2051年8月15日(月) (現地時間)新国連特別区



「誠、ただいま」
「おう。遙、お帰り」
「はーるかちゃ…」

 どかっ!ばきっ!ぐしゃ!

 最初の音は、誠の拳が顔面を捉えた音。
 二つ目の音は、遙の肘が鳩尾を突き上げる音。
 そして最後の音は、沙紀がお嬢踵落しを脳天に命中させた音だった。









未来へと続く夢の道 ―エピローグ2 Never7―
                              あんくん




「遙ちゃんはともかく…」
「兎も角じゃないだろうが!俺の遙にル○ンダイブしかけようとした億彦が全面的に悪い!!!」
「しかも、私の前でね」
「k…」
「コミュニケーションの一環だ、なんて言ったら…殺すわよ?」
「………御免なさい」

 飯田財閥が新国連特別区に所有するビジネスビル。新国連及びアメリカ合衆国政府や他の国家の外交官に対するロビー活動も統括する重要拠点。
 そのビルの最上階の飯田家専用のプライベートスペースで。

 飯田億彦は、友人の石原遙とその夫である石原誠、及び自身の妻である沙紀の冷たい視線に囲まれて小さくなっていた。

 読者にとってはおなじみというか、想像通りの光景と取れるだろうが。
 飯田財閥に勤める人間がこんな光景を見たら、泡を吹いて卒倒するであろう。


 飯田財閥総帥、飯田億彦。
 前総帥である父親は脳梗塞で倒れて、十年近い闘病の末に他界。今の飯田財閥の総帥は彼である。
 2021年、彼が飯田ホールディングス―飯田の持ち株中枢会社―に入社したときは、飯田財閥は、日本有数の新興財閥であり。
 2023年、彼が父が倒れたことにより財閥総帥代理に就任した時は、飯田財閥は、やっぱり日本有数の新興財閥であり。
 そして今、2051年。飯田財閥は、日本一で世界有数の名門財閥になっていた。
 飯田億彦の指揮したM&Aや新規事業はことごとく成功を収めた。新規事業もだが、撤退戦略の見事さには定評がある。他にも硬柔合わせたバランスの取れた交渉や、自身の利のみに執着しない姿勢がビジネスパートナーの信頼を勝ち得て、僅か30年足らずで世界でもトップクラスのグループに飯田財閥はのし上がっていた。
 毎年のように『世界のトップ経営者ベスト10』と『世界の大富豪トップ10』に名を連ねる、21世紀における最高クラスの経営者の一人。
…そんな人間が、友人や妻に睨まれて小さくなっているなどとは、社員は想像だに出来ないであろう。


「さて、億彦の馬鹿は置いておいて。遙、うまくいったのよね?」
「うん。ジュリアにちゃんと渡した。これでループしなければ…」
「OKということだな」
 億彦を見下ろしながらの会話。
「まあ、そういう事だから今回だけは見逃してやるが…次は命は無いと思ってくれるか、億彦?」
「次は…私の家に立ち入り禁止」
「遙ちゃん…」
「って言ってる傍から!」
 ぼこちん!
「はうわっ!沙紀、痛いだろうが!!!」
「ふんっ!」
 もはや漫才の領域へ。どこまでぼけ倒すか億彦よ…


「おーい、沙紀ー、億彦ー。作戦成功したよ〜♪」
 そんな雰囲気を変えたのは、優夏の帰還であった。



「全く、遙ちゃんも誠も無茶な要求ばっかりするんだよなあ。あんな特注品を6日で作れって言われた方の身にもなってくれよ」
「でも、ちゃんと作っただろう?俺達だって、出来ない要求はしないさ」
…ジュリアに渡したオクトーゲン爆薬付スペースチタン製ブラストプレートは、飯田財閥傘下の研究所の謹製による試作品だった。もともとは軽量宇宙服用の強度測定のテストベットだったものを、総帥の直々の命令を受けて大急ぎで改造したものである。
「ぼやかないの、億彦。あんたは所詮三枚目」
「うっ。遙ちゃーん、沙紀がいじめるっ!」
「沙紀が、正しい」

 ががーん!(ネガポジ反転)

「あはは、相変わらず遙、容赦ないよねえ?」
「大丈夫。億彦だから」
 大笑いしている優夏の言葉に乗って、更に追い討ちがかけられる。…遙、楽しんでないか?


 優夏が腕時計を見る…午後7時。
「って、もうすぐ夕ご飯かあ、それじゃ…」
「遙、阻止」
「沙紀、抑えろ」
 間髪入れない夫二人の指令。

「優夏。日向、願い」
「優夏。紀彦の世話、頼むわ」
「ええーっ!なんでよー!!!私ベビーシッターじゃっ…!」
 即決で指令に従う妻二人。

「あーっ!ゆーさんだー!!!」
「ゆーかーぁ、あそぼー!!!」
 隣の部屋から、本職のベビーシッターを振り切ってやって来る幼子二人。一直線に目指すは優夏。

「はい決まり。それじゃ優夏。二人ともよろしく頼むからな」
 誠の宣言に、きゃいきゃいとはしゃぐ二人。
「…しょうがないなあー。今度だけだからね、遙、沙紀。
 じゃあ、お隣に戻ろうね。おねえちゃんも優夏もそうしないと怒られるから、ね?」
「「うんっ!!!」」
 幼子二人の手を引いて、隣の部屋へ移動していく優夏の後姿。


「さて、遙、すまないけど夕食は頼めないか?億彦にもこの程度の役得、あってもいいだろう?」
「うん。誠がそう言うのなら。…沙紀、キッチン借りる。どこ?」
「はいはい、あそこの角を曲がったところ。食材はインタフォンで言いつければ大抵の物は持ってくるから」
「…フナムシは?」
「ないわよ、残念でもなんでもないけど」
「…がっかり」
 本当にがっかりした様に肩を落として、遙はキッチンへ去っていく。
 
 全員(優夏除く)の努力の結果として、仕事後の夕食が優夏の手料理という最低最悪の事態は回避され、億彦は遙の手料理をゲットすることに成功したのであった。



 リビングに残された3人。

「…億彦、済まないな。結局この30年余り、俺達は億彦を便利使いしただけだった」
 ぽつりと誠が漏らす。
「何度も同じ事言わせるなよ、誠。僕は所詮3枚目だし…この仕事は僕しか出来ない仕事だったしさ。
 それに誠、実のところ僕は感謝しているんだよ、今はね」
 億彦の口から出たのは、意外な言葉。
「はあ、感謝?キュレイなんて存在になったことがか?」
「ああ、そうだ。サピエンスのままだったら、今頃飯田財閥なんて世界から消えて歴史にしか残っていないはずだったんだ」
「…どういうことだ?」
「知ってのとおり、僕の親父は2023年に倒れて、そこで僕が総帥代理になったよな」
「ああ。そうだな」
「誠からキュレイの事を知らされるまでの僕は、只の青二才だった。財閥が稼いだ金のごく一部を、目の前のことに使うしか知らないね。
 そんな僕のまま、あんな地位に上っていたら…間違いなく財閥は空中分解していただろう」
「たしかにそうだな。能力無き若造に従う年長者なんてまず居ないから」
 二人、ため息を吐く。
「自分がキュレイで、真実を知られたら迫害される立場って知ったとき、最初は絶望したさ。知られたら、お終いだってな。そして何度も思ったよ。…こんな世界なんか、壊れてしまえってね」
「…ああ、その気持ちは分かる。俺には遙が居たから、乗り越えられた。皆もそれなりに乗り越えられた。背負うものが、無かったからかもしれない」
「だがね、その時、ふと思ったんだ。世界なんか壊れてしまえ…って考えたとき、飯田財閥って道具があれば壊せるんじゃないかなって。
 そして、その瞬間閃いたのさ。飯田財閥の力を利用すれば、キュレイが人間と同等に暮らせる世界も作れるかもしれないとね。そうすれば、僕がキュレイだと分かっても何も問題が無くなる。遙ちゃんだって、幸せになれる。
 財閥の有り余る財力。こいつを長い時間をかけてうまく使えば、それが出来るんじゃないかと。そう思った途端。飯田の名も、使いようが無いと思っていた有り余る金も、重い責務も、重荷でも何でもなくなっちまったんだよ。
 そこからは、自分に与えられた権限を使って、秘密裏に計画を練っていたんだけどね。
 そこで親父が倒れて形の上とはいえ権力が転がり込んできて、権力闘争の末それを掌握した」
「億彦…お前…」
 口調が変わる。世界有数の大企業を束ねるトップの声に。
「飯田の力は強大だ。いくつもの事を、同時に実践できる。

 まず、ライプリヒに接近した。最初敵のフリをしてキャスティングボードを握ってから、交渉の結果として寝返った。フリだけね。
 そして、少しずつ組織を切り崩していった。…特に、特務部と医療器械事業部、基礎機械技術研究室はね。彼らを切り崩す過程で、『小町つぐみ』の存在も知った。
 本当は保護したかったんだが、そういう訳にもいかないようだった。優春…あの時は田中ゆきえと名乗っていたか。彼女もまたこの情報を握っていたにも関わらず、なぜか手出しを一切していなかった。だから、保護もまずいだろうということで…『接触する事無く、逃がし続けさせる』ことにした。


 新興企業とはいえ、なめて掛かっては怪我をする。僕の直属の親衛部隊の一小隊…精鋭中の精鋭、巨大国家の特殊部隊相手でも渡り合えるような連中を任務に当てたんだが、隊長が言ってたよ。
『人員の質は及第点は出せると思います。何名かは、わが部隊の構成員並みの水準に達していました。
 ですが、指揮系統と運用には致命的な欠陥がありました。羊が狼の群れを率いているようなものでして。指揮が稚拙なのは歓迎するべきなのですが、方向性が一定しないものでその点は苦労しましたね。
 恐らく、指揮権を門外漢―恐らく研究畑の人間ですね―に握られて本来の部隊指揮官が指揮できた場面というものはほとんど無いものと思われました。事実、後になれば後になるほど、敵部隊の士気が目に見えて低下してるのが見て取れましたから。
 それに我々の任務は「妨害と支援」だったのに対し、彼らの任務は「確保」。とてもじゃないけど素人の指揮で、我々の妨害工作をかいくぐるなど不可能です。正直、相手部隊の人員に同情しますね。
 結果だけとってみれば、さりげなくターゲットに情報を与えるなり欺瞞工作や足止め工作をするなりで十分対処できました。個々の場面ではそれなりに危ない局面はありましたけど、致命的な場面は結局発生しませんでしたしね。
 結局、道具は使う人間次第って事です』ってね。
………それとなく僕がライプリヒの上の連中や研究部を焚き付けて、特務部にちょっかい出させた成果があったってわけだ。あの手のインテリは、アウトローを見下しているからな。そこいらあたりは作戦勝ちって所だろう。

 他は…優春の今の旦那、桑古木涼権と言ったか。彼が上手い事やっていたから、直接手を出さず、必要な時だけさりげなくサポートするに留めた。何回か悟られぬよう秘密裏に資金援助したり、必要な情報が入手できるよう手配したり…ああ、それと妙なヤツがライプリヒに入ってきて優春や桑古木に目を付けた事があったから、ウチの特務部に命じて罠にハメて、ライプリヒがそいつを処分した事もあった。と、まあ大した事はしてないな。相手の特務部も馬鹿じゃない。あまりウチがしゃしゃり出ると、ボロが出る可能性もあったしな。
 しかしあの桑古木とかいう男、流石にあの優春が見込んで腹心にしただけの事はある。徒手空拳、よくもあそこまでやってのけたものだ。
 できることなら引き抜きたかったくらいだが。優春を敵に回すほど僕も愚かじゃないから、諦めたけどね。
 

 基礎機械技術研究室は、あれはジャックポットだった。
 RTSの技術が野ざらしになっていたからな。あれがあったから、アメリカ合衆国政府と取引できた。キュレイのことはしらんぷりして、ノアプロジェクト関係のいろんな部分に食い込んで、餌を撒いて、いろいろなパイプを作った。…中にはキュレイとの秘密パイプも何本かあった。予想以上の成果だったね。


 最後に、医療器械事業部。こいつだけは、何としてでも押さえなければならなかった。
 文字通り、湯水のごとくライプリヒがらみに金を使ったから。それに対するリターンを出さないといけない。だから、最初っからこの事業部は乗っ取るつもりだった。最終的にここを押さえないと、財閥の雑音を消せなかったからね」
「…って事になっているわけだ。99%本当で、1%の嘘が混じっているな。目的はL-MRI。だが、その利用法の真の意味を知っていたのは、億彦だけだったんだろ?」
 鋭い、誠の突っ込み。
「ああ、そうだ。真の目的は『小町法』。天の時、すなわちキュレイ保護の機運が何時出てくるかは分からないが、その時に備えて種を蒔く必要がある。
 2034年のライプリヒ崩壊で、ウチの財閥は莫大な損失と共に莫大な利益を得た…所有していたライプリヒ製薬の株券が紙くずになった代わりに、医療器械事業部と基礎機械技術研究室を含むライプリヒのかなりの部門を捨て値同然の値段で引き継ぐことができた。本業で一番大きい製薬部門を他社にくれてやることで、交渉もすんなりまとまったし。こうして、我が飯田財閥はRTSの技術と、L-MRIを合法的に入手したわけだ。
 でもって、医療後進国や僻地にL-MRIを捨て値でばら撒いた。どうせ開発費の減価償却なんて済んでいるから極端な赤字にはならなかったし…この結果として以前と比して質・量共に莫大に増えた医療データが蓄積できたことが新機種開発部門や薬品開発部門・医療技術研究所の躍進を生んだから、収支は黒字だ。それに医療の向上にも貢献したし、何よりも第三諸国に巨大な恩を売ったからな。

 そして…トム・フェイブリンは超一流のマキャベリストだ。こういう種まきが終わるのを見計らって、『小町法』を形にしてきた。
 それに合わせて、こっちも第三諸国にさりげなく圧力を掛けた。『多少は人権に配慮するポーズだけでも出さないと拙い。人道援助としてL-MRIを供出している以上、せめて建前だけは確保してくれないか。内実はあえて問わないから』とね。
 そして新国連総会。小町つぐみ自らが壇上に立ったときは驚いた。そして、同時に思ったよ。
『ああ、今こそ「天の時」。尽くした人事が天命になって降りてきた』ってね。
 先進国は、人権やら人道やらにほだされる。内部で紛争している国にしても、自分の国と関係ない議題なら『ウチは人道国家だ』ってポーズをするチャンス。我が財閥が恩を売った第三諸国は『人権に配慮するポーズ』をしてくれる。…どうせRTSやノアプロジェクトの件は遠からず表に出る。ああ、これが飯田財閥の目的かって後で勝手に誤解して納得してくれればそれでいい。どうせ第三諸国は損をしないわけだからね。
 こうして、あの『全会一致での小町法可決』が誕生したわけだ」
 世界を動かす大物としての言葉で、威厳を纏って飯田億彦は語った。
「そして、その功績は誰も知らない。…そういう事なんだな、億彦」
「ああ。実際に一番苦労したのは、小町つぐみ。そして彼女を囲む家族と仲間達。キュレイを世間に認めさせる為に力を尽くしたトムとその仲間達。そして…キュレイと人間を隔てる種族の壁を消そうと治療法を求め続ける誠、お前だよ。
 僕は『飯田財閥』という道具を操っているだけだ。自分では直接何もすることも出来ない。出来る事といえば、影から力を貸すことぐらい。
 結局、僕は『黒幕』である事でしかキュレイの未来に手を貸せなかったんだ、あの時は。だから、それでいい。だれも賞賛しない三枚目だよ、僕は」
 誠の問いかけに、おどけて手を広げてみせる億彦。

 沈黙に包まれる室内。なんとも比喩できない、重い雰囲気。そんな重い空気を…


「ぱ〜ぱ!ま〜ま!ご・は・ん!ご・は・ん〜♪」
「おとーさーん。おかーさんのごはんだよ〜♪」


 無邪気な子供達が、一瞬にして消しさった。


「はいはい、遙の邪魔したらダメだからね?」
「日向。もうちょっと。のりちゃんもね?」
「「うんっ!」」


 キッチンワゴンを押してリビングと続き間になっているダイニングへ入ってくる遙の姿に、隣部屋から飛び出してくる子供二人と後を追っかけてきた優夏。


「よし、それじゃ難しい話はおしまい。飯にするぞ!」
 誠の宣言に、億彦と沙紀は笑いながらゆっくりと立ち上がった。




 2051年8月15日(日) 午後 9:00 新国連特別区飯田ビル最上階私設秘書室
 2051年8月16日(月) 午前11:00 守野遺伝子学研究所 所長室




「やっほー!いづみさん、お久しぶりー!!!」
「あら、優夏じゃないの〜♪」

 馬鹿高価い秘話長距離電話回線を使用して、川島優夏は私用電話をかけていた。相手は言わずとしれた、守野いづみである。


 高齢の父親、守野茂蔵は第一線よりの引退を表明。

 研究所はいづみが継ぐことになり、その下で誠と遙が副所長格で働く事となった。


「相変わらず、お一人ですか」
「むむっ、優夏ちゃんにだけは言われたくないわねー」
「………」
「………」
 不用意な一言で、会話が途切れてしまう。
「…まあ、なかなか誠くん以上の人っていないもの。駄目ね、私。まだ誠くんの事、吹っ切れていないみたい」
「まあ、私も否定はできないもんね…やっぱり誠の事、今でも引きずっているもの」
「「はあー」」
 二人揃って、ため息。

「………案外、紀彦くんを狙っているとかあったりしてねー。沙紀に聞いたわ。あの子、優夏べったりだって」
 いづみ名物、精神攻撃開始。…やはり、最初の発言はかなりマズかったようである。
「あのねえ、いづみさん……いい加減怒りますよ、いづみさん。まだ3歳にもなっていないじゃないですか!私の好みはそこまで歪んでません!!!」
「あら、私達はキュレイよ?年齢差なんて関係ないじゃない。20年待てばいい男になっているわよ…逆光源氏計画、実行してみたら?」
「…そういう事は、いづみさんにお任せします。私は興味御座いません!」
「ふふふ、機会があったら狙ってみようかしら」
 TV電話のスクリーン上でけらけら笑っているいづみ。

「でも、正直なところまだ伴侶なんて考えられないの。仕事は楽しいし、誠も遙もまだ届いていないから。お姉ちゃんとしては、まだ安心できないのよねえ」
 笑いを収めて、ぽつりといづみが呟く。
「やっぱり、そうですか。私と違って、いづみさんならいつでも最高の人を捕まえられる筈ですものねえ」
 こちらも真剣な表情で、ぽつりと呟く。
「優夏だって捨てたものじゃないわよ?聞いたわよ、キャビン研究所やLemuの中に貴女のファンクラブがあるって」
「な、な、な…なんですかそれ?」
「ごまかしても駄目〜♪
 沙羅ちゃんからの最新情報。根掘り葉掘り聞かれて情報統制大変だって笑ってたわよ。今度釣り書持って行くからよろしく!って」
「よろしく!っじゃないわよ全く。…この仕事続けてる限りは、ちょっと無理だと思うな」
 怒りと羞恥に顔を染めた優夏が、呆れたように答える。
「結局、お互い今のところ一人を選んだって訳ね。まあ、しょうがないのかもね」
「そうですね。お互い執念深いのかもしれませんね、いづみさん」

「全く。それに引き換え…大穴があたっちゃったしね」
「本当です。あればっかりは、私も予想できませんでした…連絡、どうされます?」
「あっちのほうはてんてこまいみたいだから。明日にでも連絡するわ。どうせ、ここからじゃないと連絡取れないからね」
 二人、苦笑して顔を見合わせて。

「…結局、只の愚痴の言い合いになっちゃったね。ごめんね、いづみさん」
「気にしないで良いのよ?ガス抜きも大切だから。それじゃ、お休みなさい」
「ありがとう、いづみさん。それじゃ」

 TV電話のスイッチがオフになる。


(くるみちゃん、今頃どうしているのかなあ)
 声にならぬ声で呟き、優夏は窓の外を見上げたのだった。





 2051年8月15日(日) 午後 11:00 新国連特別区飯田ビル最上階主寝室
 





「それじゃ、トム・フェイブリン救出作戦の成功を祝って…乾杯」
「乾杯」

 二つのワイングラスが触れあい、澄んだ音を立てる。
 光量を抑えた照明の下、二つの影が揺れる。

 飯田億彦と朝倉沙紀。共にグラスを干し、その度に互いに相手のグラスに紅い液体を満たしていく。
 静かな酒宴。共に無言のまま、杯を重ねていく。

 そんな、予定調和の穏やかな世界。安らぎに満ちた平穏なる時間を。




「こうして穏やかな心であんたと向かい合う日が来るなんて、思いもしなかったわ。………初夜の夜には」
「全く同感だ。一生形だけの夫婦、幸せな未来なんか欠片も望めないと思ったさ。………だが、真実は小説よりも奇なり。これだから人生は面白い」


 沙紀の声は世界を切り裂き、億彦がその切っ先を柔らかく受け止めた。





―億彦の結婚相手選びの選択肢は著しく狭くなった。
 飯田財閥の総領息子。当然のように縁談も誘惑も山のようにある状況下。だが、億彦自身はキュレイであり、この秘密は誰にも明かすことは出来ない。
 妻となる女性とは秘密を共有する事になる。そうなると、選択肢は僅かに4人に絞られる。
 そう。誠に選ばれなかった、4人の女神。キュレイであり、元々の秘密を共有する存在。
 だが、今度は身分の問題が生じる。飯田という大財閥に相応しい家格を持つ女性。飯田家は新興財閥であるが故、父親は億彦の相手に家格を求める傾向が顕著だった。
 こうなってしまうと、選択肢は一つしか存在しなかった。
 朝倉沙紀。日本の旧華族である朝倉家の一人娘。キュレイという立場と、飯田家が求める古い一族の血を有する存在。
 対して、朝倉家にとってもこれは好都合だった。
 旧家にありがちなことでは有るが、朝倉家の家業は少しずつ傾いていた。古き血の誇りゆえ、新しい時代への対応力に欠けていたのだ。
 だが、それでも朝倉家はマシなほうであった。当代当主は、性格は厳格であったが古いことに固執しすぎる性質でもなく、娘である沙紀にもある程度の自由を認めていた。故に庶民である優夏と一緒の学校に通っていたし、誠を追って大学を替えるなんてことも出来たのである。
 だが、それでも旧家であるという本質は変えられなかった。当主や娘の比較的進んだ考え(と言っても、庶民にしてみれば十分遅れていたのだが)は、他の旧家より僅かに没落を遅らせたに過ぎなかった。
 当事者の沙紀にしても、億彦を本質的に嫌っていたわけでもない。事実、当初はむしろ好いていたのだ。

 2020年4月1日をきっかけに、振られたもの同士という形で距離を縮めた二人。そんな二人を周囲、即ち飯田家と朝倉家の人間は好都合に解釈した。
 飯田家にとって見れば、現在残る家系のなかでももっとも格式ある家柄の一つである朝倉の血が混じる。さらに朝倉家には他に子供がなく、朝倉本家を事実上吸収する事ができる。
 朝倉家にも、メリットが大きかった。飯田家という巨大なバックアップ。さらに朝倉という名を必要とする以上、朝倉家そのものは存続させないといけない。沙紀の長子は無理だろうが、次子は朝倉を継ぐ事になるだろう。婿にはとれないものの、それを除けば理想的な相手といえた。
 そして、当事者の二人。好悪の情を除けば、事実上家が容認する結婚相手はキュレイに限定するとお互いしか居なかった。



 こうして、両家には条件に叶った理想の相手として、当事者には消去法の末の唯一の選択として、飯田億彦・朝倉沙紀の夫婦が生まれたのである。
 当然の如く、夫婦の関係は当初はギクシャクしたものであったが…それが変化したのが、億彦の父親が倒れた時。

 元々、父親が倒れた件は陰謀の色が濃かった。

 飯田家は、元々飯田億彦の父が一代で築いた新興財閥である。当然、縁戚が少ない。
 飯田億彦の父母、そして祖父。
 事の発端は、その少ない縁戚の内、母親と祖父が倒れたことにある。
 徹底的に衛生には気を使ったにもかかわらず、この二人はTBに感染し、亡くなった。
 当然の様に父親は怒り悲しみ、自ら小さな医薬品会社を買収した上でTB撲滅に乗り出そうとしていた。その矢先、父親が倒れた。
 家族が非業の死を遂げた直後。健康に一番気を使う時期に倒れるなどとは、普通は考えられなかった。
 
 飯田の実権を形式上とはいえ握った億彦は、自身の私設秘書に川島優夏を引き抜いた。その上で、沙紀と優夏に現状を告げ、協力を求めたのである。
 そんな億彦に、沙紀は冷たく告げた。
「協力が欲しいなら、誠意と実力を見せなさいよ。私が納得できるような、ね」
 そんな言葉に、億彦はこう答えた。
「ああ、そうだな。誠が出来た事が、僕に出来ない筈がない」


 文字通り、飯田億彦が化けた瞬間。
 恐るべき手腕を持って、短期間の内に億彦は飯田財閥の主要部分を掌握した。強引な非常手段の連続によって。
 そして、それが生んだ結果…いや、それを生んだ理由。

                『第三視点・偽』の、実に数十回に及ぶ発動である。

 大御所が倒れ、青二才が継ぐ。この事実だけでも周囲の反発を生むのに十分であり、反発する勢力による工作は熾烈を極めた。そして…もう一つ、別の方向でも熾烈な反応を生んでしまった。
『飯田億彦と朝倉沙紀は、不和である』、そして『飯田億彦は、愛人を殆ど持たない』という事実。殆どというのは、単純に優夏の事を勘違いしているだけであるが。
 つまり…青二才の飯田億彦の『後ろ盾の縁戚』となり、飯田財閥を意のままに操ろうという存在が多数登場した。朝倉家は家格こそ高いが、経済力的にはたいした影響力を持たない存在。飯田財閥の内部からも、外部からも沙紀に対してさまざまな害や圧力が加えられるようになった。
 それに対する億彦の対応は…徹底した恫喝と殲滅策。文字通り『僕を殺さなければ、滅ぼすぞ』というものだった。

 これは、彼にとって唯一取れる方策であった。…相手は、明らかに飯田財閥を解体するか、乗っ取る事を目的としている。仮に母親や祖父の死が策略だと仮定すると、頷ける所が多々ある。
 最初に母親と祖父…姻族と直系尊属。次に父親…親。この順であれば、父親の財産が拡散する事無く億彦に全て回ってくる。そこで億彦を操り人形にできれば…飯田財閥を乗っ取れる。
 逆に、飯田財閥を滅ぼしたい人間にとっても一緒。億彦を殺せば残った財産は四散し、飯田財閥は核を失い崩壊する。父親は命を取り留めたが、植物状態。判断能力を有しておらず、法律上死んだも同然。
 そして…どちらの場合も排除、即ち殺さなければならない人間が居る。
 前者は恐らく婚姻…血の絆によって億彦を操ろうとしている。故に朝倉沙紀を亡き者にしなければならない。
 逆に後者は、少なくとも飯田億彦、出来れば夫婦もろとも亡き者にする必要がある。飯田一族が全滅しなければならないのだから。
 
 そして、状況は皆に平等。別に犯人でない勢力も、この状況に乗ずる事は出来るのである。
 あらゆる意味で飯田億彦は不利な立場にある。潜在的な敵や真犯人をあぶり出し、全て根絶やしにする必要がある。その為には、徹底した強硬策に打って出るしかなかったのである。


 故に億彦も沙紀も何度殺されたか分からない、そんな日々…『闇夜の3ヶ月』。飯田財閥でなお影で伝えられる暗黒の3ヶ月間の末に、飯田財閥の幹部は全て億彦の軍門に下り、外部の圧力はほぼ払拭。外部勢力の一部は飯田財閥に恭順したり、吸収されたりした。
 飯田財閥が、名実共に飯田億彦の所有物になった瞬間だった。

 しかし、億彦と沙紀及び優夏にとっては、この日々は3ヶ月ではない。数十回のループ。1日ループもあれば7日ループもあり…事実上半年を遙に越える日々であった。
 その中で何度も殺されたり、致命的負傷を負ったり。そんな日々ではあったが、億彦は二つのことだけは必ず守っていた。…沙紀と優夏以外の女性を利用しない事と、二人に嘘を言わない事である。
 一時の愛人でもかまわないから億彦に近づきたいという女性はそれこそ星の数であったし、持参金―重要な情報や、大きな後援者付き―を持ってくる存在も数多い。だが、そんな存在を億彦は無視した。また、どんな汚れた事実でも、絶対に沙紀と優夏に隠すことなく告げていた。
 結果として、少なくとも数回は余計なループを経験した。他の女性を利用すれば、あるいは二人に優しい嘘をついていれば防げた筈の悲劇を、億彦はあえて甘受したのである。

 だが、真に沙紀の心を動かしたのはこの件ではなかった。


 飯田財閥を完全掌握。当然、次の段階は論功勲賞になる。その段階で最初に億彦が行った事。

 なんと一部を除いて、自らに敵対した人々を赦免し旧位に復したのである。その中には別の歴史で億彦や沙紀を殺した人物も存在する。
 許されなかった一部は、母親や祖父・父親を害した真犯人の一族と、事態に乗じて億彦や沙紀を亡き者にしようとした勢力の首魁だけ。…つまり事実上ただの社内の反対勢力は、全員を赦免したことになる。
 
 そして、積極的に自身に協力した人間に対しては、昇進させた上で新たな子会社やポストを新設してそこに配属した。その大部分は有望な新規事業や新規分野が業務範囲。あと、ドル箱部門の一部が該当する子会社へ移管された。
 対して旧に復した人材の大部分は、昔から存在する基幹企業や業務分野に配置された。
 飯田億彦という新しい力に反発する人材は、古くからの物を守るのに適している。逆に新たな体制を求める勢力は億彦に変革を求めた。だからそういう存在は飯田財閥を大きくするための攻勢を担ってもらう。
 この英断の結果として反億彦派の殆どが億彦に心服し、億彦派の心象を害する事もなかった。………かなりの外部勢力が飯田財閥を巡って争った事に社内が反発した部分も大きくて、意外と社内の反対勢力が少なかった事も幸いした。このようにして財閥内が一つにまとまったことにより、飯田億彦体制の飯田財閥の躍進が始まった。
 …しかし、これは結果論。沙紀が億彦から聞いた理由は全く別であった。
「いや、こう思ったんだ。…彼らにだって家族が居る。僕が憎くて反抗したのは本当に極僅か。大抵は、自分の居場所や家族の為に反抗したに過ぎない。
 結局、他人の幸福を踏みにじって、自分の幸福をつかめるかって考えてみると…無理だと思ったんだ。だから、許せる者は許した」
「…どうして、そう思ったの?」
「結局、今、僕を支持する勢力は多数派で、相手は少数派。でも…サピエンスは多数派でキュレイは極少数派。キュレイの僕が数の暴力を使う事は、自分の首を絞める事になる。
 だから、少数派だからといって排除しない。自身の意に沿わないってだけで首にはしない。そんな人間でも飯田なら幸せになれる…そうしていけば、いつか僕や沙紀がキュレイだと分かっても、皆受け入れてくれると思った。それだけの事だ」



「結局、あの時の言葉が全て。あれで私の意地も折れちゃったわ。文字通り自分勝手の塊だった億彦が、いつの間にかこんな大物になっちゃったんだかと。
 それでいて、他の女には目もくれないんだから。そんな状態で意地張ってちゃ、私の立つ瀬なんてなかったわ。だから…こうなったら徹底的に馬鹿になろうってね、決めたのよ。
 億彦の表の仕事を賞賛する人は山ほど居るけれども、真の仕事は誰も賞賛しない………確かにあんたは三枚目。尽くした人事が呼ぶ天命は、全て他人の下へ降りてくる。損な立場よね」
 昔の記憶を手繰り寄せながら、視線を宙に泳がせて沙紀が呟く。
「ああ、その通りだ。そんな損な立場に付き合わせて済まないな、沙紀」
 表情一つ変えもせず、呟きを返す億彦に。
「勘違いはしないことね。天命は自分に降りてこないけど、代わりに多くの人々が幸福を手にしたわ…億彦、私はあんたのそんな所に惚れたのよ」
 こちらも顔色一つ変えもせず。沙紀は真正面から億彦に向いた。


「沙紀…僕は…」
「億彦が、消去法の結果として私を選んだってのは分かっていたわ。実際、最初はかなり悩んだわよ。
 でも、あんたの在り方を見ていたら、そんな悩みなんかいつの間にか消えていた。こんな損だらけの男に付き合うのも悪くないって、素直に思えるようになったわ…事実、億彦は私を大切にしてくれたし。たとえ入り口が罪悪感だったとしてもね」
 硬直する億彦を前にして、沙紀が表情を皮肉な笑いに変える。
「挙句に、あんな無茶をして見せるんだら。本当にあんたはどうしようもない馬鹿だとつくづく思ったわよ」
「否定はしない。でもあれが一番のタイミングと思ったんだ…事実、上手くいったろう?」
 いつの間にか表情を薄笑いに戻して、沙紀の言葉に応えを返す。
「…確かに、そうよね。
 あんたが『自分はずっと前からキュレイだった』って告白した途端、ぞろぞろと多くの人々が『自分もキュレイだ』って明かしたわよね。私達の想像を遙に超えて、キュレイ禍は広がっていた。
 あれを機に、キュレイへの見方がまた変わった。隣人がキュレイだって分かって、皆が本当の意味でのキュレイとの共存を考え始めたんだから。…『小町法』の改正を初めとするいろいろな変化。あの時期は本当に大変だったらしいわね、トムも優春も…いづみさん達も」
「いつかはやらなきゃならない。だから、僕が先鋒を務めただけだよ。それに、まだ道半ばだ」
 お互いの、表情はシニカルに変わっている。表情に差す暗い影。
「ええ。結局、人類の半分を味方につけるだけでも大変よ。まして全部は味方にはできないし、反キュレイ団体も数多いじゃない。少しずつ、前進するしかないんだけど…でも、今のところ順調、なのよね?」
「ああ。一時的に飯田財閥から人材が流出したり、不買運動が起きたが…かえって潜在的な人種差別主義者を社内から排除した分、やりやすくなった。社内の雰囲気もよくなって、皆が差別の事を真剣に考えて…人権団体とのパイプやらもできて、3年もしない内に旧に復した。あの結果は、むしろこちらにとってはプラスに働いたよ。
 ノアプロジェクトとのパイプも強まって今では人類的世界企業の代名詞になっているからな、『イイダ』は。もっとも、最大の収穫は…」
 そう言って、億彦は視線を沙紀からある一点に移す。その面には、全く混じりけのない優しい微笑み。
「そうね。あの宣言が無ければ、お腹の中のあの子を産む決心は出来なかったわね。あの子が未来、変えたのよ」
 沙紀もまた、視線を億彦の視線の先に移す。優しい母親の目。あの沙紀の表情から険が消え、暖かい母親の顔になっている。

 二人の視線の先には、幼児用ベッドですやすやと眠る…最愛の我が子。



「まだまだ、僕にはやらないといけない事が有る。あの子が、大人になっても堂々と胸を張って生きていける世界を僕は作らなければならない。…力を、貸してくれるかい?」
 億彦はその右手を沙紀に差し出し。
「そうね。お互い、幾ら人事を積んでも天命は自分には降りては来ないだろうけど。紀彦とその弟妹達に天命が降りてくるのなら、幾らでも一緒に苦労してあげるわ」
 沙紀はその手を自らの両手で、優しく包み込んだ。








 2051年8月15日(日) 午後 11:00 新国連特別区飯田ビル最上階客用寝室






 世界に冠たる飯田財閥の、賓客用の寝室。当然の如くそこらのホテルのスイートルームなど比較にならない位の設備が整えられている。

                「すぴー………すぴー………」

 そんないつもと違う光景に興味津々と言った風情であっちこっち物珍しそうに見て回っては、あれこれ引っ掻き回したりひっくり返したりと大活躍していた日向も、流石に騒ぎ疲れてしまったようで今では幼児用のベッド(これまた贅を尽くしたシロモノであったが)の中で、安らかな寝息を立てている。



 そんな我が子を見守りながら、誠と遙もまた二人でささやかな酒宴を開いていた。
 
 もっとも、その手にあるのは極ありふれた日本産の缶ビール。望めばいくらでもいい酒を飲める場所にもかかわらず、二人は飲みなれたビールをいつものように互いのコップに注いでは飲み干している。
 つまみもまた、ありふれた柿の種とソフトさきいか。周囲の豪華さに比して余りにも場違いであるが、当の本人達は気にした風もない。


 仲良く並んでソファに座る、そんな二人の前で再生されているのは………ビデオレター。
 息子を起こさないように、小さい声で会話しながら。何本かのビデオレターを順にTBDビデオ再生ユニットにセットしていく。


 Lemuの居住区と思わしき場所で、近況報告する息子とその嫁。
 最初はかしこまっていたのに、いつの間にやら突っ込み合いに突入。毎度のように最後の方は半分夫婦漫才と化している。

「全く。いつまで経ってもこういう所は成長しないな、彼方も。沙夜には見せられんぞ、こんな姿」
「これでいいと思う。だって、彼方と沙羅だから」
「まあ、喧嘩するほど仲がいいってのを地で行っているから、あいつらは」

 
 続いては…ホームTBD(テラバイトディスク)ビデオカメラで撮影された、運動会のシーン。

「そういやあ、三人娘がそろい踏みする運動会って今回が初めてなんだよな」
「誠。そんなこと言ってる暇あったら、沙夜を応援するの!」
「おいおい、これはもう………いてっつ!つねるな、引っ張るな!
 分かった分かった、応援してやるから…頑張れ、沙夜!」
「誠、声が小さい」
「…あのな、日向が起きるだろうが!」
「…がっくり」


 次々と写し出されていく、ピクニックや潮干狩りといった家族行事の一部始終。

 まるでその場に居合わせているかのようにはしゃぐ遙。そんな妻を優しく見守り、会話に付き合う誠の顔にも、微笑が浮かんでいる。


 ………最後の方は、どちらかというと仕事関係が殆どを占めていた。優春と桑古木から送られてきた、業務連絡の数々。真面目に話そうとしている桑古木に優春が横槍を入れては話を脱線させている。挙句に最後はどうやら久遠がまた一騒動やらかしたみたいで、あわただしい別れの挨拶に混じりこんだ喧騒の音とともにぷつりと切れてしまっている。

「全く。彼方と沙羅よりタチが悪いぞ、あいつらは。他のお偉いさん方がこいつを見たら卒倒するぞ?」
「でも、優春楽しそう。こっちの方が私は好き」
「…まあ、否定はしないけどな。桑古木も災難だ」
「でも二人とも幸せだから、いいと思う」
「………あれでか?」
「うん」


 そして、最後は。

「…これは、帰ってから見るの。いづみお姉ちゃんとお父さんとお母さんと…あと他のみんなと」
「そうだな」
 最後に残った一本は何故か見ることなく、遙は大事そうにケースにしまい込んだ。




 ぷつりと音を立てて、TBDビデオ再生装置の電源が落ちる。途端に音を失う室内。
 そんな静寂が支配する世界の中で。



「誠。私、億彦と沙紀の申し出、受けようと思うの」

 遙は、きっぱりと告げた。







「…本気か?」
 誠からは、先ほどまでの柔らかい表情など跡形もなく消えうせている。真剣そのものの、思慮深き大人の顔。
「うん。億彦や沙紀が居ない間は、私が紀彦を預かる。…日向と一緒に私が育てる」
 遙の表情は、全く変わらない。柔らかな笑みを浮かべたまま。

「仕事はどうする?」
「しばらくお休みする。いづみお姉ちゃんも、お父さんもお母さんも、樋口の義父さんも義母さんも賛成してくれたの」
「子煩悩なあいつらの事だ。仕事の合間にちょくちょく理由付けて帰って来るだろう?」
「私達の家に、送り迎えに来てもらう事にした。直接、本人が来るって条件で」
 まるで暗記した台本を読むように、遙は誠の質問にすらすらと答えていく。

「…既に全部終わっているんだな」
 誠は、がっくりと肩を落とす。こういう事において遙に勝てたことなど今まで一度もない。
 結局。今も昔も、遙はすると決めたことは何があろうと押し通すのだ。
「うん。…ごめん、誠。
 だけど、これが私達や、億彦や沙紀…そして日向やのりちゃん−紀彦にとって一番良い方法だと思う。
 それに…一番辛いのは、多分億彦と沙紀だから。二人が決心したから、私も決心したの」



――全ての人間が味方になってくれることはありえない。
 残念ながら、これは真理。
 それゆえ、キュレイに限らず、要人は常に悪意に曝される危険性を秘めている。そして、たいていその手の実力行使は、力なき人々に対して行われる。
 飯田億彦は、かつて、両親や祖父を悪意の末に失った。
 守野一族にしても然り。卑劣な誘拐犯は何も力を持たない幼子…守野くるみを攫っていった。

 共に、世の中は綺麗事だけで出来ていない事を身を持って知っている。だからこそ…大切な存在は、自身の持ちうる力で守らねばならない。

『第三視点・偽』。この能力は、こと自身の身を守ると言う点に限定すれば最強といっていい。これさえあれば、よほどのことがない限りそのような悪意の存在からわが身を守る事は容易いだろう。
 だが、この能力にも欠点がある。結局、ループできるのはわが身だけ。わが身から遠く離れた場所にまで影響力は発揮できない。

 この点で、一番不利だったのが飯田億彦と沙紀であり、その愛息であった。
 世界に冠たる一大コンツェルンを束ねるトップである以上、億彦のみならず沙紀もまた文字通り全世界を飛び回る生活を強いられている。とてもわが子と四六時中べったりとくっついている事は出来ない。
 そして一番狙われやすい立場でもある。キュレイに関する目的にしろ、身代金目的にしろ。狙われる理由には不自由しない。
 信頼できるベビーシッターやボディガードを使って身辺を固めてはいるものの、完璧というのはありえないであろう。


 そして、そういう生活は必然的にわが子を孤独にする。近づく人々全てを疑う日々。そんな生活が子供に好影響を与えるとは、とても考えられない。


 わが子の行末の為に、どうすれば良いか。熟考の末に、億彦と沙紀は我が子の養育を石原遙に委ねる決心をした。
『第三視点・偽』の能力を有する人間の内、子供を育てた経験のあるのは彼女だけ。さらに、彼女には、自身の息子と同い年の子供がいる。
 いきなり子供達の輪の中で生活するのは無理だとしても、せめて一人だけでいいから『幼馴染』となる存在を与えておいてやりたい。
 そして、『第三視点・偽』を持つ遙が側に居る事で、子供達に危害が及ぶ可能性を排除する事ができる。文字通り、彼女とその家族が身体を張って子供達を危険から守ってくれるだろう。

 ある意味身勝手な考え方である。億彦と沙紀は、それを承知の上で遙と誠に頭を下げた。最愛の息子から離れる事で、わが子の安全と健やかな成長を願ったのだ。


 遙が示したのは、その返事。全てを承知した上で、飯田紀彦の二人目の母親となる決心。


「本当に、いいんだな?」
 誠は、もう一度念を押す。
「うん。
 それに…これは日向のためでもあるの。彼方みたいな思いは、この子にはさせたくない。
 あの子みたいに一人ぼっちにして、道を誤りかけるような事だけはさせたくないの…彼方は沙羅に出逢えたけど。この子は、出会えるとは限らないから」
「そうか。…だから、日向をわざわざここに連れてきたんだよな?」
「うん。日向が受け入れなかったら、私達が何をしても無駄だから。だけど…日向、のりちゃんの事気に入ったみたい」
 遙は、微笑をたたえたまま、視線を夫から我が子の寝顔へと移す。
「………そうだな。もう俺は何も言わない。遙の好きにするといい。
  三つ子の魂百までも。
 二人にとって、よい縁であってくれるといいんだがな」
 誠もまた視線を我が子へ移しながら、降参といった風体で両手を上げてみせる。

「それは大丈夫。私と誠の子供だから」
 そう言って、遙は身体を誠に寄せて。
「そうだな。俺と遙の子供だ。きっと、うまくいくさ」
 誠はそのまま、優しく妻を抱き寄せる。






                  「「二人一緒にいるかぎり、バッドエンドはありえない」」


                          思わず同じ言葉を呟いて。
 

              誠と遙は、真っ赤になって微笑みながら、そのままベッドへと倒れこんだ。









                                    ―Epilouge 2 〜Never7〜END ―
後  書


 書いていくうちに、大幅に構成もプロットも変わってしまった自分的問題作。

 特に、ここには踏み込まないで完結させるぞ…と思っていた領域まで踏み込んでしまいました。…どうしよう。自分の力量じゃ書けないって思ったからスルーするつもりだったんだけど。書いたからにはしょうがない(苦笑)

 エピローグ集第二段。Never7のキャラクター達のエピローグ。約一名ほど足りませんが、彼女は別のキャラのエピローグでちゃんと登場します。…多分、驚くかもしれません。


 不遇な『彼』飯田億彦の登場です。…完全覚醒体おっくん。

 完全無比な『黒幕』を勤めてもらいました、彼には。内容は、本文で書いたとおり。幾つかの伏線は張っておきましたので、鋭い読者さんには分かるかも。
 Never7では完全無欠な弄られ+嫌な奴キャラとして、道化役とやられ役とかまし犬役を務めるハメになった億彦ですが。
 今回のようなプロットの長編だと、彼の存在は非常に重要でした。…彼と守野博士しかいないんですよ、黒幕になれる基礎設定、持っているのは。
 で、誠関連で守野博士を動かしたので、結果的に億彦にお鉢が回ってきました。こっち方面だと、本当に億彦の設定って便利です。…それこそこの為に生まれて来たって位。

 こんなシリアスモードの『漢』としての億彦、出来れば受け入れてやって頂きたいです。


 次回予告。次はココのエピローグです。

 それでは、今後とも宜しくお願いします。


2006年7月16日  あんくん


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