2051年8月某日

 「おばあちゃーん」
 私は一番下の孫娘の声にまどろみから引き戻された。
 (まったく、なんど「おばあちゃーん」はやめなさいと言っても聞かないのよね)
 と思いつつ、血のつながりを示すこの言葉を拒否できない自分に苦笑する。
 「どうしたの」
 「あのね、あのね、『小町法』ってなあに?」
 「! だれから聞いたの?それ」
 「学校の宿題」
 「なら、秋香菜に聞いてみたら」
 「お母さんに聞いたら『おばあちゃんが造った法律だから、おばあちゃんに聞きなさい』って」
 「………」
 (秋香菜、覚えてなさい!)
 しかし、あのときを思い出すと身震する。
 結果的にうまくいったから良かったようなものの。

 
 「でも、あれが始まりだったのよね」


未来へ続く夢の道
                              あんくん



− 序章 −




 
2035年8月某日 午後1時17分 新国連総会議場


「………最後に、参考人による発言を許可する」
 新国連議長の宣言に従い、一人の女性が壇上に上がる。
「氏名の申告を」
「…事前に申請したとおり本名は明かせない。私のことは『小町』と呼んで」
「了承する。それではミズ・コマチ。発言を」

 

「私の時間は、一度停まりました。2005年のこの月に。
 ライブリヒ製薬に捕らわれた私は、それから8年間実験体として人体実験の材料とされました。」

 議場の各端末コンソール及び会場サブスクリーンに発言者の外傷情報が表示される。
 『人為的な創傷数は推定で170箇所以上。うち、可視的に判別できる(すなわち痕が残っている)場所だけでも50箇所以上。
 うち4割以上が医療用メス及び医療用レーザー、3割近くが刃物・鈍器といった「武器」に分類されるものによる傷と推定される』

 会場にもれるうめき声。

「ただ、殺され、蘇生する。毎日のように、検査と実験が繰り返される。手術室と検査室と病室だけが私に与えられた世界でした。
 詳細は語れませんが、その中で支えになった少年もいつの間にか居なくなり。私は次第に何も考えなくなりました。
 …8年後、あるきっかけが元で私はその研究所より脱出に成功しました」

「…でも、なにも変わらなかった。脱出して抱いた希望は、あっというまに消えました。身元を示すものもなく、世の中の知識もなく、昔の友人にはライプリヒの監視がついている。少なくとも食べ物と寝る場所があった分だけかえって研究所のほうがましだったかもしれません」
「それでも、私は人でありたかった。研究所では、私は実験用の道具でした。道具に戻ってまでご飯とベッドは欲しくなかった」
「だから、私は逃げ続けました。泥水をすすり、野草を口にし、人里離れた場所を転々と。または都市で、身分を偽って短期の仕事を繰り返して。でも、その生活に希望はありませんでした」
「いつの間にか私の望みは『自分の意思で死にたい』ということに変わっていきました。でも、ただでは死なない。死ぬのならライプリヒに見せ付けてやりたい。重要なサンプルが目前で失われる。ざまを見なさいと」
「そして、私はやってきました。2017年5月1日。『Lemu』へ。死ぬために」

 ざわ…さわ…。
 2034年に発覚した2017年の『ライプリヒ事件』…IBFに端を発するティーフブラウ漏洩事件。その関係者であることを直接的に発言され、さすがの外交官たちも動揺を隠せない。そのような会場に一瞥すら与えることなく、彼女は続ける。

「そこで、私は見つけました。たった一つの希望を。私の過去を知ってなお、私を受け入れてくれる存在に。初めて私は死にたくないと思った」

 わずかに緩んだ口調。だがしかし

「でも、たった7日間で、その希望はライプリヒによって奪われました」

 再び凍る空気。

「希望は海の底に沈み、私を待っていたのは、サンプルとしての私を求めるライプリヒの手先だけでした」
「再び、私は逃げました。希望を失って、いや、失ったからこそライプリヒのいいようにされる終末だけは受け入れられませんでした。」
「ただ地下に潜りただ生きているだけ。でも、そんな私に希望は一つだけプレゼントをくれました」
「あたらしい、いのちを」


「子供たちは、私の生きる全てとなりました。一緒に居る、一緒に生きている。それだけで私は昔を忘れられた。ライプリヒも、復讐もどうでもいい。子供たちと共に生きていければ他は何も要らない。私にとって幸せな日々がそこにありました」
「でも、それは2年もありませんでした。ライプリヒに捕捉され、再び逃げる日々がはじまりました」
「そして、そんな生活に子供たちが耐え切れるはずもない。そう考えた私は、断腸の思いで、信頼できる児童施設に子供を預けました」
「そんな15年間、子供たちが幸せに暮らしていることを信じて。そして、いつか一目でいいから、遠くからでいいから子供たちを見たい。それだけを支えに、私は生き延びました。…2034年5月まで」
 
『身体情報、追加。救出後手術による銃弾由来金属片摘出数17、その他人工物由来破片摘出数34』
もはや会場に響くのは彼女の声と電子機器の作動音のみ。外交官たちは身じろぎ一つできないでいる。彼女の送った逃亡生活がいかなるものであったか、ライプリヒの非合法活動がいかに苛烈であったかを痛いほど思い知らされて。

「2034年5月7日。そんな私に、二人の子供と、17年前に失った希望が帰ってきました」

 ざわ…ざわ…

「結局、私は子供たちを守ることはできませんでした。子供たちもライプリヒの実験台となり、監視される生活を強いられていました。また、最愛の人は、私のせいで、私と同じ存在となってしまいました」

 再び凍る空気。

「それなのに…、それなのに…
 子供たちは最初は泣いて、そして…次には笑ってくれました。「お母さん」と…そう呼んでくれました。会いたかったと、まっていたと、そう言ってくれました」
「最愛の人は、言ってくれました。『家族で暮らそう』と、いっ、て、くれ、まし、た…」
「そう、いって、くれ、まし、た…」
もはや嗚咽交じりの声。


「それでも、現実は、まだ厳しかった」
「明かせない協力者のおかげで私はかろうじて夫と、子供たちと一緒に生活できています。でも、戸籍は本来の関係のものではありません。本来の関係で、本当の名前で呼び合えるのは家族と一握りの親友だけ。外では、嘘の関係を語り、嘘の名前で呼ばなければければ生きていけないんです」

長い間が開く

「私は、政治のことは知りません。ライプリヒだって今となってはどうでもいいんです」
「でも、これだけは言いたいの!私は、家族と一緒にささやかに暮らせればそれでいいのよ!この人は私の自慢の夫ですって、この子たちは私には過ぎた最高の子供たちですって、そういいたいだけなの!、私たちはそんなささやかなことすら望んではいけないんですか!!!私の過去なんてどうでもいい、私が言いたいのはそういうことなのよっ!それ、だけ、な、の……」
 嗚咽ではなく号泣。もはや声にならず、流れ落ちる涙は隠しようもない。
 くず折れそうな膝を演壇に手をつき無理やり支え、何とか頭を下げる。
 あわてて飛び出してきた若い男性が彼女を支える。その助けを借りながら、彼女は段を下った。




 「…採決を取ります」
 あの演説の後では、もはやこれは儀式に過ぎない。
 棄権0の全会一致。
 「キュレイ種及びキュレイ周辺種の人権の保障及び差別の禁止、情報及び生活の保護に関する新国連憲章」及び「キュレイウィルス及びキュレイ種及びキュレイ周辺種の軍事利用及び人体実験の禁止に関する国際条約」は、事前の予想を覆す結果で採択された。
 また、日本においては、わずか5日後の臨時国会において「キュレイ種及びキュレイ周辺種の人権及び生存権の保障、情報及び生活の保護に関する基本法」及びそれに関連する17法案が超党派で提案され、17日後に全会一致で可決・成立した。
 これらの一連の法律は、新国連で演説しキュレイの未来を開いた女性「小町月海」の名を冠し「小町法」と総称される。
 人々はこう評した。
 「一つの家族を救うために、世界の良心が作った法律」と。

 この時から、新しい日々がはじまった。



あとがき

 これを書く切っ掛けですが、2034年の状況で倉成家がそのまま対外的に「家族」として生活できるのかなあと考えたことです。
 正直、無理かなと。
 でも、中編や長編を書こうとした場合、これは障害にしかならないと感じました。ほのぼのや、キュレイウィルス考察の系統のSSだと特に。
 というわけで、キュレイ種が「法律的にも人間として存在できる世界」を設定できないかなと考えて書いたのがこれです。
 ちなみにドラマCDは見てないので、もしかしたら黒歴史になってるかもしれませんが(汗)

 一応、長編の予定ですが、メインより脇道と解釈重視でと考えています。
 作者はハッピーエンド至上主義者ですので、そちらはご安心を。
 あとTTLLベースになる予定ですので、優春の方々すみません。

 最後に、初心者の見苦しいこんなSSを最後まで読んでいただいて有難うございます。


 2006年2月13日 あんくん


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