はいはーい!みなさまお久しぶりぃー!元気していましたかぁ?

 え、そんな口調のキャラなどEver17に居ない?…ふふふ、RSDの収束攻撃、して差し上げましょうか?

 あ、思い出した?それはそれは残念です。Lemuのジェネレーター全開で用意をしていたですの。電力、無駄になっちゃいましたねえ。


 さて、冗談はこれ位に致しまして。お久しぶりの出番の茜ヶ崎久遠です。


 はっきり言いまして私、心の底より怒っているですよ…だれにですか?そんな事決まっているじゃないですか。この世界を創造しましたアイツさんに決まってるですよ?
 アイツさん、よーっく分かってらっしゃる筈ですよね?
 いいですか?世の中、時代はメイドロボなのです!外見だけ若い着たきり白衣な所長さんなど目じゃないのです!
…え、空システムはメイドじゃない?サーバントとメイドロボは根幹から違う?メイドロボはもっと○×なご奉仕しないとダメ?

………そういう事言う人には、ノアプロジェクト月面基地から収束レーザー降ってくるですけど。それでもいいのですかねえ?

 なになに…『久遠ちゃんはメイドロボの素養がある』?
 はいはい、素直に最初っから認めればいいんですよ。ちぇっ、せっかくの実戦使用のチャンスだったのに………って、久遠、何も言ってないです。いいですか、何も言ってない何も言ってない…(ぐるぐるぐる)
 はい、何も聞いていなかった。そうですよね?そうですよね?そうだと言ったらそうですの!!!


 というわけで、どこかのナンパな感じで背が高いシスコンのお兄さん(仮称Sさん)みたく私はアイツさんに挑むのです!ふっふっふっ…私の相手のアイツさんはSさんのアイツさんに比べて遙にヘタレさんですから。こう言えば大丈夫なのです!

 という訳で涼権さま視点の久遠専用ルート、勿論エンディングで二人が結ばれる奴くださいな♪…もちろんEver17の優春グッドエンドみたいなのは禁止です、てへ(はあと)


…え、出せない?正史は既に確率収束したから変更できない?………そんな事したら所長さんがRTSで乗り込んできて3倍返しするから不可能?

………ふっふっふ。いい度胸ですねえアイツさん。しかも、やっぱりヘタレさんでした。そういう手がありましたです。

 『し、しまったー!』ですと?もう遅いのですっ!私は今、アイツさんを確かに超えたのですよっ!!!

 それでは、






                           ぽちっと、な。







未来へと続く夢の道−外伝1 あーるてぃえすらぷそでぃ−
                              あんくん



〜茜ヶ崎 久遠〜





 

 午前6時00分  田中研究所 RTS専用棟、キュレイ転送専用小型RTSユニットルーム



「準備完了ですの、所長さん」
「分かったわ、久遠。全く、いつもの事とはいえ会議ってのは出たくないわ。とにかく退屈な論議ばっかりだからね。…陰険坊やがああなった理由、分からなくもないわ」
 私の報告に、所長さんが疲れた表情で返して来たです。

 現在キュレイの拠点は5箇所ありまして、それは結構偏った位置に有るのです。日本とアメリカ合衆国に。時差は大体14時間。日本のほうが早いですの。
 そういう意味もありまして、NUNCPCやINPAOといったキュレイが主導権を握っている会議が開催される時間は限定されてます。
 日本時間ですと、大体朝の6時から9時(米国東部時間、夕方の4時から7時)か夕方の7時から10時(同朝の5時から8時)。これ以外の時間帯だと、お互い夜中や早朝に当たってしまうので無理があるんですよねえ。会場は大体新国連です。
 で、所長さんは、これから新国連での会議出席のためRTSでお出かけなのです。

「久遠、なに独り言言っているの?」

 あれ、私、何をしていたのでしょう?信じられないことです、AIである久遠がど忘れなんてあってはならない事なんですが。
 
「なんでもないでーす。それではRTS開始って、あり?」
 おかしいです。RTSもSGLSも正常に動作しているのに、テレポーテーションしないです。ええっと…
「エラーメッセージ、出てますねえ」
『RTS転送領域要確認。安全機構により転送保留中。
 RTS転送領域の状態を確認の上、もう一度実行をして下さい』
「くーおーん!何してるのよ!さっさとしないと会議遅れちゃうじゃない!!!」
「あーっと。所長さーん、ちょっと待っててくれませんかあーーー!」
 私はとりあえず、画面の指示に従う事にしました。


「一体どうしたの、久遠」
 いきなり転送領域に入ってくる久遠の姿に、私は苛立ち混じりの声で告げた。
 会議の時刻は迫っている。大して重要な会議ではないのだが、遅刻するのは私の主義ではない。第一、出遅れた為に私は一度、恋を失った。
 …あの時、先に告白していれば。もしかしたら武は私の物になり、今とは違った平穏な未来が開けていたかもしれない。心臓病の件もあり可能性は低かったかもしれないが、それでもこれは真実。結局私は出遅れ、武をつぐみに奪われる形になった。
 だから二度目は、我が子が作った唯一の機会にこちらから討って出た。お互い素直じゃない意地っ張り同士、そうでもしないといつまでたっても一線を越えないまま。そう思って。…そして、私は二度目は勝った。
「あのですねえ、エラーが出てるんです。それでちょっとこのエリアをチェックしないといけないんですう」
 ライバルはこの娘、茜ヶ崎久遠。空の妹。姉と同じく人間に恋し、そして同じ様に人間の女性に敗れた。…だが、この娘はいくら性格が違えどやはり空の妹。諦めの悪さだけは姉同様、天下一品。
「うーんと、おかしいですねえ。チェックかけても何も異常はな………」
 がこーーーーーーん!
 突然の振動と衝撃。その衝撃に揺さぶられて何かに激突し、私は気を失った。 


 

 午前6時17分  田中研究所 RTS専用棟、キュレイ転送専用小型RTSユニットルーム




「あやや…いったい何だったですの?」
 突然の振動と共に久遠のシステムはダウンしたみたいですの。再起動に思ったより時間が掛かってしまったみたいです。後でモニターデータ、見ないといけないですねえ。
 で、立ち上がろうとしまして…見事に自分のロングスカートを引っ掛けて転んでしまいましたのです。
「あきゃっ!痛いっ!」
 痛いです、とっても痛いです。『弁慶の泣き所』を打ってしまったのです。これはとっても痛いそうです。
 流石です、『ミラージュ・デバイス』は。こんなところまでシュミュレート………

 え?ちょっと待つですよ。久遠の服はいっつもミニスカートです。全自動絶対領域機能付きの。いろいろシュミュレートした結果として、涼権さまの好みを反映しつくした形で久遠はボディ設計をしてもらったのですから。
 恐る恐る、自分の服装を確認します。…趣味の悪いサマーセーターですねえ。ついでに白衣。女医さんが流行ったのなんて過去です過去!久遠の趣味じゃありませーん。
 ついでにゆったりとしたロングスカート。綺麗な足は見せてこそ華だと思っているんですけどね、久遠は。…一体誰の悪戯なのでしょう。所長さんの服を久遠に着せるなどという悪趣味な真似を…はっ!
 という事は、犯人は久遠の…久遠の下着姿を見たですか!それは…それだけは絶対許せないのですっ!!!久遠のそういう姿を見てもいいのは空お姉さまと沙羅お姉さまと涼権さまだけなのですっ!
 見つけたら即お仕置きフルコース決定ですっ!!!なんとしてでも犯人を探し出すですよ!

「う、ううーん」

 って、忘れてました。久遠はRTSの転送ユニットの中に居るのでした。ついでに言うと、所長さんもここに居るのです。
 本当は放っておきたいのですが、そういう事は涼権さまは大変お嫌いなのです。しょうがないのです。手を貸すことに決めたのです!
「一体何があったって言うのよ、久遠……?」
「えっと、何があったんでしょうね、所長さん……?」
 お互い顔を見合わせて………

       「え、ええ、ええええーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!」

 早朝の早い時間。二人以外に誰も居ないRTSユニットルームに、私達の悲鳴が響き渡ったのでした。



 

 午前6時30分  田中研究所 所長室



「…一体、どういう事なの?こういう事ってあり得るの?」
「久遠に聞かれても、困るですの。理論上はありえるんでしょうけど、本当にこんな事起こるなんて考えてもみなかったのです」
 私の目の前に、信じられない光景。
 それ以上に信じられない事。自分の思考ルーティンが全く違う。
 考えている事、それを実行している事。スタートとゴールは一緒。だが、その過程は全く違う。頭の中で考えた事が瞬く間に数字になる。その数字が頭の中であっという間に変わっていき、体が動く。
 それと平行して、大量の数字が頭の中に乱舞し、どんどんアメーバのように拡大、縮小、変異を繰り返す。それが起こるたびに、全身に感じる違和感が消えていく。状況が整理され、頭の中に流れ込んでくる。
…とても信じられる事ではない。だが。
 繰り返す。私の目の前に、信じられない光景。
 私の目の前、向かいのソファに…私が居る。朝身に着けていた衣服の姿の私がいる。

 そして自身の纏っている服は、いつも見慣れていて、そして一度も着た事がないもの。
 半袖のブラウス、見えそうな位短いミニスカート。白いソックスにローファー。

 如何にありえないことであっても、他に可能性がないならそれは真実。

 私は、田中優美清春香菜は、『茜ヶ崎久遠』の有機ボディの中に居た。………あり得ない筈のAIと人間の間の『人格交換』が起こってしまったのである。



 

 午前7時17分  田中研究所 RTS専用棟、キュレイ転送専用小型RTSユニットルーム



「ダメですねえ………」
 ため息を吐く私…の姿をした久遠。
「ダメね。やっぱり私じゃRTSもSGLSも使えないわ。多分『ソウル・ジェミニ』じゃないからでしょうね」
 人間で言えば、非随意運動か条件反射とでも言うべきだろうか。
 RTSやSGLSのプログラムなど私には判らないのだが、実行は出来る。それを確認してからRTSを作動させようとしたのだが…結果はダメ。SGLSのプライマリドライバ起動時点でエラーが出てしまう。
 現状においては、あの最初の起動実験のような状況を避けるためにSGLSを使用しないRTSは使用を禁止されている。
 結論から言えば…一番手っ取り早い解決策はネガティブという事。
「とりあえず、今日はRTSは使用禁止という事にしましょう。不調という事で」
 聞きなれているけど、どうも慣れない声…久遠の声で、私は当座の方針を久遠に告げたのだった。



 

 午前8時40分  田中研究所 所長室



(人間の体って、不思議ですねえ)
 久遠は、初めて体験する人間の体に戸惑っているのです。
 有機ボディとは言え、私の本来の身体は、全て数字で制御されています。その信号は全てメインフレームへフィードバックされ、処理され続けます。つまり…一番演算の早いメインフレームで全処理を行うので、自身の一挙手一挙動のメカニズム全てが判る訳ですね。
 ですが、この体…そういう反応、返ってこないのです!勝手に思った通りに体が動いているんですよ。
 どうして動いているのは判らないのです。ですが、結果として思い通りなのは事実なのです。

 後一つ…なんというのでしょう?不思議な気分です。自分の状態を、定量的に判断できないという事は。
 有機ボディとて、モニタリングされた状態は全て数字に変換されて把握されます。ですが、この身体ではそういう事は一切出来ません。自分の状態が、どうなのか…定量的に測定できないからこそ、あらゆる可能性を考えて判断しなければならないのです。どっちでもないあいまいな状況を判断する…ここに個性というものも出るのかもしれません。

 なんだか、興味が湧いてきました。…所長さんには悪いですけど。もっとこの身体を使っていたいのです、久遠は。



「おはよう、久遠、優…っておい、会議はどうしたんだよ!」
 聞きなれた声に。
「涼権、その話は後よ。さっさと今日の予定、打ち合わせるわ!久遠、ぼさっとしないで涼権の今日のスケジュールを示しなさい」

 とっさに、久遠は打ち合わせの逆の行動をとったのです。






(………くーおーんーっ!!!やってくれたわね!)
 私は、心の中で行儀悪く悪態を吐いた。最初の打ち合わせでは、涼権に事実を話して対策を練ることになっていたのに。久遠の一言で一気にぶち壊しになってしまった。
 こうなると、真実を語っても信じてもらえない。悪戯と思われるのがオチ。…にしても久遠上手いわ、私の真似。流石は空の妹、最新鋭のAI。観察眼は並じゃないわね。
 とりあえず、一本取られたけど。…このまま私が引っ込んでいるとは思わないことね。貴方が私―田中研究所所長、田中優美清春香菜の権限を使えるように………

「えー。とりあえず、飯田エレクトロニクス・インダストリィK市研究所への視察が午前中入ってますですの。午後は今の所、所内の巡回と書類処理。…本当は沙羅お姉さまと少年さんがRTSで帰って来る予定だったんですが、RTSが不調で使用不能でして。その件をお電話でお伝えした所、今日は守野の御両親の所に向かわれるそうです」

 午前の予定はとんでもない大嘘。当然久遠も知っている。だが…私は今、茜ヶ崎久遠のシステムを限定付きとは言え使用できる。所内無線LANを利用し、飯田EIへ親善訪問要請…間髪入れず、了解の返答が返ってくる。当然だ、何しろ…。
「ちなみに、久遠も御一緒する事になってます。先方も大歓迎との事でしたので。…RTSも使えませんから久遠は今日はここに詰める必要ないのですぅ」
 そう。空システム2号機、茜ヶ崎久遠のおまけつき。こうなれば二つ返事でOKが返ってくる。

「却下。貴方は機密の一環。簡単に外には、出せないわ」
 やっぱりそう来るわよね。…でも。
「涼権さま…私、外の世界も見て見たいのです。…ダメ、でしょうか………」
 上目遣い、手は軽く相手の胸にふれる。距離は付かず離れず、息遣いが聞こえるぎりぎりで止める。
 今まで散々見せ付けられた、久遠の必殺技。
 
「…優。そこまで言わなくても良いだろうが?飯田EIのK市研究所はRTSの総本山。RTSもSGLSも先刻承知だ。
 どうせ今日はRTSは使えないんだろう?状況といい、場所といい久遠の初外出にゃちょうどいいじゃないか。どうせ外の世界は見せてやらないといけない。そう優も言ってただろ?」
 よし、勝利。いままではこの手に煮え油を飲まされてきたけど、いざこっちが使うと結構便利。…それに、今回は久遠が悪いんだから。最初に裏切ったのは久遠、あなた。だから私も容赦はしないことにするからね。

「りょ〜う〜け〜ん!私の言う事聞けないって言うの?」
「ふっふふ〜ん♪相手のあることなのです!今更勝手に変更は出来ないのですよ!!!」
 トドメのあかんべえ。
「久遠、そこに直りなさい」
「負け惜しみは恥なのですよ、所長さんっ!」


 …立場は180度変わっても。結局いつもの朝の光景は変わらなかったのだった。


 

 午前10時00分  飯田EI・K市研究所




(いやあ、噂には聞いていたが…)
(これはまた想像以上だ。羨ましいというべきかな?)
(確かにそうも考えられるが。板ばさみってのも辛いと思うぞ?)

…思いっきり噂されているのです。
 まあ、無理もないですの。私が甘えるのは当然として…どうして所長さんまで密着しているですか?
 涼権さま、窮屈そうですの。お邪魔虫はさっさと離れなさいですのーーーー!
「…さっさと離れなさい、久遠。妻の前でそういう行動、感心しないわ。ここは他所、今は公務よ?」
「皆様は、久遠のAIとしてのありのままの姿を御所望ですの。ですから、こういうのも久遠の役割ですので。…所長さんこそ、公私の別を弁えていただけませんかねえ?」

 結局、あの朝の陣は何とか引き分けに持ち込んだです。…つまり、久遠も同行するという条件で外出を認めるという事でお互いがぎりぎりの妥協をしたのでした。
 そうでもしないと、所長室が廃墟になるところでした。…流石の所長さんも、それは嫌だったみたいです。

 で、今こうして涼権さまの腕を掴んでそれを胸に掻い込んだ格好で、私達は涼権様を挟んで火花を散らしているんですの。…絶対に負けられないのですぅ!!!


「全く。いきなり運転手命じられたと思ったらこんな有様か。涼権、災難だな?」
 倉成総務主任さんが笑って茶化しておりますの…これは真剣勝負なのです!笑ってはダメですのっ!
「そう思うんなら、何とかしてくれ!」
「…俺に何とかでできる訳ねえだろ?せいぜい自分で何とかしてくれ。職員連中も皆アテられているんだ。ちったあ考えてくれるか?」
…言っている事と表情が逆ですの。絶対面白がっているです!


 研究所を見学し、RTSのチェック要請をし、現場の研究員と意見交換をする間中。
 結局、久遠も所長さんも、涼権さまの傍らを離れる事はありませんでしたとさ。
「いやはや、恐れ入りました。ここまで感情に溢れたAIを短期間で育成されるとは。見事な手腕です」
 流石の研究所長さんも皮肉たっぷりにこうコメントされていました。

(…まるでプリ○セスメー○ーだよな?)
(…My ○erry M○y?)
(いや、やっぱりH○Xの影響だろう)
(ミ○ッカスシリーズを忘れちゃいけないぞ?)

………いったい何のことでしょう?研究員さんのひそひそ話、久遠には理解できなかったですの。



「美貌の上司と、愛らしい女性型AI。一昔前の○○○みたいな設定だな。羨ましい事だ。…どうやらこの研究所の連中の涼権感はそんな感じだよな」

「………」
「………」

「…武。頼むから火に油、注がないでくれ!」



 午後0時17分  田中研究所1F 大食堂



「♪♪♪」
「…おい、優。えらい上機嫌じゃないか?一体どうしたって言うんだよ?」


 結局午前中全て上司3人組に付き合わされた武が、不思議そうに優を見て呟いた。



…田中研究所、社員食堂。大抵の社員食堂といえば味はせいぜい並と相場は決まっているが、田中研究所においてその常識は当てはまらない。
 食堂を見回すと良くわかる。あちこちに居る、明らかに別の会社の制服を着ている人間…出入り業者の営業マンや運転手達。
 こういう社員食堂は、質が高いと見て間違いない。事実、田中研究所の社員食堂の食事の質は飛びぬけている。理由は簡単。…最高級の料理顧問が居るからである。
 倉成月海と一葉綾乃。最強の師弟コンビに依頼して調理職員の再教育とメニューレシピの再構成を行った結果、料理の質は格段に向上した。
 そしてそれまでの出入り業者に代えて地元の商店街に仕入先を変更した。それなりにコストは上昇したが、素材の質は値段に比してもかなり向上した。
『倉成の奥さんと一葉さんの口利きで、しかも倉成さんの御主人の職場。とてもハンパな品物は入れられない』
 これは地元の人々にとって共通語。それに田中研究所の台所事情は裕福であった事もあり、食材をケチったり力ずくで値引きを強要するようなせこい真似を優は一切許さなかった。
『無駄な仕入れや公官庁価格は厳禁。談合やリベートなんて論外。だけど、必要な投資をケチるのはそれに輪をかけて愚かだわ。多少割高になる分は、地元や職員への投資と割り切りなさい』
 これが優が武や厨房部に対して与えた指示。
 結果的に社員食堂の食事の質は並のレストランを遙にしのぐものとなった。同時に地元の商店街や町内会との関係も以前に増して良好になり、正に一挙両得となったのである。


 現在、久遠(外見は優)の目の前にあるのはデラックスAランチ。この食堂の一番人気の定番メニュー。
(初めて、ご飯を食べるですの!)

 そう。有機ボディとはいえ、流石に消化器官を持っているわけではない。当然の如く、空や久遠は食事をする必要も無ければ、食事をすることも出来ない。エネルギー供給は内部のジェネレータで発生した電力エネルギーを、そのまま使用する(機械部分)か、バイオトランスファーシステムで有機生体用エネルギーに電力を変換するか(有機部分)で行われる。バイオトランスファーシステム及び人工体液は最先端のバイオ工学の結晶であり、当然の如く最高機密の一つである。
 空や久遠が紅茶を嗜めるのは、優やいづみの配慮による。ジェネレーターやバイオトランスファーシステムは稼動において水を必要としているため、その水の補給を経口でも行えるようにしたのだ。高性能の浄化フィルターや浄水システムを含めてユニット化されており、普通の人間の飲む飲み物なら大抵は飲むことが出来る。
 ちなみに味覚感知システムは元来病気で味覚を失った人用に開発された人工味蕾をベースとしており、二人が一種のテストベッド役を兼ねている。それもあり、二人は標準的な人間の味感覚をデータベースとして有していた。

 説明が長くなったが。つまり、久遠は生まれて初めての「食事」というものに興味深深であり、思いっきり浮かれていたのである。
「それでは、いただきます!」
 表面上は、いつもの猫かぶり優のように上品に。その実は未知への遭遇にどぎまぎしながら、久遠はデラックスAランチを平らげに掛かったのである。

「おい、優。そんなに焦らなくても飯は逃げやしないぞ?らしくねえな、全く」
 
(…全く、涼権の言う通りよね。全く、これじゃ私の食事風景のイメージ台無しじゃないの)
 向かいの席に腰掛けて、私は久遠の食べっぷりに呆れ果ててる。育ち盛りの子供じゃないんだから。
 でもにこにこと、本当に美味しそうに久遠は食べている。それこそ即お代わりを要求しかねないくらいに、全身で喜びを表現して食べている。
(私、最近こんな顔をして食事した事、あったっけ?)

 家の家事は、今は涼権と二人で分担している。彼も一人暮らしが長かったから、一通りの家事は出来る。料理もそこそこ。結局男の料理で大雑把だけど。
 結局二人とも忙しいせいもあり、食事はおざなりで済ますことが多い。お弁当なんて、一体何ヶ月作っていないんだろう?
 昼食は大抵この大食堂。いま久遠が食べているスペシャルAランチが私の定番。だから、今日も久遠が注文を言う前に厨房からこれが出てきた。
 味は折紙付きだし、栄養のバランスもいい。だけど私は、このように、食事できる事を感謝して食べていただろうか?………たぶん、違う。


 そういえば、いつからだろう。食堂のテーブルの視界から、久遠の姿が消えたのは。


 最初の頃は、久遠と涼権と私の三人、希に武や空を交えてテーブルを一つ占領して食事していた。大抵久遠は水のコップか空の淹れた紅茶のボトルを片手に、私達の会話に横槍入れてはひと悶着を巻き起こしていた。
 だけど…いつの間にか、その姿が消えていた。いつも涼権に付き従っているというか、べったりくっついているというか。そんな久遠の姿は、必ず昼食時間だけは消えるようになっていた。
 私としては、静かな昼食時間が過ごせてせいせいしたなんて思っていたけど…とんでもない間違いだった。これは、持てる者の横暴に過ぎない。…久遠は食事したくても出来ない。付き合いたくても付き合えない。
 そんな中、私は無神経にも『ただ食べないといけないから食べる』なんて態度で接してしまった。

 多分、見たくなかったんだろう。自分の憧れている『食事』をそんな態度で取っている私や、涼権を。
 食事できるのを当然と思っているからこそ、食事したくても出来ない相手の心は努力しなくては分からない。私たちは、その努力を怠って…結果的に彼女を傷つけていたのかもしれない。


「そのエビフライ、貰うわよ?」
 ひょい!
「お、おのれ優!俺のエビフライへのこだわり、知っているだろうが!」
「そうだったかしら…むぐむぐ…しょうがないな、それじゃあ…」
「それじゃあ、なんだって…むぐっ!」
(!)
 突然の行動。久遠が自分が半分食べたエビフライの残り半分を涼権へ口移ししたのだ。何気に流し目でこっち見てる―――確信犯ね?
 くうっ、皆が驚いて見てるじゃない!何よ、その生暖かい視線は!こら武、笑うんじゃないっ!!!
 ああっ、腹が立つ、腹が立つけどっ!!!

 今回は、今回だけは、黙認しよう。私はそう心に決め、必死で怒りを押し殺しながら目の前でおかずの争奪戦を演じている二人を見守ることにした。





 午後2時17分  田中研究所3F 所長室




「優さん。こことここの承認印が抜けています。それと、この欄の記載がまだです。申し訳ないですけどお願いします」
「ごめんねえ、空。すぐ修正するから」


―――これで5回目です。空お姉さまに突っ込まれるの。ああ、逃げたいですの………


 デスクの上に散乱する書類の山・山・山。いったい何日貯めればこんな量になるですの!所長さん何やってるですか?
「優さんがいきなり書類整理の予定を変更して、飯田IEに表敬訪問をされるからですよ?これでも今日は少ないほうなんですから我慢していただけると思ったんですが」

―はい?今、なんと仰いました空お姉さま?『少ない方』ですか、これが?

 確かに一つ一つは大したことはありませんです。ですが、とにかく量が多いのです。
 いつもの久遠なら、ちょちょいのちょーい!なのですが…所長さんの身体では所内コンピュータネットに接続できません。いちいち端末でデータを呼び出して、照合してって………
 だあーーーーー!!! と・に・か・く・ふ・べ・ん・で・す・のっ!!!!

 と叫びたいのを必死に久遠はこらえたのです。空お姉さまには今回の事はお伝えしていないですから。分かってしまうと困るですよ。
 そういう訳で午前中は空お姉さまにはお留守番をお願いしたのです…誰です?『ご都合主義だ』って仰るのは?そんな事言う人嫌いですっ!
 
「あ、そうでした。この書類とこの書類は至急ですのでこれもお願いします。NUNCPCへ出さないといけませんので」
 本当にお姉さま、秘書兼副官として有能です。ですが…ちょっとは手加減してほしいのですぅ………。



  午後3時00分  田中研究所3F 所長室



「はい、どうぞ優さん」
「ありがとう、空」
 空お姉さまが紅茶を淹れてくれました。3時のお茶の時間です。
 久遠の向かいに、空お姉さまが座ります。いつも久遠はこの時間は涼権さまとお仕事していますから、こういう風に3時のお茶をお姉さまと頂くなんて事は滅多にありません。
「しかし、お疲れなのではないですか?今日のようにミスが多いのは滅多にないことです。余り御無理をしてはいけませんよ、優さん?」
…御免なさい、無理してるのですよ久遠が。ですがこれは秘密なのです。本当に騙して御免なさいなのですよ。
「だいじょーぶ、のーぷろぶれむ!それであとどれくらい残っているの、未処理分?」
「そうですね。いつもならあと2時間という所ですが、今日は余裕を見て2時間半という所だと想定します。…ですので30分ぐらいはお茶できるという事です」
 空お姉さまがいつもの様に微笑を浮かべるのです…どうやっても、久遠には真似できないんですよねえ、この微笑。
「しかし今日はまた派手に喧嘩なさいましたね、久遠ちゃんと。流石にソファーはダメでしたので交換いたしました。他は営繕係にお願いして何とかいたしましたので。
 仲良くしてくださいとまでは申しませんけど。せめて備品を壊すのは止めて頂きたいのですが」
「………善処はするけど、相手次第ね」
 ううっ、視線が痛いのです。…なんだか、今日は空お姉さま容赦ないのです。

「………」
「………」

 そのまま、無言で紅茶を飲みます。
 って、それじゃダメです。私は、今じゃないと聞けないことがあるんですの!…聞くの怖いけど、聞かなきゃいけない事が。だから、思い切って言うですのっ!!!



「ねえ、空。今の久遠、どう思うかしら?」



「正直、羨ましくないと言ったら嘘になりますね。あの子の気持ちも私の気持ちも、似たようなものですから」
「…羨ましい?」
 空お姉さまが、久遠を、羨む?…こんなに綺麗で大人で魅力的な空お姉さまが、私を羨む?
「ええ、そうです。あの子は本心を隠すことなく相手にぶつけながら、それでいて全てを壊さない術を心得ています。本気で全てを壊してでもって考えているなら、周囲の方々もああ悠長にしていらっしゃいません。…本当に、羨ましいですね。
 それに引き換え、私は卑怯ですから。倉成さんを欲しいと思いつつ、結局久遠ちゃんのように全てを丸く治めてそれを実行しようなんて器用な事は出来ません。それでも久遠ちゃんのように出来ないかと機会をうかがって、種を蒔いているのは事実ですが。肝心の実行手段を具体的には見出せず、全てを心の中に仕舞っているってのが真実ですね」
「いいの、空?私は………」
「そうですね。確かに優さんも元々は倉成さんを好いていたお一人ですから。それに…だからこそ、つぐみさんにこの事を仰るとは考えていません。違いますか?」
「………」
「結局、優さんも桑古木さんも別の人との恋に破れたことで、却って自身の心の奥底に気づかれた方じゃないですか?だから、久遠ちゃんを受け入れることも出来るわけですよね。自身の一番譲れない領域に踏み込まない限り、妥協していらっしゃいます。御自身も叶わぬ恋を経験されてらっしゃいますから…違いますか?」

 空お姉さまはずっと所長さんの側で働いていたから、私よりずっと所長さんの事を良く知っているですから。多分、空お姉さまが言っていることは真実なのです。
 久遠は、毎日毎日所長さんとやりあっていたつもりだったですけど、実際は所長さんの掌の上で踊っていたのでしょうか?

「っていけません、このままだと残業になってしまいます。私達が残業になるのは構いませんが、書類が遅れて研究員さん達が残業というのは可哀相ですので。それではお願いいたします、優さん」

 空お姉さまは、結局その答えを考える余裕を久遠に与えてはくれませんでした。




 午後2時17分  田中研究所1F 事務室



「久遠。タイムスケジュール変更、差配済んだか?」
「OKです、涼権さま!。それと破損した機材のチェックリスト出てます、見てもらえますか?」
「副所長!7番に○○機器からです、修理にかかる見積もり、今からメール送付するとのことです!」
「どっちも分かった!久遠、第17研究室の主任を呼び出してくれ。ここに来るようにと。
 武、資金繰り表、新しいの作ってくれ。無理言ってすまないが、修理代なんとか当月予算の中で捻出してくれないか?」
「了解しました」
「分かりました、副所長。なんとかしてみます…所長が壊す備品用の予備費から捻出するか。頼むから今月はもう壊してくれるなよ、優」
…ふーん、予算の中にそんな項目あったんだ?涼権や武が私の事をどう思っているのか良く分かったわ。―――ってそんなことに納得している場合じゃなかったっけ。

 予想外のトラブルにより、午後の私達の予定は完全に狂った。

 実験室の一つの実験計画に手違いがあったのだ。…実験を強制的に止めた所、共用実験機器のいくつかが破損。その結果が今のこの事務室の状態である。

 破損した機器を使用するはずだった実験のスケジュールを変更し、それに伴って空いた他の共用機器のタイムテーブルに他の実験を組み込む。それに伴う必要物資や人員を計算し、その在庫調整や不足分の発注を行う。
 機器の修理予算を捻出し、業者を選定して修理させる。
 事故の根本的原因を追究し、再発防止策を講じる。 

 事故と言えるほど大規模なものではないが。その結果の後始末をしているのだった。


 今まで、涼権の仕事ぶりについては良く知っているつもりだったけど。言葉通り「つもり」だった事を思い知らされる事になった。
 今まで見ていた涼権の仕事は、『上司からみた仕事』であった。そして今見ている涼権の仕事は『部下から見た仕事』。
 私の仕事が、適所に適材を配属し、予算を決めて配分し、様々な要望や嘆願に許可や却下を伝えて組織の方向を決定し、対外折衝を行って状況を作る事ならば。涼権がしているのは私が作った状況をコントロールする事であり、イレギュラーの影響を最小限に収束させる事。
 このような『後始末』に関しては、私が関与した事は殆どない。対外的なフォローを頼まれる位で、内部的な処置はほぼ全部、涼権や武、場合によって久遠や空が行って最後に事後報告書が上がってくるだけなのが通例だった。
 
 目の前で後始末の指揮を取っている涼権の姿は、想像以上のもの。私と悪態を応酬している軽い男とは似ても似付かぬ姿。
 矢継ぎ早に指示を飛ばし、部下を動かす。適切な指示を、最小限で行っているのが良くわかる。その中でも、部下への配慮を忘れてはいない。相手の適正や性格を考えつつ、可能な限り仕事量が増えないように配慮して命令を下している。
 指揮所を事務室に置いているのなんかその典型。上司なのだから別に副所長室から指示してもいいはずなのに。わざわざ自身が事務室に出向いて武や他の人員の負担を減らしている。
 表情は凛として、不安の欠片も浮かべてはいない。…情けない表情や困り顔を見せる私の前とは大違い。その姿は周囲に安心感を与えていて、物事を深刻に思わせない頼もしさを感じさせる。
 事後報告書からはうかがい知れない、もう一人の桑古木涼権の姿がそこにあった。

「おい、久遠。なにぼさっとしているんだ?今日のお前、なんかおかしいぞ」
「あ、はいっ!済みません。早速手配します!」

 もう一つ。久遠の評価も変わった。秘書兼副官の仕事など自分に比べて大した量にはならない。そんなふうに高をくくっていたのだが。これもまたとんでもない誤り。
 ありとあらゆる細かな手配作業や連絡・調整は引きも切らず、私では涼権の命令についていくのが精一杯。…明らかにいつもの久遠には劣っているのだろう。何度か涼権に叱責されている。
 だが、その視線には毒がない。久遠を信頼しきっているのだろう。原因を何らかの外的要因と考えて心配してくれている…事実は大当たりなのだが、それを明かすわけにもいかない。

 思い起こす。久遠は職員に受けがいい。普通に考えてみる。副所長にべったりで、所長と年がら年中大喧嘩している人工知能の女の子。…普通に考えれば職員に受けがいい筈がない。
 でも、現実として彼女は職員に好かれている。なぜか…理由は一番身近なところに隠れていた。

 単純に、無意識に。久遠は仕事とプライベートを切り分け、両方に全力を尽くしている。仕事に対しては一切手抜きも妥協もせず、全力で行っているに違いない。私人として、全力で私に張り合っているのと同じように。
 職員の皆にとっては、背伸びする女の子を微笑ましく見守っているような感覚なのだろう。一所懸命に仕事して、一所懸命に恋に生きて。それでいて皆には迷惑をかけていない。だから、一歩引いた場所から優しい目で見ることが出来る。私も、その恋の相手が涼権でさえなかったら間違いなく久遠を応援する側に回っていただろう。
 久遠の生活空間はこの研究所だけ。その中で生きていくしかない。そんな中で自身の本音を隠すことなく、それでいて居場所を失わない為にはどうすればいいか。現在の形は、久遠が苦労の末に築いた境地なのだろう。
 対して、最近の自分。仕事に手を抜いた事はなかったけれど。だけれどもそれに全力を尽くしていたか?まして、妻として、一人の女として全力を尽くしていたか…とても胸を張れるものではなかった。

 今までの自分の目の節穴ぶりに落ち込みながら、今の自分に嫌悪感を感じながら。私は洪水のような涼権の指示をこなしていった。 




 午後6時00分 田中研究所3F 所長室




 定時を告げる電子チャイムが全研究所内に響く。


 途端に研究所内の空気が緩み、急ぎの研究持ちの研究者や当直職員を除いた皆が帰り支度を始める。そんな時間帯。


「はい、お終いですね。優さん、ご苦労様でした」
 所長室の中で空が告げ、久遠(外見は優)は疲れきった表情でデスクにつっぷして。

「了解した。とりあえずその線で行ってくれ、武。優への報告書は頼んだからな…久遠、機材の手配は終わったよな?」
「はい。全ての見積もりを照合し、最も条件のいい業者を選定して総務主任さんに回してありますの。あとは総務主任さんのお仕事です」
「ご苦労様、久遠」
「はいですの!」
 副所長室で『後始末』の終わりを告げる桑古木の労いの言葉に、優(外見は久遠)はへなへなと椅子に座り込んだ。


 そして、皆が所長室に集合し、状況報告。
「…全く。最近たるんでるわ、皆。少し考えないといけないわね」
「あんまりやりすぎるなよ、優。厳しくするだけが能じゃねえんだから」
 このような首脳会議的話を暫く交わした後に。

「ま、その件は後でゆっくりと策を練りましょう。今日はご苦労様」
…いよいよ、この時が来たのです。


 私は今『田中優美清春香菜』…つまり、涼権さまの奥様なのです。
 そういうことですから―――活字に出来ないあんなことやこんなことやそんなことを涼権さまとしても全然オッケーなのですよ。久遠が夢にまで見た瞬間が、正に目の前に迫って…ます…の。
「それじゃ、帰りましょう。涼権」
 夢の時が、迫ってますの…だけど…だけど。
 何故でしょう。全然…嬉しくないんですの。何もはばかる事がないのに…何故、なんですの…。
「………」
 所長さんが、凄い目で睨んでます。当然です。でも、この位…久遠にだって、許される筈…なん…です…よ…ね…。

 そんな久遠に、涼権さまが優しく微笑まれます。そして………
 「そうだな。そろそろ帰ろうか、久遠…自分の本来の身体に。シンデレラ・リバティはここまでだ」




「涼権さま……一体いつから?」
「涼権……あんたまさか!」


 私も所長さんも、演技など忘れて叫んでいたのです。



「あのなあ。優、久遠。二人とも俺が何年付き合ってると思っている?癖や仕草見てれば嫌でも分かる。相手の癖は真似できても、自分の癖ってのは隠せないんだ。無意識のうちに出るからな。
 空、どうせお前さんも気づいてたんだろう?」
「はい、そうです。ですがお二人とも敢て相手を演じてらっしゃいましたから。それで私もその芝居に乗りました。…申し訳ありません」

「「!」」

 私と所長さんは、思わず二人を睨みつけたですの!

「あらかじめ言っておく。俺や空が優や久遠に接した態度はいつもと一緒だ。演技じゃない。あくまで、俺は久遠として優に接したし、空も一緒だろう?」
 その視線を真正面から受け止めて、涼権さまはいつもの表情でおっしゃいました。
「もちろんです。あくまで優さんとして振舞われるわけですから、私も優さんとして接しました。久遠の望みも、それだったでしょうから」
 空お姉さまも、いつもの微笑みのままでした。
「「………」」
 私も、所長さんも完全に黙り込んでしまいましたです。


「優や久遠が自分から言い出すのを待ってたんだが。さすがにこれ以上はレッドカードだ。
 久遠、悪いがそこから先は勘弁してくれ………その状態のお前を抱くという事は、二重の意味での裏切りだからな。優にも、久遠にも」


(そう…だったですの…)
 涼権さまの言葉を聞いた瞬間、あの嬉しくなかった理由が分かりました。
 あくまで、今の久遠の姿は所長さんですの。だから、この姿で涼権さまと一夜を過ごしても、涼権さまが愛されるのはあくまで所長さん…久遠じゃないんですね。
 そして、久遠と分かっていて、それでもなおこの姿で一夜を過ごすのなら…仰るとおり二重の裏切りです。久遠にも、所長さんにも。久遠や所長さんという魂ではなく、所長さんの器を愛していた事になるのですから。
 悔しいですけど、所長さんは凄く美人です。ですけど、涼権さまはそんな器でなく中の魂を好いてらっしゃいます。…完敗です。あらゆる意味で。


「ま、そういうこった。お互い、相手の立場や気持ちも良くわかっただろうしな。
 特に優。お前、最近久遠に邪険に当たりすぎだ。あんまりにも露骨で目に余ったぞ?
 元凶の俺が言う事じゃないが、少しは気を遣ってやってくれ。
 久遠もだ。少しは優の仕事の大変さも分かっただろうが。気持ちは分からんでもないが、あんまり騒ぎを起こすんじゃないぞ?」

 所長さんも私も、俯きます。確かに、涼権さまの仰る事は正しいです。あの書類の数々を全て裁いて、それから所内を回って、お客様の相手をして………そんな中で久遠の相手までしていたのです。
 それに…嬉しいですの。ちゃんと、涼権さまは久遠を見ていてくれたのです。例えそれが、所長さんへの気持ちと別物であったとしても。


「さて。それじゃさっさと自分の身体に戻って後始末だ、二人とも」
 まるで、事態は解決したといわんばかりの涼権さま。
「なに気軽に言っているのよ?そんなに簡単なら、こんなに悩んじゃいないわよ!!!」
 所長さんのいう通りです。そんなに簡単なら、とっくに元に戻っているですのっ!
「まったく、意外とこういう状態だと優は頭が回らなくなるな」
 あり?なんだか涼権さま、自信満々です。所長さん相手では、珍しいですの。
「…悪かったわね」
 呆れたように呟く涼権さまへの、所長さんの悪態も力がないです。
「まあ、しょうがねえけどな。…空、RTSもSGLSも使えるよな?」
 って、その手がありました!いっつも久遠だけでしたからすっかり忘れてたですのっ。
「はい。もともと他のAIも私の妹や甥・姪ですから。とりあえず転送先はどうされます?」
「そんなもの、守野の親父殿の所に決まっているだろうが。沙羅や彼方も居るからバックアップも十分だし…それとも優、あの陰険坊やに借りを作るか?」
「冗談じゃないわ!そんな事したら何交換条件にされるか判ったものじゃないわよ!」
…所長さん。お願いですから久遠の身体で地団駄踏むの止めて頂けませんかあ? 



 

 午後7時17分  田中研究所 RTS専用棟、キュレイ転送専用小型RTSユニットルーム





「RTS起動。SGLSプライマリドライバ起動…コンプリート。セカンダリドライバ起動…SGLS接続完了。『月読』とリンケージしました。
 いつでも行けます。…優さん」
「有難う、空」

 朝の件もあり心配していたが、今回はRTSは問題なく稼動しているようだ。私は空の言葉に従い、ゆっくりとRTS転送領域に入る。
 まず私が守野研究所に跳ぶ。次いで、久遠と私が同時に跳ぶ…これにより『人格交換』が起こり私達は元の身体に戻る。精神の方が元の場所に残留するようなので、私が守野研究所側に残る事になる。
 で、最後にもう一回、私が自分の研究所に跳ぶ。これで理論上は元通り。
 そして現実も、理論どおりに推移した。





 所長さんが戻ってきたのです。白衣姿の、いつもの格好で。
 これで久遠の短い夢は終わりました。また、いつもの日々が戻ってきます。…違うのは、もう久遠の目は消えたという事実だけなのです。
「さあ涼権、帰りましょう。非日常はもうこりごりよ」
 所長さんが、涼権様に声を掛けられました。そして、涼権さまは帰られます。唯一の女性の下へ。
「ああ、解った」
 そう言って、涼権さまは久遠のほうに向き直って………



                             ちゅっ。



 えっと、額に熱量を感じたですの。僅かな湿り気を帯びた軟性の…って、えとそのあのそのっ――――


         これって、もしかして、キスですか、キスですかあーーーーーーーーー!!!


 体内のジェネレーターとバイオトランスファーシステムが熱暴走します。熱い塊が全身を駆け巡ります…ああ、ダメです…冷却ユニット起動間に合いません…バイオチップが熱量限界で…リミッターが………

             「すまないな、久遠。今のところは、これで勘弁してくれや」

 このお言葉を辛うじてスタティックメモリーに焼き付けて。久遠は緊急冷却装置の作動と共に強制的に動作を停止した…です…の………。



 



 午前7時47分  田中研究所 RTS専用棟、キュレイ転送専用小型RTSユニットルーム




「やっほー!帰って来たでござるよ、ニンニン!」
「ただいまです、桑古木さん、久遠」

「ああ………おかえり」
「お帰りなさいですの!」

 沙羅お姉さまと、彼方お兄さま―以前沙羅お姉さまの前で『少年さん』と呼びましたら、沙羅お姉さまが非常にお怒りでしたのでこう呼ぶ事にしましたですの―がRTSを使ってこちらへいらっしゃいましたです。

「正常終了コールサイン転送完了。RTS待機状態へ移行、SGLSはメンテナンスモードへ固定します。…お帰りなさい、沙羅さん、彼方さん」
「ただいま、空」
「ご苦労様です、空さん」



「ついさっき、優さんが言っていたとおりだね。だから空さんが、RTSを制御していたんだ?」
 優は、朝一番で守野遺伝子学研究所で開催されている合同会議に出席する為にかなり早い時間にRTSで跳んでいる。
「はい。人格交換で全て元に戻った筈だったのですが…なぜか久遠ちゃんだとSGLSが起動しないんです。沙羅さん、申し訳ないですけど見ていただけませんか?」
 朝っぱらからのひと悶着。久遠がRTSを使用することが出来ず、やむを得ずスリープモード中の空を起こしてRTSを使用したのである。
 昨日の事もあって、結局、守野遺伝子学研究所に泊まっていた沙羅と彼方に対策の為来て貰う事になったのだ。
「うんいいよ、空。ちょっとオペレータ席を借りるね」
 慣れた手つきでコンソールキーを叩いてシステムチェックする沙羅。隣の席でモニタリングしている彼方。そんな二人をを見守る面々。

「―――もういいよ、空。これで久遠もSGLSを使えるはずだから」
 程なくして沙羅は彼方にアイコンタクト。二人ともオペレータ席から立ち上がる。その横顔は、全くいつもの通り。

「ここじゃ何だし、所長室にいこっか?空の紅茶、私飲みたいし…だめ?」
「承知しました。皆さんイングリッシュ・ブレックファーストで宜しいですよね?ついでに厨房の方にモーニングセットをお願いしてみましょうか?」
 沙羅のおねがいポーズに対して、空は微笑んで応じたのだった。





 午前8時30分 田中研究所3F 所長室




「ごちそうさまっ!」
「ご馳走様でした」
「ごちそうさま…」

 三者三様。沙羅、彼方、桑古木の前には、空っぽになったモーニングセットの皿。
 同じく空になったティーカップに、空が新たに淹れなおした紅茶を注いでいく。
 立ち上る、馥郁たる紅茶の香り。

 皆がティーカップ片手に他愛のない話に興じる。そんな時間の末に。


        「…そろそろ真面目な話しても、いいよね?」


 真剣な顔をした沙羅の言葉が、瞬時に皆のスイッチを切り替えた。


「久遠がね、SGLSを使えなかった理由なんだけど。実はとても単純。
 RTSシステムそのものがSGLSをロックして、久遠が使えないような設定になってた。多分…最初に久遠と優さんが入れ替わった時だと思う。
 それにシステム履歴を見る限り、明らかにRTSが作動しているの。あの時に。その際、いくつかのサポートシステムが一緒に起動しているんだけど…起動したプログラムは全部、空間制御用の防御システムだったんだよ」
「空間制御用…リミッター用のものですよね?」
 沙羅の説明に、久遠が口を挟む。
「うん。知ってのとおり、RTSって、一種の飛び越え技術…オーパーツなの。そして本来、RTSは平行世界移動用のシステム。空間軸のみならず、時間軸も超えられるし…精神の入れ替えも可能なんだ」
 沙羅が、驚くべき事実を口にする。
「ちょっと待て!人格交換も精神の入れ替えだが…沙羅が言っている意味、それとは違うんだろ?」
 桑古木の表情が厳しくなる。今、沙羅がほのめかした事実。それは………
「うん。桑古木さんの言う通りだよ。

                          ブリックウィンケル。

 あの現象と一緒とまでは言い切れないんだけど、関係は多分有ると思うの。人格交換…肉体だけが転送される現象の逆パターン、つまり精神だけが転送されるパターンもあり得るんじゃないかな。
 今回の件ね、今までの情報を総合して考えると一つの可能性に行き着くの。つまりね…」
「異なる歴史の平行世界からの強制転送だと、僕は思うんだ」
 沙羅の説明を、彼方が引き取った。
「沙羅の作業をモニタリングして、起動した防御システムのログを確認したんだけど。…正直呆れたんだ。このシステム、4次元時空連続体を歪めてまで時空防御をしている。また一つ、僕の仮説が裏付けられたんだよ」
「…なんの事だ?」
「えっと、御免なさい。それを説明すると長くなるから、その件は省略させてもらえないかな。
 こういう事なんだ。
 最初にRTSの制御システムはエラーメッセージを利用して、久遠を転送領域に移動させた。この場合、ソウル・ジェミニの関係にある優さんと久遠が同じ転送領域に入るんだ。
 そしてその直後に歴史が異なる世界の久遠の精神が、跳んで来る。ターゲットを優さんにして。
 久遠は当然知っていると思うけど。RTSの作動って一瞬だよね?」
「はい、そうですの」
「ピンポイントで優さんを狙えるのなら。当然相手方の世界のRTS端末は僕たちの世界よりは機能が上だと思うんだ。多分、目的に合った状態の世界をモニタリングできていたんじゃないかな。
 なのに、跳んだ先には優さんと久遠が両方居た。…RTSが『前もって』対応したんだ。本来、こんな事はありえないんだけど。
 だけど、それは実現した。つまり、相手側のRTSが作動した後『時間をずらして』対応する時間を作り、相手の作戦を阻止したんだ。
 本来、入れ替わる相手しか居ないはずの領域に、相手の世界の自分が居る。その上にRTSがシンクロして作動した。RTSのコマンドは『人格交換』、つまり身体だけを超短距離RTSで転送し、この世界の優さんと久遠を入れ替えた。
 相手の転送は、多分最終段階で失敗したんだと思う。ターゲットの状態が変わってしまったから。…と言うよりこれが狙いだったんだよ、防御機構の」

 明らかにとんでもない事が起きたという事だけは分かるものの、理解するには余りにも難解。だが、結果として他の世界からの干渉があり、それが阻止されたという所だけは皆、理解できたようである。

「なんで、久遠なんですかあ?久遠…」
「気にしちゃダメでござるぞ?あくまで別世界の久遠故。こちらの久遠は道を誤っていないってだけで十分だよ。だから…気にしちゃダメだから、ね」
「有難うございます、沙羅お姉さま。でも、なんで別の歴史の久遠だって断定できるんですか?」
 沙羅のフォローに僅かに顔を綻ばせたものの、未だ納得がいかない表情の久遠。
「うーん。それはね、最後に『久遠のSGLSが使えなくなった』って事。多分、相手側は久遠のSGLSをパスにしたんだと思うんだけど…久遠、アーシア(新国連の空システム)とのリンケージしか確立していないんだよね?」
「はい、その通りですの」
「だから、久遠に気づかれないでSGLSをリンクできるのって、やっぱり久遠だけなんだよ。量子通信を経由しないと仮定すると、そこしか可能性がないの。
 一度は防いだけど、またもう一回条件設定やり直されてから再実行されると困るから。だから久遠のSGLSを防御機構が使用不能にしたんじゃないかなあ。そうすれば、こっちのRTSとリンクできなくなるから、ね」
「じゃあ、今は?」
「多分、もう大丈夫でござろう。それで防御機構も働かなかったんじゃないかなあ?」
 沙羅はにこりと笑って、話を締めくくりに掛かった。
「………謎ばかりが増えてくるな。彼方、あとで構わないから説明してくれないか?」
 桑古木が嘆息する。
「そうだね。優さんが帰ってきたら説明しようかな。…でも、多分無理だと思うけど。僕と沙羅は今日の夕方までしかこっちに居れないし、あっちはあっちで………」
 言葉を引いて、悪戯っぽい笑いを彼方は浮かべる。
「いづみさんがてぐすね引いてたもん。絶対あらいざらい話さないと解放されないって沙羅は思うよ。間違いなく、今日は帰ってこないよね?」
「同感です。本気のいづみ叔母さんにかかれば、優さんも逃げられないでしょうし。今回の件は優さんが借りですから」
 夫婦揃って、お手上げのポーズ。他の3人も守野研究所での全く同じ光景を想像し、苦笑交じりに首肯する。

「それじゃ空さん。紅茶ご馳走様でした。あと、厨房の方にもお礼を言っていただけませんか?」
「空、ありがとね。やっぱり空の紅茶が一番だよ。モーニングも美味しかったし…それにママの味がしたの」
「お粗末さまでした。厨房の方にも伝えておきます。きっと喜びますね…それで、今日は彼方さんと沙羅さんはいかがされるおつもりですか?」
 礼を言ってゆっくりと立ち上がる彼方と沙羅に空が微笑んで返礼し、ついでに問いかける。
「うーん。倉成の家におじゃまします。なかなか帰れないですし」
「うん。パパは仕事だけど、ママは居ると思うし。ねえ彼方。ついでに大学、顔を出してこようよ!」
「そうだね。ホクト義兄さんや秋香菜義姉さんにも会って来ます」
 そのまま…なぜか二人、意地の悪い目で視線を一点に注ぐ。

「それにしてもすごい有様ですね、桑古木さん?」
「本当に、凄いクマでござる。ここまで顔色の悪い桑古木さんって始めて見るよ」

 沙羅の言葉通り。目は落ちくぼみ、その下には傍目に分かるくらい濃いクマが出来ていて、顔色は青い。先ほどの話の間も、必死であくびをかみ殺していた。

「一体、何があったんですか、桑古木さん?」
「うん、何かあったんだよね、桑古木さん?」
「そうです。無理はいけませんよ、桑古木さん?」
 彼方と沙羅と空が、桑古木を心配するような…フリをした言葉を発する。3人とも、顔には意地悪い笑みが張り付いている。
 明らかに事態を知っていて、それでいてそれを知らん振りをしている。そんな雰囲気が溢れている。
 その視線に耐える桑古木だが。



「優が………一睡もさせてくれなかった………」



 どうせ、言わない限りこの時間は終わらない。しぶしぶと、桑古木は真実かつ相手の望む結末を白状した。
「………だから優さんが上機嫌だったわけですね。それじゃ久遠、後は宜しくお願いするから」
「………だから優さんの顔色が良かったわけなんだ。それじゃ、久遠、後は宜しくお願いするね」
 こあくま二人は、それに相応しい笑みを桑古木と久遠に残して、そのまま部屋を出て行く。

 残されたのは3人。

「桑古木さん。今日はそれほど午前中は急ぎの仕事もありませんので、ゆっくり休まれてはいかがですか?」
 空がおずおずとした感じで提言するのだが。
「そういう訳にもいかんだろ。副所長室に居るから、何かあったら呼んでくれ」
 桑古木は苦虫を噛み潰したような顔で応えを返し、そのまま隣室へ出て行ってしまった。




「御免なさい。悪ふざけが過ぎましたね、久遠ちゃん」
「………」
 久遠は、必死に泣きそうになるのを堪えていた。無理もない。自らと『所長さん』との差を思い知らされたのだから。
 そんな妹に、
「それじゃ、空お姉さんがひとついい事を教えてあげましょう」





 午前10時00分 田中研究所3F 副所長室




「失礼するですのー!」
 自動ドアが開き、トレイを持った久遠が入ってくる。トレイの上には、2客のティーカップ。
「…どうした、久遠?」
 普段見慣れない光景に、目を丸くする桑古木。
「お茶にするですの。空お姉さまに眠気対策の紅茶の淹れ方を教わったのです!久遠が淹れましたですけど…ダメでしょうか?」
 応接デスクにティーカップを置きながら、久遠がいつもの笑いを見せる。
「ほう、それは気が利くな。早速頂くとしよう」
 眠気に対抗するのに精一杯だった桑古木は、渡りに船とばかりに頷いたのだった。

「………初めてにしては、まあまあなんじゃないか。少し癖が強いけどな」
「空お姉さま特製のブレンドですの。よく効くそうです」
 軽い会話を交わしながら共に紅茶を楽しむ。僅かな、安らぎの時間。
 その後に…


「Zzz………」
「流石は空お姉さまですの。凄い効き目ですぅ〜♪」
 手元にある、ブレンドティの葉の詰まった小瓶を見る。
『空印の特製睡眠紅茶。ガード不可、全画面命中判定100%、効果:ディレイ。3分後に効力発揮』
…どこかで見たフレーズに良く似ているのは気にしないように。
 見事に効果を発揮した特製睡眠紅茶により、桑古木は完全に睡魔に屈してしまっていた。
 
 肩の力の抜けた、安らかな寝顔。いつも見慣れた表情とはまた別の表情。
 そんな愛しの君の寝顔を、飽きることなく久遠は見つめ続けていたが。

            「これくらいの役得、久遠だってあってもいいですの!」

 ゆっくりとソファに腰を降ろし、久遠は桑古木の頭を自身の膝に乗せる。




         …いづみさまが仰っていました。『未来を信じる限り、心は折れない』って。
         久遠ちゃん。貴女はとても幸せな立場に居るの。確かにプライベートは優さ
         んの物かもしれないですけれど、それでも久遠ちゃんの居場所はちゃんとこ
         こにあるんです。実際、私には見せない表情も、久遠ちゃんには見せるんで
         す。優さんも悔しがってましたよ?『私の知らない表情の涼権がいた』って。

          諦めるのは簡単ですけれど、それでも久遠ちゃんはいいのですか?

          流石に優さんの居場所を壊す事だけはお姉ちゃんとしても許せませんが。
         久遠ちゃんなら、それ以外の道を探せるんじゃないんですか?





 
                  …そーっと、そーっと、身をかがめて

                       ………ちゅっ。
 
           昨日、涼権さまがしてくださったように、そっと額にキスをします。





 とりあえず今は、これで我慢するですの。ですが、ですが…諦めるとかそういうのは久遠の趣味ではありません!






               久遠は絶対に折れないですからね!所長さんっ!!!








                                         ― Append Story 1 End ―
後  書


 …完全に作者的に迷走した問題作。

 外伝第一弾。久遠の外伝です。本来はもう一本が先に来る筈だったのですが。見事に煮詰まってしまって結果的にこっちが先になりました。

 冒頭で分かるように、壊れ気味のコミカルギャグにするつもりだったですが、完全に失敗。もとがほのシリワールドの上に、時期が拙かったです。
 第二部の後に書いた以上、時間軸を遡れなくて。どうやっても、ギャグにすることが出来ず…こうなってしまいました。わりとシリアスな出来になってます。

 挙句に流れも綺麗に出来ませんでしたし。自戒を籠めてアップします。
 

 やっぱり私は、根本的にギャグは向かないようです。…残念ながら。




2006年8月6日 初稿  あんくん

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