの、ある種の『力』の壁というのに話の力点があるように思える。 それが何を指すのかは、多分自分でも分かっている。 それは、かつて自分を、妹を、母を――――いや、9人全てを虐げてきた目に見えぬ絶壁。 その巨大さを知っているがゆえに、ホクトは言った。 「..........でも、抵抗するなんて無理じゃないですか。」 「ああ、普通は無理だな。人間はもうソレに命まるごと握られてるからな。だが、もういつだったか忘れたが..........あぁ、ずっと前だな。俺達はその壁の『弱点』をオモキシ突いちまった。そこからは雪崩のようだったさ。うん、土砂崩れだな。潰されたのはその壁に住んでた奴らだった。そうして、壁の前で右往左往してた奴らと同じ場所に立ったんだ。その後は、もうお約束の事態さ。それがスコーピオだ。」 イシュクルは、話しながら溜め込んでいた疲れを鼻息と共に吐き出す。 一方のホクトにはまだ吐き出す余裕はない。無意識に息を吸い込んで、 「それが、危機なんですか?」 「そうだ。」 まだわからない。それのどこが「究極的危機」なのか。 「あの、『お約束の事態』って..........?」 イシュクルは、さも意外そうな顔をして、 「んん?わからんか?想像力に欠けるなぁホクト君。」 そう言って、イシュクルはその大きな手でホクトの頭を包み込むように撫でまわす。 「うわっ」とうめいて、ホクトは反射的に彼の手を弾く。 はるか頭上で、イシュクルは穏やかな笑みを浮かべている。 その笑顔に、束の間ホクトは見入っていた。 「スコーピオはな、言ってみりゃ“やり直し”だ。」 「やり直し..........?」 「壁は脆弱になっただけじゃない。本当に崩れて無くなったんだ。当時は『リバレーション』言われてなあ..........そりゃヤバかったさ。殺人やら何やら雨アラレだ。まだ保ってる国には人や資本が殺到してすぐにパンクだ。そして事態を打開するために世界は、――――何をしたかわかるか?」 遠い日に乗せた、涼やかな笑顔。およそその当時には不可能だったと思われる表情に、ホクトはスコーピオの正体を朧げながら見ることができた。 ホクトは、もはや彼の質問に答える気は無かった。このわずかな時間でイシュクルという男の話し方なり性格なりをある程度掴めたように思う。彼はそれほど親しみの湧く人物であった。 そして今の問いは、ホクトの答えを真に求めてはいない。 ホクトは視線で「どうして?」と逆に問いかける。 それに対してかどうかは定かでないが、ともかくイシュクルは自分で答えを明示した。 その逞しい人差し指で、空の先を指差して、 「世界は、北極星を求めた。」 「....................」 ..........沈黙。 風すらも止まるような、鮮やかなまでの静寂。 ホクトは停止していた。 もはや何一つ行動を起こす勇気が湧かないほどの、得体の知れぬ神々しい空気に包まれていた。イシュクルの声色の所為か、謎めいた言葉の所為か、それが不思議でたまらない。 イシュクルは指先を下ろして、 「世界はな、神様を捜し始めたんだ。この世の希望の星をな。」 またも、とても真に受けられないようなことを事も無げに言ってのけるイシュクル。 「..........どういう事ですか?どうやって?」 「そのアクセスポイントは、この世界のどこかにある。それを捜してるんだ。」 ホクトの声が聞こえていないかのような反応を返す。 正直、何を言われてもアホを超越したアホな冗談にしか聞こえない。 バカじゃなかろうか。 そう思った。 だからホクトは言った。 「神の存在を、世界中が、本気で信じてるんですか?」 「世界中じゃないさ。“彼”の存在を知ってる奴はごく限られてる。」 “彼” ..........? その言い回しが意識の深いところで引っかかる。 だが、より大きな違和感の為に、その僅かな引っかかりにホクトは気付くことができなかった。 信じているのではなく、 「“知ってる” ..........?」 「そうだ。」 ふいに、イシュクルが話しかけているのはホクトではないような錯覚に陥る。 その声は、彼の意識は、ホクトが及びもつかない程の深遠に投げかけられているようであった。 「1990年頃、“彼”の居場所はある一人の女性によって予測された。無論、そりゃ予測に過ぎないし、神を見出そうなんて本気で考えるアホはいなかったわけだが、それとは別の理由で、結果的にその居場所についての研究なり実験なりが進められることになったんだわ。」 「別の理由って..........?」 「実動的な浮浪世界の構築。浮浪世界ってのはプログラミングされた仮想の実体を処理する場所だ。そのとりあえずの最終目標は人の意識も処理すること。そしてそれには必要なこと、というか望ましいことがあるんだが、わかるか?」 「....................」 まったく付いていけない。膨張する情報に頭がパンクしてしまっている。 それを察知したのか、イシュクルはまた自分で答えを出す。 「必要なのは、時の流れだ。」 「時..........?」 「仮想世界にはもちろん時計はある。時間だって流れる。――――だが、時は流れない。」 「どういう意味ですか?」 時間は流れるが、時は流れないとは..........? 理解に苦しむことばかりが次から次へと出てくる。何の話をしていたのかもよく思い出せない。 「それが機械である限り、時計を取り付けることは出来る。だが、やはりそれが機械である限り、新しい何かを出力することは決してない。問題は“運動とは何か”、ということだ。」 「運動..........」 運動とは何か。 普通の意味では、それは物体が時間の経過(t軸正方向移動)を伴って空間座標を変えることである。哲学の意味で言うなら、先の意味に加え、化学変化、生物進化、社会発展、精神的展開など、広く変化一般を指す。 「さて、そこで質問。」 だが、イシュクルの質問はそういった運動それ自体ではなかった。 「“世界”とは何だ?」 「..........どういう意味ですか?」 世界とは何か。 答えが多すぎて、逆に答えがない。 その問いが、一体何の意味を持つのか。 イシュクルは答える。 「よし、じゃあ質問を変えよう。」 うんっ、とわざとらしく咳払いして、 「俺達は、世界か?」 ホクトは思わずその口を力なく開く。 「は、はあ?」 「はあ?じゃなくて。」 「はあ..........あの、違うと思います。」 考える必要もない質問に思える。 自分が世界かどうかなど否に決まっている。「俺は世界だ」などとほざいている奴がいたらまずそいつの正気を疑うだろう。 ホクトはとりあえず答えておく程度の意識で、特に考えもなしに答えた。 だが、彼の答えは、そんな心の倦怠に鋭く対比をとるものであった。 「違うなホクト。俺もお前も世界だ。」 「え..........?」 ホクトは素の表情で仰ぎ見る。 彼はヒヒヒッと中ボス笑いをしながら、したり顔でホクトの顔を眺めている。 『俺もお前も世界』 その言葉はホクトの耳についたままで、中々意識の表層にのぼらない。 「いいかホクト。人は誰でも――――いや、人に限らず存在は全て自分と他を区別する。例えばお前、他人、ビル、空気、宇宙..........それらを全て何らかの基準で区別し独立せしめている。だがな、考えてもみろ、世界とは何だ?存在を入れておく為の箱か?はたまた、存在を寄せ集めて乗せておく舞台か?..........世界はどこにある?いいか、人間には少なからずアイデンティティっつーもんがある。そういうものを抜け出して世界を一歩引いた視点で眺めてみろ。そのとき、世界とは“存在をまるごとひっくるめた、一つの点”じゃないか?世界とは存在の寄せ集めじゃない。全ての存在をまるごとひっくるめて、統合的に俯瞰してみて、そのときそこにある“点”――――それこそが真に“世界”と呼べるものだろう?」 「....................」 ホクトの脳天に、感動にも似た鈍い感情が叩きつけられる。 自分が自分としてあり、他人がいかなるものであろうとも自分には何ら関係がない、と思うのが極々普通のことであろう。 だが、もし本当に「自分」が「単独で」存在し、「単独で」運動しているとしたら、そのときその「自分」は果たしてどこにいるのか。 “世界”とその「自分」との関係はいかなるものか。 今まで考えもしなかったことだった。 もはやその時、自分と他との関係は「関連」に留まらない。全ての存在は「まるごとで」“一つの点”である。点を構成している部品ではない。つまり細胞ではない。世界という人があり、存在がそれを構成する細胞であるなら、細胞を一つ一つ分解し取り出すことも出来よう。しかしそうではない。世界とはいわば微粒子。そう、“点”である。“点”のなかにはいかなるものも見出されえない。なぜなら、その“点”だけが唯一無二の、実際的な『存在』だからである。 ゆえに、「私は世界である」と言ってもよい。 「だけど、」 その理論に実際性が無さ過ぎるからか、それとも単に自分の理解が付いていけていないだけなのか、おそらく後者だろう、初めの感銘は色を失い、ホクトの中で宙ぶらりんのもどかしさが残る。 「だけど、“ぼく”は誰なんですか?」 イシュクルは少し疲れたように、 「だから世界だろ。」 「全てが?ぼくも、お父さんもお母さんも、風も土もご飯もケータイも、全部世界だってことですか?」 「そうだ。」 「それなら、」 言葉を切る。 結局は堂々巡りになってしまう、“ぼく”が世界であり、この世の全てもそれと等しい存在であるなら、つまり全て同じものであるなら、それなら“ぼく”は何者か。 イシュクルは長々と息を吐いて、 「まだよくわかってないようだが、生憎同じ説明を二度するつもりはない。――――だが、まだ言っておくべきことはある。」 その言葉に、ホクトはひとまず脳みそを綺麗さっぱり洗い流す。 「『ホクト』という存在は、正確には存在しない。世界という点がいかなる点か、それが表象化されるとき、その表象にお前が含まれているだけだ。いわばそれは一枚の絵みたいなもんだな。」 その口調に澱みはなく、ただただホクトにピントのずれた曖昧なイメージを植えつけていく。 自分の見ている「せかい」は、「世界」たる点を表象化した「絵」に過ぎない。 自分はそこに描かれている、ただそれだけの、存在しない存在。 存在するのは点のみ。点こそが、唯一無二の存在。 「絵」は「せかい」として流動する。 流動する―――― その言葉はホクトの意識を介さずに、漏れ出すようにして口から出てきた。 「「せかい」が「絵」なら、その「絵」は何故動いてるんですか?」 イシュクルはニタリと笑う。 「それは世界が運動しているからだ。」 「世界って..........点が運動してるってことですか?」 「そうだ。なぜなら4次元が存在しているから。」 「4次元、が..........?」 ホクトは、自身を見つめるイシュクルの目が熱く輝いていることに気付いた。 いままでの、どこか気の抜けたような口調は実に楽しそうな弁舌に置き換わる。 「存在しているものは世界という点のみだ。0、1、2、3、4..........各次元それぞれの点のみが存在していると言われうる。そして、存在は必ず運動している。なぜなら、存在とはある運動の具現化だからだ。例えば4次元が存在するなら、必ず3次元は運動している。3次元の運動とは自身の『無限連続』..........その『無限連続』イコール4次元存在だ。つまり、『n次元存在=(n−1)次元運動』。俺達は普段「存在が運動する」という風に分けて考えてるから、運動そのものが存在、という理念を理解するのは少々難しい。まあ頑張れと言うしかない。こいつの説明は図と聞き手の才覚が無いとかなり難しいからな。まあ納得できなくとも、とりあえず4次元存在とはすなわち3次元運動なんだってことを知っとけ。」 「....................」 4次元―――― その僅かな単語に脳みその全てを持っていかれたかのようだった。 3次元と4次元の密接な関係式が、何度も何度もホクトの意識の中を反響し、あの日の記憶を鮮明に呼び覚ます。 「まあ、実際には4次元が存在しなくとも、3次元の点は運動してるに決まってるんだけどな。」 「....................」 「少なくとも俺達3次元存在にとって、存在とは必ず運動している。運動していない存在はない。想像してみればわかるだろうが、3次元存在が存在を認識する仕方は運動を捉えることだ。『ホクト』という運動はホクトとして知覚される。勘違いするなよ、ホクトという存在がホクトという運動をしているわけじゃない。存在が運動するんじゃない。運動が知覚されたもの、それが存在だ。」 「....................」 「そして3次元存在にとってこの「世界」という点は存在しなくてはならない。その点はいわば3次元存在によって存在せしめられたものだから、少なくとも3次元存在にとっては当然存在し、よって運動している、ってわけだ。」 「....................」 ホクトはまるで、イシュクルの言葉を無視しているかのようだった。まるで反応がない。 だが、それは全ての神経を聴覚と思考にあてようとする意思が、他の入出力の扉を閉めてしまっていたからであった。 ホクトの目は、見ながらにして何も見ていない。触覚は触れながらにして何も感じていない。筋肉へは一向にろくな指示が送られてこない。 イシュクルは話しながらそのことに気付いていた。だから、一見無視されているような状態でもしっかりと受け入れて、もはや耳と脳だけになったホクトに話し続けていた。 「..........だがそれでも、4次元は確かに存在する。」 存在しなくてはならない。どの様な仕方にしろ3次元が運動している限り、それは必ず連続であり、すなわち4次元存在である。 だが、イシュクルの、その4次元が存在するという根拠は、更に実際的な部分にあった。 「なぜなら俺達は、4次元に会ったからだ。」 ホクトの神経が、触れれば切れそうなほどに研ぎ澄まされる。それを表すかのように全身の筋肉が見る間に緊張していく。 4次元に会った―――― その言葉の意味するところを問い質したいという、土石流のごとく流れ出した願望が先行して、一向に言葉は出てこない。そのもどかしさに狂い死にそうになる。 「それは、それは――――」 「なあ、ホクト、」 興奮状態にあるホクトに対して、イシュクルは不自然なほど冷静な声で話しかける。 「神様って、どんなだと思う?」 「――――。....................」 二人の間にも、そしてホクトの中にも、一瞬の静寂が流れる。 神 『世界はな、神を捜し始めたんだ。』 (そうか..........。つまりそれは..........) ホクトの思考の闇を、一点の光が貫く。 その光が、イシュクルの言葉と共に大きく広がっていく。 イシュクルの声が、ただ静寂の中に響く。 「さっきも言ったとおり、存在とは運動の具現化だ。運動していない存在はない。存在の何たるかは運動にのみ依存する。――――つまり、運動という事態こそ、この世界という存在を絶対的に決定しうる、『神』なわけだ。」 そして、 「存在とはある運動を知覚したもの。そしてこの世界は、3次元の点の運動を知覚したものだ。つまり、『神』とは3次元の点の運動のこと。」 それはすなわち、 「『n次元存在=(n−1)次元運動』。つまり、『神』とは3次元運動である存在――――4次元存在だ。」 「....................」 声が出ない。 だが、それはさっきのそれとはまるで違う。 もどかしさなど何もない。 ただ巨大な、胸に抱えきれないほどの感銘が、その喉を詰らせる。 だが、すぐに別段驚くべきことでもないことに気付く。 “彼”が自分達にとっての神であること..........そんな認識はあの日からずっと心の内にあり続けていた。 とにかく今は、イシュクルの言葉に一心に耳を傾ける。 「――――世界が捜している神とは4次元、お前らの言うところのブリック・ヴィンケルって奴だ。そしてそれは浮浪世界を完全なものにするためには必須のものだった。」 「あ、そういえばそんな話も..........」 「うむ。まあそれが無くとも浮浪世界を動かすことはできる。プログラミングでな。だがそれじゃつまらんわけだ。創る意味が無いともいえる。そこでどうしたか?」 「..........神を捜したんですか?」 「あー、うーん..........。そういうわけじゃないんだが、そういうことになるな。奴らが捜したのは別にそれほど神々しいものじゃなかったらしい。ただ、世界を動かすに足る存在の“居場所”を奴らは知っていた。つまり、ここで言う神の居場所だ。」 神の居場所だのと、まるで現実味を感じられない途方も無い話が展開されている。 だがホクトにはそれほど遠い話とは思えなかった。 その神が“彼”であるなら..........それは友ですらあるのだから。 そして神の居場所――――ホクトにはそこだけが引っかかる。 それを“知っていた”とはどういう意味なのか。 そもそも“彼”に会うことが出来るのは――――会うというのが比喩表現であるなら――――第3の眼しかこの世界にはないはずだ。 やはりまだ掴みきれない部分は多い。 手がかりはイシュクルの言葉しかない。 「居場所を知っていれば、捕まえるのは簡単だ。犯人の隠れ家が分かったらそこをずっと見張ってればいい。てなわけで、奴らはそこを見張り続けた。」 そこがわからない。 「あの、どうやって..........?」 「見張り役は、浮浪世界そのもの――――んし、問題だ。天国はドイツ語で何と言うか?」 「――――。ヒンメル。」 分かりきった答えだ。 「そう、ヒンメルが現世を生み出した。そしてヒンメルが生み出したその現世が生み出した世界、それはヒンメルの逆。何だか分かるか?」 ヒンメルの逆..........? 頭を凝らしてみる。 ルメンヒ、ではないだろう、幼稚すぎる。天国の対義語だとしたら.......... 「ヘレ、ですか?」 イシュクルは苦笑する。 「って地獄創ってどーするよ..........ま、普通ヒンメルの逆っつわれたらそれだわな。」 「じゃあ一体..........」 「H、I、M、M、E、L..........ヒンメル。」 「?」 突然ヒンメルの綴りを確認しだすイシュクル。 それでもホクトは気付かない。 イシュクルは仕方なく自分で答えを出す。 「これを逆にすると、L、E、M、M、I、H..........」 「あ..........」 頭のなかで6つのアルファベットがパズルのように組み合わさり、意味を成す一つの単語を紡ぎ上げる。 L、E、M、M、I、H すなわち、“LeMMIH” 「――――奴らは浮浪世界をそう名づけた。そしてそれを動かすため、つまり“彼”を捕捉するために、レミに“彼”の居場所を見張らせ続けた。」 「..........あの、レミ、なんですよね?」 「ん?ああ、そうだけど。」 イシュクルは事も無げに言ってのけるが、ホクトにとってそれの意味するものはあまりにも大きい。 その全てがLeMMIHに満たされていたステージ――――LeMUが思い出以上の色濃さをもって意識を這い登ってくる。 再び思考の深みに落ち込んでしまいそうになるのを堪える。今すべきことは考えることではない。 ホクトはイシュクルを仰ぎ見て、 「..........それで、居場所ってどこなんですか?」 イシュクルは首を横に振り、 「わからん。記録に残っていないんだ。ただ、レミは確かに“彼”を捕捉した。“彼”を捕捉するシステム..........それは『捕捉空間』と呼ばれてる。“彼”は今でも捕捉空間に捕捉され続けてる。俺がさっき「会った」って言ったのは、レミにある捕捉空間を確認したからだ。ま、会ったというより、俺が一方的に「見た」と言った方が正しいわな。」 「あの、捕捉って、“彼”を捕まえてるってことですか?」 さっきから気になっていた疑問をぶつけてみる。“彼”を捕まえるなどということができるとは到底思えない。 「いんや、“彼”を視野に収めてるだけだ。捕捉空間は眼球みたいなもんで、“彼”を視続け網膜に投影している。ま、あくまで比喩表現なわけだが。」 そう言うとイシュクルは、先の興奮の反動か、カバのように欠伸をした。 だがその一方で、ホクトの背筋には電撃が走っていた。 レミは“彼”を視続けている―――― 捕捉空間とは、“彼”を視る眼のようなもの。 もう「それ」以外に考えられない。 “彼”を視る眼、それは“彼”に触れる視点.......... 「第3視点..........」 誰に話すともなく、まるで自分に対して確認を取るかのように、ホクトの口を突いて出た一言。 信じられないほど重い一言。 「捕捉空間は、第3視点..........?」 イシュクルは煌くホクトの目を眠そうに垂れ下がった目で見下ろす。 「んあ、そういやそこまで言ってなかったな。ま、中らずといえども遠からずってとこだ。」 イシュクルの吐き出す全ての言葉を拾おうかというほどのホクトの集中力も気にせずに、イシュクルは全身でゆっくりと伸びをして、 「第3視点とはあくまで『3次元を真の意味で見渡せるt軸移動が可能な視点』であるのに対して、捕捉空間は『その視点を視るもの』だ。つまり“第3の眼”。そっちの方が近いな。」 思わず喉が鳴る。 「レミが、第3の眼..........」 ホクトの言葉はぼんやりと宙を舞う。 イシュクルは少しだけ笑みを浮かべながら、 「そう、レミとは第3の眼。――――お前の持つ眼も含めて、全ての眼の母たるもの..........オリジナルの眼球だ。」 イシュクルはまた欠伸をする。 ホクトはもう1mmも動けない。 二人の肩を風が撫でる。 青い鳥が、嘘のような青空を滑っている。 (後編へ) |
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あとがき とりあえず前編まで。 この前編の内容が実は一番重要だったり、なのです。 それからHIMMEL⇔LEMMIHネタはまるでこのSSの作者が考え出したかのようですが、実はかなりの既出ネタだということを一応確認しておきます。 ・・・・レミをネタに使う時点で本編『Ever17』の設定を軽く無視しちゃってるんですけどね、SSのくせに。SSのくせに。 そこらへんは突っこまれても仕方ない程の汚点だと肝に銘じております。 この後は後編なわけですがー、前編も含めところどころに『嘘』が散りばめられている、ということも同時に意識していただけると書き手としては幸いです。 それでは後編にて! |
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