2035年10月8日 午後3時17分 田中研究所 所長室 「想像以上に、キュレイ種って精神状態が体調に反映されるわねえ」 秋の午後の昼下がり。 応接デスクに広げられた検査データを斜め読みしながら、優は呟いた。 「そんなものなの?」 優の真向かいに座ったつぐみの問いに、優は頷いた。 彼女たちの前には、湯気を立てるコーヒーカップとお茶請けのケーキ(の残骸)。既に大型のケーキ用テイクアウトボックスは空になっている。裕に10個以上は入るはずのが、だ。 −キュレイ種の特徴としてさまざまなものがあるが、その中で女性にとって非常に美味しい事項として効率的な糖代謝体系が挙げられる。 人体におけるエネルギー源の貯蓄手段として代表的なのが肝臓のグリコーゲンと体脂肪細胞であるが、キュレイ種は肝臓のグリコーゲンの貯蓄能力が段違いに高い。 さらに、脂肪細胞にも変異が認められ、脂肪のみならずグリコーゲンも貯蔵できるようになっている。肝臓の細胞に近い性格を有しており、これがキュレイ種の解毒系能力の向上にも一役買っていると考えられている。 もともと、グリコーゲンのエネルギー化効率は脂肪に比べて良い。キュレイの余剰エネルギー貯蓄体系がグリコーゲンに偏っているのは、外傷や病原体に対する抵抗や回復に必要なエネルギーを早期に確保するために必要である為だと考えられている。 結論として、身体の保護及びいろいろと必要な部分(お願いだから詳細は聞かないの!!By 優)の脂肪は速やかに回復するものの、それ以外の余剰エネルギーはほぼ全てグリコーゲンに変換される。 …前置きが長くなったが、ぶっちゃけた話が、『キュレイ種は、非常に太りにくい種族である』 甘いものをいくら食べても太ることはほとんどありえない。そのくせ、怪我なんかで失った必要な部分の脂肪は高速回復するのだからたちが悪い。グリコーゲンの関係で若干体重変化自体はくせがあるが、まずプロポーションが崩れるなんてありえない。文字通り女性にとって非常に便利かつご都合主義にしか思えない能力である。 実際、ユウがこの事実を知ったときの一件は、田中研究所においては絶対に触れてはならない黒歴史の一つとなっている。もっともその件によってホクトが田中研究所に非常に好意的に受け入れられることとなったのだから、ある意味必要な儀式だったのかもしれない。 …しかし、だ。勘の良い方は解るかもしれない。このことは、優のある悩みが永遠に解決されないであろうことを暗示していると− 「むうーーー!!!」 「?どうしたの」 「え。あ、なんでもないの。理由はわからないんだけどイヤな感じがしたんだ。なんか、すっごく失礼な事言われたときみたいな」 「???」 「ごめん、本題に戻るわ。つぐみも、倉成もなんだけど、新国連の一件以来すごく体調データが安定しているの。それこそ理想的な健康状態の見本みたいな数字。その前は、結構数字にばらつきがあって心配させられたものだけど」 「皮膚状態も?成層圏を超音速飛行したり、結構無茶やったから。紫外線のこともあるし」 「もーお、つぐみってば心配する所がそこなのねー。ああ、恋するオンナは違うわねーうりうり〜♪」 悪戯っぽくつぐみの額を指で突っつく優。一昔前ならありえなかった光景。 「だーいじょーぶ。のーぷろぶれむ!若いお肌の見本にしたいくらい安定してる…安心した?」 「ええ、あのUV遮断クリームのおかげもあると思う。最初のころの試作品は酷いものだったけど、今のは完璧な出来ね。お蔭でこんな日中でも出歩くことが出来る。本当に感謝するわ、優」 「―――――」 「優?」 「―――――」 「優、優ってば、どうしたのよ!」 突然、上の空になった優に狼狽気味のつぐみが声を掛ける。 思わず肩をつかみ、揺すぶる。 「あ、つぐみ?」 「って、いったいどうしたっていうのよ。私、なんか問題になるような事、言った?」 「…そろそろ、潮時、か…」 「えっ、優、今、なんて言ったの?」 優の面立ちに、陰がよぎる。「田中先生」と呼ばれ、ぱっと見大人の女性に見える、しかし、その実感情を殺したもう一人の優の顔。 つぐみが、最も嫌う顔。 「ねえ、つぐみ…」 「何よ!」 「最初の試作品使ったときの事、覚えてるかな?」 |
未来へ続く夢の道 −幕間2 優しい嘘− あんくん |
「何を、言い出すのよ」 「最初の試作品。酷い出来、だったよね?」 「ふん、思い出したくもない。カーテン開けた直後に全身に激痛が走った。部屋中転げまわって苦しんで、家中大騒ぎだったわ」 秀麗な顔を歪めて、つぐみが吐き捨てる。 「その後、倉成が怒鳴り込んできたときは本当に驚いた。説得するのに苦労したわ、ホント」 内容とは裏腹。表情一つ変えず、優が応じる。 「自業自得ね」 「でもね、それで確信しちゃったんだ。真実を」 「?!」 「つぐみ、『プラシーボ効果』って、知ってる?」 恐怖の無表情。この時のつぐみの表情はこう表現するしかない。 つぐみを知る人々は、この表情を見ただけで即座に逃げ出すであろうそんな貌。 それでも、優は、「田中先生」は、表情一つ変えもせず、 「答えて。知っているの?知っていないの?」 「知ってる。…『偽薬効果』。まったく薬効が無いものを薬と偽って使用させた場合に、あたかも薬が効いたみたいに症状が改善すること。…これで間違ってないわよね」 「私が何を言いたいか、もう分かったでしょう?」 「――――」 「最初の試作品。既に特許、取ってるの。紫外線、UV−A、B、Cはシックスナイン(99.999999%以上)レベルで遮断、X線でさえ9割以上を遮断できる。現在、塗布素材としてこれ以上の紫外線領域遮断能力を持つ製品は存在しない。人体に接触しない範囲で使用する分には最高の品物なのよ」 「なん、ですって」 「ただ、サピエンス種がスキンクリームとして使用するには副作用が強すぎた。それで工業用に特許取ったんだけど、キュレイ種、しかもパーフェクトキュレイならなんとかなるかもと思って、つぐみに渡してみたの」 「で、思った以上の副作用が出たと。たいした科学者ね」 「いいえ。副作用は出なかった」 「!ふざけてるの?!」 「あの試作品、サピエンス種が使うと大体1時間以内に猛烈な痒掻感に襲われるの。皮膚細胞にかゆみを感じさせる物質が大量に出来てしまって、ね。私が試したときは、大したことはなかったけどやっぱりかゆみは出たわ。でもね、それでもね。 『カーテン開けた直後に全身に激痛が走る』なんて副作用だけは、絶対にありえないの。 あの後つぐみを洗浄したときに回収したクリームの成分はまったく変わっていなかった。だから、あの時、つぐみがカーテンを開けたとき」 「つぐみは紫外線を、一切浴びていない」 秋の陽光も、この部屋を暖めてはくれなかった。 暖かさを失った部屋。 それでも優は、言葉を紡ぐ。 「これで確信できた。つぐみは紫外線に耐性を持っている、とね。 大体おかしいのよ。つぐみのキュレイウィルス由来のCp53遺伝子を共有している私達が日中自由に外を出歩けて、つぐみだけ外に出れないなんて。紫外線のダメージ回復がp53に拠っているなら、私だって日中外には出歩けないはず。 精神が肉体に色々影響を与えることは知られているけど、キュレイ種はその傾向が顕著なの。 だから、私は確信した。これはライプリヒによる『摺りこみ』だと、ね。」 「………」 「卓越したキュレイ種の身体能力なら、それこそ研究所程度なら脱出は容易な筈。だから、キュレイ種に対する誤った知識がつぐみに伝わるように奴等は仕組んだ。日のあたる場所、人間の領域にはお前は帰れないと。つくづく最低な奴等だわ。有利な摺りこみ事項なんて山ほどあったでしょうに、よりによって『日のあたる場所』を選ぶなんてねえ」 「………」 「当時、心を失っていたつぐみはそれを信じてしまった。 結果として、日光に当たると、細胞そのものが自家中毒反応−まあ、強力なアレルギーって言ってもいいわ−を起こすようになってしまった。精神由来のね。サピエンス種でもありうることなのよ、これ。こんなに極端な形は聞いたこと無いけど」 「………」 「というわけで、ここからは精神医療や心理学の領域。信頼できる専門家に相談しながら、つぐみに『紫外線は平気』って思うように仕向けたわ。少しずつ成分を変えた試作品をつぐみに渡して、試作品を改善する振りをして。実際、少しずつでも『紫外線は平気』って、思うようになったでしょ?」 「………」 「で、今日がその総仕上げ、ってわけ。つぐみが今使ってるクリームね、色を誤魔化す為に天然色素を添加してあるけど、成分は最初の試作品と全く一緒。だから、副作用なんてないの」 「………」 「つぐみがね、嘘が大嫌いだって事、私知ってる。軽蔑してもいいわ。嫌いになってもいいわ。絶交だって言われたってしょうがない。 でもね、それでもね、私はね、私はね、 つぐみには、カーテン締め切った暗い部屋で独りで居て欲しくなかったの。 つぐみには、日の当たる道を歩いて欲しかったの。 私、嘘つきだから、信じてもらえなくて当然だけど。それでも、 それだけは、信じて貰いたい、の」 遂に剥げ落ちた仮面。優の顔に最早「田中先生」の貌はない。 広い部屋に、ただ響く嗚咽の声。 優しさゆえに、傷ついて。 それでも、優しさゆえに嘘を吐くしかない。 田中優美清春香菜。18年前から変わらない、仲間思いの女の子がそこに居た。 ふぁさっ 「え、つぐ、み?」 背中にかかる微かな重みに、戸惑う。 後ろから回された手。 優しく、抱きかかえるように回された腕。 「あきれ返るくらい、不器用。そんなだから、武を私なんかに盗られちゃうのよ」 「でも、でも、つぐみ、嘘、嫌いよね。嘘吐いたら、容赦しないじゃない」 「ええ、大嫌い」 「そう、だよね…」 「私、嘘ばかり吐かれてた。 私を騙すため、私を利用するため、私を従わせるため。ありとあらゆる嘘を、吐かれた。 私が出会った人って、そういう嘘つきばかり。だから、人間なんて信じられなかった。 私に嘘を吐かなかったのって、武ぐらいのものよ」 「…うん。私も、嘘つき、だもんね」 「だけど、優みたいな嘘つきにもね、出会った事がなかったの」 「?」 「優しい嘘って、吐かれた事無かった」 「えっ………」 涙目で、見上げる。 「私の為に傷ついて、それでも私の為に嘘を吐かずに居られなくて。そんな思いで吐かれた嘘なんて初めてだった。 そんな哀しい、そして優しい嘘を吐いてくれる人なんて、私には一人もいなかった。 そんな優しい嘘、嫌いになれる訳、無いじゃ、ないの………」 「つぐ、み?」 「軽蔑できる訳無いじゃない!嫌いになれる訳無いじゃない!!まして、絶交だなんて言える訳無いじゃない!!! あんな優しい嘘、吐いてくれる人、私、失いたくない!!! だから、お願い。あんな事、二度と言わないで―――」 響く嗚咽。 先ほどと何も変わらぬ広い部屋。 でも、 今差し込む秋の陽光は、どこまでも暖かだった。 − To be Continue − |
あらかじめ、お知らせを。 今回の後書、ちょっと長いです。そして、かなり卑怯です。 それをご承知の上、お読み下さい。 この連載を書くにあたり、E17の本編原作の設定を動かすつもりはありませんでした。さまざまな考察も、原作の設定の範囲内で行ったつもりです。(CDドラマは例外。聞いてないものの設定を守れるわけないし、それに評判悪いみたいだし) しかし、真面目に生化学的な考察をすればするほど、おかしくなって来るのが『つぐみが紫外線に弱い』という一点。このHPの考察記事の中にも同様のことを仰る方がおられました。 さらに、本作のコンセプト「つぐみたちに日の当たる未来を」という点でも正直重荷になりつつありました。 それでも折り合いをつけてなんとか書いていこうかななどと考えたのですが… ある日、そんな甘い考えなど木っ端微塵に吹き飛ばされてしまいました。 私、あまりテレビは見ないほうなのですが。たまたまつけたチャンネルで放映していたのは、 「実際に、紫外線を浴びることの出来ない子供達」のドキュメンタリーでした。 閉め切られた暗い室内。科学防護服じみたお手製の紫外線防護服。保育園で、外で遊ぶ子供達を眺める姿。 夜遊ぶ子供達の中に友達の姿はなく。遠足の前、雨を願って逆さまにしたてるてる坊主をさげて。 そんな中でも、前を見据えて進む親子。 それでも、遺伝子異常の先天症ゆえに治療法はなく、すこしでも進行を食い止めるのが精一杯という残酷な現状。 現実の前に少々の空想など無力であるということを、思い知らされました。 そして、この姿を倉成一家に当てはめて、それが「日の当たる未来」といえるのか? いくら考えても考えても、出てくる答えは「否」の一文字でしかありませんでした。 結果的に『紫外線に弱く、昼間外に出れない』という設定だけは、このような形で外す事を決意しました。 批判は覚悟の上です。 それでも「太陽の下を歩む倉成つぐみ」を受け入れてくださったら、ありがたいと思います。 上記のような理由で、ほのぼのシリアス(かなりシリアス強めですが)の幕間話になりました。 ほのぼの微シリアスで書こうとするのに、シリアスが強くなるのが私みたいです。困ったものだ。 あと、ウチのつぐみんもなっきゅも、どんどん優しい性格になってきてる気がします。作者が言うのもなんですが。つぐみんのそれは予定通りですが、正直なっきゅのそれは予定外です。でも、なんだか作者的にツボなので、多分このままでいくと思います。 次回は、ちょっと、趣向を変えました。受け入れてもらえると良いなあ。 こんな徒然話に最後まで付き合ってくださり、有難うございました。 2006年 |
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