未来へ続く夢の道
 本編13−サマータイム・デイドリームス−

                              あんくん



5日目





The 5th Day

15 Augusut fri. 2036 AM 9:17 Living Room in the Lodge(リビングルーム)


「さて、今日も自由行動とします。というか、総勢11人じゃ団体行動自体不可能なの!全く、どうしろっていうのかしらね」
 もはやヤケという感じが漂う、恒例の朝の一コマ。
「優ちゃん、いつもああいう感じなのかい?」
「ええ。最近横暴ぶりに滑車がかかって困るんですよ。たとえば…」
 ひそひそと会話を交わす、守野博士と桑古木。意外な事にこの二人、気が合うようであっという間に意気投合してしまった。流石の桑古木も、相手が目上ということで丁寧語で喋っている。
「涼権、あんた茂蔵おじちゃんに何吹き込んでるのよ!」
 ぶん!
 ひょいっ。
 桑古木が僅かに首を逸らす。その横を僅かに掠り、リビングの床に突き立つボールペン。
「こういうわけです」
「あはは、それでいいんだよ。元気じゃない優ちゃんは優ちゃんじゃないからね。
 最初会ったときのあの絶望の表情は、二度と見たくない。それに、かしこまった表情よりああいう表情の方が私は好きだな」
 全く動じない二人。その会話の内容に、優も怒るに怒れなくなりつつある。
「あんなお母さん、初めてだわ」
「本当にそうだね、ユウ。桑古木さんが優さんをやり込める姿も、初めて見たよ」
 珍しい光景に、ユウとホクトも目を丸くする。
「ユウ、ホクト。あんた達ねえ…」
 優、ターゲットロックオン状態。
「おいおい。大人気ないことは止めろよ、優春。ちょっとした提案があるんだが、いいか?」
 誠が、その状態を止めた。
「なあに、誠?」
「折衷案ってのはどうだ?何箇所か候補地を決めて、それぞれ好きな場所を選ぶ。ある程度の団体行動になるから安全も確保できるし、連絡も取りやすいからな。でもって集合場所と時間を決めて、一日を何コマかに分けるんだ。その度に改めて次行く場所を選択すればいい。違うか?」
「…ふむ、検討の余地ありね。みんな、どう思うかしら?」
 優が意見を求める。
「私は、誠に賛成」
「賛成ね。妥当な案だわ」
 遙とつぐみ、二大巨頭が賛成する。
 この時点で事実上、可決は決定した。

 各々、いくつかの候補より好きな箇所を選択する。だが、問題は次の宣言だった。
「最初の集合は、昼食を兼ねるから。場所はルナビーチ。時間は正午。遅れたらバツ当番だからね!」
 この言葉で、彼方が硬直した。
 救いを求めるように、両親と祖父の顔を見る。
 三人揃って、目を伏せて首を横に振る。
「???」
 他の面々は、意味が分からず、その姿を見ているしかなかった。



 AM10:00 Portside Quay(港湾岸壁)


「おう、あんた達もここか。…すまんが、釣果はあんまり期待できないぞ」
「大丈夫。何とかなるから」
 釣りを選択したのは、4人。誠、遙、武、つぐみ。
「…意外だな。あんた達、釣りが趣味なのか」
「凄い装備ね」

 そう、恐ろしいくらい装備に気合が入っているのだ。揃いの装備。まず竿は雷撃ガマ○ツ2034S-pc。圧倒的なスペックを謳われながら、そのコスト故試作品のみで終わった伝説のモデル電○ガ○カツ2006をベースに開発されたスペシャルモデル。リールは○ロセ○スーパーオートメーション2036r。何気にリール横に小さく『Tuned by Haruka』と入っているのがミソ。
(今年発売の最新モデルを、更に自分でカスタムチューンしているのかよ)
(流石は彼方の母親。能力と凝り性はこの血ね)
 そして見たことのあるライフジャケット、釣り用椅子、クーラーボックスetc。簡単な話、ロッジの釣り用品は誠たち夫婦の持ち物だったのである。

「おいおい、何突っ立ってるんだ。…ああ、釣具その他はいらない。俺たちの予備を貸してやる。その他装備一式揃ってるから気にするな。あんた達の場合、リール釣りより普通に釣ったほうがいいだろう。仕掛けも、俺たちのを適当に使えばいい。分からんことは遙に聞けば確実だからな」
 何気なく手渡された2本の竿は…
「あんたら、一体何者だ?」
 そう、さっき語ったそれ。電○ガ○カツ2006、試作モデル。まさにそのものが自分達の手にある。
「ああ、それか。遙の誕生日プレゼントだ。残念ながらプレゼントしたのは俺じゃないんだが」
「冗談だった。でも本当に貰えた」
 あっさりと返事が来る。おいおい、時価幾らするとか以前のシロモノだぞ?
「本当に、こんな物使っていいのか?」
「―――構わないぞ。もし折れるんだったら、『サードアイス・フォルス』が発動してるはずだからな」
「「………」」
 最早、何も言うまい。顔を見合わせ、武とつぐみはそう誓うのだった。


 1時間後。
「やっぱり、こうなったか」
 誠の嘆息。
「やっぱりって。まるで釣れない事を前提にしてねえか?」
 武が、あきれて自分の前の竿を見る。

 一言で言って、3日目の再現。
 それが二乗になっただけ。
 誠と武は当たりすらないボウズ。すぐ隣で釣っているにもかかわらず、遙とつぐみは入れ食い状態。キャッチアンドリリースに徹しているのも一緒。
 前に比べて道具が桁違いにレベルアップしているだけに、空しさがひとしおである。

「ああ、最初っから釣れないのは分かっていた。今まで、遙とこの場所で釣って魚が釣れた事は一度も無い」
 その独白に、ぎょっとしたように誠を見る武。
「白状するとな。ここで遙と釣りをして、何にも釣れないと安心するんだ。ああ、今日も釣れなかった。あの時と一緒だってな」
「あの時?」
「『永遠の7日間』。昨日話したろ?全てに無関心と思われた遙が釣りに興味を持って、俺に教えてくれって言ってきたって。それが、俺と遙の始まりだ。その時も、初心者の遙だけ釣れて、俺はボウズ。その次も付き合って、結果は一緒。何度ループしても、一緒。
 ここで俺が釣れなくて遙が入れ食いっていうのは、決まり事なんだ。だから、その結果だと安心するんだよ。ああ、俺たちの原点は変わっちゃいないんだってな」
「そうか。それは良い事だ。…で、なんで俺達まで一緒なんだ?」
「さあ、知らん。だが、非科学的なことを承知で言えばこうなる。

 この島に気に入られたんだろ、あんた達夫婦が。

 あの時の俺や遙と同等ってね。喜んでいいんじゃないか?」
 にかっと笑って見せる誠。
「ああ、そういうことにしといてやるよ」
 それにつられて笑う武。
 結局、後片付けするときまで、当たりは二人には来なかった。



 AM10:00 Living Room in the Lodge(リビングルーム)


「補習?」
「うん。自主補習」
「このまま凹っぱなしって、納得できないのよ」
 居残り組が7人。内4人がリビングに集結していた。
「ほう、民俗学ねえ。確かに考古学の中ではとっつきやすい分野だ。で、お題は何かね?」
 興味があるという風情で、守野博士が会話に加わる。
「司紀杜神社と杜紀司神社。この神社について調べなさいって」
「………おい、ホクト、ユウ。この話はここで止めだ」
 突然、桑古木の様子が豹変する。
「ちょっと、どうしたのよ、桑古木さん?」
「僕たち、何か拙い事、言った?」
 驚いて、桑古木をみる二人。
「拙いも何も、あの神社は…」
「止めたまえ、桑古木君」
 桑古木が言い募ろうとするのを、守野博士が止める。しかも、強い口調で。
「守野博士…いいんですか?」
「私がいいと言っているんだよ?」
「…分かりました」
 二人のやり取りを、ぽかんと口を開けて見守るユウとホクト。
「えっと、結果的にどういうことですか。僕、分からないんですが?」
 正直に告白するホクト。その姿を、ぎょっとして桑古木が見る。
「…やれやれ、優ちゃんが心配する訳だ。
 君達は既に大戦果を挙げているんだよ。この件についての情報を持つ当事者を捕まえて、しかも話す気にさせているんだからね」
「全く、二人とも気付かないで話してたのかよ。この人の苗字は何だ?」
「「あっ!」」

「そう、私の名は『守野茂蔵』。『守野くるみ』は、私の二番目の娘だよ。誠君の話、君達はよく聞いてなかったみたいだね。まあ、しょうがないけど。
 さて、ここで君達二人には決断してもらおう。考古学者として話を聞くか、当事者として話を聞くか。それにより話す内容が違ってくる。両方の情報を聞くとしても、実は二つは矛盾する。だから、立場を明確にして欲しいな」

 ホクトとユウの返事は、同じだった。

「…よかろう。それじゃ、かいつまんで話すことにするよ。
 まず、あの二つの神社なんだが、知っての通り神職がいない。これは分かっているな?」
「ええ」
「まず、それが思い込みだ。正確には『居る』。ただし、行方不明。だから、後任の神職が決められないんだよ。消息がはっきりすれば、やりようもあるみたいなんだけどね。
 確か、一人だけ黛家の生き残りが居てね。『鈴』と言ったかな?生きていれば50歳くらいになるハズだ。すまないが、ここらあたりはよそ者の私はあまり詳しく無いんだ。どっちか一方の宮司か、それとも、両方束ねているのか。そこまでは知らないんだよ」
「それが、どうしたんですか?」
「これは、民俗学という点では全く重要じゃない。…だが、当事者としては重要な情報なんだ。2011年にあったHAL18便墜落事故。この事故の犠牲者のリストの中に、同じ名前がある。
 だが、この島では『行方不明』…矛盾していないかい?」
「「!!!」」
「…桑古木君。タネを明かして、構わんか?」
「止むを得ませんね。ここまで来たら、引き返せません。それに本人達の選択ですから」
「2011年。ライプリヒが行った、誰も知らない実験がある。『ユウキドウ計画』。極秘裏に報告された情報は『量子テレポーテーション(RTS)の実証実験』。
 嘘ではない。だが、真実でもない。真実はこうだ。
『人工的キュレイシンドロームの発現実験』。人類最高の英知である量子力学の結晶ですら、彼らにとっては道具にしか過ぎなかったんだよ。『黛 鈴』はその被験者の一人だ。と言うより、どうやらキーパーソンとして狙われたらしい。
 彼らは、つぐみさんの情報を通じキュレイシンドロームの形態の中に『生き返る』というものがあることを知ってしまった。ライプリヒの中にあって、彼らだけがつぐみさんの状態を正確に把握していた事になる。
 さらに、RTSの実験により『人格交換』…『精神の双子』の間で、RTSの結果あたかも身体が入れ替わったかのようになってしまう現象を確認した。一定条件下、短時間であれば時間軸を超えてRTSを起こせるというおまけまでつけてね」
「そこまで大掛かりな事をしてまで、何をしたかったのかな。キュレイになるなら、ウィルスに感染すればいいんだよね?」
「…鋭いのは、君達の血みたいだね。そう。キュレイシンドロームの対象者は、彼ら自身じゃなかったんだ。
 恐ろしい事に、過去の死者の魂をキュレイシンドローム『リザレクション』で復活させようとした。つぐみさんのそれとは違う、くるみの体験をもう一度起こす形で。それが本当の目的だったんだよ。
 蘇らせたい存在と同じ症例の器を用意し―DID(解離性同一性障害)だったらしいね―、RTSで過ぎた時間と接続し、人格交換で人格を交換。キュレイシンドロームで固定する。黛さんは、くるみの一件が原因で狙われたと考えている。多分、レーダー兼接続役として。時と永遠を司る双子の神社の、残された唯一の神職。計画の復活対象者も首謀者の双子の妹だったらしいから、そこら当たりの共鳴も狙ったんだろう。しかも、この手の言い伝えは多々あれど、第三者によって客観的に確認された『時空転移現象』を起こしたのはここだけだったから。―別の理由もあったらしいが、私はそこまでは知らない。
 もっとも、計画は失敗。そのあと、関係者の消息はライプリヒのセンシティブデータベースからも消えている。
 だが、氏子達は言うんだ。『神社がある限り、宮司の血は絶えていない』ってね。私も、正直信じていいものかどうか、迷っている。
 そして、次。
 司紀杜神社が永遠を、杜紀司神社が時を司ると言い伝えられている。また、過去、何回も神隠しがあったことが風土記に記されている。…もっとも、この手の話はありふれすぎていて大した価値は無いように見える。だけど、それを実証する事件が、起きてしまった。一つは公に、一つは秘密裏に」
「娘さんの失踪事件と、『永遠の7日間』ね?」
「ああ、そうだ。はっきり言って科学的に証明が不可能なんだ、この二つは。科学的アプローチを捨てるなら、次は時空論的アプローチになる」
「…時空の歪みとでも言うおつもりですか?博士?」
「おいおい、実体験した君が言うのかな、そんなことを。知っての通り、この島とLemuはそんなに離れているわけではない。そして、共にキュレイにまつわる事件が起き、結果的にCSP(キュレイシンドローム患者)が発生した。…くるみの事件は無関係に見えて、実は全ての発端なんだ。くるみが失踪しなければ遙は生まれなかったし、くるみが戻ってきたから私は遙を里子に出さざるを得なかった。2011年の実験がどうなるかまでは分からないが、少なくとも『黛 鈴』がその計画に巻き込まれる事は無かっただろう。いずみがキュレイシンドロームの実証実験を行おうなんて考えを持つことも恐らくなかっただろうし、多分『永遠の7日間』そのものが存在しなかっただろう。そして、今こうやって君達と話している事も無かったはずだ。
 あとは…君達が解き明かしてくれ。もし答えに辿り着けたなら、君達の前にこの事件の全ての真実が現われるかもしれない。
 すまないが、私が言えるのはこれだけだ」

 守野博士は語り終え、息を整える。
 ホクトとユウは、驚くべき情報に絶句する。今更ながらに自分達がパンドラボックスを開けてしまった事に気付いたのだ。

「おっと。あんまり難しく考えなくてもいいんだ。これは過去であり、多分、君達に害を為す事は無い。知っていて、損は無いさ。
 あと、別の意味で重要な事がある。君達は、この情報が真実だと思うかい?」
「ええ」
「うん」
 二人、頷く。
「それだ。それが口伝が歪む最大の原因なんだ。
 私は、この話を真実として伝え聞き、信頼した。君達も、真実と信じた。
 だが、私はこの情報を信頼していても、全て真実だとは思っていない。恐らく、殆どが真実だとは思っている。だが、必ずどこかに虚構や推測が混じっているはずなんだ。
 こうやって伝えられるたび、そういうものが占めるウェイトが上がっていく。結果的にどんどん真実から離れていくものなんだよ。これは、書物においても一緒。書き写される過程でこういう事は頻繁に起きる。
 それに、今のは悪意が無い場合。意図的に改竄されるという可能性がこれに加わる。
 だから文書や口伝というものは意外と確定的証拠にはならないんだよ、考古学じゃ」

 真剣な顔で聞いているホクトとユウを見て、守野博士は、暖かい顔で笑った。

「優秋ちゃん、君のお母さんも君には甘いね。このお題、どの方向に進んでも君達の為になるんだよ。今回は、君達の現在の伏線の話になったけど。別の方向で見ると、また別の意味で君達に何かを答えてくれる。
 畑違いだが、あえて考古学研究の本質っていうものをレクチャーしてお終いにするよ。
 さっき言ったように、『考古学資料』一つで、全てが解決する事は無い。『書いてあることが全て真実』であることと『書いてあることが全て真実であると証明できる証拠が存在する』ことが両立するのは滅多に無いんだ。
 だから、語られた事、書いてあることを分析し、そこから想像し、仮説を立てる。虚構や嘘、改竄ですら資料だ。なぜ、そういう虚構へ誘導されたのか、なぜ、改竄されなければならないのか。そういったことを含めて考えて仮説を立てる。そして証拠を集めて証明する。そこで矛盾が生じれば、改めて仮説の立て直し。だが、資料が増えているから、前の仮説は無駄になるわけじゃない。仮説無しじゃ、そういう資料集めすら出来ないからね。
『情報収集能力より、分析力や想像力』。正に考古学者ってのはそれに尽きるね。
 確かに実際の仕事の大部分はフィールドワーク…情報収集、つまり資料や証拠の発見に費やされる。だが、他人の仮説の為に動くのと、自分の仮説の為に進んで探すのでは訳が違う。前者じゃ、只の助手だ。喩えどんなに実績を残してもね。逆に後者は、たとえ小なりといえども立派な考古学者だよ。
 前者っての重宝されるから。実際に必要な仕事であることは否定できないし、事実食べるだけならこっちのほうが楽だ。後者は茨の道だけど、本人にとって本当に価値のあるものが手に入る。
 優秋ちゃん。君の母親は、どっちだったね?」
「…後者。仮初の姿って言っていたけど、お母さん。別の目的があっても、それでも『考古学者』でもあったのね」
「うん。どうして、おととい優さんが厳しかったのか、やっと分かったよ。仮説を立てるどころか、調べる事を止める理由だけ持って行ったから。そりゃ、がっかりするよね」
 二人とも、やっと納得したという表情になる。
「やっと理解できたようだね。それじゃ、これで補習講義は終わりだ」

「「有難うございました!」」
 ユウとホクト、元気よく頭を下げる。

「うん、よろしい」



「しかし、未熟でも目線だけは一級品だ」
「『当事者として全てを聞いて、ありのままを受け入れる。そして、考古学者として使えるものは使う』と来ましたか。まあ、ここまでは言葉遊びですがね」
「その後が驚いたね。
『私達は、自分達の未来のために過去を見るんです。考古学者でも当事者でも、それは一緒ですよね』
 いやはや、前向きでいいことじゃないか」
「しかしどうします?あの調子じゃ、『Who』まで辿り着きかねませんが」
「辿りついたら逆に喜ぶんじゃないかな、『Who』は。どっちにしても悪いようにはならないよ。私が保証する。…それとも、優ちゃんが信用できないかね?」
「まさか。優を信じられなくなったら、俺は終わりですよ」
「なら、この話はここまでだね」



 AM10:30 Bathroom in the Lodge(浴室)


「どうしてこうなるのよ!」
「つべこべ言わない!利用者の義務よ!」
「で、どうして家主の一員の僕が付き合わないといけないわけ?」
「クジで負けたからに決まっているじゃない、彼方ちゃん」

 既に5日目。あちこち汚れが目立ってきたロッジに、誠が一言。
「使うからには掃除してもらわないと。とりあえず、昨日の件もあるし優春は確定な」
 で、公正にくじ引きをした所、沙羅と彼方が掃除係に当選したわけである。

 部屋は各人の責任で清掃ということになったし、リビングは先客がいるし、ダイニングとキッチンはつぐみが完全無欠にきっちりしていたので(彼方が感動し、優はいじけていた)、清掃対象は、とりあえず廊下とトイレ、そして男女の浴室となっていた。
 浴室は結構広い。よって、別々ではなく3人で同時進行で行うこととなった。とりあえずお湯を抜く前にデッキブラシで洗い場の掃除。だったのだが…
「てりゃー!」
「やったなあー!」
 優が浴槽洗剤やスポンジやらを取りに倉庫に行った隙に、
「ドラ○ブシュート!」
「ネ○タ○ガーショット!!」
「カウンタード○イブシュートォ!!!」
「うわっ、やられたっ!」
「甘い、甘いよ彼方ちゃん。必殺シュートのカウンター応酬は2回までと決まっているの!」
「お、おのれ…まだだ、まだ終わらんよ!」
 いつの間にか、広い洗い場はデッキブラシホッケーの戦場と化していた。パックは石鹸。当然戦いが進むほどタイルの床は滑るようになるので、キュレイとサピエンスキュレイの能力差は減殺される。なかなか考えられた勝負と言えよう。
「いっくよー!突っつ撃ぃーーー!!!」
「ここは抜かせん、抜かせんぞぉー!」
もっとも…
「くをらああああ!!!あんた達一体何やってるのよ!!!」
 優の雷が落ちるのも確定なのだが。

「あわわわわ…」
 沙羅は急には止まれない。勢いをつけてダッシュしてきた沙羅はその怒声にバランスを崩し、
「来るな、来るなあーーー!」
 そのまま彼方を巻き込んで、結果的に二人仲良く巨大な水しぶきと共に浴槽へ転落したのであった。

「がぼぼぼ、ぷはっ!…うぷっ!」
 やっとの思いで水中から顔を出した彼方であったが、それでも未だに息が出来ないでいた。理由は簡単。目の前に柔らかいモノが押し付けられて、顔面を覆っていたのである。
 思わず、片手で押しのけてしまう。
 ふにっ。ダイレクトに伝わる柔らかな感触。
「きゃん!」
 手の平に、僅かな反応。
(も、もしかして…)
 目線を上げる。
 その先には、真っ赤になって涙目の少女。

「あわわわわ…きゃっ!」
 見事に彼方に衝突。そのまま勢いで投げ出される。
(あっちゃー。痛くないといいなあ…)
 宙を舞いながら、それでも頭脳だけは明晰。
 ぎゅっ!
 そんな自分の腰が抱え込まれる感触。
 そのまま、浴槽へ沙羅は着水した。
(…ってあれ?)
 予想していた痛みが無い。恐る恐る目を開けてみる。そして、硬直。
 自身の腕があるモノを胸に押し当てる形で抱え込み、自身の腰は、何かで固定されている。ついでに自身の下に少し硬い、しかしタイルとは異なる存在の感触。
 第三者的に簡潔に表現しよう。沙羅は彼方の顔を胸に抱え込み、彼方の上に馬乗りになっていたのである。
(〜〜〜〜〜!!!!!)
 瞬時に顔が真っ赤になる。
「ぷはっ!…うぷっ!」
 胸に掛かる吐息。そして、
 ふにっ。ダイレクトに触れる手。
「きゃん!」
 意思に関係なく反応してしまう。
 それで上半身の距離が離れ、目線が合う。
 その先には、真っ赤になった少年。

「………」
「………」
「か………」
「か?」
「彼方ちゃんの、馬鹿ぁーーーーーーーーーーーー!!!」


 ばっちーーーーーん!


 強烈な平手が閃き、その直後、ソニックブームを引くような勢いで沙羅は浴室から駆け去ってしまったのだった。



 呆然として、浴槽の中に座り込んでいる彼方。
「くっくっくっく…本当にあなた達って、お約束外さないわね」 
 そして、笑いをこらえている優。
「ゆ、優さん!」
「黙りなさい彼方。罰として、ここの掃除は一人でやること。私は男湯の方をやるから。いいわね?」
 途端に表情を改める優。
「はい…ごめんなさい」
 そのままピシャッと閉じられるドア。

(本当に、外野から見てると飽きないわ、あの二人)
 優は、必死で緩む顔を抑えていた。



「ああーっ、もう最低!」
 びしょぬれの服を脱ぎ捨て、部屋付属のバスタオルで手早く体を拭き、着替える。
 前の服は、風呂掃除ということで透けない厚手のスウェットとホットパンツの上下のみ。
「よりによって、よりによって、あんな時にッ!!!なんて間が悪いのよ、沙羅ってば!」
 湿気が入るので、ブラは着けていなかった。最悪のタイミングでハプニングが起きた事になる。
「挙句にドサクサ紛れで胸を触るなんて、男として最低よ!!!腰に手まで回しちゃって!あのドスケベ!!!…え?」

 どうして、彼方は手を回したか。
 どうして、自分は無傷だったか。
 もし、彼方が手を回さなければ、どうなっていたか。
 着水点は、浴槽の奥の方。
 もし、単独で飛んでいたら、自分はどうなっていたか。

「もしかして彼方ちゃん、沙羅を助けてくれた、の………?」



 PM 0:00 Luner Beach(ルナビーチ)


 定刻きっかり。11人が集まった。
 完全な釣りキチスタイルの4人。上機嫌。
 ユウとホクト。なにかが吹っ切れた顔。
 桑古木と守野博士。難しい専門用語だらけの会話に花が咲いている。
 優。いたずらっぽい、笑いをこらえる表情。
 沙羅と彼方。お互いそっぽを向いている。赤い顔で、二人で並んだまま。

 店の表には『Open』の札が掛かっている。エントランスドアは閉まっていたが、当然、鍵は掛かっていない。
「さてと、それじゃ、入りましょ」
 優が先陣を切り、そのままドアを開ける

 カランカラン…

「「「いらっしゃいませ〜!!!」」」
 店の中から、3人の女性の声が返ってくる。
 皆、それにつられて店を覗き込み…

「あらっ、彼方ちゃん♪」
「あーっ、おにいちゃんだ〜♪」
「あーっ、たけぴょんだ〜♪」

 三つの弾丸が、店から飛び出して標的に命中した。


「おにいちゃーん!」
「おっ、やっぱり来てたな、くるみ」
「うんっ、やっとお仕事ひと段落なんだよ!」
「お久しぶり、くるみお姉ちゃん」
「うん。遙さんもお久しぶりだね!」


「たっけぴょーん!ずるいよー。私だけ仲間はずれはあんまりだよう!」
「って、なんで、ココがここにいる?」
「ぶーぶー。だじゃれで逃げてもダメなんだよ!」
「駄洒落じゃ無いんだが…」


「久しぶりね、彼方ちゃん♪」
「うわっぷ、離して、離してってば、いずみさん!」
「うふふ、恥ずかしがらなくてもいいのよ?」
 ふくよかないずみの胸に埋もれて、じたばたとしている彼方。身長差無視で無理やり胸に頭を抱きかかえられている状態だから、自然に前傾姿勢になっている。
「………」
 唖然として、その姿を見ている沙羅。

「はあはあ…だから、子ども扱いは止めてっていつも言ってるじゃないか、いずみさん!」
 窒息寸前の状態でやっと開放された彼方が、肩で息をしながら抗議する。
「だってかわいいんだからしょうがないじゃない。実際子供だし♪」
 だが、この人にその程度の抗議など通用するはずなどなかった。
 その時、彼方は後背に殺気を感じて硬直する。おそるおそる背後を見ると、
 そこには、
「………」
 氷の笑みを浮かべて仁王立ちする沙羅の姿があった。視線をいずみの胸に固定して。

「良かったじゃない、彼方ちゃん。胸の大きい美人の彼女さんが居て」
 真夏なのに、雪国の吹きすさぶ吹雪のような凍れる言葉。
「あらあらー、これが噂の彼女さんね?いっちょまえに嫉妬なんかしちゃって、もう、可愛いんだから♪
 うりうり、彼方ちゃんも隅に置けないわね〜♪」
 的確な爆弾発言。…あの程度の冷気では、いずみさんに対抗するなど20年早いのであった。
「「違う(います)っ!!!」」
 おお、シンクロ率100%。
「ふふふ、照れちゃってまあ」
 真っ赤になって反論する二人をにこにこと笑ってあしらう、いずみであった。



「さて、改めて紹介するよ。こっちが私の長女の『守野いずみ』」
「初めまして、守野の娘のいずみです。今後とも宜しくお願いします」
 守野博士の紹介に応じて、沙羅の言うところの『胸の大きい美人』が気品を感じさせる動作で頭を下げる。
 ショートのソバージュは昔のまま。ただ、人生経験が加わった面立ちは昔以上に知性と大人の色香を漂わせている。
「で、こっちが次女の『守野くるみ』」
「やっほー、くるみだよ。皆さん、よろしくね!」
 見るからに中学生か高校の入り立てか。そんな雰囲気の少女が、こちらはピョコンという感じで頭を下げる。…全く17年前と変化なし。永遠の中学生という按配。
「…皆に隠し事をしても無駄だしね。知っている通り、この子達は遙の姉に当たる。くるみは遙のオリジナルだよ。だが、私にとって遙は三番目の娘だ。それだけは誰がなんと言おうと譲れない」
「ええ。二人とも、私の大切な妹だから」
「うんっ!くるみはね、遙さんのお姉ちゃんなんだよ、えっへん」
 いずみとくるみの優しい視線。それを受けて嬉しそうにはにかむ遙。そこに居たのは、ただの仲のいい三姉妹であった。

「で、こっちなんだけど。この子が『八神ココ』。
 あなた達に隠し事をしても無駄だから予め言っておくわ。この子も、私達と同じキュレイ。侵食率の高さから言って、多分パーフェクトキュレイになると思う」
 こちらは、優が紹介する。
「ココでーす。宜しくお願いしまーす!」
 元気一杯、人見知りなしの遠慮なし。武たちの見慣れた、いつものココであった。

 自己紹介の後、いずみの作った料理が全員に供される。
「いずみお姉ちゃん、流石…」
「…負けたわね。まだまだ私も修行が足りないみたい」
 遙とつぐみの言葉が示すように、料理は絶品だった。全員、余りの美味しさに言葉が消えたくらいである。
 その後、コーヒーが出され、和やかな会話の場となった。

「で、ココ。駄洒落でなく、どうしてここにいるんだ?」
「あのね、空さんと出張だったんだよ。そしたらね、そこにくるみさんといずみさんがいたんだ。暇だったらアルバイトしないかーって、誘ってくれたんだよ?」
「出張?」
「うん。つきみがなんとかって言ってたよ。2、3日かかるから、くるみさんたちと遊んでらっしゃいって。まさか、ここにたけぴょんが居るなんて知らなかったから。ココびっくりだよ」

「優。どういう事なんだ?」
「私も、知らないの。空、何を考えてるんだろ」
 桑古木の問いに、珍しく困惑気味の優。
「トップ三人全員留守で、研究所大丈夫なのか?俺、戻ったほうが良くねえか?」
「二、三日トップが不在なくらいでどうにかなるほど、ウチの研究所もシステムもヤワじゃないわよ。空だって、そこまで抜けてはいないだろうし」
「…そうだな。守野博士のところは大丈夫なんですか?ほぼ一族全員こっちに来てますが」
「ああ、それなら妻と樋口君たちに任せてある。部下を信用するのも、トップの必要条件だよ」

「ねえ、ココさんココさん。コメっちょ、新作ないの?」
「あ、くるみさん、御免ね。また考えるから、ちょっとまってて」
「うーん。くるみ、残念だよ」
「…くるみ。その子と仲いいな?お友達になったのか」
「「うん!『すーるのちかい』をした、無二の親友なんだよ!」」
 くるみとココ、ハモって断言。
「………おい、武。あのココって子、くるみの同類か?もしかして」
「………まさかと思うが誠。くるみちゃんって、ココの同類か?」
 誠と武。お互い顔を見合わせ、その表情から答えを得る。
 がっくし。その後の展開を想像し、二人は肩を落すのであった。
…実際、その後しばらく二人の周囲は毒電波が支配する絶対領域になったし。

「ねえ、いずみさん。これどうやって作るの?」
「うふふ、教えてあげるわ優秋ちゃん。料理仲間が増えるのは大歓迎♪
つぐみさんもどう?」
「…お願い」
 こちらは料理談義で盛り上がる三人。それにホクトも付き合っている。

「どうしたんだよ、ねえ、沙羅?お風呂場の件は謝るから、機嫌直してよ」
「ふん。彼方ちゃんなんか、知らない!」
ぷいっ!
 この一角だけ、空気が違った。
 低気圧真っただ中の沙羅と、それをなだめようとする彼方。
「ごちそうさまっ!!!」
 そのまま沙羅は、ルナビーチから飛び出して行ってしまった。
「ま、待って…」
 あわてて腰を浮かせかける彼方。
「ほっとけ、彼方」
「父さん?でも」
「いいから、ほっとけって。それとも何か。お前はあの子の保護者か何かか?」
「いや、そういう訳じゃないけど」
 突き放したような父親の言葉に、彼方もしぶしぶ腰を降ろす。

 これを契機に自然に昼食会はお開き。皆、優に行き場所を告げ各々ルナビーチを出て行った。



 PM 2:30  Himegahama(姫ヶ浜)


「やっぱりここか。行動パターンまで一緒だな、全く」
 波打ち際。岩に腰掛けて、素足で浅い海面を揺らしていた沙羅に、誠は声をかけた。
「…何の用ですか。言っときますが、お詫びだの喧嘩するなだのそういうのは遠慮してもらえませんか?」
 硬い声。ユウが聞いたら暗い顔をするであろう声。
「それは彼方と貴女の問題。私には、関係ない」
 そっけない返事。思わず振り向いた沙羅の視線の先に、遙がいた。
「で、本当に何の用なんですか?」
「まあ、俺たちと君の共通の話題と言ったら彼方の事しかないんだが」
 ため息を付く誠。
「…しょうがないね。一体、何を言いたいんです?」
 根負けしたように、沙羅は誠に下駄をあずけた。
「じゃあ、聞かせてもらう。君から見て、彼方ってどういう人間だ?」

「…頭だけいい子供だよ。ほんっと、生意気で口が減らなくて、負けず嫌いで。なにかあるとすぐ突っかかってくるわ年上の沙羅を呼び捨てにするわ、困ったちゃんですよ、本当に。
 挙句に、やることだけは沙羅と対等にこなすからタチ悪いよ。おかげで、凹まして突き放す事すらできないんだから、全く腹が立つったらないです」
 私は思ったことを口にした。彼方ちゃんの事って考えれば考えるほどイライラしてくる。こんな出来た両親からあんなバカが生まれるなんて信じられない。
「そうか。沙羅ちゃんにとっての彼方はそんな感じか」
「しつこいですね?」
 余りのイライラのせいか、とんでもない言葉が出てしまった。なんで今日の私、こんなにイライラしているんだろ?
「今までで、彼方がそういう姿を見せたのは君の前でだけだ。…親である俺たちにさえ、そんな歳相応の姿は見せてくれなかった」
 あまりに暗い、そして哀しい声。下を向き唇を噛む誠さんと遙さんの姿に、私は言葉を失った。

「俺と遙の仕事、知っているかい?」
 永遠と思えた時間の後、ぽつりと誠さんは私に聞いた。
「いいえ」
 素直に、答える。
「…医師だ。もっとも俺はカウンセリング専門だし、遙は遺伝子関係の研究職だから世間で言う医師とはかなり違うけどな」
 まるで他人事の様に、誠さんは語っている。
「彼方が生まれたのが2021年。そして、あの子が小学校に上がったのが2028年。その頃の俺と遙がどういう状態だったか、想像できるだろうか?」
「想像も、つかないよ」
 何を言いたいのか分からないけど、私は相槌を打つことにした。
「俺たちの研究所は、伝統的にクローンのアフターケアを行っている。
 俺は2024年に医師免許を取って、義親父の研究所でクローンの精神ケアの担当になった。そして、2020年から2030年にかけての時代は、2010年のクローン法改正により生まれた第一世代がちょうど思春期や第二反抗期にあたる時期だったんだ。
 毎日が戦場のような忙しさだったよ。なにしろ前例が無いだけに、カウンセリングのマニュアル作りから始めなければならなかったから。
 遙は遙で仕事から離れる事が叶わなかった。思春期の世代ってのは、医学的にも不安定な時期でね。クローン達の中には、想定外の病気や遺伝障害が表れる者が結構居た。
 そんな同胞たちを、遙は見捨てる事が出来なかった。治療法の研究や原因の究明。命を救えないのならば、せめてその後生まれるクローン達を同じ目に遭わせない様に。そう願って、遙は文字通り寝食を忘れて研究に没頭していたよ。
…なんとかクローンの精神ケアマニュアルが形になり、クローンの遺伝障害や特有の病気の研究体系が確立したのは2030年代に入ってから。二人、やっと家庭を顧みる事が出来るようになった時、彼方の件はもう手遅れになっていた」
「………」
 私は、無言で首肯して先を促した。
「俺たちが碌に家にも帰れない状態の間、守野の義母さんや樋口の義母さん―遙の育ての親だ―、あと暇を見てくるみやいずみさんが彼方の面倒を見てくれたが、それぞれも仕事がある身だ。どうしても限度がある。
 さらに悪い事に、彼方は想像以上に早熟だった。おまけに純真な子だから、俺達を悪く思おうとしなかったんだ。よりによって彼方は俺達を目標にしてしまった。その上、こう思い込んでしまったんだ。
『父さんや母さんの様になれば、自分も構ってもらえる。自分が構ってもらえないのは、自分が未熟だからだ』とね。
 純真な年齢相応の感情と、それに合わない大人の知性がそういう誤った結論を導き出してしまったんだよ。
 そこから先は、想像できると思う。ひたすら大人になりたくて飛び級を繰り返し、その結果、心を許せる友人も対等に渡り合えるライバルも居ない。周辺は全て年上。向けられる感情は、羨望、嫉妬、やっかみ、そして劣等感から来る嫌悪。本来防波堤であるはずの教師達ですらそうだったようだ。
 そして彼方はキュレイだ。迫害やいじめすら真っ向から実力でねじ伏せてしまった。こうなると、周囲の取る方法は二つしかない。無視するか、近づかないか。
 こうして、彼方は文字通り一人ぼっちになってしまった。…あいつが同級生を呼ぶとき、どう言うか知っているか?」
 そう、私は知っている。彼方ちゃんが私以外の同期生をどう呼ぶか。
「『先輩』、ですよね?」
「そうだ。『先輩』という言葉は、敬称に見えて実はそうではないよな?同期生に『先輩』って呼ばれるってのは、はっきり言って屈辱だ。だが、そんな状況でありながら彼方に挑んでくる輩はいない。
 多分彼方はね、待っていたんだと思う。自分に真っ向から張り合ってくる、そんな存在を。だが、結局高校を卒業する時になっても彼方はそんな存在に出会えなかった。
 大学からは、引く手あまただった。世間一般の言う『いい大学』からはほぼ全部といっていいくらい声が掛かったよ。だけど、彼らが望んでいたのは『天才少年』であって『石原彼方』じゃなかった。
 俺と遙は、優春を頼った。沙羅ちゃん達の通う大学に話をつけて、優春の家に下宿させてもらう事にした。同族のキュレイ達との暮らしの中で、せめてきっかけだけでも見つけて欲しいと。
 後は、沙羅ちゃんの方がずっと詳しいと思う」
 誠さんは、話を締めた。

(彼方ちゃんの立場、覚えがある。…そっか、彼方ちゃんも『もう一人の沙羅』だったんだ)
 鳩鳴館女子高時代の私が正にそうだった。
 なっきゅ先輩以外、対等に付き合える友人は一人も居なかった。なっきゅ先輩が卒業して、また私は一人ぼっちになった。
 天才少女。みな、そう言って私を畏怖し、同時に避けていた。Lemuで、私が自由行動できたのは…いや、もう自分をごまかすのは止めよう。私が一人だけ放っておかれたのもそのせい。
 こう思うと、虹ヶ丘の日々が如何に恵まれたものだったか痛いほど分かる。
 委員長が居てくれたから、クラスでも孤立しないで済んだ。お兄ちゃんという言い訳があったから、仮初の関係とはいえ友人を得る事ができた。そして…体育祭の後、本当の意味で対等の友人をいっぱい手に入れることが出来た。
 真希ちゃんとは進路が違ったけど、ちょくちょく連絡を取り合ってよく一緒に遊びに行ったりする。委員長…じゃない、真幸さんには相変わらず勉強とコンピュータ以外まるで歯が立たない。いつもからかわれてばかり。
 この二人だけじゃない。教室に入るとき挨拶すれば、たいてい返事が返ってくる。分からない所を教えてくれと高校時代の同級生が頼ってくる事もある。
(でも、彼方ちゃんにはなかったんだ。私に出会うまで、何も)
 なのに、彼方ちゃんは今まで何も恨み言を言った事がない。
 いかなる困難にも折れる事を知らず、他者を頼る事を知らず、それ故に孤独。折れた事が無い故に、自身が不幸だと気付かない。
 それが、私の知る、否、今私が知った石原彼方という存在だった。

「正直、自分勝手な事を言っていると自分でも分かっている。それでも、現状では沙羅ちゃんにしか頼めないんだ。
 …彼方の事を、頼む。大学の間だけでもいい。あいつを支えてやってくれ。出来れば、勘違いを正してやってくれ。取り返しの付かなくなる前に」
 誠さんが、私みたいな未熟者に、深々と頭を下げる。
『取り返しの付かなくなる』時。私には意味がわかる。折れたことが無い故に、一度折れたら多分立ち直れない。他人に価値を見出せず、他人に頼る術を知らない故、そのような時に立ち直るきっかけすら見いだせないのだ。誠さんは、それを危惧している。私に、そういう時の杖になってほしいと言っているのだ。
「TV電話の彼方、別人みたいだった。沙羅ちゃんの事、嬉しそうに話すの。小さい子供みたいに。
 お願い。彼方の味方で居てあげて。せめて、大学を出るまででいいから。お願いだから…お願いだから…」
 遙さんが、泣いていた。子供の様に、泣いていた。
 遙さんの手を取る。手の節々が硬くなっている。私には、理由がわかる。
(すごいペンだこ、そして…キーボードたこ。本当に仕事ずくめだったんだね…)
 正直、親としてなってないって責めるのが道理なのかもしれない。でも、遙さんも、誠さんも、人を救うために一所懸命だった。
 私達を救うために自分の人生を賭けてくれた優さん。ある意味、その犠牲になったなっきゅ先輩。お兄ちゃんを奪っていったなっきゅ先輩を嫌いになれないのも、多分そのせい。
 だから、誠さんと遙さんを責める気にはなれなかった。

 正直、私なんかに出来る事なんて限られているけど。パパ、ママ、お兄ちゃん、なっきゅ先輩、真希ちゃん、真幸さん、他の友達達が私を救いの無い世界から救い出してくれた恩に報いるには小さすぎるけど。
 それでも、これは私の恩返し。皆から貰った恩を、彼方ちゃんに返す。
「………承知。拙者が徹底的に性根叩きなおして差し上げるでござる。何しろ強敵(とも)でござるから。そういう事だから、覚悟していてくださいね、遙さん」

「感謝する。この恩は、絶対に返す」
「有難う…。有難う…」

 誠さんや遙さんの声を聞きながら、私、倉成沙羅は心の中でそう誓った。



 PM 2:30 Portside Quay(港湾岸壁)


「何黄昏ているんだ、彼方?」
 僕は、振り向いた。そこには、珍しい取り合わせ。
 武さん、優さん、ホクト先輩。なんと言うか…
「連れ合いに振られた同士って所だな」
 武さんが代弁してくれた。
「―待ちなさい。武やホクトは分かるけど、どうして私まで数に含めるの?」
「「さあ?」」
 親子でとぼける武さんとホクト先輩。…今日は珍しい光景ばかり目にしているような気がするなあ。

「で、どうする?俺はリベンジマッチをするつもりなんだが」
「僕、実は釣りってしたことがないんだ。だから、お父さんに教えてもらうつもり」
 よく見ると、二人とも見慣れた格好をしている。…父さんのライフジャケット。
「…この島に来てから2回連続ボウズの人間に教えてもらっても、無駄だと思うけど?」
「言ってくれたな、優。そこまで言うなら、勝負するか?」
「上等よ。恥の上塗り、期待しているわ」
 そのまま、武さんと優さんは連れ立って釣りの準備を始める。
「何で隣に来るんだよ!」
「条件は一緒じゃなきゃね。腕の差が分からなくなるじゃない」
 何だか、いつも武さんと優さんってこんな感じのような気がする。言ってる事だけ聞いていると凄く剣呑なんだけど、実際の所二人とも楽しんでやっている。そんな感じ。
「―――御免、彼方君。すまないけど僕に釣り方、教えてくれないかな?」
「しょうがないよね。あんな状態じゃ、武さんに教えてもらうわけにもいかないだろうし」
 正直、そんな気分かと言えば嘘になる。だけど、僕は素直に頷く事にした。

「…彼方君、釣り、凄く上手だね」
「ホクト先輩こそ。僕が初めて釣ったとき、そんなに沢山は釣れなかったよ」
 僕は、釣りは嫌いじゃない。いや、むしろ好きと言ってもいい。
 滅多に休めない父さんと母さんが、たまに一緒に休めた時には釣りに出かけるのが習慣だった。その時には、必ず僕も連れて行ってくれた。だから、僕にとって釣りは家族団欒と同じ意味。
 そんな物思いに耽っていた時。
「御免。沙羅が、迷惑かけているみたいだね」
 ホクト先輩の言葉に、僕は思わず竿を取り落としかけた。
「―――一体、何の事です」
「いろいろ。ある意味、沙羅をああいう妹にしてしまったのは僕だから」
 ホクト先輩の顔は、真剣。
「本来、僕には沙羅の兄を名乗る資格なんて無いんだ。だって、僕は一度沙羅を捨てたんだから」
「…説明して、くれますよね?」
 不思議と、僕は冷静に返答していた。

「施設時代、僕たち兄妹は孤立していた。インフラビジョン。沙羅にとって、あのペンダントは宝物だったから。他より優れている事や違っている事は、幼い子供の共同生活では利点にならない。それは、分かるよね、多分」
「うん」
 厭というほど、知っていた。
「そんな折、僕たち兄妹を引き取ってくれるという人が現われた。園長先生は立派な人だったから、僕たちの現状を心配してくれていた。だから、僕達もこの話を受けた。
―――不幸への入り口と、知らずに」
「ライプリヒ、だね。おじいちゃんの研究所にも、出入りしていた。おじいちゃん、応対するときはすごくニコニコしていたけど、その人たちが居なくなるといつもものすごく怖い顔をしていて近寄れなかった」
「―うん。僕たちは隔離され、監禁された。僕の能力は低かったから、割と簡単に開放された。
いや、違う。別の目的で開放させられたんだ…
 その事に気付いたのは、悔しい事に、沙羅と再び出会いもう一度家族になった後だった」
「…最初から、目的は沙羅だったんだね。ライプリヒは」
「うん。僕が居なくなる事で、沙羅は壊れた。僕と会いたい一心で、ライプリヒの言うがままになってしまった。もちろん、心から従っていたわけではない。だからこそ、監視に脅え人を信じなくなってしまった。そしてもう一つ、恐るべき計画があったんだ…ここから先は、何があっても沙羅には言わないでくれるかな?」
「うん」
 僕は、頷いた。最初から沙羅に話す気など無かった。
「Lemuの件は、昨日話したよね。…なんで沙羅が、あそこまであっさりとLemuに来れたと思う?僕があっさりLemuに来れたと思う?」
「…優さんが、そう仕組んだんでしょ?」
「半分だけね。正確には、ライプリヒに元からあった計画を利用してそのように誘導したんだと思う。
 僕がブリックウィンケルの器になったって事は知っているよね。そこで見た別の未来。その未来で、僕と沙羅は二人で手を取り合ってライプリヒから逃げていた。見えたのはそこまでだったけど。この先は、分かるよね?」
 分かってしまった。分かりたくなかったけど、分かってしまった。
「…サピエンスキュレイ同士からは、1/4の確率で先天性キュレイが生まれる。そういう事だよね」
「そうだよ。そうなるように、沙羅は育てられた。僕しか救いの光が存在しない。そういう風に思い込むように…実際、それは成功してしまったんだ。
 一度、学校で他の女の子からラブレターを貰った事があったんだけど。あの時の沙羅は、本当に怖かった。ユウだってあそこまで荒れる事はなかったよ。
 もう分かるよね。沙羅は、僕を兄としてではなく伴侶として見てしまった。それこそ、沙羅にとって唯一の目的となってしまったんだ。…だけどそれは沙羅の為にはならない。絶対に」
 決然と顔を上げたホクト先輩が、真っ直ぐに僕を見る。
「だから恥を承知でお願いする。
 沙羅の事を頼む。彼方君にとっては迷惑かもしれないけど、現状じゃ君にしか頼めない。この件では、僕が出て行くと逆効果になるんだ。
 別に沙羅と恋仲になってくれという訳じゃないよ。せめて沙羅が僕無しでも歩けるようになるまでの間、補助輪になってほしいんだ」
 ホクト先輩が、深々と頭を下げる。
「別に頼まれるような事じゃないよ。いつもの通り。それでいいんでしょ?」
 ホクト先輩の気持ちが、痛いほど分かるから。だから僕は、わざとそっけなく返事した。

「感謝するよ、彼方君」
「だから、感謝されるような事じゃないってば」



 なお武と優の勝負は、双方ボウズでノーゲームという非常に情けない形で終わった。



 PM 3:00 Luner Beach(ルナビーチ)


「う〜ん。極楽、極楽っと♪」
 目の前に広がるお菓子の数々に、すっかりご満悦のユウ。
「うんうん。お姉ちゃん、お菓子も上手なんだよ」
「ココ、楽しみにしてたんだ〜♪」
 こちらはこちらで、自慢げに胸を張るくるみとココ。
「あんた達が作った訳じゃ無いでしょうが!」
 思わず突っ込むユウ。女だけの空間ということもあり、リラックスしている。
「ぶーぶー。小なっきゅさん横暴だー。いいもん、紅茶、淹れてあげないもん!」
 膨れっ面でユウに申し渡すココ。
「―ご老公様、私めが悪うございました。ご無礼の数々、なにとぞ、平にご容赦を〜」
「分かればよいのじゃ、分かれば。はっはっは!!!」
 平伏する真似をするユウ。斜め上を向いて高笑いするココ。
 いつの間にか、日本人なら誰でも知っている某超長寿番組ごっこになってしまった。
「本当に、いつの間にこんなに紅茶の淹れ方上手になったの?ココ」
 カウンターから、つぐみが声を掛ける。
「えっとね、空さん直伝なんだよ。ココのちょーひっさつわざなのだ、えっへん」
 嬉しそうに笑いながらもう一回胸を張るココ。

 『ルナビーチ』は喫茶店。飲み物を供するのが本業。いずみの場合どちらかというと珈琲を淹れる方が得意なのだが、紅茶の方もそこいらの店には負けない自負があった。
 だが、そんな自負もあっさりと打ち破られた。ココの淹れる紅茶はそれほどまでに絶品だったのだ。
「…うそ、よね。本当に紅茶始めて2年しかたたないの?」
 ココの淹れた紅茶を初めて口にした時、いずみの発する事ができた言葉はこれだけだった。
「うん、そうだよ。でも空さんが言うには、ココはすごくスジがいいんだって。この前なんか『ココちゃんって凄いですね。特に教えなくても、ちゃんと出したい味が出るように淹れちゃうんですから』って褒められちゃった」
 その言葉に、あのいずみが返答不能。
「あんなお姉ちゃん、くるみ見たこと無いよ」
 くるみまでもが、びっくりしてその光景を見ていたくらいなのである。

で。

「あんた達ねえ、人の前でそうぱくぱくと食べるんじゃないわよ…」
 誘惑に耐えて腹八分めに抑えたユウの恨みがましい目の前で、お菓子を堪能するいずみ、くるみ、ココ、そしてつぐみ。何しろ正キュレイ種に太るという悩みは存在しない(『優しい嘘』参照)から、幾らでも食べられるのである。
 テーブルを埋め尽くしていたお菓子の山が消滅するのに、大した時間は必要なかった。

そして、そのままティーブレイク。ココの淹れた紅茶で一息。
「東京あたりでこれ出したら、多分、行列になるわよ」
「でも、あんまり目立つのは拙いし…って言う前に、妙な趣味の人たちが来ると困るんじゃない?」
 大人たちの会話を他所に。
「ねえねえ、ココさん、この場合、どうするの〜?」
「ええっとね、ああっ、ダージリンだ〜♪。高いから、あんまり家では淹れないんだよ。うーんと、くるみさんは渋いの嫌い?」
「ダージリンで渋みが無いってのも、妙な話じゃない?」
「ふっふっふっ、甘い、甘いです、小なっきゅさん。そういう淹れ方もあるのですよ」
「へえー。そういうのも、アリなんだ」
 子供たち(見た目)+1人が紅茶談義に花を咲かせていた。+1人が一番年下なのがミソ。絶対そうは見えないけど。
「ココさんココさん、せっかくこんな美味しい紅茶淹れられるんだから、ルナビーチの店員さんになったらどうかなー」
…いつの間にか、話が脱線。

「まあ保護者さんがいいって言ってくれたら、いいんじゃないかしら。打倒月屋ホテルの切り札になるかもしれないし」
「え、いいの?やったー、ココ、そういうのもいいなーって思ってたんだ〜♪…でも、ココ、高校生だよ?」
 ココは現在、高校1年生として沙羅とホクトの母校虹ヶ丘高校に通っている。一応、ハイバネーションの期間を除く実生活年は16年余り。一年間の慣らし期間をおいて、一年遅れで高校に入学したのであった。
 戸籍は『小町法』で再取得。虹ヶ丘高校においてはキュレイという存在である事はハンデにならない。入学試験は…優と空を敵に回したくないので割愛する。
「もともとここのお店、お姉ちゃんが趣味で開けてるんだから。学校がお休みの時だけ来てくれればいいんだよ?」
「うんうん、そうそう♪」
…さらに暴走。

「もしもし。あっ、空さん。あのねあのね…」
チン!
「空さん、いずみさんとくるみさんと一緒ならいいよって!」
「やったねっ」
 二人でぴょんぴょん室内を跳ね回るくるみとココ。
…かくしてなし崩し的に、喫茶店ルナビーチに第三の店員が仲間入りしたのであった。


「というわけで、お祝いをしましょう」
…いずみが、何かを思いついたようにぽん、と手を打った。
「どうしたんです、いずみさん?」
 ユウの問いに、
「くるみ、ココちゃん。ちょっと伝言お願いできないかな?後、優秋ちゃんは買出し手伝ってくれる?」
 いずみは、悪戯っぽく笑った。



 PM 3:00 National Root(国道)


「守野博士、一体どこまで行くんです?」
「ふふふ、それは着いてのお楽しみだよ」



 PM 5:34 National Root(国道)


「なるほど、こういう事だったんですね」
「まあ、そういう事だよ」



 PM 6:00 Luner Beach(ルナビーチ)


「ばーべきゅーぱーてぃ?」
「ええ。バーベキューパーティ」

 驚きのあまり平仮名で返答したユウに、いずみが首肯する。
「本当にいいの、いずみさん?」
「いいの、いいの♪ココちゃんのルナビーチ店員就任の歓迎パーティも兼ねてるんだから」
 つぐみの念押しにも、いずみは笑って頷くのみ。
「それに、今日はスポンサーさんも居るし♪
 ね、優春?」
「な、何のこと?」
 ひきっ。平常を装う優春の眉間に入る線一本。
「あら、優秋ちゃんから聞いたわよ?ロッジの使用料代わりに、今日からの滞在費は全部優春が持ってくれるって」
…やはりそうなりますよねえ。
「…ユウ、あんたねえ」
「ってお母さんが言ってますが。どうするの、つぐみ?」
 ユウ、八つ当たりしようとした母親に対し最終兵器使用。
「何か不満でもあるのかしら、優?」
「なんでもありませんわ、おほほほほ…」
 つぐみの視線に、優は撤退を余儀なくされたのであった。



 PM 7:00 Tsukihama(月浜)


 じゅうじゅうと焼ける肉の匂いが周囲に漂う。
 大きな鉄串に刺された肉や野菜が、非常にいい塩梅で焼けている。

「それでは皆さん、かんぱーーーーーい!」

「「「かんぱーーーーーい!」」」

 いずみの音頭で、バーベキューパーティは始まった。



「誠、ちゃんと遙を見張っていてね?」
「判ってるよ、いずみさん」
「…いずみお姉ちゃん、酷い」

「一体、どうしたんだ?」
 非常に真面目な表情での誠といずみの会話と、それにあからさまに膨れている遙。珍しい光景に武は隣の彼方を肘で小突いて聞いてみた。
「母さん、バーベキューになると変なものを焼くクセがあって。毎回誰かが犠牲になるんだよ」 
 こちらはしかめっ面で応じる彼方。どうやら、犠牲者になった事があるらしい。
「変なもの?」
 その表情に、思わず鸚鵡返しに返事する武。
「うん。フナムシとか、ゴカイとか、ヤドカリとか。ウミウシを焼いた事もあったよ、確か」
「ぶふぉっ!」
 思わず、口の中のビールを噴出してしまう武。
「武、汚い」
 不満の声をあげるつぐみを他所に、
「な、な、なんじゃそりゃ?」
「しかもだんだん手が込んできて、知らない内に紛れ込ませるもんだから。バーベキューの時は、絶対に母さんに串も食材も触らせないってのが家族の約束事なんだよ」
 その言葉に、渋い顔になる三人。
(遙(母さん)の近くの串には、手を出さないようにしよう)
 その目は、雄弁にそう語っていた。



「なんか、悔しい」
「ぐぬぬ。この格差、納得できないでござる」
「ふふふ、羨ましいでしょ?」
 ホクトと沙羅のコップにはジンジャエール。ユウのコップにはビール。
 そう。田中優美清秋香菜は20才11ヶ月。お酒もオッケーなお年になっているのである。
「ねえ、やっぱり、だめ?」
 どこかの打ち切りCMのようなシュチュエーションの視線を向けるホクトだが、
「だーめ。これは大人の特権。あと1年半位、我慢なさい」
 にべもない。
「なっきゅ先輩、後生でござるから、お目こぼし下され」
「そんな事に後生のお願い使ったら、真に大切なときに運がなくなるわよ。というわけでえ」
 沙羅のお願いポーズにも動じず。
ごくごくごく…不満顔の二人の前で旨そうにビールを飲むユウ。
「ぷっはー。やっぱりビールは最高!…再来年のあなた達の誕生日には、一緒に飲みましょ。ホクト、沙羅」
「「………うん!」」
 さっきまでの不満はどこへやら。ホクトと沙羅は笑って頷いたのだった。


「やっぱり、秋香菜みたいなタイプってホクトには合うのかもね」
「ああ。いい世話女房になりそうだな」
 串から切り分けた食べ物片手に三人を暖かく見守る武とつぐみの横で、
「僕、その時もジュース、なんだよね」
…秘かに落ち込む、彼方であった。



「きゃはははは…くるみさんもコメっちょ、つくれるんだあ〜」
「実はねえ、回文も作れるんだよ。だけど、誠お兄ちゃんも遙さんも、いずみお姉ちゃんまで『絶対作るな』って。くるみつまんない」
 この二人は、いつでもこの調子である…って、何気に二人のコップの中身はビール。確かに実年齢は20歳過ぎてるけど、似合わないことおびただしい。
「うーん。何でなんだろうね。面白いのに」
「うーんとね、『回文を作ると、酒乱になるから』って。実は一人だけそういう人を知ってるよ、くるみは」
「じゃあ、止めたほうがいいね。お酒で人生、踏み外すのはイヤだもんね。…にはははは♪」
「ココさんもそう思うんだ。それじゃ、くるみも回文作るの止めるよ。お酒で男の人に愛想つかされるのもいやだもんね。…くすくすくす♪」
 酔っているのか、地なのか。容赦の無い会話。

…どこかでクシャミが止まらなくなった人物がいたとかいないとか。



「うむ、食った食った。今日は何もなく過ぎたようだな」
 紙皿をサイドテーブルに置き、そのままくつろぐ誠。流石の遙も部外者込みの今日は自重したらしい。
「誠…あげる」
「おっ、サンキューな、遙」
 そんな誠に、両手に持ったコップの一つを手渡す遙。中にはなみなみと入った冷えたビール。
「それじゃ改めて、乾杯」
「うん。乾杯」
 コップの口を合わせ、乾杯。そのまま二人、中身を飲み干していく。
「ぷふぁー。最高だ」
 満足の表情で口についた泡を拭う誠。
 そんな夫を嬉しそうに見ていた遙が、一言。
「今日のは、美味しかった?」
 そのまま、遙は立ち去った。

「おい、『今日の』って…一体何を入れたんだよ、遙」
 余りの恐ろしさに、想像すら拒否する誠であった。



「ダメよまだ…夜は長いんだから」
 バラ色に染まる表情。
「何を言っている?さっさと観念しないか」
 熱を帯びた言葉。
「イヤ、だからそれは…」
 熱を帯びる吐息。
「ほらほら、我慢しないでいいぜ。いっちゃえば、楽なんだ」
 渦巻く甘い匂い。
「そっちこそ、早くいっちゃいなさいよ。んっく、んっく、ぷはあっ。…甘くて美味しいわ」
 こくこくと動く、白い喉。
「ぷはあっ。こっちも、お返ししてやる。んっく、んっく、んっく…はあー。本当に、甘い。もう我慢できないかも、俺」
 灼熱の視線が交錯する。
「はあー。…待っていたわよ、そう言うの。さあ…」
 そのまま二人は…


「「まだまだあ!もう一杯!」」
 カクテルグラスを放り出し、お替りを要求したのである。


 周りに散乱する酒の空き瓶。この空間は、酒精の支配する暗黒の領域となっている。
 意地と意地のぶつかり合い。ささいなきっかけから始まった飲み比べは、もはや引き返せないところまで来ていた。
 優と桑古木の顔は紅潮し、アルコールを含む吐息は熱い。交わす視線は灼熱する熱線と化している。ビールから始まったラインナップは今ではカクテルに及び、カクテル特有の甘い匂いが周囲に充満していた。
 いずみも次から次へと干されていくカクテルグラスの中身を補充するのに余念が無い。
「さて、今度は、マティーニとブラッディマリー行ってみようかしら。あ、ソルティ・ドッグもいいかも。この島だとこういうタイプのカクテル、あんまり作る機会ないのよねえ」
…というより、この人が黒幕なんじゃないだろうか。カクテルなんてバーベキューパーティでは出しませんよ、普通。
 そして…

「ああ、見えるよ父さん。俺は辿り着いた。神の領域に…」
「…見えるわ。私にも。世界が、静止して見える…」
 最後に二人は微笑を交わし、意味深な、というか意味不明の台詞を残して同時に砂浜に沈んだのだった。



このように、和気藹々の中いろいろな喧騒を織り交ぜて、パーティの時は過ぎていく。



「こういうのは、距離を置いて観察するのが一番楽しいのかもしれないね」
 ビール片手に、完全に空気となって気配を消している守野博士に、
「ええ、そうですね。お父さん」
 いつの間にか、メモ帳片手のいずみが寄り添っていた。
「…すまないね。貧乏くじ引かせているようだ。いずみなら、仕事だろうが私生活だろうがいくらでも成功でも幸せでも掴めた筈だろうに」
「私は、お姉ちゃんだもの。皆が幸せになったら考えます。お父さんの言うとおりなら、その時でも私は遅くはないですから」
 守野博士は、長女の横顔を見やる。バーベキューを焼く炎に照らされた横顔は、幻想的な美しさ。
「そうだな。そういう考え方もあるか」
 いずみは、頷く父親を見上げて、
「『未来を信じ続ける限り、心は折れない』
心理学を研究し続けて、私が辿り着いた答えですから」
 そのまま、心から満足そうに微笑んだ。


 
PM 11:17 Living Room in the Lodge(リビングルーム)


「さて、いよいよ明日が事実上の最終日になるわ。まあ、いろいろあったけど、明日はそういう事は忘れて楽しむ事にしましょう」
 恒例の班長訓示。というか、もう復活しているか優よ。
 普通なら信じられない光景だが、キュレイの非常識なアルコール耐性をもってすればあの程度の酒量、2時間もあれば解毒可能。検問だって大丈夫。

「まず最初に。泳ぐなら、明日が最初で最後のチャンスになるわね。一応強制はしないけど、夏なんだから。出来れば参加して欲しいなあ」
 
 優の誘い。確かに、今回の『家族旅行』で満足に泳いだのは沙羅と彼方だけである。

「まあ、そうするか。姫ヶ浜みたいな、知る人ぞ知るって穴場もあることだし」
 誠が請合う。

「僕も行きたいかな。ユウの水着姿、見てみたいし」
「ちょ、ちょっと。何恥ずかしい事言ってるのよホクト」
「…沙羅も行く。パワーアップした私を見せてあげるわ」
「ココ、泳ぎ得意なんだ〜♪…あ、でもアルバイトあるしなあ、どうしよっかな?」
「いずみさんから伝言よ。『1、2時間位なら大丈夫だから、遊んでらっしゃい』って」
 なし崩し的に賛成の輪が広がっていく。どうやら、明日の基本路線は決定のようである。

「それじゃ解散!
 今日はすぐ寝る事。いい加減疲れも溜ってきているでしょうし。寝不足で海で溺れるなんて無様な姿、私は認めないからね」
 優の冗談に紛らせた忠告に従い、皆そのまま部屋へ(桑古木はハンモックへ)引き上げたのであった。


                                    ―To Be Continue Next Day.―
後  書

 御免なさい。3回構成では終わりませんでした。
 後半になるほど専用ルートが増えるっていう初歩的なことに気付かない、粗忽者のあんくんです。

 今回、結構時間が掛かりました。ネタが出てこないし、それにかなりシリアス強くなってきたし。ギャグ書けない人なので、どうやって雰囲気を暗くしすぎないようにしようかと悩みました。
 あと、読み返して気付いたのが一つ。ウチの優春がここまでへっぽこな回は初めてかも。何気に桑古木や守野博士の方が目立ってますし。

 いずみさんとくるみもやっと出せました。が、残念ながら位置づけは脇役です。この二人のファンの方々、申し訳ありませぬ。あと、残りの3人、どうしましょうかねえ?

 あとR11ネタの件。あれは訳有りです。その訳は、完結したならば総後書で書くことになるかもしれません。
 とりあえず、今度こそ、次回でサマータイムデイドリームスは終わります。


 最後に、こんな支離滅裂な後書まで読んで頂き、誠に有難うございました。


2006年5月14日 後書改稿 あんくん


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