社団法人 田中研究所。


 解体された旧ライプリヒ製薬より独立した医療及び民生技術の研究所である。
 

 ライプリヒ時代と比較して研究員数自体は減少した。しかし、ライプリヒの体制を嫌って下野していた、能力とモラルを併せ持った研究員が多く入所したため研究成績はむしろ向上している。
 特に、最近においては民生技術の研究成果が素晴らしい。
 あまり有名ではないが、紫外線遮断素材の研究においては世界最高の技術を有する。現在の所長が就任してから研究された分野にもかかわらず、この分野の特許使用料のみで研究所の研究資金が賄えるほどである。

 あと、旧Lemuにおいて運用されていた最高級AIシステム「空システム」の運用を引き継いだ事でも知られている。
 この時代においても自律型AIシステム技術は発達途上であり、この分野の研究に対する援助者を探すのに苦労する事はない。

 このように、田中研究所はそれなりの知名度とそれなりの資金力を有した健全な研究所として、一部の研究者にとって知られた存在である。
 逆に言うと、一般人の知名度はほとんど無いに等しかった。



 だが、一通の封書が全てを変える。



 2036年3月22日。

 優は全てのスケジュールをキャンセル。空と共に飛行機上の人となり、

 桑古木はNo.2としての権限を行使して研究所全職員を緊急招集したのである。




 
未来へ続く夢の道 −本編9 トライタワー −
                              あんくん




 


 2035年3月22日(土) 午後3時17分 新国連34F NUNCPC第2会議室




「優さん。時差ボケ、大丈夫ですか?」
 時差-14時間の場所へ、きっちり14時間で飛んできたのだ。
 出発日時と到着日時が一緒という体験は、滅多にできる事ではない。
「寝てたから大丈夫。それにしてもF/C22NUNってとんでもない機体ね」
「基本性能はそのままで、ウェポンベイをVIP席と増槽に割り当てていますから。エンジンもより高性能・低燃費の物に置き換えているそうです」
 そんな会話を交わしつつ、指定された会議室の扉を開く。
 そこには、



「久しぶりだね、優ちゃん」



 懐かしい、そして絶対にこの場に居る筈の無い人物が居た。






 2036年3月21日(金) 午後3時17分 新国連安全保障理事会会議場



 時は丸一日遡る。

 この日、会議場において、非公開の新国連安保理総会が開催された。


「フェイブリン委員長。君は、我々EU諸国を愚弄するつもりかね?」
 ヨーロッパの盟主を自認する、老大国の代表が荒々しい口調で詰問する。
「はて、愚弄するとは何のことでしょうか?私は、貴国は勿論の事、欧州諸国に対して批判的な発言をした記憶は無いのですが」
 この席に居並ぶ面々の中では最も若輩に見える男性が、涼しい顔で応じる。
「ならば、この案はいったい何事かね。一箇所はアメリカ合衆国、もう一箇所は日本。この二箇所は理解できる。
 だが!
 なぜ残りのもう一箇所が日本なのだ!地域のバランスからも、技術水準からも、最後の一箇所は我々EU諸国の内から選抜するのが道理であろう?」
 欧州の理事国代表から、賛同の声が上がる。

「勘違いをなさっていらっしゃるようですね。今回の案の主眼点は、キュレイ種およびキュレイウィルス株の拡散防止にあります。
 三箇所しか指定しない事、その三箇所の所在地に偏りのあるのはそのためです。
 たまたま、日本とアメリカに目的の施設があっただけのこと。その点は理解していただきたい」
 頬杖をつき、淡々と答弁する。
「委員長は最初にこう発言された。
『二箇所は、ここ以外に選択肢は存在しない。もう一箇所をどこにするか、それだけに議論の余地がある』と。
 アメリカ合衆国のケヴィン研究所は、当然であると理解できる。
 日本の守野研究所も、容認できる。悔しいが、遺伝子研究及びクローンの研究水準は世界一。さらに、倫理観の高さ、人権への配慮も十分と言えるだろう。
 だが、最後の一箇所は、我々は容認できない。
 我々欧州諸国が誇る名だたる遺伝子研究所群を押しのけてまで、なぜこのような研究所をキュレイ研究機関として公認するのだ?」
 この声に、欧州ばかりではなく、他地域の理事国代表も賛意を示す。

「失礼した。先に、説明しておくべきでしたね」
 それでも、表情も、口調も、全く変わらない。
「選択肢の無い二箇所は、『ケヴィン研究所』及び

 『田中研究所』だ。

 其処の所、勘違いされておられるようだ」


「「「「「!!!」」」」」


 声にならない声。およそ予想の外にあった答えに、二の句が出てこない。
 ポーカーフェイスは外交官の基本的スキルであるが、この場では驚きを隠せる者のほうが少なかった。

「理由の説明を要求する。トム・フェイブリンNUNCPC委員長」
 あえぐ様に、新国連安保理議長が発言する。
「承知した。
 なに、簡単な事だ。この二箇所の対して我々が出来るのは、研究を許可することではない。
 事実を追認し、我々及びノア計画への協力を要請する事だけだ。
 『田中研究所』は、最初からキュレイの為に、キュレイを研究する研究機関として存在する。だから、ここを外す選択肢など無い」
 あくまで表情に変化なし。この議場において、唯一変化を持たない男。
 外交官達は、不覚にもこの若輩一人に気圧されている。

「詳細な事実は、じきに分かるだろう。田中研究所の研究成果は、部分的にはケヴィン研究所を凌駕していると想定されている。
 『守野研究所』を残りの一箇所に選んだのは、『田中研究所』の監視の為でもある。
 日本国の代表殿にお聞きする。貴国は、ノア計画の参加に際し、参加各国に技術協力を行う旨を表明された。
 その点、誤りはありませんね?」
「事実だ」
 初老の外務官僚は、苦虫を噛み潰したような表情で応じる。
「我がNUNCPCも、ノア計画への協力を正式に表明している。キュレイ種の計画への協力もその中に含まれる」

 状況を飲み込むにつれ、理事各国の代表の顔に生気が戻っていく。
 日本代表だけが、先ほどの表情のままだが。
(ポーズ、だな。案外食えないものだ)
 この件で最も収穫を得たのが日本であることも、また事実である。

「議長。質問が無ければ、これで説明を終わりたいのだが?」
「了承する」


 30分後、NUNCPCより提案された議案は新国連安保理において可決承認。翌日、正式に発表される事が決定した。




 2036年3月21日(金) 午後5時17分 新国連本部 NUNCPC委員長室



「取り敢えず、第一段階終了といった所かな」
 会議場に居たときと全く変わらない姿。デスクに頬杖を付き、トムは一人ごちた。
「田中優美清春香菜って言ったかしら、あのときの彼女。怒り狂う姿が目に浮かぶわ」
 デスクに片手を付いた女性が応じる。
 緩やかなウェーブのブロンドヘア。顔の造形やプロポーションは並みの女優を凌駕する。
だが…その表情には、ついぞ暖かさというものが無い。
「彼女とて、今日の事は覚悟の上だろう。嫌われこそすれ、怒られるとは心外だ」
 わざとらしく、笑ってみせるトム。
「相変わらず、私すら騙せない嘘を吐くのね。
 よりによって二つの聖域両方に土足で入り込まれては怒らない方が希よ。
 完全に、彼女を敵に回したわ」
 女性も合わせるように、わざとらしく笑ってみせる。
「構わないね。嫌われ、憎まれるのは慣れているよ。
 それにジュリア。君は間違っている。
 彼女は、キュレイ種の敵には絶対回らない。いや、回れないというべきか。
 だから、彼女は敵ではない」
「研究所まるまる一つ、質に取って言う台詞がそれ?
 相変わらずそういうやり方しか出来ないのね、貴方って」
 お互い、笑いは冷笑へと変わる。
「まあ、彼女がそう思うのは勝手だからね。
しかし、こうやって鈴をつけておかないといざという時、双方困るだろう?」
「…否定はしないけど。でも、やりようはあったはずでしょうに?」
「憎まれ役っていうのは必要なのさ。理性では正しい、でも感情的には大嫌いって存在がね」
 唇を歪めて笑う。笑いというより、自虐。
「聞き飽きた、その台詞。たまには気の利いた台詞ぐらい用意しなさい」
 こちらは冷たい目で見下ろす。
「気の利いた台詞を持たないのはお互い様だね」

「そうね。だからこんな陰険男と結婚する羽目になったわ」
「そうだ。だからこんな可愛げの無い嫁を貰う羽目になる」
 
 二人の目が合う。

「…初めて、意見が合ったな?」
「まったくね」
 お互い、含み笑い。
 この会話の中で、初めて感情が見える。そんな笑いだった。


 


 2035年3月22日(土) 午後3時17分 新国連34F NUNCPC第2会議室




「茂蔵おじちゃん…何でここに居るの?」
「ははは、懐かしいね、その呼び方。この歳でそう呼ばれるとは思わなかった」
 初老の顔を綻ばせ、室内の男性が笑う。
 守野茂蔵。遺伝子学の世界的権威。同時にクローンの保護にも尽力し、化学者の中においても人格者として知られる。
 言わずと知れた、守野研究所の主である。
「小さいユウちゃんの方は元気かい?ウチでアフターフォローをしていないものだから、気になっていたんだ」
「元気です。…もう、私が死ぬはずだった歳を越してしまったわ」
 喜びと、憧憬と、悲しみと、困惑。
 本来同居するはずの無い感情を抱いて、優は、立ち尽くす。
「まずは、部屋の中へ入りなさい。話は、それからでいいだろう」
 そんな彼女に、守野博士は優しく声を掛けた。


「防音、防諜、オールグリーン。室内環境はプライベートモードに固定されています。この室内の映像や会話は、監視システムには入室者の許可が無い限り送られる事はありません」
 空が、室内のセキュリティを確認する。
「ありがとう、空。あの陰険坊やの事だから、隠しマイクの一つや二つあってもおかしくないと思ってたけど」
 いつもの調子で言ってしまってから同室者の事に思い至り、はっと口を押さえる。
「陰険坊や、とはトム君のことかね?ははは、優ちゃんらしいネーミングだ」
 にこにこと笑っている守野博士。娘みたいに可愛がっていた存在に再会できた喜びを隠そうとはしない。
 優も、思わず笑い返しかける。が、必死にそれを止める。
 彼女とて、尊敬し敬愛する恩人との再会が嬉しくないわけがない。だが、それでも。
 今は、「優ちゃん」ではなく「田中研究所の所長」でなくてはならない。


「守野博士。どうしてこの部屋に、来てしまったんですか?」
努めて冷静に、聞いた。


「簡単だ。君達、そして自分達の為だ」
表情は変わらない。だが、その目は有能な指揮官のそれだった。


「日本が真っ先に『小町法』を受け入れた。その理由に疑いを持つ輩も少なくない。ミズ・小町の存在がその疑問を長らく押さえ込んできたが、時間が経ち、冷静になるほど疑う材料に事欠かなくなるだろう」
 淡々と語る。
「しかし、博士」
 空が、口を挟むが、
「茜ヶ崎 空さん、だったかな。あなたの言いたい事も分かる。恐らく、真実はそちらだろう。私もそう信じたい。
 だが、この場合真実はどちらでも良いんだ。状況証拠が下世話な推論を作り上げる。その事が問題だ。『日本政府が、キュレイ種に関する情報を独占しようとしている』という噂が後を絶たないんだよ。悪しき前例があるからね」
「アメリカ合衆国と、ケヴィン研究所の例ですね」
空の指摘に、守野博士は頷く。
「『ノアプロジェクト』という大きな枠を持ち出したことで、アメリカ合衆国もキュレイ種の独占を断念することになった。
 こんな状況で、田中研究所の実態が表に漏れたとしたらどうなる?」
 考えるまでもない。田中研究所を傘下に収めようとする多くの勢力と争わなければならなくなる。日本政府ですら、敵になるかもしれない。
「トム君はやり手だね。そこいら辺を全部分かった上で、先手を打って『田中研究所』を公認研究機関として不可侵のものにしようとしている。まあ、正直やり方は気に入らないだろうけど」
 ここで言葉を切り、優をじっと見る。
「守野博士。私の質問にまだ答えていない。お願い、答えて」
 必死に言葉を繕う。そんな優の姿を優しく見ながら、守野博士は、言葉を繋ぐ。
「トム君のほうからコンタクトしてきた。『田中研究所を表に出すに当たって、監視役として守野研究所をキュレイ種研究機関に指定したい。貴方ならば、彼女達を悪いようにはしないはずだ』とね。…もう一つの事情も、もしかしたらトム君は知っているかもしれないね」
 にこりと笑う。
「!!!
 茂蔵おじちゃん、その話はまだ…」
 先ほどとは比べ物にならない狼狽。優の口調が、昔のそれに戻っている。
「トム君は、そういう事情抜きで守野研究所がキュレイ種やノアプロジェクトに関係できるようお膳立てしてくれた。いざという時にも対応できるようにね。
 だから、私はここに来た。君達の為、そして自分たちの為に」
 節くれだった手を伸ばし、優の頭をわしゃわしゃと撫でる。
「優ちゃんは何でも出来るから、全部背負い込もうとするね。
 たまには、年長者や同輩に頼ってもいいと私は思うよ?」



      ―「ったく。優は何でも出来るから、そうやって全部背負い込んじまう」



 (!!!)
 思わず真っ赤になってしまう優。

「どうしたんですか、優さん?」
「優ちゃんどうしたね?」
 不思議そうに見やる同席者二人。

 深呼吸し、平静を取り戻そうとする優であった。





 シリアスな話は終わった。
 この場に来るであろう最後の一人、ケヴィン博士は遅くなるとのこと。
 彼を待つ間、優と守野博士は昔に戻ったようにユウや家族の話に花を咲かせた。
 守野博士は空にも興味を抱いたようで、その為空も会話に参加しとても和やかな場となった。
 だから、空は思い切って聞く事にした。

「守野博士。博士は、キュレイの事、何も驚きにならないんですね」
「空!失礼じゃない!」
 予想通り、優が制止する。

「優ちゃん、構わないよ。いつかは答えなきゃならない質問だからね」
 手を振って、守野博士は何でもないように答える。





「簡単な事だよ。私は、ずっと前から優ちゃんがキュレイ種だという事を知っていたんだ」
 




3月23日(日)午前8時00分 田中研究所大会議室




「状況は、今説明したとおりだ。秘密裏に県警への協力要請は完了している。今日はこの研究所にとって最も長い一日になるだろう。
 各人、指示通り頼む。
 それでは、解散…ああ、倉成君は残ってくれ」

 桑古木の声を合図に、各人持ち場へと散っていく。
 彼ら・彼女らの顔には、例外なく緊張の表情。

 そんな姿を横目に見ながら、桑古木は武を従えて、大会議室を出た。
 目指すは3F。この研究所の機密ブロックである。



「武、すまない」
「気にすんな。公私の別くらい弁えているつもりだ」
 武を理想視し、憧れていると言ってもいい桑古木である。
 公的には上司とはいえ、武を部下として使う事には今でも慣れないでいる。人生経験という意味では、桑古木の方が武よりも上である。しかし、原点というものは忘れられるものではなく、今でも桑古木は武を目上として接していた。
 そんな桑古木に対し、武は私人としては対等の友人として、公的には忠実な部下として接している。そんな姿に桑古木が感動し憧れを強くする。
 二人は、そんな関係だった。



3月23日(日)午前8時17分 田中研究所3F中央電算制御室


「武には、ここの警護をお願いしたいんだが、駄目か?」
「ちょっと待て、涼権。ここまで来るのにいくつセキュリティがあると思ってる?ここまで来るのは普通は無理で、そこに俺を配置する理由なんてどこにあるんだよ?」
…桑古木は、ブリックウィンケル計画に際し徹底的に武と同じ立ち振る舞いを出来るように努力した。結果、武の言動がそのまま染み付いてしまい、傍から聞いているとどっちがどっちだか分からない。それ故、会話の際には相手の名前を呼ぶ事が習慣となった。
「実は物理的な意味は殆ど無いんだ、武」
「あんだって?」
 あっさりと返され、武はあんぐりと口を開ける。
「武に期待しているのは別の事だよ。中に入れば分かるから」
 ごく希に見せる、昔の『少年』の頃の口調。
 そのまま、セキュリティを解除し、桑古木はドアを開けた。


「あれ、パパ。どうしたでござるか?」
「武、この忙しいときに何しているの?」
 聞きなれた声。

「なんで、つぐみと沙羅がここにいる?」
 制御室のオペレータコンソールにつぐみと沙羅が並んで座っている。彼女達の前には、大型スクリーンと十面以上のサブスクリーン、各種のインターフェイスユニットが配置されていた。
「優さんから頼まれてアルバイト」
「私は沙羅の手伝い。コンピュータの事になると、私じゃ沙羅にはとてもかなわないから」
「またまたー。ママ、謙遜してる。並のクラッカーじゃママの練習相手にもならないのに」
 能天気な返事(少なくとも沙羅は)。思わず武は頭を抱えた。


「涼権、どういうこった?なんでこうなる!」
思わず隣の桑古木に噛み付く。
「世の中いい人たちだけじゃないって事だ、武。恐らく、今日ここはサイバー戦の戦場になる」
 真顔で答える。
「…話が見えないんだが?」
「『小町法』は情報保護に最も重きを置いて編纂されているが、それでも穴は有る。
 仮に情報を奪ったとする。いかなるウェブサイトにおいても情報の公開をすれば強力な処罰やペナルティが待っている。が、情報を公開さえしなければデータの入った端末を押さえない限り処罰する事は難しいだろ?
 単独侵入なら特定されやすいが、横の連絡の無い大勢の中の一人となって情報を奪えばそこから先の追跡は難しい。
 だから、今日みたいに黙ってても大勢がうちのWWWサーバにアクセスしてくる日は又とないチャンスに見えるだろう。まして、うちは初物だからな。功名心に燃える、無駄に有能なクラッカーどもが大挙押し寄せてくるだろう」
「桑古木さん、それって誇張してる。今日は超一流のクラッカーは出てこないと思うよ?」
 沙羅が、こちらの会話に割り込んで来た。
「まあ、確かにそうだが。それでも、格落ちとは言え一流のクラッカーやその紛い者が出てくると思うぞ。物量作戦だが侮れないな」
「う〜ん、それはあるかも。でも、空さんが組んだシステムだよ。その程度のクラッカーに破れるとは思わないよ」
「このシステムは、過去サイバー攻撃のターゲットにされた事が無いからな。幾らカタログスペックが優れていても、実戦に投入されていないものは信頼できない」
「その為に沙羅とママがいるんだから。大丈夫、任せてくだされ」
 いつの間にか、武そっちのけでかなり際どい話をしている桑古木と沙羅。
 やけに専門的な話になってきている。
「それなんだが。沙羅ちゃん、つぐみ、優からの伝言だ。
『今回はハンデ戦。本番前の遊びに手の内は晒しちゃ駄目。Cランクの対抗手段は自動プロテクトも含めて使用禁止。Bランクまでで何とか対抗して。
 あと、最後は許可した手段の範囲内で派手にやって頂戴。何事も最初が肝心だからね』
ということだ。
 この部屋の警護は武に任せるから。後ろは気にせずぼちぼちやってくれ」


「「「………」」」
武、沙羅、つぐみ。三人顔を見合わせる。
「ハンデ戦で最後は派手に、かよ。実に優らしい無茶っぷりだな」
「まあ、この程度のハンデは当然でござる。沙羅の力見せて進ぜよう」
「…沙羅、その妙な言葉遣いは直しなさい」
 


 こうして、裏口の配備も決まった。


 
 あと30分強。
 現地時間2036年3月22日午後7時00分、日本時間2036年3月23日午前9時00分。
 そこから、田中研究所の新しい歴史が始まる。







 2036年3月22日(土)午後7時17分(現地時間) 新国連共同記者会見場



「…以上の理由により、新国連安全保障理事会、世界保健機構、新国連キュレイ種保護委員会の三者の権限により、グリニッジ標準時2036年3月23日午前0時をもって
『ケヴィン研究所』『田中研究所』『守野遺伝子学研究所』の三箇所をキュレイに関する研究機関として公認します。
 また、それに伴い、この三箇所以外でのキュレイに関する一切の研究を禁止します。
 違反した者は通称『小町法』の規定にのっとり厳重に処罰される事となります。これは、新国連加盟国政府も例外ではありません。

 以上で新国連キュレイ種保護委員会(NUNCPC)よりの声明発表を終了いたします。

 本声明への質問事項は代表質問のみで受付け、午後9時よりの会見にて回答いたします。なお、それまでは関係者への取材・質問等は一切禁止です。質問締め切りは午後8時まで。質問数は質問者一人当たり3つまでとします。
 午後9時までは、出席者の休憩及び質問事項への回答の取りまとめ時間とさせて頂きますのでご了承下さい。
 それでは、ここでいったん共同記者会見を中断させていただきます」

 NUNCPC委員長主席補佐官兼報道官ジュリア・フェイブリンの声明文発表が終わった。

 2035年8月の一件より、NUNCPCの動向は報道機関各社の注目の的となっていた。
『小町法』により事実上、関係者への直接取材、及び報道は禁じられている。そんな現状においては、NUNCPCが唯一のキュレイ種と報道機関の接点となっていた。
 それ故、共同記者会見場には世界各国の名だたる報道機関の記者が揃っていた。

 彼ら彼女らの注目は、やはり優と空に集まっていた。
 他の二つの機関は元々世界的に有名である。
 「ゼロキュレイ」トムと「ファースト・キュレイ」ジュリアを有し、キュレイの発端である『ケヴィン研究所』。
 世界最高峰の研究者が集う遺伝子学の領域にあって、世界最高の技術とクローン保護に代表される人間としての倫理観を併せ持ち、一種の理想とまで謳われる『守野遺伝子学研究所』。
 それに伍する第3のキュレイ研究機関。
 事実上ノーマーク。民生技術及びAI技術においては一定の知名度を有するものの、キュレイと全く関連性を見出せない市井の一研究所がキュレイ研究機関として指定された事実。

 それほど鋭くない者でも、恐らく簡単にある結論に達する事だろう。

 
 そして、その結論は…
 




 2036年3月23日(日)午前9時00分(日本時間) 田中研究所3F所長室



「すまないが、K新聞の主筆に連絡をとってくれ。まず彼を代表として独占インタビューに応じる。その後、共同記者会見に臨むとな。
 理由?共同会見を円滑に進める為とでも言ってくれ。共同通信連合との折衝は向こうがしてくれるだろう。…よろしい、その線で進めてくれ」

 桑古木は、ヴィジホンのスイッチを切った。
 新国連の会見スケジュールは既に機密回線を通じて送付されて来ている。

 残念ながら、現在においても日本の報道機関の報道姿勢はあまり変わっていない。
 一斉に押しかけて、マイクを押し付けて分かりきった事を質問する。
 そんな彼らへの対応一つで今後のキュレイへの報道各社の基本姿勢が決まるといってもいい。今日は、この研究所にとって運命の一日。
 守野研究所はプレス慣れしているので大丈夫だろう。
 正に、命運は桑古木の双肩に掛かっているのだ。


「ふん。対ライプリヒの工作や優のわがままの後始末に比べれば、この程度どうでもない」
 あえて強がる。
 もっと重い責を負って、遠い新国連特別区で優が頑張っている。
 そんな中で、留守居の自分がへこたれてどうする。武なら、絶対に折れない。
「さてと、それじゃお仕事、お仕事っと」
 彼流の気合付けと共に、桑古木は所長室を出た。




 2036年3月23日(日)午前9時17分 田中研究所3F中央電算制御室




「呆れた。下手するとマスコミより早いんじゃないかしら」
「この手の輩は情報が命だから、捕捉が異常に早いんだよね。…もっとも、戦術も練らないで勝てるほど私は甘くないんだから」
 いつものござる口調は影を潜め、目は目まぐるしく変わっていくスクリーン画面を追い、手はすごい勢いでコンソールを叩く。
 普通、一日1000ヒットもすれば上出来の研究所公式HPのカウンターがすごい勢いで回転していく。この中の内、どれだけが悪意を持つ者たちか。それはまだ分からない。
 故意に表の回線を細くしてダウンロード制限をかける。
 しかし、これは初歩の初歩。遠からず、休止中の回線や裏口を探し当てる者が出てくる。
 そのほうが楽。休止回線をこじ開けたり、挨拶なしに裏口から入ってくる輩は99%クラッカー。容赦する必要は、無い。
「取り敢えず、一通りのファイアウォールとAランク(軽度)の自動攻性防御プログラムの慣らしに使うわ。それでいい、沙羅?」
 娘にこそ及ばないが、つぐみのコンピュータ能力もまた常人を遥かに凌駕している。
 あの17年を逃げ延びたのは、巧みに追跡側の情報を引き出し、時として情報操作を行うことができたのも大きな原因である。
「了解、ママ。前夜祭の一番最初に出てくるのは雑魚だもん。メインイベンターが来るまでの間、有効に使わせてもらうから」
 武が聞いたら泡を吹いて卒倒するような言葉。

 沙羅にとってコンピュータはたった一つの武器。それを手に取る時、彼女は昔の姿を取り戻す。
 行う事もその行為がもたらす結果も、恐らく昔と一緒。
 異なるのは、目的と心。昔は、自身に近寄るものを排斥する為。ただ、あらゆる者を傷つけるだけの凶刃。沙羅の後ろには誰も居ない。空虚な永久凍土。
 今は違う。その背には大切な人や大切な場所がある。それを守る為、敵を打ち払う守護の剣となる。
 故に心に闇は無い。ただ人間としての心に従い、ひたすら守り抜く。

 沙羅の本気モード。
 後に世界最高のコンピュータ技術者、最強の「アンチクラッカー」として表の世界では令名、裏の世界では悪名を馳せる事となる倉成沙羅の、これが始まりだった。





 2036年3月22日(土)午後 9時00分(現地時間) 新国連共同記者会見場

 2036年3月23日(日)午前11時00分(日本時間) 田中研究所大会議室





 記者会見が始まった。




「まず、最初の質問を致します。貴女の経歴を、教えて頂きたい」

       「まず、最初の質問の回答をお願いします。貴方の経歴を、教えて下さい」


「質問の意図は了解しています。時間は限られていますから、簡潔にこたえるわ」

       「言いたい事は分かっている。時は有限。だから、簡潔に答えよう」


「私は、田中優美清春香菜」

       「自分は桑古木涼権」


「あなた方のご想像通り、キュレイ種の一員よ」

       「あなた達のご想像通り、キュレイ種の一員だ」  


「いろいろ質問がおありでしょうが、残念だけど今は答えられないの」

       「聞きたい事は山ほどあるだろうが、残念ながら今は答えることは出来ない」


「だから、今、言えることだけ、言わせて下さい」

       「だから、いま、語れる事だけ、語らせてくれ」


「私達は『小町法』無しでは生きていく事はできない」

       「自分達は『小町法』無しでは生きていけないんだ」


「だけど、ただ保護されるだけの存在でいるつもりはないわ」

       「だが、ただ保護されるだけの存在であるつもりはない」


「私は、人間だから。お互いを助け合うのが、人間でしょう?」

       「俺は、人間だ。互いに助け合ってこそ、人間じゃないのか?」


「だから、出来ない事は助けを求める。その代わり、出来る手助けはするつもり」

       「だから、出来ない事は助けてくれ。その代わり、出来る助力は惜しまない」


「でも、悔しいけど、その時は今じゃないの」

       「だが、悔しいかな、今はその時ではない」


「残念だけど、今日のキュレイ種としての質問への答えはこれだけなの」

       「名残惜しいが、今日のキュレイ種としての質問への回答は以上だ」


「いつかきっと、全てを話せる日が来る。その事を私は信じています」

       「いつかきっと、全てを話す時がやって来る。その事を自分は信じている」




       二人は知らない。この時、片翼が示した覚悟を。

       二人は知らない。この時、片翼の紡いだ言葉を。

       二人は知らない。この時、片翼を支えた想いを。




…その後の質問は研究所の内容に限定され、最後まで優と桑古木への言及は無かった。
世界中に中継されたその映像は、多くの反響を巻き起こす。
だが、凛としたその姿は、善良な民衆には概ね好意的に受け入れられる事になる。




2036年3月23日(日)午前1時00分(現地時間) 新国連ビルVIP用宿泊施設



「あ〜っ、生き返ったわー」
 バスルームからナイトガウン姿の優が出て来た。
 備え付けの冷蔵庫からビールを取り出し、プルタブをひねる。
「んぐ、んぐ、んぐ、ぷはーっ。一仕事の後は最高にビールが旨い!」
 すっかりオヤジ化。娘が見たらお説教するに違いないであろう姿。
「優さん、よろしいのですか?研究所の方は」
 ソファに腰掛けTVの国際映像をチェックしていた空が声を掛ける。
「武、沙羅、つぐみ、そして桑古木。これだけ揃っていれば心配するだけ無駄よん。
 ココとユウの安全対策は既に手配済だし」
 空のビール缶をダストボックスに放り込みながら、優は答えた。
「ですが…想定通り、かなり強力なサイバー攻撃を受けているようですが」
「まあ、いざという時の隠し札もあるし。気にする必要ないない!
 大体、その事は私より空が良く知っているはずでしょ?」
 ずかずかと優は歩み寄り、悪戯っぽい笑いと共に空の額を指で軽く弾く。

(だから、心配なのです)

 その言葉は、結局優の耳には届かなかった。 
 



 2036年3月23日(日)午後11時00分(日本時間)田中研究所3F中央電算制御室



「サプの三番、使用率80%超えたわ。処理落ちも時間の問題」
「ママ、Lの72から126までの回線、構わないから強制切断して!もう特定してカウンタープログラム当てた。それで、もう少し保つから…って、U4のファイアウォール、落ちかけてる!ああっ、もうこれだから経験値少ないCPUは困るなあ!」
「P27から36、遮断。メイン使用率50%。想像以上に、やるものね」
 お互い掛け合うその声は、既にかすれている。
 それでも、言葉を発する事も、恐ろしい速さでコンソールを叩くことも止めない。

 実際の所、戦況は決して芳しいとは言えなかった。
 技量に関しては、沙羅はおろかつぐみに匹敵する存在すら見当たらない。
 が、一人一人は劣っていても、まとめて掛かって来られるとまた違った意味を持つ。
 つぐみや沙羅の処置は最速で的確。だが、哀しいかな、二人は人間である。同時に把握できる情報量、一定時間に出せるコマンド数には限界があった。
 正直、Cクラスの対抗手段を使えるならこの程度の敵は一蹴出来る。だが、それを封印したハンデ戦では、少しずつ戦線に綻びが出てくるのは避けられない状況。
 空の組んだファイヤウォールや通信網コントローラ、自動攻性防御プログラムは予想以上に健闘している。しかし、そういった機能を使用せざるを得ないという事が現状を物語っていた。
 
「………」
 部屋の入り口の真向かい。
 妻と娘に背を向けるように、武が腕を組んで立っている。
 会見開始から既に14時間。その間、武はこの姿のまま身動き一つしなかった。
 しかし常に、視覚は鋭く周りを監視し、聴覚は物音一つ逃さぬよう研ぎ澄まされている。
 いかなる者も二人には指一本触れさせない。それが武が自身に課した、役目。


 そんな、武の前の、ドアが開いた。
 

 入ってきたのは、桑古木。
 無言のまま、サブオペレータ用のコンソールに歩み寄る。
 情報スクリーンを起動。
「想像以上に、苦戦か。実戦経験が無いコンピュータだとこういう時辛いな」
 眉間に皺を寄せ、呟く。

「まだまだ、大丈夫。この程度の相手に負けるほど、沙羅は甘くないです!」
「涼権、今の言葉、取り消して」

 顔も上げず、作業も止めない。それでも抗議の声を上げる二人。

「こちらの対応コマンドより敵の攻撃コマンドが数的優位だ。俺が何とかする。沙羅ちゃん、指示を頼む」
「御免、桑古木さんじゃ足手まとい。かえって隙を作っちゃう。だから、ここはママと沙羅に任せて!」
 桑古木の提案も、沙羅に一蹴された。
「くっ、誰かいないのか!こういう時、頼れる人間は!」
 無力な自分に打ちひしがれ、思わず口をつく弱音。もちろん、そんな人間など…


 その時、稼動していなかった一枚の情報スクリーンに、灯がついた。

 情報スクリーン群の表示がそれを合図に一新される。

「ちょっと待って!何!このコマンド群。いったいどこから出てきたの!」
「沙羅、無駄口は止めなさい。…R34、承諾。LX64から1154、A-4で処理。QTC773、現状承諾。沙羅、D221の対応お願い」
「…わかった、ママ。D221、A-10で対応。S21、それでいいよ。X443、こっちで対応。PR337、ええいB-52で行っちゃえ―」

 明らかに、沙羅とつぐみの対応が変わった。
 それまで、二人がインコムに伝える言葉は互いへの報告や指示だった。しかし、今の言葉は殆ど互いに向けられたものではない。
 

 この時を境に、状況は瞬く間に防衛側有利に傾いていった。
 圧倒的に素早い対応により、相手の情報はあっという間に捕捉されていく。
 そして、3月24日午前5時17分。


「ちょっと待って!本当に、そこまでする気!?」
 ちょっとやそっとでは動じないつぐみが、スクリーンの表示に驚きの声を洩らす。
「あはは、気に入ったよ、私。うんうん、これ位の報いは当然。倉成沙羅の名においてその案を承認します…実行!」
 沙羅がコンソールのエンターキーを叩く。 

 ―――この瞬間、ハードディスクのクラッシュやBIOS・SRAMデータの重大な破損、メイン基盤の過負荷自傷、非合法プログラムの破壊・抹消・監視機関への転送、その他もろもろの破壊的現象が大量のコンピュータを襲った。
 これにより破損したコンピュータの数は千を優に超え、内9割以上が再起不能に陥った。
 しかし、これに対し公式サポートへの通報も補償の請求も一切行われなかった。
 なぜならば、それらのコンピュータは全て、大なり小なり能動的な意思により田中研究所へのクラッキングに参加した者が直接使用した物だったからである。
 また、非合法プログラムの開発や所持の発覚により千以上のIDやアカウントの剥奪が行われ、重罪者は身柄を拘束された。

            『ジェノサイド・マンデー』

 クラッカー最悪の日。恐怖を込めて、彼らはこの出来事をこう呼ぶ事になる。




 2036年3月24日(月)午後0時00分 田中研究所3F中央電算制御室


 僅かな電子音が支配する部屋に、電動モーターの駆動音が響く。
 部屋に入った優は、思わず微笑んだ。

 床には宿直用のマットレスと毛布が敷かれており、壁にもたれたホクトの膝の上に頭を乗せて沙羅が安らかな寝息を立てている。
 その横ではユウがホクトの肩に頭を委ねてうとうととしており、ホクトもこっくりこっくりと頭を揺らしていた。ユウの膝は、ココが枕にしている。丸まって眠る姿は、ハムスターを想像させる。
 その向かい側のコンソールに寄りかかるようにして、武とつぐみが肩を寄せ合って眠っていた。子供たちを真正面に見る位置。安らかな寝顔。
「微笑ましいものね。…勝負以前の、問題だったわ」
 辺りを見回しため息をつく。
 告白以前に散った恋。この姿に自分ではとても敵わないと実感させられる。

「優がアンニュイを気取っても様にならんぞ」
 椅子にもたれかかった涼権が、こちらを向く。
「女性に言う言葉じゃないわね涼権」
 無粋な言葉に、柳眉を逆立てて応じる。もっとも共に小声なので、様にはならない。
「取り敢えず腹ごしらえ、するか?」
 自身の横にある、大型のピクニック用バスケットを指し示す。
「ユウの差し入れだ。皆が食べた後だから大したものは残ってねえけどな」
「…頂戴。山海の珍味と不毛な会話はもうたくさんよ」
 バスケットを開けて残っているサンドイッチを手に取り、口にする。
 食べ慣れた味。
「食いしん坊の優のセリフとも思えねえ。こっちは20時間から何も食べてなかったんだぞ?」
「黙りなさい。別に代わってあげても良かったのよ?美人のエキストラ、いっぱい居たし」
「頼むから、それだけは勘弁だ。昨日だって冷や冷やものだったのに、世界の首脳なんか相手にしたら壊れちまう」
 時間が経ってパサついたサンドイッチを片手に、他愛の無い悪態をつく。
 気が付くと、出発するときのあの緊張感は跡形も無く消えている。
「帰って来たんだ、私」
 思わず口を突いた言葉。

「おう。お帰り、優」
「ふふっ。ただいま、涼権」


「…でな、結局武は20時間ずっと直立不動で見張っていた。やっぱり凄いよ、武は。俺なんかまだまだ足元にも及ばねえな」
「不器用なところは相変わらずだわ。でも、それが武なんだけど…そうそう、お土産あげる」 
 優が、パックのコーヒーを涼権に放る。
「サンキューな、優」
「これくらいしかお土産無くてね。御免」
 メイド・イン・USAの『シュガーレスコーヒー』のシールを取り、口を付ける。
「ふむふm―って、何じゃこりゃ?どこが『無糖』なんだよ!俺を糖尿病にする気か、優」
「あははは、引っかかった。あの国って面白いでしょ?」
「全く…っていかん、徹夜しちまったから眠くなってきた。すまんが、仮眠室へ行ってくる…」
 ふらふらと立ち上がりかけた桑古木が、がっくりと膝を突く。
 そのまま崩れ落ちる様に床に転がって―――寝息を立て始めた。

「全く、どっちもどっちだわ。あんたが一番寝てないんでしょうが」
ポケットから出した手の中の、粉末薬のラベルを見る。
『ゆ〜はる印の睡眠薬。1フレーム発生、ガード不可。全画面当たり判定ひゃくぱーせんと』
キュレイ故大した持続効果は期待できないが、今回は睡眠導入が目的なのでそれで構わない。
「こうでもしないとそのまま仕事しかねないからね、涼権は」
 マットレスを敷き、毛布を掛けてやる。そのまま屈み込み、寝顔を見つめる。
 そして、
「たまにはこんなのも悪くないか。努力賞ってことで」
 そのままぺたんといった感じで床に座り、膝の上に桑古木の頭を載せる。
「…って、いけないなあ。時差ぼけが、今頃来ちゃった…まあ、いいか…」
 そのまま、優も睡みの中へ墜ちていった。




 2036年3月24日(月)午後0時00分 田中研究所3F???



 モニターに映るマスターログに、ため息をつく。

 ぷつん。
 音を立ててモニターの電源が落ちる。
 そのまま、コンソールから顔を上げる。

 やがてドアが閉じられ、室内の照明は、消えた。



                           ― To Be Continue ―

 後書

 久しぶりの、作者的にガチガチのシリアスです。

 「卒業式 裏」は、雰囲気こそ暗いですが根底はほのぼの路線です。

 しかし、この作品は真正面から闇の側面を見据えようと思って書きました。
 E17は、もともと綺麗事だけで出来ている作品ではありませんし。そんな作品をベースにする以上、どうしてもこういった話は書かざるを得ません。
 私自身、こういった感じの「倉成沙羅」を書いていいものか悩みましたから。


 正式に、ここからN7の世界がリンケージしてくる事になります。
 川下(E17)から川上(N7)へ遡る形となると、前作の設定を曲げた解釈をせざるを得ない場合が出てきます。今回の話を読んで、N7に詳しい方は「おや?」と思われる事が出てきているかもしれません。

 あと、この話では殆ど出番がなかった優秋、ホクト、ココには裏のシナリオが存在していました(作者、こればっかですね。馬鹿の一つ覚え)。
 書こうかどうか迷いましたが、今回はオミット。考えるほど暗いほうへ筆が進んでしまったもので、思い切ってなかった事にしました。最後の方のシーン(皆で居眠りしている)はそのころの名残です。

 最後に。次回までが、この第2部の導入編になります。いよいよ、本当の意味でN7が、話に入ってきます。

 正直、自身の考えたプロットの内容の多さに「書けるのか?」と自問自答しながら書いてます。が、頑張って完結させますので。

 こんな徒然後書まで読んでいただいて、有難うございました。

2006年4月1日 初稿
2006年4月4日 後書改稿  あんくん


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