「武。結局、俺は最後の最後まで勘違いしていたわけだ」
 誠はソファに浅く腰掛け、俯いた格好で言った。
「誠のせいじゃないさ。何しろ初めての事だったんだから」
 努めて慰めの言葉を捜す武に。
「慰めは不要だ。結果的に、そいつが一番拙かったんだから」 
 そう呟いて誠は面を上げ、虚空に視線を投げた。








未来へ続く夢の道
−本編18 with You!−

                              あんくん




 2040年1月20日(金) 20時30分。田中研究所2F 医療セクション内集中治療室




 迎えられないと言われた22歳の誕生日を明日に控えながら。




 ホクトと沙羅の命の灯火は、尽きようとしていた。



「キュレイシンドロームの発現は一瞬だ。だから、一か零かなんだよ」
 誠が言った言葉。
 通常の治療においては、進行を『止められない』にしても『遅くする』ことは可能である。だが、キュレイシンドロームを利用する治療はそれは不可能。いつでも一発逆転が狙える代わりに、治療の成果はキュレイシンドロームが発現しない限り全くゼロである。

 誤算だったのが、ホクトの病状の急激な悪化。沙羅より悪くとも半年は永らえるだろうと考えられたにもかかわらず、妹に呼ばれるように体調を崩してがん細胞が急激に広がっていった。

 もちろん、手を拱いていたわけではない。例え対症療法に過ぎないとしても、少しでも時間を稼ぎ、チャンスを増やさなければならない。
 治療の性格上、臓器摘出を含む外科的治療は行わず(キュレイシンドローム発現後の後遺症を防ぐためである)、重粒子線照射療法と温熱治療、アルコール注入療法といった積極的療法と、保存的治療を併用して必死の治療が展開された。
 例え叶わずとも、我が子の為に。そういう思いでキャビン研究所の医師達が研究した治療法が効を奏し、抗がん剤と外科切除術を封印したにもかかわらず病状の進行は当初の想定よりも遅らせる事ができた。

 
 当然の様に、キュレイシンドローム発現の為の努力は最優先で続けられた。

 連日のように繰り返されるカウンセリング。そして衰え行く身体を押して、デートをしたり、遊びに行ったり。この世に未練を作り。生きる理由を作り続けて。
 誠といずみは、ありとあらゆる心理学的手法を行使して必死の努力を、当事者達と共に続けた。



        だが、この期に及んでも、未だキュレイシンドロームは発現しない。



 ホクトと沙羅は、ICUのベッドの上に病み衰えた身体を横たえて、浅い呼吸を繰り返す。鼻には人工呼吸器のチューブが刺し込まれており、腕には複数の留置カテーテルが刺し込まれ、複数の点滴瓶や注射器がそれに接続されていた。

 患者監視装置…バイタルサインデータを示す総合データ監視装置は、心電図を始めとするデータを表示している。
 心拍数…95、血圧…72/59、血中酸素飽和度…89%。時たま、心拍モニターの示す波形が微かに乱れる。
 医療関係者なら、この数値の示す意味はすぐに分かる。…典型的な、衰弱による臨終を迎える直前の状態だった。


 そんなホクトと沙羅の手を、ユウと彼方はしっかりと握り、必死で声を掛け続ける。


 ユウと彼方の献身ぶりは、言葉で表現する事が出来るものではなかった。
 ホクトと沙羅が倒れ、身動きが取れなくなってからというもの。ユウは大学院を休学し、彼方は大学を即時卒業(単位は十二分に満たしていて『多学科重複履修』で学んでいたため、こういう事が可能だった)して、二人の看護と介護の日々に明け暮れた。
 
 介護とは、綺麗ごとではない。食事介護、清拭、下の世話…病床にあって精神的に不安定な相手を宥め、諭し、励まし、希望を繋ぎ続ける。肉体的にも、精神的にも、極限の状態が続いていく。
 夫婦でもなければ、親子でもない。只の恋人という表現は失礼かもしれないが、人生経験の浅い二十歳そこそこのカップルであればとうの昔に空中分解しているのが当然の状態。

 だが、そんな日々にあっても希望と笑顔を失わず。恨み言も文句も言わず。絆を紡ぎ、只ひたすら奇跡を信じて。四人は、日々を戦い続けた。





 だが、そんな努力を運命と死神はあざ笑い、今全てを無に帰そうとしている。






                          「「………」」

                           「「!」」

 ホクトと沙羅の目が、微かに開く。

「ホクト!」
「沙羅!」

 自身の名を呼ぶ最愛の人の姿を視界に捉えた二人の唇が、微かに動く。

 ユウと彼方の視線が、必死で唇の動きを「聴く」。

…読唇術。声帯を病魔に侵され声を出す事が出来なくなった二人と会話するために、必死で覚えた技術。その技術をもって、唇の紡ぐ言葉を拾っていく。


(いっ…しょ…に…い…き…た…い)


 双子の紡ぐ言葉は、図ったように同一。

(『一緒に生きたい』なの?それとも『一緒に逝きたい』…!!!!!!!)


 ユウと彼方の脳裏に、図らずも浮かんでしまった致命的な言葉。


 それが、最後の一本の糸を灼き切った。





「ふざけないで!一緒に去るなんて論外だわ!ホクト、私の為だけに生きなさいよ!マヨなんか関係ないわよっ!!!」



「いい加減にしてくれ!綺麗な去り際なんて御免だ!沙羅は僕の為だけに生きればいいんだ!ホクト先輩なんかどうでもいいんだよっ!!!」


 
 部屋に響き渡る怒声。力いっぱい、相手の手を握り締める両手。その手に握られた………対の鈴。



 


                           キィーン………




 微かに、何かが鳴る音がしたような気がした。
 少なくとも、ユウと彼方は鳴ったと信じた。
 その刹那。


 びくん!



 沙羅とホクトの体が痙攣した。




「くっ!」
「…!」
 初めて浮かべた絶望の表情で、弾かれた様に脊髄反射で監視装置の数値を読み取る誠と遙。

時刻表示、20時34分…そんなの関係あるか!
心拍数…68!
「「!」」
 絶望的。後は…
血圧 98/62、血中酸素飽和度99%。よかった、正常だ………!


「何だと!………血液検査、大至急!三分で完了して見せろ!」
 誠の怒声での指示に、ICUスタッフが大慌てで命令された作業に入る。
 騒然とする室内。正常な数字が出ること事態が異常。さっきまで瀕死の態だった人間の出す数字ではない。

「数値、全て正常…いや、二人とも血糖値がかなり低めです!」
 スタッフの答えが返ってくるや否や。

「ブドウ糖静注!大至急だ!後、輸液回路、構わんから全部全開にしろ!」
 間髪入れず、誠が指示を飛ばした。
「輸液全開!?無茶ですよっ!!!」
 医療スタッフの狼狽した声に対して。
「やかましい!つべこべ言わないでさっさとしろっ!!!
 それと、高カロリー輸液とリンゲル点滴、ブドウ糖静注液の在庫をありったけ持って来い!足りんようなら出入り業者の連中を叩き起こしてでも持ってこさせろ!!!」
「所長の名において命じるわ!誠の命令を最優先で実行して!!!
 この一番大切な時にごねるような会社とは、取引を即刻打ち切りなさい!」
 誠と優の怒声に突き飛ばされ、室内のスタッフ数人が大慌ててICUから飛び出していった。


 そんな光景を、呆然として見ているユウと彼方。その両手は、最愛の人の手を握り締めたまま。

 だからこそ、分かる。

 氷のように冷たくなりつつあった手が、温もりを取り戻している事を。
 掌から感じられる鼓動が、躍動に満ちている事を。






「皆、今の情景をしかと目と心に焼き付けておけ。



 これが、キュレイシンドローム………人間だけが起こす事ができる、最大の奇跡だ」





 誠の宣言に。



 ICUと隣の控え室にいた全員の歓声が、暴風の渦となって辺り一面に木魂した。







 2040年5月7日(月)午前9時00分 倉成家リビングルーム



「結局のところ、あの二人…優秋と彼方を過信しすぎたわけだな?」
 誠に武が問いかけてみる。
「ああ。二人ともこの件では徹底的なエゴイストになれると考えていたのが大間違いだった。よりによって我侭と欲張りを混同してしまっていたとは。
 それに、当事者のホクトと彼方に目が行き過ぎた。『キュレイシンドローム』の発現条件そのものを誤っていたようだ」
「どういう事だ?『思い込む』人間と、『思い込ませる』ゼロ・キュレイ。この二つだけじゃ駄目なのか」
 誠の言葉に不整合性を感じ取って、武が聞いてみる。
「ああ、駄目だ。
『生きたい、生きれると思い込む』当事者と、『自分が奇跡を起こせると思い込む』ゼロ・キュレイ。その他にもう一人必要だったのさ。
 当事者を『自分の全てに賭けて、共に生きたいと思い込む』パートナーがね。

 ジュリアの時や武の時は、二役兼ねていた存在がいたから二人で済んだだけの事だ。なまじこの件を知っていたから、俺も考え間違いをしてしまった」
 額をぼりぼりと行儀悪く掻きながら、誠は質問に答えた。
「かえって分かり辛くなったぞ?ユウや彼方は、最初っから『自分の全てに賭けて、死なせないと思い込む』パートナーというスタンスだったじゃねえか。
 だったらどっちにしても結果的には良かったんじゃないのか?」
 半分混乱しながら、それでも武は何とか考えをまとめようとしている。

「それだ。スタンス。彼方も優秋も、『我侭』言わないといけない所を『欲張り』言ってしまったんだ。

 よく勘違いされているが。『我侭』と『欲張り』は似た思考ではない。むしろ正反対の方向性を持つ思考と言えるんだ。

 我侭ってのは、『自分でこだわる』考え方。こだわればこだわるほど、対象はどんどん絞り込まれて行くものだ。
 欲張りってのは、より多くを得たり満足させようという考え方。だから、対象はどんどん拡大していくものなんだよ。

 闘病生活の中で、四人に芽生えた連帯感。ある意味、こいつがいけなかった。
 思考法が、『四人一緒に、生き残ろう』ってなっちまったんだよ。『自分の伴侶と生き残ろう』じゃなくてな。
 自分の相手に100注がなきゃならない力を、欲をかいて三人に分散させちまったから。思い込みの力が大幅に失われてしまったって訳だ。100でも難しいのに、33じゃとてもとても。

 期せずして、ホクトと沙羅が同時に言った最期の言葉。こいつが無けりゃ、今頃俺達は生きた屍になっていたろうさ」

「『いっしょに、いきたい』だったか?この言葉の何処がそんな問題なんだ」

「彼方が言うには『一緒に、逝きたい』。もう駄目だから、双子の兄妹で仲良くあの世へ旅立とうという言葉に聞こえたらしい。何しろ病気の悪化の推移が図ったようにシンクロしていたし、そう邪推してもおかしくは無いしな。
 それで、怒りを爆発させたって訳だ。双子の片割れと、そのパートナーに。そしてその結果として…」


「究極の『我侭』が心の全てを支配した、って所かしら?」
「理性も感情もモラルも全部振り捨てて、相手を死神から取り戻す事だけを考えたってか。
 あれだけ筋道立てて考えて出来なかった事が、勘違い一つで出来たって訳だ。誠としちゃ、やりきれないわけだろ?」

「…おい、優春、桑古木。ったく、説明の一番美味しいところを持って行くかよ。
 まあ、間違いじゃない。
 対して、ホクトと沙羅に聞いてみたんだが。結局あの時二人が感じられたのは、すぐ目の前の愛しい人の顔と手の温もりだけだったんだと。そんな状況で『一緒に逝きたい』なんて考えられるわけがない。

 双子の片割れもその相手もいない世界での『一緒に生きたい』。その一点にだけ集約された当事者の心。
 全てを振り捨てて、ただ『一緒に生きたい』と願うパートナーの心。
 そしてその二つの思いを力に変えて、奇跡を起こせると信じたゼロ・キュレイ。

 この三つがあの瞬間に揃った事により、キュレイシンドロームが発現した。

 全く持って結果オーライって事だ。こんな調子じゃ、キュレイを治療するキュレイシンドロームを生み出すなんて、果たして何年先になるものやら」
 最期に大きくため息を吐いて、誠は話を締めくくった。

「まあ、100年近くかけても、私達人類は遺伝子を「知る」だけしか出来なかったんだから。焦ってもしょうがないわ。
 どうせ『ノア・プロジェクト』の最終段階…宇宙移民が実行されるまでキュレイはキュレイを辞められないんだから、その時に間に合えばいいし。
 もっとも、その時代じゃ『キュレイを治療する必要性』そのものが失われているかもしれないけど」
 ぽんぽん、と誠の肩を叩いて優が慰める。

「…それにしても凄いな、これは」
 会話の流れを変えるつもりか。リビングを見回して、桑古木が聞こえるような声で呟く。
「ああ。ひとつひとつはかさばらないが、何しろ数が凄いんだぜ?
まあ、無理もないっちゃあないんだが。ホクトと沙羅は、この子達にとって命の恩人なんだからな」
 武はそう言って、笑った。


―――ホクトと沙羅の体調が安定した状態になるのを待って、採取された二人の血液と造血幹細胞。

 二人の血液の中からはそれぞれ異なる未知のウィルスが検出され、造血幹細胞はそのウィルスを生み出す『プロウィルス細胞』としての能力を有していた。
 この事実が確認されるや否や。キャビン研究所の選りすぐりのスタッフが田中研究所にやって来てこのサンプルを貰い受けた上で、厳重な警戒の元にキャビン研究所へと空路帰還した。

 サピエンスキュレイ17番染色体再変異誘導型キュレイウィルス=リメンバー・サピエンス。
 サピエンスキュレイ17番染色体再変異誘導型キュレイウィルス=リアクト・キュレイ。

 それぞれ、ホクトと沙羅から採取されたウィルスに付けられた名称。それぞれの略称は、

 リメンバー・サピエンス=CvSc17-Rs.    リアクト・キュレイ=CvSc17-Rc.

 文字通り、リメンバー・サピエンスは「サピエンスキュレイをサピエンスにする為のウィルス」であり、同様にリアクト・キュレイは「サピエンスキュレイをキュレイにする為のウィルス」。

 遺伝的に不完全であり、それ故に多発性ガンを引き起こす宿命を背負ったサピエンスキュレイ。
 二つのウィルスはサピエンスキュレイを悲しい宿命から解放するばかりか、未来の選択までをも可能にした。
 サピエンスとして、人々の輪の中で生きるか。キュレイとして、未来への道を敷く先駆者として人類の先頭に立つか。この二つの未来を、強制される事無く自身の意思で選択できる。
 多くの親と同胞の涙と努力は、多くのサピエンスキュレイの亡骸を越えた末にホクトと沙羅の救出という結果を生み、遂にサピエンスキュレイが運命の川を渡る橋を築く事に成功したのだった。


 リビングルームに山と積まれているのは、そんなサピエンスキュレイの子供達と、その親や親類達からホクトや沙羅に宛てられたもの。
 その殆どは、メッセージカードとお小遣いを貯めて買ったと思われる心を込めた贈り物。
 そのメッセージカードの殆ど全部に書かれている言葉の内容は…



「たけぴょーん!早くしないと遅刻だよー!」
「優さん、そろそろ時間が………」

「武、涼権、優。何、油を売っているの?」
「誠。彼方と沙羅が待ってる。一緒に行くの」




       『A Happy Wedding! Sara&Kanata! Hokuto&You!』









 2040年5月7日(月)午前9時00分 K市管区中央教会 新婦控え室。




「やっほー!沙羅、来たよーーーー!!!」
「あーっ、いいんちょだ〜!」

 がくっ!

「真希ぃー!」
「あはは、ごめんなさい、委員長…はうわ、また言っちゃったよぉ………」
「…もういいわ」

 式場の新婦控え室で新婦達の衣装合わせをしていた織部真希の余りにベタな反応に、思わず膝を折りかけた大原真幸は辛うじて怒りをこらえて表面だけでも微笑んで見せた。

「真幸さん、気持ちはよーく分かるけど。沙羅の結婚式の間だけはおとなしくして欲しいんだよ?
 文化祭のような事はダメでござるよ?」
「とか言いながら、マヨだってああいうお祭り騒ぎは好きでしょうが」
「なっきゅせんぱ…じゃなかった、なっきゅ義姉さん!そこまで言う事ないと、沙羅は思うんだ」
 ウェディングドレスに身を固めた今日の主役二人の漫才に、
「あはははは…さすがはK大学一のバカップルの座を争ったお二人ですわ」
 笑いながらも、真幸は容赦なく突っ込みを入れたのだった。

「ええっと。秋香菜さん、で良かったっけ。このドレスって、やっぱり」
「ええ、そうよ。真希ちゃんに作ってもらったの。沙羅と一緒にね」
「私のご指名のお仕事第一号なんだ。このウェディングドレスは」
 えっへん、と真希が胸を張る。

「…自慢するのは合わせを終わってからにして頂きたいのだが」
「はうわっ!隼人さん、御免なさいっ!!!」
「だから、仕事中は敬語を使うなと言っている。あんたはデザイナー、俺は縫い子。こういう場であればこそ、上下をちゃんと弁えろ」
「は、はいぃー!」

 長身を折ってかがんだ格好で秋香菜のドレスの微調整をしていた男性の言葉に、真希は文字通り飛び上がり、慌てて沙羅のドレスの合わせ作業に戻る。

「…ええっと」
「糸尾隼人、縫い子だ。このドレスの作成に関して、専属でデザイナー・真希に付いて仕事するように社長から言われている…これでいいか?」
「簡潔な説明、有難うございます」
 流石の真幸も、突っ込むタイミングを失って黙るしかなかった。





「お久しぶりね、真希さん。お仕事、ご苦労様」
「あっ、つぐみさん!この度は、おめでとうございますっ!………え、ええー!」
 今回のクライアントの一人にして、思い出深い文化祭の日の主役を迎えようと振り向いた真希の視線の先に。

「真希ちゃーん、お久ーーーー!」
「へえ、これが真希のドレスかあ。結構いい出来じゃない」

 その文化祭の時のドレスの共同制作者。今は進む道を違えてしまったが、それでも仲良しの二人の姿をつぐみの横に認めて、硬直してしまった。




「ええっと、やっぱり…」
「いいんじゃないかしら。いい意味で裏切ってくれたわね、真希さん」
「…いいんですか?」
「デザイナーなら、クライアントの賛辞には胸を張りなさい。私はお世辞言えるほど器用じゃないわ」
「そうそう。私に気兼ねする必要ないわ。それに…私達は別の道に進んだし」
「うんうん、そーそー。まあ、本当は服を作りたかったけど、そういう訳にもいかなくなっちゃったから」


「なるほど。あの人たちが真希の原点、か…」
 落ち着いた雰囲気で佇む女性。そしてその周りできゃいきゃいとはしゃぐ3人の女の子の髪を留めるお揃いのシルクとレースのリボンを見ながら、隼人は呟いた。


「で、つぐみ…お義母さん。用意はいいの?」
「誰に物を言っているつもり?完璧に決まっているでしょうが。あと、『お義母さん』だけは勘弁して。いままで通りでお願いするわ。沙羅はどう?」
「当然、OKでござる」
「…その口調、結婚式じゃ絶対に使っちゃ駄目よ?」
「は〜い!」



「ユウ。もうそろそろだから、準備しなさい」
「沙羅、出番」
「分かったわよ、お母さん」
「了解です、遙ママ」
 控え室の入り口ドアから顔を出した優と遙の声に、新婦達は元気よく返事した。





 2040年5月7日(月)午前10時00分 K市管区中央教会 新郎控え室。




「よう、気分はどうだ…って、野郎の友人のやるこたあ一緒か」
「まあ、俺が学生の頃も、似たようなもんだ。学生結婚の先輩の結婚式の時が正にこれだったな」
 控え室に一歩入るなり、桑古木と武はあきれ果てた表情を作った。

 新郎を車座で囲む形で、既に宴会に突入しつつある。人数こそ多くないが(ごく親しい友人しか招待していなかった)、それでも酒の匂いが部屋に満ちている。

「あとで、司教に怒られるな」
「ああ。二人で頭、下げるしかないな」
 ため息を吐いて被りを振る二人に。

「いいや、三人だ。なぜなら、俺もそこの連中の真似をするからだ」
 振り向いた先に、シャンパンボトルのケースを両手に一つずつ軽々と持って入ってくる誠の姿。
「…ちょっと待て。そのシャンパン、もしかして…」
 シャンパンのラベルを見るなり、桑古木がぎょっとして誠を見る。
「ああ、こいつか。なんでも『金で買える中では世界で一番高いシャンパン』だそうだ」
「で、なんで二ケースあるんだ?」
「単純に贈り主が違うだけだ。たまたまかち合ったって訳だな。
 というわけだ。お前ら運いいぞ!とっとと新しい紙コップを用意しろっ!!!
 シャンパングラスでお上品になんてのはお高く留まったお偉いさんだけで十分。俺らは俺らの流儀で、俺の息子と義理の息子―息子の嫁の兄貴だから間違ってないよな―の門出を祝ってやるとしようか!」


          「おーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!」


          皆の腕が突き上げられて、室内は歓声に包まれた。



「父さん。僕だけ飲めないんだけど」
「まあ、しょうがないな。まだ18だし。ちゃんと何本か事前にちょっぱっといたから。二十歳になったら開けて飲め。………沙羅と二人っきりでな」
「うん。その時まで取っておくよ」


「ねえ、桑古木さん」
「あん、何だ?」
「今日はやっぱり、優さんのエスコート?」
「まあ、そういうこった。あんなのでも、一人ぼっちじゃあんまりだし。
 ましてユウは嫁に出す形でお前と一緒に倉成家に住むことになるし、彼方も田中家を離れる事になる。今日一日くらいヤケ酒に付き合っても、だれも何も言わんさ」
「そっか。そうだよね…久遠は?」
「まだ遠隔式RTS制御は無理だから、残念ながら留守番だ。…こんな日まで優と喧嘩されちゃたまらんしな」
「あ、あははは………」



 後に、結婚式の開始準備の為に新郎を呼びに来たシスターに全員が大目玉を食ったのは言うまでもない。

「一滴も飲んでないのに怒られる新郎って、僕くらいだよね」
「諦めよう、彼方君。結局、僕たちってこういう星回りだから」
「ホクト義兄さん。お願いだから、結婚式の日に、そんな事言わないで」





 2040年5月7日(月)午前11時30分 K市管区中央教会 大聖堂。




 パイプオルガンの重厚な、聖歌の演奏が始まる。新郎新婦の入場が始まる合図。

 結婚式開始の時間としてはやや中途半端ではあるが。
 ホクトと沙羅は、自身の両親の結婚式の始まった時間と同じ時間に結婚式を挙げる事を望んだ。


 大聖堂の扉が開放され、二組の新郎新婦が入場する。

 純白の最高級のタキシードに身を包んだ新郎と、純白のウェディングドレスに身を包んだ新婦。


 今や伝説となっている『文化祭の結婚式』に参列した人間は、そのドレスを見て驚きの表情を浮かべる。
 デザインは、全く同一。かつて母親が纏っていたものと同じ意匠の物を沙羅が纏い、それを鏡写しに左右逆にしたものをユウが纏っている。シルクとレースのみで作られた、全身を覆うタイプの古風なウェディングドレス。
 そして服に詳しい者ほど、この二人の纏うドレスの意味を知って驚きを新たにする事になる。
 
 二人の纏うドレスに使われているシルクとレース。この色合いが、二種類あるのだ。

 全く同じ素材であっても、どんなに細心の注意を払って保管したとしても。時の流れに従って布地の色合いは微妙に変わってしまう。
 真希は自身の思い出の詰まった、つぐみのウェディングドレスを敢て全て解いてしまった。その上で同格の新しいシルクとレース地を加えて、新たに二着のウェディングドレスに仕立て直したのだ。
 だから、沙羅のウェディングドレスにもユウのウェディングドレスにも、つぐみのウェディングドレスに使われていた生地と新しい生地の両方がほぼ半分ずつ使われている。
 新しい生地の持つまばゆいばかりの明るさと、古い生地の持つ暖かさ。その両方を巧みに利用して作られたウェディングドレス。敢て難しい方法を取り、成功させているのだ。

 もう一つの意味。
 ユウの夫になるのは、沙羅の兄。すなわち、ユウはつぐみの娘になる。
 一着のウェディングドレスを二着に分かつ事により、母親であるつぐみのウェディングドレスは二人の娘達に分け与えられた。
 「全く同じデザインで」というオーダーの影に隠されたかなわぬ希望…あのつぐみのドレスを譲ってもらいたいけど、譲ってもらう訳にはいかない。だからせめて、デザインだけは同じものをと。
 そんなユウの想いを読み取り、こういう手段を持って真希はその希望を実現しようとしたのだ。

 そして、そのドレスを縫製する技量は段違いに上がっていて、それでいて昔のように全く手抜きも妥協も無い。むしろ細部に補強が行き届き、あちらこちらに金糸や銀糸、レース糸や絹糸で精巧な縫い取りが施されている。

 確かに、駆け出しのデザイナーである以上技量には限界はあるかもしれない。
 それでもこの二着のウェディングドレスは、沙羅とユウにとっては世界一のウェディングドレスだった。




 第一朗読。


 答唱詩編。


 アレルヤ唱。


 福音朗読。


 カソリックの結婚式のルールにのっとり、静粛に式は進んでいく。
 祭壇の前で式を執り行っているのは、父母の式を執り行った老牧師。

 本来ならば、最低でも司祭が執り行うのが相応しい格の規模の結婚式。
 実際、教会側はこの教会の責任者である司教自らが式を執り行う事を提案した。


 だが、新郎新婦の四人が望んだのはこの老牧師。


 式場すら使用することも叶わず、真希達『手芸・服飾部』と街の人々の好意でやっと挙げることが出来た父と母の結婚式。
 事前準備も何も無い、形式も何も伴わせる事の出来ない片手落ちの結婚式。
 そんな式を志願してまで執り行ってくれた上に、失われた伴侶との絆と思いの詰まった結婚指輪まで譲ってくれた老牧師。

 教会の提案に対して、異口同音にホクトと沙羅が答えた言葉。

「自分たちは、両親を結んでくれたあの方の前で結婚式を挙げたいだけなんです」

 この言葉に、教会側も二人の希望を容れるしかなかったのである。




 結婚の意志の確認。


 結婚の誓約の言葉。


 誓いのキス。


 結婚が成立した旨の宣言。


 指輪の祝福(流石に今回は用意できた)。


 指輪の交換。


 結婚証書への証明。


 共に神へ祈りを捧げる。




 粛々と、形どおりに式が進んでいって。



「かくして、神の御名の下に、倉成ホクトと田中優美清秋香菜、石原彼方と倉成沙羅は夫婦となった。
この夫婦達の行く末に、神のご加護のあらんことを」


 老牧師が二組の若夫婦に神の祝福を施す事により、結婚式は無事に終了した。






 2040年5月7日(月)午前12時30分 K市管区中央教会 大聖堂前広場、バージンロード。




 バージンロードの両脇には、文字通りの人だかりが出来ていた。招待されていなければ大聖堂には入れないが、外で待っていることは可能。
 時間はちょうど昼休み時間。そういうこともあって研究所のメンバーや大学の関係者を始めとした多くの人々が、四人を祝福するために詰め掛けていた。

 そんな人々の声に応え、手を振り、握手し、礼を施しながら、ゆっくりと二組の夫婦はバージンロードを歩んでいく。

 ゆっくりと、ゆっくりと歩んでいく四人の道の終点に待っていたのは…血のつながった親族と、血のつながらない親。そして、同志達。
 倉成武とつぐみ、石原誠と遙の両夫妻に、田中優美清春香菜。新郎新婦の実の親。
 守野夫妻に守野いずみとくるみの姉妹。血のつながった親族。
 松永と天辰の両夫妻。血のつながらない親。
 そして、桑古木涼権、茜ヶ崎空、八神ココ。田中優美清春香菜のエスコート役と、血のつながらない同居人たち。



「いいなあー。マヨちゃんも小なっきゅさんも。ココもいつか着たいなあ、そのドレス」
「まあ、ココだったらいつかはいい人見付かるから。焦らないでいいんじゃない?」
「…まあ、頑張るでござるよ」
「私も…」

「「それは駄目」」

「何も即座に仰らなくても………」




「お父さん、お母さん。迷惑かけるかもしれないけど、ユウと一緒に頑張るよ」
「武、つぐみ、不束者ですがよろしくね…本当はこう呼んじゃダメなんだろうけど、つぐみも武も『お義父さん』『お義母さん』って呼ぶと怒るじゃない」
「二人とも頑張れ。俺はまだ、『お義父さん』って歳じゃない」
「呼び方で老け込んで見られるのは心外だし、それでいいわ。ただし、家事については容赦しないからね」
「あはは…できればお手柔らかにお願いしたいなあ」
「ダメよ」



「父さん、母さん。今後はLemuに沙羅と二人で住む事になるけど、RTS使えるからちょくちょく帰ってくるから心配しないで」
「あはは。家事はまだまだだけど、ママに仕込まれたから少しなら出来るよ。だから…長い目で見て下さいませんか、遙ママ?」
「大丈夫。つぐみと私といずみお姉ちゃんで仕込むから」
「…すまん、沙羅。俺じゃ遙といずみさんは止められない。石原家に嫁に来た不幸と思って諦めてくれ」
「しょうがない。ぼちぼち頑張るでござるよ」



「武義父さん、つぐみ義母さん。御免なさい、沙羅を貰っていきます。
 その代わり、絶対に不幸にはしません。それだけは全てに賭けて誓います」
「ああ、彼方ならそういう真似が絶対にしないな。あと一つ。その『義父さん』だけは勘弁してくれ」
「悪いけど、家事はまだ仕込みきってないから。手抜くようだったら、構わないから連絡して。それと『義母さん』は止めて」
「どうしてみんな、沙羅には容赦ないんでござるかな?」
「さあ?」



「俺達は、所詮仕事しか能のない人間でもある。それでも、親は親。
 困ったら連絡しろ。親は、便利使いしてこそ価値がある」
「相変わらずだよね、松永のパパは」
「トムさんによく似てるよね、松永さんは」
「ふふふ、ウチの人はこういう事には昔から不器用なの。気にしないことよ、沙羅、彼方くん」



「これでも、それなりに組織の事なら相談に乗れるから。大学っていうのもまた組織だ。
 学問で食べて行きたいのなら、そういう事も必要だよ?」
「そうかもしれないわね。その時はお願いするわ、天辰さん」
「うん。困ったときは相談するね、天辰のお父さん」
「…私は、もしかして要らない子?」
「「お母さん!!!」」
「御免なさい、冗談よ」



「優お義母さん…ごめんなさい。ユウを、妻として貰います」
「お母さん、御免なさい。考えた末の結論なの」
「まあ、しょうがないわ。サピエンスって道をホクトに強いた以上、せめて命ある間はつぐみ達に付き合いなさい。私は、ユウに飽きるくらいは付き合ったからね」
「有難うございます。絶対に、ユウを幸せにして見せます」
「お母さん、私、幸せになるから」
「はいはい。適当に頑張りなさい、二人とも」



 各々の挨拶が終わって。最後に優と桑古木の所に回ってきたユウとホクト。

 そして松永夫妻との挨拶が終わった後に、沙羅と彼方も同じ場所にやってきた。

 
 優の前にユウとホクト。 桑古木の前に沙羅と彼方。二人並んで前に佇む。

「「???」」

 何の意図があるのか。まだ分からない。だが、研究所でのアルバイトやら何やらで付き合いもあったし、何か言いたい事があるのだろう。そう考えた桑古木であったが。



 両手にかかる僅かな重み。突然の事に、優ともども対応が全く出来なかった。


 ユウと沙羅がその右手を伸ばし、そのまま手を開いた。行動としてはただそれだけ。

 だがその行動の結果として、


 優と桑古木の両手の中には、花嫁のブーケがしっかりと収まっていたのである。



「何の真似だ?」
「何の真似よ?」
 しっかりと声をハモらせた二人。

「花嫁のブーケの意味なんて一つしかないじゃないですか、桑古木さん」
「花嫁のブーケの意味なんて一つしかないじゃない、お母さん」
 しれっとした表情でうそぶく花嫁達。

「お二人とも、往生際が悪いですよ。僕の沙羅に、恥をかかせるつもりですか?」
「彼方の言うとおりだよ。ブーケ一個じゃ無理かもしれないけど、二個あわせたら何とかなるんじゃないかと思ったんだ」
 こちらは真剣な顔の花婿たち。


                  ざわ…ざわ…       ざわ…ざわ…


 突然空気の変わった光景に、周りの人々の間からざわめきが漏れる。

 そんな空気の中、桑古木は優の方に顔を向けて。

「じ…」
「『地獄への道に、優を付き合わせるつもりは無い』とでも言うつもりかしら、涼権」

 体ごと向き直って桑古木を真正面に捕らえて、優がぴしゃりと言い切った。

「………」
「図星ね。涼権ならそう言うと思ったわ。
 だけどお生憎様。涼権を地獄への道へ突き落としたのは私。だから私も付いて行くわ。

 幾千度、幾万度、幾億度、地獄の業火に焼かれることになっても、私は好いた男の後ろを離れない。

 いい加減、観念してもらえないかしら?嫌と言われても無理やり付いていくから、私」

 全く視線を動かさず、ひたと瞳を見つめて。言葉だけが形になっていく。

「よく考えりゃ、そういう女だったよな優は。
 猪突猛進、一点突破。突破される側に立たされると本当に手に負えねえな。

 だがそれでも譲れない物もある。俺は、大切な女を地獄に連れて行くような真似だけはする気は無い」

 こちらも視線を固定したまま。桑古木の応えが返る。


 緊迫しきった空気。それまでのセレブリティな雰囲気など完全に霧消した場の中で。
 無言で真正面から見つめあう男女二人。

 能面のように消えた表情。


 そんな無限に続くかと思われた時間の果てに。


「ったく、こんな女に出会ったのが運の尽きか」

 視線を外したのは、桑古木の方だった。


「頼むからそんな顔してくれるな。

     優、しょうがねえから二人して天国へ続く階段の昇り口を探す事にしようや。

 結局俺と優の望みを両方叶える手段なんてこいつしかないんだから。まあ、駄目で元々でやってみるってのはどうだ?」


 桑古木の手が差し出され、優の手の中に二つのブーケが揃う。


「最初っからそう言えばいいのよ、この馬鹿涼権!」


 ブーケを片手に二つ載せて、その中から一本ずつ花を抜き出す。
 そしてその二本の花を、優は桑古木のスーツの胸ポケットに挿す。


                          花嫁の象徴のブーケ。 


                          花婿の象徴のブートニア。



 その姿を皆が見届けて。




 世界が纏う空気は再び変わって、大広場に祝福の歓声が響き渡ったのだった。





「さて、牧師様。こんな二人でも、神様は祝福してくれるのかしら?」
 歓喜の渦の中心にあって、冷静さを保ったまま優は先ほどの式を執り行った牧師に問いかける。
「さあね。司教様、どうお思いになられますか?」
 牧師は微笑んで、自身の横に立った法服の男性に問いかける。
「正直、先ほどの言動につきましてはご説教したい事は山ほどありますが。
 最後の結論が嘘でないのならば、私としては神の祝福を授けるにやぶさかではありません」


          ぱちぱちぱち、ぱちぱちぱち、ぱちぱちぱちぱちぱち!!!


 その司教の言葉に反応して、巻き起こる拍手の波。

「良かったじゃない、二人とも。…この指輪、無駄にならないで済んだわ」
 背後から掛けられた声に、思わず振り向いた優と桑古木の目前に。

 銀色に光る対の指輪の載った指輪置きを手の平に置いたつぐみと、その横に立つ武の満面の笑顔があった。

「牧師様から結婚指輪を頂きましたから。私達も誰かに別の指輪を贈るのが道理ですわ。
 婚約指輪としてこの二人にこの指輪を贈ろうと思うのですが。神の祝福を、授けていただけませんでしょうか?」
 つぐみの言葉に牧師は司教を振り向き、司教は頷いて許可を与えた。

 牧師は指輪の前で十字を切り、簡易の礼式で指輪に祝福を与えた後につぐみからその指輪を受け取り、
「正式な結婚式はまだ先でしょうが。あなた方は、お互いを永遠の伴侶とすることを神の御名の下に約束できますか?約束するのならば、この指輪を取りなさい」
 そのまま、優と桑古木の前に立ち、告げる。


           すっと、優はすこし大きい銀の指輪をその手に取る。
           すっと、桑古木はすこし小さい銀の指輪をその手に取る。


           桑古木が、優の左の薬指に、少し小さい銀の指輪を嵌める。
           優が、桑古木の左の薬指に、少し大きい銀の指輪を嵌める。


「神の御名の下に約せし約束ならば、身命にかけて果たされよ。約束の果たされる日がより近き時であらんことを…アーメン」
 指輪の交換を確認した牧師が十字を切り。


              極めて簡易な形式の、しかし正式な婚約の儀が成立した。




 最早声も聞き取る事が出来ないほどの、この日最大の歓声の中で。




 「少ちゃん、なっきゅさん。ココは、天国は既に此処に在ると思うよ」
 ココの呟きは、誰も聞き取る事は叶わなかった。













 2051年8月16日(水)午後5時57分 倉成家 ダイニングルーム




 私は、目を覚ました。

 …長い長い、夢を見ていた。過ぎ去った昔の日々を。
 あの結婚式の日。私の子供達は私の一番を卒業し、それぞれの伴侶と共に新しい生活を始めた。

「あっ、おばあちゃん。目、覚めたんだ」
「お早うございます、グランマ…って、もう夕方だよ?」
「おばあちゃーん、おめざ?」

 私の周りに、再度集まった孫娘たち。


 一番上の倉成優美清夏香菜と一番下の倉成優美清冬香菜は、倉成ホクトと田中優美清秋香菜の娘。サピエンス同士の父母から生まれたサピエンスの女の子。

 真ん中の倉成沙夜は、倉成沙羅と石原彼方の娘。キュレイ同士の父母から生まれたキュレイの女の子。


 従姉妹という血縁に在りながら、生まれも違えば未来の宿命も違う子供達。
 そんな3人が仲良く共に暮らしている、そんなうららかな日々。

 これは、私達が築いていかないといけない未来の姿。大人になっても、老人になっても、息を引き取るときに在っても。共に協力し手を携えて生きる、人間の仲間。
 その為に私や秋香菜は、きちんと躾けてきたつもり。幾つになっても、仲良く在れるようにと。

 そして遙かな未来、キュレイとサピエンスが共に共存して生きていけますようにと。




「ただいまー!!!」
「ただいま帰ったでござる!」
「ただいま帰りました。…沙羅、その挨拶は止めなきゃ」


「あっ、お父さんだー!」
「パパさんと、ママさんだ!やったやった、今日は帰ってくる日だったんだね?」
「おとうさーん!おかえりなさーい!!!」


 玄関先からの声に、孫娘たちはどたどたと足音を立ててリビングを駆け出していく。

 夕日が差し込むダイニングルームの中で。
 私はのんびりと、息子と娘と娘婿がやってくるのを待つことにした。




              ―The Second Sesson is end.…To Be Continue…―
後   書


 やっと、苦難の末に第二部の最終話が出来ました。

 題名見て、オチに気づかれた方も多いかも。もちろん、そっちの意味にも引っ掛けました。ええ、引っ掛けましたとも。
 一気に三組のカップルにゴールして頂きました、はい。

 だって私は…私は…ハッピーエンド至上主義者ですからぁーーーーーーーーー!!!(爆)

 ウチのSSの場合、優春×涼権ですので。しかも攻めが優というどちらかと言うと珍しいパターン。まあ、これでいろいろと苦労しながら、何とか書き切りました。

 結局、キュレイウィルスは、キュレイシンドロームが生み出す付随現象。故にそのウィルスの性格も、元になるキュレイシンドロームによって決められる。
 そういう考察の元に、最後の結末は作りました。

 結局、医学というのは『死者の屍を越えて』発展するものですから。そんな届かなかった命と人事の先に、天命を求めるものです。
 それもあり、今回のサピエンスキュレイ治療編ではブリックウィンケルは完全封印。ジョーカー無しで、人間の努力に全てを賭けさせて頂きました。
 お陰で、ココが思いっきり割を食ってしまいましたが。…久遠より出番少ないじゃん!


 最後に、簡単に今後の話の予定を。

 いくつか構想して、話の流れゆえに封印していた外伝や幕間を徒然に書いてから、キャラ別エピローグ集である最終の第3部に入る予定。
 えっと…ひいふうみい…全部で8つかな、エピローグは。間に幕間が入るかもしれませんが。プロットは全部出来てますから、書き出したら割りと簡単に出来るかも。…と言って何度も失敗してますが。

 こんな長い話にお付き合いくださり、誠にありがとうございます。


 追伸
  神楽坂様。リクエストの話はこれで全部です。正直、すこしズレてしまってはいるでしょうが。長編のメインフレームの話ゆえ、そこだけはご勘弁の程を。


       2006年7月5日  あんくん


(用語集)

 重粒子線照射療法…現在の放射線治療の最先端技術。粒子加速器で加速した重粒子を患部に照射する治療法。既存の放射線治療に比べて周辺組織のダメージが少ない。恐らく、この時代だと陽子線照射装置とセットになっていると思われる。
 温熱療法…現在研究途上のがん治療法。がん細胞を加熱し、死滅させる治療法。原理が簡単な反面如何に患部のみに高熱量を集中させるかが難題で、今尚研究が続けられている。
 アルコール注入療法…肝臓がんの治療法。患部に直接エタノールを注射する。
 保存的治療…根治治療の対義語。病気を治すのではなく、病気になっていない部分の病化を防ぐための治療法。延命治療の一種と考えても良い。
 血中酸素飽和度(SpO2)89%…血液中のヘモグロビンの含有する酸素の濃度。医療においては肺の機能を示す指標とされる。94%を切ると危険。89%は、文字通り酸欠死寸前の危機的状況である。ちなみに収縮期血圧(最高血圧)は70を切ると致命的状況。
 現実的にSpO2が89%で血圧72/59というのは、臨終直前の数値である。


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