Ever17ぴぐまりおん
                              ニーソ 



第18話 消滅と幸せの象徴


校舎と校舎の合間を貫いて突き刺さってくる陽光に沙羅は目を細め、ぶつかってくる熱気をかわそうとして日陰に移ると一瞬何も見えなくなった。
少しずつ視覚が回復していくのに合わせて、沙羅は既に一区切りついた今日の出来事を思い返してみる。

沙羅は緊急事態用として、そして最終手段として、一つのシナリオを用意していた。

ホクトが捕まれば、春香菜たちは署に向かう。そこで優が春香菜に変装し、春香菜たちの動きはバスと同じようにして止める。
何のことはない、ただそれだけの作戦である。

ただこれを発動するのは沙羅の中で最後まで躊躇われた。

なぜなら、それを発動するシチュエーションだと言うことはつまり、ホクトたちはすぐに遠くに行かなければならないということであり、そしてそれを発動すれば、こちらの駒はほとんどが一箇所に集まってしまう。

それが意味するのは、一本に限られた物語の結末だった。

沙羅にとって、今日の出来事に一区切りがついたというのはこの事だった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

けたたましく腹に響くヘリの重低音は今では遥か遠方で微かに聞こえるばかりであり、街は人と蝉による高らかな夏の音に戻り始めていた。

ホクトがそのことに気づいたのは、ヘリの音が完全に消え去ってから後のことである。

検問は既に撤収されており、優はバイクでそのまま2号の待つ駐車場から少し離れたところまで走っていった。二つの市の境となる川辺でバイクを降りると、今までは風のお陰で気づかないで済んでいた猛烈な暑さが体内で爆発する。道からかなり外れた場所で降りたがそれでもこの車体の放つ存在感はなお健在であり、そのことが少しだけ気になるところではあった。

だが、もはや何の問題もない。

そのことが全く些細なことに思えるほどの晴れ晴れとした余裕が二人にはあった。

市を跨る馬出橋(うまでばし)のきつい湾曲を二人で歩く。左手には空を映し出せるほどギラついた馬出川が日差しに輝いてほんの僅かに流れ、下流からは涼やかな風が本来あるべき川の流れのように軽やかに流れる。橋の最高点に近づくと、向こうの街が少しずつ姿を現し始める。

そうしている内にホクトの中でプレッシーめいたものはすっかり取り払われ、まるでピクニックにでも行くかのような気分に浮かれ始めていた。

「この橋渡ったの初めてだなあ」
「まあ、普通は歩いて渡る橋じゃないからね・・・・・・・・・」
「でもこんだけの景色があるなら、橋ってやっぱり凄いもんだよね。今気づいた」
「そういえば歩いて橋渡るっていう感覚は今じゃあんまりないかもねぇ」

ホクトの中で今まで気にも留めなかった存在全てが美しく壮大に思える。圧倒的な夏が、今目の前に降り注いでいた。

橋を渡り終えて5分ほど歩いたところで、ようやく2号の白い車体が見えてきた。さっきまで乗っていたバイクと比べたら紙くずのように見える。

5メートルほどの所まで近づいて、ホクトは微かな違和感を覚えた。

2号とは、元々検問をかわす為に1号を乗り捨てた後で乗り換えるために用意されていた車である。検問は既に撤去されたためバイクで通過してきたが、バイクよりは車の方が遥かに良いし味方も増える。そしてホクトは、2号で控えているのは例に漏れず苦麗無威の関係者に違いないと思っていた。

だが、だとしたら、今こうしてすぐそこまで近づいても誰も車から降りてこないというのは、今までの優に対する忠誠じみた雰囲気からは奇妙なことに思えた。

優もそのことを察したのか、小走りで車に向う。

運転席を覗き込み、そしてそこから目を逸らさぬまま何故かポケットをまさぐりだす。

出てきたのは、バスで見たものと同じ携帯電話に似た端末だった。
つまり、沙羅と交信しようとしているようだった。そのことにホクトはただならぬ空気を感じ取る。

反射的に優の側に駆け寄る。既に交信は始まっており、ホクトは黙ってそれに聞き入る。

「マヨ、2号に誰もいないんだけど・・・・・・・・・・」
『それが・・・・・・・・5分くらい前のことなんですけど、松崎さんが何かおかしくなっちゃって・・・・・・・・・』
「どういうこと?」
『先輩がそろそろ来るって連絡入れようとしたら、松崎さん急に“どういうことだ”とか“どこだここは”とか言い出して、通信機外して出てちゃったみたいなんです・・・・・・・・・』
優は助手席に通信機が放置されているのを確認する。
『先輩、車運転できませんか?』
「できるけど・・・・・・・・・キーが無いの」
『そうですか・・・・・・・・・・』
「応援は・・・・・・・・・・」
『無理です。作戦Eを行使した以上、向こうに確認されていない車やバイクはもう2号と先輩のバイク以外ありません。先輩のところに向わせるわけにはいかない。それに何よりできるだけ早くそこから離れないとマズイです』
「・・・・・・・・・OK」
『ごめんなさい・・・・・・・・・私にはもう、これしか・・・・・・・・・』
「マヨがいなかったら、ここまで来れなかった」
『・・・・・・・・・・・。出来る限り、サポートします』
「期待してる」
『はい・・・・・・・・・』

優は自ら通信を切った。
ホクトには向こう側の声は聞こえず事情はまるで分からなかったが、少なくとも「今しなければならないこと」だけははっきりと分かった。

自ら通信を切った優に代わって、今度はホクトが先導する。

「それじゃ、行こうか」
「ん」

二人は踵を返し、再び橋を前方に据える。

この先、応援はきっともう無い。

重苦しい不安感に紛れて、ホクトは何故か少しだけ嬉しくもあった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

自宅周辺を大勢のバイクに囲まれたとき、春香菜は最後まで彼らの狙いを読み取ることが出来なかった。

自分の側の駒は既に全て撤収されてしまった。

警察は何とかなる。だがもう資本家達の協力は得られないだろう。システムを再起動するにはそれ相応の時間とコストを要する。そこまでの協力を要求すれば関係が崩れ面倒なことになる。

どうしようもなくなりつつあって、逆に春香菜の頭は冷たくなっていった。

「ココ」
話を振ってみる、
「何か手はある?」

ココはしばらく答えなかった。それは予想していた通りの反応のように思われて春香菜は思わずため息を吐いたが、それはすぐに覆される。

「・・・・・・・・・多分、ホクたんは捕まえられる」
「どうして?」
「旅を続けられなくなるから」
「・・・・・・・・・・何故?」

ココは言葉を選んだのか一瞬返事が遅れた。

息を呑むようにして、言う。

「恐ろしいことが起こってる、から」
「恐ろしいこと・・・・・・・・・?」

そのとき、遥か遠くで轟音が響いた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

まだ浅い夜の青黒く薄い空気の中で分厚い陰影を纏っているバイクの姿を、ホクトはそこらの大学生のような死んだ目で眺めている。
打てばいい音がしそうなほど空っぽになった脳みそは完全に思考を放棄していた。

実に35時間ぶりの食事を終え、木の幹に寄りかかり座り込んで空気と一体化するかのような勢いでダレている。結局夕飯はコンビニ弁当に八百屋で買ったトマトが一つだったが何一つ不満はなかった。

それよりも、極度の疲労がホクトの精魂を吸い尽くしていた。

あれから1時間ほど走ったところで夕飯を買い、それから3時間ぶっ通しでバイク移動を続けたのである。今いるのは、山か丘かという位の小高い土地で、その中腹と言える場所でバイクを降りたときにはホクトは既にノックアウトされたボクサーのような有様だった。極度の空腹にもかかわらず何も喉を通らないという地獄から抜け出せたのがつい15分前のことである。

地上の明かりのせいで薄っぺらになった夜空を見上げる。

地上の灯がなお届く偽物めいた森林は虫と植物に溢れ、そのどちらともを食べるべき生き物は到底見つかりそうにない。
大昔の人々が見たら何とも奇妙な空間だと思うだろう、そんな下らないことで簡単に頭が一杯になる。

根拠に乏しい安堵感がホクトの全てを飲みつくしていく。

意識が落ちそうになる寸前で、薄れた視界に突然何かが入り込んできた。

「もう大丈夫?」
「うん・・・・・・・・・ありがと」

優が差し出したペットボトルを受け取る。
優も一つ手にして、ホクトとは木を中心にして直角の位置に座る。
ホクトは舌を濡らす程度に少しだけ飲んで、もう一度夜空に目を向けた。

上弦の月が、夜空をそこだけ削り落として青白く輝いている。

美しいではなく、キレイだと思った。
惹き込まれるのではなく、ただそこに素晴らしい背景としてあった。

そんな感覚に、自分の中にできた心の余裕を感じる。

まだ何も終わっていないにもかかわらず、夏の夜風の柔らかさすら感じることができるほどの余裕があった。
ある超越的なものに惹き込まれ依存するのでもなく、事実に対してのみ鋭敏になるのでもなく、ただあるがままの世界をそのまま広く感じることができていた。

それは何故なのかは考えずとも分かる。

夜空を巡るホクトの視界に再び月が現れる。
昨日とは違うように見える空。

「何だか、昨日見たのと月が違うように見える」
「そう、なの・・・・・・・・・?」

何故だろう。
既に答えが出ていることを改めて自問する。

無意識なところから言葉は出た。

「ありがとう・・・・・・・・・」
「ん?え、何が?」

聞かれても困る。何がありがとうなのか自分でも分からない。
感覚や感情というのは後から言葉がつくられたものであって、何がありがとうなのかを言語化するのはかなり難儀であった。

「独りじゃなくて、二人で同じ月を見てるっていうのが嬉しいから・・・・・・・・・だから、ありがとう、かな」
一度吐き出してしまえば何て事のないセリフだった。
「そ、そう・・・・・・・・・」

その意表をついたパスに今度は優が非言語的な力に翻弄される。

それから何も語られずに、静かな夏の夜が降りてくる。
その静寂が二人の心に染み込んでいく。

夜空に向けられているだけでどこにも焦点を合わせていないホクトの目に光が揺れ始める。

ほんの数十秒の沈黙に耐え切れなかったのか、優は不自然に力のこもった声で話しかける。

「でもさ、なんにも言わずに行くことなかったんじゃない?」
ホクトは無理矢理に意識を地上に引き摺り下ろし、だが視線だけは夜空に向けたまま、
「ココを出し抜く必要があったんだよ。ぼくがどこかに向おうとしていることを知ったらココは命がけで止めてくるだろう」
「・・・・・・・・・どうしてそう思うの?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

ココは一体何を考えているのか、というのは、いくつもの謎の内の一つであった。
ココ、エホバ、優華、スコーピオ、二つの世界、LeMMIH、BW・・・・・・・・・
どこからスタートしても、接点となる場所に近づくにつれ思考は曖昧にぼかされていく。

ただ、ココに対する脅威は非常に強く根付いていた。
その脅威も、この旅を始めたのも、きっかけは“彼”――――ホクトがBWと信じる何者か――――の導きだった。だが、そのことは何故か口にするのを憚れた。

だから、
「何となく、ね・・・・・・・・・」
一度そんな曖昧な答えを返してから、
「8月の間、ぼくは何度もココに会ってたんだ。それで、・・・・・・・・・優も気づいてるでしょ?」

ホクトは質疑応答をすり替える。
その問いかけに優は無言を返す。

まだ夜は浅く、うっすらとした明かりの中にコウモリの陰影が慌しい動きで現れては消えていく。可視光よりも赤外線の方が強く感じられるようになるこの時間には、青白い街の灯をバックにするよりも、木々の合間に埋もれる闇の中を飛んでいる姿の方が、それ自体が輝くおかげでむしろよく見える。

意識が溶けていくにつれ視野の焦点もまた次第に点から面へと広がっていく。やがて宇宙それ自体が焦点になって、巨大なホクトは靴に入った石ころ程度の“ある違和感”を覚える。

漠然とした思考の視野の中で、やがて“違和感”が一つの形をもって現れる。

全ての存在が共存している。

そのことがどうやら今感じている違和感のようだったが、今度は何故そのことが奇妙なのかが分からない。大体、何を根拠にそんなことを考えているのかすら分からない。そんな自分のどうしようもない頭の悪さにため息を吐く。

「どうしたの?」

優がそのため息を敏感に察知して声をかける。
その声はホクトの耳に引っかかって、霧のかかった思考をくすぐった。

すると、あらゆるものが生き存在する世界ではなく、夜の名の下に静やかに一つに溶け込んでいる世界がホクトの中で強く意識され始める。
1なる世界。世界がそれ自体で存在し、時すら隔てなく一つである世界。

そのとき、その視界に月が輝く。

「月が・・・・・・・・ね」
「月が?」
言語化するのが難しいことのように思える。
「今ある月は、違う。いつもと違うね、あれは」
ひたすら考えた挙句に口から飛び出したのはそんな曖昧な言葉だった。
「違うって・・・・・・・・?」
「違う・・・・・・・・・」
何が違うのか、
「・・・・・・・・・意味するものが違う。五感で感じ取れるもの全ては同じだとしても」
自分でも驚くほど簡潔な帰結。だが優との距離はまだ遠い。
「意味・・・・・・・・・?」
「うん、なんて言うか、」
考える、
「なんか・・・・・・・・・」

考える。今やその思考はホクト自身気づかないほどの深奥に達し、ずっと腹の底にわだかまっていた黒い記憶が水泡のように浮上した。

連続と一致。

その瞬間に、ホクトの表層に張り付いていた思考が全て言語化されて形を得る。

「そうだ・・・・・・・・・優がいることが、」
「へ?」
一気に喋って喉が詰まる、
「―――――優が今ここにいることが特別なんだ。この山腹まで来た成り行きも含めて全てが特別で、それで・・・・・・・・」

ホクトは夜空を見上げる。
まるで生きているかのような頭上の月。

「ぼくはその“記号”として、その事の“象徴”として、あの月を見てるんだ。そうだ・・・・・・・・だから今、あの月は違う」
「ふ、ふ〜ん・・・・・・・・?」

夜の深閑とした空気をぶち壊すようなホクトの意味不明な気迫に優は思わずたじろぐ。
対照的にホクトのほうは、まるでずっと分からないでいた問題がチャイム寸前で解けたかのような、脳天を貫く達成感に目を輝かせていた。

今なら全てが分かる気がする。

「こんな風に月が見えたことは一度もない」

それの意味するところも、今や急速に流れ始めた意識の中で目に見えそうなほどはっきりとした形を得ていた。

「その理由がやっと分かった。それはね――――」

なぜそうしたのかと聞かれれば、そうしたかったからと答えるしかない。あるいはその言葉をはっきりと口に出せる自信がなくて、出来るだけ確実な方法を用いたというだけなのかもしれない。

優が、決して聞き漏らさぬように。

こんな風に月が見えたことは一度もない

それはね――――

その先に続く言葉、この話の本当の“意味”―――――ホクトが今本当に思っていることを、はっきりと優に伝える。

耳打ちで伝える。

すると、初めは赤外線視力の中で仄かだった優の顔の輝きは、ホクトが言葉を送り込むにつれ見る間に強くなっていき、最後には電球のようになって、そして固まってしまった。

その言葉には、それだけの意味があった。

そしてホクトにとっては―――――そしてまた世界全体にとっては、さらに限りなく深い意味を持っていた。
だがホクトはまだそこまでは気づいていない。

ただ、連続と一致、それこそが全ての真実を演繹しうる始まりなのだということにホクトは気づき始めていた。

思考は今この瞬間だけは心地よく晴れ渡り、夜空は清清しく広がるその中で、優はまだ固まったままだった。

自分の言葉をそれだけ意識してくれたということが何だか嬉しくて、暗闇の中で薄布のような光を纏っている優の手を軽く握る。

それがスイッチにでもなっていたのか、優は古い洗濯機のように少し身震いして、ゆっくりとホクトと目を合わせた。

「ホクト・・・・・・・・」
「ありがとう」
「へ?」
「それでいいか、と思ったから」
「・・・・・・・・・なるほどね」

そして、二人は明るすぎる月を見上げる。
もうそれ以上何も言葉は交わされることなく、静寂の中に残された余韻を味わっていた。

なぜ人は触れ合いを求めるのか。
その答えも、すでに二人には見えていた。

そして二人は目を閉じる。




まるで夜の海に沈みこむように、

ゆっくりと、最後の安眠に就いた―――――









(第18話 終)





あとがき

というわけで、『第18話 消滅と幸せの象徴』でした。
まあまあ、ニーソです。

今回は久しぶりに謎めいた感じになりました。
このSSで言う「謎めいた」は「意味不明な」と言うのと同義ですが・・・(汗

経過でここまでやって結論は意外と単純で、ただ経過を書く筆力がないというだけなので、気楽に読んでいただきたく存じます。
そろそろ終盤ですし!(遅

それでは



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