PM7:41

「どうしてボクは、准になってるんだ!?」
 ボクは声を上げた。
 両手の手のひらを開いたり閉じたりする。
 そんな動作さえうまくできず、両手はわなわなと震えていた。
「どうして……。ブリックヴィンケルは、ホクトさんに発現したんじゃ……」
「――――そうだよ。確かに、ぼくは今まで、ブリック・ヴィンケルだった」
「それじゃあ、何で今はお兄ちゃんじゃなくって、耶月さんがブリックヴィンケルなの!? 私には何が何だか分かんないよっ!」
「ええ!? じゃあ、先輩は……。耶月先輩は、どうしたんですか? ―――え!? そ、そん、な……嘘、ですよね……? 先輩……。佐倉さん……。そんなのって、嘘ですよね!?」
 富美の眼は突然見開かれて、ここにはない何かを視て驚愕していた。
「富美! 落ち着いてっ。……そうだ、沙羅もぼくもBWも、みんな落ち着くんだ……」
 ホクトが、混乱するボクと富美をなだめる。
 ホクト自身も、何が起きたか分からず、今懸命に頭の中で整理をしているようだった。
「ブリックヴィンケル。今君は、准の身体に入っている……。つまり、三次元的な存在に、なっている」
 何かを確かめるように、一つずつ言葉を紡いでいくホクト。
 そして、ホクトは何かを確かめるために、
「今君は、四次元的な視点に戻る事って、できる?」
 そう訊ねた。
「――――え?」
「過去に飛んだり、未来を視たりする事、できる?」
「――――――――」
 ボクは答えられなかった。
 何かがおかしい。
 何かが、咬み合わない。
 ボクの存在自体が――――今までと決定的に変質しているのが分かった。
 人は、一度自転車に乗れるようになったらそれ以降乗れなくなる事はなくなるという。
 泳ぎ方も同じだ。
 一度コツを掴んでしまえば、それ以降できて当然とばかりにすいすいとペダルを漕ぎ、水面に浮かび水を掻き分けていく。
 それが今のボクには――――できなくなっていた。
「―――ああ……っ。そんな、そんな、事って……っ!!」
 頭を抱えてぶんぶんとかぶりを振る。
 そんなボクを見て、ホクトは次の質問を投げかけてきた。
「今君の中に、耶月准は、いる……?」
「―――――あ」
 ボクは、そんな事にまで頭が回らなくなっていたのか。
 ボクは准の意識を探そうとして――――

「先輩は……もう……」
 富美が呟くよりも早く、ボクは気付く。

 彼は既に、ここにいない事に――――。

「うぁ……ううっ……うわあああああぁぁぁぁぁぁっ」
 富美が、声を上げて泣き出した。
 富美が、ボクに飛びついて……ボクの持つ准の身体にすがり付いて、大声で―――泣きじゃくった。
 ボクには、何が何だか分からなかった。
「……富美」
 ホクトが、そんな富美の肩に手を掛けた。
「君は……君の眼は、視たんだね……?
 ―――――――――――彼が、この世界から一つ上の次元に旅立った事実を」
「……え? 上の、次元……」
 ここよりも一つ上の世界。
 四次元世界。
 ボクのいた世界。
 ボクの還るべき場所。
 耶月准は、そこへ旅立ったのだ。
「――――そうです。ホクト君。そして、ブリックヴィンケル」
 富美が頷くよりも早く、答える声があった。
 いつからそこに居たのか。
 佐倉明日香が、路の街灯に照らされてそこに立っていた。
 いつの間にか世界に闇の帳がおり、空には朧月が浮かんでいた―――。
幻視同盟
                              REI



第六話 世界離脱


「君達の目的は……いいや、明日香と准の本当の目的は、デパートのみんなを助けることなんかじゃなかったんだ」
 突然現れ、いつものように不敵に笑う明日香を前にしながらも、ホクトは臆することなく明日香に詰め寄った。
「どういうこと? お兄ちゃん。私全然話についていけないんだけど。一体何が起こったの? 何が起こってるの!? 何で富美ちゃんは泣いてるのっ! 私の知らないところで、何があったのよっ!!!」
 ボクに泣きすがる富美の肩を揺すりながら、沙羅は声を荒げた。
 それはホクトに向けられたものというより、その先に居る、新たな登場人物に向けられたものだった。
 ホクトは一度だけボクを振り返った。
 そして、明日香を睨みつけながら―――たぎる激情を、すべて―――吐き出した。
「二人の目的は、ブリックヴィンケルに成り代わること。――――ここよりも一次元高い存在になることだったんだ!」
 風が、静かに辺りを凪いだ。
 誰もが―――そう。ボクも沙羅も富美も、息を呑んで言葉を失った瞬間だった。
「ボクに……なるため……?」
「そのために、呼ぶ必要のない彼を呼んだ!
 明日香には、きっと正しい爆弾の解除方法が分かっていたはずだ! それを、わざわざ拓海に伝えず、富美にも教えず、このままではみんな助からないっていう状況を作り出した―――。BWを呼び出す以外道はないという状況を作り出して、そして彼を呼び出したんだ! そのために富美や拓海までも利用して……BWを召還してっ!
 そして、どうやったのかは知らないけど、准はBWに成り代わる事に成功した―――! 本当は、人質の無事なんてどうでもよかったんだろ!? 拓海がみんなと一緒に爆弾で吹っ飛んでもよかったんだろ!? それでBWさえ呼び出せれば、どんな犠牲だって払ってもよかったんだろ!?
 そして――――准はBWになった。
 時間の概念を越えた、神様に近い存在になった! そして明日香。君は、そんな准と、永遠に一緒にいたいと思った。四次元の世界の住人とコンタクトが取れる第三の眼を使って、ずっと准と共にあろうと願った!
 そのために、不老不死のキュレイが必要だった!
 だから、明日香はお母さんを呼び出した―――お母さんをライプリヒから守るためじゃなく、自分がキュレイになるために利用しようとしたんだ! 全部人のためじゃなくって、自分の、利己的な考えによるものだったんだ。だから明日香は何の躊躇いもなくロケット弾なんかを使った! そうだろ? 何とか言ってみろよっ!!」
 その剣幕に、ボクは身じろぎ一つできなかった。
 ホクトの、激情。
 本能のまま、だけど、そのギラつく焔の中に確固とした理性と意思を宿しながら、ホクトは吼えた。
 そんなホクトを前にして、明日香はゆっくりと腕を組んだまま失笑するようにして笑った。
「それが、BWと共にすべてを視て来たあなたが出した答えですか、ホクト君」
「……そうだよ」
「……ふふ。本当に、ホクト君。あなたは怖い人。
 ――――ええ。そうです。すべては、准を四次元の存在にするため。そして、そんな彼と永久に生き続けたいという私の独善的な目的を成し遂げるため。そのために、私と准はBWを発現させました」
 明日香は、ボクを見ながらほくそえんだ。
「―――原生過去。一度生じた過去は、変化しない。仮に変化してしまったとしたら、その瞬間から世界は二つに分岐する。変化せずに過去があり続ける世界と、変化してしまい過去が改ざんされてしまった世界――――。
 Yの先にある二つの世界。それらを知覚しようと思うなら、今いる三次元空間内から脱出して、四次元空間からそのYの字を見下ろす必要がある。私達三次元的な存在が三次元の全体像を把握するためには、四次元空間へと脱出する必要がある。それが視点であれ、精神であれ、それ以外に方法はないのです。
 そのため、私達は四次元的な存在であるBWをはじめとする多くの“視点”の眼を借りて、過去や未来、平行世界を垣間見ているのですが、それがすべてではありません。三次元空間に偏在する自己を、瞬間的に、正確な意味ですべてを把握しようとするなら―――自らを、三次元的な存在から四次元的な存在へと昇華させるしかない。
 私達の目的は―――偏在する自己を、一つに収束することです」
「一つ、に……」
 ホクトは押し殺したような声を漏らした。
「ええ。そうです。耶月君が他のあらゆる耶月君を把握できる位置に立ち、すべてを見渡す―――。そうする事により、すべての耶月の経験は、一人の体験に等しくなる。
 偏在する自己の補完。それこそが耶月准の目的。そして、そんな彼の傍らで、永久に世界を眺め続けること―――それこそが、私の望みです」
「そんな事をして、何になるんだ!」
 ボクは思わず声を上げた。
「さあ? 何になるんでしょうね。あるいは、ただ知りたいだけなのかもしれません。今私達がいる世界の、真の姿―――その全貌を、ただ知りたいだけなのかもしれません。無限に広がるあなた達の物語を、すべてその目で確かめたいだけなのかもしれません」
「それだけの……ために……?」
「あら。知的好奇心がなければ、人類にこれほどまでの発展は望めませんでしたよ?」
 明日香の冷めた声が返ってきた。
「……嘘、ですよね……。佐倉さん……。耶月、先輩……」
 富美は、ボクの腕の中で放心していた。
 富美は未来視でこの光景を目にして、そして泣き崩れたのだ。
 胸の中で全身の力を失っていく富美を前に、ボクは憤りを覚えた。
 こんなあらぶる心は、今まで知らない。
 今まではただ眺めていただけの感情―――それが今、確かにボクの中で燃えたぎっていた。
「富美の気持ちを考えてやらなかったのか! 富美は、准の事が好きだったんだぞ!? それを、富美に何の説明もしないまま、あの世界に―――准を連れて行くだなんて……!」
「ええ。富美の気持ちは知っていました。ですが、それ以上に私は―――耶月准を愛していました。それを、一々恋敵の気持ちを考えていては、恋なんてやっていけません」
「友達なんだろ!?」
「ええ。私と富美は親友でしたよ。それが、何か?」
 ボクは思わず歯軋りをした。
「それにブリックヴィンケル。この結果は、あなたにとっても良いものだと思いますが」
「―――え?」
「あなたはこうして、この三次元世界で活動するための器を手にしました。あなたはもうこの次元の住民です。あなたはこれから、人としてこの世界で生きていくのですよ?
 歳を取れば老い、やがて死を迎えます。そんな、あなたにしてみればデメリットばかりの世界ですが、そんな世界に彼女―――八神ココは生きています。彼女と結ばれる事も、今のあなたには可能なのです」
 せせら笑う明日香。ボクは思わず、富美の肩に添えた手に力が入った。
 明日香は……っ!
 少し冷たいところがあるけど、それでも、みんなを助けるために動いてくれていたと思っていた明日香は、実はこんなにも酷い奴だったなんて……!
「……明日香」
 ホクトが―――厳かに、声を掛けた。
「それは本当に、君の本心?」
 明日香は答えない。
 いつものように冷笑を浮かべながら、長い髪を掻き揚げた。
「なら明日香。一つ、質問があるんだ」
「―――――――何です? ホクト君」
 長い間をおいて、ようやく明日香は口を開いた。
「……どうやって、准は彼になることができたの?」
 明日香は、やはり答えなかった。
 答えるのをいくら待っても、明日香は身動ぎ一つしない。
 ボクらの存在を忘れたように、静かに空を見上げたまま月を見ていた。
 ぴくりとも動かないその端整な横顔は月光に照らされて、まるで、本物の人形のようだと思った。
 眼を細めて、小さく頬を綻ばせる。
 それはまるで、今はここに居ない恋人と逢引しているようにも見えた。
「ねえ、明日香――――」
 ホクトがもう一歩詰め寄ろうとした瞬間、



「それはね。簡単なことだよ、ホクたん」



 六月の、少し肌寒い夜の空気を薙ぎ払うような声が、聞こえた。
「――――ココ」
 ボクは、その女の子の名前を口にした。
「九回の裏、ノーアウト満塁のピンチに真打と〜じょ〜! だよ。お兄ちゃん」
 月の恋人相手に愛の語らいをしていた明日香は、ココの登場に煩わしそうに顔をしかめた。
「これは八神ココさん。デパートから失踪したと聞けば、わざわざこんなところにまでお越し頂くなんて」
「うん。お兄ちゃんが困ってるから、助けに来たの。どうやって、准ちゃんはブリックヴィンケルさんになったか。それはね。すっごく、すっごく簡単なことだったんだ」
 ココは、ボクに向ってにっこりと笑って見せた。
「なっきゅの、三角のABC、それとDのブリックヴィンケルさんのお話、覚えてる?」
「うん。覚えてる……」
「その時のABCは、LeMUの事。17年のLeMU・Aと、34年のLeMU・Bをまったく同じにする事で、AとBが同じだとお兄ちゃんに錯覚させてぇ、お兄ちゃんDは、ドウイツチョクセンジョーに並んだABCと結ばれてぇ、平面A(B)CDだと勘違いしちゃって、ココのいる世界とお兄ちゃんの世界が同じ空間に居ると勘違いしちゃったんだったよね?」
「え? あ、うん……。たぶん、そうだと思う」
 明日香がもっと分かりやすく説明できないのですかと呟いたのが聞こえた。
「けど、今回はLeMU、つまり、場所じゃなくって、人でその錯覚を起こしたんだよ」
「人、で……?」
「うん。ホクたんと、准ちゃん。二人が同一人物だと勘違いして、お兄ちゃんは呼ばれちゃったんだ」
 富美が説明してくれた事は正にそれだった。
 耶月准の力―――同じ三次元空間内に存在する者の視点と同調する眼―――。
 それによって、ホクトはホクトであると同時に准になり、准は准であると同時にホクトになった。
 つまり、XY平面上に二次元的な点A(ホクト)B(准)Cがあり、XYZ空間の中に三次元的なの点Dがある。点A(ホクト)とB(准)が重なる(同調する)事で、点ABCは同一直線上に並び、この直線とDを通る平面が生まれる。そこで平面A(B)CDだと錯覚してしまったのだ。
 過去と未来、二つの世界を同じに見せかけて、ボクを『三次元の存在』と錯覚させて『世界』に呼び出すんじゃなくて。
 ホクトと准、二人を同一人物に見せかけて、ボクに『ホクトか准』という極めて小規模な世界を錯覚させて、『ホクト』に呼び出したのだ。
「ふーみんの説明も悪くはなかったんだけど、ちょっと惜しかったねぇ〜。准ちゃんがホクたんの行動を真似てお兄ちゃんが錯覚したんじゃなくって、ホクたんが准ちゃんになったその瞬間に、お兄ちゃんは呼び出されちゃったんだよ。
 重なったホクたんと准ちゃん。同一人物になったその瞬間二人の記憶が混ざって記憶喪失に似た感じになっちゃう。ホクたんであると同時に准ちゃんでもある。けど、たんホクたんでも准ちゃんでもない。そんなあなたは、いったいだあれ?
 ―――それはお兄ちゃん。お兄ちゃんは、そうやって自分が三次元の存在だって勘違いしちゃったんだよ。その瞬間、お兄ちゃんはココのいる世界にやってきたんだ」
 ホクトが准になった瞬間―――つまり、9:34の時点だ。
「……それじゃあ、ボクはまず、ホクトのほうに発現してたのか……!?」
 ボクは最初准に発現したと思っていた。
 けど、重なった瞬間に呼び出されたとしたら、それはホクトが准と対面して意識を失った瞬間―――つまり、今朝の出来事ということになる。
「ううん。違うよ」
 こともなげに首を振るココに、ボクは肩透かしを食らった気分だった。
「じゃあ、おかしいじゃないか! 准が先なら、ボクがこの世界に召還されたのは、12:34になる! ホクトが准になった瞬間なら、9:34のはず―――」
「だーかーらー。違うんだってばぁ。お兄ちゃんが、最初にココの世界にやってきたのは―――――――



   昨日の、1:55だよ?」



「――――――え?」
 ボクは、ココの言葉に声を失った。
 その時間は、確か――――
「准ちゃんがホクたんとぶつかって、生徒手帳を持ってっちゃったあの時だよ」
 その時に、ボクは既に発現していたっていうのか……?
 ―――在り得ない話じゃない。
 むしろ、ボクが発現したのは本当は昨日だったんじゃないかと考えていたかもしれないのだ。
「6/16の1:55に、准ちゃんはホクたんと“同調”した。
 その時一瞬だけお兄ちゃんは錯覚して、この世界に顔を出しちゃったんだ。
 けど、その時はそれでおしまい。お兄ちゃんは、結局表に出てこなかった。
 そのかわり准ちゃんはその夜、ホクたん越しにお兄ちゃんと同調した。
 ホクたんを通してお兄ちゃんの視点と同調して、これから何が起きるかを視て回ったんだ」
「――――え? これから何が起きるか……?」
「そう。つぐみんの事。マヨちゃんの事。涼ちゃんやなっきゅの事……。それを、お兄ちゃんは寝ている間に視させられてたんだよ」
「だって! あれはボクが准に発現して、それから元の視点に戻って、そして視て回った出来事のはずだよ!?」
「ほらぁ、騙されてるぅ。
 お兄ちゃんは、准ちゃんに騙されちゃったんだよ。
 准ちゃんは、まずお兄ちゃんの視点と同調して、何よりも先に『准ちゃんに発現しちゃったお兄ちゃん』を見せたんだよ。
 そのあと、つぐみん。マヨちゃんとふーみん。たくみんの順に見せられて、最後に、ホクたんの視点を見せる。
 そうしたら、どうなると思う?」
「……どうなるの?」
「たぶん、こうなるんじゃないかな。BWは、まず准に発現してしまった。そこからすべてが始まったと錯覚する。
 そのあと、お母さん、沙羅、そして優達の出来事を見て、一日が始まり、終わってしまったと錯覚する。
 そして最後に……准は、視点の強制を解いた。
 17日早朝。
 ぼくと君は、17日は既に過ぎて、みんなは爆発で死んでしまって、もう一度17日が始まったと―――錯覚した。
 本当は、その時まで視ていた世界は全部、16日の夜の時点で、BWと同調した准によって視せられていた、未来予知だっていうのにね。
 だから、ぼくと君は“今度こそ”みんなを助けないと、って思ってしまったんだ。
 事件はまだ起きてないってのに。
 そういう事でしょ? ココ」
「大正解。ホクたん、頭いいねぇ〜。……そう。そうやってお兄ちゃん達は、一度限りのループを体験させられてたんだよ」
「だけど……ボクは確かに、准の視点も、ホクトの視点も体験してるよ! 二人に、確かに発現してたんだ! だから、准の時は記憶を失ってた。ホクトの時だってそうだ! ボクは確かに二人に……一回目の17日は准に。二回目は、ホクトに…………」
 ボクは、それ以上言葉を続けられなくなった。
 ボクは何に反論しようとしていたのだろうか。
 それすらも、分からなくなっていた。
 だって、だって、二人に発現していたって、何がおかしいんだ?
 おかしいところなんてないじゃないか!
「お兄ちゃんも、もう気付いてるんでしょ?
 お兄ちゃんは、ホクたんと准ちゃんに、同時に発現しちゃってたって事に」
「同時……」
「そうだよ。お兄ちゃんは、どこにでもいる。いっぺんに二人出て来てもおかしくないっしょ? マヨちゃんの時に、それに気付いてたはずだよ」
「だったら……だったら、ボクは……」
「お兄ちゃんは、今日の9:34。同調したホクたんと准ちゃんを同じ人物だと錯覚して、お兄ちゃんはホクたんになった。12:34。今度は、准ちゃんはホクたんを通してお兄ちゃんと同調した。そうすることでお兄ちゃんは二人になった。分裂しちゃったんだよ。ホクたんになったお兄ちゃんと、准ちゃんの視点と重なって、准ちゃんになったお兄ちゃんの二人に。その時お兄ちゃんには、二人の区別がつかなかった。だって、その時からホクたんと准ちゃんは、同じ視点を持った“同一人物”だったんだから。
 准ちゃんはそれを利用して、自分がホクたんであるとお兄ちゃんに錯覚させた。生徒手帳を使ってね。そして本物のホクたんと出会った時に、お兄ちゃんを、ぼくはホクたんではなかったのかーっ! って驚かせる。驚かせてから、准ちゃんはお兄ちゃんとの同調を切ったんだ。けどそれは、本当はホクたんになったお兄ちゃんが分裂して准ちゃんになってただけで、すべては『視点覚醒』でのお話。『視点発現』でのお話は、実は、“分裂していたお兄ちゃんを視ているお兄ちゃん”のお話だったんだよ。そのあとは、さっきホクたんが説明した通り。准ちゃんのナビゲーションについてって、『原生過去』、『未来影向』、『現在透過』の順に視せられて、一日が終わってしまったって錯覚しちゃう。
 そうしてお兄ちゃんは、本当のプロローグ、『視点覚醒』に到達したんだよ」
「そうやって、ボクは准一人の力によって……そこまで騙されてたっていうのか……!?」
「うん。そうだよ、お兄ちゃん」
「じゃあココ。聞くけど、それは一体何のためだったんだ?
 そんな回りくどい事をしてまで、どうしてボクが『17日が一度終わってしまって、みんなを助けられなかった』と錯覚させる必要があるんだ!?」
「それはねぇ――――」
「准が、BWとなるためです」
 それまで沈黙を守っていた明日香が、口を開いた。
「――――原生過去」
 明日香の口から発せられたその言葉に、ボクの身体は思わず強張った。
「……ふふ。予想以上に堪えているようですね」
 明日香は、嘲笑うかのようにボクを見ていた。
「……どういう、こと……だ?」
「分からないかしら。准がBWに成り代るためには、まずあなた自身に、自分は無力なのだと思い込ませる必要があった」
「――――どうして、そんな、ことを……」
 ボクは一度みんなを―――ココを助けられなかった。
 そしてボクは、明日香の口にした原生過去という言葉を思い出して、一度起きてしまった事は変えられない……歴史を変質させて、新たな分岐点Yを作ることはボクの逃避であると思ってしまった。
 あの時ほど、自分の無力さを悔やんだ事はなかった。
 あの時ほど、自暴自棄になってすべてをかなぐり捨てる気になったことはなかった。
 もし、あの時ココがボクの前に現れてくれなかったら……。
 ボクに、自分自身を信じる事を思い出させてくれなかったら。
 ボクは何をしたか分からない。
 すべてを助ける事のできた理想的な世界を一つ作り出して、本当にそれ以外の世界を無かった事に―――世界の可能性を、閉ざしてしまっていたかもしれない。
「この世界には、同人誌、というものがあります。詳しい事は、あとでそこに居る富美にでも聞いてください。
 ともかく、二次創作などは特にそうですが、あれほど作り手によって世界が様変わりするものはありません。しかし、そのどれもが、オリジナルの世界のY線上にある世界なのです。それを生み出すのが同人作家というわけですが。もし、その同人作家がオリジナル以外の選択肢の道を閉ざしてしまったら―――?
 ……そう。そこに世界は生まれません。
 彼はその瞬間から、同人作家ではなくなる。同人誌を見る事すらなくなる。
 ……同じように。
 BWがこの世界のすべてのY線上の可能性を否定し、自分の無力感に嘆いたその瞬間。彼は、この世界に関与するすべての力を失います。何故ならこの世界に関わろうとしなくなりますし、そして視る事さえしなくなりますから。
 関与する術を失い、一つの世界に囚われてしまったBWはやがて、自分の存在―――。一次元上の存在である事さえ否定し始めます。もしその自己否定が、この三次元世界の中―――同人誌であるなら、二次元世界の中で行われたとしたら、どうなります?」
「……ひょっとして、自分の居た世界よりも一次元下の存在として、定着してしまう……?」
「―――そうです。三次元的な点Dは、次第に二次元的な点ABCに近付いていき、XY平面上の存在になってしまう。
 ……いいえ。厳密には、三次元的存在である点が二次元的存在になる事はありません。同じようにあなたは今までも『自分は三次元的な存在だ』と誤認して三次元世界に顔を出す事が精々でした。
 けれど、その誤認が極限にまで高まった瞬間。三次元的な点Dが二次元平面上に限りなく接近した瞬間に、こちらから手を伸ばせばどうなるか……?
 耶月君はそれを利用し、点D(BW)が点B(准)に最も接近したその瞬間に、点Dに同調。そして点Bはそのまま点Dとなり、XYZ空間に移動した―――。四次元空間まで駆け上がり、そうして空いた空席に腰を下ろした。失意に暮れたあなたを差し置いて、自分自身が四次元的な存在になったのです。逆にあなたは点Bに成らざるを得なくなり、こうして三次元的な存在に成り下がった―――。
 それが、今回の計画。私達の、本当の目的です」
「そんな事が……可能、なのか……?」
「すべては机上の空論でした。しかし、ホクト君。あなたが私の学校に転入してきたあの日、私の空論は実現可能だと判明しました」
「どうして……?」
「私達のような三次元的存在は、XYZ空間の上しか移動できない。しかし、四次元的存在であるBWは、視点のみとはいえ、一つ上の空間からXYZ空間に移動が可能―――召還が可能だと、ホクト君。あなたの過去から判明したからです。
 視点だけとはいえ来る事ができるのですから―――肉体というしがらみを捨て、視点だけの存在になり、降りて来たBWの通った道を辿れば、必ずその場所に辿り着けると―――そう確信したのです」
「――――――――」
 ボクもホクトも沙羅も。
 全員が、言葉を失っていた。
 明日香は、そんな計画を成功させるために、ボクに意味深な言葉を残したのだ。
 つぐみの時は、ボクに無力感を与えるために原生過去の話を。
 そして、それを裏付けるかのようにホクトに対しては「お帰りなさい」と、まるで二度目の17日を迎えているように思わせる台詞を。
 すべてを仕組み、そして、まんまとボクに成り代わる事に成功した―――耶月准と佐倉明日香。
 ボクは、そんな彼らに立ち向かう術を持っていない。
 こうしてボクが三次元の存在になってしまった時点で、すべての決着はついてしまっているのだ……。
「あしたん」
 静かな、抑制のある声で、ココがその名前を呼んだ。
「ココね。これでも、すっご〜く、怒ってるんだよ? 分かってるっしょ?」
 ココの表情は―――頬は、綻びを見せている。
 しかし、その笑顔は、カーポンのように固まっているように見えた。
「―――――」
「それとふーみんとの約束。ついでに、ココとの約束も破っちゃったよね? ……つぐみんに、乱暴しないでって言ったのに」
 静かな笑み。
 静かな怒り。
 ―――あのココが。
 ココが、本気で怒っている―――!?
「……ええ。しかし、それは彼女が先に乱暴を振るってきたからです。私に非はありません」
「それだけじゃないよ。あしたんは、たくみんを騙した。ふーみんの視た未来を利用して、お兄ちゃんが来なきゃみんなが死んじゃうって嘘ついて。本当は、爆弾なんてその場で解体しなくても、凍らせちゃえばシンカンが動かなくなるって知ってるのに。それなのに嘘をついて、あしたんは利用した。『お兄ちゃんが発現しなかった世界』では、たくみんは死んじゃったんだ」
「けど、あなたは知っているはずです。その世界は厳密には存在しないと。タイムパラドックスが発生するのはあくまで未来から過去に手を加えた場合のみ……つまり、未来ではなく過去から直接、Yに分岐する以前に原因を変えてしまえば、その後の世界は一つに統合される、と。かつてBWが視た世界は、『存在すると同時に存在しない』世界となって、時間の流れから外れます。こうして『BWが発現した世界』に定まった以上、もはや『発現しなかった世界』を観測することは不可能です。存在しないのですから」
「そして何より――――あしたんは、お兄ちゃんから帰るお家を奪ったんだよ」
「……しかし、そのおかげであなたは彼と、この世界で共に生きることができるのですよ? デートもできます。ひよこごっこだろうと芋虫ごっこだろうと、何でも一緒にできるのですよ?」
「うん。そうだね。みんなで一緒に遊べるね」
「ええ。ですから――――」
「でもそこに准ちゃんは居ないんだよ?」
 明日香は、返す言葉を一瞬だけ見失った。
「……ですが、彼はすべての自分を知覚し、私達とのどかに過ごしている自分の体験を視ているはずです。耶月君は、一であり全である存在になった。彼は、寂しいとも悲しいとも思っていないはずです」
「じゃあ、あしたんは?」
「私は―――幸せです。准は、私の望みすらも叶えてくれます。私は永遠に准に見守られながら余生を過ごすでしょう。至福の極みです。更に、私がキュレイ種になれば、そんな日々が永久に続くのですよ!?」
「じゃあ、ふーみんとたくみんは?」
「彼らは、確かに悲しむでしょう。富美がいい例です。しかし、その悲しみもいずれ薄れていきます。それどころか、耶月君は大のお人よしです。頼まれなくとも、富美や遠野兄を加護し、護っていく事でしょう。それに彼らが気付いた時、悲しみは消え去ります」
「そうなの? ―――――たくみん」
 ココが呼ぶと―――遠野拓海が、ゆっくりと明日香に歩み寄ってきた。
「―――いつからここに?」
「ココちゃんと一緒に来た。けどな。合図があるまで出てくるなって言われちゃあ、従ってみるのが男ってもんだろ」
「それで。たくみんは、どう思ってるの?」
「―――俺は……。そうだな。一緒に馬鹿やってた奴が、突然姿くらませやがったんだ。そりゃーお前、寂しくもなる。けど、その前にだなぁ! 俺に一言も言わずに行っちまうなんて、どういう了見だぁ!? 視てるんなら降りてきやがれってんだ!」
 拓海は憤り、空に向って吼えた。
「ふーみんは?」
「私は……」
 富美はゆっくりとボクから離れて、しばらくボクの顔を見つめたあとそっと目を逸らした。
「私は……っ。泣くしかっ、ないじゃないです、かぁ……。
 私は、佐倉さんみたいに強くないです。お兄ちゃんみたいに文句も言えません。
 けど……。けど、それでも……っ!
 私は先輩と一緒にっ! もっともっと一緒に居たいです……っ!
 例え振り向いてもらえなくてもっ。例え、先輩が佐倉さん一筋でもっ!
 私はっ!! この世界でっ! 少しでも長く好きな人と一緒に居たいんですっ!!!」
 富美は叫んだ。
 心の内を―――わだかまりを、全て解き放った。
 そのあとで、富美は泣いた。
 ボクから沙羅の胸に移って、声を押し殺して泣きじゃくった。
「…………」
 明日香はそんな二人をじっと見ていた。
 決して、涼しげな顔じゃない。
 居た堪れなくなって視線を逸らしてしまいそうになるのを必死に堪えながら、明日香は二人を見ていた。
「幻視同盟」
 ココが言った。
「あしたんは過去が視える。ふーみんは未来が視える。たくみんは今が視える。そして、准ちゃんは人の視ているものが視える―――。
 お兄ちゃんは、一人で何でもできるけど……。あしたん達は、四人で一人前なんだよ?
 一人も欠けちゃあ駄目なんだよ?
 四人で一人。
 そうやって、今までず〜っと、幻視同盟は世のため人のため。悪い奴らをやっつけて回ってたんでしょ?」
「……古い話です。今回のライプリヒが、おそらく最大にして最後の敵。それが壊滅した今、私達幻視同盟はもう活動しなくともいいのです。……SAKURAグループの財力をお借りして作り上げた『スタッフ』も、今回の後処理が終わり次第解体する予定でしたし……。何より、何かが起きる度に私達が活動するのではなく、一次元上から全てを知覚し、災いになる種をあらかじめ刈り取っていくほうが、よほどか効率的です。ですから―――」
「そういう事じゃないよ。……准ちゃんなら分かるでしょ? そこから視てるんっしょ?
 だったら、比べてみて。たぁ〜っくさんある、准ちゃんがみんなと一緒に笑いあってる世界と、この、准ちゃんが消えちゃった世界のみんなを。
 ――――どっちが幸せそう? どっちが楽しそう?」
 ココは、虚空に向って語り始めた。
 そこには居ない誰か。
 けれど、ココと明日香には視えている誰かに向って。
「――――っ! そうですか! ココ、あなたという人は私達と同じ手段でっ! 耶月君! 耳を貸してはなりませんっ! この子は、あなたを―――!」
「誰でも救える。
 誰だって幸せにできる。
 けど、この世界で―――准ちゃんが抜けた世界で幸せになれる人なんて、誰も居ない。
 あしたんはいずれキュレイ種になる。永遠に、准ちゃんと一緒に居られる。
 それでも、あしたんの心は空っぽなんだ。だって、そこに准ちゃんがいないんだからぁ」
「耶月君っ! お願い……、耳を貸さないで……っ。私達が、どうしてこんな計画を立てたのかを思い出して……っ!」
 明日香が、取り乱したように声を上げた。
 それは、初めて聞く明日香の心の声だった。
「お願いよ、耶月君……っ! 耶月……耶月准っ!」
 お嬢様のように取り繕った明日香ではなくって。
 愛する者と共に何かを目指していた―――少女の声だった。
「准ちゃんは、そっちに行っちゃた事で、みんなを不幸にするんだ。……みんなみんな―――准ちゃんのせいでそうなっちゃう、、、、、、、、、、、、、、、んだからねっ!!!」
「准! 准っ! ――――准っ!!!」
 ココと明日香が一際大きく叫んだその時。
 ボクの身体は、かつてない浮遊感に包まれた。




     PM8:00



「准……。准の、馬鹿……っ」
 明日香が、泣いていた……。
 ボクの胸にすがりついて、嗚咽を漏らして泣いていた……。
「……佐倉」
 いいや、違う。
 もう既に、それはボクではなかった。
 耶月准。
 幻視同盟――“同調”の眼を持つ、明日香の仲間だった。
「……お兄ちゃんなら分かるよね? あしたんの、本当の願いが。何で、こんな事をしたのか。今のお兄ちゃんには、ちゃあんと分かるよね?」
 ボクは、ココを見下ろしていた。
 ココは、ボクを見上げていた。
 ―――――ボクは。
 一つの視点に――――元のボクに、戻っていた。
「本当の、願い……」



 不意に、ボクの目に飛び込んでくる情景があった。



 どこまでも―――どこまでも続く、ひまわり畑だった。
 自分達の背丈よりも高いひまわりの合間をぬって、駆け回る子供達の姿があった。
 幼い日の准と、そして明日香の姿だった。
 二人には、兄弟がいた。
 准には妹が。明日香には弟がいた。
 ある日――――彼らの妹と弟は、忽然と姿を消した。
 二人には、他人には無い不思議な眼があったのだ。
 ―――未来を視る眼。第三視点。
 それも、准たちのような視えるものの限定された眼ではなく、ココのような全てが分かる眼だった。
 ――――誘拐されたのだ。
 ライプリヒではない、別の組織に。
 その日から、准と明日香の第三の眼が開眼した。
 その眼を駆使して、弟と妹を捜し求めた。
 そして、辿り着いた研究施設で二人が目にしたものは――――
 揚水のような水に満たされたガラスタンクに浮かぶ、元は家族だった者の眼球と、脳だった。
 二人は復讐を決意した。
 明日香と准は、過去視と視点の同調を駆使して、資金を集めはじめた。
 SAKURAグループの名前と父親の影響力を利用し、自分達専用の復讐のための駒―――スタッフを組織した。
 そして、二人はその組織を、若干11歳にして壊滅させたのだった。
 復讐の炎が潰え始めると、ふと、脳裏を過ぎるものがあった。
 それは、弟と妹が組織に誘拐されず、平和に暮らしている世界の存在と、それがY線上の片側にあるかもしれないという希望だった。
 もしも、過去が変えられるのなら―――弟と妹を、取り戻したい。
 それができなくても、そんな世界があるのなら、一度でもいいから見てみたい。
 分かれたY線上の先を知覚したい。
 弟と。妹と笑い合っている自分が別の世界にいるがいるのだと分かれば、それだけでも救いになるのだ。
 それは結局叶う事無く。
 その後二人は中学に進学し、遠野兄妹と出逢った。
 手のかかる子どもっぽい兄と、引っ込み思案の妹は、忘れかけていた二人の兄弟を思い起こさせた。
 二人は、准達と同じ第三の眼を持っていた。
 そして、幻視同盟を結成し、組織を壊滅させる時に組織したスタッフと共に、ライプリヒ製薬や、その他の闇企業や犯罪組織と、五年にも渡り日夜戦い続けた―――。
 そんな日々の中で。
 平行世界への可能性は、日に日に募るばかりだったのだ―――。



「佐倉……ゴメン。俺には、無理だ」
 明日香を抱きすくめながら、准は告げる。
「無理だなんて、言わないで、よ……っ」
「俺の力では――――あいつらを助ける事は、できなかったんだ」
「そんなっ! 簡単に諦めたりしないでっ!」
「そして何より俺には……。みんなを見捨てて往くような事は、やっぱりできない」
「なんでよぅっ! たくさんあるじゃないっ! 私と歩む道も! 富美と歩む道もっ! 無限の可能性全てが、あなたのものになったのよ!? あの子達と過ごせる日々だって、あったはずじゃない! それを、どうして……っ!」
「違うんだ、佐倉……。確かに、全部お前だった。全部富美だった。そこには遠野の奴も居やがったし、ホクトや沙羅達と過ごすような毎日だってあった……。けど……。この世界だけは、壊れちまってたんだ――――」
「壊れ、てしまった……?」
 明日香が、顔を上げる。
 その顔は、涙で歪んで、優雅で隙の無かった頃の彼女のすました顔が嘘のようだった。
「つまりだ。俺達は――――どの世界でも、共にあった。
 そりゃあ、佐倉と付き合ってたり、富美と付き合ってたり……中には何をどう間違えたのか、遠野とくっ付いてアッチの世界に逝っちまった俺なんていうオゾマシイ世界もあった」
「うげぇっ! マジ勘弁!」
 その光景を想像したのか、拓海がうめき声を上げた。
「けど、どの世界でも、俺達はみんな、友だった。死が俺達を別つまで―――俺達、幻視同盟は不滅だった。だけど、例外が一つだけあったんだ……。俺が、BWになって、戻らなかった後の世界だ。……もう、滅茶苦茶だった。 遠野は酒に溺れるし「マジかよっ!」、富美はヘンな宗教につかまっちまう「そう、なんですか……?」。そして佐倉……。お前は、第三視点となった俺に依存しちまって、自分では何もしなくなっちまった。……腑抜けてしまったんだよ、お前は」
 明日香は、何も答えなかった。答えられなかったのだ。
「もちろん、みんなの仲はバラバラ。人生無意味に過ごして、それで終わっちまう。……視て、らんなかったんだ。きっとココちゃんが俺の無力さをうったえなくても、俺は無力感にうちひしがれて―――いいや。自分のアホさ加減に嫌気がさして、ここに戻って来てたんだろうな」
「そんな……そんな、事のために……」
「そんな事って言うなよ。俺はな。本当は弱っちょろいクセに、無理して気丈に見せて、毎日を背伸びしながらカッコよく歩こうと努力してるお前に惹かれたんだ。普段自分の考えや想いを口にしない引っ込み思案なクセに、イザって時に心の芯を曲げずにそれをぶつける事のできる富美だから側に居たんだ。そして不本意ながら、ちゃらんぽらんなクセにここ一番で頼りになる、一番の親友だから遠野と一緒に馬鹿やってきたんだ! そんなお前らがぶっ壊れちまってるのを視て……しかも、その原因が俺が居なくなったからだなんて抜かした日にゃ、俺は宇宙の果てからでも戻ってくるともっ!!」
 富美が顔を上げた。
 拓海が、照れたように頬をかいた。
 そして明日香は―――。
「それでは……最後に、一つだけ教えてください……。
 あの子達が、今でも生きている可能性を内包した世界は……ありましたか?」
 准は、小さく首を振った。
 あれは、どうする事もできない運命なのだと……准の瞳は、そう物語っていた。
 その瞬間、明日香は膝から地面に崩れ落ちた。
 大粒の涙を流しながら、声もなく泣いていた……。
 放心し、途方にくれたようなその表情はしかし、憑き物が落ちたようにボクには見えた。
「……佐倉、さん……」
 富美がそんな明日香に近付いて、そっと頭を抱きしめた。
 拓海も、そんな明日香を気遣うように隣に立った。
 ボクとホクトと沙羅は――――そんな一つの仲間達の姿を。
 心の空白を満たすために結成された同盟を、ただじっと見詰めていた―――。
「大丈夫だよ」
 ココが微笑む。
「あしたん達は、ホントに仲良しだったんだから。
 准ちゃんも、ふーみんも、たくみんも、あしたんも。みんな、みんなの事が大好きだったんだからぁ」
 ボクは小さく頷いた。
 相変わらず空気は冷たかったけど。
 相変わらず、朧月はふんわりと、綺麗に佇んでいた―――――。


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